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北海道へ修学旅行に行ったらゾンビとヒグマに襲われた

翌週。

「座席は、53のKか」

 十月中旬、札幌行きの機内。ソラは座席のプレートに目をやった。威子口空の席は窓側だった。

「替わりましょうか。私は、通路席ですが」

 声色からソラの不満を感じ取り、北形が申し出る。

「ああ。ありがとう」

「では、座席のカードを交換しましょう」

「わざわざ?」

「はい」

 面倒な。ソラは僅かに呆れつつ、北形とカードを交換し通路席を手に入れた。と、ソラの前の座席に座っていた女子が身をよじり、カメラを手に声をかけてくる。

「ねえ。写真撮ってく――」

 ソラとは別のクラスの女子生徒だった。背後席が威子口家の者とたった今知った女子生徒は、思ってもみない光景に焦った表情を浮かべた。その様子が可笑しくて、ソラが無言で相手の顔を見つめていると、

「いいよ」ハスキーとも濁声とも取れる声。

 ソラの横の席にいた小間口伊穂が、替わりにカメラをもらい受けた。女子生徒の表情が更に青ざめる。

「じゃあ、撮んねー」

 小間口伊穂が立ち上がり、カメラの操作に少々手こずりながらも前の席の女子らを撮影する。

「はい、チーズ入りペペロンチーノ」

「さ、サンキュウ」

 カメラを返してもらった女子生徒がカメラをチェックする。少しして、「何だこれ」という声がソラの耳にまで届いた。どうやら、ちゃんと撮れてなかったらしい。ソラが隣りの小間口を見やると、小間口はペロリと舌を出し、『やっちまった』という顔をしている。

「知ーらない」と小声で小間口が呟くものだから、ソラはにやりと笑い、小間口もつられて笑った。

「そうだ、北形」

 ソラは小間口を挟んで窓側席に座る、生徒副会長に声を掛けた。

「ちゃんと、『アレ』は出来てる?」

「例の? はい」

 北形が軽く耳を押さえる。北形は金枝美糸の座席に盗聴器を二台仕掛け、どんな独り言も拾えるよう予めセッティングしていた。

「でた、時々やる内緒の会話」

 小間口はお手上げとばかりに天井へ目をやった。

「気になる?」

「ううん。そもそも教えてくれないし。威子口家の秘密なんて知りたくないね」

 そういって、小間口は今流行りのバトル漫画の最新刊をバッグから引っ張り出した。漫画本を開くとアニメのように絵が動き、色も声も匂いも、場の気配すらページから発せられる。ソラも鞄から読みかけのSF短編集を引き抜くと、栞のページを開いた。横で見ていた北形は、「では私も」というなり、鞄から厚みのある、デジタルカメラの説明書を取り出した。

「え。ミヤちゃん、まさかの……。哲学書、とかじゃなく?」

 小間口が半笑いで言うと、北形は涼しい顔で返事をした。

「修学旅行の為に新品のカメラを購入しました。いざというシャッターチャンスで、手間取りたくないので」

「あはは、そっか」

「貴女の写真も撮りますよ。自由行動で同じ班ですから」

 北形はそう言うと、米軍の新兵器のようないかついカメラの半身を鞄から出してみせた。

「わー、すっご」

 小間口が感心する横で、ソラはしれっとイヤホンを耳に嵌めた。と、八列離れた金枝の声がソラの耳元で聴こえる。

「俺? 二千五百円」

「持ってきすぎだろ……」

「どこがだよ。松葉は四千円も持ってきてるぞ」

 金枝は近くの男子生徒と、所持金を幾ら持ってきたかで言い争いをしているようだった。ソラは溜息をついた。

(『お前は寄生されてるぞ』と暗に仄めかしたのに、呑気すぎ。てっきり何かしらアクションを起こすかと期待したのに)

 屋上での一件以来、ソラは金枝から露骨に避けられていた。

 やがて、ジェット機が離陸前のランを始めると、「これ、飛ぶのか?」という金枝のとぼけた声がイヤホンから微かに聞こえた。飛ばきゃ困る、とソラは思わずつっこみそうになった。と、「それもそうか」と金枝が誰にともなく、微かな声で呟いた。誰かと会話をしているようだったが、相手の声は盗聴器にのらない。ソラは眉を顰めた。

と、機内の様子がおかしい。予防接種前の小学校の教室のような緊張感が漂っている。やがて、ジェット機はスーッと浮かび上がった。それと同時に「ワァーッ」と歓声があがる。同時に大きな拍手が機内に轟いた。たかだか離陸しただけでこの反応。機内の大多数が平汎高校の生徒という特殊な条件下でないと生まれない現象。幼少時から飛行機に乗り慣れているソラや小間口からしてみれば、異常にも思える光景だった。

「飛行機に初心なウチらの高校……ださ」

 はにかんだ笑みを浮かべる小間口の隣りで、ソラは小さく息を吐くと、金枝を盗聴がてら手元のSF小説へ意識を落とした。


 機内を降り、通路を抜ける。ガラス張りの窓から降り注ぐ北海道の日差しにソラは目を細めた。北形は無言で折り畳みの日傘を差し出す。ソラは日傘を受け取ると、慣れた手つきで傘を開いた。

「良い天気だな」ソラは思ったまま言った。

「しかし、屋内でも肌寒い」

「左様ですね」

「うわっ、金枝の奴ばっちり防寒対策してやんの、きっもー」

 二人が声の方を振り向いた。クラスのお調子者の澳津(おうつ)に、金枝が服装をからかわれている。多くの者が東京を発った時の服装のままなのに対し、金枝はウィンドブレーカーを羽織り首にはマフラーを巻いていた。とはいえ、澳津のからかいはイチャモンに近い。金枝がどんな風に言い返すかソラは注目していた。

 金枝は開口一番に言った。

「黙れよチビ」

 澳津の背は百六十もなかった。澳津は少し意表を突かれた顔をした後、「お前ぇ。変わっちまったなぁ」としみじみした顔で言うと、早々に退散していく。不満そうな金枝とソラは一瞬目が合ったが、金枝の方から目を逸らすと、さっさと空港に預けていた荷物を取りに歩いた。

