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婚約した彼女が暗殺されそうだし機械の反乱が起こる

金枝は、リムジンの後部座席で頬杖をつき、ホルスのことを考えていた。

 金枝は約束通り、ヴシャペトレの精神体を殺害した。

『それ』は頭の口からサーベルを抜き、金枝に「これで刺せ」と手渡していた。『それ』は、自身の体内で回遊する十字型の心臓を両手の指で皮膚から絞り出すように示した。それを、金枝は突いたのだ。

『それ』が白い泡となって溶けたのを見届けた後、金枝はホルスのことを揺すった。ホルスは目を覚ますことはなく、そもそも生きているかどうか分からなかった。

なので金枝は諦めた。

金枝の家の前でリムジンが停車する。運転席の北形は溜息をつくと、「何で私が」とブツブツ文句を言っている。

金枝はぎこちなく車を降りた。朝に拉致され、拷問に遭い、東京の病院で前歯を補完し両足の爪の再生治療を終えてからの帰宅。既に陽が傾いて、辺りは暗くなっている。

「待て」

 鞄から鍵を取り出す金枝は、振り向いた。北形が音もなく背後に控えていた。

「金枝。お前の家の住人は何人だ?」

「何でそんなこと聞くの」

「何人かと訊いている」

「俺と両親と姉」

 北形は息を吐くと、片腕で金枝をどかし、ドアノブに手を掛けた。

 カチャリ。

 開いたドアの隙間から黒い手が伸びる。北形はあっという間に家の中へ引き込まれた。激しく揉み合う音。そして、寂寥。金枝が呆気に取られていると、再びドアが開いた。

「金枝、車に戻って鍵を閉めてろ」

 北形は厳しい表情で言った。真っ暗な玄関には、見知らぬ男がぐったりと伸びている。手には刃先を折られたナイフがあって、柄ごとテープでグルグル固定されていた。

「何なんだよ、それ」

「今から確かめる。車内にいろ」

 北形はバタンとドアを閉めた。


「遅いなァ」

 金枝は腕時計を見た。既に五分経っているが、何かが動く様子もない。次第に金枝は腹が立ってきた。何故、自分の家の前で待たされているのか。

 北形の言葉を無下にして金枝は帰宅した。薄暗い家の中には、見知らぬ大人が何人も転がっている。気絶しているだけの者もいれば、瀕死の者もいた。金枝は己の首元を手で擦った。自分の家なのに、息が詰まる。棚の上にいつもあった家族の写真立てが、床に落ちて割れていた。まだ夕方なのに雨戸が閉まり、家の電気は消えている。そして、咽返るような亜鉛の臭い。それが金枝の鼻の奥を突いた。子供の頃、雨上がりの日の学校の鉄棒で顎をぶつけた時の赤錆びた鉄の臭いが金枝の脳裏で蘇り、弾けた。

「北形……?」

「金枝、来るなと言っただろ」

 不意にぬめりとした床で足を取られ、金枝は転倒した。右手にべったりとまとわりつく、常温の黒い液体。顔を上げた金枝は見てしまった。朝まで生きていた自分の家族が、椅子に縛られている。誰が誰かは体型で分かった。挽肉から見える白い骨。三人とも顔はザクロのように潰れて形を保っていない。ハンマーか何かで嫌という程叩かれたのか、三人の血痕でダイニングは血の海と化し、天井まで跳ね返っている。激しく飛沫した赤い雫は粘度が高く、垂れそうで垂れずにそのまま天井で留まっていた。

「舌を切られ、鈍器で殴られたらしい。金枝、残念ながらご家族は……」

「……見りゃ、分かる」

 血を吸った靴下で立ち上がり、唇を濡らすと、金枝は無表情で言った。

何か、違和感があった。それが何なのか喉奥まで出かかっていたが、頭にロックがかかったように身体が認知を拒んだ。

金枝がぼーっとしていると、

「大丈夫か。金枝、襲ってきた輩の胸ポケットに、これがあった」

 北形が見せたのは観返教のシンボルマーク『スキンヘッド頭』の描かれた特徴的なピンバッジだった。

「何で、観返教が……」

 金枝は口を噤んだ。小間口伊穂の顔がふっと浮かんで消えた。

「自分の娘が船に乗って爆死した事への復讐か……? 俺が、ソラの婚約者っていう理由だけで」

 金枝は苦い唾を飲み込んだ。

「そんなの、ソラにやればいいじゃんか」

 北形は突然金枝の手首を掴むと、足早に歩きだした。

「おい、なんだよ」

「お前の言う通りだ。お嬢様が危ない」


 リムジンの中で北形はテレビを点けた。速報という白いテロップ、『威子口邸で火災』という文字。アニメから番組が切り替わり、マスコミのドローンヘリの中継が映った。大火で激しく燃え盛る威子口邸。それを何機ものドローンが真上から撮影していた。

