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世界を統べる女子高生とラブコメしたい! けれど宇宙人に寄生されて辛い

「金枝って、威子口と普通に話せるじゃんか?」

 水泳部員の(かわ)(やす)は少し恨めしげに言う。金枝は、「うーん」と曖昧に頷いた。川保はかなり体を鍛えていたが、帰宅部ながら生まれつき体格の良い金枝には少し見劣りする。

 中間考査も一段落がつき、それまで学生で溢れていた放課後の図書室は、いつもの閑散とした空間へ逆戻りしていた。少し開いた隅っこの窓からは、初夏の若葉の匂いのする涼やかな風が、カーテンを時々小さく揺らしながら室内に吹いている。

 川保と金枝は二人で、六人座れる長テーブルを占領していた。利用者もおらず空いているので小うるさい図書室秘書も咎めることはない。川保は少し周りを気にする素振りをし、「相談したいことが」と話を始めた。

「威子口って、彼氏とかいないよな?」

「……いないんじゃないか? 恐れ多くて」金枝が言った。

「だよな。あんなに美人でもか」

 川保は大真面目な顔をすると言った。

「俺、威子口のこと好きだ」

「へえー……」

「なんだよ」

「じゃあ告白しろよ」

「バーカ」

 川保はかすれ声を出して金枝のでかい図体を引っ叩くと、猫背になって声を顰めた。

「簡単に言うな。恐れ多いじゃないか」

 川保は続ける。

「だって、あの『イシグチ』だぜ。世界を裏で牛耳る、イシグチグループのご令嬢」

イシグチグループが二十一世紀初頭から今日まで宇宙開拓の陣頭指揮を執り続けた大企業であることは、小学校の歴史の教科書の終盤辺りで必ず習う。この世界では常識だった。

「聞いてくれよ、金枝。俺がどうして彼女に惚れたのか」

川保は黒縁の眼鏡の位置を直すと、小さく溜息をついた。

「最初はさ、俺だって『どうせ世間知らずの、クソ生意気なお嬢様なんだろうな』って思ってたよ」

「おーっほっほ、とか言うタイプだと?」

「それはねーよ」

 川保にさらりと否定され、金枝のお世辞にもハンサムとはいえない顔がしょぼんとする。川保は構わず続けた。

「入学前から、噂にはなってたよなー、威子口家の人間が入学するって。でもまさか、平汎高校なんかに来るか普通? 千葉の、偏差値は全国平均ぴったりの、ただのマンモス市立校じゃん、ウチの高校」

「威子口家の人は一般階級の人たちの暮らしを知るため、高校生までは普通の学校に通うらしい」

 浅い知識を披露する金枝に、川保はピンと人差し指を突き立てた。

「まずさぁ。その考えが生意気じゃねーかよ。どう聞いても上から目線じゃねえか、それ。だから俺は威子口と会うまで、勝手に、冷酷非道で、下の者を虫けらみたいに見ているような人だと、悪いイメージを抱いてた。でも、それは大きな間違いだったなァ」

 そこから結構な時間を割いて、どれだけ威子口空が素晴らしい女性であるかを川保は説いた。誰よりもしっかり者で、率先してクラスの雑用をこなし、いつも明るく、爽やかに振舞う。高貴な者であることを鼻にかけたりはせず、誰とでも仲良くする。そんな彼女だから、入学式から半月も経たない内に、クラスの中心のポジションに座ることが出来た。

「人気者なのに、お前みたいな、カースト的に学校で下位の男子にも優しいんだもんな」

 金枝は苛ついたが、表向きはそうなので何も言わなかった。

「……でも、さすがに誰にだって欠点はあるはずだろ。だから俺はこの一か月、欠点を探したんだ」

「で?」

「無かった」

 川保はゆっくりと、噛み締めるように呟いた。

「無いんだ。ヤバいんだ、マジで。試験は常に学年トップで、俺じゃ歯が立たない。運動神経も凄い良い。しかも秀才タイプなのに、普通にマックやコンビニへ寄り道し、友人と食べ歩きをする不真面目さもある。そして、何より綺麗だ。スタイルもモデル級。教養も家柄も神。両目の目元のホクロもセクシー。なあ、金枝。これで恋をしない男はいるか?」

