世界を統べるjkと縁日デートしてたら、いきなり人を殺し始めてビビる
「なあどう思う、ホルス」
東京駅で降りた金枝は、地下鉄の人混みの中で体内へ向けて呟いた。
――何度も話しただろう? あの女の考えることは分からん、と。
素っ頓狂な声でホルスが返す。金枝は声を沈ませた。
「俺の予想だと、きっと殺されるんだぜ。交通事故か何かに見せかけて」
――ならデートを断ればいい。
金枝は自嘲気味に笑った。
「ああ、何であの未来予知野郎が爆死したのか分かった気がする。行っても、行かなくても殺されるなら、行って死んだ方が漢らしいからだ」
――しかし、駅のホームで突き飛ばされて電車に撥ねられるというお前の予想は既に外れた。
「まだ電車乗るんだよホルス」
いつ殺されやしないかと怯えながら金枝は新東京メトロに乗り替え、麻布十番駅四番口から地上へと出た。金枝は傍のブティック店の硝子に反射する自分に目をやった。自分でもよく分からないロゴの入ったベージュのTシャツ、その上から黒に近い紺のジージャン。下は細身の茶のチノパンという出で立ちをしていた。
――『服装は』ばっちりだぞ美糸。
「信じていいんだな?」不安そうに髪を撫でつけながら金枝は訊ねた。
――もちろんだとも。私の指揮の下、コーディネートしたんだから安心しろ。たかだか高校生同士のデートだ。清潔感があって、少し大人っぽい服を着とけば何とかなる。
「フラれるだけならもういい。下手したら『金枝君。それは威子口への侮辱と捉えて良いのかな?』とかなんとか難癖つけて、暗殺されそうなのが嫌なんだ」
――知るか。グチグチ言わずにさっさと行け、遅刻するぞ。
「やべぇ」
金枝は慌てて携帯端末を起動した。ナビモードがスタートし、金枝の足元に矢印が表示されるようになった。
「都会だったよな、麻布って」
金枝は辺りを見渡し言った。
「人がいねえ……」
麻布十番はもぬけの殻だった。
「麻布は都会の都会だろ。そんな筈ないよ」
しかし幾ら歩いたところで、休日の昼間だというのに誰も出会わない。ただ、通りに並ぶ小店舗だけが開店している様は、ド田舎としか形容しようがなかった。動くものといえば、通りの向こうの道路を時々走る自家用車くらいだ。異世界にでも迷い込んだような奇妙な感覚を抱きながら、やがて金枝は、少し開けた、軽い傾斜のある石畳の広場で足を止めた。
人がいる。葉の枯れたケヤキとトチノキの下に佇む、清廉で、透けない白ワンピースの女性。威子口空は爪先の丸い艶やかな黒の革靴を履き、ヘソの上辺りで細い黒のベルトを締めていた。スタイルの際立つ、ぴったりとしたワンピが昼下がりの陽を浴びて純白に輝いている。金枝には一瞬、ソラが西洋の古い絵画かピアノコンクールを途中で抜け出してきたような錯覚に陥った。
ソラは金枝に気づくと、気さくな笑みを浮かべながら綺麗な足取りで歩いてくる。手には橙色のポシェットを提げ、スカート部分は絹のように滑らかで、ソラが一歩歩く毎に太ももから膝にかけてのラインを強調した。一挙手一投足、どこを切り取ってもベストショットに違いない。金枝の心は自然と舞い上がる。
そして思った。
結局、威子口空はどこまでいっても、中学時代の片想いの女子だ。永久にそれが変わることはない。例えどれだけ中身が黒くとも、憧れは憧れだ。そんな人とデートして仮に途中で殺されたとしても、死の部類では大分マシなんじゃないだろうか。少なくとも、未来に絶望し無駄に爆死していった面接の青年よりはよっぽど恵まれている。
金枝は開き直った。無意味に手で服装を整え、「よう」と手を挙げる。ソラは一瞬値踏みするように目を動かしてから、愛想よく口を開いた。
「金枝君。今日は天気が良いね」
「ソラ。その服、どっても似合ってる」
「どっても?」
「……じゃなくて、とっても。その、可愛いよ」
「あ……ありがとう。なんだか、照れるな」
ソラは珍しい表情をして目を逸らした。こんなの演技だ。という心の声を金枝は無視した。演技でもいいじゃないか、可愛ければいいんだ。
――もう陥落したのか? 白旗か?
「どうせだったら、楽しみたいだろ」
「ん?」
「いや何でもない。どっか行こうよ」
するとソラは半地下のようになった店をぴっと指差した。
「お腹が空いた。パスタを食べましょう」
「いいね」
二人はすぐ傍のイタリアンレストランに入店することにした。
「なあ。麻布十番って初めて来るんだけど、こんなに人がいないなんて。どうかした――」
「今日は貸し切りなの」
ソラは歯切れ良く言うと、綺麗な瞳でレストランの窓から誰もいない外の広場を眺めた。どこかの店を貸し切りではなく、麻布十番そのものをソラは貸し切りにしていた。道理で人がいない訳だ、と金枝は納得した。
ソラはワンピースの胸元をつまんだ。
「これ、AI搭載の人工繊維なんだ」
キュッとワンピースが縮んだかと思うと、形と色が変化した。ソラの服装は青と白のボーダー服の、浜辺が似合いそうなカジュアルな服装に様変わりしていた。
「ね、便利でしょ。君が服を気に入らないといったら、こっちにしていたよ」
ソラが胸元をつまむと、また白いワンピースに戻る。
「それも旧遺物の技術流用か?」
「ふふん、人類を舐めるな。これは完全自前の技術だ。今冬にもイシグチのアパレルで売り出す」
先にソラの注文していたペペロンチーノが運ばれてきた。ソラは唐辛子の輪切りを上手いこと麺に絡め、口の中に落とし込んだ。少し遅れて、金枝の注文した千七百円のシーフードパスタがテーブルの上に置かれた。
「うん……。やっぱり美味しい」
ソラは満足げに口元を緩めている。
「君も、好きなだけ食べてくれ。私の奢りだ」
「……なあ。せめて割り勘にしないか」金枝は複雑な気持ちで言う。
「ああ、それが良い」
ソラはにこりと微笑んだ。
「割り勘か。なんか良い。学生のデートっぽくて」
「割り勘で喜ぶのは、普通は男だけどな」
金枝はムール貝の中身をフォークで突き刺し、味わいながら食べた。
「あ、金枝君。あんなところに映画館があるぞ。入ってみようか」
昼飯を済ませて少し歩くと、道路を塞ぐようにしてシネマが建っていた。
(麻布十番付近のデートスポットに、こんなもん有ったか?)
