執事が巨大ロボに搭乗して侵略者と戦ってるけど自分の身が可愛いから逃げる
始まった機械の反乱。正確にいえば、高度な人工知能を搭載した機械の暴走だが、加えて慢性化するゾンビの発生やスペースデブリによる物理的被害、各地の超異常気象。あらゆる災厄が重なった日本列島は今、終末と呼ぶに相応しい未曾有の土地と化している。
威子口はすぐさま人工知能搭載の機械使用中止を日本政府に要請。政府はこれを了承した為、高度な演算能力を持ったコンピュータや対ゾンビ用に開発された汚染浄化戦闘車など人工知能が組み込まれたありとあらゆる機械は使用不能となり、日本国家は危機的な終末現象に直面しながらも旧時代の機械による対応を余儀なくされていた。
世の中が狂い始めて一週間。時刻は十七時の手前。六本木を覆った白霧は、夕日の茜色と融合し幻惑的な黄橙色に色合いを変えた。ブラインドの隙間から差し込む特殊な黄昏の灯を肩に浴びながら、金枝は独りテレビを見つめている。場所は人っ子一人いない会議室。傍には敷布団。家事用アンドロイドにより四十四階の住居が破壊されてしまい、観返り教徒による暗殺の危険も考慮して寝床の変更を余儀なくされていた。
「日本は平和だなぁ。こんな時でも着ぐるみが天気予報やってるよ」
正確には『お天気お姉さん』なる謎の存在がマスコットを従え、ヘンテコなステッキを手に持ち、日本独自に発達した天気予報をやっている。
――平和かどうか、外の様子を見ても言えるか?
金枝は立ち上がると、こっそりとブラインドから威子口タワーの外を見た。
橙色の夕陽光に焙られ、その日の霧はいつになく透き通り、全体は朱く輝いている。その為、金枝のいる三階からでもた大勢の観返り教徒の薄影が佇んでいるのが判った。その光景は不気味というほかなく、彼らは、幾ら警備員、あるいは警察が追い払っても翌日にはタワーの周りに戻ってきた。それどころか、日に日に数が増えている。威子口家の終末現象への対応に不満の募っていた人々が、抗議の名目で威子口タワー前に集まるようになっていた。彼らの多くは終末現象というより経済の機能停止に怒っていた。この一週間、あらゆる株価の下落に歯止めが利かないので経団連までもがイシグチグループに苦言を呈する始末だった。株式市場は一定まで下がると強制停止される仕様になっており一気に暴落することはないが、市場が開かれては強制停止、日付が変わってはまた停止を繰り返している状況だった。そもそも命の危険があり仕事どころではないというのに、片手に拡声器、もう片方に缶ビールを持ってわざわざ文句を吐きにきた熱心なサラリーマンの姿も外にあった。皆で集まり一緒に騒ぎたいだけの若者も大勢いた。本来そういった若者は渋谷に集まるのだが、渋谷の街があった場所は黒く焼け焦げ、未だ黒煙が燻っていた。
「ある意味、呑気だよな。なあ、ホルス」
――皆、終末に慣れて、動じられない体になっている。しかし、それがヒトというものだ。美糸クン、君だってアポカリプティックサウンドを怖がらないじゃないか。
六本木の日暮れ空には丁度、夕焼け小焼けの五時のメロディに混じり細い金属パイプを風がすり抜けるような終末特有の奇幻な音が鳴り響いている。
「そりゃ、子供の頃から聞いてる音だし? どうってことないね」
天気予報の画面が突如切り替わり、慌ただしいスタジオ内の様子が映った。老年のアナウンサーが正面に浮いたホログラム原稿を読み上げる。
「えー、たった今入ったニュースです。お台場に未知の機械が出現しました。鋼の巨体によって、付近の建物が破壊されたとのことです。台場付近の皆さんは落ち着いて、安全な場所に避難して下さい。それでは、現場と中継です。宇佐見さん?」
土気色になった若い男性アナウンサーが震える手でマイクを握る映像に切り替わる。
「こちら、お台場の宇佐見です!」
「現場はどういう状況ですか」
「……何もっ。何もありません!」
アナウンサーの恐怖はスタジオには伝わらなかった。台場周辺は濃霧に包まれ、怪物の姿も被害の状況も何一つ分からなかった。ただ、遠くの方から、ドーン、ドーン、という鈍い爆裂音が聴こえてアナウンサーの声を掻き消している。
