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お母さん生きてた! けど殺す。

威子口八雲の死から四日。葬儀は威子口の身内だけで行われた。

がらんとした貸し切りの火葬場のホールで一人ぽつんと佇むソラがいた。

「ソラ」

「金枝君」

金枝もソラの婚約者という立場で葬儀に参加していた。金枝は周囲を見渡しながらソラに近づいた。

「なあソラ。八雲さんの暗殺の件、あれは――」

「あ、黙れ」

ソラが金枝の両頬を指で潰した。

「おーい、ソラちゃん」

金枝が振り向くと、威子口灸がふらりと歩いてくる。用を足し終えた直後で、濡れた手を赤いハンカチで拭きながら、気さくに「やあ」と手をあげた。

「ほんにちわ」ソラに妨害されながらも金枝は挨拶した。

「おー。若いって良いね、お二人さん。火葬場でもラブラブかあ」

 ソラは羞恥心を感じて金枝の頬から指を外した。

「灸叔父様。私に何かご用ですか」

「ああ、ちょっとな。ところで、金枝君」

 灸は金枝に気さくに話しかけた。

「君、釣りはするか?」

「いいえ? 周りに海が無いし、全然」

「今度木星へ釣りに行かないか。あそこはウチュウオニイソメがわんさか釣れる。五メートル近い奴。君が良ければの話だが」

「もちろんです」

「そりゃあ良い。木星は俺の庭だ、色々案内するよ。それはそれとして――」

灸は恭しくソラの手を取った。

「君のフィアンセを借りる。悪いな」

灸はソラを連れて廊下の角へ消えた。結局、金枝は八雲の暗殺方法をソラから聞きそびれた。


誰もいない待合室にソラを引き入れるなり、灸は拍手をした。

「何事ですか。灸叔父様」

「どうなんだ? 当主になった気分は。なあソラちゃん」

 ソラの眉が微かに動いた。灸はキラリと白い歯を見せて言った。

「書斎にあった親父の遺言書にも、しっかり書いてあった。『自分が死んだら、後を継ぐのは威子口空』だと」

灸の話を聞きながらソラは部屋の電気を点ける。

「……灸叔父様。用はそれだけですか」

「いいや、まだある。親父の暗殺容疑で捕らえた離人症持ちの連中だが、あれは冤罪だ。親父の体をハチの巣に出来そうな能力者はいなかった。おそらく真犯人は、体を液状の何かに変化できる奴だ。それで親父を――」

「彼らがやった証拠があります。警察の報告書は読まれました?」

「ああ。胡散臭かったね」

 あっけらかんと灸は答えた。ソラは肩を竦め、静かに言った。

「お言葉ですが、灸叔父様といえども、あまり勘で語らない方が宜しいのではありませんか。少なくとも彼らがとても危険なテログループであった事実は変わりません」

「ははは。親父が惚れただけのことはある。既に威子口の当主らしいじゃねえの。ついこないだまで小っちゃかったのに」

 灸は楽しそうに笑うと、カリカリと頭を掻いた。

「まあいいんだ、もう。俺は狭い部屋で陰湿な政治やってるより、広い宇宙を飛び回ってる方が性に合うんだ。どっちにしろさ、海人の兄貴かソラちゃんが威子口の後継者だったからな。兄貴は人望がねえし、ソラちゃんがお誂え向きだったよ。ところで、兄貴もこのことは知ってんのか?」

「何のことだかわかりません」

 ソラは口を閉ざした。灸がおもむろに携帯端末を取り出すと、ソラにも出すよう促した。ブルッとソラの端末が震えてデータの受信を報せる。

「何ですか。これ」

 ソラは表示された地図から目を離し、少し怖い顔をして灸を見上げた。灸は無表情で言った。

「少し早いが当主就任祝いのプレゼントだ。そいつは、死んだ親父が秘密裏に運営していた離人症隔離施設の位置座標だ。大っぴらに出来ないことをやってたんだろうさ。もしかしたらソラちゃん、知りたいんじゃないかと思って」

「知りたい……何を?」

 ソラはきょとんとした。灸は「あれ」と小首を傾げた。

「俺はてっきり、君がご両親の死について詳しく知りたがっていたのかと」

 灸は言った後で『しまったな』という顔をした。ソラの無垢な表情は跡形もなく消えていた。ソラの無知な振る舞いが、相手から詳しい情報を探る為の演技に過ぎないと察するのに灸は少し遅れた。

「まあ……いいか。一服しよ」

「灸叔父様、ありがとう」

 灸はポケットに手を入れ、ゆらりと部屋を出ていった。 

「どうします、お嬢様」

 ステルスを解いた北形がソラの傍に寄り添うように立った。ソラは微かに小首を傾げる。

「灸叔父様の口振りからして、父と母に関する情報がこの施設にあるらしい。でも、今さら両親のことなど……」

 不思議がるソラに北形が少し柔らかな口調で言った。

「以前、灸様に泣きついたことがあったではないですか。十年ほど前に。覚えておりませんか? 『両親の最期の様子を知りたい』と」

「ああ、そういえば。親戚の集まりか何かで、あの時だいぶ困らせた記憶がある。そうか、子供の頃の私との約束を守ってくれたのか。全く、灸叔父様らしいな」

ソラは取り澄ますと、髪をさらりと振り払ってから言った。

「北形、明日の予定を変更して。『サイレント』を率いて施設へ突入する」

 ソラが口にしたのは、威子口家当主権限でのみ動く少数精鋭の特殊部隊の名だった。

「お嬢様、サイレントはまだ……」

「私は当主就任式も行っていないから駄目か?」

「いえ」

 北形は眼鏡をカチリと掛け直した。

「サイレントはお嬢様の命令を聞くでしょう。八雲様が亡くなった時点で、お嬢様が人類のトップなのですから。最期の演説で八雲様が直々に名前を出されたのですから、逆らう訳にもいかない」

