婚約会見した後に終末の原因を探ってたらやばい!
その日の夕方。学校を終えた金枝とソラの二人は、詰め掛けた大勢の記者を前に婚約会見をした。
無数のシャッターが焚かれた。会場の大ホールには慌ただしく人が出入りをした。金枝は威子口家の用意した高いスーツに袖を通し、会見を受けている。背が高く肩幅もあるので、金枝の恰好は様になっていた。一方でソラは普段の制服姿にもかかわらず、金枝より遥かに華があり、瑞々しい笑みを常に絶やさず、記者の少し際どい質問にも好感のもてる完璧な回答で返し、上手いこと記者を捌いていた。
若い記者が手をあげる。
「木星スクープのカドワキです。二人の馴れ初めをお聞かせ願えますか?」
「彼とは、偶然にも中学一年の頃からずっと同じクラスでした。ですが付き合い始めたのは、高校に入ってからです」
「何か、これというきっかけなどはあったんでしょうか。お付き合いに至った……」
「それは――」
ソラは何気ない仕草で頬を指でなぞった。
「私、その気はなくても普段から近寄り難いオーラを出しているらしくて。同い年の子と友達になりたくても、なかなかクラスで馴染めないでいたんです。そんな時、彼だけは優しくしてくれました。クラスが替わる度、いつも私がクラスに溶け込めるよう、それとなくきっかけを作ってくれるし。そしたら、いつの間にか好きになっていて」
ソラがしな垂れかかるように金枝の横顔を流し見る。カメラの瞬きが金枝の顔を執拗に連写し、金枝は思わず目を細めた。
記者が追撃するように手を挙げる。
「はい、そこの人」
「月刊ムーンのダニエルです。婚約者である金枝さんにお聞きしたいのですが、威子口空さんのことはどう思ってらしたんですか?」
「えーと……惚れた理由ですか? 聡明で美人で、才媛ですし、奥ゆかしいかと思ったら柑橘系というか、清涼飲料水のCMみたいな爽やかさもあって。手足もしなやかで……」
「ほうほう。他には?」
「一番の理由は、何て言うか。時々見せる、威子口らしくない年相応の女の子な部分ですかね。それがもう可愛くて」
金枝がぱっと浮かんだデタラメを並べ立てると、会見場で笑いが起こった。金枝は首を傾げた。
「やめてよ、もう」
ソラは照れたフリをしつつも口元が引き攣っていた。
「ガニメデタイムスのリーです。仲の良いお二人にお願いがあります。腕を組んでいるポーズをもらえませんか」
「え、ええっ。良いですよ」
ソラは元気よく答えると、ちらっと目で合図した。二人はぎこちなく立ち上がると、互いにおずおずと寄り添い、腕を絡ませる。フラッシュの焚く音が大きくなった。
「いっそキスしちゃったら!?」
記者席からデリカシーのない要求が飛んだ。金枝はどきりとして、ソラと顔を見合わせた。ソラは驚いたような顔をしたが、すぐ気まずそうに顔を背けた。どうせ全部演技だろ、と金枝は鼻で笑いながら、
「え、えーと。普段はしてくれるんですが、人前だと恥ずかしいみたいで」と言った。
「普段はされているんだ!?」
眩しいフラッシュが何度も焚かれる。
「あっ、『ミー君』。ネクタイ曲がってる」
ソラが両手を金枝の首元に持っていく。顔を近づけ、耳元でソラが呟いた。
「あまり調子に乗るな。破談にするぞ」
「そっちこそ。イテッ」
金枝は苦悶の表情を浮かべた。ソラの革靴のかかとが金枝の靴先を踏んづけていた。
「すみません、デブリテレビのダルヌです。婚約おめでとうございます。あの、今『ミー君』って。婚約者の金枝さんを『ミー君』と呼んでいるんですか?」
記者の質問にソラは『まずい』という顔をした。
「あはは、イヤだな。私としたことが」
記者席のざわめきが大きくなる。
「実は、二人きりの時は彼のことを『ミー君』って呼びます」
ソラが伏し目がちに言った。顔が仄かに赤らんでいる。
「では金枝さんはなんと?」
「え、俺ですか?」
金枝が言葉に詰まっていると、ソラが爽やかに返した。
「彼はずーっと『威子口さん』と。けれど、昨日からは『ソラ』と呼び捨てにしてくれます」
記者の間から感嘆の溜息が漏れた。光とフラッシュ音が余計に激しくなった。
一時間半の婚約発表を終え、舞台袖に下がった二人は、揃って「ふうーっ」と息を吐いた。
「何でこんなことになったんだ」ネクタイを緩めながら金枝がぼやいた。
「どんだけくだらない質問に答えさせられたか」
「誰のせいだろうね。最低だ」
ソラは吐き捨てるように言うと、後ろで結っていた髪を解く。金枝が水を飲みながら言い返した。
「芸能人なら分かるさ。でも威子口なんて、いくら顔が売れても何の得もないし、むしろ損だな。よく考えると」
「それでもメディアには媚びを売った方が得なんだ。金枝君も少しは『大嫌いな威子口空』の苦労が感じられたんじゃないか? むしろ、大変なのはこれからで」
ソラは疲れた顔をして、耳元の編んだ髪を軽く払う。
「はあ。お爺様へは後でどう説明しよう……」
「全部、話すのか? ホルスのこととか」