強い違和感を覚えながらも、金枝は背を押されるようにして映画館に足を踏み入れた。
内部に違和感は無かった。黒く冷たい壁や床にところどころ赤が使用され、高級感ともプレミア感とも付かない気配がシネマに漂っている。キャラメルポップコーンの甘い匂いと真新しい座席シートの素材の香りが混じり合い、映画館特有の雰囲気が入り口から既に醸成されていた。唯一不自然なのは客が一人もいない事だが、貸し切り万々歳とばかりに金枝は喜んだ。
「えーと、もうすぐ上映の映画は……ターミネーター2、エイリアン2。バックトゥザフューチャー……古典映画ばっかじゃねえか」
「夜はセブン、シャイニング、羊たちの沈黙、ゴッドファーザーが上映予定だ。どうする金枝君。私はどれでも良い」
ソラは悦に入った顔でラインナップを見つめている。金枝は少し迷った後、受付に一人で向かった。
「十三時十分からのバックトゥザフューチャーの映画券を二枚分。学生で」
「かしこまりました。計五百円です」
受付がプロの笑顔でチケットを二枚、すっと差し出してくる。金枝の口から「安っ」と声が漏れた。
「こちら、パブリックドメインの映画となっておりますので」
「だけども座席料とか」
「この映画館はイシグチグループの系列です。チケット購入という行為自体も、あくまで映画デート感を出す為の雰囲気作りとなります」
受付は笑顔を絶やさず、ソラには聞こえない程度の声量で説明した。
――なんと。まどろっこしい連中だな。君ら、家で見たらどうだ。
上映まで少し時間があったので、二人は映画のパンフレットも買い、エルサイズのキャラメルポップコーン、エムサイズのファンタオレンジとコーラのペアセットを抱えて客席に向かった。
薄暗い中、スクリーンの白光に照らされて赤いシート席が段々畑のようになっているのが判った。金枝とソラ以外に客は無い。二人は遠慮せず、中央前寄りの、ほぼど真ん中の席にゆったりと腰かけた。金枝から見て左隣り、すぐ傍にソラがいて、コーラ片手にペラペラと、今さっき買ったばかりのパンフレットをめくっている。
「なあ。この映画館、君が用意したの?」
「ええ。麻布に映画館がなかったから」
金枝はストローで炭酸オレンジを啜りながら、スクリーンに映る他の映画の予告を眺めた。
「……上映スケジュールに新作映画、無かったよな?」
「いいじゃない。新作より昔の方が面白いんだから」
それからソラはさらっと映画事情にまつわる話をした。純粋な映画鑑賞というジャンルは今やすっかり零落し、最近では映画内に自身が入り込んで間近で物語を味わえる五感視聴が流行っていること。最近の映画は観客が没入出来るよう五感視聴用のキャラクターが予め脚本の段階で挿入される事が多いが、どうも影が薄くなる傾向にあり、古典映画ファンからは批判されることが多い。また、古典映画にも透明人間のような形で様々な角度から五感鑑賞が可能だった。
「五感視聴にはしないのか? これは普通のバージョンのようだけど」
金枝が訊くと、ソラは微かに首を傾げる。濡れたソラの唇がぴとっと鳴った。
「ああいうの、好きじゃないんだ私。少なくとも昔の映画では。元々こうやって見る前提で作られているんだから、蛇足だろ」
――はっ。ただ見てるだけでは欠伸が出る。私は安眠用に白黒映画を見てるぞ。俳優共に寄生したいと何度思ったか。
頭の隅っこでホルスがぼやくが、金枝はソラに意見に合わせた。
「だよね。それに五感視聴って、かなり疲れるよ身体的に。こないだ五感ゾンビ映画見に行って吐きそうになった。ホットドッグ咥えて気楽に見るもんじゃねえよ」
「君もそう思うんだ。あれは気をつけないと、セットの裏側が見えたり透明な壁にぶつかったりして、逆に興醒めする」
やがてスクリーンには、フクロウや猫といった多種多様な形状の掛け時計が、右にパンされながら映されると共にチクタクチクタク、うるさいほど秒針が時を刻み、そして朝食の食パンや犬の餌がマシンで自動的に用意されるという、バックトゥザフューチャー冒頭の印象的なシーンが流れた。上映中に聞こえるのはスクリーンから発せられる映画の音色と、隣りからお互い聞こえるポップコーンを齧る音だけ。
金枝は時たま、左側に座るソラの輪郭を盗み見た。青白いスクリーンの光を浴びる威子口空の端正な横顔は、純粋に映画を楽しんでいるように見えた。
ポップコーンを取ろうとした二人の手が重なった。すこし経ってから、二度目。
三度目になると、気まずさより弛緩した笑いへ繋がった。
「ソラ。この、ご褒美のデートなんて、ホントは嘘なんだろ」
何でも許されそうな雰囲気に乗じて金枝は踏み込んだ。
「真の目的は?」
「君も意外としつこいな。私がデートしたかったからだと言ってるのに」
ソラは素っ気ない顔をして氷で薄まりかけたコーラをストローで啜った。ソラの視線の先のスクリーンでは、タイムスリップしてきたマーティが若かりし日の両親の通う高校の廊下にてドク博士と話をしている。
金枝はなおも食い下がった。
「正直に言ってくれ。もう俺に利用価値なんかないだろ? 終末現象の仕組みも分かってるんだ。なのにデートしようとか。何を隠してんだ?」
ソラのコーラは底つき、ストローが掠れた音を立て始めた。
「あ、分かった。さては、ガチで俺に惚れたな」
金枝は半分冗談のつもりで言った。そして、半分ほど減ったポップコーンに手を伸ばしたが、金枝の手首は強く掴まれ、おまけに捻られた。金枝は嫌な汗をかきながら、ソラの方を見た。
ソラは照れるでもなく、かといって怒るでもない、活き活きとした表情で金枝を見つめている。金枝はしかめっ面で訊いた。
「違うのか? じゃあ、なんだよ」
「金枝美糸くん。君は君が思う以上に、利用価値があるんだよ。そこそこ重大で、普通の人じゃなかなか務まらないことだ」
ソラは金枝から手を離した。
「ホルスじゃなくて、俺に?」
「今の君に。いつか話してあげるね」
「へえ……。じゃあ、なんか自信出てきた」
金枝は少し元気になって、自由になった左手でポップコーンを掴み、口に放った。
二人は映画館を出た。見終わった映画の、話の構成をベタ褒めするソラの話を聞いている内、金枝はいつの間にかゲーセンの中にいた。
「ゲーセンって人がいないのにうるさいんだな」
金枝は愚痴った。二人でメダルゲームをしたが、大して盛り上がらずゲーセンを出た。
急こう配の坂をあがると、観覧車やジェットコースターが見えた。
「金枝君。あんなところに遊園地があるぞ。行ってみよう」
「待てよ。いくら何でもおかしいだろ」
ぐいぐい行こうとするソラを金枝は引き止めた。
「そう? あれは移動式の遊園地。遊園地といえばデート」
「普通、デートって一日で色んなところに行かないんだよ」
金枝は頭を掻きながら言った。ソラは不満げに腕を組んだ。
「しかし行けるのなら一杯行きたいはずだ。映画館だけとか、ゲーセンだけとか、面白くないだろう」
「確かに遊園地とか映画館とかデートの定番だけども。さすがに趣きがないだろ」
ソラはポンと手を打った。
「ああ、そういうこと。一気に消化するより、今週は映画、来週は水族館みたいに分けて行った方が長くデートを楽しめるね」
「そう、そんな感じ」
「しかし私は毎週デート出来るほど暇じゃない。行くよ金枝君」
そう言って、ソラは金枝を引っ張り回した。ジェットコースターにメリーゴーランド、観覧車にコーヒーカップと一通り遊園地を遊び倒した。その間ソラは涼しい顔で定番のそれらアトラクションを満喫していた。
「とんでもない女……」
金枝はへとへとになりながらソラの背中を追っていた。
「おーい。待ってくれよ」
ソラは後ろを振り向くと、人懐っこい笑みを浮かべて後ろ手を組み姿勢を伸ばす。
「なんだ、もうへたれたの? そんなんじゃ私の婚約者失格だ」
「そんなんじゃないよ」
金枝は息を整えると、四角い巨大な建物を指差した。
「何で君、お化け屋敷を素通りする訳?」
「それは……好きじゃないから。あ、あっちに空中ブランコがあるな」
誤魔化そうとするソラの手を掴むと、金枝は強引にお化け屋敷の前へ連れて行った。ソラは抵抗の声をあげた。
「ちょっと! 女の子が嫌だと言っているのに意地悪な」
「知ったこっちゃないね。俺はリアルで君からホラー体験をさせられてるんだ。手術台での一連の流れや、屋上で寄生されてるのを見抜かれた時とか。こんな作り物、どうってことないって。ほら!」
金枝がソラの手を引いて歩き出そうとした。その途端、金枝は何かに足を取られた。二人はもつれるようにして、固いコンクリに転倒した。
「いった」
「痛ぇ……。くそ、大丈夫かソラ」
「うん、君こそ。急に転んだりして、どうしたんだ?」
「いや、ごめん。何もないところなのに、足を引っかけられたような……」
さっとソラの顔つきが変わった。ソラは無言で立ち上がると、「北形っ」と鋭く声をあげ、腰に手を当て周囲に睨みを利かせた。