「……なに、北形。その言い方」

 北形は口を閉じたままソラをじっと見つめている。ソラは自分の心が不安定になっていくのを感じた。

 北形が口を開いた。

「お嬢様。八雲様は、やもすると気づかれていたのではないでしょうか。遺言状も、大衆の前での当主ご指名も、我々にとって都合が良すぎました」

「だから、何? そんなことは関係ないんだ。私はああするしかなかった」

 ソラは自分に言い聞かせるように言った。

「私だって嫌だった。こんな形で、当主になるなんて。でも、私達は急いでたんだ」

 ソラは窓の外に目を向けた。上空に巣食う、どんよりとした灰白色の雲が都内全体を覆っている。

「ラプラスは、ヒトの絶滅を決めつけた。これまでずっと威子口を、人類を繁栄に導いてきたラプラスが。もう手遅れだろうと半分絶望しながら、やっと解決の糸口が見えたと分かった時に、離人症を殺そうとする法改正。太陽系全土で一斉に。祖父の死で法の手続きは止まったが、もしお爺様がご存命なら今頃は月でも火星でも離人症持ちが摘発されて、捕まるまいとする離人症持ちが暴れては大勢の死傷者が出たに決まってる。そうだろう北形」

ソラに問われても、北形は落ち着いた言葉遣いで答えた。

「私は、お嬢様が後悔されてないのなら何も申し上げることはございません」

「……まさか。覚悟してたでしょ、ソラ。順調に事は進んでる」

 ソラは自問自答を済ませると、目元から伝う涙とその痕をハンカチで素早く拭い取った。そして、部屋の端に置かれた姿見をちらりと見た。青空のような笑顔を浮かべる威子口空の姿があった。普段と何も変わらない、いつもの自分。ソラはふっと息をついてから、静かに部屋を出た。


 北形雅は悩んでいた。

果たして、自分のよく知る彼女は、本当に今でも威子口空なのだろうか。自分が命を賭して守ろうとあの時誓った、弱々しかった少女はまだ、生きているのだろうか。高潔で、負けず嫌いで、それでいて繊細で、硝子細工のように脆く、危うい少女の面影。それをソラから見い出すことは年々難しくなっていた。

なので、祖父を殺した自責の念に苛まれたのか突然涙を零したソラを目の当たりにした時、北形は安堵してしまった。喜んでしまった。ああ良かった、まだお嬢様はお嬢様のままなのだ。威子口の仮面を被る、両親を失った時の可哀想な少女のままだったのだ、と。

 

「なんだって?」

 昼下がり。関東圏の自然の残る森林地帯の奥深くに停まった場違いなリムジン。運転席で特殊部隊サイレントから報告を受けていた北形は、しばらく言葉を失った。

後部座席に座るソラが、不思議そうに顔をあげる。

「北形? 施設はまだ制圧出来ないのか?」

北形の思考回路に迷いが生じていた。普段の北形なら包み隠さず情報を伝えるか、あるいは完全に隠匿していただろう。しかし、先日ソラの弱い部分を見たばかりの北形は、どちらにするか躊躇してしまった。

「貸して」

 隙が有ったのでソラは北形の背後から携帯を取り上げると、ホログラムモードに切り替えた。

「お嬢様!」

 北形を無視してソラは隊員に視線を合わせた。

「私が聞きます。もう一度報告を」

 ソラの姿を目にしたサイレント隊員のホログラムは慌てて姿勢を正し敬礼すると、低い声で話した。

「施設の制圧は問題なく完了しております、ソラ様。内部の状況は、後程いらっしゃるという事でここでは割愛します。それと、ソラ様のご両親の情報ですが、たった今、施設内のデータベースを探りましたところ……威子口睦穂様のお名前がございました」

「それは母の名です。十年前の爆破テロに関する資料か何かですか?」

 冷静に訊ねるソラに対し、隊員は神妙な面持ちで答えた。

「いえ。そうではなく、此方の施設の被験者名簿に睦穂様の名が」

 ソラの口が小さく開いた。

「それは……訳が分かりません。どういう。おとぎ話なら私は――」

 隊員は首を横に振ると、緊張の面持ちで告げた。

「威子口睦穂様は、この施設内でご存命です。今も尚。施設の所長からも確認を撮りました。同姓同名でなく、正真正銘ご本人とのことです」


 ソラは黙って車から降りた。施設までは徒歩で五分とかからないと地図を見て知っていた。

「お嬢様。睦穂様はおそらく――」

「うるさい。北形は静かにして」

 後を追ってくる北形に対して、有無を言わせぬ口調でソラは会話を拒絶した。ソラは全身から『近寄るな』のオーラを毒々しく発していた。北形は何も言えず、それでも、逸るソラに付き従うように森の遊歩道を歩いた。そうして二人は、森の中に立つ異様な白い建物の前でゆっくりと足を止めた。

プラネタリウムの投影機の球部分を横に切って地面に被せたような、角ばった、ドーム状の大きな建物が、森の木々に覆い隠されるようにしてひっそりとそこにあった。入り口の前には、白衣を着た施設の研究員らしき者が五名と、強化服を纏ったサイレント隊員七名が銃を携えて待機している。