「クソッ! 私は何やってんだ!」

 ブツブツと北形は恨み言を言いながらリムジンのアクセルを踏んだ。金枝の体が重力で背もたれに押し付けられた。

「危ねぇ。おい、どうすんだよ?」

「威子口邸に行く」

「いや。この燃え具合じゃ、中にいてもアレだろ」

「なんだと?」

 車内の空気が険悪になりかけた時、助手席に無造作に置かれた北形の携帯端末がブルブルとバイブした。


 港区六本木にあるイシグチグループ本社ビル。通称イシグチタワーは天空に居を構えるように、東京タワーより僅かに低く都内を見下ろしていた。連峰三棟で形成されたそのタワーの内、中央棟地下のだだっ広い駐車場で威子口家のリムジンが停まった。

「家に行くのはやめたのか?」

 バタン。湿気た暗曇色の空間にドアの閉まる鈍音が反響する。

「知らん。本社から緊急連絡が入った」

 北形は素っ気ない調子で歩いていくと、カードキーをパネルに翳し、エレベーターを呼んだ。

 到着した赤色の鉄匣に乗り込む。北形は今度はエレベーター内部の機械の凹凸にキーを咬ませ、四十四階のボタンを押した。


 チン、快活な音と共にドアが開いた。高級ホテルの廊下のような場所に金枝らは出る。北形は通路奥のドアの呼び鈴を鳴らした。

「どうぞ」

 若い女性の声と共にドアのロックが解除される。

 ドアを開いた先には開放的な居住空間が広がっていた。

入ってすぐ右手には日中陽射しに困らない、今は真っ暗なベランダがあって、熱帯の観葉植物が元気よく葉を広げている。床はひんやりとした堅い白黒の大理石。リビングとダイニングは分かれておらず、併せて五十畳はあった。玄関から横に長いリビングにはミルク色の高級ロングソファ。壁には最新鋭のバーチャルテレビが貼られている。リビングから十一時の方向には廊下が続き、そこから寝室とボイラー室に行ける作りになっている。三つある寝室にはどれも曇りガラスの浴槽付きシャワールームを有し、そして当然のように皺一つない清潔なキングサイズベッドが備わっていた。にも拘わらず、側転が悠々と出来てしまう空間の余裕まであった。ダイニングには古風な木のテーブルが置かれ、カウンターの角を曲がると冷蔵庫やシンク、食器棚等が見て取れた。三人や四人家族ではちょっと広すぎる、そんな生活空間がそこにはあた。+

 インターホンの傍にいた若いメイドがペコリとお辞儀する。

「金枝様、北形様。どうぞこちらへ」

二人がスリッパを引っかけて歩いていくと、一番奥のモダンな寝室に通された。大の字でも手足のはみ出ないベッドの白いシーツ上には、ごろんと寝転んで経済学の本に浸る威子口空の姿があった。

「ああ、お嬢様。ほっとしました」

 北形は嬉しそうな声をあげたが、すぐに声色を変えて頭を下げる。

「申し訳ありません。このような大事に、何のお役にも立てず……」

 ソラはぱたりと本を閉じると、ベッドから緩やかに下りた。いつも結っている黒髪を自由にさせ、バスローブを纏い、肌はいつも以上に白く透き通っている。

 金枝は渋い顔をした。

「風呂上りかよ。放火されたのに、ずいぶん呑気なもんだな」

 しかめっ面の金枝と、平静の落ち着いた様子のソラが対峙する。

「なあ。俺の家族、殺されちゃったよ」

漏らすように金枝は言った。

「三人とも、顔が、グチャグチャにされてた。観返教の報復だった。小間口さんのアレで」

 ソラは微かに表情を変えつつも、それ以上何も言わず金枝を見つめている。金枝は歯の奥に物が挟まったような顔をしていた。

「ねえ金枝君」

 ソラが訊ねた。

「ご家族が亡くなって、どう思った?」

「どう、思ったってお前」

「死体を見て、何か感じた?」

 硝子細工のように透き通るソラの両眼が、金枝を鮮やかに見ている。金枝は、自分の心につけ込まれるような感触がして胸の辺りが苦しくなった。

変わり果てた家族の亡骸を目にして、自分は何を思ったのだろう。怒り、悲しみ、あるいは無だろうか。改めてその時の状況を脳内で辿った。そしてようやく金枝は、自分の抱いていた違和感に気づいた。