「宇佐見アナ、もう少し詳しく教えていただけますか」
「はい!」
アナウンサーは声を張り上げた。
「えー、私もはっきりと全貌は見えていません! ただ、酷く大きな音! 最初は強い地震かと思いましたが、そうではなく。建物が潰れていくような悍ましい音が何分間も続いていましてっ。地形観測ボールを付近に放ったところ、多数の建物が倒壊している模様です!」
宇佐見アナの横から「ドローンの映像繋げてっ」というカメラマンらしき地味な声。次いで、再び画面が切り替わり、今度は白霧の中を漂う小型ドローンの映像が再生された。
――なんだ、これは。
黄金色の霧の中、ドローンが収音したのは身も凍る電動刃の凶音。刃のついた巨大な歯車が、高速で地上にある様々なものを巻き込み、引き裂き、砕きながら強引に回転する音が幾重にも重なり、台場の湾岸一帯に轟いた。また、何百トンもある船が激しく地面に叩きつけられるような重低音も、定期的に大気と地面を震わせた。おそらく、その巨大な怪物は、周辺のものを巨大な鉄板のようなもので物理的に叩き潰しながら、刃で轢き裂きつつ、ゆっくりと進んでいるであろうことが狂暴な音だけで理解された。ドローンが更に近づくと、鈍く輝く灰色のメタルな装甲が窺えたが、あまりの巨大さに全貌は不明瞭。ただ、送られてくる映像から何となく察せられるのは、それが百メートル超の、ヒトには到底製造不可能な殺戮マシンであるということだけだった。
金枝はソラからの呼び出しを受け、特殊災害対策会議室に足を運んだ。重々しい会議室の空気を、金枝は元気よく破く。
「こんちはっ。怪獣が出たらしいですね」
金枝は冷たい視線に怯むことなくホワイトボードの真ん前の席に座った。報告をしていた見るからに偉そうな国防軍の長官がゴホンと咳払いする。
「報告では、正体不明の鋼のデカブツはレインボーブリッジを破壊し、田町へ上陸した模様。このまま北西へ直進するルートを取ると思われ、ルート上の住民には最上級の避難勧告をしていますが、この濃霧も相まって混乱が予想されます」
会議室が異様にざわついた。
「なあ、レインボーブリッジくらい良いじゃない。老朽化で問題になってる橋なんか」
金枝の呑気な発言に、隣りにいたソラが脇を小突いた。長官が口髭を撫でながら渋い顔で言う。
「このままデカブツが直進するとなると、この威子口タワー三棟と衝突する。そうなれば、映画のゴジラに出てくる東京タワーのように真っ二つに折られてしまう。だから皆、慌てている」
「あ、そうなんですね。俺、東京の地理には疎いもんで。へへへ」
――馬鹿者。
ホルスにまで注意され、金枝は不機嫌そうに腕を組んだ。
「しかし、このタワーにはグレースと同じ防衛機能が付いています。そう簡単に壊されるとは――」
眼鏡のオールバックの仕事の出来そうな女性の発言に、涼しい顔をしてソラが言葉を被せた。
「いいえ、壊されます。グレースは既に型落ちですから」
ソラの歯に衣着せぬ言葉に息を飲む声があちこちで挙がった。しんと静まった会議室でソラが滔々と話を続ける。
「鋼の怪獣は宙の羊飼いが寄越した刺客と予想されます。彼等のバックには厄介な異星人がいます。遠方でグレースを張った惑星が落とされているのは、その異星人の軍事技術が絡んでいるというのが威子口家の意見です。鋼の怪獣にも、グレースを破る何らかの手段が備わっていると考えた方が良いでしょう」
「で、では、我々も避難するべきでは……」
「どうぞ」
そう言ってソラは会議室の出口を手で示す。会議室の面々は最初こそ躊躇していたものの、様々な理由をつけて会議室を去っていった。
後には威子口の警備をする黒服二人とソラと金枝だけになった。
「ソラ。俺達も避難するんじゃないのか?」
「金枝君。君は男の子だろ。巨大ロボバトルを見たくないか? 特等席で」
ソラは悪戯に白い歯を零した。
避難を促すサイレンが全フロアに鳴り響く中、二人を乗せたエレベーターは全てに逆行し、威子口タワーの最上階、展望台でウィンと軽やかに透明な口を開けた。
――北形雅も護衛もいないが、いいのか?
