私が尊敬するおじいちゃんを暗殺します
「やって……やってからどうすんだ?」
「その質問、『今は西暦何年ですか』と訊くようなものだろ。当然私は威子口家の当主になって威子口の全権を握らせてもらう」
滔々とソラが答えた。
「……だけど十年くらい待てば、ご当主様も老衰で――」
「そんなに待ってられるか」
呆れたとばかりにソラは体を引き、前腕を横に振った。
「終末現象のアンチテーゼとなり得るなら、今すぐ離人症への方針を百八十度転換しなくてはいけないんだ。祖父は離人症のこととなると頑固で私の言葉など聞きやしない。悪いが、祖父には退場してもらう」
「でもな……」金枝は青い顔をした。威子口家当主の暗殺など前代未聞だった。
「祖父と面会を申し出て、出会い頭にグサリと殺れないこともないが、さすがに私は捕まってしまう」
ソラは机に膝をつき、両手指をクロスさせて口元に持っていった。
「特殊な暗殺が必要なんだよ。威子口に日頃から恨みを抱き、尚且つ祖父の身辺警護も欺ける、特殊な能力を持つ人間」
「離人症状者のことか」
顔を強張らせ、金枝が言葉を接いだ。ソラは二人きりの教室で、金枝の為だけに清涼な笑顔を振りまいた。
「金枝君。君には誰が離人症か分かるらしいね」
「な、何で知ってんの」
「君をしばらく盗聴してたから」
金枝は慌てて自分の制服をぺたぺた触った。その様子にソラはくすっと笑った。
「もう君の情報は十分手に入ったから、今は盗聴してないって」
金枝は弄る動きを止め、鬱陶しげにソラを見た。
「強そうな離人症の奴を俺にスカウトさせて、威子口八雲を殺させる気だな? 随分と大胆なプランだな」
「まあね」
ソラは軽い調子で認める。金枝が絶句していると、ソラは空になった弁当箱を手に立ち上がった。
「金枝君、なるべく早くして。あと九日で十一月一日だ。月初めから無作為なナイフト=トーフフ検査が始まる。そうなれば、罪のない離人症の人々が大勢死ぬか、施設送りにされる。それに私のハッキングがばれても面倒だな。もし私が捕まれば、暗殺計画のことまで吐かされて、君も人体実験の素体に回されると思う。私ほど、他の威子口の者は甘くない」
「な、何で俺が人体実験に……」
「だって、ね?」
物憂げな眼差しでソラは自分の両肩を抱いた。
「拷問されたら、本当に可哀想だけど、私は洗いざらい口を割ってしまう自信がある。それに北形なんて、大喜びで話しそうだ。君のこと、あまり好きじゃないみたいだから」
金枝は苦い顔をして教室の外の釣り目の女子生徒を空目した。ソラが、カチャリとドアを開ける。不敵な笑みを浮かべる北形と金枝は目が合ってしまった。
「さよなら、金枝君。どんな手段を使ってもいい、使えそうな離人症状者を早く見繕ってくれ。何か相談がしたいならすぐに声をかけて。期限は、今週までに」
「威子口ソラッ」
金枝は、制服姿の威子口空の凛とした後背に訊ねた。
「覚悟、出来てんのか」
「私はとっくに出来ている。君は?」
ソラは問いかけ返すと、金枝の答えを聞かずに教室を出ていった。廊下から二足の上履きの音が遠のいていき、やがて消えてなくなった。
「ああ。とんでもないことになった」
金枝は青い顔をして唐揚げを口に入れた。バカシタを使った筈なのに、口内の唐揚げからは何の味も感じ取れなかった。
「は? 離人症集め?」
放課後の廊下で、小間口は不審人物を見るような目つきで金枝の顔をじろじろ眺めた。金枝は周囲を気にしながら、威子口八雲暗殺計画を小声で話した。小間口の健康的な顔色は、さっと青白くなる。
「か、金枝……。そんな計画に、あたしを巻き込むな! やだやだやだやだ」
小間口は両耳を塞ぎ目を瞑り、金枝から離れていく。金枝は少し大声で言った。
「もう君は聞いちゃったんだ。後戻りは出来ないぞ」
「そんなのテロ行為じゃん!」
小間口が声を荒げる。金枝は慌てて歩み寄り、小間口の口を塞いだ。小間口も自ら口を押さえていた。数人の生徒が不思議そうに二人を見ている。二人は「あははは」と笑いながら、その場から離れた。
「……無理だよそんなの」
廊下を歩きながら、金枝の口を剥がして小間口は押し殺した声で言った。
「ねー金枝、やめてよ。死にたくないもん」
「威子口さんの洗脳未遂に君は失敗してんだぞ。もう怖くないだろ」
「あー、確かに」
小間口は乾いた笑いを浮かべた。金枝は説得を続けた。