「ソラ様。おお、ソラ様」

 ソラに近づこうとする白衣の中年男をサイレントの隊員が押さえ込んだ。

「彼は?」

 ソラが隊員の一人に訊いた。が、隊員が答えるより早く、

「私はここの所長の溜渕真心(まこと)と申します! よくぞいらっしゃいました」

と興奮気味に名乗る、上背の無い白髪交じりの男。ソラは腕を組み、溜渕所長に対面して尋ねた。

「そもそも、この施設の名前は? 何をするところ? 威子口のデータベースを探しても全く出てきません」

「そうなのです、ソラ様。この施設に名称などありません。その方が、存在を抹消しやすいのです。我々は、便宜上『エックス施設』と呼んどりますがね」

 溜渕所長が金歯を見せて笑う。

「何をしているところだ?」と、北形が尋ねるが溜渕はヘラヘラしている。ソラが同じ質問をすると、溜渕はすぐに口を開いた。

「離人症の研究です。研究成果は、中に入ってご覧くださいませ。さあさ、私が案内しますよ、ソラ様。ところで」

 溜渕は情けない表情で両手を繋ぐ手錠を持ち上げた。

「これを取ってくれませんか。八雲様の命令で研究してたのに、あんまりじゃないですか」

「口の利き方に気をつけろ」

 サイレントの隊員がどやしつける。「鍵を」とソラが隊員から手錠の鍵を受け取った。

「へへ。ありがとうございまし」

 ぺこぺこと溜渕は頭を下げた。

「いいんですか? 怪しいですよ」と北形が耳元でささやくが、ソラは一つまばたきをして、溜渕の手錠を取り外してやった。


「ここに威子口の方がいらしたのはまさしく十年振りです」

 溜渕が文字通り低姿勢で、ソラの方を見ながら言った。ソラは隊員達に囲まれながら、溜渕の案内で物静かな施設の中を歩いていく。内部は博物館を思わせる開放的な空間で、天井も高く空調が整っているのをソラは肌と肺で感じた。

天井まで物音がよく響いた。妙な静けさと乾いた靴の音。

何の脈絡もなく、何百ものホワイトボードが長い列になって並び立っている光景にソラ達は遭遇した。ボードには離人症にまつわる文献や白黒写真がマグネットでペタペタと貼られている。古い時代の学術個展の様だった。

「十年前に来たのは、祖父が?」

 ソラの質問に溜渕が深く頷いた。

「貴方様のお爺様である八雲様に、私ゃ、随分と目をかけて頂きまして。いらっしゃらない十年間も、ちゃんと働いておりましたよ。我々が忘れられていないことは、毎月口座に振り込まれるコレが教えてくれましたよ。へへへへ」

 指で輪っかを作りながら溜渕が言うなり、体を曲げてホワイトボードを潜り抜け、隣りの列へ移動した。サイレントの隊員が素早く銃を構えたが、溜渕は小汚い声でホワイトボードの解説を始めただけだった。

「ソラ様。こちらのボードにあるのはナイフト=トーフフ検査の精度向上に大いに役立った被検体約二千人の各種反応データです。このおかげで無実の一般人が検査に引っかかるケースは従来の方式の十七分の一まで減少したんですね。それでこちらは――」

 溜渕は跳ねるようにして、ホワイトボードに貼り付けられた研究成果を身振り手振りで紹介していった。離人症の能力使用を阻害する超音波ジャマーの開発ログや、オーソドックスな離人症の能力である念動、発火、電撃、読心の四種を仮想敵とした強化スーツの改良とその成果等、十年分の積もりに積もった研究データを溜渕はペラペラ話し続けた。

「さらには、母胎内の胎児の離人症要素が母親のエピジェネティクスに作用して母親の離人症を発現させたマイクロキメリズム的現象を実験下で初めて観測に成功し――」

「溜渕所長。話を遮って悪いが聞きたいことがあるんだ」

「はいはい何でしょう?」

 溜渕は機嫌良く訊き返す。ソラは息を整えると言った。

「私の母、威子口睦穂は今どこにいるのか教えて欲しい。この施設内に、いると聞いた」

「ああ、お母様に。お会いになりたいと……それはですね」

 途端に溜渕の表情がぎこちなく固まる。

「何かお飲みになりますか。お茶でも」

「すぐ会わせてくれないのか」

「……ひっ。りょ、了解しました。さっ、さあさ、こちらへ……」

 ソラの強烈な気に当てられた溜渕は、額から流れる苦い脂汗をハンカチで拭き取りながら、革靴の音を響かせてエレベーター前まで皆を誘導した。


「何だこれは……」

 地下の階へ降りて数歩、ソラは顔をしかめた。上を、そして横を見る。透明な壁にこびりついた血痕、ウジウジとした何か体液の残滓。透明な長いかまぼこ形状の管の中をソラ達は歩いてゆく。そして、気づいたのは汚れが外側で付着したものだということ。ソラのいる管の内側は、至って清潔だった。

