人類が滅びそう
この作品は最終的に、世界を統べる高貴なヒロインと異星人に寄生されて性格が悪くなっていく主人公の二人が本気でやり合って終わります。カクヨムにも連載してます。
人物紹介
威子口空……世界を表と裏で牛耳る威子口家の令嬢。十六歳の女子高生。ヒロイン。
金枝美糸……高一。図体でかい顔悪い。段々クズ化していく。主人公。
※注。この物語に登場する離人症は実在する離人症とは全く無関係であり、架空の症状として取り扱っています。また、この物語はフィクションであり、実在の人物・団体・事件とは一切関係ありません。
「仕事は慣れたか?」
「あ。お疲れ様です、局長」
メルは設置された望遠鏡から顔を離すと、姿勢を正し、上司に頭を下げた。
メルは若くさっぱりした雰囲気の女性だった。彼女は仕事の休憩と気分転換を兼ね外の空気を吸っていた。
「おかげさまで慣れてきました」
「そうか」
アトラトは初老の穏やかな気風の上司だ。メルはこの男が怒鳴っている姿を着任以来まだ見ていない。
「ただ、仕事といっても、楽な方だよ。私達は」アトラトは言う。
「地上勤務はせいぜい、ガッタリコとの小競り合いで傷んだ船を修理し送り返すぐらいで、『グレース』がある限りは死ぬ心配もない」
「私てっきり――」
メルが言う。
「ここってガッタリコ人とドーピシア人と人類との、領宙の境にあるじゃないですか。もっと激戦区なのかと思ってました。こんなにのんびりした感じと思わなくて」
「ふむ」
「……あの、局長は、ガッタリコやドーピシアの姿を生で見た事はありますか?」
「あるとも」
メルの瞳の奥が好奇心で輝いた。
「図鑑では、ガッタリコ人は液体生命体で、ヤドカリのようにビーカーとかワインのような形状の透明な鉱物に入って移動するんですよね。ドーピシア人は根っからの戦闘民族で、身体改造に抵抗がなく、個体毎に全く違う姿をしているとか」
「すまん。私が見たのは死体だけなんだ。戦闘後で、全部ぐちゃぐちゃだった。人間もそうだ」
「あー……」
アトラトの返答に、メルは元気を失くした。
アトラトは穏やかな声で言う。
「怖がらせたか? なに、そんな激しい戦いは滅多に起こらない。三種族が隣接しているとお互いが牽制し合うから、却って攻められ辛いもんだ。本格的な戦闘すら、四年も前のこと。若いのはすっかり戦を忘れている。ほら、あのように」
アトラトが言い終わるより早く、領宙監視隊のパイロットが数人、ゲラゲラ笑いながら監視塔から出てくる。その内の一人、若いハンサムなパイロットがメルの姿を見つけ、金髪を軽く揺らすと、ポケットに手を入れ近づいてきた。
「やあ、メルさん。元気でした? 僕は、さっきまでガッタリコの偵察機とやり合って、グレースまで誘き寄せハチの巣にしてやろうと思ったんですが、あいつらチキンだからグレースに近づいた途端に踵を返して逃げていきまして……」
金髪のパイロットは途中からメルの傍で微笑むアトラト局長の気づき、段々と声が尻すぼみになった。アトラトは灰色の無精ひげを擦った。
「そうだったか。それはご苦労。ハイン隊員」
「い、いえ。すみません、局長の服が闇夜に溶け込んでて、見えなかったもんで」
気まずそうにするハインに、アトラトはやれやれと首を振ると、喫煙所へ向かった。ハインは「ほー」と息をつくと、望遠鏡を指差した。
「メルさんは、何を見てたんですか?」
メルは「地球」と答えた。
「地球? いや、アハハ。ここから云百万光年と離れてんのに。そのサイズの望遠鏡じゃさすがに厳しいんじゃ」
メルは気分を害すと、再び望遠鏡を覗いた。ハインは望遠鏡の鏡筒にある『ISHIGUCHI』の文字を指でなどりながら優しく話しかける。
「見える訳ないですって。太陽系のデータベースで地球の動画を漁るか、あるいは……そうだ。俺の仲間に地球出身のパイロットがいるんです」
「えっ、地球出身者が? 誰っ」