「北形、どう思った?」ソラが北形を見ずに訊いた。

「どう、と言われましても。喧嘩を吹っ掛けた澳津が悪いのでは」

「そういう意味じゃない」

「では、一体どのような――」

「以前の金枝君なら『今の発言、防寒対策してる全世界の人を敵に回したからな』くらいの返しだった。『チビ』だなんて他人の身体的特徴を傷つける発言、出来なかった」

「は、はあ」

「もういい。私達も荷物を」

 北形の反応が思ったより薄かったので、ソラは淡泊な態度を取った。 


 平汎高校一年生一行の昼食は、いかにも修学旅行生が居そうな、開放的で安っぽい食堂で行われた。焼いた鮭、鮭の刺身、鮭の煮物の鮭尽くし。食堂の下には土産物屋もあったが、今買っても荷物になるだけと思いソラは買わなかった。旅行委員の田曽が事前に選んだ食堂だが、選んだ田曽本人が、「飯不味い。ごめん、俺のせいだ」と凹むものだから、「そんなことない、全然美味しいけど」とソラが励ます羽目になった。

 昼食が済んだらバスに乗り込み、長閑な牧場で生キャラメル作りを体験した。靴底を薬剤の入った水に漬けてから、空調の効いた大雑把な家庭科室のような場所で班に分かれ、スタートする。材料は卵、牛乳、生クリーム、バター。それを混ぜて加熱して冷やすだけの、シンプルなものだった。

「キャラメル作りとかつまんねえだろ」と、旅行前から男子らの期待値がどん底だった生キャラメル作り体験だったが、いざ始まってみると刺さったのは男子の方だった。

「あれ、やってみれば結構良いじゃん」と、そんな感じでかなりの好評を博したのに対し、大方の女子は「めんどくさー」と楽しめずにいた。ソラはというと、完璧な生キャラメルを作っていた。少し焦げたような、美味しそうな色に焼けているソラの生キャラメルに対し、他の班のは黄色っぽく、ちゃんと焼けておらず、普通の生クリームのようである。

「うわ、さすが威子口さん」

 出来上がったそれを見て、クラスの男女は勿論、牧場スタッフからも褒められたが、ソラは特に思い入れもなく、他班の子に自分の生キャラメルをあげてしまった。ソラが生キャラメル作りの中で最も印象に残ったのは、裏の取っ手口から入りそうになった野良のブチ猫を担任の戸端翔子が躊躇なく首根っこから掴み、野外へポーンと放り投げたシーンだった。


 夕暮れ時の羊ヶ丘展望台は情緒があった。観光客で輪の出来た大人気のクラーク像から少し離れ、ソラは高台のスポットから辺りの景色が移ろうのを眺めていた。展望台に到着した当初こそ、個々に色があったが、陽が沈む途中でセピア色に変わり、次に淡い青紫色へ染まった後、最後は暗色で閉じられ今はもう、同級生の顔の判別すらし辛くなっている。

 ソラが長袖にひっついた雪虫を払っていると、黒い影が真っすぐに隣りへとやってきた。

「お嬢様、ココアでもどうでしょう」「うん」

 北形から白い湯気の立ち昇る再生紙のコップを受け取り、ソラは自身の両手を温めつつ高温のダークブラウンな液体を啜った。ソラの物憂げな表情に気づき、北形は心配そうに言う。

「お嬢様。修学旅行の間くらい、悩み事を忘れて楽しんでもいいのでは」

「私だって。そうしたい」

 ソラはふっと息を吐いた。

「しかし、それ以前に私は威子口だ。威子口たる者、人類の為に何が出来るか常に考え、実行に移さなくては。今のままでは、あまりに悠長すぎる」

「ですが、お嬢様はまだ若いんですよ」

「終末に若いも年寄りもあるか」

 珍しく不貞腐れた口調でソラが膨れっ面をした。北形は精一杯フォローを続ける。

「それでも八雲様こそが威子口の現当主ですし」

「まあ、そう。今はそう」

「……お嬢様?」

 ボォーン。低く鈍いアポカリプティックサウンドが展望台の夜空に鳴り響いた。人々は一瞬動きを止めたが、もはや慣れたもので、他人とお喋りを続けている。ソラは空いている方の手で札幌の空を仰いだ。

「北形。民はなんだかだ、能天気に今を楽しんでいる。終末の音が聴こえても、自分は死ぬ筈ないと心の奥で確信しているようだ。しかし、(さと)い者は気づく。ヒトの終わりが近い」

 ソラはホットココアをぐっと飲み込むと、舌をぺろりと出して外気で冷やした。

「北形」

「はい」

「私が今一番欲しいものが何か当てられるか?」

 北形は少し迷った末、慎重に答えた。

「もう一人のお嬢様、ですか?」

 ソラはふんと鼻を鳴らした。

「はずれ。それは、いつだって欲しい」

「では、休息ですか」

「それも、いつだって欲しい。今、欲しいものは何か」

「わかりません。何でしょう」

「暗殺者」

 お気に入りのデザートでも注文するような軽い調子でソラが言った。北形の体は、シャーベット状のジュースを一気に飲み干したように冷たくなった。

「お嬢様。何を、お考えなのですか」

ソラはそれに答えず、微笑みを湛えていた。凍り付く北形をよそにソラは高台を降りると、学生の輪の中へと吸い込まれていった。


 翌日。朝十一時、天気は晴れ。気温は十四度とひんやりしており、街を行き交う人々は薄手のコートかセーター姿が目立つ。蒸気時計の鳴る小樽境町通りの信号前で、ソラと金枝ら平汎高校の男女六人が集合していた。女子三人は、ソラは言わずもがな、北形と小間口も学年ではそこそこ上位のルックスに対し、金枝は背が高い以外は平均未満の外見。残りの二人は、田曽は典型的眼鏡で、松葉はセイウチに似ている。女子組とまるで釣り合わない男子三人組だった。