「まさか。そんな訳ない」
ぎょっとしたようにソラは金枝の顔を見つめた。
「今朝の話は四人の秘密だ。これから先も、この後も永遠。私と君の会話は、外部へ絶対に漏らすな。内部へもだ」
金枝は素直に頷いた。
「とにかく、これで君と私は婚約者になった。まだ君は正式には威子口の者ではないが、それでも振る舞いには気をつけて欲しい。今日から、太陽系の人間なら誰もが君を威子口家の者と周知したし、明日明後日には宇宙全土へ知れ渡る」
「凄い」
「凄い、って……あのねぇ」
金枝の小学生のような感想にソラは気が遠くなったが、何とか堪え、金枝の腕を引くようにしてリムジンへ乗せた。
金枝は威子口空の自宅へ連れてこられた。
「さすが威子口だ。なんつー豪邸」
美術館の如く高い威子口邸の天井と、そこから垂れ下がる神々しいシャンデリアを眺めながら金枝が感心していると、ソラが後ろめたそうに「警備の関係上、住居はこんな感じで」と言葉を濁した。
「何でそんな控えめに言うんだ? 誇らしくないの?」
「威子口は誇らしい。だが私は何もしてない」
ソラは流れるような言葉遣いで話した。
「それに、威子口の者は大学へ進むまではなるべく一般階級の生活をしている、という建前がある以上、豪邸に住んでいるなんてあまり言いふらされたくはないんだ。その代わり、普段の食や学校生活に関しては君とあまり変わらない」
「そんなの偽善だろ。俺が威子口の者になったら、贅沢の限りを尽くすね」
「威子口家の人間が湯水の如く金を浪費した例は過去に何度もあったが、偶然にも全員が交通事故に遭って亡くなっている。不思議だね」
ソラが釘を刺すように言う。
「へえ、君ら威子口には、自浄作用があるってことか? 独裁一族だと思ってた」
ソラは不満そうに腕を組んだ。
「なんなら威子口は、幼少期に選別される。無能は除籍されるんだ」
ソラはキッチンに行くと、冷蔵庫からカマンベールチーズを取り出し、小型ナイフで切り分け始めた。
「いる?」
「サンキュー」
小皿に載せられたチーズの欠片を、金枝はフォークも使わずペロリと食べた。
「分かってないな」
ソラは自分のおでこに手をやるポーズをした。
「こういうのは、チビチビ食べるから美味しいの。見てて」
ソラはフォークでチーズを刺すと、端っこを歯で千切り、口に入れた。
「なんか貧乏くさいな。ネズミみたい」金枝は遠慮なく感想を言った。ソラは悲しそうな顔をしてチーズを味わっている。金枝は訊いた。
「除籍された無能はどうなるんだ?」
「さあ」ソラは言葉を濁した。
「どうやって無能か有能か選別すんの?」
「知能、運動神経。他者への思いやり、あるいは感情に流されない判断力とか、項目はたくさんある。威子口の子は朝起きてから眠るまで四六時中観察され、勝手に点数をつけられる時期があって――」
「威子口っていうのは、血を引いてなくてもなれるんだっけ」
うろ覚えの記憶を頼りに訊ねると、ソラは「そうそう」と頷いた。
「君みたいのは政治に関われないが、優秀な幼子が養子として威子口へ一時的に籍を置くことはある。そういった子供の中から特に秀でた子は、最終試験を受ける。そこで晴れて合格すれば威子口として認められ、人類の行く末にだって口を出せるようになるし、将来の威子口家当主になる権利も与えられる」
「君も受けた? その最終試験」
「受けたよ」
ソラは呟くように言った後、庭を見渡せる硝子戸にそっと手を置いた。結露の水滴がソラの指を音も無くじっとりと濡らした。
「私は、威子口の血を引いていたけど、他の子は違った」
「他の子?」
ソラは静かな眼差しで迷宮のようになった庭を見つめた。外はすっかり真暗闇で、灯篭の灯が心許なく光を発している。庭に付いたプールの底ではオレンジ色に近い黄のライトがポワンと発光し、プールは黄金色の輝きをたぷたぷと湛えていた。
「私含め三人、最終試験を受けたんだ」
ソラが囁くように言った。
「筆記試験で、『一番成績の良かった子だけが本当の威子口として認められるんだよ』と、大人から説明があった。三人とも仲が良かったのに、今思うと残酷な話だ。しばらく困っていたら、一人の子が言った。『ねえ、みんなで零点取ろうよ』って。三人とも零点だっら、優劣がつけられないからな」
「なるほどね」金枝はソラの昔話に少なからず興味があった。
「もう一人の子も賛成したから、私も零点を取ることになった。それで三人は離れて、個別の教室で試験を受けた。そして――」
「そして?」
話の続きを待つ金枝に向かって、ソラはあっけらかんと言う。
「罠だった。最初の試験が終わった後、私がトイレに行くと、二人が笑いながらひそひそ話をしていた。結局あの子たちだけ、ちゃんと問題を解いてたんだ。ライバルを一人蹴落とす為に」
ソラは寂しそうにチーズを見つめている。
「そもそも、試験があることもあの子たちは知っていた。私だけが、当日に知らされた。多分親から聞いてたのね。私の両親は死んでいたし、唯一の味方だった祖父も不正は嫌いだったから」