 金枝は鬱陶しそうに頭を掻いた。川保は脳裏に威子口を描き、うっとりした顔で頬杖をついている。痘痕面の金枝と違い、川保の肌は艶があった。

「しかもさぁ。最近の威子口はどこか物憂げな表情もするんだ。何ていうのかなぁ。きっと、プライベートで悩んでるに違いない。隙があるんだ、前と違って」

「隙?」

「完全無欠の女の子に、付け入る隙が出来てんだよ。なあ金枝」

「は?」

「どんな山でも蟻の一穴から崩れていくんだぜ」

 少しの間があって、川保は拳をぽんと叩いた。

「よし決めた。明日、告るわ」

 川保は腕まくりをすると、

「何かアドバイスあるか?」と金枝に訊いた。

「いや何で。俺に、そんなこと……」

 金枝がうんざりした顔で言うと、川保はポンポン金枝の肩を叩いた。

「中学三年間、そして高校も威子口さんと同じクラス。一番詳しいのお前じゃん」

「北形さんがいる。澳津(おうつ)だって、中二の時は――」

「澳津は参考にならないだろ? 北形は執事兼護衛役。まあ、確かに北形も良いよな。でも見るからに性格がきつそうで。ワンチャン、殺されかねない」

「ワンチャン……?」

「ワンチャンス。いいんだよそんなことは」

 吹っ切れた川保と一緒に金枝は図書室を出た。

「俺の予想では……お前は、玉砕する」

 図書室用のスリッパから革靴に履き替えながら、金枝は言った。川保はヘラヘラと笑い、黒眼鏡を押し上げた。

「何だァ、金枝。ははあ、さてはお前も威子口に惚れてたか? 焦ってんな?」

「そんなことはないよ」

「まあ、お前と威子口じゃ月とすっぽんだもんな。クラスの落ち零れだもの」

「は? 相談に乗ってやったのに。恩知らずだ」

「なあ、金枝」

 川保はナルシスト臭を漂わせつつ言う。

「女はな、早いもん勝ちだ。つうか俺がお前だったら、中学の内に告ってるね」

 キラリと白い歯を見せる川保。川保は水泳部のインターハイに出るような運動系で、言動はお調子者だが、勉強の成績もクラスで五本の指には入る。顔もイケメン寄りのマシな顔で、性格はアレでも女子からの人気が高いのは、金枝も薄々気づいていた。

「まあ、好きにしろよ。でも俺は、やめといた方がいいと思うけどな」

「はいはい。臆病者がなんか言ってら。見てろよ、明日には威子口空、俺の女だから」

 金枝は口を噤んだ。威子口空とは結構長い付き合いだ。その間、男の影はなかったと思う。しかし近頃、川保と威子口が一緒にいる、仲良くしているのは何度か見かけていた。

 もしかしたら、こいつは本当に威子口空と付き合うかもしれない。そう思うと、金枝の心にグツグツと、僻みに似た感情が湧いた。自分でも最低な気分だった。

 川保と別れた金枝は念の為、帰りの電車内で独り自問自答をした。もう何度目か分からない確認をした。

 やはり、答えは変わらない。

 金枝は、威子口空という人間が、嫌いで嫌いで仕方がない。


 結局、川保はフラれたらしい。本人が教室の隅っこで、威子口にフラれた話を笑い話のネタにしていたのを金枝は聞いた。しかし、川保はそれ以降、授業を休むようになった。そしてある日を境に、ぱったり、姿を見せなくなった。あいつのことだから、このまま退学にはならないだろうと、金枝は思っていたのだが、いつの間にやら川保の机は撤去されてしまい、あっけなく、いなくなってしまった。

 初めは教室内でも川保を心配する声があったが、『意外と繊細な奴だったんだ』という風潮になり始め、今ではいないのが当たり前になっている。マンモス校だろうが何だろうが、生徒の一人や二人が辞めたところで大して話題にもならない。そういうものとばかりに、学校生活は続いていく。

 何かあったに違いない。でも、何があったのかは分からない。威子口空に尋ねる度胸は金枝にはない。

 思いつきだった。家に帰ってから、金枝は電話をした。川保に電話をしたのはこれが初めてだった。

少しのコール音の後、繋がった。

「もしもし。金枝だけど」

「……おお、金枝っ!? どうしたんだ一体」

 スピーカーから発せられる川保の声は元気そうだった。二人は軽く他愛もない話をして、それから金枝は訊いた。

「何があったんだ?」

「何って……?」

「学校辞めたの。威子口さんと、関係あるんだろ」

「別に。ない。ないて」

 川保は話題に乗り気でないことは電話越しでも伝わった。はぐらかそうとする川保。それでも金枝はしつこく問い詰めた。するとようやく、ぽつりぽつりと川保の重い口が開き始めた。

「いいか。俺の勘違いかもしれないし、この話は広めるなよ。絶対に」

 それは金枝に相談をした翌日の放課後のことだった。上手いこと二人きりになったタイミングで、川保は威子口空に告白をした。その最中、川保は威子口空の顔が微かに曇っているのに気づいていた。