金枝はごくりと唾を飲み込む。さらりと言葉がついて出た。

「俺は、安心した。『ああ、自分じゃなくて良かった』って」

「亡くなった御家族に対しては?」

「……なにも。だって死んでるんだぜ? 死んだら、どうもこうもない。死体に抱きついて生き返れと泣けばよかったのかよ。あんなグチョグチョのそれに触りたくない。生き返りようがない」

「じゃあ、観返教についてはどう思ってる?」

 ソラは、微かに己の声を震わせながら訊ねる。金枝は眉を怒らせた。

「そんなの、さっさと潰れろって……。信者を利用して俺達に復讐する気なんだろ? あんな終末宗教、早く無くなれ。ソラ、なんとかやれないか?」

 直情的な返答。ソラは心内を隠しながら、金枝へ歩み寄る。ソラは物言わず右手を差し出した。金枝は僅かに迷ったが、プラスの意味に捉えて握手を交わそうとした。

 あっと、金枝の口から声が漏れた。ソラの掌を握った刹那、彼女の合気道術に見事嵌められ、百八十ある金枝の巨体は赤子の手でも捻るように握手の腕ごと下方へ引っ張り落とされると、そのまま床に跪いた。ソラは喜悦に浸りながら自分の足元に蹲る金枝に上からぎゅうっと抱きつくと、「威子口らしくなった」と、耳元に囁くのだった。

「それは、ホルスのせいで――」

 金枝が戸惑いながら言う。ソラは金枝からぱっと離れると、「違うよ」と返した。

「ホルスは寝てるんでしょ。今は文句なしに君の身体だ。それに私は以前の君より、今の君が好きなんだ。でなかったら、君を保護せず観返教会に差し出している」

 金枝は気持ちがまとまらなかった。家族が死んでも悲しめなくなった自分を認めたら、全て終わってしまう気がした。

「金枝美糸はもう引き返せない所まで来てるんだよ。知らなかった?」

金枝の気持ちを見透かすようにソラが言った。

「異星人に寄生され、私を脅して婚約者になって、結果的に家族は殺された。宗教団体から命を狙われているし、近い内に人類が滅びようとしていることも知ってしまった。これからは一般席ではなく威子口用の席で人類の行く末を見るんだ。それが君の今後の予定だ」

ソラの「そろそろ着替える」という一声で金枝は北形に無理やり立ち上がらされ、部屋を追い出された。

 

 宙の羊飼いによる電波ジャックが為されてから三日後。朝の六時を過ぎても外は薄暗かったが、計らずも金枝の目は開いた。目覚める直前、妙な胸騒ぎを覚えていた。それが、外でひっきりなしに鳴っている終末の音のせいだったのか、それとも夢の延長線なのか金枝には分からない。ただ、のそりとベッドから起き上がり、スリッパに爪先を滑り込ませて、ふらりと部屋を出た。

リビングのカーテンが揺れていた。灰色をした朝の空が鈍光を湛え、室内を微かに照らしていた。そして、パジャマ姿の威子口空の後ろ姿がベランダにある。金枝はどんよりとした睡魔を飲み込むと、スリッパのままベランダに出て、ソラと同じく手すりに肘をついた。ソラの物憂げな眼差しは青灰色の虚空に向けられている。

「よう。この三日間、忙しかったんだろ。全然会わなかったな俺ら」

 金枝の声は聞こえている筈だったが、ソラは湿った風を正面に受けながら、淀んだ早朝に身を預けている。

「ニュースで見たぞ、観返り教の本部を警察が取り囲んでるところ。幹部は一斉逮捕、観返り教は消滅。教祖の潜伏先も絞り込まれているというし、あっけないもんだよな、威子口の手にかかれば」