「……え? じゃあ、君は試験で負けたのか? それとも、その後の試験で全問正解して逆転して――」
「あはは。そんな訳ないでしょ」ソラは小さく笑いながら髪を耳にかけた。
「先生に体調不良を訴えて、最初の試験は後回しにしてもらっていたんだ。念のためにね。それを二人に伝えたら、青ざめていた」
ソラは自虐的に笑うと、またチーズを齧った。
「ま、そんな昔話はどうでもよくて。ねえ金枝君、私と君は婚約したんだ。約束通りホルスと話がしたい。ほら」
ソラは水晶製の丸テーブルの上にチーズの皿をカタと置いた。そして、ひたりと金枝の右手に触れると、流れるように金枝の手首へ、腕時計のような器具を巻きつけた。自然な動作だったので、金枝は何も抵抗出来なかった。
「な、なんだよこれ」金枝は焦った声をあげる。
「身も蓋もない言い方すると、ウソ発見器です」
ソラがクールな笑みを見せる。白い歯がキラリと零れた。
「君が言葉を歪曲して伝えてきた時の対策だ。ごめんね、信用してないみたいで」
「『みたい』じゃなくて、信用してないんだろ」
心外とばかりにソラは白目を大きくした。
「信用はしてる。割と」
「嘘をつけ。少なくとも俺は君を信用してない」
「私はね、昔からこうなんだ。こうでもしないと駄目だ」
ソラは軽く背伸びをし、その反動で手を後ろに回すと、金枝の目を射抜くように見つめ、言った。
「ホルス。本当に人類は滅びるのか。その場合、人類が滅びの道を辿っている原因が何なのか、私に教えてくれ」
一秒、二秒。ソラは金枝の右手を引いて、ウソ発見器の反応がないか眺めている。
(もし、このままホルスが黙秘でもしたら嫌だな……)
恐ろしい未来が一瞬過るが、少しするとホルスの陽気な声がした。
――よし、解説してやろう。人類という種は、無意識に滅びたがる形質を秘めているのだ。つまり、本能的に集団自殺願望を持っている。滅びの形質はドミノ倒しのように連鎖する訳だな。
金枝はホルスの言葉の意味がいまいち分からなかった。なので、一字一句そのままソラに伝えた。ソラは至って物静かに、金枝の言葉を聞き入っていた。
――その形質は太古も太古、原始的遺伝子に深く刻まれていたものだ、間違いなく。ヒトそのものの形成に深く関わっている証拠だ。つまり、犯人はいわゆる『神さま』って奴だな。君達にはどうしようもない。それが人の隠れた本質と思って諦めたまえ。
金枝は、ソラの反応を警戒しながら、ホルスの言葉をそのまま伝えた。ソラの表情が少し暗くなる。
「つまり、私達は純粋な自然発生ではなく、何者かによって強い干渉を受けて生まれた。ただの猿に知識の実を与えた神が実在する。滅びの運命は人のDNAと関係しているの?」
――いやはや、さすが威子口空。美糸クンと違って物分かりが良いな。元々の頭の性能が違う。君と体の相性さえ良ければ、きっといい相棒になれたというのに、実に残念だ。
「そうだってさ」
金枝は腕を組み、ぶっきらぼうに言った。癪なので、ホルスが褒めていることを金枝は伝えなかった。
「ちょっと金枝君? 嘘の反応が出てる。これはどういうことかな」
ソラは金枝の手首の器具を掴み上げ、小首を傾げて澄ましている。金枝は渋い顔で詳細に言い直す羽目になった。
「……ところで、気になったんだけどさ」
ホルスとソラの対談に金枝が割り込んだ。
「なんで俺達を作った神様は、俺達が滅ぶよう設計したんだ? 自分で作っておいて、あんまりじゃないか」
純粋な疑問だった。ソラは顎を少し引き思案していたが、また金枝の方へ澄んだ瞳を据えた。
「金枝君は『密度調節』という生物用語を知っているか?」
「いいえ」
金枝は興味なさそうにソラの説明を聞いた。
「生物の個体群の生息域に対して個体数が増え過ぎると数が減る現象のことだよ。例えば、クスノキに生息する蛾の幼虫には、お互いに噛み殺し合ってまで数を調節する種がいる。あー、でも、これは共倒れにならない為の生存戦略の一つだな。私達が悩んでいる終末現象は人口密度の低い遠く銀河の果てまで及んでいるから、違う」
「おいおいしっかりしろよ。本当に頭良いのか?」
金枝の見下すような口調に機嫌を損ね、ソラはぷいとそっぽを向いた。
「金枝、貴様! お嬢様になんて態度だ!」
不意にステルス機能を解除した北形が現れ、憤怒の形相で金枝に詰め寄った。金枝は一瞬ぎくりとしたが、平静を装い「ああ、いたんだ。透明で気づかなかったよ」と返した。
「もうやめて北形。恥の上塗りだ」とソラ。
「で、ですが……」
ソラが非難するような眼差しを北形に向けると、北形は委縮した。
吐息を漏らしながらソラは己の両肩を叩いた。
「金枝君。私だって人間だ。間違えたりするの。さ、仕切り直して推理しよう」
ソラがコホンと咳払いする。