「あれ、後藤君は?」

 ソラが周りを見渡した。

「君達の班でしょ?」

 田曽と松葉が言い淀んでいるので、金枝が口を開いた。

「ああ、そうだけど。あいつ別の班の連中と普段つるんでるじゃん。そっちと、周りたいって」

「ああー」と小間口。北形が眉を持ち上げ口を尖らせる。

「なに? そんな勝手なことは許され――」

「いいじゃない。北形」

 ソラはさらさらの黒髪を軽くかきあげた。

「せっかくの修学旅行なんだから、好きにさせましょう」

「しかし、お嬢様」

「今日の最後に、顔だけみせてくれれば良いわ」

 ソラはポチポチと携帯端末を操作すると、後藤と連絡を取り始めた。

その横で小間口が小さく欠伸をしながら言う。

「どっちかっていうとー、ミヤちゃんの方が生徒会長っぽいよね」

「いや」

 北形は小さく首を振る。

「私が会長では誰もついてこないんだ、伊穂。お嬢様こそが人の上に立つ器」

 女子三人がそんな会話をする中、男子組は少し離れて顔を突き合わせ、小声で話をしていた。

「なんだよ、金枝。話したいことって」

 松葉が不思議そうに尋ねる。金枝は手を合わせた。

「頼む協力してくれ。今日明日の班行動でさ、小間口さんと仲良くなりたいんだ」

「小間口さんと?」松葉が目を丸くする。田曽がシリアスな顔をした。

「金枝。お前、威子口さん狙いじゃなかったのか」

「ちげーよ」金枝は即否定した。

 松葉が「うーん」と首を傾げるとのんびりした口調で言う。

「仲良くったって、俺達は何も出来ないような……。ただ、班で札幌観光するだけで、どうやって仲良くなるのか……。女子は、女子でつるむだろぉ?」

「いいからいいから。空気読んでくれ、頼むぜ」

 金枝はニコニコしながら二人の肩を叩く。金枝自身、小間口と友達以上の関係になれるとはあまり思っていなかった。今日明日の班行動の後、小間口が金枝のことを『班行動で一緒に札幌観光した同じクラスの金枝』とさえ認識してくれればよかった。離人症のふりをして小間口に接近する為には、それくらいの繋がりは必要だとホルスも考えている。

 そんなものは軽いハードルだと金枝は高を括っていた。だが、松葉の言うように女子組と絡む機会がほとんどないまま、札幌観光が進んでいく。確かに男女共に行動はしているが、例えば、小樽運河の赤レンガ倉庫をバックに写真を撮ろうと思えば携帯端末は勝手に観光モードへ移行し、ぷかぷかと宙を浮遊して理想の角度で端末所有者の写真を撮る。なので、『男子ー。ちょっと写真撮ってくれない?』なんてという絡みもない。あるいは、混雑する硝子屋の店内で、レジを待つ間に会話、なんてこともない。何故なら大抵の店は無人で、商品を持って店を出る際、携帯タブレットの電子マネーが自動で引かれるだけだからだ。

 こんなことで大丈夫かと金枝が心配しだした頃。ようやく小間口と会話する機会が巡ってきた。

 札幌市内にある新円山マリンパークは別名、絶滅水族館と呼ばれた。とうの昔に滅んだ水生の生き物が生きたまま展示され、間近で生態観察が可能とあって、レジャー施設としても文化施設としても高い評価を得ていた。札幌の観光ツアーには必ず組み込まれる程の人気で、金枝らも例に漏れず学生割引料金で入場していた。

「これ、作り物だよね?」

 突っ立ったまま微動だにしないオウサマペンギンの群れに、小間口が疑いの目を向けていた。

「田舎の遊園地の、安っぽいペンギンの像、的な……?」

 金枝の比喩に小間口がうんうんと頷く。

「だよねだよね。ざらざらした表面とかさー。野ざらしにでもされたのかってくらい汚いんだけど。え、あれ? 一匹動いてる。ロボット?」

「……伊穂。水族館のゲージの中で偽物展示したりしないから。生きてる本物」と、ソラが否定する。北形がコホンと咳払いした。

「シャチのショーまでまだ時間があります。太古の海コーナーでも行きますか」

 そうしよう、ということになり、遊泳するホオジロザメやアカウミガメを流し見ながら館内を歩き始めた。

「いや。シャチは、まだ絶滅してなくないか?」

 田曽が首を傾げて言うと、ソラが「うん、そうね」と同意した。

「だけど、シャチのショーが見れるのはここだけ。普通のシャチは動物愛護団体がうるさくて、ショーをさせられないんだ」

「じゃあ何で、ここはいけんの?」と小間口。

「それは、ここで飼育されるシャチが設計生物だからです」

 近くにいた桜色の館内案内ロボがスーッと音もなく近づいて、金枝らと並行しながらアニメ声で説明を始めた。

「新円山マリンパーク内で飼われている生き物はみな、設計生物なのです。家畜を食べても問題ないように、設計生物をショーに使用することは法律で認可されているのです」

「設計生物う?」

 小間口が訊き返すと、ロボットの目が赤く光る。

「つまり、人工的にデザインされた生物のことです。種の進化退化を、望む種へ誘導することで、過去地球上に存在していた絶滅種を生きた姿で再現しています。理論上は人間の遺伝子から、絶滅したティラノサウルスを作り出すことも可能です。途方もない時間と労力が必要となりますが」

「そんなことをここで? えっ、すご」小間口はびっくりとばかりに両手をあげながら歩いている。

「新円山マリンパークは国立熱海ゲノムセンターと半世紀にも渡り共同研究をしてまいりました。その技術は、プライーターの創造にも繋がっています」

「プ、プラ……聞いた事ある単語」小間口がぽけーっと訊き返す。田曽が誰よりも早く答えた。

「プラスチックゴミを分解する人工生命体のこと。海の浄化に貢献してる」

「それらも全て、イシグチグループ様からの資金援助あってのことです。マリンパークの一スタッフとして、お礼を言わせて下さい。いつもありがとうございます」

 ロボットがソラにお辞儀をする。何人かがソラの顔をチラ見した。ソラは形式的に笑顔を作ったが、自分が関わった訳でもないので思い入れ等は全くなかった。

 館内の冷気で若干冷えた腕を擦りつつ、ソラは口を開いた。

「ロボット。気になったことが。種の進化、退化というのは具体的にどうやっているの? 例えば、このアンモナイトとか」

 ソラは歩きながら、横長の水槽をプカプカ泳ぐ風変わりな巻貝を指差して訊ねた。ロボットはピロリンと音を鳴らした。

「アンモナイトはこの水族館で一番初めに展示された太古の海洋生物です。さて、ここでクイズです」

 ロボットは四つの生物のホログラムを空中に発生させた。

「アンモナイトを蘇らせる為に利用した生物の遺伝子は次の内どれでしょう。A・オウムガイ。B・イカ。C・タコ。D・コウモリダコ。みんな、分かるかな?」

「急に子供向けになりましたね」北形が冷静な口調で言う。

「オウムガイじゃない? なんか一番似てるし」

 小間口の言葉に皆が同意する中、金枝が異を唱えた。

「答えはBかC。確か、オウムガイよりもイカやタコの方が近縁種だって昔図鑑で読んだ」

「正解は、Aのオウムガイです」

 ロボットの容赦ない発表に金枝は顔を赤くした。ソラが首を傾げる。

「どうして、オウムガイを? 金枝君の言う通り、アンモナイトならオウムガイよりイカやタコの方が」

 ソラが助け舟を出すと、ロボットは楽しげに、歌うように解説を始めた。

「当初は、現生のイカとタコの遺伝子を元に再現する予定でしたが両者とも上手くいきませんでした。そこで試しに、見た目の近いオウムガイの遺伝子を利用したところ再現が捗り、そのままアンモナイトらしいアンモナイトの設計生物を作ることに成功したのです。以後、設計生物を製造する際はなるべく近縁の種で、且つ外見も近い生物の遺伝子が再現元として選択されるようになりました」