薄暗さに目が慣れ全貌が見えてくると、ソラの眉間には益々皺が寄った。仄暗く赤黒い世界。巨大な地下世界の空洞内部を蟻の巣のように走る、透明な管、管、管。その中をソラ達は歩いていた。外部の空間のあちらこちらに吊り下げられているのは、立方体の箱。無数の透明な箱が、暗闇の中に規則正しく浮かんでいた。幾つかの箱の隙間からはどす黒い人間の体液がぽたぽたと垂れ落ち、ソラ達のいる透明な管の表面をぬらぬらと濡らしている。延々と広がる地下空間は何千機ものドローンが縦横無尽に飛び回っているが、ドローン毎に役割があるらしく、透明な管の廊下についた汚れを高圧洗浄で洗い流す機体もあれば、立方体の箱の中へ乾燥した食べ物を届ける機体もあった。

「血管、みたいだ」北形が遠くまで目を凝らし、言った。

「悪趣味な。何でこんな構造にした?」

ソラは微かに声色を濁らせながら尋ねた。溜渕は、それがさも当たり前のように「ただの離人症対策ですよ」と、返した。

「何かあった時にですね、問題の発生した箱を選択し焼却、即時廃棄ができるよう、被検体の部屋は一つ一つ独立させているのです。研究員の安全を考慮し、被検体への干渉は全てドローンで行っています。見ての通りに」

「所長、あれは」

 ソラは自分達の傍に浮かぶ大きな箱の中身を指して言った。箱内部では半裸の男が全身を太い針金に絡め取られていた。男の皮膚は血管が樹木のように浮き出し、爪は焦げ、目が飛び出している。

「一体、何の実験?」

「あー。発電能力を持つ被検体がどれくらいの電力で感電死するかの実験ですね」

 溜渕は何でもないことのように説明した。

「じゃあこっちのは?」

 反対側の鉄箱の中を指差し、ソラが訊いた。

「そちらは、テレパスの被検体と重度の精神病患者を一か月間同居させることで、被検体の脳にどのような変化が生じるか調べております」

「ふうん」

 ソラが躊躇なく携帯端末のライトで箱の中を照らした。眼の血走った若い女が涎を垂らし、服もはだけたまま体を揺さぶっている。それが精神病患者なのか離人症状者なのか判別する前に箱は後方へと引っ込んでしまった。

張り巡らされた透明な管の行き着いた先は、巨大地下空洞の真ん中、中央地だった。そこには少し開けた空間があって、機械のモニターには各箱の内部が映像として表示され、箱の移動も操作パネルで可能としている。

操作パネルの前に立つと、溜渕はそわそわし始めた。ソラは溜渕の隣りに立つと、乾いた笑みを浮かべ、流し見るように溜渕へと視線を向けたまま言う。

「さあ。どうしました? この機械を操作して、私の母に会わせてくれるのでしょう?」

「ソ、ソラ様。聡明な貴女ならば、ある程度の予測はついてると思いますがね。何も、無理にご覧になる必要は――」

「いいからやれ」

 氷柱のような凍てついた声がソラの口から発せられた。溜渕は圧に堪えかね、機械のパネルをポロンポロンと短い指で弾くように操作した。やがて、たくさんの透明なキューブの中から一つの箱が浮上すると、ソラ達の目の前まですーっと接近し始めた。それが十分近づいたところで、透明管に設置された強烈なライトが二つ、箱の中身を左右から晒し者にする。

 箱の中に、人はいなかった。ただ、人の形すらしていない十センチ四方のピンク色の肉片が各種計測装置に繋げられ、盥の中にぽてりと置かれている。シュールな光景。威子口睦穂の成れの果て。ソラは片手で口を押さえ、もう片方の手で機械の縁に縋つき、力なくしゃがみ込んだ。

「貴様……なんてことを」

 北形は体を震わせながら、あまりの所業を信じ切れず、溜渕をじっと見つめ続けた。溜渕は面倒くさそうに頭を掻くと、「ソラ様なら、分かる筈です」と弁明を始めた。

「被検体S―二〇六は爆破テロに巻き込まれ四肢が飛び散ってもなお、体がひっつき再生したんです。まさに不老不死。こんなのは後にも先にも聞いた事がない事例だった。科学の発展のため、絶対に研究しなくてはならなかったのですよ。八雲様も泣く泣く、睦穂様を被検体とすることを黙認されました。その時の心境たるや、ああ」

「ふざけるな、そんなのあっていいワケがない」北形は食い下がったが、溜渕も負けじと言い返す。

「そもそも大地様の奥方様が離人症を発症したこと自体、あってはならないこと。爆破テロで大地様と共に亡くなられたと発表するしかなかったのですよ」

「何故、私の母はこのような姿をしている」

 ささやくようにソラが訊いた。溜渕は深刻な表情を作った。

「それが、ここに運び込まれて四年と二か月が経った頃を境に体の再生がされなくなり、最終的にこのようなお姿に」

 北形は爆発した。

「何が、そのような戯言ッ! まるで自然と睦穂様がこのお姿になったかのような言い草で! 貴様らが、貴様らが……ッ」

 北形は言いにくそうに言葉を切り、そして「散々、切り刻んで」と最後は掠れた声で呟いた。悲痛な感情が余韻のように周囲を漂う中、溜渕は沈黙したままのソラに懲りず語りかけた。

「離人症は逃れようのない事故のようなもの。だからといって、野放しにするわけにもいきますまい。町にヒグマが出れば、駆除せねば危険なように、離人症もまた誰かが処理しなければならない。もし私が風変わりな離人症ならば自ら被験者となり、人類に貢献して死んでいきたいと常々思っております。全ては未来の為、子供たちの為。長い人類史のどこを見ても、犠牲無くして発展はありません。ソラ様ならば、分かるはず」