メルがレンズから顔を離し、ハインを見上げる。その眼が輝いているのを見て、ハインは慌ててニュアンスを変えた。
「ああ、いたんですが、ついこないだ、マゼラン方面に転属になっちまって」
「なーんだ」
メルは肩を落とすと、肉眼で星空を眺めた。
「行ってみたいなぁ、地球」
「僕だって」
ハインはメルの横に立つと、すぐ傍のオリーブの木の葉をつまんで揺すった。
「こんなもの植えたって結局は真似っこ。パチモン感があります。地球は太陽系外出身者なら憧れる。あんなに青い綺麗な水の星! 写真を見るだけで地球出身者が羨ましくなる」
「でも、実際は汚れてる」
「数年前から、汚染された海はプラスチックやビニールを食べる人工生物のおかげで、大昔の姿に戻ったそうですよ」
メルの反応が薄いと感じたハインは、身振り手振りを交えて言った。
「分かります、海? 塩水が、水平線の彼方までずーっと続く様子を指して……」
「それくらい知ってます」
「おーい。ハイン、いい加減、告白したかー?」
それまで少し離れたところからニヤニヤ二人を眺めていたハインの同僚ら三人が、とうとう我慢しきれなくなり、悪戯っ子の顔で冷やかしにきたのだ。
「なあメルさん、ハインには気をつけろよ。振った数も、振られた数もうちのエースだ」
「よっ、撃墜王!」
同僚のからかいに、ハインはまんざらでもない様子で鼻を鳴らす。
「へえ、凄いんですね」メルは苦笑いを浮かべながら、そろそろ屋内に引っ込もうと思い始めた。
「おや、何か見えるぞ。なんだろう、こりゃ」
ハインの同僚が間の抜けた声をあげ、さっきまでメルが使っていた望遠鏡を覗き込んでいる。ハインは白い歯を輝かせ、同僚に近づくと頭を押した。レンズの縁に眼窩をぶつけ、同僚が悲鳴をあげる。
「いってぇな馬鹿やろ! 何すんだハイン!」
「隙だらけなのが悪いんだよ、トロマ。そんなんじゃすぐに墜とされちまうぜ」
「この野郎、やるかァ?」
「いいともさぁ」
二人が組み合うが、お互いに本気ではなく、体力を持て余した若者の余興だった。やっちまえ、と野次が飛ぶ。メルは妙な胸騒ぎがして、望遠鏡を覗いた。
マゼンタ色の光が幾つも、星の煌めきに混じっていた。その内の一つが、あっという間に大きくなる。
ぎょっとしたメルが望遠鏡から顔を離したのと、爆発があったのはほぼ同時だった。
鼓膜が裂け、メルの身体は軽々と宙を舞う。
「うっ」
地面へ仰向けにメルは倒れた。叩きつけられた衝撃で背中が硬直し、呼吸が止まる。細かな土が舞う中、メルは必死に目をこじ開け、辺りの様子を確認した。
さっきまで自分らのいた辺りはぽっかりと抉れ、望遠鏡は半焼けになっていた。周囲には土とタンパク質の焼けた匂いが立ち込めている。すぐ傍には誰かの親指が転がり、そして人の形をした物が何体も、黒焦げになって呻いていた。
「畜生、畜生ッ」
ハインらしき、顔の焼け爛れた男が口から血を吐きながら立ち上がろうとしているが、彼には立ち上がる為の脚が無くなっていた。
「おい! 救護班!」
アトラトの怒鳴り声が遠くで聞こえる。メルのこめかみ辺りを流れる血管は、ドクドクと危険な脈を打っている。メルは自分の身体がどうなっているのか怖くなった。知りたくないので、夜空を仰いだ。煌びやかな星々に混じって、マゼンタ色の無数の光がぽーっと浮かんでいる。見る見る内に、点だった光は大きく、強くなった。それらが何れも、容赦なく放たれ続ける敵艦隊からの一斉射撃と気づいたメルは、自分たちに生存の余地が無いことを悟った。
地球――。
開放的な天井から垂れ下がる凝った水晶のシャンデリアは、暖かな橙色の光をホール全体に降り注いでいる。カチャカチャと銀食器の擦れ合う音と、和気藹々と語り合う人々の声が混ざり合い、その耳障りは心地よく、場の雰囲気も柔らかかった。