 骨の芯まで震わせる明瞭なアポカリプティックサウンドが前触れもなく鳴り渡った。その残響は青灰色の天空から六本木の路地裏まで深々と巡り消えていく。

金枝は少し間を置いて、独りで続けた。

「地球外への避難要請で未成年者は手あたり次第、火星と金星の定期運航船に無理やり乗せられ、退避させられてんの。いくらなんでも、強引じゃねえか?」

 ソラは横目で金枝を見やると、「金枝君は――」と言いながら、ぬかるんだ朝の世界に再び目を向けた。

「この三日間、どう過ごしていた? 最後の平穏な日々になるかもしれない、この三日間を」

「特には。部屋にあった本で暇を潰してたよ。威子口タワーから出ることを禁じられてたからな」

 金枝はつまらなそうに答えた。

「何か、面白い本には出会えたか?」

 金枝は一瞬迷ったが、正直な感想を言った。

「いや、全然。ぱっとしねえ」

「まあ、そんなものだよ」ソラは気分を害すどころか、ふっと頬を緩めた。

「自分に合った本なんて、十五冊に一冊あれば良い方だ。その中でも特に、他人から勧められた本だとかレビュー評価の高い本というのは、期待値が上がって駄目なんだ」

 ソラは軽く息を吐くと、右肘をついたまま金枝へ体を向けた。

「実は、宙の羊飼いと取引をしていた」

「あいつら、応じないって言ってたのに?」

「それは人類の命運に関してだ。私は、人類の代表たる威子口空が東京に留まることを条件に、地球を離れる宇宙船への攻撃はしてくれるな、という取引を持ち掛けたんだ。向こうも承諾してくれたよ」

「……へえ? だから、子供から優先して逃がしてるのか。攻撃されないから安心だと」

 ソラは左腕を持ち上げ、精巧な腕時計のようなものを見せた。

「何だよそれ」

「宙の羊飼いから贈られた交信機器。命令のまま昨日から付けているんだ。GPSの役割も担っていて、私の位置は奴らに筒抜けという訳だ」

「大丈夫なのか、そんなの付けてて」

「どうだろう。少なくとも、あまり好い気はしない」

 ソラは曖昧な顔のまま小さな笑みを零した。

「……ところで、君はこれが気になって起きたんじゃないのか?」

 ソラは小首を傾げ、上空に鳴り響く不穏な終末の音に右耳を向けた。

「羊飼い曰く、今日が人類降伏の期限日だそうだ。当然私は屈しないから、彼等が何かをしてくる可能性が高い。そう思って、私は朝ぼらけの刻からずっと起きて、薄明の空を眺めていた」

「ヴシャペトレ人からすれば宙の羊飼いも人間であって、殲滅対象に入るってはっきり言ってたんだぜ、奴ら。そのこと、宙の羊飼いには伝えたのか?」

「うん。君の口を介して語られた話等は全て、月に映像で送ってやった。だけど期待薄かな、やはり」

 ソラは気怠げに、デフォルメされたハリネズミの描かれた自分のパジャマを引き延ばすようにして肩甲骨へ手を回すと、きめ細やかな指の爪先でカリカリと背を掻いた。

そんな時。

 クヴァワーァァン……。

今まで聞いたことのない、地殻に亀裂が走ったような不気味な空鳴が早朝の寒天を駆け抜けていった。金枝は得も知れぬ不安定な気分になって、思わず腕を擦った。

「ソラ。もう室内に入らないか」

「金枝君、見て。白霧だ」

 薄灰色の都内に発生した濃霧は六本木の高層ビル群を掻き消していき、とうとう二人の視界を奪った。見通せる距離は一メートルほど。その先は濃い白が漂う。異世界に迷い込んだような、奇怪な光景の真っただ中に二人はいた。

「金枝君。君は『ミスト』という映画を知っているか?」

 ソラは霧に揉まれたベランダで楽しそうに腕を組み、金枝に問いかけた。

「あるいは『ザ・フォッグ』でもいい」

「ミストは知ってる。スティーブンキング原作の」

「そう。霧に紛れて気色の悪いモンスターが襲ってくる、後味の悪い古典映画。もう六回もリメイクされてる。『ザ・フォッグ』はジョン・カーペンター監督作品で、悪人に貶められ殺された人々が死霊となって濃霧の日に蘇り悪人の子孫たちに復讐をするという、まるでハリウッド版落ち武者の祟りのような、日本人の感性に馴染む映画なんだ」

 そう言ってソラは肩を竦めた。

「つまりだ。私が言いたいのは、霧というのは往々にして悪い兆候だ。室内へ入るか」

「だから俺が言っただろ」

 金枝は文句を垂れながら、ソラと共にリビングへ入り、ちゃんとドアを閉めた。

「お嬢様っ」

 リビングには青ざめた顔をしてスーツ姿の北形が待ち構えていた。

「北形、どうかした?」

「各地のレーダーに多数の反応有り。月から地球へ夥しい数の物体が襲来、約二十分後を予定しています」

「月からの侵略者って奴か?」

 金枝の質問に北形は一瞬むっとしたが、ソラに向けて言った。

「飛来物は、元々月が管理していたスペースデブリと思われます。大気圏で燃え尽きればよいのですが、おそらくは疑似的なメテオストライクになります。アジア一帯に相当な被害が及ぶでしょう」