「減らず口をっ」

 今にも掴みかからんとする北形の胸元を、白く細い指が軽く押し留めた。

「北形」

北形は一呼吸おいて一礼すると、一歩身を引いた。ソラはただじっと、興味の無い眼差しを溜渕に向けている。

何故だろう、溜渕の意識の上方の辺りに『死』の一文字がぽわんと浮かんだ。それは半世紀を生きてきた溜渕の心に原始的恐怖を蘇らせる。溜渕は「あ、ああ……」と言葉にならない声を発した。

ソラは淡々と話しかける。

「所長。もう、言いたいことは済みましたか? 話したいなら聞きます」

 溜渕の口から、堰を切ったように言葉が噴出した。

「わっ私は威子口八雲様の指示でやっていただけだ! それに自分がやらんでも、どうせ誰か研究をやってたんだ! 私だって、被害者の一人なんだ!」

「ただ断れば良かっただけの話でしょう。旨味があるから何十年もここにいたんだ、この高給取りが」

 溜渕は、指を震わせ引き攣ったように笑うと、濁った脂汗を垂らしながらソラを指差し啖呵を切った。

「八雲様が間違っていたとでも? ソラ様、アナタはね、まだ若く現実が見えてないんだよ。大勢の幸福の為に多少の犠牲は目を瞑らないといかん時があるのです、それが分かる日が必ず来る!」

 激しく捲し立てる所長とは対照的に、ソラは涼しい顔で周りを見渡した。

「所長には、聴こえません? ほら、ここからも。そこからも。箱の中から『うあー』て。苦しそうな呻き声」

「な、なにがだ。聞こえる筈がない。ここは防音だぞ」

「それは残念です」

 ソラは大して残念でもなさそうに両手を降ろした。

「人の声が聴こえない所長さん。楽に死ねるとは思わないで下さいね」

 ソラが手で合図すると、サイレントの隊員が左右から所長に詰め寄った。と、所長は白衣の袖から注射器を、不敵な笑みを浮かべながら迷いなく自らの首筋に突き刺した。

「はっ、残念。私は、楽に死なせてもらうよ」

 クリアな液体が溜渕の太い首に吸い込まれていく。

ソラは、くすくすと笑い始めた。

「なっ何がおかしいか」

「フフ。生理食塩水で死ねるだなんて、愉快な人ですね」

 馬鹿にしきったジト目でソラは溜渕を見据えた。溜渕は寒気を覚えながら、引き抜いた注射針から一滴、自分の舌にその透明な液を垂らした。溜渕の舌は微かに塩味を感じた。

「こ、この。すり替えたな。いつだ。どうやって――」

「溜渕所長」

ソラは腰に手を当て、挑むように溜渕へ言った。

「次はその舌、噛み切ってみたら? 楽に死ねるかもしれないぞ」 

 溜渕は山羊のような悲鳴をあげると、機械の操作パネルを素早く弄った。刹那、溜渕の体が消えた。溜渕の足元の床が開き、小柄な体が落下していた。と、溜渕の体はカゴ付きドローンのカゴの中にすぽっと嵌まり、そのままドローンは溜渕を乗せて滑空するように飛んでいく。空いた床穴からは虐げられる離人症状者の悍ましい呻き声の合唱と共に、溜渕のけたたましい笑い声が地下空間に鳴り響いた。

「ソラ様。溜渕が逃げてゆきます」

「みんな。落ち着いて」

 ソラは床の穴を避けるように機械のところへ行くと、操作パネルをなぞるように触れていたが、仕様を理解すると操作パネルを指でパチパチ叩いていった。ポロロンポロロンと機械から派手な音がしたかと思うと、遠くへ行きかけていた溜渕ドローンは、突如方向転換を始めた。溜渕のドローンはどんどん上昇し始め、やがて一つの透明な箱の上で停止した。ソラがパネルを操作すると、その箱がウィーンと開き、所長はドローンと共に離人症持ちの部屋へ入っていった。

「ぎゃあーっ! 出せ、早く出せ! ここはジャンケン殺人鬼の部屋だ! 助けてくれー!」 

 叫ぶ溜渕の丸い体がふわふわと宙へ浮かんでいく。箱のベッドに縛り付けられた人らしき影が、骨のように痩せ細った腕を溜渕に伸ばし、弱々しく手を開いた。

「ぎぇっ」

 溜渕の短い手足が、ぶちっと千切れて四方へ飛んだ。殺人鬼のパーの手が、ぎゅっと握られる。今度は溜渕の胴体がソラ達のいるところまで届くほどの恐ろしい音をあげて拉げていき、鼻紙のように丸まった。