「だからさ。フラれるのは何となく予想してたんだ。でも、男だろ? 最後まで告白を続けようとした。そしたら……」


「川保君、ごめんなさい。気持ちは嬉しいんだけど……」

 気づくと川保は、威子口空にフラれていた。

 電話越しに沈黙が流れる。金枝も分かっていた。これで話が終わりな訳がない。

「こうやって言葉にするとさ、別になんでもない、平凡な青春の一ページに聞こえるんだろ?」

 川保は声を上ずらせた。

「だけどさ、実際は違うんだ。違うって。もっと絶望的で。あの時の威子口さんの眼を、瞳を。俺は一生、忘れないと思う」

「そ、そんなに? どんな目だ。見下してたのか?」

「そんなんじゃない。そんなんじゃなく……」

 川保は言葉を詰まらせた。

「分からねえ。伝えられねえ。ただ、その時思ったのは、『ああ、この人はこのまま東大の、大学院だのハーバード大だのへ行って、めちゃ凄い論文とかを発表して、それからイシグチグループのCEOに就任して、子供とかも作って。人類は今以上に繁栄していくんだろうな』って。なんかもう、その瞬間、全部分かっちった……」

「……はあ? 何だそれ」金枝は携帯のスピーカー口を思わず覗き込んだ。

 川保は声を絞り出す。

「分かったんだって。そしたらもう、自分がちっぽけなものに思えた」

「どういう事なのか、分からねえよ川保」

「俺だってよく分かんねえんだって!」

 川保の憔悴した声が携帯端末を通して空気を震わせた。

「自分でも、何でこんなショックを受けてんのか不思議だよ全く。とにかくもう威子口さんとは顔を合わせられなくなった。無理なんだ。見たくないし、見られたくない。だから別の高校へ転入した。以上終わり」

 金枝が返事に困っていると、川保が問いかける。

「なあ。お前は、そういう気持ちにならなかったか? 威子口さんと一緒にいる時。虚しさみたいなものに襲われなかったか?」

「俺は、なったことないよ」

「……だよな。そうだよな。ごめんな、変なこと言ったわ」

「いいよ、俺の方こそ」

 暗い空気のまま二人は通話を終えた。

 金枝は、嘘をついていた。おそらく川保は、威子口空の本性に気づいたに違いない。だが川保はそのことまで踏み出さなかった。なので金枝も、自身の威子口空に対する本心を口にすることはしなかった。


金枝が初めて威子口空と出会ったのは、中学一年の時だった。

 金枝は元々イジメられやすい体質だった。体は大きいが気弱な性格で、不愛想な顔をしていて、感じが悪い。そして、ヘマをよくやらかす。本人に悪気はなくても、周りの人間に嫌がられることをよくやった。例えば、転べば丁度あった花壇の、手入れされた花々を踏み潰した。間違えて、女子の体操着を着て体育館に行き、後で女子に大泣きされた。珍しく自分に優しくしてきた女子の名前を間違えて覚えていたせいで、相手を傷つけたこともあった。自転車を漕いでいたら、散歩中のポメラニアンの足を轢いてしまい、二十万円の治療代を親が支払ったこともあった。そんなことは日常茶飯事だから、学校ではそれをイジメの取っ掛かりにされていた。

 学年が変わり、クラスの顔ぶれが変わって、関係性が真っ新な状態になる新学期の四月。いつ、クラスのうるさい連中に目をつけられるか。今日か、明日か。ある種、諦めの気持ちで金枝は過ごしていた。

威子口空は今でこそハッとするような美貌を備えているが、中学一年の時分はそこまでだった。しかし、他人とは違う異様な気配があった。それは、威子口の者だけが纏う、支配階級のオーラのようなものという(ほか)なかった。大人になるにつれ本人が気にすれば、ある程度の矯正も可能だが、威子口空にはまだそれが出来ていなかった。

 青灰色のセーラー服に、濃紺のスカートを履いた、周りより少し背の高い女子校生。カメラのレンズを介せば、他の生徒と何ら変わりがないように見える。しかし、生身で相対すれば会話はおろか、近づくことすら気が引けた。クラスの誰一人として威子口空と交わろうとはしなかった。

 一方、金枝は金枝で同級生より大きな図体にドングリ眼、分厚い唇、ニキビの痕、おどおどした雰囲気を漂わせ、誰にも声をかけられることなく、教室の隅っこで細々と新生活を消化している。小学校から中学校に上がっても、そんな四月のサイクルは変わらなかった。

 五月になり、クラス内のグループも固まってきた頃、金枝は案の定からかいの対象になっていた。ちょっかいを出してもいい奴。そういう認定をされた。その日、金枝が授業で使うタブレット端末はフリスビー代わりにされ、教室を飛び交っていた。