ホルスの指摘を金枝が代弁すると、ソラはふっと目を細めた。
「金枝君は、護ってくれないの?」
「ま、護るとも」
「なんて冗談は置いといて。黒服達は既に避難させた。私の我儘に付き合わせるのは可哀想だからね」
俺だって可哀想だ、と金枝は思った。
半屋内の展望台は、冷たい風が身体をすり抜け、冬場はとても肌寒くなるが、その代わり都内を一望できる抜群の見晴らしという取り柄がある。が、関東一帯に停滞する夕霧に呑まれた現在は、東京タワーとスカイツリーの判別も叶わなかった。しかも赤金色の霧の粒子まで震える、万物の潰えていくような低く重たい音が丁度、六本木を襲っている。金枝が湿った手すりを握ると、微かに振動まで伝わった。金枝はあえて音には触れず、尋ねた。
「ところでソラ。気になってたんだけど、それ何」
「ああ、これ?」
ソラは今気づいたように、エレベーターに乗る直前から胸元でずっと抱えていたジュラルミンケースを床に下ろすと、ブーツのつま先で蓋を蹴った。ケースはワニのようにパカリと上下に口を開けた。
中に仕舞われていたのは二台の、碧色をした精巧な機具だった。
「暗視ゴーグルか?」見た目で安直に金枝が訊いた。
「霧視のゴーグル。濃霧でも遠くまで見通しが利く特注品だ」
ソラは積極的にゴーグルを装着して金枝に見せた。パチリと音がして頭部にベルトが巻き付く。いくら威子口空が容姿端麗な女子高生であろうと、それを付けた途端に怪しげな科学オタクのそれに成り下がってしまった。
「ほら。何のために二台あると思った? 金枝君、早く」
ソラにどやされ、金枝は言われた通りにした。紺碧色のレンズ越しに見れば霧はすっかり濾され、東京の街は以前と変わらず平気な顔をして、そこに、無かった。
田町方面を仰ぐと、いつもの虹色でもなんでもない灰白色の橋は既に崩落し、海に沈んでしまっている。そして。
金枝の視界が止まった。
周りのビルよりも高く聳える巨大な怪獣が一体、あった。下半身は武骨なアイロン、上半身は西洋の処刑人のよう。見るからに頑丈な鋼の巨躯が日常を轢き潰しながら、ギシギシと、緩やかな速度で往く。回転刃のついた歯車を下部の地面との接地部に幾つも備え、それらは全てのモノを巻き込み、轢き刻んでいた。両腕は厚い鉄板のようになっていて、交互に街へ叩きつけている。それは文字通り、東都を潰し、平たくしていた。ひっきりなしに轟く重低音の正体は、破壊行為の副産物だった。頭部は甲冑のような形で、鋼鉄の仮面の暗がりから鮮やかな紅のモノアイが無機質に覗いている。
「地獄で生産された重機はこんな感じなんだろうな」
ソラは興奮した声で言う。
「ソラ。俺はもう避難するわ」
及び腰の金枝をソラは手で引き止めると、白シャツの胸元の無線機に呼び掛けた。
「北形。『ムゲン』を起動させろ」
そう言ってソラは、もぬけの殻の国立競技場跡地を弧を描くように指差した。すると、競技場からふっと伸び上がるように光の粒子が飛散し、それらは舞い、人の形に集合を始めた。
「旧遺物のナノマシン技術を用いて、本来は人型の超大型ロボットにする予定だったんだ」
ソラは濃霧を引き裂き形成されつつある光の巨人を見つめながら言う。
「しかし予算は膨れに膨れ、開発期間は一世紀を要した。曾々御爺様の代から三度の中止を経て完成した日本防衛の機人は、各人の夢を詰め込んだ結果ごてっとしてスリムではなくなったが、機能は保証する。史上最強だ」