「チョキ」ソラがぽつりと呟いたと同じタイミングで溜渕の首が跳ね飛んだ。それが暗闇の何処かへ、くるくる落ちていくのをソラ達はただただ見つめていた。


 ソラは気怠そうに滑らかな黒髪を振り払った。日の暮れかけた夕方の森の中、施設の前には救急車が六台も停車し、ウーウーとサイレンを鳴らし続けている。

 サイレントの隊員から報告を受けたソラは、「よく頑張りましたね」と労いの言葉をかけた。

「離人症持ちは能力の危険性の薄いものから運び出すように。二次災害があってはなりません」

「最後に、ソラ様。睦穂様の遺灰については……」

 ソラは口を噤んだ。溜渕が死んだ後、ソラは機械のパネルを操作し、威子口睦穂らしき肉片を灰になるまで一時間近く燃やし続け、その生命活動を終わらせていた。

「では後日、私の自宅に送って下さい」

「一同、敬礼!」

 敬礼を決めたサイレント部隊はそのまま微動だにせず、ソラと北形を見送った。


 帰り道。北形の運転するリムジンの中でソラは泣いた。止め処なく溢れる涙を拭い、鼻を啜り、顔を押さえて泣きじゃくった。

「お嬢様。着きましたよ」

 北形は優しく諭すようにソラに声をかける。ソラの視界は涙でぼやけていたが、見慣れた威子口邸の鉄門が目に入った。

 暗い雨の中、傘を差したメイドが総出で出迎える。ソラは自分の折り畳み傘を軽く差しながら帰宅した。

「北形。少し横になるから。そっとしておいてくれ」

 目を腫らしたソラの言葉に北形が逆らう訳もなかった。

 塵一つ落ちていないモデルルームかのような自室で独りになったソラは、ぴたりと泣くのを止めた。少し大げさだったな、と思いながらベッドに仰向けに寝転ぶと、今日の出来事を思い返した。

 ソラはこれっぽっちも悲しくなかった。それどころか、自分の母親だというピンク色の肉片を見て、笑わないようにするのに必死だった。あんな場所で仮に生きていたとすれば、碌な扱いを受けていないであろうことは想定の範囲内であったし、あんな状態の人間をソラは生きていると認識出来なかった。

この十年間、必死に威子口らしく努めてきたソラにとって、両親という存在はただ交尾をして自分を産んだ、血の繋がっている故人でしかなかった。母親らしき有機物を炎で焼き殺したのは、当然あんな状態で生きている彼女への憐れみもあったが、本当に不死なのかという興味の方が強かった。

「私って碌でもないな」

 ソラは独り笑った。諦めに近い感情から湧いた笑いだった。


両親が爆破テロに巻き込まれ、死んだ。暗い顔の祖父の口から事実を知った時、当時六歳だったソラは酷く不安な気持ちになった。とても大きな後ろ盾を失ったことにすぐ気づいたからだ。

親が死んでも泣かないソラを北形は心配した。メイド達は、「お嬢様はまだ、死というものが分かっていないんだわ」と囁き合っている。そんな訳ない、とソラは内心馬鹿にした。ソラは二歳の頃から、ゴジラ映画のゴジラが死んで大泣きする少女だった。泣かないのは、泣いても仕方ないと分かっていた以外にない。ソラはその頃から、大人を見下すようになった。しかしソラは翌日泣いた。その方が、皆に好かれると知ったからだ。

ソラは、見えない目に怯えた。素行や頭が悪いと威子口家から除籍されるということは、親から何度か聞かされていた。誰かがこっそり、自分の採点をしている。あのメイドだろうか。それとも北形が。朝起きてから夜眠るまで、ソラは見えない試験官へ必死にアピールし続けた。どうすれば威子口のままでいられるのか。何をすれば、威子口らしく見られるのか。両親の死んだ今、威子口という立場だけがソラの頼みの綱と理解していた。人がいてもいなくても、思考から何までソラは威子口を演じた。祖父に嫌われないよう黙々と勉強し、体育でも一番目立つ活躍をした。大人から可愛く見られるよう、鏡の前で笑顔の練習を毎日続けた。そんな生活をしている内に、ソラは何も考えずとも威子口らしく振る舞えるようになった。威子口家の試験に合格し除籍を免れた日の夜、ソラは本当の自分がなくなっていることに気づいた。それとも、今の威子口らしい私が本当の自分だったのか。もはや知る術は無かった。

ソラが今日泣いたのも、他人によく見られたいからだった。北形が望む『威子口空』は、普段は威子口らしくとも本当は心優しい普通の少女なのだとソラはよく知っていた。

ソラは酷く虚しくなって、天井の一点をじっと見つめた。

「結局、私を理解してくれるのは――」

 どこにもいない。そう言おうとしたソラの脳裏に、ぽっと金枝が出てきた。ソラは顔をしかめた。訳が分からなかった。

が、次第に合点がいった。考えてみれば、この世界でソラの本性に気づいているのは金枝美糸だ。

(そうか。アレの前なら、今さら隠すこともない。何したっていいんだ)

肩の荷が落ちたような気がした。ソラは笑いを零すと、枕元の明かりを消した。

 

「おかしなことを始めたなぁ」

飲用プリンのケースを潰すように飲みながら、金枝はテレビ画面を眺めている。威子口家の新当主となったソラは白いシャツに黒のスーツパンツを履き、後ろで大きく一つ、左の耳元で小さく一つ髪を結った、いつもと変わらない髪型をして、直々にテレビの前の国民へ語りかけていた。威子口家当主の会見とあって、いつも七分に一回は挟まるCMもなく淡々と会見は進んだ。

話の内容は、離人症状者への大幅な方針転換だった。離人症状者の保護、特に二十五歳以下の若く有益な人材を威子口が求めていること。全世界に応募をかけ、選ばれた者は威子口家が直々に支援すると伝え、会見は終わった。と、同時にピロリンと自宅の携帯端末が鳴った。金枝が電源を入れると、離人症状者へ向けた大規模面接の実施日時と会場場所、申し込み用紙、面接時の持ち物等が表示された。それと同時に家の門の隣りに設置された半電脳ポストが政府からの電脳連絡を赤く点滅し報せた。金枝はサンダルを引っかけポストをチェックしたが、案の定携帯端末と同じ内容が書かれたチラシが有った。