ディナーを嗜むのは幅広い年齢の男女が十数人。皆、皺一つ無い清潔な出で立ち、一々が上品な振る舞いをし、一目見ただけでも彼らの育ち良さが分かる。白壁にはルネサンス風の西洋絵画。床には金の刺繍が施された絨毯が敷かれる。金色のライトに照らされて輝くビュッフェ形式に並んだ料理は、一品でも目にしただけで口の中に涎が湧いた。そういった柔らかな空間の中において、容姿端麗の少女が一人、席に着く。ビュッフェから取り運んだ、白磁の皿にちょこんと載る香り立つハーブ鶏を切り分け、一口。サラダにはたっぷりゴマだれをかけ、また一口。ヒーターで暖められたきめ細やかなライ麦パンを千切っては、新鮮なレバーペーストをペタリと付し、口に入れる。
「頬が落ちそうだ……」
独り言を呟くその少女は齢十六。威子口家令嬢、威子口空は一族の会食を表向き優雅に、しかし内心ニコニコしながら心の羽を伸ばし楽しんでいた。
宇宙のあちこちに散らばる威子口の親族らは四カ月に一度、一堂に会す夜があった。文字通り宇宙一のシェフ達がこさえた輝かしい料理群に舌鼓を打ちつつ、互いの近況を報告し合う。進歩した科学技術によって空間軸を重ね合わせることで、何万光年と離れた星にいても、人と人が物理的にハグすることはおろか、遠くの星の食事を実際に胃袋へ入れることさえ可能だった。
威子口空は、噴水のように際限なく溢れるチョコレートの滝の傍らに積まれた綺麗な色の苺の山を流し見た。前回の会食ではあまり食べれなかったが、あれが採れ立てで、超のつく程に最高級な苺だとソラは既に知っていた。はっきりいって、チョコレートなど蛇足だ。今日の食後はあれを存分に楽しもうと思っていると、
「お待たせいたしました、ソラ様。ご注文のシーフードスパゲティーニでございます」
若く容貌の優れた男がトッと、ソラの前に料理を置いた。
「ありがとう。ふっ」
給仕係の若く容姿の良い男に、ソラはにこりと微笑んだ。ルックスの良い給仕係の顔が微かに惚気るが、己が職務中であることを思い出し真面目な顔で一礼をする。一方、ソラの意識には既に給仕係の姿など失われ、その視線は目の前に置かれた湯気立つパスタに注がれていた。ぱっくり開いたムール貝に海老、イカ、タコ、そして宇宙タラバの身まで入った贅沢なトマトソースは黄金色の麺とよく絡み、見ただけでソラは幸せだった。
タバスコをかけていると、「よう」と傍から声をかけられる。
「ヤイト叔父様」
ソラも長身だが、威子口灸の上背は百九十センチを優に超える。灸の左手には宇宙タラバのボイル焼き、右手には骨付き肉の皿が載せられている。灸は空の横の椅子に腰かけるなり、Tボーンステーキに齧りついた。
「……どうだい、高校生活。いじめられたり、してないだろうな」
「いいえ、まさか。良い友達に恵まれて毎日楽しく過ごしています」
灸は普段の自信に溢れた表情を少し引っ込め、真面目なトーンで訊いた。
「なあソラちゃん。わざわざ偏差値が普通の高校に入ったって聞いた。どうした? 高校どころか、どんな大学だって歓迎するだろうに。言っちゃ悪いが、周りが馬鹿に見えんじゃないか」
ソラは小さく肩を竦めた。
「ええ、少し」
「だろう」
「ですが、『威子口たる者、平の暮らしを知らずして上に立つべからず』でしょう? 子供の時分は一般階級の子と混じり、苦楽を共にするのが威子口での決まり。叔父様も、そうだったのでしょう?」
「そういや、そうだった。でもさ、高校なんかすっ飛ばしてハーバードへ行ったところで、誰も咎めやしないさ。ソラちゃんの優秀さは親父も認めてる」
「……灸叔父様も確か、高校までは普通の学校に通っていたと聞きしました」
「いいや。それは違うな。俺は、威子口の中でも異端の阿呆だったせいだ」
「……阿呆?」ソラが聞き返す。
「一般家庭の奴らの方が馬が合うんだよなぁ。正直」
灸はワハハハと愉快に笑うと、骨付き肉をガリガリ噛んだ。