「北形? そうか、あいつか……」
金枝は膝を擦りながらゆっくりと立ち上がった。
「いるのか?」
「いる。でも、デート中だから絶対に干渉してこないよう伝えていたのに」
「北形、いるなら出てこいよ」
反応は無かった。ソラは鼻を鳴らした。
「私がね、デート中はステルス且つ無言でいるよう命じたんだ。だって、邪魔でしょ? あんなのいたら」
「あ、ああ」
金枝は少し遠慮気味に笑った。
「邪魔だわアイツ」
金枝は内心、(へっ、ざまあみろ)と思っていた。
「金枝君、お化け屋敷。行かないの?」
ソラは上目遣いで金枝の方を見た。
「え、いいのか?」
「その方が北形も反省するかなって」
ソラは爽やかな笑みを浮かべると、金枝の左腕に自らの両腕を巻き付け、ぎゅっと抱きつく。この時、金枝は今日一番高揚した。
お化け屋敷に入って早々、金枝は後悔した。ソラを怖がらせようとして入ったはいいものの、金枝自身お化けが苦手だった。
「ソラはお化けが恐いんだよな?」
「え、全然」
「は?」
ソラは金枝から体を離した。
「言わなかった? 私は閉所と暗闇が苦手なんだ。お化け屋敷のお化けなんて、単純な機械と仮装した人間じゃないか」
「そりゃあ、そうだけど……ほら! 暗殺者が紛れ込んでいるかもしれない。機械が反乱するかもしれない」
「何それ。あはははは」
「強がるなって。女の子なんだから、嘘でも怖がっとけよ」
金枝はソラと手を繋ごうとしたが、ソラは機敏に行為を避けた。
「怖がってるのは君の方だろ。男なんだから先に行け」
二人はお化け屋敷の入口付近でもたもたしていたので、係のスタッフに「まだお化け出るの先ですよ」と声をかけられてしまった。二人は恥をかいた。
「分かった、じゃあこうしよう」
金枝が提案した。
「俺が先に行くから、君は俺と手を繋いでくれ。それなら、霊に襲われた時も一緒に逃げられる」
「そんなの、君が得するだけじゃないか」
ソラは眉を顰めながらも、渋々金枝の手に軽く指を絡ませ、言った。
「さっさと行こう。威子口の若いカップルが造り物の幽霊にびびっていたなんて世間に知られたくない」
お化け屋敷の中は、ひゅーどろどろというおどろおどろしい効果音と併せて、作り物の柳の木が風で揺れ、照明は赤と緑をふんだんに使い、気色悪いよう古典的な演出が為されていた。初めは金枝が前を歩いていたが、あまりに歩みが遅いので途中からソラが金枝を引っ張るようにして前を歩くようになった。
「ぎゃああああ!」
不意に白い着物の幽霊が飛び出してきたので、金枝は反射的に手に丸めて持っていたバックトゥザフューチャーの映画パンフレットで幽霊の頭をひっ叩いてしまった。
「なっ、なにすんだ!」
幽霊役の男性スタッフが長髪のカツラを毟り取ると、すごい剣幕で怒鳴り散らした。
「あまり馬鹿にするのもいい加減にしてくれよ! いくら天下の威子口だからって頭叩くことねーだろうが!」
「す、すみません」
二人は平謝りした。しばらくスタッフの説教を浴びた後、二人は逃げるようにしてお化け屋敷を出た。
「ごめん、ソラ。俺のせいで」
金枝はさすがにしょんぼりしていた。
「ホントだよ」
ソラは少し呆れていたが、すぐに可笑しそうにし始めた。
「何が面白いんだよ?」
「あーあ、だってえ。こんなに怒られたの、中学一年以来だから」
ソラは目を擦りながら言った。
「……え、そんな前?」
「そうだよ? 中一の時、君がいじめっ子に勉強用のタブレットを奪われて、プールに投げ捨てられたことがあったでしょ。それを取りに行って、授業に遅れてS先生が激怒した。あの時以来だ」
「俺なんて毎週のように、他人に怒られて――」
金枝は首を傾げた。
「いや……。そう言えば、俺もここ最近は怒られてないな」
「君も既に威子口同然だからね。周りの人は、なかなか怒れない」
ソラは両手を後ろに組んだ。
「怖いからね、威子口は。あんなに怒れるなんて、あの幽霊役のおじさんもなかなか肝が据わっている」
ソラは金枝と腕を組むと、「もう遊園地は出よう」と言った。辺りは陽が暮れ、赤紫色の染まり、夕方の気配が濃くなっていた。
「あっ、金枝君。あんなところで縁日がやってる」
またか、と金枝は思った。
ソラが指差す先には、アスファルトの道路一杯にトンネル状の半透明な膜が貼ってあって、温室のビニールハウスのように延々と続いている。薄らと中が透けて、リンゴ飴や綿飴の出店があるのが分かった。
「いいよ、今日はとことん付き合おう」
「そうこなくちゃ」
ソラは金枝と手を繋ぐと、ゆっくりと歩き始めた。半透明の膜を潜り抜けると、夏の夜特有の暑さと湿気、それから露店の鉄板の熱気が二人を襲った。金枝は堪らずジージャンを脱ぎ始めた。子供アニメのお面を被った小さな男児が、わぁわぁはしゃぎながら走っている。焼きそば屋の前で足を止めた父親に肩車してもらっている幼子は、片方のサンダルが脱げそうになっていた。露店からは、しょっちゅう威勢のいい掛け声が飛んで、辺りには焼き鳥やたこ焼きの香ばしい匂いが漂っていた。露店にぶら下がる裸電球の灯りで、この通り一帯が明るかった。縁日全体が和気藹々として、一見活気に満ち溢れていたが、一組の若いカップルが金枝らの脇を通り過ぎ、そのまま膜から抜けることなく遠ざかっていくのを見てしまった金枝は、ここの客は単なるVR映像に過ぎないのだと気づいた。
「なあソラ。ずいぶんと君はこだわって――」
金枝は言葉を失った。ソラのワンピースは、涼しげな浴衣姿に様変わりしていた。
「縁日らしいだろ?」
ソラはくるりとその場で回って見せた。薄い桜色の生地に青や赤のアサガオが華やかに咲いている。金枝はとても懐かしいような、甘酸っぱいような気持ちにさせられた。
ソラは屈んで革靴と靴下を脱ぐと、傍に誰かが用意したらしい赤い紐緒の木の下駄に履き替える。それを待つ間、金枝はふっと上の空になって、気づくと心の中のホルスの部屋にいた。
「美糸君。一つ確認しておこう」
八頭身の目玉親父がシルクハットとタキシード服を身に着けている。そんなような人物が、黄金色のゆったりした部屋の中でくるくる、ステッキを回しながら低く渋い声で言った。
「威子口空の機嫌を窺うのは結構結構。だが、心までは許すな。君は奴の本性を知っている筈だ」
「そうだけどさ。アイツ、多分今は俺のことが好きだ」
ニヤニヤしながら金枝が言った。
「だって何か、前と感じが違う。嘘じゃない、マジで。きっと俺の婚約者という立場に引っ張られて、最初は演技だったのが、段々本気になっていって――」
「騙されるな」
ホルスは溜息をついた。
「美糸君。単純な君と、奴とは、全く頭の作りが違うのだ。頭空っぽでデートするのは危険だ」
「はいはい。もういいんだよ、ホルス」
金枝はパタパタと手を軽く振った。
「あいつが威子口家当主、人類のトップになった今、俺に出来ることは何もない。小間口で洗脳しようとしたのに、全部見破られちゃったし。というか、俺は今ソラとデートしてんの。あの威子口空とだぜ? ついこないだまで、ソラに告白しろって言ってたのはホルスじゃないか」
金枝は鼻を鳴らした。
「俺は今、威子口空とデートしてる。言葉にすると良い響きだ。ホルス、君だってヒトの上質な寄生体験記を自分の星へ持って帰りたいんじゃなかったか?」
「分かったもういい、好きにしたまえ。痛い目を見ても知らんぞ」
「金枝君。金枝君?」
肩を叩かれ、金枝ははっとした。浴衣姿の威子口空が少し心配そうに金枝を見つめている。
「どうした、急にぼーっとして」
「……君の浴衣姿に見惚れてた」
「ふふっ。馬鹿なことを言ってないで、縁日を楽しもう」
ソラは金枝を流し見ると、くるりと後ろを向いた。涼しげな白いうなじに金枝は目を奪われた。
「何せ、これが最後かもしれないぞ?」
「ははは、怖いこと言うなよ」
膜の外では薄らと、アポカリプティックサウンドが鳴り響くのがさっきから聞こえている。金枝は少し不安になった。が、ソラと露店を見て回りながら、ああでもないこうでもないと言い合っている内、段々と気にならなくなっていった。
二人で、金魚すくいのデメキンや亀の泳ぐビニールプールを覗いた。ソラはヨーヨー釣りで釣った紫色のヨーヨーで遊んでいる。金枝は大して美味しくもないチョコバナナを買った。食べ物はその場で食べて、残りは金網のごみ箱に捨てた。賑やかな人だかりも、映像と分かると少し物寂しく感じた。屋台を切り盛りする荒々しい店主らは、ソラが金をケチったのか、よく見ると中古の安いアンドロイドがやっていた。
焼き鳥屋の白い煙が、膜の外へスーッと排出されていくのを金枝が見つめていると、ソラがイカ焼きの端っこを器用に齧りながら、からんころんと下駄を鳴らして歩いてくる。
「金枝君。あっちの屋台の焼きトウモロコシ、食べた?」
金枝は軽く首を横に振った。
「何で」