「想像通りの見た目だと、客も分かりやすく喜べるもんね。カッケー筈のティラノがモフモフ羽毛で再現されてると、超ビミョーな気分。やっぱ鱗で覆われてる方が『うわ、やっば。マジの恐竜いた! でた!』ってなるし」

小間口の歯に衣着せない意見に金枝達は苦笑した。

「此方をご覧下さい」

 案内ロボに誘導され、金枝らは太古の海コーナーの『設計生物の作り方』という解説図の前で足を止めた。ロボットは解説図を目のレーザーポイントで示しながら可愛らしい声で説明を始めた。

「先ほどのアンモナイトを例に出しますと、まずオウムガイをエレスメロセラス目の頭足類まで退化させる必要があるのです。エレスメロセラス目こそ、現生のオウムガイやイカ、タコの祖先であり、アンモナイトの祖先でもあります。ここから幾つかの種を経て、アンモナイトへと進化させるのです」

「種が進化をするのには長い年月をかけた自然淘汰が必須だろう? この図には、その問題への対処法が書かれていないけど」

 ソラが腕組みして訊ねた。細かい文字がびっしりと書かれていたが、ソラは速読で読破していた。

「それについてお答えしますと、突然変異の発生率を高めたり、昆虫の遺伝子を組み込んで極端な早熟にすることで進化退化のサイクルを早めたり、といった方法を用いております。それにより、本来であれば数千年かかる進化のスパンを五年十年単位にまで短縮することに成功しました」

「昆虫……か」

 ソラが興味深そうに、近代海コーナーの巨大水槽内を回遊するクロマグロの魚群を見やった。

「ショウジョウバエの遺伝子か何かでしょうか」

 北形の言葉に小間口がげぇと嫌そうな顔をした。

「やめてよミヤちゃん、そういうの」

「すみません。そういうつもりでは」

 肩を落とす北形に、やれやれと小間口が首を振った。

「いいよん。行こう。ばいばい、ロボ君」

 ロボットと別れ、小間口を先頭に歩いていくと、やがて奇妙な古代生物らの絵が描かれた看板や壁が現れた。

「『太古の海へ潜水探検―ノーチラスの旅―』?」

 入り口から奥を進むと、遊園地の室内アトラクションのような独特の雰囲気が漂い始め、既に若いカップルと親子が四組、列に並んでいた。本来はもっと混むようで、行列整理用のガイドポールが複数置かれている。また、待つ人を飽きさせないよう傍の水槽には生きた三葉虫が飼育され、触れることも可能だった。

 天井からは、機械的なアルトボイスの女性アナウンスと、芝居がかった男性のテノール声が交互に流れている。現在はテノール声のターンだった。

「やあ諸君。君達は二人乗りの小型潜水艇ノーチラス号に乗りこみ、大昔の海を思う存分堪能する素晴らしい機会を得た。なんとこの札幌で。所要時間は二十分を予定している。ただし、暗い海底を狭い潜水艇で巡ることになるから、閉所恐怖症や暗闇が苦手な人は、悪いことは言わん! やめておけ。艦長との約束だ。もし、途中でこの素晴らしい旅への文句を言うようなら、君達を古生代の海へ放り出し、ヘリコプリオンの餌にしてしまうからな! わっはっはっは」

 豪傑な男性声が存分に煽り倒す。そんな大げさな、と金枝は思ったが、水に浮かぶアンモナイト型の潜水艇と、先の見えない真っ暗な水中を目の当たりにすると、あながち大げさでもない気がした。

 潜水艇の止まる網目の金属の足場の手前で、ぴたり。ソラの足が止まる。

「はあ。やっぱり駄目だ」

 威子口空が、それ以上前へ行こうとしない。金枝は、天井の金色灯に照らされる威子口空の血色が白を通り越して土気色になっていることに気づいた。

「ソラちゃん?」小間口がソラの異変に気付く。北形がソラを気遣うように言った。

「お嬢様、無理に乗る必要もありませんよ」

 北形がギロリと男子を睨んだ。

「お嬢様は閉所恐怖症かつ暗闇が苦手なのだ。それが何か?」

「い、いや全然」

 男子組は北形に気圧されながら、軽く首を横に振った。

「お嬢様が乗らないから、私もパスだ」北形が噛みつくように言うと、その場で腕を組んだ。係の女性が困惑気味に「出口はあちらです」と、ソラと北形を誘導している。

「……じゃ、じゃあ俺達は行こうか」

 田曽と松葉がいそいそと潜水艇に乗り込んだ。

「えーっ、なんだよぅ」

 見るからにがっかりしている小間口の丸い背中に、なんとか上手いこと声をかけようと金枝が口を開きかけた。と、ちらっと小間口が振り返る。その眼が金枝を捉えた。

「……一緒に乗る?」

「いいよ」

 金枝が軽く頷いた。小間口が「はあーっ」と大きな溜息をつきながら、アンモナイト型の潜水艇に乗り込んだ。

――君は、女子からの好感度が軒並み低いのだな。というか、全生徒から。

「黙れ寄生虫」

 金枝は誰にも聞こえない小さな声で怒った。次に自分のおでこを叩くと、足を折り曲げ潜水艇に体を納めた。

「行ってらっしゃい、よい旅を」

 女性のスタッフが潜水艇の扉を閉める。やがてガコンと鈍い音があった。それは、潜水艇が外界から完全に遮断された音だった。

先に田曽と松葉の乗った潜水艇が発進する。続いて、金枝らの艇もゆっくりと水中へ沈み始め、暗い海水のトンネルに敷かれたレールを辿り始める。敷き詰められた砂が舞う中、やがて潜水艇は海底トンネルを抜けた。