灸は威子口らしからぬ男で、何の前触れもなく極寒の開拓星に赴き、開拓者らに交じって肉体労働に一年を費したこともあった。敵対星ドーピシアとの攻防戦に自前の艦で飛び込み、敵の旗艦を撃墜して人類を勝利に導いたこともあった。灸の後先考えない言動、熱い性格と二枚目の容姿は華があり、国民からは何だかんだ慕われていた。
灸はふと、ソラのスパゲッティに目をやると、突如、傍にあった宇宙タラバの脚の殻をバリバリと剥いで、その太い脚肉をソラのスパゲッティの上にばら撒いた。
「や、灸叔父様」
「ソラちゃん好きだったろ、宇宙タラバ。育ち盛りなんだから、今日くらいは掻っ食らえ」
にっと白い歯を見せる灸にソラは内心苛ついたが、表では笑顔で返事をする。灸は満足して二度三度と頷いていたが、慌てた様子の黒服の付き人に何やら耳打ちされると、
「悪いな。ちょっと失敬」と、席を立った。
残されたのは、テーブルに散らかった宇宙タラバの殻と汁。そして、宇宙タラバ肉が惜しげもなく盛られたスパゲティーニ。
仕方なくソラはそれを口に入れた。口内に広がるタラバ、タラバ、タラバ。
分かってない。ソラは思った。タラバはパスタにちょっぴり居るから、美味しいのに。
次期当主に威子口灸を推す声も多いが、ソラは快く思っていなかった。形の良いソラの右眉がぴくりと不満げに動くが、それに気づいた者は誰もいない。
威子口家の会食は終始穏やかなムードで進み、このままお開きになるかと思われた。しかし、卓の中央に座る老人の、怒気を孕んだ厳声が轟くと、場の空気に一瞬で緊張が張り詰める。
現威子口当主、威子口八雲。齢は八十近いというのに、未だ耄碌の対極にあった。頭の回転は若い頃から衰え知らず。背筋は誰よりも真っすぐで、休日になると行きつけの西洋レストランで分厚いフィレ肉のステーキをぺろりと平らげてしまう。そして一切の情を排した合理的且つ貪欲で豪快な政治手腕によって、宇宙上における人類の活動圏並びに既得権益を大きく押し拡げられたのは、八雲が当主になって半世紀間の功績としてはあまりにも充分過ぎるものだった。
「海人。灸。何故、儂に言わなかった」
八雲の眉間に刻まれた皺が一層深くなる。灸は作り笑いを浮かべ、両手を広げた。
「オヤジ。会食が済んでからでもいいじゃないですか。せっかく威子口家の者で集まったんだから、お堅い政治の話はさ―」
「会食は止めとする」
八雲は表情一つ変えずに言う。その一言はどんな岩盤よりも厚く揺るぎいないものだった。灸の兄である海人がパンと手を叩いた。
「すまない。今日はこれで解散としよう」と皆に伝える。誰一人逆らおうとする者はいなかった。五歳にも満たない子供ですら、母親に手を引かれ大人しく退席していく。
「お嬢様。私達も」
「ええ。そうね」
従者の北形に促され、ソラはヘタの取ってある鮮やかなイチゴを一粒口に放るとおもむろに立ち上がった。その時だった。
「ソラちゃんはここに残りなさい」
祖父の言葉にソラは身動きを止める。口調こそ穏やかだが、ソラに注がれた八雲の眼差しは孫娘に対するものではない。
仕事の眼だ。ソラは察した。周りの親戚はちらりとソラの方を見るが、何も言わず退出していく。ソラは口の中のイチゴをゆっくり咀嚼し嚥下した。
「北形。貴方は外で待っていて」
北形は結った黒髪を垂らし一礼をすると、少々の心残りを覚えながらもソラの元を離れた。
「オヤジ、まだソラは十六だぜ。政治の話は、早いんじゃないか」
腕を組んだ灸が非難するように言う。八雲は不機嫌そうに鼻を鳴らした。海人は若い頃から広い額の、眉間の皺を解しながら、気の毒そうにソラを見つめている。
北形は最後に退出する者として両扉の真鍮の取っ手を掴み、中央に引き寄せた。僅かに、会食の場がまるで要塞のような八雲の書斎に切り替わるのを目にしたが構わず扉を閉めた。
本来、扉に耳を近づけても何も聞こえない筈だった。何故なら空間は別だからだ。実際、北形が部屋から外へ出ても、あれだけ大勢いた威子口家の者の姿は一つも無い。部屋を出た所で会食の空間は途切れ、その者が本来いた星、本来いた空間へと戻される為だ。