「参ったな。月だと近すぎてグレースの防衛範囲外になる」

 ソラは深々と息を吐くと、玄関口のコートを羽織って廊下へ出た。金枝も急いでジャケットを羽織り後に続いた。

「どこ行くんだよソラ」エレベーターに乗り込みながら金枝が尋ねた。

「特殊災害対策会議室。宙の羊飼いを警戒して作っておいたんだ。稼働させてあるな、北形」

「はい、お嬢様。万全の準備は整えてあります」

「電話は繋がっているか。貸せ」

 ソラは北形から携帯端末を奪うと、朝に冷水を浴びせるようなはきはきとした口調で電話越しに指示を出し始めた。ソラ達が会議室に入る頃には既にアジア全域へ隕石襲来の報が知れ渡り、各々の国のミサイル迎撃システムが感度を高められていた。

 ソラは会議室にいる険しい顔をした大人達へよく通る声で告げた。

「アジア圏の国民の携帯端末にアラームで伝達。隕石襲来時の定型文その一とその三をコピペして繋げ、流して下さい。日本国民に対しては最新の健康状態を片っ端から無断収集」

「了解しました」

 左目が機械眼になっているオペレーターの男女が一斉に、空中に浮かぶ霧状パソコンのキーボードを操作し始めた。今の時代、自身の携帯端末に触れるだけで人間ドックへ行ったのとほぼ同じ情報が得られる為、ガン等の病気の早期発見が可能となり、また端末の操作中に万が一重大な身体異常が起きるようなら、自動的に最寄りの病院へ通報がされるので、心臓発作等の突発的な死亡件数も大幅に減少していた。

「隕石衝突で家屋が倒壊しても、端末握ってたら発見されやすいもんな」

「それだけじゃないけどね」

「ソラ様。日本各地の気象観測所から、緊急通信が」

「内容は?」

 オペレーターのパソコン画面を覗き込んだソラの眼が、素早い速度で動いた。金枝も別のオペレーターの画面を覗く。そして絶句した。

「北海道、東北地方で……植物が一斉に消失、恐ろしい速度で砂漠化が進行中。九州沖縄では豪雪が止まず、畿内では気温が、五十度まで上昇……? マジかよ」

「いかにも終末という感じだ」北形が眉間に皺を寄せて呟く。

 戦々恐々の面持ちのオペレーターの一人が、おずおずと口を開いた。

「あの、ソラ様。もし、これが事実ならば、宙の羊飼いの科学力は我々のそれを遥かに超えています。もう、神に等しい存在なのでは……」

 畏怖の念に駆られる会議室内。その中で、人類の頂点に立つ齢十六の少女は周囲に感化されることもなく、結われていない豊かな黒髪を払い、背中に流しながら飄然としていた。

「そうね。灸叔父様の手綱を引いて正解でした。常駐戦力で突貫されていたら目も当てられない事態になっていたと思います」

 ソラは腕を組むと尋ねた。

「国外で異常気象は? こういった現象は起きていますか?」

「いえ。今のところ報告はありません」

「……もし、彼らが本当に神と同格の存在であるならば――」

 オペレーターの返答を受けたソラは、少し間を開けてから芯の有る物言いをした。

「地球全体で一斉に異常気象を起こす筈。その方がこの星をカオスに貶められるのだから。では、どうして日本限定なのか」

 ソラは会議室の大人達の顔を見やった。

「それは、日本という狭い国土を弄るのが彼らの限界だから。恐るるに足らず、必要以上はね」

 そう言って、ソラは可愛らしくウィンクした。それだけで、会議室に伝播していた動揺はふっと途切れ、何処かへ紛失する。こんな風に場を支配してしまうソラの言動を金枝は学校内で幾度も目撃していたが、その度に感心させられた。

 場の空気が安定する中、一人のオペレーターが告げる。

「日本へのスペースデブリの飛来が始まりました。間もなく、此処へも降り注ぎます」

 金枝は分かりやすく顔に不安の感情を浮かべた。ソラは「まあ見ていろ」とミルク色のカーテンを開く。晴れた日なら都の街並みが一望できるはずだった。しかし、今はただ深く濃い白霧に飲み込まれ、六本木は視界不良だった。

「何も見えねえよ……あっ」

 ピカリ、と緑色に何かが光る。まるでプラズマ現象のように、あちこちで緑の光が弾け飛ぶのが霧越しでも分かった。

「なんだあれ」

「威子口タワーは防衛機構を搭載している」

 ソラは得意げに答えた。

「グレースと同じ原理で動く小型機械を北東と南西の地下に埋めてあるんだ。防衛機構が向かってくる飛翔物体を危険物と認識し、分解する際に放出される光が、ああして霧の中で光る。この塔は威子口家の象徴だ、そう簡単に壊されてたまるか」