「返せよ!」

 金枝の声が空しく響く。意地悪な目をした男子生徒の一人がケラケラ笑いながら、スナップをかけて端末を放る。タブレット端末は金枝の頭を掠め、他の生徒の元へ渡った。いじめとは無関係の生徒だったが、「パス、パス!」と金枝をいじめている男子に強く言われると、其方に投げ返した。金枝に取られたら負けという暗黙の了解がクラスにあるので、クラスの誰が端末を手にしても、安易に金枝へ返されることはなかった。

 金枝は教室をうろうろしている内に、悔しさで視界が滲み始めた。

そんな時だった。

「やめなよ。そういう遊びは」

 威子口空の声だった。すくと立ち上がり、主犯格の男子をぴしりと睨みつけた。

「見ているだけで不快になる」

金枝をからかって遊んでいた男子生徒たちの笑顔が固まり、探るようにゲーム参加者同士、顔を見合わせた。威子口空はすたすたと机の間を縫い歩くと、教室の入り口の傍で端末を持ったままフリーズする篠田という男子に近づいていく。

威子口の者が歩いてくる。それも、怒りの対象は自分に向いている。慌てふためいた篠田は、タブレット端末を無心で放ったが、それを取る者は誰もいなかった。あろうことか端末は開いた窓の間をすり抜け、ベランダを飛び越え、手すりの向こうへと落ちていく。

 金枝は無心でベランダに飛び出し、手すりから下を覗く。自身のタブレット端末は不幸にも、隣接する閉鎖中の屋外プールの緑色の水面にプカプカと浮かんでいた。

「うわあ! プールに落ちた!」

「知ーらね」

 それまで金枝をからかっていた男子たちは知らんぷりをした。他の野次馬に混じり、威子口空はひょいと窓の縁を飛び越えてベランダにやってくると、金枝に訊いた。

「落ちちゃったの?」

「うん」

「ああ、あれか。取ってくる」

「……えっ」

言うが早いか、威子口空は機敏な足取りで教室を出ていった。

クラスは少しざわついた。威子口のご令嬢が、わざわざそんなことをするのか。目付け役として威子口空と常に行動を共にしている北形雅すら、少しの間呆気に取られた顔でぽつねんと座っていた。クラスの大半の生徒がベランダに出て、威子口家の令嬢の動向を窺う。

 はたして、威子口空は姿を見せた。彼女は躊躇することなく立ち入り禁止のプールの鉄柵をよじ登り、青色のプールサイドにひらりとスカートの濃紺を靡かせながら着地する。彼女がプールサイドの端に転がっていた枯れ葉や虫を掬う用の網を拾いあげたところで、けたたましいチャイムが鳴った。

「やべっ。次、数学だぞ」

 金枝含め、教室の生徒全員が素早く席に着いた。というのも、一限目の授業を受け持つ数学教師の斎藤は、とにかく怖い女性だった。ドスの利いた声を出すのが上手い痩身の先生で、怒鳴れば廊下まで声が響き渡る。もしも朝、顔面蒼白の生徒を見かければそれは高確率で数学の宿題を忘れた、哀れな生徒だ。授業中は目に見えない鋭利な糸がピーンと教室に張り詰めているようで、始まりから終わりまで生徒は生きた心地がしなかった。冷戦時代の米露はこれくらいの緊張なのかなと、金枝はよく妄想をした。あまりにも恐ろしいので、生徒の間で斎藤先生の話題に出す際は『S先生』とイニシャルで呼び、万が一悪口を聞かれてもいいよう、本名を絶対に出さないようにしていた。

 斎藤がガラリと教室に入ってくる。未だ、威子口の席が空席のままであることに金枝は申し訳なさと悔しさで一杯になった。

 沈黙の教室の中へ、少し息を乱した威子口空と、北形が入ってくる。

「遅れてすみません」

 威子口空は簡潔に頭を下げ、着席する。クラスは静まり返っていた。斎藤先生が咎めない筈がないからだ。

 斎藤は腕を組み、遅れてきた威子口達を睨んだ。恐ろしい間があって、斎藤の説教が始まった。女子だからとか、そんな理由で容赦する斎藤ではない。きつい言葉を浴びせた。威子口空は俯き、じっと耐え忍んでいるように見えた。金枝は、自分のせいですと声をあげるべきか迷った。が、結局何も言えないまま、その見るに堪えない説教は終わった。

斎藤は言いたいことを言い終えて満足すると、ぱっと生徒に背を向け、デジタルボードに数式を書き始めた。

 その時だった。威子口空がふっと振り向く。金枝と目が合った。彼女はウィンクをした。そして懐からタブレット端末を取り出し、手首を揺らしてフリスビーのように投げた。それは教室の虚空を綺麗な軌道を描いて回り、金枝の胸元に飛び込んだ。水に濡れた様子はなく、プールに浮かんだそれを回収した威子口空が、ハンカチか何かで水気を拭き取ってくれたであろうことはすぐに判った。