海底へ沈められた無数のランタン。その灯りに照らされた神秘的な蒼の世界が、暗闇の水中で音もなくどこまでも醸成されていた。

「ハァー、楽しみ」

 小間口が手を合わせていると、「あっ」と声を出す。

「もう、なんかいる」

 潜水艇の船底付近で、体長五センチ程度のナメクジに似た白い生物が泳いでいる。耳当たりの良い女性ナレーターの声が潜水艇内に流れた。

「ここはカンブリア紀を再現した海。多種多様な生物が生まれたこの時代、捕食者アノマロカリスや脊椎動物の祖メタスプリッギナ、学者を長年混乱させたハルキゲニアなど奇妙奇天烈生物が『生きた姿で』貴方達を出迎えてくれることでしょう」

「どれがどの生き物?」

 小間口が困り顔になりながらも、潜水艇の周りを泳ぐ小さな生き物らを写真に収め始めた。

「こいつ、なんだろう。ナメクジ的な?」

「ピカイアだよ」

 小間口の勘違いを金枝が正した。

「あっちで浮かんでる太めの奴は、メタスプリッギナだろうね」

「ふーん。このワラジみたいなのは?」

「それは三葉虫」

「あ、さっき入り口にいた」

「見た目は地味だけど、眼という器官を初めて獲得した生物なんだ」

「へえー。金枝、詳しいじゃん」

 褒められた金枝はまんざらでもない様子で、小間口の「あれは?」という質問に対し古代生物図鑑で培った知識で応えていった。ゾウの鼻のような管の先端にハサミを持つ五つ眼のシャコのような生き物を目の当たりにした小間口は、すぐさまカメラを構えシャッターを切る。

「それにしても、絶滅した生き物って変だよね。なーんか」

 小間口の素朴で小学生のような感想に、金枝は相槌を打った。

「うん。『あ、絶滅』って見た目してる」

「それな!」

 小間口が人差し指を立てて笑った。

(よし。なーんか上手くいってるんじゃないか?)

 金枝はしめしめと思った。

 その後も鎧のような鱗とギロチンのような歯を持つ魚に正面からタックルされたり、その二倍はある海竜に睨まれて二人で竦み上がったり、二十分間のツアーは大盛り上がりだった。

 それ以降は小間口との絡みもなく、昼食にステラーカイギュウのステーキを食べるなどして二日目の班行動が終わった。

三日目の班行動はというと、まずラーメン横丁で熊印のラーメンを食べ、北大の敷地を意味もなく通り抜け、JRタワーから夕焼け空を眺め、例の時計台にショックを受ける、といった模範的な修学旅行を過ごした。それ以上特筆すべき出来事はなく、観返教会の布教活動に街中で出くわしたり、観光中の蝶番型異星人と地下鉄で一緒になった程度だった。


「はぁー、さっぱりした」

 夜。ホテルの浴衣で廊下を歩きながら、金枝はのほほんとしていた。温泉から出た後の気分の良さを噛み締めると、

――こういう感覚を『いい湯だな』と表現するのだろう?

 ホルスが知った風な口をきいた。

「ああ、そうとも。夕食も美味かったし、今までで一番良い修学旅行だよ、今んとこ。しかも部屋にトイレが二つもある」

十八時半過ぎにクラスで食べたのは、カニだった。一週間前から貸し切り予約をしておいた札幌市内のカニ食べ放題の店で他の生徒が三種類のカニを交互に食べる中、金枝はズワイガニと毛蟹を無視してタラバガニだけを食べていた。

――なあ、美糸君。君は少し慢心してるんじゃないかね。

 頭の隅でホルスがぼやいた。金枝はふわぁと欠伸をする。

「慢心? 小間口さんと多少は仲良くなれたし、あとはどう切り出すかだけで――」

 廊下でホルスと話していると、丁度ドアが開いて同級生の男子が姿を現す。防寒用の外套をしっかり羽織り、見るからに出かける風貌だ。

「どっか行くの、今から」金枝が訊ねた。

「そうだよ。自由参加で、札幌郊外までバスで行って星空を見る。ロビーで集合だから、急がないと」

「へえー」

――美糸クン。私達も参加してみよう。

「めんどくせえ」

――参加しろ。参加。参加したまえ。

ホルスが珍しく駄々をこねた。金枝は仕方なく、部屋に戻ると急いで浴衣から普段着に着替え、先日ユニクロの抽選で当たった今流行りのライトダウンを引っかけ、ロビーへ向かうことにした。

 チン。と、明朗なベルの音があって、エレベーターのドアが開く。ロビーには金枝の想像よりも少し多くの高校生が集まって、がやがやがやとしていた。エレベーターを出てすぐのところに長卓が置かれ、その前で数人の生徒が並んでいる。傍の立て看板に貼られた紙には『札幌星空観測の参加希望者は名前を記入。※当日参加も可』と書いてある。

金枝がふらりと列に並んで、すぐのことだった。

「いいじゃん。その服」

聞き覚えのある掠れ気味の声がした。見ると、小間口が笑顔で金枝の服を指さしている。

「え、そう?」

「うん。学校で見る金枝より、全然良くみえる。かっこいいよ?」

 小間口に誉められて金枝の心は華やいだ。流行の服を着ているだけで、こんなに反応が変わることに驚きながらも平静を装いながら訊いた。

「小間口さんも星空観測?」

「そうそう。アンドロメダ座が見れるっていうから」

「じゃあ一緒に見ようぜ」

「えっ。うん。いいけど」

 小間口の目は少し驚いていたが、口からは承諾の言葉が漏れた。金枝は思わず「やった」と言ってしまい、小間口に笑われた。

――よーしよしよし。それで良し。

 ホルスも手放しで喜んだ。金枝は新品の紺のライトダウンに感謝した。


 あれだけ都会な札幌も郊外まで来れば自然の宝庫という感じで、当たり前のようにシカやキツネがうろついている。電柱一つない広い原っぱの真ん中で二台の大型バスから降りた生徒らは、激しい虫の合唱に気圧されつつも、アメジスト色の夜空一面に散らばる白い輝きに目を奪われた。