「さすが威子口だ、もうすごい」

「何を言ってるのか。君も威子口だろう」

 ソラはこめかみを人差し指で擦ると、空いた席に腰を降ろして霧中の緑の閃光を眺めた。

それから五分もしない内に発光現象は終わったが、また切羽詰まった問題がソラの下に届けられた。

「え、渋谷の人間がゾンビ化したの?」

 ソラが軽く目を見開き訊き返す。日本国民の携帯端末から自動送信された身体の状態をチェックしていた担当責任者は、酷く青い顔をして報告した。

「此れまでに送られてきたデータから、現在渋谷にいる人間全てにゾンビ化の兆候が見受けられます。これ程までに大規模なゾンビ化現象は、俄かに信じられないでしょうが、しかし本当のことです」

 報告を受けて、ソラは初めこそ難しい顔をしていたが、やがて諦めたような溜息をついた。

「関東だけ濃霧で済むとは私も思っていませんでした。では、今すぐ渋谷区を封鎖し、その上で渋谷全域を爆撃します」

 しんと静まる会議室。ソラは気に留めず颯爽と立ち上がり、待機中だったオペレーターの横からパソコンを操ると、国防省にリモートを繋いだ。

「そ、ソラ様。これはこれは。ご機嫌麗しゅうございます」

 待ち構えていた白髪痩躯の男がかさついた右手で帽子を取り、霧状モニター越しに頭を下げる。ソラは容赦せず言葉を放った。

「栄田防衛大臣、今すぐ渋谷一帯を上空から戦闘機で爆撃してもらいたい。その用意はありますか?」

「あ、はい。それは……。え、ですが」

「これは命令です。渋谷はゾンビの街と化しました。一秒でも早く爆撃し、焦土にして下さい」

「り、了解ですソラ様」

 狼狽えながらも大臣は了承した。ソラはさも当然のように頷くと、更に注文をつけた。

「爆撃を実行する者は人工知能ではなく、人間にやらせて下さい」

「わざわざ、人力で? しかし今、都内は霧が立ち込めている状況でありまして……」

「ええ知っています。パイロットは日本で最も優秀な人間を選びなさい。年齢と階級は無視し、操縦技術と度胸と勘のある者を任命すること。分かっていますね、大臣。これは東京の命運をかけた闘いの一幕です。早急に任務が完遂されなければ、貴方の命すら危ういという覚悟を持って挑みなさい」

「は、かしこまりました」

 慣れた手つきで敬礼する栄田大臣との通信を切ると、ソラは不満げに天井を仰いだ。

「……北形」

「はい、お嬢様」

「今の男は、優柔不断だな。私自ら実行部隊と話がしたい」

「それでは、国防軍入間基地に連絡を入れてみます」

 ソラの細かな指示が功を奏したのか、濃霧下での渋谷爆撃はゾンビ化の報告から僅か三十七分後に遂行され、渋谷区は寸分の狂いもなく火の海と化した。

 爆撃が完了したとの報告を受け、ソラの顔は微かに翳った。

「ふう」と息を吐くソラに、

「ソラ様。宜しければお茶を」

気を利かせた女性オペレーターの一人が二人分の湯呑を盆に載せて運んできた。茶髪にショートカットの小綺麗な女性に金枝はお礼を言って、熱々の茶碗に手を翳し温まる。ソラは何も言わず、湯気の立つ湯呑の中で揺らぐ透き通った若草色の液体を見つめていたが、やがてオペレーターと目を合わせヌメリと唇を動かし言った。

「私はいらない。代わりに貴女が飲みなさい」

 カタカタ、カタカタと音が鳴った。金枝は違和感を覚え、軽く顔を上げた。湯呑を運んできてくれた女性オペレーターの指が震え、爪が盆に当たっている。女性の顔色は一切消え失せていた。

「北形!」

 ソラの鋭い声に女性オペレーターはお盆を落とした。彼女は茶髪を揺らしながら、流れるように空いた右手を上着のポケットへ突っ込む。そして、取り出したレーザーナイフの電源を押した。

ソラの声に反応した北形は会議室の白い長テーブルへ飛び乗ると、両膝をついて態勢を安定させ、右腕を垂直に不審な女性へ向けた。北形の右掌の真ん中は冴えた音と共に開口し、露わになった白金属の機械穴から青白い光弾が放射される。レーザーナイフを振り上げた女性の右手は高速の光弾を食らうと、握りしめていた光短刀の紅色の刃は光となって砕け散り、更には親指の第一関節と人差し指の第二関節までが吹き飛び宙を舞う。場が騒然となる中、オペレーターの女は北形と、後から駆け付けた黒服に取り押さえられた。金枝は茫然としながら、手元の湯呑を横にどけた。