――どう思う、美糸。

「さあ。明日学校行って、聞いてみるか」

 自宅に入ると、自分の端末に着信があった。

「もしもし」

「こんにちは金枝君。私の会見はちゃんと見ていたか?」

 機嫌の良さそうな声だった。

「……なんだよあれ」

「見ていたんだな、よしよし。面接は日を分けて行うが、金枝君には二日とも面接官として会場まで来て欲しいんだ」

「やだと言ったら?」

「死刑だ」

 プツリ。通話が切れた。

「なんだよ。こんな脅しに屈しないぞ」

――いや、本気かもしれん。

 ホルスが大真面目な口調で言った。

――終末現象の原因は既に分かり、離人症持ちがそれに引っかからないという事実にも威子口空は辿り着いた。つまり君も私も、彼女にとって既に用済みの存在だ。

「……ははは。そんなまさか」

 金枝の顔が蒼褪めていく。

「俺達まだ色々使い道あるし」

金枝はパンと手を叩いた。

「しかも俺、あいつの婚約相手じゃん!」

――尚のことだろう。下手すると不慮の事故で処理されるぞ。君は。

 金枝の背筋が、ざーっと波打った。

ホルスのせいで金枝は、ソラが教室で近くを通るたび、びくびくするようになってしまった。


「聞き忘れていたんだが、君は直に離人症の人間を見ずとも、能力の詳細は分かるのか?」

 爽涼な声で言うと、ソラは隠しカメラのモニターをノックするように指差した。モニターには、面接者役で来ているのか、ぽけーっとした小間口伊穂の姿が画面上に映っている。

「……いや。肉眼じゃないと駄目ですね。映像じゃ、白いモヤが視えません」

 オフィススーツを着こなすソラにチラチラと目をやりながら金枝は答えた。

「了解。伊穂、部屋から出ていいぞ」

 ソラが手元の機器のボタンを押して、マイクに語り掛ける。伊穂は軽く頷くと、面接室から出ていった。

「来て」

 金枝はソラに案内され階段を下りると、面接室のマジックミラーの裏側まで来た。

「ここからなら視えそう?」

「いけます」

「オッケー。じゃあ」

 ソラは壁の時計を目にすると言った。

「ちょうど九時だ。面接を開始する」

 程なくして離人症状者の一人目が今しがた小間口のいた部屋へと入室した。

「彼が何の能力か言ってくれ。金枝君」

 ソラに促され、部屋の中で困惑する若いロックバンド風の男を金枝は凝視した。

「……絶対に、喉を傷めない能力。喉限定の再生能力者みたいです」

「あぁ。いらない」

 ソラはマイクのスイッチを入れると面接室の男に語りかけた。

「面接は以上です。合格の場合、後日連絡がいきます。そうでない場合は縁が無かったと思って下さい。次」

 ぼけっと突っ立っているロックバンド風の男にソラはもう一度伝えた。

「早急に退出して下さい」

 男は弾かれるように部屋を出ていき、入れ替わりで袈裟を纏った若い坊主がやってきた。

「金枝君、能力」

「……宇宙と交信? 出来るみたいです」

 ソラは躊躇なくマイクに向かって言った。

「面接は以上です。次の方、どうぞ」


 昼休憩を挟み、夜遅くまで面接は続いた。金枝の感覚だと、ソラに気に入られた離人症持ちは十人に一人いるかいないかだった。選定の基準は不明だったが、金枝の感覚としてソラの御眼鏡に適った能力は比較的サバイバルで役立ちそうな傾向にあった。

 金枝らのいる部屋は外の光が入らない完全防音の密室だったが、九時をさす時計を見る限り、外はもう真っ暗だろうなぁ、と金枝は思った。

「あの……ソラさん。今さら、なんですけど」

 金枝はソラに体の正面を向け、勇気を出して切り出した。ソラは面接者のリストからすっと目をあげた。

「うん?」

「俺達は一体、何をしてるんでしょうか」

 ソラはふっと笑うと、少しくたびれた笑みを浮かべた。

「それはね、金枝君。使えそうな離人症の選別をしてるんだ。というか何で敬語なの? さっきから、ずっと」

 ソラはタピオカを吸いながら金枝を横目で見つめた。金枝はごくりと息を飲んだ。

「あの……俺のこと、もういらないとか、言いませんよね? 君はもう用済みだ、とか、なんて……」

「んー……。少なくとも、明日の夜まではね」

 ソラはいつもと変わらない顔をしてリストをトン、トンと叩いた。

「今日は、これで最後にしようか」

 ソラはまだ残っているタピオカをテーブルの上に置くと、マイクのスイッチを入れた。

「次の方、どうぞ」

 身なりの良い茶髪の青年が口を真一文字にして入ってきた。背丈は百八十センチ程で、髪を長く伸ばしている。

「あ、イケメン」

 ソラはぽつりと呟いただけだったが、金枝の心は嫉妬で浸食されていった。顔立ちの良い、同年代か一歳上くらいの男を仕方なく見つめて、能力を把握する。

「……未来予知能力者、です」

「ほう」

 ソラの目がキラリと光る。ソラはマイク越しに青年を質問攻めにした。青年は木更津雅彦という名の名門私立校に通う生徒だった。木更津はソラのどんな質問に対しても表情一つ変えず即答していった。