「はあ、きれぇー……!」

 小間口が感嘆の声を漏らした。その横で金枝は、澄んだ空気を肺一杯に吸い込んだ。札幌郊外の夜の空気の美味さに金枝は感心しながらも、さてどう切り出そうかと思案した。

「小間口さん、ちょっと」金枝は小声で手招きした。

「話があるんだけど」

「は。どうしたの」

「人のいないところで話そう」

「うんオッケー」

 金枝は小間口を生徒の群れから連れ出すと、空になったバスの裏側に回った。

「なんなの。ヒグマとか出たら怖くね?」

 小間口が真っ暗な森を気にする素振りをみせる。金枝は唾を飲みこんだ。

「離人症なんだ、俺」

 金枝はきっぱりと言った。暗闇の中、小間口の息遣いだけが聞こえた。金枝が更に口を開きかけたその時、

「しっ、静かに」

 小間口が素早い動きで金枝の口を塞いだ。そして、パン、パン! と鋭く手を叩くと、バスの反対側に向かって言い放った。

「ねえ、どっか行けって。プライバシーの侵害なんですけど」

 少しの合間があってから、人影がぞろぞろとバスから離れていった。小間口はバスの下を覗き誰もいないことを確認している。

「何だあいつら」呆気に取られる金枝に向かって小間口がうんざりしたように言った。

「絶対、ウチんところの信者。私が危害を加えられないか監視してんの、マジキモイ。ごめんね、私だってやだよ」

――さすが観返教徒、どこにでもいるのだな。

 金枝がぞっとする中、小間口は何事もなかったかのような口調で言った。

「で、話っていうのは? 離人症が、なんとか?」

 気を取り直して金枝は告白した。

「実は俺、『誰が離人症なのか分かる』能力があるんだ。君の能力も把握してる。洗脳だろ?」

 小間口は言い淀んでいたが、やがて観念したのか落ち込んだ声で白状した。

「そう。そう……なんだよね。ていうかやば……それ、ずるくない? 一番隠したいこと、ばれちゃった……」

――洗脳されぬよう気をつけたまえ。

 金枝の意識の端で、ホルスの警戒を促す声が薄らと聞こえた。気をつけろって言ったって、どう気をつけんだよ。と、金枝は辟易した。

「待った、今俺のことを洗脳しようとしてないよな?」

「してないしてない」

 小間口が両手を胸の前で振った。

「だって私……はーん、なるほど」

 小間口は意味深な独り言を漏らす。金枝は気にせず考えを伝えた。

「その能力、有効活用しないか?」

 金枝は一呼吸置くと片手を広げ、いつになく熱弁をふるい始めた。

「ただでさえ、離人症は差別されてるだろ。なのに来月から、離人症の取り締まりが厳しくなる。来月だよ、来月の一日から太陽系一律。他人に何の危害も加えられない能力でさえ施設送りにされる法律なんだよ。小間口さんも、危機感はあるよね?」

「それは、もちろん。不安だし」

 小間口は思いつめた顔をした。

「でもさ、金枝。そんなこと言われても、私に出来ることなんて何も。はあ……」

 小間口は暗闇の中で目を逸らした。白い息が霧散する。

「威子口空を洗脳するんだ」

 金枝は低い声で告げた。小間口は小さく息を飲む。金枝は構わず話を続けた。

「そんなに深刻じゃない。威子口さんを離人症に理解ある人間へ変えるだけだよ。別に悪いことじゃないだろ」

「でも、それってさ……ううん」

小間口は歯切れ悪く、居心地悪そうに視線を泳がす。

金枝は、少し路線を変えて攻めてみることにした。

「威子口家当主の威子口八雲が、息子の威子口大地とその奥さんをテロで失って以来、離人症を強く恨むようになったのは有名な話だろ」

小間口は困り眉になりながら、こくんと頷く。今から十年前に起きたガニメデ星の宇宙ステーション爆破テロ事件は、六名の離人症持ちによる犯行とされていた。

「威子口大地の唯一の子が威子口空。現当主が周囲の大人の意見を聞かなくても、八雲の孫を洗脳して離人症の厳罰化に反対させれば、可愛い孫娘の言葉なら考えを改めるかもしれない。しかも、俺達は偶然彼女と同じクラスに在籍してる。こんなの、千載一遇のチャンスじゃないか。彼女が高校を卒業すれば、俺達は会話はおろか謁見すら難しくなるんだ。分かるか?」

 小間口は「うう」と小声を漏らした。金枝は軽く唾を飲み込む。握る拳に力がこもった。

「つまり、平汎高校の君にしか出来ないんだよ、洗脳は。仮に威子口八雲の説得に失敗しても、いずれ威子口さんが当主になれば洗脳も無駄じゃなくなる。俺達の為じゃない、これから生まれながらにして苦しみ続ける離人症状者を救う為、行動を起こさなきゃ駄目なんだ。離人症に理解のある人が上に立たないと。周りに何の危害も与えない人々が、びくびくしながら生きる宇宙なんて絶対間違ってるよ」

 虫達は金枝の演説などどこ吹く風で、マイペースに合唱を続けている。金枝が一息ついた時、先生の「バスに戻って、早く」という低く険しい声が、原っぱに響いた。

「あれ、もうそんな……」

小間口はポシェットから携帯端末をぎこちなく引き出すと、息を吹きかけ電源を入れた。星空観測は三十分間の予定だが、終了にはかなりの余裕がある。

 なんだなんだ。生徒らは戸惑いつつも、二台ある大型バスの、自分の席のある車両へ戻り始めた。金枝らは前の方の席で、金枝が通路側、小間口はその隣りの窓側の席だった。小間口が軽く右を向けば、嵌め殺しの窓からもう一台のバスが隣り合い停車している様子が窺える。

「不穏な気配だな」と金枝。

「まさか、さっきの会話、誰かに訊かれちゃってた?」

 小間口は少し心配そうに金枝を見つめた。

金枝が肩を竦めていると、学年主任の小池雄二、あだ名がゴリラの男性教師が手を叩いた。

「えー、みんな。伝えなくてはいけないことがある、頼むから落ち着いて聞いてくれ。今、私達のいる区画にバイオハザード警報が発令された」

「えーっ!?」

生徒の声が木霊する。車内がざわめいた。

「バイオハザード?」「マジのゾンビだ。マジゾン」

「静かに。状況がはっきりするまで、しばらくここで待機することになった。軽率な行動は取らず、バスの中でじっとしていなさい。念のため、ライトも点けないように。トイレに行きたい時は、先生に言うこと。いいね」