「こういうのはね。犯人の視点、つまり私達を作った神様の立ち位置で考えればいい。神様は悪戯のつもりか知らないけど猿だか類人猿だかの遺伝子を編集した。その際に例えば、何らかの制限をかけていたとしたら」
ソラはパチンと手を合わせた。
「ああ、分かった」
「早っ」
金枝のからかい気味の相槌は意に介されずソラは言葉を紡いだ。
「何かしらの制限が破られると、滅びの遺伝子が自動的に働きだすよう神が仕込んだ。それが終末現象として表面に表れ、私達の目に映っている」
「『制限』というのは何だったんでしょうか?」
北形のクエスチョンを振り払うようにソラが乱雑に言った。
「終末現象が起こり始めた時期を片っ端から調べれば分かる。どうせ何か、神様が怒るようなことを人類がやってたんだろ」
「そんなのは日常茶飯事じゃないか。毎日悪人がお人好しを騙してるんだから」
金枝がぶっきらぼうに言うが、ソラは意に介さなかった。
「そんな些末なことじゃなく、もっと大きな、人類の転換点のような出来事があった筈。原始人の頃には起こらなかったようなことが」
ソラは外套に袖を通しながら言った。
「北形、車。威子口家の図書館へ行って探してみたい」
「かしこまりましたお嬢様」恭しく北形はお辞儀した後、金枝を一瞥してから電話をかけ始めた。ソラは今気づいたように金枝を二度見した。
「あ、金枝君。今日はもう帰ってね。また明日学校で。ホルス、協力に感謝します。それでは」
ソラがポケットからリモコンを取り出し金枝に向ける。
ピッ。
カチャリ。金枝の手首から嘘発見器が外れた。ソラの眼中からは既に金枝は消えていた。金枝が手首を擦っていると屋敷のメイド達がわっと現れ、あれよあれよという間に金枝は威子口邸を追い出されてしまった。その直後、金枝の体を掠めるようにしてリムジンが一台、門から出ていく。
「んだよ、あの女! 俺は婚約者だぞ、タクシー代くらい寄越せって!」
金枝が鉄門の前で捨て台詞を吐いた。外で大声を出す不審者がいると思い、警備の大男が詰め所からむくりと出てくる。それを見た金枝は逃げるようにしてその場を後にした。
威子口家の人間、それも次期当主と目される威子口空と婚約したのだから、生活から何から一変するだろうと金枝は想像していた。確かに、周りが自分を見る目がまるで違うものになったのは金枝もすぐに気づいたが、特別生活レベルが向上する訳でもなく、学校に遅刻しそうになって電車に飛び乗り、鞄の中の弁当が乱れているのに気づく、そんな婚約会見翌日の昼を過ごしていると、
「金枝君っ」
感じの良さ満点、パブリックモードのソラが歩み寄ってきた。教室中の視線が集中する。今まではソラにだけ向いていたものが、今では金枝へも同等に向けられている。金枝はバカシタをこっそり吐き出しティッシュに丸めた。
「今から昼食を食べるところ。何か用?」金枝は普段通りの調子で接することにした。
「一緒に食べないか? その、話したいことが。ここじゃないところで」
ソラが意味ありげにウィンクすると、遠慮気味に周りを見渡す。ソラと目の合った生徒が『お幸せに』という顔で会釈する。
「そうするか」
金枝は口をつけてない弁当の蓋を閉め、席を立った。
「最近、君とよく話すね」
人気のない特別棟の階段を上りながら金枝が話題を振る。ソラは愛想のない声で言った。
「私とこんなに話の出来る一般人は君くらいだ」
「光栄なことですね。って、俺は婚約者だから。婚約者」
自分を指差す金枝。楽しそうにソラは言う。
「そうだった。だがフィアンセ君、今日を境に君とはちょっと距離を取ります」
「……へえ。それは残念、せっかく仲良くなりかけたのに」
金枝は減らず口を叩いた。ソラは振り返りもせず四階の廊下を歩きながら言う。
「ごめん。本当に話す機会がなくなるんだ。少し忙しくなる」
ソラは廊下の突き当たり一番角の教室の前で立ち止まると、小さな銀の鍵で扉を開錠した。
「はい、ここ」
そこは机と椅子と木の棚しかない、がらんとした空き教室だった。中へ入ると、埃っぽさと古い木の香りが金枝の鼻腔をくすぐった。
「金枝君。私は離人症の部隊を作りたい」
「へえ?」
ソラは『あっ』という顔をした。逸る気持ちを静めようと、コツンと自分の頭を叩いた。
「ごめん。順序立てて説明すると――」
「まず、ここは何の教室なんだ?」
「ああ知らない」
ソラの素朴な口振りは『そんなことどうでも良い』感で満ち満ちていた。
「校長を説得して一週間ほどお借りした」
ソラは窓をがらりと開けた。外から見えるのは、一面広がる墓石だった。
「良い眺めじゃん」金枝は皮肉を言うと、もう窓に近づくことをやめた。
「私がここを選んだのはお化けが見たいからでもオカ研みたいなヘンテコ部活を作りたいからでもなくてね。ふあぁ」
ソラは欠伸を噛み締めると、窓の縁にひょいと丸いお尻を乗せた。
「ここは吹奏楽部の部室と隣り合っていて、放課後はピーヒャラ喧しいし、昼も人があまり来ないから、内緒話をするのにピッタリだと思って。威子口の会話は盗み聞きされやすい。場所を選ばないと大事な会話は危険なんだ」