出現したそれは、人型と呼ぶには少し難があった。全長は百メートル弱。体は主に七色をしており、細い足の先からは三本の爪が突き出している。一応二足歩行をするが雷のように脚は曲がっており、ジャンプしても衝撃を吸収する仕組みになっている。上半身と下半身を接続する三本の臍の緒のようなバネは背骨の役目を果たした。また、バネの周りには炎と波と光が常時対流し、血肉の代わりを務めていた。胸には翼のようなV字の眩い光の盾と、その周りに二つの小振りの派手な盾が浮かぶ。両腕はなく、代わりに機人の右腕位置には氷と炎の二種の形質を兼ね合わせた巨大剣が刀身剥き出しで浮遊し、左腕位置には氷山のような棘を生やした赤紫色の頭に黒紫色の太首を持つ目玉の無い竜が鎌首をもたげ、口からバチバチと漏電を起こしていた。そんな仰々しい体躯の割に顔は簡素で、つるりとした兜から丸い黒目が覗き、口元は野暮ったいマスクで覆われていた。
「ムゲンは、全身武器なんだ」
ソラは威子口製の巨大ロボットを嬉しそうに紹介した。
「全ての機能を話すと本当に一時間かかる。最大の武器は右手の剣でも左手の蛇でもなく、背中から生える虹色の大砲、その名も『プロビデンス・カノン』。見える? あれに撃ち抜かれれば、小さな衛星程度は木っ端微塵で――」
「んなことはどうでもよくないか」金枝は大げさに手を広げた。
「早く避難しようって、ソラ。こんな所で死んだら、洒落にならない。あの鋼の怪獣、こっちに来てるじゃねえか」
――それは私も同感だ。
「ほら、ホルスも言ってるぜ。早く非難しようって」
逸る金枝は独りでエレベーターの下ボタンを押した。それとは対照的にソラはその場で腰に手を当て、仁王立ちになっている。
「まあ待て。さっきイシグチグループの社員全員に建物外へ避難するようアナウンスを流したから、どうせ今は下も混雑しているし、ここで時間を潰すしかないぞ?」
実際、エレベーターはどれも来そうな気配がない。非常階段で降りるには時間がかかりすぎる。金枝は不承不承待つことにした。
「ソラ、あのムゲンとかいうロボット、人工知能は入ってないのか? もし暴走でもしたら……」
「ああ。機械の暴走防止の為に、コアを取っ払ってしまった。代わりに北形がコアとなってムゲンを操作しているんだ」
金枝は少し同情的な目でムゲンを見た。光るナノマシンの集合体だったそれは今、完全なる一つのものとして東京の空を飛行し、鋼の怪獣の正面に降り立つ。鋼の怪物は相変わらず破壊活動に勤しんでいる。ムゲンは左腕代わりの紫の蛇を鋼の怪獣の右肩に咬ませた。
バリッ、バリッ。電撃で大気が裂ける音と共に、レモン色の稲妻が夕空を駆け巡る。鋼の怪獣は癪に障ったのか、鋼鉄のアームをムゲンに振り下ろした。ムゲンの体を周遊していた盾が防御し、激しく火花が散った。衝撃で二つが仰け反る中、ムゲンは炎と氷結の大剣を鋼の怪獣の脳天に叩きつけた。
東京の街をつんざく金属の悲鳴。鋼の怪獣は半身が熱で朱く輝きながら、もう半身はカチコチに凍り付いて、その周囲の大気は冷え、雹になり田町の街へと降り注いだ。
「見ろ、モノアイが明滅している」
にこにこしながら観戦するソラだったが、鉄の怪獣は蒸気を噴き出し熱を吐くと、凍り付いた鉄腕を振り上げムゲンを突き飛ばした。
「ああ、そんな。北形、何してる。虹の大砲を使ってやっつけてしまえ」
「ソラ」
「今いいところ」
「ソラ、見ろよ」
金枝はソラの頭のゴーグルを掴むと、半ば強引に左側へ顔を向ける。
「何が――」