ところが、北形の足元には光が伸びていた。空間軸を重ねる装置の誤作動なのか、空間が扉の外にまで漏れている。決して会話を盗み聞きしたい訳ではなかったが、もしソラに何かあった時に気づけないとなると、護衛役の名が廃る。という大義名分が頭に過った。
北形は迷った末、右足革靴の爪先で漏れ出た光を踏み、重心を前に傾け耳をすませた。
「俄かには、信じ難い話だが」
海人は暗い顔で息を吐いた。
「はあ、簡単だろ兄貴。グレースが攻略されたんだよ」
灸がうんざりしたように言うと、打って変わって激しい口調で怒鳴った。
「これから、訳の分からない『旧遺物』に依存してきたツケを払わされるぜ、俺達人類は」
「利用しない手はなかった」
海人が淡々と言葉を紡ぐ。
「人類が他の知的生命体と互角に渡り合い、勢力を伸ばせたのはグレースを筆頭とした『旧遺物』の技術を流用したおかげだ」
「ああ、そうとも。旧遺物に頼り切ってちょっと油断したな。自前の技術の発展の妨げになっちまったのが悪いだけだ」
「ソラ。この件についてどう思う」
八雲がデスクに両膝をつきながら尋ねる。少し間があってからソラは時事知識を脳裏に展開しつつ考えを披露した。
「H-665星は三種族の境界域に位置し、パワーバランスが保たれている所。新手の兵器を用いるにせよ、星一つを墜とすにはそれ相応の戦力が必要になる。それだけのソースを割けば当然、ガッタリコの星の守りは手薄になるから。しかし、ドーピシアの動きは無かったんでしょう?」
「つまり二種族が手を組んだって言いたいのか」
海人がソラに確認する。ソラは軽く頷いたが、灸は腕を組んで壁にもたれると不満そうに言う。
「ガッタリコとドーピシアは宇宙一犬猿の仲で有名な連中だぜ。それこそ千年近く争ってる。思想から何から正反対の連中同士が、協力出来るとは思えねえな」
「ヴシャペトレが仲を取り持ったのだ」
八雲が唸るように呟いた。海人が広い額をハンカチで拭った。
「何か情報が有ったんですか? 彼らが介入してると」
「いいや。しかし、グレースを破れる技術を知っているのは、宇宙広しといえど彼奴等だけだ。ヴシャペトレが入れ知恵をし、ドーピシアとガッタリコで徒党を組まれたとすれば、これ以上の人類の脅威はあるまい」
灸が口をすぼめた。
「今回の情報をラプラスに教えたら、きっとショートするぜ」
「もうラプラスは故障したんだ、灸。そんなものに頼らずとも、威子口はやっていける。話題にするんじゃない」
海人が恐い顔をする。灸はスポーツ選手のような広い肩を軽く竦めてみせた。
「宇宙中に散らばる人類同士、協力し合えば負けないんだがな」
灸はパシンと拳を手の平で包んだ。
「思想も利害関係も一致しねえ。精神的共通項は精々、母なる星への憧憬だけ」
「そのせいか、なかなか地球離れが進まない」
海斗もつい愚痴を漏らす。人類が地球に対し特別な感情を持たなくなれば、宇宙進出は相対的に加速すると威子口の者は考えていた。反対に、いつまでも地球に拘っていれば人類が幾ら繁栄しようと所詮は地球を中心とした局所的なものでしかない。地球は地位的重要性もなく、特産技術も他所で再現可能なものばかり。とうの昔に落ち目の星になっていた。人類の精神的な地球離れこそ、威子口家に代々受け継がれる悲願だった。
少しの沈黙があった後、八雲の重苦しい声が響く。
「残念だが、第一段階はとうに過ぎた。離人症は相変わらず、増加傾向にある。数を減らさなければ。 我々は猶予がない、早める必要がある。リアース計画の―」
北形は咄嗟に右足を退いた。ぱたりと音が消え、しんとしたソラの邸宅の廊下に引き戻される。『リアース計画』という聴き慣れない単語に北形は何か危うさのようなものを感じ、それ以上の空間共有がそら恐ろしく感じた。