 そう言うと、小池主任はバスから降りて、隣りのバスへ説明しにいった。ふっと、車内の電気が消える。

「最近ゾンビ、出なかったのにね」

 小間口に話しかけられ、金枝は頬を掻いた。

「よりによって、修学旅行中かぁ」

 暗い車内で、周りの生徒は携帯端末で情報を集め始めた。しかし、詳細な情報は流れてきておらず、札幌市にハザード警報が出ているということしか分からない。

「やっぱり滅びるのかな、人類」

 生徒の一人が呟くように言う。

「最近こんなのばっかじゃん。地球に限らず」

「異星人との戦争も、負け続きらしい」

「星間防衛兵器を攻略されたせいだって」

「旧遺物の技術を流用したものなのに。それを破られちゃお終いだ」

「旧遺物……」

 ホルスが何か知っているのではないかと思い、金枝はぽろっと呟いてみたが、金枝の意識がはっきりしている為か、それともあえて無視したのか、ホルスは無反応だった。

バス車内での缶詰状態は一時間以上続いた。生徒らの不満は、次第に威子口へと向いていった。 

「ああーもう。何してんの、威子口は」

「最近ぱっとしないよな、威子口も」

「でも人類がここまで発展したのは威子口のおかげよ」

「つっても、旧遺物頼みじゃないか」

「そもそも未来予知による株や競馬の儲けで成り上がった連中だもの」

「未来予知出来るならゾンビが出る前に市民へ注意すべきだ」

「威子口空は? 同じ学年だよな。何か知ってるんじゃない」

 男子生徒の一人が冗談半分で、「威子口空さん、いますかー?」と名前を呼んだ。しかし、威子口空の返事はない。隣りのバスにもいない。そも威子口空は、この星空観測会に参加すらしていなかった。

「どうせ自分だけ、ゾンビの発生を国から知らされてたんだろ。威子口の者だから」

「だから来なかったんだ。普段こういうイベント、絶対参加するもんな」

 吐き捨てるように一人の生徒が言う。それを聞いた女子生徒が「よしなって」とひそひそ声で牽制した。

金枝がうんざりしながら水筒の麦茶で喉を潤していると、つんつんと小間口に肩をつつかれた。

「え?」

「金枝、あれ。なんなのか分かる?」

 小間口が震える指で、窓をトントンと叩いた。金枝は濡れた口を拭うと、隣り合うバス車内に目をやった。

 隣りのバスで何か揉めているようだが、あちらのバスも暗く釈然としない。金枝が目を凝らす。そして、無言で体を引いた。

周囲の生徒も、隣りのバスの異変に気付き始めていた。

一人の生徒が、野生動物を照らす為に持ち寄った懐中電灯を向かいのバスへと向ける。照らされたのは喉笛を噛み千切られて絶命した女子と、その女子の肉片を咀嚼する血みどろの男子生徒だった。バスの中は水を打ったように静まり返った。ピーッという音がして、運転手がバスの扉を無言で閉める。

隣りのバスから一人、また一人と人らしき影がふらふらと降りてくる。それらは金枝の乗るバスに両手をつくと、車体を叩き始めた。窓側の席の生徒は恐怖のあまり顔を背けた。誰一人、それらが生きた生徒なのか感染者なのか、ライトで照らそうとはしない。ホルスに寄生され夜目の利くようになった金枝には、右手の中指薬指の欠けた小池主任がゆらりと降りてくるのが見えた。

「し、出発します」

 五十歳前後の日焼けした運転手の憔悴しきった嗄れ声がして、バスはゆっくりと動き始めた。誰も反対する生徒はいなかった。バスを囲う人影を振り払い、バスは原っぱを抜け国道へと出た。バスは元来た道を戻り、札幌の街へ向かっている。

「金枝……札幌市内は、大丈夫なんかな」小間口は不安を隠しきれていなかった。

「さあ。感染爆発してたら、また引き返せばいいんじゃないか」

 金枝はライトダウンで覆われていない自身の両手に息をかけた。

「少なくとも市中にゾンビが溢れてるってことはないだろ。そしたらもっとネットでも大事になってる。一応、松葉に電話してみようか」

「じゃあ私もチイちゃんに連絡とる」

 二人は別々に電話をかけ始めるが、なかなか繋がらない。五分ほど経って、ようやく金枝の端末に反応があった。

「はい、もしもし」

「あっ、松葉? 今、どうなってる」

「どうって、どうもなってないよ。金枝今どこいんの、まさか外にいるの?」

「バスの中だ。星空観測で郊外へ出てて、もう滅茶苦茶だよ。これからホテルへ戻るって、先生に――」

 悲鳴。甲高いブレーキ音。左方向の遠心力がかかり、小間口の体が金枝にのしかかる。一瞬の浮遊感。バスが道を外れ、転がり落ちたのが分かった。金枝の体からさーっと血の気が引いた。

鈍く、重い衝撃があった。金属の破裂する悍ましい音が車内に響き、金枝の鼓膜をつんざいた。金枝の携帯端末はあらぬ方向へ飛んでいく。金枝は前の座席へ頭を強かに打ったが、意識が飛ぶ程でもなかった。

――なんともはや。厄介なことになった。

 ホルスが開き直った口調で言う。

――すぐ状況を確かめたまえ、美糸君。被害者面して、じっとしてる場合ではないぞ。

 鬼か、と思いつつも、金枝は目を開けた。

「大丈夫か……?」

 もたれかかる小間口に声をかけた。

「多分、生きてる」

 小間口が金枝の肩に手をつき、ゆっくりと体を起こした。そして、乱れた髪を犬のように振り、掠れ息を吐く。

「……どうなった?」

「見てくるよ」

 金枝は携帯端末を拾いあげ、ライトモードにした。車内は傾斜を感じるが、歩く分には問題ない。周りの生徒の息遣いが聞こえる辺り、被害はそこまでではなさそうだと、初めは思った。しかし、金枝がふっと前方へライトを当てた時、その考えは立ち消えた。

 大型バスの正面に、巨大なエゾマツが食い込んでいる。バスの顔面は真ん中でグニャリと拉げ、フロントガラスは無数にヒビ割れ蜘蛛の巣が張ったようにみえた。パカーンとドアは開きっぱなしで、冷たい外気が入り込んでいる。辺りは真っ暗。光は無い。バスは道路を外れ、森の中にあった。

 金枝よりも先に立ち上がった男子生徒が、運転席を覗いている。金枝が近づいていくと、男子生徒が金枝の方を向いて「ダメ。ダメだ」と伝えてきた。ちらっと見た限り、運転手の体の左半分がエゾマツと車体に挟まれ、まるで動く気配がない。鉄の臭いが強く匂った。謎の内臓が飛び出している。解体中の魚のようだった。金枝はもうそちらを見ないようにしながら、歪んだバスから降りた。