ソラは小さく口を開け、そして閉口した。
新橋駅の方角に、百二十メートルはある人型の何かが立っていた。手足の長い、白いロングドレスの女性のようで、しかしその上半身は何十何百体もの大きな西洋フランス人形の首や胴体を寄せ集め、凝固し、形成されていた。恨めしげな金髪碧眼の人形らの怨念が全身に沸々と籠もっているような、決して生物とも機械とも呼べぬ、気味が悪い、呪いの具現化であり、戦慄すべき何か。
それはけたたましく甲高い笑い声を上げ、小刻みなテレポート移動で威子口タワーに近づいてくる。
「北形、新手だ。私を護れ」
ソラの声に反応しムゲンはびゅっと飛行した。寸でのところで人形尽くしの怪獣の行く手を阻んだが、とうとう、威子口タワーのすぐ傍で戦闘が始まってしまった。
「ソラ!」
「逃げよう」
二人は展望台を去り、エレベーターの前に立つ。硝子越しに、人形塗れの化け物とムゲンが容赦のない殺戮を繰り広げている。金枝は堪らず透明なエレベーターの下を覗いたが、匣は遥か下にあった。やきもきしながら待つ間、二人は気づいた。南東の上空から回転しながら飛来する、ヒトデ型の物体に気づいてしまった。
「ムゲンは? このままだと……」
威子口ご自慢の機人は人形怪獣の白く長い手に絡まれ、身動きを封じられている。あっという間にヒトデの怪獣は威子口タワーに接近したが、不意にピタリと移動を止めて空中で静止した。
「グレースの防衛機能だ。通じると良いが」
ソラは不安げな口調で呟く。全長八十メートル弱のヒトデは赤紫色をしていて、中央には蒼いコアがあった。サメのエラのような部位がたくさん有り、身体の半分は皮膚が剥がれ内部の骨のような器官が見え隠れしている。ヒトデはブルッと震えると、蒼いコアからマリンブルー色の光をドロドロと漏らし始めた。金枝とソラは咄嗟に耳を覆った。甲高い音が鼓膜を突き刺す。
「何だこの音ッ!?」金枝が顔を歪め叫んだ。
「多分、グレースが割れる音っ」
ソラは苦いお茶を飲み下したような顔で返した。
ぱっと、二人は耳が楽になる。それはまるで、耳に入っていた水が抜けたような感覚だった。金枝は安堵の表情で耳から手を離したが、反対にソラは顔色を失った。タワーのバリアが機能不全を起こし、威子口タワーが丸裸にされたことを暗に告げるものだとソラは悟った。
ヒトデの怪獣は光を吐くのを止め、とうとうタワーの目と鼻の先まで接敵すると、ビタンと五本の太い腕を外壁に回し、ぎゅっと抱きついた。タワーの丁度真ん中辺りにひっついた、ヒトデ怪獣。ソラと金枝は不安そうに視線を交わした。
まず、硝子が一斉に割れた。次いでタワーそのものがミシ、ミシと軋む。金枝は吐き気がした。自分達のいる棟だけでなく、威子口タワー三棟が同時に拉げ、歪んでいく。今、威子口タワーは三棟ともヒトデの腕で抱き寄せられて、真ん中辺りでくびれ、歪にされていた。
バキバキと階下のフロアが潰れていく。床が傾き始めた。
――これは駄目だな。美糸君、短い間だが楽しかったぞ。
蒼ざめたまま金枝は動かなくなった。
「金枝君、もうエレベーターは来そうにない。展望台へ行こう」
ソラは金枝の腕に爪を立て、強引に展望台へ向かわせた。
「どうする気だよ、ソラ。非常階段で逃げようにも、こんな傾いて」
そう言っている間にも、威子口タワーはガタン、と、何か基盤のようなものがズレた。とうとう、大海原を行く遊覧船に揺られているような平衡感覚の異常を二人は感じて、生きた心地がしなかった。