「こんなところで、滅びの遺伝子の話の続きをするのか?」
金枝は弁当を再び開ける。唐揚げの香りが教室に漂い始めた。
「大丈夫。念には念を入れて教室の外に見張りを立てた。おーい見張り」
コン、と扉がノックされる。北形が憮然とした顔で扉を背にして立っていた。
「あ、金枝君。威子口になった感想は? 正しくは、威子口の婚約者だけど」
「知りたい? とっても良い気分なんだ」金枝は胸を張った。
「歩けば誰もが俺を見る。今日の朝、教室に入った途端、今まで俺をいじめてた奴らが低姿勢で両手を擦り合わせてご機嫌取りしてきたよ。まるで王様かアイドルにでもなったみたいだ」
金枝はへらへらしている。
「君がプラス思考でとっても安心した」
ソラはやれやれと制服越しに肩をさすった。
「昨日から徹夜で終末現象を調べたら、興味深いことが分かった」
「何が?」
ソラはぴっと形の良い人差し指を立てると、先生のような口調で話した。
「終末現象は色々パターンがあるよね。アポカリプティックサウンドに宇宙戦争、隠れる太陽、消える十歳児。飢饉、災害、機械の反乱。その中でも終末の代表例であるゾンビ汚染に私は注目した」
金枝は冷めた唐揚げを頬張りながら、威子口空の授業を受けた。
「最初の汚染報告は二一〇七年の火星。民間人の宇宙進出計画が本格的に開始された二十一年後にあたる。そこからしばらく、地球外で見受けられたゾンビ汚染は宇宙病の一種と思われていたが、やがて地球でも頻繁に見受けられるようになった。ここまではついてこれてる?」
「はい先生」
ソラは窓を開けっぱなしにしたまま金枝の向かいに座ると、弁当を包む布を解き、慣れた手つきで弁当を開けた。小脇に押し込まれた卵焼きをパクリと頬張ると、楽しそうにもぐもぐ食べている。
「どれどれ」と言って金枝は、色の良い卵焼きを盗み食いした。
「こら。行儀が悪いな」
ソラが不満そうに顔をしかめた。金枝は悪びれずに言った。
「超美味しい、これ。さすが威子口家の卵焼き」
「バカシタ使ってる人が何を。普通の卵焼きなんだけど」
「ツンツンすんなよ。それにしても、よくそんな旨そうに卵焼きなんか食べれるよな。俺はバカシタ使ってるから仕方ないけどさ」
ソラは冷ややかな目で金枝のことを眺めている。金枝は卵焼きを飲み込むと、箸で空気を挟みながら言った。
「で? 話の続きは」
ソラは活舌良く、はっきりした口調で語り始めた。
「ゾンビ汚染がしばらくの間、地球外で起きていたことに気づいたんだ。もしかしたら、宇宙居住者が神様の怒りに触れていたんじゃないかと思って調べることにした」
「そしたら?」
「聞いて驚くなよ」
ソラは得意げに「ふっふっふ」と笑いながら、タイトスカートのポケットから紙束を取り出した。
「これは……」
金枝が軽く眺めた限り、英語の人名が延々と羅列されている。
「初めて地球で発生した、茨城の大規模ゾンビ汚染感染者三千百数名の名簿だ。その内の二千八百名が二次感染による被害者とされている」
「つまり、噛まれたってことだ?」
「そう。二次感染を除いた一次感染者は、二週間後に予定された火星移住計画のメンバーだった」
「ふーん。……だから?」
金枝はぴんとこないで唐揚げを味わっている。
「地球外で感染した者と、地球の一次感染者。何か共通点があることに気づかないか?」
「もったいぶるなよ、ソラ」もぐもぐしながら金枝が催促する。ソラは眉を八の字にした。
「もう、しょうがないな。つまり、宇宙病予防のワクチン接種をしたか否かってこと。火星移住予定の人たちは、ワクチン接種を済ませていた。地球外で感染した者も当然、宇宙へ出る際にワクチン接種してる。これがトリガーだったんだ、滅びの遺伝子の」
「宇宙病の予防ワクチンが? だってそれ、人間が作ったものだよ。神様じゃなくて」
「うん。イシグチグループ傘下の製薬会社が開発してる」
ソラは屈託ない笑顔で、注射のジェスチャーをしてみせた。
「じゃあ、滅びの遺伝子と関係ない」
箸で唐揚げを突き刺しながら金枝が決めつけた。ソラはサランラップに包まれた鮭のおにぎりを弁当箱から取り出すと、少し言いにくそうに口を開いた。
「宇宙病というのは、この場合色々なものを指していて。地球と環境の異なる惑星で長期間暮らした際、身体的な変化が起きてしまうことも宇宙病の一種だとイシグチグループは定めていた」
「……それで?」
「つまり、宇宙病予防ワクチンは、人間の外見の遺伝子を恒久的に固定させる、人工ウィルスみたいなものなんだ。しかも優性で遺伝する」
「はあー!?」
金枝は思わず唐揚げを落としかけた。
「じゃあ、イシグチのウィルスが滅びの遺伝子だったの?」
「……全然違う。話を最後まで聞いてくれ」
ソラはおにぎりを飲み込むと手の平を金枝の側に開いた。