 ぽかんとしている金枝に、威子口空は悪戯に白い歯を見せて笑うと、何事もなかったように前を向いた。

 誰一人として喋らなかった。下手に騒いで斎藤に怒られるのも嫌だった。そしてなにより、威子口空に度肝を抜かれていた。今しがた斎藤にコテンパンにされ意気消沈した筈の女子生徒が。怒られるのに慣れていないだろう威子口家の令嬢が。授業中に屈託ない笑顔でタブレット端末を放り投げる。クラスの威子口空に対する印象はがらりと変わった。勿論金枝も、彼女に好意を抱かない訳がなかった。

 打ち解けるのはあっという間で、それから半月もしない内に威子口空は人気者になっていた。金枝は相変わらずクラスの爪弾きだったが、威子口空は事ある毎に話しかけてくれる。なんて良い子なんだろうと思った。そして、来年も同じクラスなら良いのに。そう思っていた。

 翌年。桜舞う春。金枝の願いは叶った。一学年五百人弱もいるのだから、なんてラッキーだろうと金枝は喜んだ。

 そして、また金枝は新しいクラスでもからかわれ、また威子口がそれを止めた。威子口空に悪い印象を抱いていた生徒は考えを改め、威子口空はまたクラスで人気者になった。金枝は、『やはり人柄なんだろうな』と、思った。金枝は威子口空に片想いした。

 中学三年生。再度金枝は威子口空と同じクラスになった。金枝はいじめられ、そして威子口空がそれを救う。威子口の好感度だけ上がって、彼女の周りには人だかり。

 あれ、何か変だな。そう思った。毎年毎年、何故か威子口空と同じクラスになり、自分がいじめられ、それを助けて好感度アップの構図。いや、まさか。その時点では、まだ半信半疑だった。 

 高三の冬。金枝は地元から少し離れた高校を受験し、無事に受かった。平凡な高校だった。その高校を受けることは、クラスの誰にも金枝は言わなかった。

 春。桜の花びらが散る花粉のきつい日の朝。体育館の入学式、真新しい制服を着込む初心な高校生の群れの中に、ひと際目立つ女子がいた。濡烏色の髪、長髪長身、糊の利いた白のワイシャツに濃藍色のネクタイ、灰色のタイトスカートを卒なく着こなす、はっとするような美貌の女生徒。

 教室に入った金枝は、凛とした佇まいの威子口空と目が合った。威子口空はにこりと笑うと、読んでいた本に視線を落とした。


 威子口空は自分に気があるのだろうか。

 いや違う。金枝はそのラブコメディ的な思考をすぐに打ち消した。客観的に見て、自分みたいな男に惚れるはずがない。残念ながら。

 じゃあ、一体何故だろう。学校はおろか、クラスまで同じだ。一学年のクラスが一つ二つならともかく、市立平汎高校は人口過密の現代日本ではもう珍しくない大マンモス高校で一学年十二クラス。学校自体、偏差値も学内設備も平凡で、彼女がこの高校を特別選択する理由なんかなかった。

金枝は頭を抱えた。悩みに悩んだ末、とてもネガティブな一つの仮説に金枝は辿り着いた。

 つまりは、威子口空にとって金枝は『都合がいい』存在なのだ。金枝はどこへいってもからかわれたり、いじめられたりする体質だった。そんな男子に威子口の者が手を差し伸べれば、周りの威子口への評価は上がる。威子口の者がクラスに溶け込むのに、最も単純な方法。威子口空は味をしめた。同じクラスになれるのも、学校側に適当な理由を言えば、いくらでも可能な筈だ。威子口の権力を使えば、尚更。

 案の定、高校一年もまた同じ流れになっていた。

 こいつは、確信犯だ。涼しげに小難しいSF小説を読む威子口空を見て、金枝はそう思った。

 高校一年でのいじめを止めてもらったその日以降、金枝は威子口空が嫌いになった。怖くなった。しかし、その感情は決して表に出してはならない。誰にも理解は得られないと分かっていた。ただ、時間が経つにつれ、心の中ではしんしんと北国に降る雪のように威子口空への不信は募っていった。


「なんか最近、学校休む奴多くね?」

 風邪明けで二日ぶりに登校した金枝は、そんな声を教室で聞いた。見れば女子が数人、集ってぺちゃくちゃ話している。言われてみれば確かに、妙に空席が目立っていた。威子口空の姿は、あった。