一しきりの質問を終えると、ソラは満足そうに「面接は終わりです」と告げた。

「合格の場合は、後日連絡が入ります。そうでない場合は――」

「威子口空。この売女が」

 木更津青年は恨みのこもった眼差しをして、虚空に言葉を吐き捨てた。刹那、金枝のいる部屋の空気が変わった。金枝には、ソラの気分がカタッと傾いた音が聴こえた気さえした。

「聞こえてるか、威子口空。お前はクズでゴミの、最低な売女だ」

 木更津青年の入念な罵倒。ソラはふっと溜息をつくと、マイクのスイッチを入れた。

「そうですか。では面接の合否を特別にここで伝えます。貴方は不合格です」

「知っている。俺には未来が視えるからな。仮に合格しても、俺は死ぬ。お前に殺される」

「じゃあ来なければよかったのに」

 ソラは涼しい顔で言う。木更津雅彦は怒りを内に湛えながら返した。

「来なくても死ぬんだ。俺だけじゃない、父も母も妹も、飼っている犬から学校の友人、昔世話になった先生、腐れ縁の女。世界中の罪なき人々が、一瞬で消し飛ぶ。お前だ、威子口空。お前が、お前が全員殺したんだ。跡形もなく、何もかもだッ」

 木更津は空を掻き毟るように両手を振り回した。ソラはタピオカの残り汁を啜りながら無機質な瞳で青年を眺めている。金枝はぽかんと口を開け、二人を交互に見た。

「おい、なんとか言ってみたらどうだ、非道な悪魔」

 ソラはだるそうな手つきでマイクのスイッチを押した。

「なら、私を殺してみろ。人知れず世界の英雄になって散れ」

「やれるなら喜んでやっている」

 木更津は上着を脱いだ。細く引き締まった腹にはサバイバルナイフと、爆弾らしきものが巻いてあった。

「だが、無理だ。俺には、どうやっても暗殺に失敗した未来しか視えなかった。俺にもっと、力があれば」

 木更津は奥歯を噛み締め、悔しそうに拳を握りしめた。

「金枝君。念のため上に移動しようか」

 ソラが小馬鹿にした口調で金枝に呼び掛ける。

「あ、はい……」

 二人は階段をあがり、モニター室に移動した。

「聞こえているか、威子口空ッ!」

 木更津が低い声で唸る。ソラは冷静にマイクの電源を入れた。

「聞こえてるとも。それで、君はどうするんだ? 私に殺される未来は避けられないんだろう?」

「ああ避けられん。だが、お前に殺されるのは癪だ。せめて抵抗はさせてもらうとする」

 木更津は血走った眼つきでリュックサックを下ろすと、ペットボトルを取り出して中の液体を頭からぶち撒けた。

「威子口空。お前に人の心があるなら、少しは悔いろ」

青年は静かに目を瞑った。おもむろにポケットから取り出したのは銀色のジッポライターだった。

「危ない!」

金枝は咄嗟にソラを抱き寄せ、机の下に身を引く。木更津は右腕を真横に伸ばし、ジッポライターを親指で開いた。ポッ、と小さな火が点いた。

凄まじい爆裂音と共に、建物はがたんと震えた。

が、それだけだった。金枝達の周りでは、ソラの飲みかけのタピオカが倒れて床に零れた以外に何ら変化もない。

「金枝君。離してくれる?」

 気まずい空気の中、金枝はおずおずとソラの均整の取れた体から離れた。

「対テロ仕様にしといて良かったよ」

ソラは平静を装って黒のスーツパンツをパンパンとはたくと、顎を上げ、モニターに目をやった。モニター画面は熱で焼けついていたが、状況は判別がついた。欠けたコンクリの塵が舞う中、木っ端微塵になった木更津雅彦の黒ずんだ残骸がメラメラと残り火で燻っている。ソラは嫌でも自分の手で焼いた母の肉片を連想させられた。

立ち上がり、モニターを覗いた金枝はぎょっとして顔を背ける。

「うっ。うわ……」

 胸元から吐き気が込み上げたが、ホルスのおかげで気分はすぐさま快方に向かっていく。

ソラは目を伏せると、消え入るようにぽつりと言った。

「自死を選ぶ者に天が微笑むものか」

 ソラは無線機を口元に当て、静かな口調で警備班を呼んだ。下の階から、焼けたタンパク質のきつい匂いが昇ってくるのを二人は感じていた。明日はこんな事ありませんように、と金枝は心の中で祈るのだった。


「金枝君、デートしようか」

 それは翌日の面接が全て終了した瞬間の一言だった。金枝は目を白黒させた。

「え……?」

「だからデート」

 ソラは何でもないことのように言った。

「昨日今日と一日中働いてくれたお礼だよ。嫌?」

「いやぁそういう訳じゃないですけど。何で、そんな急な……」

 ソラは小さく吐息を漏らすと、白い歯を見せ言った。

「私がデートしたいから」

 ソラは金枝の眼を覗き込みながら、人差し指で金枝を軽く押した。金枝の頬が自然と緩む。

「するのかしないか。五秒で答えて。いち、に……」

「します」金枝の口が勝手に動いた。 

――この女は何が目的だ。クサいぞ。

 ホルスが警告したが、金枝には聞こえていなかった。ソラは自身の機能的な腕時計に目をやった。

「今日はもう遅いから、来週の日曜にしよう。お昼の十二時、麻布十番の赤い靴の少女像の前で待ち合わせ」

 ソラは一方的に日時を伝えると、てきぱきと身支度を整え、先に部屋を出ていった。


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