「宇宙病予防ワクチン自体には、人体に悪さをするものは入ってない。それはイシグチグループの名誉にかけて私が保証する。問題は、人の遺伝子を大規模に弄くっていたこと」
「へえ。何で弄っちゃ駄目なの」
ソラはじれったそうに目を伏せた。その時ちょうど強い風が吹いて、ソラの結った黒髪がひゅっと舞った。ソラの前髪が良い具合に乱れた。
「ちょっとは考えてみてよ金枝君。もしも自分の作ったアンドロイドが、勝手に自身のプログラミングを編集しだしたらどう思う?」
「そりゃ、反乱してきそうで怖い」金枝が素直に答えた。
「でしょう? それと一緒で、人が自身のゲノムを好きなように弄るのを神様が恐れたというのは全然考えられる話なんだよ。いつかヒトが勝手に自らのゲノム編集をし出したら、人類が自壊するよう神様が初めから人体に何かを仕組んでいたとしたら……?」
「あっ。それが滅びの遺伝子ってことか。なるほど、有り得なくもない」
にっこりソラが微笑んでいる。微笑みが伝染しかけた金枝だったが、すっと真面目な顔に戻った。
「ちょっと待てよ威子口空。ちょっと待て。それが事実なら、威子口家の大失態じゃないか? ワクチンを人類の大半に打たせて」
「でもワクチン自体には一切問題はなかった。神様のトラップなんて、想定外で……」
おにぎりを持つソラの顔が少しバツが悪そうになる。金枝は続けた。
「そもそも、いくらホルスからアドバイスされたからって、君がたった一日徹夜しただけでワクチンが終末現象の原因と気づけるのなら、君の祖先だって気づいてたんじゃないか?」
「それは、まあ。一応気づいてはいたよ……」
ソラはやむなしという具合で、またグレーのスカートのポケットから数枚の紙を取り出した。その紙はあちこちが黒塗りで潰されていたが、威子口内部からワクチンとゾンビ感染の関連性を指摘した私文書だとソラは説明した。
「ほら、やっぱり分かってたんじゃないか」
金枝はソラを責めた。
「そんなのが出た以降も、ずーっとワクチンを人類に打ち続けるなんてどうなってんだよ」
「当時のイシグチグループの言い分によると――」
ソラは文書に目を通しながら英文を翻訳し始めた。
「えぇと、ちょっと生々しいけど。『……しかしながら、ワクチン接種者とゾンビ汚染の関連性は現状推測の域を出ない。よって、因果関係は一切認めらないものとする(WHO調査団の最終報告も参照されたし)。複数の一次感染者にワクチン接種者が見受けられるのは、感染爆発の起こったエリアで火星移住予定者の訓練を行っていたことが原因である。今後はマスコミを通じ宇宙病予防ワクチンとゾンビ汚染に何の科学的根拠も無いことを繰り返し強調して報道させ、偶然という線で国民へは説明していくものとする。黒塗り黒塗り。よって、この風評被害を払拭し、国民や企業が安心して一切の不安を抱かずに宇宙移民計画へ参画できる風潮を早急に作り直す必要がある。日本国民の性質として、黒塗り黒塗り。一度そういう流れを作ってしまえばスポンサーも文句を言わず、それ以降大きな障害にはなり得ない。ワクチン接種の義務化は絶対であり、それを邪魔するような人物、団体に対しては、黒塗り黒塗り』。ここから先、ずっと黒塗り」
ソラは紙を捲って、もはや助詞しか残っていない黒塗りのページをひらつかせた。
金枝は唸るように言った。
「昔から乱暴だよなァ、威子口って」
ソラはどこ吹く風で澄まし顔をしている。
「というか、その黒塗りの紙、ほんとにワクチンとゾンビ化を認めた文書なのか? むしろ、全力で否定してたじゃん」
ソラは文書の二ページ目から四ページ目を人差し指でトントン叩いた。
「ワクチン接種が想定外の人体干渉を起こした可能性について三ページ分ぎっしり言及がされてる。そっちも読もうか?」
「いや、いいよ。長そうだし」
「こんなのでも、威子口としては最大限の譲渡をしてるんだから」
ソラは自嘲気味に黒塗り文書をぱたぱたと揺らした。
「譲渡? 本当は完全に否定したかったってことか?」
「そう。当時の威子口内で意見が割れていたから、こんな黒塗り文書が出来上がったんだと思う。でないと、どうして威子口が内向けに作成した文書で黒塗りだらけになるのか、意味が分からない。威子口家の会議録を見ようとしたけど、この時期のだけ何故か無い。相当、都合が悪かったらしい」
ソラは自分の先祖の闇を不服そうに話した。金枝は頭を掻いた。
「こんな文書でも、精一杯の内部告発だったのか……?」
二人の間には、意見が出尽くし飽和したような沈黙がしばらく流れた。
「……金枝君」
「な、なんだよ」
ソラは神妙な面持ちをして、静かな物言いで話し始めた。
「イシグチグループに限らず、大きな組織というのは先に結論があってね。その後で、民衆に対し説明を行っていく。この場合でいうと、ワクチン接種の義務化は最初から決まっていた。それに民衆がいくら反対しようが、例え威子口の人間が一人二人反対したところで、過去の威子口家の方針は尊重され、反対派が賛成に傾くまで説得が続けられる。イシグチグループ側から意見を曲げることはまずない。どんな手段を使っても目的は成し遂げる、それが威子口家のモットーだ」