「あれじゃね。会社員共が会社休む現象。えーと、なんだっけ」

「終末疲れ」

「それそれ。それの学生版じゃね」

「ま? やべー。誰も気づいてない心理に辿り着いちゃったよウチら」

 頭の悪い会話だな。と、金枝は思った。と、金枝に見られているのに気づいた女子達が、げっという顔をする。

「うわ金枝だ。何見てんだよ。あ?」

金枝はおろおろと視線を窓の外に移した。濃い水色の秋空には、気球型のドローンがぽつんと浮かび、風に流され緩やかに泳いでいる。

「あんなのと、よく話せるよね。威子口さん」

「優しいよねマジ」

「でもさ、変な奴に優しくしたら勘違いされるよ。万が一があったら事だよ? 大人になったら、人類の未来を背負ってく大事な御方なんだからさ」

「やめてよ。そういうの」

 威子口空の声がした。どんな顔で言っているか気になったが、金枝は授業が始まるまでは青空を見ていた。


 その日、金枝は調子が良かった。良すぎたのかもしれなかった。

 サッカーの授業はあと五分で終わりだった。他のやる気のない連中と違い、金枝は真面目に授業を取り組んでいた。それ故、熱中し過ぎた。

「おりゃっ」

 金枝が力一杯蹴ったボールはあらぬ方へ飛んでいった。

「あっ」

 金枝はぎょっとした。ボールは勢いそのままに、移動教室へ向かおうと屋外通路を歩いていた女子生徒の一人の横顔にぶち当たって、大きく跳ねた。女子生徒は蹲り、立ち上がれずにいる。その女子生徒は太ましく、丸くなった背中は岩のようだった。傍にいた友達らが駆け寄り、「大丈夫?」と声をかけている。

「金枝。謝りに行けよ。薄情だな」

 クラスの男子に背中を押され、おずおずと近寄るが、傍にいた女子たちは「来るな来るな」と金枝を寄せ付けない。

「授業は終わりだ。帰っていいぞ」

 体育教師は凄い形相で金枝を睨んだ後、女子生徒を保健室へ運んでいった。

 ああ、やっちまった。いや、大丈夫だ。

 金枝は自分に言い聞かせた。ボールは女子の顔に当たって跳ね返っていた。衝撃を人体が吸収していたら、その場でボールが勢いを失くして転がった筈だ。金枝は普段からヘマをするので、自分のヘマがどれくらいの被害なのか予想をするのが得意になっていた。

 しかし、それは間違いだった。確かに女子生徒は顔が少し赤くなった程度で大した怪我ではなかった。が、彼女は同学年のいわゆるヤンキーと付き合っていた。

「君、金村?」

「か、金枝ですけど」

「金枝ね。いいから。ちょっと来てよ、な?」

 放課後、いつものように帰ろうとした金枝の前を、カラフルな髪色の不良が塞ぐ。トラブルの気配を察知し、周りの生徒らは彼らを避けて歩いた。

「え、何ですか」

「いいからいいから」

 不穏な笑みを浮かべた彼らに半ば強引、引っ張られていく。下校の喧騒が遠くなる。自分が部室棟の裏の人気のないところへ連れて行かれていると金枝は気づいた。

「よう」

 校舎裏には、青筋を浮かべた男子生徒がいた。刈り上げられた茶髪に学ランの着こなしからやばい奴だとすぐ分かる。金枝よりは背が低い。だが、間髪入れずに金枝は殴られた。取り巻きに羽交い絞めにされ、それからはもう酷かった。主に蹴りが多く、金枝の白い制服は靴跡ですっかり汚れてしまった。

「おい、ゴミカス」

 地面に倒れた金枝に、茶髪の不良がぶっきらぼうに言った。

「きちんと慰謝料持ってこいよな。十万。明日持ってこなかったらナイフで腹をグッサグサだ。分かったな!」

 ガンガンする頭の中に、不良の言葉が入ってくる。

 金枝が起き上がると、既に誰もいなかった。金枝は泥と血で汚れた制服を手で払ったが、汚れは綺麗にならない。ふらつきながら夕暮れの学校を後にしたが、歩いている途中でまた頭痛に襲われた。視界の端に、急こう配の坂と、公園の入り口が見える。

 公園ならベンチがある。そこで休もうと金枝は思った。


 乾いたベンチに腰を下ろし、溜息をついた。水筒の水で泥についた手と顔を洗い流す。心と体が落ち着いてくると、金枝は段々と怒りが湧いてきた。その怒りは、自分を殴った数人に留まらず、今までの自分の人生全てに向いていた。

「何でこうなんだよ、チクショウ」

 水筒の水を顔に被った。大半の水が地面に落ちて、金枝の足元の土は黒っぽく色を変えている。ふと、顔をあげた金枝の視線の先。木々草花の狭間にこじんまりとした石の階段が見え、それが上へ続いている。地味な赤い色の鳥居。