「いや、焼いてる匂いがあんまり良いものだから、気になっただけ」
お好み焼きの露店を通り過ぎたところで、二人は足を止めた。
「あ、射的」
「やるか?」
金枝の問いに、ソラはにこりと目を細めた。
「一回三百円ダヨ」射的屋の店主ロボが二人に反応する。
「二回分」
金枝が六百円を財布から出し、賽銭箱へ放るようにロボットへ投げた。射的の店主ロボは軍手を嵌めた機械の腕を機敏な動作で動かし、空中の小銭を残らず掴んだ。そして反対の手を伸ばし、コルク弾が五発載せられた鉄の皿を二枚、赤布の台にコトッと置いた。厳つい木のライフルは既に二丁、赤い台の上に置かれていて、誰かに使ってもらうのを静かに待っている。
射的の屋台はお馴染みの紅白の幕に囲われ、景気の良さそうな調子に仕上がっていた。手前の棚にはちゃっちい人形が統一感なくずらりと並び、奥の棚にいくほど高そうな景品、例えば、子供に人気のレアカード等を輪ゴムで束ねて立てたものや、妙に威圧感のある招き猫といった大物がどっしりと居を構えていた。
「どっちが景品を多く取れるか勝負しないか?」
持ちかけたのは金枝だった。
「負けた方が罰ゲーム」
ソラはすぐに勝ち気な表情をして「いいよ」と乗ってくる。金枝は不敵な笑みを浮かべた。
「よし。じゃあ、負けた方はジュース奢りで」
「ジュース?」
金枝の提案に、ソラは退屈そうに口をすぼめた。
「何だよ?」
ソラは口元に指を当て、少し考える素振りを見せた後、神妙な顔をして金枝を見つめた。
「金枝君、こんなのはどう? 射的で私が負けたら、今日から丸一日、君の言いなりになってあげる」
「えっ?」
「その代わり」
さらりとソラは言った。
「君が負けた場合、私の頼みを一つ聞くこと」
――出たな。怪しい誘いには乗るな。
ホルスが警戒の声を上げる。
「頼みってさ……誰かを殺せとか、俺との婚約を破棄しろとか――」
「違う違う。そういうのじゃなくて」
ソラは可笑しそうに笑いながら両手を振った。
「ちょっとしたお願いだよ。荷物持ちとか、足つぼマッサージとか、そういう類の」
「詳細は?」
「それを言ったらつまらない」
ソラはからかうような眼差しで金枝を窺った。
「どうする?」
金枝は「うーん」と思案した後、訊いた。
「君が負けた場合、丸一日言いなりってことは、明日もだよな?」
「うん」
「じゃあもし明日、裸で高校の教室まで来いって、俺が命じたらどうすんの?」
「そしたら、私は家から全裸でJRの快速に乗って幕張で降りてバスに乗り替え平汎高校前で下車して、高校の正門をくぐって高校棟校舎へ向かい自分の教室に入って着席の後、鞄に入れておいた下着と制服を着て授業を受けるけれど」
ソラはつらつらと恥ずかしげもなく具体的にイフを説明した。
「へえ。じゃあ、やる」
――何故だ。
ホルスが嫌そうな声で問い質す。金枝は舌打ちした。
「俺、射的には自信あるんだ。威子口空、今さら吠え面かくなよ?」
ソラはクールな笑みを浮かべ、後ろで結った黒髪を手で振り払う。薄らとリンスの匂いが香った。
「じゃあ私から」
人目を気にせず、ひょいとソラは台の上にお尻を乗せると、コルク銃を胸に抱え、ガコッと銀色のレバーを引きコッキングを済ませた。
「お客サン。台の上には乗らナイデ下さい」
「黙れ」
ソラは涼しげな口調で店主ロボを退けると、二本の指でコルクを挟み、銀色の銃口へ弾を込めた。
ソラは景品棚を見下すような体勢で近くの特撮怪獣のゴム人形に狙いを定めた。
パン! 乾いた音がした。コルク弾は人形を掠め、後ろの幕に当たった。
「やーい外してやんの」金枝が煽る。
ソラはコツンと自分の頭を叩くと、台から降り、寝そべるような体勢に切り替えた。
それからのソラはなんだかんだ、景品を三つ墜としてみせた。
「こんなものか」
ソラはつまらなそうに、戦利品のちゃちな人形を手の平で転がした。
(こいつ、何やらせてもそこそこ上手いな)
金枝は苦々しく思いながら未使用のコルク銃を手に取った。
「引き分けの場合は?」金枝は一応聞いてみた。
「その場合はなにもなし」
ソラは抑揚なく言う。金枝は少しホッとした。
「ほら、金枝君の番」
金枝の一発目。コルク弾は難なく手前の特撮ヒーロー人形に命中し、人形は変身ポーズを取ったままぽろりと棚から転がり落ちた。
「オメデトウ。どうぞ」
店主ロボが人形を拾いあげて金枝に寄越した。
「ふーん」
ソラは意外そうな声をあげた。
「マグレじゃなさそうだな?」
「だから言ったろ。俺は得意なんだって」
金枝は得意げに若干がたついた前歯を見せると、コッキングレバーを引き、弾を込め、今度は手前の鳥人間に銃口を向ける。その時、結った濡烏色の髪が金枝の肩にかかった。またリンスの良い香りがした。
「ねぇ、金枝君。君の瞳って近くで見ると灰色なんだね」
金枝の瞳を覗き込むようにソラは喋りかけてくる。
「え、そう?」
ソラは金枝の耳元で囁いた。
「高価な宝石みたい。誰に似たの、お母さん?」
「知らね……」
金枝は生唾を飲み込むと、引き金を引こうとした。
「そのカッコいいジージャン、どこで買ったの? 月製? ねぇねぇ」
「……あっ」
金枝の手元が僅かに狂った。コルク弾は人形に掠りもせず、幕に当たってポトリと落ちた。
「あーあ。外しちゃった」
「お前が邪魔するから……」
「えぇー? 私は耳元で話しかけただけなのに」
ソラはしめしめとばかりに口元を隠し笑っている。金枝は自分の頬が熱くなるのを感じた。
「ホルス」金枝はソラから距離を取ると、体内の寄生者に語りかけた。
「俺の両耳の聴覚を一時的に停止させたり出来ないか? 的に狙いを定めている間だけでいいから」
――そこまでして罰ゲームを逃れたいなら、最初から参加するな。
「うるせえ。アイツに赤っ恥を掻かせたかったんだよ。出来んのか出来ないのか?」
――やれないこともないが。
金枝は弾を込めると、台に体を預けて狙いを定めた。
(よし、何にも聴こえない)
ソラが左で何かを喋っているが、脳が言葉を処理しない。惑わされる心配がなくなり安心した金枝は、一度深く深呼吸をしてから引き金に指をかける。コルク弾の弾道が微かに垂れるのを見越して、先ほどから狙っている鳥人間人形の首付近を狙っていた。
引き金を引く間際、突如金枝の右耳にふーっと生温かい息がかかった。まずい、と思った時にはもう遅く、コルク弾は人形を掠めて紅白幕を揺らした。
「あーあ、また外しちゃった」
ソラは心底愉快そうに笑顔をひけらかしている。金枝は右耳を押さえ、頬を紅潮させながら憎々しげにソラを睨んだ。
「お前いい加減にしろよ。そんなの何でもありじゃないか。だったら俺も君が撃つ瞬間に腋をくすぐったり髪を引っ張ったりしてたさ」
金枝は、ソラが『じゃあすれば良かったじゃん』だとか、『勝ち負けには多少汚いことが必要だ』といった系統の反論が飛んでくると予想していた。が、ソラはそんなことはせず、おもむろに赤布の台に跨ると、的屋の中で、からん、と下駄音を響かせた。
「お客さん、中へ入っちゃ――」
「ピッ」
ソラはオノマトペを口に出しながら右手を伸ばし、卵型のリモコンを店主に向けた。店主ロボは立ち上がりかけた不自然な態勢でフリーズする。ソラは、それまで店主が腰かけていたパイプ椅子を取り上げると、わざわざ金枝の正面になるよう設置し、前かがみで椅子に座った。そして、先ほどまで自分が使っていたコルク銃の銃身を引っ張り上げ、すっと片手で構えると、金枝に銃身を向けた。
「な、何だよ」
「金枝君。試しにこれ咥えてみてよ」
「……何かのプレイですか」
金枝は若干引きながらも、気にせず射的に集中しようとした。が、銃を構える過程で必然的にソラの銃口が口元のすぐ傍へ来る。ソラは猫じゃらしでも扱うように、ちろちろとコルク銃を操った。金枝は苛々して、銀の銃身に奥歯を当てがった。
「北形、写真」
眩いフラッシュが金枝の眼前で焚かれる。ソラは童心に帰ったような上機嫌な笑みを浮かべながら、コルク銃をぐいぐいと振った。こいつにはやはり加虐趣味があるんだと金枝は歯を食い縛りながら確信した。
――集中しろ美糸君。何が何でも、あと二発当てるのだ。でないと厄介なことになる。
「金枝君は、射的台の奥の景品は狙わないのか? 手前のちっちゃな玩具なんて、倒しても面白くないよ?」
「やだ」
「ふうん。私、金枝君のカッコいいところが見たいなァ」
ソラは甘ったるい声を出して金枝を見つめた。金枝の額から脂汗が垂れた。
(集中しろ俺。まず一発、絶対に当てないと)
ソラはおもむろに脚を組むと、空いている方の手で頬杖を突いた。金枝は、ソラの素足が気になった。台に跨って的屋の中へ入った拍子にソラの浴衣はするりとはだけ、白く透き通るような滑らかな太ももがチラチラと視界で邪魔をした。
金枝は舌打ちした。撃とうとする度に、ソラが絶妙なタイミングで脚を組み直してくる。ソラは余裕の表情を浮かべ、金枝のことを観察するようにじっと眺めていた。