金枝は黙ってソラの告白を聞いていた。
「金枝君。君もこれから威子口の者になるのだから、そのくらい肝に銘じておけ」
――傲慢だからこそ、人類の上に立てたのか。
金枝の頭の隅でホルスが笑っている。
体を固くしているソラ。金枝は少し引っかっていた。
「なあソラ。そこまでして、イシグチグループがワクチン接種をさせたがる理由がよく分からないんだが」
「……それは、色々あるけれど」
ソラは綺麗な所作で両手を重ねて膝の上に置いた。
「宇宙に移住するには、たくさんの障害があったんだ。何せ、私達は地球上で暮らす前提で進化してきた生き物だから。例えば、宇宙に飛び交う危険な宇宙線や長い宇宙航行の孤独への耐性を付ける必要があった」
「ほうほう」金枝は水筒の麦茶を飲みながら相槌を打った。
「特に危惧されたのは、いつか人類が遠い星へ散り散りに暮らし始め、段々と見た目がずれていくこと。これを回避する為、人の遺伝子を弄って姿形が金輪際変わらないよう対策を施すことにした。それが宇宙病予防ワクチン。地球を出る者へのワクチン義務化は、イシグチグループにとって最重要事項とされたんだ」
「なんで、変わっちゃいけない?」
「差別に繋がるから」
ソラはさらっと答えた。
「似た外見をしていないと、人は相手を同じ種として認識出来ない。それくらい、猿でも分かるでしょ? 君なんて、同じ日本人からもイジメを受けていたし。その大きな体でいじめられるなんて、よっぽど他人から舐められやすい体質なんだと、ある意味感心してしまう」
「うるさいな」金枝は渋い顔で白米を口に入れた。ソラは健康的な喋り口で続けた。
「イシグチグループは当時も今も『人類の地球離れ』を目標に掲げている。人口増加に伴う土地不足、環境汚染、地球と運命を共にするしかないリスク。そういった問題は、宇宙へ生活圏を広げればまとめて片づく」
ソラはごくごくと美味しそうに白い水筒の中の緑茶を飲み、喉を潤した。
「……とはいえ、遠距離の星で暮らしていた人類同士が久々に再会しても、お互いが同じ種と気づかず殺しあったりしないように外見だけは絶対に保たなくてはならない。それこそが、宇宙進出を積極的に推し進めながらもワクチン義務化に強いこだわりをイシグチが持っていた理由だった」
――見た目が似ても似つかないと、命を奪う抵抗が明らかに減るからなぁ、君らは。
やんちゃな我が子を諭すような口調でホルスが言う。
「補足をすると」ソラはさらりと話を続けた。
「思想や文化が各星系によって大きな変異を起こさぬよう、イシグチグループは代々、流行や価値観のアンダーコントロールをさりげなく行っている。あちこちの星々の、広告代理店を通して。もし宇宙進出黎明期の地球人に我々の生活を見せたら、さぞや驚く筈だ。着てる服、思考回路、美的感覚そして表面上の文明レベルの差異の無さに対して」
「でもソラ。待った」と金枝。
「威子口の影響が弱まる太陽系外では結局、地球人の隣り星同士で宇宙資源の利権を巡って毎日のように争ってるじゃないか。スペースニュースで見飽きたってくらい似たような紛争が放映――」
「それでも」ソラは固い口調で返した。
「地球人相手に『旧遺物』の兵器は使っていない。攻撃用の兵器は。敵の外見や生活が自分達から遠ざかるほど、人は容赦をしなくなる」
ソラはじっくり、火照った喉に緑茶を通して冷ました後、静かに告げた。
「人類の恒久的な外見維持の為、莫大な金と時間をつぎ込んで作ったのが宇宙病予防ワクチン。それを威子口自ら破棄する訳にはいかなかった。当時はまだ、イシグチグループは絶対的存在にはなってなかったし、このプロジェクトが頓挫するのはなんとしても避けなきゃならなかった」
「だからって、ダメだ」
金枝は臆することなく非難した。
「終末現象の引き金になってんだろ? 今からでも外見を固定する遺伝子は無くして――」
「無理」
ソラは言葉を被せた。
「優性遺伝のせいで、今や地球の人間ですらほぼ全員が遺伝子変調を来たしていて、地球外の人間なら全員そうなってる。きっとそういう人間が増えたから、終末現象もあちらこちらで頻繁に起こるようになったんだね。それに、今さら遺伝子を弄り直したところで、滅びの遺伝子が眠ってくれると君は思う?」
「じゃあ、どうすんの」
金枝は不貞腐れてソラから視線を外した。
「ホルスは、何か良案あるか?」
――目の前の婚約者が何か言いたそうだぞ。
見直すと、ソラは両目をキラキラと輝かせていた。
「もう一つ、気づいたことがあるんだ」
ソラは目の下の隈など感じさせない明るい口調で言った。金枝は頬杖をつくと、窓から入ってくる新鮮な空気を吸いながらソラの話を聞いていた。
「離人症は、終末現象が注目され始めた時期に表面化した問題なの」
「そりゃ、そうだろ? だって、離人症自体が終末現象の一種なんだから」