「神社なんか、あったっけ」

 といっても規模は小さなもので、お参りする人間がいるかも怪しかった。

金枝は何かに取り憑かれたように、その石段を上り始めた。西日で周囲の色は茜色に染まっている。何かが起こりそうな気配がした。

「漫画だったら……」

 階段を上りきった金枝は、ぼそっと独り言を漏らす。漫画だったら、謎の祟り神のようなものと契約し、凄い力が得られるような展開が待っているだろうに。

 鳥居をくぐると、待っていたのは古い木で出来た祠だった。それでも一丁前に賽銭箱は置かれている。金枝は財布を取り出した。少し躊躇したが、えいとばかりに五円玉を放る。五円が惜しかったのではなく、神様に因縁を付けられそうな気がした。

 賽銭箱の乾いた木の音が聴こえた。

 ついでに紅白の鈴紐に触れ、揺らす。

 ガラガラガラ。見た目は錆びているのに、想像より良い鈴の音がした。金枝は二礼二拍手一礼を思い出した。さらに、本来なら鈴を鳴らした後にお金を入れなくてはいけないことまで思い出す。金枝は頭を掻き毟ると、えいと財布の口を下にした。ジャラジャラと主に二百円玉が主体の持ち金が消える。金枝は大きな体を二度折り曲げ、ぎこちなく二礼すると、分厚い手の平をパンパンと鳴らした。

願い事を心に唱える。

―神さま、俺をもっと強い人間にして下さい。馬鹿にされるのはイヤなんです。

 少し空白があって、金枝は目を開けた。

 別に何もなかった。

 そりゃそうだ、特効薬じゃないんだから。金枝は自分の単純さにニヤつきながら、一礼するのも忘れて帰りかけた。

「ん」

 何かを感じて振り返る。

「あっ」

目の前に光球が浮かんでいた。縁が虹色に光るそれは、ひゅっと金枝の眼に飛び込んできた。


「俺は一体――」

記憶喪失の人間が言いそうな陳腐な言葉が、金枝の口から衝いて出る。金枝が目を覚ますと、そこは公園のベンチだった。辺りはすっかり夜になっている。

 何があったのか思い出すのに金枝は手間取った。

 金枝は急に恐ろしくなり、学生鞄を掴んで走り出した。公園の中は真っ暗だったが、金枝には何故か周りがよく見えた。

 さすがに、服装や顔の打撲を親に心配されたが、金枝自身は別のことが心配だった。

自宅の洗面所で自分の左目を観察する。神社で光体が自分の左目に飛び込んだのを薄らと覚えていた。金枝はゆっくりと、左目をぐるぐる回した。

白目の縁で、何かがさっと動いた。ぎょっとして、慌てて目を見開く。

 何もない。気のせいだったのだろうか。金枝は一抹の不安を覚えながら、鏡から離れた。

その日は疲れていたのですんなり寝てしまった。


 翌朝。何か、奇妙な夢を見ていた気がするが、金枝は忘れてしまった。

そんなことより、何年振りだろう。目覚めが良かった。近頃は耳にしただけで吐き気がする、機械仕掛けのオレンジ状態の目覚まし時計のアラームも、今日は何故だか嫌悪しない。

 金枝の調子の良さは途切れることがなかった。学校もまるで修学旅行のような特別なイベント当日のように元気よく登校し、新鮮な気分で授業を受けた。頭はすっきりと冴え渡り、今ならどんな難問も答えられる気がした。嫌な奴に足を引っかけられても、金枝は「おっとっと」と弥次郎兵衛並みのバランス感覚で踏み止まり、逆に足をかけた奴の上履きを踏んづけた。「いてー!」と後ろで声があがる。

「ごめんよ」金枝は謝ったが、内心は何の感情もなかった。

 そんな調子だから、昨日あれだけ殴られた不良にまた放課後詰め寄られても、金枝はヘラヘラしていた。

「おい。金は持ってきたよな?」

「ああ。持ってきたよ」

 金枝は鞄を漁ると、朝にコンビニで買ったせんべえの袋を出した。ぽかんとしている不良の手に、せんべえを一枚ずつ載せる。

「これで許してくれよ」

「……は?」

「じゃあな」

 茶髪の不良が顔を真っ赤にし、思考がフリーズしている間に金枝はさっさと帰ってしまった。

 それ以来、学校で何度も不良らに付き纏われたが、金枝は上手いことそれを躱し続けた。勿論、そんなのは長くは続かなかった。

スポーツの秋。学年全体の球技大会があった。クラス毎にチームを作り、トーナメント戦で勝ち上がる。今年の球技はサッカーだ。男女は別で分けられ、男子がやっている間は女子が応援をしていた。