北形は盗み聞く機会を永遠に失った。曲がり角から洗濯物を抱えるメイドらに遭遇し、世間話に巻き込まれたからだ。
メイドの群れが去ってすぐ、真鍮の取っ手が回り、アンティークな木の両扉がギィと開いた。
「お嬢様。お疲れ様でした」
北形の口からは咄嗟に労いの言葉が漏れた。威子口の当主らの会合は、人類の行方を左右するものだ。そこへ若干十六歳にして初めて招かれたソラに祝いの言葉をかけるつもりだった。しかし北形は、ソラの暗く淀んだ表情を見た瞬間、用意していた祝い台詞を脳裏から紛失していた。
「……お嬢様? ご気分が、優れないようですが」
ソラはすっと、北形に詰め寄る。
「北形。ラプラスの合い鍵を」
「現在ラプラスは故障中ですので、使用厳禁と八雲様からお達しが」
「二度、言わせる気か?」
苛々を隠さずに右手で催促するソラからは、支配者たる威子口のオーラが漏れ出していた。北形は気後れしながらも、やや小振りというくらいで何ら特徴の無い鉄の鍵を思わず手渡した。
「ありがとう」
ソラは威圧的なオーラをすっと消す。
「お嬢様。そういったやり口は、あまり宜しくありません。そういう、威子口の悪用というんでしょうか」
普段感情を表に出さない北形にしては珍しく声に熱が籠もっていたが、ソラは「貴方の言う通りだわ」と呟きながら扉を開けた。
さっきまで八雲の書斎、更にその前は威子口一族のディナー会場だった広間は、現在はがらんとして殺風景である。唯一、部屋の中央には鈍く光る銀色の機械があった。プラネタリウムの映写機と形状が酷似したそれは、空間共有装置であり、技術には旧遺物を用いたものだった。
旧遺物。つまりは宇宙に遺棄された何者かの船舶や居住跡地に残されていた機械の残骸を技術流用したものである。科学的な仕組みの解明、理解には未だ及んでいないが、旧遺物の幾つかは人々の生活に馴染んでいた。
ソラは装置の台座部分から半透明のカードを抜き、再び挿入した。次に操作パネルへ左手を置き、瑞々しい液晶部位に指の先端を押し付けた。空気がビッと震え、投影機が部屋に白い光を放つ。数秒間のホワイトアウトが終わると、ソラと北形は威子口ビル本社の地下最奥部、スーパーコンピュータ『ラプラス』の前に存在していた。
ひんやりとした空気。固い無地のグレーの床。薄暗く、天井が高い巨大倉庫のような地下世界が目の前に広がっている。大きく歪な形をした鉄の匣が、部屋の主のように二人の前で聳えていた。ソラはカツカツと靴音を立てながらラプラスへ近づくと、鉄の鍵をその巨大な機械の匣体へ挿し、押し込むようにクイッと回す。
プツ――。巨大なモニターに光の線が走り、それは目覚めた。
ラプラスは今の時代、どこにもないであろうレトロなコンピュータの見た目をしていた。インターフェースもキーボードとマウスでしか操作の出来ない、非直感的な代物のまま。しかし、威子口家の礎を築いただけあって、この箱型の機械と対面する度、神社の御神木に似た気配をソラは感じていた。
「未来予測システム『ラプラス』。威子口を威子口たらしめた立役者」
ソラは自慢げに北形へ語りかけた。
「超多目的演算シミュレーションによって一分一秒先の世界経済から数日以内に起こる災まで予測を可能とする。そこらの未来予知能力者では太刀打ちできないだろう」
「こんな大きなものを、威子口家は長い間秘匿にしていたのですか」
北形がラプラスを見上げ呟いた。ソラは二歩ほど歩幅を広げる。
「実は、威子口家のアルバムで見た初代のラプラスはもっと小型だった」
ソラは軽く腕を組むと、ラプラスを見つめながら言った。
「当主が代替わりする度、ラプラスは巨大化していったんだ。補修を名目にしてね。初代の頃からラプラスの演算能力は未来予知と呼べる水準を満たしていたし、手を加える必要なんてないのに。実際、根幹部のブレインには誰も手を付けてない」
「元々は、株や外貨投資、競馬などのシミュレーションマシンだったと聞きましたが」