「あぁ……」
既に気持ちが切れていた。ソラはゆっくりと後ろを向いて、金枝の四発目が景品を何一つ落とせなかったのを確認すると、自分の所業を棚に上げて無邪気に喜んだ。
「負けました」
金枝はソラの銃を口から吐き出し、負けを認めた。
「まだ一発あるじゃん。最後までやろうよ」
「でも、当てた所で……」
「じゃあ、あれを落としたら二つ分景品を落としたことにしてあげる。そしたら罰ゲーム無しだよ」
ソラは棚の奥でオーラを放つ白い招き猫の置物を指差し、笑いを堪えながら言った。
――性悪女め。あんなの落とせる訳がないのを承知で言ってくるのだ。
金枝は一縷の望みをかけて、招き猫に標準を定めた。ソラはあっさりと場所をどくと、勝ちを確信しながら動向を見守った。
パチッ。金枝の放ったコルク弾は、招き猫の厚い装甲にあっけなく弾かれた。金枝は絶望に苛まれながら、コルク銃を台の上に置いた。
「はい、残念。結果は、私は景品三つ」
ソラは身軽に台を飛び越えると、はだけた浴衣を正しながら訊いた。
「……で、金枝君は?」
「一つ」
「え?」
「一つだよ」苦い顔で金枝は繰り返した。
「一つ? 嘘、私でも三つなのに。得意だって言ってたよね、射的。全然ダメじゃん」
「そんなに俺をいじめて楽しいか?」
金枝はうんざりしたようにソラを見つめた。ソラはそれには答えず、コルク銃を静かに台の上に置くと、何も言わずに金枝を見つめ返した。
「罰ゲームって何?」
金枝は死地に飛び込む覚悟で自分から尋ねた。少しの間があった。
「頼み、っていうのは――」
射的の名残で赤布の上に置かれていた金枝の右手に、ソラは自身の左手を重ねた。
「な、なんだよ」
「大事な時は、君が『下』になること」
「下……?」
「そう。私が上で、君が下」
「それ、どういう意味で」
金枝の頬から変な汗が伝った。
「今は分からない方がいいし、その方がいい。でも、もしその時が来れば嫌でも分かる」
ソラは寂しげな顔で、意味深な物言いをした。ますます意味が分からず金枝が食い下がろうとした時、ドーンと派手な音がした。
「始まった」
ソラは金枝から手を離すと、鮮やかな夜空を軽く見上げた。ただの映像とはとても思えなかった。金枝の肌は花火の振動を微かに感じたし、ひゅるひゅると闇夜へ打ち上がり、華々しく散ってはまた別のが上がる。豪華な催しに金枝の胸は自然と躍った。
二人は何も言わずに夜空を見上げていた。何の効果音もない、ただただ純粋に花火を堪能するだけの静かで贅沢な時間。二十分ほど続いたそれは、最後にバババンと花火の大軍が夜空一杯に咲き誇ると、そのまま虚空へ吸い込まれ、唐突に終わった。
花火の余韻に浸っていると、ソラがぽつんと言った。
「あまり、リアルすぎるのも考えものだな。私、今日ので満足してしまった」
「ソラ。夏に本物の花火を見よう」
金枝は静かに言った。ソラは口を開きかけたが、結局何も言うことはなかった。ソラは髪をさらりと払うと、さっぱりした顔つきになって、小さく微笑むのだった。
「金枝君。近くに美味しい中華料理屋があるんだ。子供の頃、両親と行った記憶がある」
ソラは縁日の膜から出ると、下駄からハイヒール靴に履き替えている。
「いいよ行こう」
金枝の返事に、ソラは白い歯を見せ、浴衣の襟元を軽く摘まんだ。浴衣はキュッと引き締まると、色を変え形を変えて鮮やかな紅色のチャイナドレスに変貌を遂げた。
「こっち」
踝まである丈の長いドレスの両脇には深くスリットが入っていた。コツ、コツとソラが歩く度、すらりとした白い脚が覗く。色っぽいソラの全身に金枝は嫌でも見惚れてしまった。
――美糸君。いっそのこと彼女に抱きついたらどうだ。
ホルスにからかわれ、金枝は自分の頬を叩いた。
「今日はずいぶん、サービスが良いじゃん」
金枝はチャイナ服を指差し尋ねる。ソラはドレスを軽く摘まむと、はにかんで見せた。
「これは、私がただ着たかったんだ。北形には破廉恥と止められた」
「いや。全然そんなことない」
「もしもデートがつまらなかったら途中で切り上げようと思っていたから、見れた君はラッキーだな」
縁日のところから歩いて十分ほど。映画館や遊園地とは違い、元々麻布十番街に店を構えていた中華料理店へ続く地下階段の細い入り口には、神社の狛犬のように左右二体、自らの子を踏みつける黄金色の獅子の像が置かれていた。金枝は少し厳かな気持ちで、獅子の合間を通り、階段を下って店内へ入った。
麻布の中華料理というから金枝は身構えていたが、内部もこじんまりとして、構造も店というより、部屋の多い一軒家というような造りだった。たくさんの客を受け入れる設計ではないな、と金枝は思った。また、階段を下りてきたのに店内に上への階段があった。二人は店員に案内され、階段を上がった先のパーテーションのあるテーブル席へ通された。
「両親と、何度かここへ来た覚えがあるの」とソラ。
「へえ。何が美味しかった?」
「餃子と中華麺」
そう言いながら、ソラはペロリと舌舐めずりをした。
「……あれ」
金枝が目を開けると、流線形の白い天井があった。金枝は柔らかなベッドに寝かされている。そこは客室で、薄らと消毒液の匂いもした。周囲に人の姿はない。とても静かな空間だった。しかし何故、自分はここにいるのだろう。金枝は混乱した。
金枝の脳裏に最初に浮かんだのは、回転式の中華テーブルだった。そこに載った餃子がソラと金枝の間で行ったり来たりする。金枝はうっかり餃子を食べて、吐いた。ソラに見惚れるあまり、食前のバカシタをすっかり忘れていたのだ。そもそも縁日のチョコバナナを食べた時から、金枝の味覚は少しおかしかった。
――思い出してきたか?
ホルスが非難するように尋ねる。
「いやぁ、どうかな」
――君はな。ソラの『はい、あーん』で簡単に口を開け、普段と色も風味も違うバカシタでない『何か』を口に入れたのだ。鯉のように、馬鹿みたいに。
「あ、そうだ。それで、途端に眠くなって、気づいたらここ」
金枝は睡眠薬を自ら噛んでしまっていた。金枝は小さく舌打ちをした。
「あいつ、あんなに俺に気がある素振りしてたクセに、ひでぇ!」
――彼女が途中からやけに積極的だったのは、君への愛情表現などではなく、粗相をした自身の執事への仕置きだ。それは君も分かっていた筈だ。
「うるさいな。そこは、俺も楽しんでたからウィンウィンだったんだ。畜生、むかつく。千円もする餃子と、二千円する中華麺を食べ損ねた」
ぐぅ、と金枝の腹が鳴る。
「空腹ということは、俺は眠った後でそのままここへ運び込まれたんだ」
少し考えれば分かることを金枝は口にする。気が立っているところに、ウィン、と部屋のドアがスライドして何かが入ってきた。猫耳をつけた雪だるまのようなフォルムをした艶々の黒いロボットが、ホバー移動でベッドの脇に近づき金枝を見下ろした。小学校高学年程の背丈があり、額には目玉のようなセンサーが付き、本物の眼は丸く小さく、そして青色に発光していた。手はパソコンのマウスに似て、足は無く、胴体が宙に浮いていた。
「何だお前」
「こんばんは、ワタシはガネタ! 高性能アシスタントナビゲーションロボのワタシに何でも聞いてね!」
最近のロボットらしくないフランクな口調でガネタが名乗る。声色は大人の女性が子供を演じる時のそれに似ていた。
「まさか俺ら、宇宙船に乗ってんの? 何で」
金枝はベッドから跳ね起きながら訊いた。
「ソラ様がキミを運び込んだんだよ! デートの最後に、どうしても見せたいものがあるんだって」
「うわっ」
悪い予感がして金枝は露骨に嫌な顔をした。ガネタの額の目玉型センサーがぐるりと動き、金枝の表情を瞬時に読み取る。
「あれ、どうしたの。若い子同士、喧嘩でもしたのかい?」
「いや、そうじゃないんだよ。きっと、ソラは俺にサプライズをするつもりなんだ」
金枝は即興で出まかせを喋った。
「でもさ、俺だって一人の男。俺の方からサプライズして、女性を喜ばせたい訳だよ。まあ、ロボットの君には、この気持ち分からないか」
「わ、分かるとも! あんまりワタシを侮らないで欲しいな。ワタシのこんな砕けた口調だって、乗組員のみんなとすぐ打ち解ける為なんだよ!」
もしやロボット差別じゃないだろうね、と熱くなりかけるガネタ。金枝は苦笑いしながら胸元で手を振った。
「違うよ。そういうのじゃなくて。ガネタ、俺を威子口空に今すぐ会わせてくれないか。たまにはこっちから彼女にサプライズしたいんだ。協力してくれよ」
「ええ? でも、彼女からは『あまりうろちょろさせるな』って言われたから……」
「……はあ。やっぱりロボットには人の気持ちが分からないのか?」
金枝はやれやれと首を横に振った。
「いいか。『あまりうろちょろさせるな』っていうのは、『うろちょろさせたげて』ってことなんだぜ」