「それが、違う」
ソラは、おにぎりを食べ終えてサランラップを手の平で丸めた。
「むしろ離人症は、終末現象からの逃げ道だ」
ソラは携帯端末を取り出すと、金枝に見せつけた。
「イシグチグループのデータベースにあった、ゾンビ汚染被害者の個人情報三百年分。性別や体重、職や住所の記録はあるけど、離人症持ちが何人含まれているかは不明だった。そこで試しにハッキングしてマスクデータを表示させたら、なんと」
「ナント?」
ソラは右手の親指と人差し指で丸を作った。
「ゼロ人。離人症の一次感染者は一人もいなかった」
「嘘だ」
金枝は反射的に否定した。
「そんなの、記載がなかっただけだろ?」
「じゃあ自分の目で確かめれば。これがマスクデータだから」
金枝はソラの携帯端末を奪い取ると、シャカシャカとスクロールしていった。離人症か否かの項目は、あった。しかし、その項目にチェックが入っている人物は、どれだけスクロールしても見当たらない。
「死後は離人症のチェックテストに引っかからない、とか……」
そう言った後で金枝は、つい今朝方、強盗殺人犯が銃殺された後に検査で離人症と判明したニュースをリビングで流し見ていたのを思い出した。
「威子口の者以外で、この事実に気づいた人間は?」
「どうかな。感染者の死体は焼却してしまうし、離人症は自分のことを周りに打ち明けないから。そもそも、祖父の威子口八雲が当主になってからは離人症への風当たりが以前より強くなって、離人症に都合の良いデータはほとんど記録されないから。私が今持ってるデータは、威子口家の権限で国家機密のデータベースにアクセスして、そこから強引にハッキングして得た情報。それも近い内にばれて、私は威子口家から抹消されると思う」
「……はあ!?」
金枝はぞっとした表情のまま固まって、ソラの顔をしばらく見つめた。
「それはつまり、どういう……」
「だから。なりふり構わずハッキングしたせいでアクセス記録が残ってしまったの。よって私は近い内に威子口家から、祖父の手自ら消される」
「何言ってんだよマジで。訳分かんねえ。お前、頭おかしいぞ」
ドン。教室の外で業を煮やした北形が扉を踵で蹴っていた。金枝は心を落ちつかせて、もう一度ソラを見つめた。
「それ、本当なのか?」
「ほんとう」
ソラは清々したとばかりに背伸びをすると、開き直ったように言う。
「私は、祖父を威子口の当主としても祖父としても尊敬しているけれど、離人症関連のこととなるとどうもウマが合わなくて。気になった離人症の事件を調べたくても、激しい情報統制がされているし、見られるデータは歪められたものばかりで、前から困ってたんだ。でも、ホルスと昨日話して踏ん切りがついた。それで、今まで秘匿にされてたデータを片っ端から調べあげてやった」
ソラは少し眠たげな目をして金枝の頭をちょんちょんとつついた。
「ありがとうホルス。これでやっと前に進めた」
「ちょっと待った」
嫌な予感を覚えながら、金枝が遮るように言った。
「どうして離人症が滅びの遺伝子の影響を受けないのか、分かったのかよ?」
「いいえ全然。ホルスはどう思う?」
――私に意見を欲するか、次期人類リーダー候補の娘よ。
ソラはいつも通りの顔をして、じーっと金枝の瞳の奥を見つめてくる。全てを見透かそうとしている眼差しに金枝はそわそわした。
ホルスは気取った調子で自分の考えを話し始めた。
――太古の昔、君らに干渉してきた『神』にも情くらいあったのではないだろうか。絶滅はさすがに哀れと思って、離人症という小さな逃げ道を作ったのかもしれない。それか、生命が長いこと積み重ねてきた『生きたい』『滅びたくない』という意思の表れこそが離人症なのかもしれない。人は無意識に絶滅しようとしながらも、また無意識に生き延びようとした。滅びの遺伝子への対抗手段を人間が『離人症』と名付けた、それ以上でもそれ以下でもない。どうだ、私の推理は。
「俺は知らねーよ」
――ま、そこら辺はどうでもよい。肝心なのは、離人症が終末現象の元凶になり得ないということだ。離人症の能力自体に意味はなく、ただ滅びの遺伝子を無害化する際に発生した副作用でしかない。
金枝は、ホルスの言葉をかいつまんで説明した。
「なるほど。私も同じことを考えていた」
――やはり威子口空とは気が合うな。さすが我が第一寄生候補よ。
ホルスがクククと愉しそうに笑った。金枝は自分だけ蚊帳の外のような気がして、あまり面白くなかった。
「で、これまでの話と、この教室に入ってきた時に君の言ってた話とは、どう繋がるんだ? 離人症の部隊が、どーたらこーたら」
「ああ。鈍いな君は」
ソラは軽く喉を整えると、凛とした佇まいをして、静かに、しかしながら強い口調で告白した。
「私は、威子口八雲を暗殺する」
一点の曇りもないソラの綺麗な眼が、金枝を真っすぐ見据えている。金枝の体からふっと現実感が薄れた。