「もう君が離人症だってこと、威子口さんだって知ってるんだ。君が参加しなかったら、『伊穂を仲間に入れたら?』って言うぜ、あの人」
「はあー」小間口は肩をがくりと落とすと、顔を上げ、噛みつくような目で金枝を睨んだ。
「私は、何すればいいの?」
威子口大地の命日になった十月二十八日は『大地祭』という名の祝日に定められている。
威子口大地は頭が切れた。人徳に溢れていた。政治手腕も優れていた。それでいてルックスも良い。欠点のないスーパーマン。それが威子口大地だった。父親である八雲は「儂がいつ死んでも大地さえいれば人類は安泰だ」と側近に話すほど、大地には全幅の信頼を寄せていた。
彼の命を奪ったテロリストグループは世の中に不満を持つ離人症持ちで構成されていた。そのことが、八雲の離人症嫌いに更なる拍車をかけたとされる。
朝十時から始まった大地祭の様子は、各地方のテレビ局のリレーで長時間中継された。金枝はテレビの前に居座り、昼飯こそ食べながらも三時間近く画面から目を離さずにいた。
幸い、金枝宅は快適だった。先日購入されたエアコンは『初夏の自宅』モードが搭載された新型で、早速それに設定してある。十月下旬の肌寒い日であるにも関わらず、『六月中旬のちょっぴり暑くなった昼下がりにクーラーを贅沢につけて涼しくなった自宅』というニッチなシチュエーションがリビングに再現されていた為に、金枝の袖の裏や半ズボンの隙間を通る冷えた室内の空気も実に爽やかで気持ち良かった。新型エアコンは値が張ったが、自分が威子口の者と婚約したものだから両親も相当財布が緩んだんだろう。と、金枝は推察していた。その証拠に金枝の母は今まさに、家庭用最新型アンドロイドの特集電子カタログに熱心だった。
――おい。美糸クン。本当に暗殺は起こるのか? そんな気配、微塵もない。呑気で、和やかで。
金枝の眼玉越しにテレビを眺めていたホルスは、すっかり退屈して話しかけてくる。
金枝は軽く肩を回すと、頬杖をついた。
(やるとしたら、今日だ)
確信めいたものが金枝にはあった。金枝は威子口八雲暗殺の日時も具体的な方法も何一つソラから聞かされてはいなかったし、小間口からもはぐらかされた。しかし、既に暗殺の準備は済んでいると金枝は踏んでいた。
威子口大地祭の四日前。ソラと北形と金枝の三人で放課後の校内を閉門時刻ギリギリまで徘徊したことがあった。北形は常時ステルス状態で、無言で生徒を撮影をする役だった。金枝はすれ違う離人症持ちの生徒の能力をソラに伝え、ソラがその能力を気に入れば、今度は北形が生徒の顔を写真に収める。その中には、修学旅行でヒグマを倒した目つきの悪いチョコレート少女もいた。
ソラは暗殺に利用する離人症持ちをじっくり吟味した上で、使えそうな者は後日小間口の洗脳を受け、暗殺の駒にされるのだろうと金枝は想像した。洗脳は小間口が指示を紙に書いて本人に見せれば数秒で事が済む。
威子口空は十一月一日の法改正日までには祖父の暗殺をしたがっていた。となると、八雲が公の場に姿を現す十月二十八日の威子口大地祭をソラが逃す筈はなく、ソラの父親の命日が八雲暗殺のエックスデーに選ばれる可能性は高い。金枝には今日まで、かなりの自信があった。
のだが、一向にそんな気配もなく、派手で豪華なパレードは賑やかに日本中を駆け巡っている。威子口大地が宇宙の藻屑に消えて丁度十年ということもあり、いつにも増して大がかりなショーが列島を跨いで行われていた。特に東京はいつになく華やいで、冬も近いというのにうだるような熱気が画面越しからも伝わってきた。
野球中継を見たがる姉や、「秋の天皇賞が……」と不服を言う父親を説き伏せ、金枝はパレードを見続けた。
「さすが婚約者ねぇ。今まで、こういうの全然興味なかったのに」と金枝の母親。
「でも美糸。お前、フィアンセなんだからソラさんの隣りにいなきゃ駄目じゃないのか」と父親がお節介を焼いてくる。金枝は答えるのが億劫で黙っていると、ナイスタイミングでインタビュアーがソラに質問した。
「ところでソラさん。貴方の婚約者さんは今日、いらしてないのですか? 姿が、ありませんが」
「ええ、だって彼はまだ威子口家の人ではありません、普通の学生ですから。英語や数学の小テストに毎日を追われる身。威子口のせいで学業に支障が出たとあっては可哀想なので。結婚するまでは、なるべく普通の生活をして欲しいんです」