 バスは道路を外れてすぐの場所で木と衝突したようだった。落下した坂の傾斜も人の足で上がれるもので、金枝は少しほっとした。

「崖下にでも落ちてたら、目も当てられなかった」

――ポジティブなのは良いことだ。

 ホルスが軽口を叩いた。

坂を上るのは難しくない。草木を掻き分けると、舗装された道路が真っすぐ伸びている。生々しいブレーキ痕が地面に残り、ゴムの焼け焦げた匂いが漂っている。そして、道路には誰かが倒れていた。バスの運転手はこれを轢きそうになり、あるいは轢いて、焦ってハンドルを切ったらしい。

 多分ゾンビだろうな、と金枝が思っていると、結構な速度で走ってきたトラックがそれを撥ねた。撥ねられたそれは高く飛んでいき、道路にぼたりと落ちた。人間なら確実に即死している筈のそれは、もごもごと動き始めたが、今度は青い乗用車に無情にも轢かれると、とうとう動かなくなった。

 バスに残された生徒らは各自救急へ連絡を入れようとしたが、電話はなかなか繋がらなかった。また、何人かの生徒は体調不良を訴え始めた。身近で死人が出たせいなのかゾンビになる兆候なのか、判別のつきようがなく、車内は嫌なムードに染まった。

「具合の悪い奴は後ろへ行けよ!」

 男子の一人が苛々を隠さず言った。

「昇降口の傍でゾンビになられたら、困んだよ」

 すると、体調不良の生徒を看病していた女子生徒が言い返す。

「じゃあアンタ、後ろまで運べ! 具合が悪いんだから歩けないの。手伝えよ男なんだから」

「やだね、噛んできたらどうすんだ。自分の足で移動しろ。意識がないならともかく、まだ歩けるだろ」

「最っ低」

「少し聞いてくれ」

 バスの昇降口にいた金枝が怒鳴った。

「このバス、大して道を逸れてない。ちょっと歩けば、すぐ国道へ戻れる。ここで救助を待つより、一時間ちょっと歩いた方が早いんじゃないか」

「市内がどうなってるか分からないのに? 最悪、ゾンビだらけで麻痺ってことも」

 生徒の一人が言う。

「ここで夜を明かす方がいいのでは。ゾンビもこんな所来ないだろうし」

「既にゾンビになりそうな奴がいるんだぜ、車内に」

「決めつけないで! 具合が悪いだけよ」

 議論は収拾しそうにない。金枝が諦めて席に戻ろうとすると、ホルスの声がした。

――待て、美糸君。大人もいないこの状況、かなり危険だ。君がまとめたまえ。

「どうやって」

 小声でささやく。

――なに、問題を解決すればいい。今、何が問題になっているのか、分かるな?

 金枝は少々汗ばんだ髪を撫でつけると、お腹から声を出した。

「分かったよ。俺が具合の悪い生徒を最後列まで移動する。その代わり、具合の悪い生徒の口にハンカチ噛ませて、その上で頭にリュックを被せてくれないか。それなら安心して運べるんだが。紙袋でもビニールでもいいから」

 車内は静かになった。金枝は、前列でぐったりとしている女子生徒の傍に行く。既に看病をしている女子生徒が、口にハンカチを咬ませていた。

「誰か、空のリュックを貸してくれないか」

「俺ので良ければ」気前の良い男子が、空っぽのリュックサックを放ってくる。顔をリュックで覆い、金枝は体調不良の生徒を御姫様抱っこで後列まで運んだ。体調不良の生徒、計六人を最後方に詰め終わり、金枝は自分の席に座り一息ついた。

――美糸クン。見たまえ、皆が君を一時的にリーダーとして認めている。

 ホルスの言うように、周囲の視線が先ほどとは違うものに変わっていた。

――君がこの場の主導権を握ったのだ。

 それは不思議な感覚だった。昔からリーダーだとか班長だとか、そういった責任の伴うポジションと縁遠かった金枝にとって、それは初めての感覚だった。妙な高揚感を感じていると、小間口が少し感心したように言う。

「金枝って、いつもは頼りないのに、こういう時は結構……」

「協力してくれる気になったか? さっきの話」

 小間口は返答に窮していた。が、やがて観念したのか、掠れ声で「分かった」と言った。

「いいのか?」

「いいけど、そもそも無事に帰れる? 心配なんだけど」

 金枝は後ろを振り返る。体調不良の生徒らは荒い呼吸をしていた。

「感染とか怖いし」

「風邪と違って、噛まれない限り感染しないとか、なんとか。発症の原因も不明の謎の病気だから、決めつけるのはナンセンスかもしれないけど」

「隣りのバスに乗ってた生徒、どうなったの」

「分からない。多分、一斉に大勢が発症したんじゃないか。一人や二人の感染者だったら、ゾンビよりも先にバスから降りて異変を報せに来るはずだろ、誰かしら」

「じゃあ、ほとんどの生徒が感染してたってこと? 私達が平気なの、超ラッキーって感じ?」

「そうだな……。どうだろな?」

 思わせぶりに金枝が天井を見つめた。

――もしや、私に尋ねているのか。

 ホルスの反応があった。金枝が微かに頷く。

――君達、人類に降りかかっている奇病に対し、私も寄生前から興味があった。君が感染者を抱き運ぶ際に、彼らの体の情報を探った。

 金枝は何も言わず、ホルスの言葉を待った。

――結論からいえば、遺伝子が自然変容している。自壊、といえば分かるだろうか。

 ホルスが真面目な口調で話した。

――感染というよりドミノ倒し。連鎖反応でしかない。ウィルスの発生源はDNAそのものだ。『何を言ってるんだ』と君は思っただろう。しかし、ビッグバンが『無』から発生したのと原理は変わらない。『無』というのはビッグバンの発生し得る土壌であって、人体もまた、この奇病が発生し得る土壌だったという訳だ。

「訳わかんねえ」

「え、何が?」小間口が怪訝な顔をした。

「い、いや何でも……」

 金枝は咳払いして誤魔化した。

「とにかく、今は助けが来るまでここで――」

 俄かに、バスの前の方が騒がしくなる。最前列に座っていた生徒が、大慌てで立ち上がる。

「どうした?」

「ク、クマッ」

 切羽詰まった声がした。バスの中は、水を打ったように静まった。前列にいた生徒は無言で後方へ避難した。やがて、ギーギーとバスを引っ掻く野蛮な音がしたと思うと、ハアハア、ハアハアと獣の荒い息遣いが、車内に入ってきた。


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