「なんだって? それはまさか、いわゆるアマノジャクって奴!? 『イヤよイヤよも好きの内』とか『押すな、押すなヨ』の類の!」
「そうそう。極度のツンデレなんだよ、ソラは」
金枝は自虐的な笑みを浮かべた。
「あー、そういうことなんだ。ヒトっていうのは、奥が深いなぁ」
ガネタは感心したように両耳を時計回りに一回転させると、「こっちだよ!」と言って白い通路を出ていった。金枝は余裕ある足取りでついていく。
――どうする気だ金枝美糸。
「こっちから能動的に動く。あいつの企みを知れたら有利だろ」
口元に手をやりながら小声で金枝は言う。
ガネタは他より一回り大きなドアの前で立ち止まると、壁に埋め込まれたタッチパネルをピポパと操作した。空気の圧縮されるような音と共にドアが開いた。
「あれ、ソラ様……いないなぁ。お手洗いかな」
ガネタは頭部を上下左右に動かしながら、室内に入っていく。そこはどうやら、この艦のコントロールルームらしく、見るからに精密そうな得体の知れないラッパ形状の機械が壁の至る所に収容されており、最新鋭の感覚伝達パソコンが複数台、それらの機械と光線で繋がっていた。部屋の中は低温に保たれ、アロマオイルの良い匂いが漂っている。中央の霧状モニターには何処かの惑星が立体的に浮かんでおり、その惑星の横には座標軸や天候、地形の高低など基本データが表示されていた。
「ガネタ。あれは何だ?」
金枝はモニター内の惑星を指差し訊いた。
「おや。キミは何も知らないでノアに乗船したの?」
「ノアって、この船の名前か?」
金枝が訊くと、ガネタはくるっと機械の指を回した。
「そうさ。ここは特殊航行艦ノア。人類の未来を救うための希望の方舟だよ!」
「ガネタ。彼には何も話してないんだ」
「あ、ソラ様」
威子口空は透けないワンピース姿に戻っていた。ソラは奥の細い通路から白いスカート裾を微かに靡かせながら、ライトの当たる部屋の中央までなだらかに歩いてきた。
金枝は眉を顰め、苦い顔になった。
「ソラ。俺に睡眠薬かなんか盛っただろ」
「ごめんなさい」
ソラはあっさりと認め、伏し目がちに言った。
「何しろ、この船そのものが国家機密なんだ」
ソラは立体モニターの電源を切った。謎の惑星はふっと霞のように霧散する。
「金枝君が寝ている間に連れてくる方が、色々手間が省けるの」
「だからって――」
「埋め合わせは必ずするから。ね?」
ソラは金枝に向かって爽やかなウィンクをした。金枝は「二度とすんなよ」と言うしかなかった。
「さて」ソラは軽く腕組みをするとガネタを見止めた。
「ガネタ。この部屋へ彼を連れてこいなんて言った? 私」
「だって、金枝さんが『連れてこないは連れてこいだ』って、言うんだもん。ワタシは悪くないよ」
ガネタはぷいと顔を背けた。ソラは小さく溜息をつくと、不満そうに靴を二度鳴らす。
「北形まで、入室を許して。さては、さっきの見せつけデートで拗ねた?」
「ソラ、答えろよ。何で俺をこの、宇宙船だか何だかに運んだ」
ふぅと息を吐いた後、ソラは金枝の目を見て言った。
「知って欲しかったんだ。人類の必死の生存戦略、リアース計画を」
「リアース計画……?」
「リアースは、星の名前。計画発案当初は未発見だった惑星だ」
――ワクワクする響きだな。
ホルスが頭の片隅で呑気な感想を呟いている。
「それと。最後にお別れをさせてあげようと思って」
「俺と? 誰を――」
「来れば分かるよ」
ソラは金枝を連れて部屋を出た。後ろからガネタがスーッとホバー移動でついてくる。
ソラは艦内を案内するように歩きながら、淡々と話し始めた。
「威子口家は前々から人類の絶滅を予測していた。その原因さえ分からぬまま、滅びを回避しようと足掻いた末に立案されたのがリアース計画なの」
「へえ。何か、曖昧だな」金枝は率直な感想を漏らした。
「端的に説明するとね、二種の生存プランを同時に用意しておいて、将来的にその内のどちらか一つでも人類の延命に繋がればラッキー、というような代物なんだ。良くいえば汎用的、悪くいえば何の成果も得られず色々なものをドブに捨てるような計画」
「で、具体的には?」
塵一つない、歩行者が正面から見て六角形をした白い通路を歩きながら、金枝は訊いてみた。通路の壁には何百年も前に他界した著名な画家や漫画家のAIに産出させた、独創的で鮮やかな宇宙旅行の絵が、立派な額に収められ何気なく飾られている。
ソラは角を曲がりながら答えた。
「二つのプランの内の一つは、やる必要が無くなったので説明を省くね。もう片方がノアの方舟案。つまり、この宇宙船を遠方の惑星、通称『リアース』まで飛ばそうという計画だ」
ソラに連れられて入室したのは、そこそこ広く造られた娯楽室だった。
人類は今、旧遺物の宇宙船から抽出した捩じれ航法の技術をあらゆる長距離航行船に採用しており、何千光年にも及ぶ航行距離の劇的な縮小に成功してはいるものの、何故か体感時間は短縮されぬまま乗組員の精神に重く影響を及ぼしていた。コールドスリープで睡眠中に目的地に到着するのが理想であったが、身体への負担を考慮し、コールドスリープは定期的に覚醒する必要があった。
娯楽室に等間隔で並ぶ十二の重たい機械テーブルには、気の遠くなるような時間感覚に乗組員が耐えられるよう、太陽系の内外で編み出された何千万という娯楽作品が記録されており、ここでいつでも見たり遊べるよう、部屋ごと乗組員向けに開放される予定になっていた。更に、人類の娯楽の歴史を保管するという目的もこの場所に託されていた。また、隣りの大部屋と娯楽室は隣接しており、本来は窓が共有されているが、現在は灰色のシャッターが冷酷に遮断し、向かいの様子は窺い知れなかった。
「ガネタ、扉をロック」
「あ、了解しました」
ガネタは何かを察したように娯楽室をロックすると、ソラに言われる前に室内の灯りを点けた。灯りが点灯すると共に、煌びやかなジャズ音楽が頼んでもいないのに室内で流れ始めた。ソラが椅子に腰を落とすと、椅子が重さを検知して電源がオンになり、テーブルの上に立体的な娯楽ジャンル選択画面が表示された。ソラは宙に浮かぶポップコマンドには目もくれず、金枝を向かいの席に呼ぶ。
「じゃあ、この船は色んな動物とか、家畜も乗せてんの?」
金枝は背もたれに後頭部をつけ、少し居心地悪そうに訊いた。
「ノアなんて名前を付けるぐらいだし」
「ええ。この船の生物は現人類と完全独立し、永く繁栄してもらうよう設計されているから」
ソラが二度、軽く手を叩くと、白い天井が開いて冷気と共に機械の腕が飛び出し、冷えた金属のコップをソラの前にコトリと置いた。ジュースサーバーの蛇口が降りてきて、「何になさいますか」と伺いを立てる。
「ホットココア、濃いめ」
ソラの声に反応し、ジョボジョボと焦げ茶色の液体がコップの中程まで注がれる。ソラは一口、コップに口をつけた後、また金枝の方を見た。
「つい最近まで、乗組員の選定が偏っていたんだ。わがままな金持ちや政治家共が『私の娘を息子をノアに乗せてくれ』ってうるさくてね。中でも観返教会は特に口出しをしてきた。もう少しの所で禄でもない連中がリアースへ向かうところだった」
「八雲さんの死後に、見直したのか?」
ソラは小さく頷いた。
「乗船資格があるのは、離人症だけだよ。それ以外の人間は全て却下した。私も君も、この船に乗る資格はない」
「……そういうことか。俺を呼んだのは、こないだの離人症の面接で、ノアの乗組員の選定にだいぶ貢献したからだろ?」
ソラは柔らかく微笑み、湯気を燻らすコップを両手で少しずつ回した。金枝は少し身を乗り出した。
「やっと面接の意味が分かったよ。というか、俺がいないと成り立たないじゃないか。ノアの船員選び」
「仮に君がいなくとも、能力を見極める離人症状者が他にもいるんだよ。海外で同様の面接を行っていたのを忘れた?」
ソラが指をパチリと鳴す。ガネタがピポパとメロディ音を発した。と、灰色のシャッターがガラガラと開いた。嵌め殺しの窓の向こうは多目的の大きなホールになっており、三百名弱の人間がテーブル席に座って、不思議そうな顔で金枝らに視線を向けた。性別も肌の色も、服装までばらばらだが唯一、若者という特徴だけは共通していた。ノアの乗組員の中には、金枝の見知った姿もあった。ヒグマを殺害したチョコレート女。そして。
「小間口さん?」
窓のすぐ傍の席にいた小間口は、金枝とソラの姿に気づくと少し恥じらうように手を振った。
「声、聞こえてる?」
金枝はゆっくり口を動かしたが、小間口は小さく首を横に振った。金枝は笑い返したが、少し不安な気持ちになった。
「……何で、彼女が?」
金枝はソラを見つめた。
「同意の上だよな?」
「ええ、当然」
ソラが肩を竦めた。
「伊穂に限らず、乗組員の全員が遠距離生活になることを承知した。ただ、伊穂は少し特殊だ」
「へえ?」