「こいつを連行しろ」

 北形は手の穴を閉じながら黒服に命じる。女は恨めしそうにソラを睨みつけると、強く歯軋りをした。黒服達が色めき立つ。

「奥歯に毒を仕込んでやがった。医務室へ運べ!」

女は口は、陸に揚げられた小さな蟹のようにぶくぶく泡を吹いている。彼女はそのまま引き摺られ、会議室から除去された。

「お嬢様、お怪我は」

「大丈夫。多分お茶に毒を入れられていた。危うく飲むところだった」

「そっちは?」

「俺も飲んでない」

 金枝の返答に北形は肩を竦めると、黒服に湯呑を処分させた。金枝が言うより早く、「観返り教徒でしょうね」とソラがささやく。

「よく、気づけたな?」

 金枝は尊敬と畏怖の眼差しでソラの顔を見つめた。

「もしかして、タイムリープでもしてんの?」

「私にそんな能力があったら、もっと上手く立ち回ってる」

 軽口を叩くソラだったが、表情から疲弊の色が隠せなくなっている。北形は気遣うように口添えをした。

「お嬢様、一旦休まれてはいかがですか。暗殺未遂に遭ったのですから、誰だって平気ではいられません。残りは官僚共に引き継がせます。それに灸様や海斗様だって指示は出せるのですから」

「そうしろよソラ。夜が明ける頃から起きてたんじゃないのか?」

 ソラは一瞬迷う素振りを見せたが、力なく微笑んだ。

「正直、気を張りすぎていた。そのおかげで死なずに済んだけれど」

 時計の針はいつの間にか八時を指していた。

「私は、朝食を取ります。皆も今の内に何か腹へ入れておいて下さい」

 ソラが席を立つと、会議室内で自ずと拍手が起こった。ソラは北形にしっかり守られながら会議室を出ていく。そうなると金枝は居づらいことに気づいて、しれっと後を追った。

「おいソラ。まだ俺に謝ってないことがあるよな」

 エレベーター内で金枝は問い詰めた。

「うん? 何かな」ソラはだるそうな顔で金枝を見返した。

「足の爪を剥がしたことだよ! 忘れたとは言わせねえ」

 金枝は苦い顔で片足をくねっと持ち上げた。

「治療してくれたからチャラ? そんなの通らねえからな。治療費、一千万寄越せ。いや、やっぱ駄目だ。威子口なんて一千万なんか、はした金だもんな。まず第一に誠意が無――」 

金枝の言葉は途中で潰れた。金枝はソラに壁へ押されると、勢いのまま唇を塞がれた。それはほんの数秒の出来事だったが、金枝は金縛りに遭ったように身じろぎ一つ出来なくなった。ソラは普通の顔をして金枝から離れると、「静かになったな」と軽く笑っている。  

エレベーター内の黒服達は無言だが気まずそうにしていた。北形はというと目を点にして、石像のように静止していた。

 何故こんな風にファーストキスを済ませるのだろう。あるいはソラにとって違うのかもしれない。この程度で拷問を有耶無耶にされていいのか。そうぼやくホルスの呆れ声が聴こえたような気がしたが、ただ一つ言えるのは、金枝は満足した。

 金枝は軽やかな足取りで四十四階の部屋に入った。頭をフル回転させて疲れたソラと対照的に、金枝は元気になっていた。

「なあソラ。なんかおススメの本を教えてくれよ」

 一直線で自室のベッドに寝そべりたいソラを金枝は呼び止めた。

「どんな本が読みたいの?」ソラがすぐさまレシーブを返してくる。

「そうだな……。一生に一度は読んでおくべき本とか、あるか? ほら、今って絶賛終末中だろ? ここ数日で命狙われてるし。死ぬ前に読んでおくような本が、急に読みたくなって――」

「金枝君。一生に一度は読むべき本なんて、この世に一冊とて無いんだよ」

 ソラはニヒルな笑みを浮かべて言う。

「一冊の本を読むより、毎朝何気なく食べているコーンフレークの方が人間の頭の栄養になるんだ」

「ずいぶん、本を見下した発言だな。結構本の虫のくせに」

「私は本は好きだよ。ただ、自分が見つける本と他人から勧められる本では感動も変わるものだ。何故そんな現象が起こるのか、読書をする代わりに少し考えてみたらいい。そこら辺の売れっ子作家が勧めた本のページをめくるより、遥かに有意義な時間を君は味わえるかも」