「北形、聞こえる?」
ソラが胸元の無線に鋭く声を吹き込んだ。
「盾を一つ、裏返した状態で屋上に向かわせて。それに乗るから、安全な場所へ運んで、すぐッ」
ムゲンはぴくりと身震いをした。西洋人形の金髪から盾の一つを引き剥がし、念で屋上へ飛ばす。それは、窪みを夜空に向けながら、タワーに接触しないよう屋上に姿を見せた。
「金枝君、あれ。飛び乗れる?」
崩落寸前の屋上でソラは訊いた。盾はビルから八十センチほど斜め下方向に離れ浮遊している。金枝はバランスを取りながら、余裕のない顔でかくりと頷いた。
「いくよ、せーのっ」
二人は飛んだ。展望台の手すりを蹴り、青白い夜霧の只中へ真っ逆さまに落ちていく。それは二秒にも満たない滞空時間だったが、金枝には全てがスローモーションにようにゆっくりと感じられた。
「……あははは。はは、あはっ」
ぺたりと盾の底でアヒル座りの姿勢のまま、ソラは過呼吸気味に笑っている。
――美糸君、君も笑ったらどうだ。助かったようだぞ。
と、ホルス。金枝は「冗談じゃねえ」と弱音を吐きながら、両手と奥歯ををかたかたと震わせた。程なくして、ゴオオオと尋常ならざる崩落の気配がして、威子口のシンボルは地に墜ちた。ホルスが安全を考慮し金枝の恐怖の感情を一切緩和しなかったので、金枝は外の景色を見るどころか飛行する盾の縁から指一本すら出せず、地上へ着くまではずっと体を小さく、ソラと身を寄せあい、盾の底で子鼠のように縮こまっているだけだった。
盾から這い出た金枝は、地面のありがたみを両膝と心で噛み締めた。ソラが軽やかに降り立ったところで盾は薄ら寒く青白い夜霧の中へと消えた。石畳の大通りに人影はまばらで、乗り捨てられたロードバイクが二台、通りの端に転がっていた。
「ここどこ。安全なんだ?」金枝は碧色のゴーグルで辺りを見回す。
「表参道だけど」
「へえ。それって、どこだ」
「六本木から表参道まで、タクシーで九百円くらいで行ける」
「じゃあ、全然危険じゃねえか。戦闘中の音が普通に聞こえるもんな」
「いいから来てよ」
ソラは金枝の腕を取ると、つかつかと洒落た石畳の通りを横切って、蔦の絡まるアパートメントビルの前で足を止めた。一階は赤と黒のモダンなオープンカフェが入っていて、ビーチパラソルで使われるような素材のぺたっとしたグリーンの布が庇代わりに張られていた。外に出しっぱなしの丸テーブルや椅子は、まとめて裏返しにされていた。
ソラは『CLOSE』の板が掛けられたドアに手際よく銀の鍵を差しこみ手首を捻った。
「ここはうちの直営で地下に核シェルターがある。最寄りの避難先としては最適だ」
「もっと遠くに逃げればいいのに。ブラジルとか」
「ダメだ、私は宙の羊飼いと契約を交わしてる。地球から逃亡する船を見逃してもらう代わりに、私は東京を離れない約束。前に少し話したろ」
店内は真っ暗で人気はない。少なくとも二、三日は閉店無人なのが空気の澱みや冷め切った室温から感じられた。入り口のドアを再び施錠し、ゴーグルを暗視モードに切り替える。
店内に入ると、部屋中央の客席テーブルが真っ二つに砕けていた。白い天井を見上げると、木板が裂けラグビーボール大の穴が開いている。
「スペースデブリが落下したんだな」
貫かれたアパートメントビルから覗く、霧に包まれた夜空を二人は仰ぎ見た。