「十月下旬に、取引をした。『例の件』で私に協力する代わりに、伊穂を親元の影響が及ばない遠くへ行かせるということ。乗組員の中に、熱心な観返教徒は含まれていない」
「例の件って……」
――威子口八雲の暗殺に協力したことだろう。
ホルスの指摘に金枝は「ああ」と納得する。ソラは朗らかな口調で言った。
「彼女以外にも、私に協力してくれた離人症状者は船に乗せた。こうするのが、最も安全だから」
「そっか」
金枝は少し言葉を切ると、席を立った。小間口に指で合図をして、部屋の外で話そうと伝えた。小間口はうんうんと頷いて、同じように席を立つ。
「ソラ。扉を開けてくれ」
「金枝君。それは許可できない」
「えぇ?」
ソラはおもむろに立ち上がると、「マイク」と言った。ガネタの胴体からポッとマイクが発射され、ソラの手に収まる。
ソラは軽く咳払いすると、爪先でマイクの電源を入れた。
「ノアの乗組員の諸君、フライトが夜遅くになることを詫びます。そして、威子口の代表として、人類の希望になる重圧を受け入れたことにお礼を言わせて下さい。ありがとう。そしておめでとう」
ソラの声は艦内全域に聞こえていた。ホール内に集められた若者達の耳にも、天井のスピーカーを通して届けられており、彼らは娯楽室のソラに向かって和やかに拍手した。小間口は遠慮がちに、自分の席へ戻る。
ソラは演説を始めた。
「離人症と、威子口にまつわる歴史はあまりに残虐です。威子口家は当初、不思議な能力を発現した人々を人類の希望だと持て囃し、好意的に接しました。しかし、その能力は非常に不安定で到底人の手で制御できるものではありませんでした。技術利用を目論んでいた威子口家の当てが外れ、威子口は能力者への関心を失いました。また、当時は能力暴発による痛ましい事故が相次ぎました。能力者を重用していた威子口は世間からの批判を恐れ、方針を一転。能力者を国家に仇なす危険分子、人でない存在『離人』と定め、全ての問題を離人症に被せた後、治療という名の迫害を開始します。特に私の祖父は世間における差別感情を煽り、激しく弾圧してきました。到底、赦されるものではありません」
ソラは一度言葉を切る。ノアの乗組員は真剣な面持ちでソラの話に聞き入っていた。ソラはすっと顔を上げ、清聴する若い男女に澄んだ眼差しを向けると、静かに言葉を紡いでいった。
「威子口である私が、貴方達をこのノアの乗組員に選んだのは、終末遺伝子の影響を受けないからだとか、そんな理由ではありません。差別のない、新しい世界に身を置いて欲しいからです。そんな世界が、あって欲しいのです」
ソラは浅く深呼吸をしてから言う。
「私達は今後、一切干渉しません。誰も知らない、そして何からも囚われない、貴方達だけの星、リアース。それが理想郷であることを、私は信じて疑いません。威子口はいらない。君達こそが英雄だから」
ソラは口からマイクを離すと、長く頭を下げていた。ソラの目から、涙が零れた。それが離人症に対しての、威子口家からの初めての謝罪なのだと金枝は察した。ノアの乗組員は一人、また一人と立ち上がると、ソラに熱っぽく拍手をした。乗組員たちの涙腺は緩み、まるで重い鎖から解放されたような穏やかな顔つきをして、皆がソラを讃えていた。
――何でこいつらの目は潤んでいる? 自分らを苦しめた威子口家だぞ、謝罪の一つで感激するのは、おかしいのではないか。
ホルスが当たり前の指摘をした。金枝は複雑な気分で、目の前で繰り広げられる光景を眺めていた。
金枝は納得せずとも、理解が出来ていた。威子口の代表が謝ることなど、絶対に有り得ないことだ。だからこそ、少し優しくされただけで感動してしまう。親から酷い扱いを受けた子供ほど、親に気に入られようと健気にアピールし褒められたら心底喜ぶように。
それだけ威子口家、その中でも当主というのは絶対的存在だった。
ソラはハンカチで涙を拭くと、濡れた目をして、自分を讃える若者たちの笑顔をひとしきり満足げに眺めてから、マイクに口を近づけ、にこりとして言った。
「というのは全て、ウソなんです」
大ホールにいた若者たちの目が、一人残らずきょとんとした。金枝も例外ではなかった。
ソラは冷えた笑みを浮かべながら、先ほどとは打って変わって冷酷な声を発する。
「私は先代が作り上げた離人症差別社会を変え、君達の境遇を良くすると言いました。そういうのは全部嘘。私は、君達のような離人症持ちが嫌いで嫌いで仕方がないの。さっさとくたばれと常日頃から思っています。今もね」
ソラは淑やかに白い歯を零した。
「だって私の両親、君達が殺したんだもの。そのせいでどれだけ苦労したことか。もう、憎くて憎くてたまらない。貴方達のようなクズは、生きていてはならない。突然能力暴走して罪のない人達を巻き込んだり、社会を逆恨みしてテロを起こす。碌でもないよね、本当に。もう最初から産まれない方が良かったんだよ、君達は」
「そ、ソラ?」
金枝は理解できずにいた。ソラはおもむろに、澄んだ笑い声をあげた。不穏な空気を感じたノアの乗組員達は及び腰になり、おろおろしている。何人かが勇ましく離席して大ホールから出ようとしたが、ロックされたドアに阻まれ、その場で立ち尽くした。ソラは嘲笑混じりに言葉を紡ぐ。
「甘い言葉に誘われて、こんなところまで来て今さら逃げられる訳がないでしょう? ノアに乗船した時点で、ゲームオーバーなんです。自分の境遇を呪って下さい。来世は普通の人間に生まれ変われるよう、祈って下さい」
金枝は、小間口と目が合った。小間口の瞳は恐怖で怯えていた。今まで見た事ない、虐げられる者の眼差し。見てはいけないものを見た気がして、金枝は動揺した。
「金枝君」
ソラに軽やかに声をかけられ、金枝はヘルメットのようなものを渡された。よく見ると、それはガスマスクだった。ソラはてきぱきとマスクを装着する。
それを受け取ったまま目を白黒させる金枝を見止め、ソラは尋ねた。
「つけ方、分からない? 仕方ないな、つけてあげよう」
ソラはマイクの電源を点けたまま、テーブルの上にコトンと置いた。そして、金枝からガスマスクを取り上げると、手際よく金枝にガスマスクを被せた。
ソラは再びマイクを取ると、ガスマスク越しの掠れた声で、窓の向こうでざわつく乗組員の若者達に向かって、優しく語りかけた。
「さようなら、哀れな離人症の諸君。楽に死ねるよう、肺一杯に空気を取り込むことをお勧めします。でないと、かなり苦しむから」
ソラはマイクの電源を切ると、ガネタに向かって言った。
「さあ。全室へガスを」
「命令を確認。ノアの全室にTNガスを投下します」
ガネタの目が赤く光った。すると、天井から真っ白いガスがシューシューと遠慮なく噴き出した。それは娯楽室に留まらず、大ホールも同様だった。金枝は茫然として、ガスマスク越しに逃げ惑う若者を眺めていた。あっという間に、白いガスは大ホール内を満たしていく。ガスに包まれた若者は、白目を剥いて虚空を掻き毟ったり、床でジタバタと死にかけの虫のようにもがき苦しんでいた。大勢の人が息を止め、一縷の望みをかけて扉の前に殺到したが、扉はびくともしない。やがて一人、二人と我慢出来ずにガスを吸っては、目を真っ赤にして、首元を引っ掻きながら、バタバタと倒れていく。目を覆いたくなるような光景だった。
小間口は窓を手で叩き、助けを求めていた。金枝はソラからマイクを奪うと、窓に叩きつけた。が、窓は分厚く、耐久性も頑丈な素材で出来ており、簡単にマイクは弾かれてしまった。
「畜生!」
金枝も窓をバン、バンと叩いたが、叩けば叩く程に自身の行為が何の意味も為さない事を脳が理解していった。互いのいる空間のガスが濃くなる中、ガスマスク越しに、金枝は小間口と目が合った。その瞳は激しい恨みと絶望で汚れていた。金枝は急に薄ら寒さを感じて、窓から三歩、四歩と離れたまま、もう窓を叩くのをやめてしまった。しばらくの間、伊穂の両手は窓を叩いていたが、ガスが一段と濃さを増し始めると、伊穂の内出血をした片手がズルズルと窓を舐めるように触れたが最後、もう二度と叩くことはなかった。
「……ガネタ。もういいわ。ガスを排出して」
ガス投下から五分。ソラのくぐもった声が真っ白い空間の中で聞こえた。やがて、大気中のガスは薄れ、視界が開けていく。
「ノアの全室で濃度ゼロパーセントを確認。排出完了」
ガネタが場にそぐわない明るい声で言った。金枝はゆっくりと視線を上げていき、窓の向こうに目をやった。
大ホールには誰一人、立っている者はなかった。さっきまで動いて笑って泣いていた若者達は、影も形もない。あるのは、床に転がる人、人。その向こうにも人、人、人、人。特に扉付近では、折り重なるようにして大勢人が倒れていた。床に伏した彼等の顔は、恐怖と苦しみに晒され、皺が刻まれ、まるで鬼のように歪んでしまっていた。
「何だよ、これ」
金枝は呟いた。