ソラは雪の結晶のような儚なげな表情で黒髪を耳にかけた。女性らしい仕草にドキリとしながら、(よく言うよ)と金枝は内心苛ついてもいた。金枝が今日大地祭に呼ばれなかったのは、ソラが金枝と長時間隣り合わせで座り、大地祭を見守るのを拒否した為だった。金枝は金枝で何時間も拘束されるのはごめんだったので、不参加になって清々していた。
テレビ画面の右上端のワイプが、都内のスタジオで待機する何の為に存在するのか分からない大勢の芸能人の内の一人の女タレントに切り替わる。威子口空の清らかな心遣いに感銘を受けましたとばかりに涙をほろほろと流していた。
しょうもねえ、と金枝は思った。
「なんと素晴らしいお方だろう」
金枝の父親は陶酔し切って、画面のソラの横顔に目を奪われていた。ソラはメイド服に似た黒のドレスを身にまとい、全身を黒で着飾っていた。金枝はげぇと、ひっそり舌を出す。別の話題を振られ屈託のない笑みを浮かべながら優等生回答をする威子口空を、金枝はただ感情なく眺めていた。
夕方になり日も暮れ始め、大地祭も終幕に向かっていた。赤い壇上で、威子口大地がどれだけ偉大な人物だったかを語る銀行の頭取、大企業の社長、アメリカから来日した大統領といったお偉方の長話に耐えかね、金枝はついつい舟を漕いでいた。
ふっと目を覚ました時、壇上には威子口八雲その人がいた。マイクを通さなくても遠くまで届くであろう、しっかりとした話し声。杖をつきながらも背筋は若者のように真っすぐで、白くなった眉毛の下からは飢えた狼のような眼光が覗く。話の内容も理路整然としていて、とても七十代の老人ではない。
(こりゃ、あと十年は死なねぇな)と思いながら、金枝は欠伸を噛み締めていると、八雲がゴホンと咳払いした。
「そう言えば、最近サプライズを受けまして。先日うちの娘が勝手に婚約しましてな」
観客から笑いが零れた。
「実は儂も前々から、言おう言おうと思いながら、しかしまだ早いと我慢してきたことがあります。だが、もう頃合いでしょう」
八雲が一息をついた。何だろう、と観客席が静まる。
「威子口八雲は勝手ながら、今年一杯で威子口家当主の座を退くことに致しました」
金枝はぎくりとした。眠気が吹き飛ぶ。人々のざわめきがテレビのマイクに入りこんだ。後ろで控える八雲の側近は動揺を隠せない様子で、ソラは目を丸くしていた。
「儂の後の当主ですが、それは彼女しかおりません。威子口大地の娘、威子口空以外におりますまい。どなたか、異存のある人は?」
八雲は悪戯な笑みを浮かべ、後ろを見やる。誰からともなく拍手をし始めた。拍手の波は浸食するように観客席まで広がり、やがて地響きのような拍手がソラを祝福した。
「どうなってんだ、一体」
暗殺計画は中止になったのだろうか。しかし、八雲が隠居するのは来年からだという。金枝は当惑した。威子口家の人々に囲まれたソラの顔をカメラが捉えているが、ソラも困り果てたような顔をして、それでも目の前の事実を必死に受け入れようとしているように見えた。
ぽつ、ぽつ。雨が降ってきたらしいのは、観客の反応で分かった。人々は持ち合わせのハンカチや鞄で濡れるのを防ごうとしたが、あっという間に大粒になり、カメラの視界を遮るほどの激しい雨が人々を強く打ち叩いた。黒服の男らは大慌てで、大きな黒傘を広げて現当主を雨から守ろうとする。
「老人共の話が長いと天が御怒りのようだ」
八雲は素早く話を切り上げると、一礼して壇上を降りていく。八雲はそのまま黒服らと共に、傍で待機していた黒塗りの車へ徒歩で向かった。
「えー、これは大きなサプライズになりました。それでは最後に、大地さんの一人娘である威子口空さんからお話を伺います」
進行役に促され、黒い傘を開き壇上へ向かおうとしたソラは、不意に何かを気にする素振りを見せて足を止めた。画面外から聞こえる誰かの悲鳴。どよめきが起こる。カメラがパンされると、八雲老人が土砂降りの中、うつ伏せで倒れていた。画面にはっきり映ったのは八雲の革靴を履いた長い足くらいで、何が起こったのかよく分からなかった。傍にいた黒服らは傘で八雲を覆い、見えない何かから老人を守っている。場は騒然となり、威子口家の人々は黒服らに脇を固められて早々に避難を始めた。一人制止を振り切り大股で父親に駆け寄る威子口灸の大柄な体と、取り乱したソラを抱きかかえる黒服達の様子を最後に中継映像は遮断され、タランチュラ星雲のダイナミックな環境映像がだらだらと流れ出したものだから、金枝も静かに席を立った。