 ソラは欠伸を堪えながら、自室に入るなりカチャリと鍵を閉めた。金枝はムクムクと捻くれた反骨精神が心の中で湧いたので、自分も部屋に篭もると、ソラの禅問答のような提案を一切無視し、エレベーター内で味わった異性とのキスの感触を小一時間噛み締めた。

 ドン。ドン。大きな鈍い音がキッチンの方から聞こえた。金枝は大して警戒もせずベッドから起き上がると、ふらりと部屋から顔を覗かせた。

「金枝君。こっち」

 向かいの部屋のドアの隙間から掠れた声が金枝を呼んだ。ソラの瞳と目が合う。

「なんだよ、一体」

 金枝は廊下へ出て、キッチンの様子を窺った。のそりと大きなものが動く。それは、冷蔵庫を抱えたメイドだった。メイドは冷蔵庫のコンセントが引き抜かれても気にせず、何の前動作もなしに冷蔵庫を放った。質量のあるメタリックな巨塊。

――避けろ。

脳内に走る危険信号。金枝はソラの部屋へぶつかるように飛び込んだ。冷蔵庫は廊下を飛び去り、突き当たりのボイラー室にシュートされる。金属の拉げる悍ましい音が空気を引き裂き、床は衝撃でブルッと震えた。床に強かに体を打った金枝を、ソラは引っ張りあげると、素早くドアを閉めて鍵をかけた。

――死ぬところだったぞ、危ないな。

「ホルス、ホルスなのか? 何で――」

――接吻が効いたらしい。

「金枝君、ベッドを立て掛けて即席のバリケードを作る。手伝ってくれるか」

 切羽詰まった声でソラが言った。金枝は二度頷くと、ソラと呼吸を合わせキングサイズベッドを直立させると、そのままドアの前に宛てがう。

「何で俺達は殺されかけてるんだ?」

 金枝が苦い顔で呟く。

「あれは家政婦ロボット、私を火事から助けた個体だが、人工知能の反乱は典型的な終末現象なのに全く油断していた」

 ドアが突き破られる感触があった。続いて、キングサイズベッドの分厚いマットレスが恐ろしい力で引き千切られる。バリケードは今にも崩壊寸前だった。金枝はソラの手を取り、部屋奥の角を曲がるとシャワールームの鍵を掛けた。

「あまり意味がない」

 洗面台の前でソラは顔を軽く左右に振った。

「ちょっと安直過ぎ。クローゼットに隠れた方が良かったんじゃないか?」

 金枝は諦観するソラを半ば強引にユニットバス内に立たせ、自分も浴槽に立ちシャワーカーテンをピシャリと閉じた。お互い何も言わず、すとんとバスタブに尻をつけて体操座りになる。浴室に仄かに漂う二つの息遣い。外では暴れ馬が二、三頭はいそうな事物破壊の激しい音。それは着実に二人のいるバスルームへ近づいてくる。

――せっかく私が目覚めたのに、今度は君が死にかけるとは。

 ソラが金枝の左手をきゅっと握りしめてきた。浴槽の水溜まりで濡れた人肌の生温さが互いに伝わる。もしやソラは怯えているのでは。金枝は横顔を盗み見たが、その顔は至って平静、ないしは深く集中している様子だった。

 バコンとバスルームのドアが吹き飛び、カーテンが風圧で揺れる。ドアは剥がされた後もバネのようにビョンと小刻みに振動していたが、その活動も侵入者の靴に踏まれていとも簡単に事切れた。そして、さっとカーテンが開いた。

「ご無事ですかお嬢様」

 バスルームの侵入者が北形だと分かり、二人は深い溜息をついた。

「お、お嬢様! 何故。手なんて繋ぐ必要はありません!」

「北形、君が悪い。本当に死を覚悟したんだ」

 金枝の手の甲からサッと右手を離すソラ。機敏に立ち上がるとユニットバスを跨いだ。

「気味が悪いってよ」

「お前っ」

 金枝と北形はユニットバス越しに睨み合った。

「私が駆け付けていなければアンドロイドに惨殺されていたぞ。人体を引き裂かれて。少しは私に感謝したらどうだ」

「だって。ソラ、執事から文句があるとさ」

「お嬢様とは口に出さずとも判り合っているから良いのだ。私はお前に言っている」

「はいはい、ありがとうカッコワライ」

 バスルームを出た先の廊下には、黒く焼け焦げた人型機械の成れの果てがごろんと転がっている。部屋の中の物は完膚なきまでに粉砕され、ソラが隠れ場所に挙げた黒檀のクローゼットは原型も留められず前衛的なモニュメントのように激しく歪んでいた。


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