「何なんだよ、これは!」
金枝は気づいた時には、ソラに掴みかかっていた。
「何でだよ! 離人症は、人類を救うんじゃなかったのかよ! おかしいじゃないか、何もかも」
「金枝君、離して」
ガスマスク越しにソラが低い声で言った。金枝は首を横に振った。
「いや。さすがに許せねえ」
「金枝美糸、離せ。でないと――」
「この野郎ッ!!」
金枝が手を挙げた瞬間だった。顔面に強い衝撃が走り、金枝は吹っ飛んだ。強かにゲームテーブルに頭を打ちつけ、金枝の視界に星が弾けた。
「だから言ったのに」
胸元をはたきながら、ソラが言った。ソラのすぐ傍ではファイティングポーズを取る北形の姿があった。北形は憎悪の眼差しで金枝を睨んでいる。
「やっと、お前を殴れた。今日だけで何度、拳が疼いたことか」
北形はふぅと短く息を吐くと、「お嬢様、お怪我は?」と訊いた。
「私は大丈夫だから。北形、艦内に異常が無いか見てきてくれる?」
「はい、お嬢様」
北形は床に伏せた金枝に唾を吐き捨てると、すたすたと部屋を出て行った。ソラは軽く息をつくと、ガスマスクを外してテーブルに置いた。傍でぐったりしている金枝に寄り添うように、ソラは床に膝をついた。ゆっくりと、北形の右ストレートで歪んだガスマスクを外すソラ。ガスマスクからは血と涎が垂れ、ポロリと、折れた前歯が床に落ちた。
「可哀そうに。ここまでやることはないのにね」
ソラは優しい手つきで金枝の頬を擦った。虚ろな目で金枝はソラを見た。ソラはにこりと微笑んでいる。
「安心して、金枝君。誰も死んでないから」
「……死んで、るだろ」
金枝は口内の血と唾液を吐いた。ソラはポケットからハンカチを取り出すと、金枝の口元を拭きながら言った。
「生きてるんだよ。白いガスは人体に無害の催眠ガス。ちょっと、苦しみを感じる臭気を混ぜただけ。驚かせてごめんね」
「嘘だ……。何で、そんなこと」
「面接会場で自殺した、未来予知の離人症状者を覚えてる?」
「あいつが一帯……」
「彼は、宇宙船の乗組員がみんな死ぬと予知していたでしょう? あれ、とても縁起が悪いなーと思って。念のために、色んな辻褄が合うよう、こうして一芝居を打ったの。これなら、未来予知で皆が死んだように見えるから。君も、良い反応をしてくれた」
金枝は無理やり立ち上がると、ソラには目もくれず、よろよろと娯楽室を出た。ドアは開いていた。大ホールのドアも開いていた。金枝は足元に倒れる人を踏まないよう歩いていき、やがて跪いて動かない小間口の背中に手をやった。
小間口の背は、緩やかに動いている。床のあちらこちらから寝息が聞こえていた。
「冗談、きついわ」
金枝は気が抜けたように、力なく笑うしかなかった。
ソラの後に続いて金枝は鉄梯子を上り、ノアの上へ出た。
航行艦ノアは、真っ暗な夜の海上に浮かんでいた。遠くの夜空に白く輝く満月が、金枝の心に焼き付いた。
用意してあった救命ボートに三人は乗り込んだ。
北形がボートを漕いだ。ざあぁ、ざあぁという素っ気ない波の音が、無情に世界を支配している。
ふっと、満月に続いて世界に光が灯る。ソラは電源を入れた懐中電灯を金枝の口元に向けた。
「金枝君、口開けて」
「何で、そんな」
「ほら、あーん」
金枝が渋々口を開ける。痛々しく折れた前歯が姿を見せた。
「あらら、やっぱり綺麗に折れてる。明日、学校終わりに威子口家の医者へ診せよう。すぐ治してくれるよ、欠けた歯もあるし」
ソラが無邪気に、金枝の折れた前歯の欠片をつまんで見せつける。「海に落とすなよ」と、金枝は念を押した。
少し間が開いてから、金枝がぽつりと言った。
「結局、小間口さんとは会話出来なかった。眠ったまんまで」
「いいじゃない、窓越しにやり取りしたんだから。そんなに仲良くなかったでしょ?」
金枝は無言で潮騒に耳を傾けた。
「ノアは、いつ飛び立つんだ?」金枝は知らなくてもいいことが気になった。
「あと、一時間くらいかな」
ソラは腕時計を見ずに答えた。
「どんな星へ行くんだ?」
「威子口家の影響すら及ばない、地球に似た星。その存在を知っているのは私含め数人。惑星リアースを発見してから、威子口家はこの星を秘匿し続けた。私達人類とこの先一切の関わりを絶つことで、介入される可能性をとことん避け、仮に私達が絶滅したって、ノアの乗員はそのまま別の種族のように生存してくれればいい」
「離人症の人間だけなら、終末現象は起こらないんだろ?」
「多分ね。両親とも離人症の子は高確率で離人症になるというデータがあるし、あまり心配はしてない。それに、乗組員達の『ヒトの外見が変わらないようにする遺伝子』も、一応元に戻しておいた」
「じゃあ、完璧じゃん。やったじゃないか、ソラ。俺達、人類を存続させたんだ。絶滅を回避出来たんだ」
「あのね、金枝君。ノアはまだ、飛びたってない」
諫めるソラだったが、その声は喜びを隠しきれていなかった。
――これで一件落着か。美糸クン、そろそろ私を解放してくれないか。
金枝はその声を無視した。
翌朝、欠伸をしながら金枝が階段を下りると、テレビの前に家族が集まっていた。
「どうかした?」
「美糸。お前、ソラさんから何か聞いてないか」
父に訊かれ、金枝は首を横に振った。母と姉は、金枝を一瞥すると、テレビに視線を戻した。ただならぬ気配を察した金枝は、買い替えたばかりのテレビに目をやる。父が頭を掻いた。
「ニュースを見てたら突然切り替わってな。どのチャンネルにしても、これが繰り返されてんだよ。ほら、また最初に戻った。電波ジャックだ、こりゃあ」
テレビ画面には暗闇に、ベージュのフードを被った人間が五人佇んでいる。その内の一人、大学生くらいの血色のいい男が代表者なのか、此方に語りかけてくる。
「地球の皆々様。我々は、宙の羊飼いです。十二時間前に我々は月を掌握し、この映像を地球へ送り込んでいます。我々は、十年前の『消えた十歳児事件』の子供達です」
――何なのだ、それは。
ホルスが尋ねる。
「消えた十歳児事件って、何だっけ」
「美糸が六歳の時に起こった、大規模な神隠し事件」
金枝の姉が説明した。
「地球のあちこちから一斉に子供が消えて、それからずーっと、消息不明。あたしのクラスにも消えた子がいたっけ」
「ふうん」
金枝はベージュのフードの男を見た。かつて誘拐された子供が成長したとは思えない、自信に満ち溢れた表情が口元から読み取れる。
男は口を開いた。
「我々はこの十年間、人より上の存在、『神』によって教育を受けてきました。今、我々は、誘拐した彼らを恨むどころか、感謝しています。いかに人間が愚かなのか、知ることが出来たからです」
金枝は胡散臭そうに眉を上げた。ベージュのフードの男は軽く息を吐いた。
「神は今、人間を滅ぼそうとしています。現在の終末現象もその手段の一つに過ぎません。しかし、神は情けをくれました。我々宙の羊飼いに優れた艦隊を下さり、そして、我々が人類を『無条件降伏』させられたならば、ヒト族の存続を赦すとおっしゃっています」
男はフードを脱いだ。金髪碧眼のゲルマン人種で、ドラマ用にめかしこんだような二枚目俳優風の面が露わになる。男は自らの優位性を誇るように言った。
「人類の代表たる威子口空。我々に傅きなさい。そして全宇宙へ向けて、『人類の完全敗北を認め、地球を除いたあらゆる生息域を全て放棄する』というメッセージを繰り返し発信しなさい。さすれば、人類の『地球内での』生息は認められます。この約束は必ず守られます」
――図々しい奴だ。
ホルスが呆れた声で言う。
男は爽やかに言った。
「心苦しいですが、これが此方の出せる精一杯の譲渡です。更なる生息域を認めるつもりは一切ないし、交渉にも応じません。何も言わず降伏し、敗北を全人類へ伝えなさい。もし、この要求を威子口空が拒むようならば、三日後、我らが愛する地球は地獄と化します。誰も得しません」
男は身を乗り出すと、唇を突き出し、意気揚々と言う。
「威子口空。これは脅しではない。貴女は既に我々の掌の上にあります。嘘ではない、その証を見せましょう」
画面がぐにゃりと乱れ、真っ暗な空間を飛行する楕円形の宇宙船が映し出された。それは突如、暗闇に浮かぶ巨大な白い戦艦から放たれた紅の光線に貫かれる。激しい光に包まれた楕円形の船は宇宙空間で爆散した。そして、また映像が戻り、フードを被った男が先ほどと同じことを繰り返し始めた。
「美糸。本当に、ソラさんは何も言ってないの?」
「知らない。今起きたんだ」
金枝は言葉少なく立ち上がると、学校の支度を始めた。だが、金枝の心の中は電波ジャックの一カットに囚われていた。
(あの宇宙船……)
月灯りに薄ぼんやりと照らされる、海上のノア。おそらく半分以上は海中にあったのだから、金枝ははっきりとノアの全体像を見た訳ではない。が、それはどうも、映像で爆破された宇宙船のような気がしてならなかった。