店の奥で、湿気た地下階段を見つけた。壁の電気のスイッチを入れると、点在する裸電球にぽっと小さな明かりが灯る。二人は頭を締め上げていたゴーグルを取っ払うと、裸眼で階段を下りていく。低い天井から垂れ下がる裸電球に、顔をぶつけないよう金枝は何度も左右に避ける必要があった。先頭を歩くソラは手すりに白い指を滑らせながら淡々と地下まで到達した。
正面には三メートル弱の冷たく大きな固い鉄鋼扉があった。中央の蒼く濡れたモニターにソラは瞳を覗かせ、虹彩認証をこなす。次に、白銀球の出っ張りをつまんで、すーっと引くと、細長い引き出しを露わにした。引き出しの底には玉虫色の液体が薄膜を張っており、ソラは右手を平行にして液体に四つ指を漬した。
「何だよそれ」
「遺伝子試験液。国から『良』として登録されている人物の遺伝子を検知し、ヒットすると――」
ピポポと天井の緑色のランプが点灯し、次いでガタンと金属的な物音がして核シェルターの扉がゆっくりと開かれた。金枝はニヒルに口元を歪めた。
「なるほどな。上級国民様だけが核シェルターに入れるようになってて、当然威子口は入れると。なんか、性格が悪い機能だな。核シェルターまで選民かよ」
「じゃあ君は、入らなくていいのか?」
「……何言ってんだよソラ。俺なんてもう上の上、特上国民じゃん。ってことで、お先」
金枝は闊歩しながらシェルターの中へ入っていく。ソラも後に続いた。
「なあ。君の居場所は、誰か知ってんの?」
振り返りながら金枝が訊いた。ソラが澄ました声で返す。
「北形と、君。それと羊飼い」ソラは左手に嵌めた異星人の装置を軽く振った。
「シェルター内に外部との通信機器があるから、それで政府とイシグチグループと、直属部隊のサイレントにも安否を報せるつもりだ」
「ふーん」
核シェルターというと、ビジネスホテルの一番安い宿泊部屋のように、狭くて不自由な空間を金枝は思い描いていた。シングルサイズのベッドを、威子口空と二人で分け合って質の悪い睡眠を貪り、食物は賞味期限が切れかけた不味い乾パンばかりをちびちびと齧って、数少ない業務用常温二リットルペットボトルで喉の渇きを凌ぐ、そんなひもじい生活をこれから送るんだ。
しかし、その予想は外れた。
部屋の中央の床にあった、潜水艦ハッチを改良したバルブ。それを回し、鉄蓋をぱかりと開けると、ぶらんぶらんと垂れる鎖の梯子。それを伝って階下に降りるなり、金枝は目を丸くした。
「うわっ、広ぇ」
金枝の目の前には南国ホテルのロビーのような空間が広がっていた。トロピカル感溢れるソファが贅沢に配備され、亜熱帯の観葉植物が元気いっぱいに花を咲かせている。バーカウンターの戸棚にはたくさんの酒とグラスが仕舞われていた。
「驚いた?」
金枝の真後ろにすたっとソラが着地すると、金枝の背中を軽く押しながら言う。
「定員は二十名。核の爆風、放射能汚染、地震、水害、化学兵器による汚染等、あらゆる状況に対応している。地下は六階まであって、二年分の水と食糧が備蓄されてる。キッチンにガスに水道、遊技場に温泉、ミニシアター、図書室にフィットネスジムまであるぞ。ジムのトレーニング器具と発電機は繋がっていて、外に頼らず電力供給もいけるのだ。どう、快適だろ」
「快適だとも」
バーカウンターから禿げた、五十代くらいの男がひょっこりと現れた。高級な白いスーツにいかつい革靴。首から両手の指まで金ぴかの装飾品を身につけ、いかにも強欲な見た目をしていた。その横には白装束を着た若い女性らが連れ添っていた。ソファの蔭からわらわらと屈強な体格の男らが現れ、金枝とソラを遠めに囲んだ。