「金枝、頼むぞ」

 後半になり、金枝はゼッケンを頭から被った。コートに出ていくと女子から「金枝かよ、勝つ気あんのか!」とブーイングが起こる。

「はっ。見てろ」

 金枝は自信に満ち溢れていたし、周りの男子は金枝が以前と違うことは知っていた。

「調子乗んなよ金枝」エースストライカーの清水に釘をさされたが、金枝は軽く流した。相手チームを見ると、殺気立っている男子と目があった。例の茶髪の不良だ。金枝は気づいていないふりをした。

 ホイッスルが鳴ると同時に金枝は相手をごぼう抜きした。というより、体格の良さで突き飛ばした。相手チームが気圧される間に、ボールを叩き込む。

「はい、同点」

 金枝が陣地に戻ると、仲間から手荒い祝福を受けた。

「よっ、確変中!」

「金枝のクセに調子乗ってらあ」

 いつの間にかチーム方針は『金枝にボールを回せ』になっていた。作戦もあったものではなく、とにかく金枝にボールをパスし、金枝がファウル覚悟でゴールめがけて突っ込んでいく。相手がびびればそれで良かった。

「おりゃあ!」

 金枝がまた敵陣を駆け抜ける。一人、二人と相手を躱す。三人目は、あの不良だった。 

 がつん。二人は頭から衝突し、倒れた拍子に砂塵が舞った。

「こんのヤロウ!」

 起き上がった不良が、金枝にのしかかってくる。金枝も負けじと不良を蹴った。場が騒然とする。

「何やってんだ」

 周りが慌てて止めに入る。不良は二人がかりで、金枝は三人がかりで羽交い絞めにされた。

「落ち着けお前ら。今、サッカー中だぞ」

「一発殴らせろ! 一発殴らせろ!」

 不良が茶髪を揺らし叫ぶ。金枝はうんざりしながら、不良をじっと睨んだ。不良が、不意に大人しくなる。それに安心したのか、喧嘩を止めに入った生徒の手が緩んだ。

 それを不良は待っていた。するりと拘束から逃れると、右手をジャージのポケットに入れる。取り出したものがパチンと音を立てた。折り畳み式ナイフだった。刃は金枝に向いている。逃げようにも、三人の生徒に身動きを封じられ金枝は身動きが取れなかった。

 不良は勢いそのままに、金枝の腹めがけてナイフを突き刺した。

 筈だった。

 ナイフを持つ手が逸れた。刃は、金枝の左半身を押さえ付けていた生徒の腹に刺さっていた。

血がぱっと飛び散る。悲鳴。不良は血走った眼で、今度はナイフを自分の腹に突き刺した。

「えっ?」

 不良は目を白黒させて、その場に蹲る。金枝は茫然としながら、返り血を浴びた。

 悲鳴がまた大きくなる。あちこちで、火の手があがっていた。何もない宙から火炎が弾け、火の玉になってグラウンドに落ちる。火の粉を浴びた観戦中の女子生徒が、わーわー言いながら逃げ惑う。炎が空気を焼き、酷く熱い。どこからか「離人症だ」という声が聞こえた。火の玉の一つが球技大会運営の仮設テントの上に落ち、騒ぎが更に大きくなる。金枝は辺りを見回した。一人、ひと際大きな声で泣いている生徒がいた。金枝がこないだ、サッカーボールをぶち当てたあの女子だ。彼女は顔を赤く腫らしながら泣き叫んでいたが、ひっくと嗚咽を漏らす度、グラウンドの何処かで火球が発生している。

「あいつだ」

 直感を信じることにした。金枝は傍に転がっていたボールを掴むと、思いきり蹴り上げた。サッカーボールは綺麗な軌道を描き、女子の顔面を殴打した。ボスッ、と鈍い音。ボールはころころと転がった。それからはもう、グラウンドに新しい火球が湧くことはなかった。

 薄気味悪いサイレンの音が四方八方から聞こえ始めた。離人症対策庁の護送車特有の不気味なサイレンが近づき、やがて、グラウンドに流線形の蒼いボックスカーが滑り込んできた。中から全身パワードスーツで覆われた機動部隊の隊員が機敏に降り立つ。片手には電気拳銃が握られていた。

―遅いじゃないですか。離人症持ち? ああ、それなら俺が鎮圧しておきましたよ。

 そんなやり取りをする妄想が金枝の脳裏で再生される。しかし、金枝に近づいた隊員は躊躇なく拳銃を構えた。

「地面に伏せなさい! 早くしろ!」

 フルフェイスヘルメットから発せられる、スピーカーを通した男の声色は優しさの欠片もなかった。金枝は乾いた唇を小さく舐めると、ゆっくりと、隊員の言う通り体を地面に傾けた。


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