「それは後世の者の僻みだから。初代当主の遺したラプラスのマニュアルを読めば、最初から未来予知装置として完成していたのが分かるわ」
「では、何故このように巨大化を?」
「功績が欲しいんだ。みんな」
ソラは冷めた顔で返事をした。
「偉大なるラプラスをレベルアップさせたという名誉。ラプラスの製作者に自分も名を連ねたいという浅ましい欲求。そのくせ、インターフェイスは昔のままだ」
ラプラスの起動は一分で完了し、モニターには畳の敷かれた和風の、狭い部屋の画像がデスクトップ画面として大きく表示される。威子口初代当主、威子口天氣が資産家になる前の自分を忘れないよう設定したものが何百年経った今も変更されず残されていた。
ソラは大股でラプラスの前を横切り、空間共有装置からカードを引き抜くと、それをラプラスの挿入口に食べさせた。ラプラスのモニターが一瞬待機画面になった後、更新完了の報せるサウンドが鳴った。ソラがキーボードをカタと叩くと、モニターには見たことのない文字と細かいグラフが刻々と変動し続け、更に次から次へと表示されていった。一切動じずにモニターを眺めるソラ。その後ろで、北形はラプラスの勢いに圧倒されていた。
ようやく数値の変動が収まり、画面が大人しくなる。
「ふうん」
ソラは溜息とも納得とも取れる声をあげ、小さく笑っている。北形が恐る恐る口を開く。
「あの、お嬢様。ラプラスのデータは信用してはならないと八雲様が……」
「おじい様が? まあ、そうか。こんな未来予測では」
ソラは結った黒髪を揺らして北形の方を振り向いた。モニターの光を背にしているのでソラの表情は影になっていたが、ソラの両眼は抜き身の日本刀のようにぎらついているのが北形には分かった。
「ラプラスは近年、人類滅亡の警告をひっきりなしに画面上へ表示し続けてきた。それこそ、ポップアップ広告のように鬱陶しく。それについておじい様はこう結論付けた。人類が活動圏を宇宙に広げ過ぎた為に、ラプラスでは情報処理が追い付かなくなり故障した」
「はい、ですがその話はご内密にするようにと。世間に知れると面倒ですので」
「私は、壊れたとは思ってない。抽象的にはなったけどさ」
ソラは食い気味に言葉を吐いた。
「祖父はラプラスを毛嫌いしてるんだ」
ソラは肩にかかった細い三つ編みを指で払い、声を上ずらせて言った。
「北形。情報を更新した今、ラプラスはなんて言っていると思う?」
北形は押し黙っている。ソラは一言一句噛み締めるように言った。
「『人類という種は、収束を始めました。絶滅の速度を多少遅らせる方法を幾つか示せますが、どれも期待薄です』」
ソラは腰に両手をやると、投げやりな口調になった。
「人類はもう救いようがないとラプラスは匙を投げた。端的にいえば、人類はもう終わりだ」
北形は淡々と、空間共有装置を操作した。時折ソラの様子を窺うが、威子口空は口も心もシャットアウトし、何やら物思いに耽っている。北形は知っていた。このモードに入った威子口空は、長い。二日や三日、下手をすると一か月はこのようなモードへ事ある毎に突入する。そしてこの黙考モードが去るのはソラが吹っ切れた時で、北形や周囲の人間は必ず、面倒事に巻き込まれることも幼少時の経験上北形には判っていた。
「お嬢様。ご自宅へ戻る準備が整いました」
北形が静かに告げると、ソラはすっと顔を上げた。
「北形雅」
「はいお嬢様」
「これからも、私を守ってくれるか?」
ソラから不意に真剣な瞳で見つめられ、北形の心がキュッと引き締まる。
「たとえ何があろうとも。この命に代えて、お嬢様をお守りします」
「私が、この地球を消し去ったとしても?」
「関係ありません。私はお嬢様の味方です」
北形は幼い頃から色褪せない己の心をソラに伝えた。ソラは、ふっと愛嬌のある笑顔を浮かべて小さく頷く。それが打算的な微笑みなどではないと、北形は強く信じていた。




