2.エンジェル清風との図書館戦争
「当番の時の主な仕事は、受付だね。貸出と返却の管理。あと探している本の案内、これは後で教えるね。あとは……」
「……」
「耀くん? 聞いてる?」
七緒が色々と俺のために、説明してくれていることはわかる。だが、わかるのはそれだけだ。俺は社会不適合者だぞ! 嫌嫌嫌嫌嫌。義務を全うしたくない。そんな思考が、俺の理解を妨げる。
「はいはい聞いてます……っよ!」
適当に同調しようとした矢先、事件は起きた。咄嗟に目を逸らした。
「耀くん?」
……はあ。やれやれといった具合に、手を額に当てる。
「……七緒、お前姉ちゃんいるんだっけ?」
「え? うん。いるよ」
「同じ学校だったんだっけ」
「そうだよ。三個上だから、もう卒業してるけど」
「その制服ってさ、姉ちゃんから譲り受けたりしてる?」
「えっ、うん。よくわかったね。今日着てるのは、お姉のおさがりだよ」
さっきまで少し前屈みになって、俺の方をのぞき込んでいた七緒のYシャツは、少々きつめで、その、大変心苦しいのですが……身体のシルエットがくっきりと出ていました。すいません見ました。
すらりとした、自分と同じ生き物とは思えない華奢なプロポーション。そして、刺激的すぎる胸部。そんな夢が、そこにはあった。
「本当にすいません。でも、見てしまうものなんです。性で」
「なに? どういうこと?」
気持ち悪いことを言ってると、自分でもわかっております。でも、視線は本能のまま、追ってしまうものなのです。だから、さっき不可抗力で見てしまった、七緒の刺激的すぎるプロポーションは脳内のスクショに保存して、紳士然たる態度をとりました。
「まあ、俺は現場て覚えるタイプだから、任せてくれよ。受動的な教えより、能動的な教えの方が覚えやすいだろ?」
罪悪感も相まって、我ながら適当を言っていた。
「まあそういうことなら、さっそく実戦で覚えてもらおうかな」
図書室に入ると、学校の喧騒は消え、一気に空気が変わった。勉強していたり、読書をしていたり。共通しているのは、静けさが保たれているということだ。いきなり「うんち!」と叫びたい。
「こんにちわ」
「あ、あれ、七緒さん?」
七緒が小声で、ぼそぼそと受付の男に話しかける。ASMRにしたい。男は一年生だろうか。見ねえ顔だ。まあ、そもそもほとんど見たことないんですけど。そいつは、幼い顔つきをした男子だった。以降、ショタと呼ぶ。
「今日は当番、僕ですよね?」
ひそひそ声でショタは話す。ノットASMR。
「はい、久々にもうひとりの図書委員の子がきたから、お仕事教えようと思って」
「ああ、キミが……」
ショタは心底冷え切った目で俺のことを見た。あれですね。いい噂を聞かない旦那の実物を初めてみた、近所の奥さんみたいですね。世間は冷たい。
「七緒、彼は?」
仕方ねえから、亭主関白な夫のような面をしてぶっきらぼうに聞いた。
「……ちょっと!」
小声ながらも、七緒の語気は強かった。
「はは、大丈夫大丈夫。僕、三沢って言います。一応三年」
「すいませんでした。耀です」
社会の序列には真っ先に従い、年上に媚びへつらう。強者に媚び、弱者に強い。それが俺の生き方だ!
「受付は今度やればいいと思うから、本の探し方だけ教えといてよ。意外と当番してると、聞かれちゃうから」
「はい、そうします」
「そうします!」
七緒に一旦、図書室の外に引っ張られっていったので、「なかなかいい先輩じゃないか」と舐めた口をきいたら、壁ドンされて、七緒に笑顔で詰められた。
「先輩には失礼ないようにね」
「はいぃ……」
我ながらいい性格しているので、そういう強引なのも嫌いじゃないよと、若干頬を赤らめてしまった。
しかしろくに社会と向き合ってない弊害が出てしまった。さすがにちょっと反省した。世の中を舐め腐るのもいい加減にしておこう。このままだと、何の能力なく、ノンデリが残った終夜みたいになってしまう。最悪だなそれ。
「じゃ、教えるね。まずは大分類として、アルファベットでジャンルごとに分かれてるの。左から純文学、ティーンエイジャー、ライトノベル、図鑑……」
見知らぬ生徒が走ってきた。
「すいませぬ図書委員殿! 本のリクエストキボンヌです! 小生はいわゆる、ぬるぽ先生の宣言シリーズが好きでして……」
「あそこのリクエストBOXに入れてください。次に作者名で、アイウエオ順で中分類されてるの。作品名じゃないから注意ね」
「七緒さん、いやマイスウィートエンジェル。僕と一緒に、ここを抜け出して本屋いこうよ」
「大体の本ここにあるので。お断りします。貴重な本はここにまとまってるから貸しちゃダメ。背表紙の貸禁マークが目印ね」
「すいません、棚上にある本を取りたくて。作業台か何かありますか?」
「頑張って取れや。貸出カードは、まず貸出日のスタンプを押して……」
「七緒、いまのはまともな質問だぞ」
「ああ、すいません!」
クレイジーすぎる生徒の嵐に、一般良識女子生徒がないがしろにされるとこだった。
「これを取ってほしいんですけど……」
女子は、メモを七緒に手渡した。
「えーと……E棚-あの……。ちょっと待っててください。すぐ持ってきて取っちゃいますね」
七緒はどこかへ小走りに向かった。俺にも作業台の場所教えて……。
「ああ、ありがとうございます……ぐ」
「ん?」
七緒についていこうとした矢先、なんか変な音がした。ぐ? 気になって女子の方を見ると、そいつは顔を紅潮させていた。そして謎の「ぐ」という擬音の正体は、コイツが笑いを堪えた時に漏れた音だった。
「ぐ、ぐぐぐ、ふふっ、ふふ」
へ、変態だー! 三人目も普通にやばい奴だったー! この女、七緒の背中を目で追って笑っている。明らかに興奮している!
「お待たせしました。耀くん、この本取ってくれる?」
「ああ、オッケー」
「なっ……!」
手書きのメモを七緒から譲り受けると、女は明らかに動揺していた。そりゃそうだ。俺のほうが身長高いし、そりゃそういう流れにもなるだろう。七緒の貞操は、俺が守る!
メモには「嗚呼、素晴らしきこの世界 著:安城 紅」と書かれていた。地味に蔵書数の多い、うちの図書館だと、ア行は確かに高い場所にある。俺の身長と照らし合わせると、棚自体で2m以上はあるだろうか。
「あの、すいません。な、七緒さんに取ってほしいんですけど……ぐ、ふふっ」
「「え?」」
な、なりふり構わず直接指名だと……!? コイツ、欲望に忠実すぎる……!
七緒は戸惑っていた。そりゃそうだ。なぜ七緒を指名する必要がある。しかし、逡巡したのち、七緒は頷いた。
「べ、別にいいですけど……」
なにがわかったんだ七緒! お前はいま、変態の毒牙にかかろうとしているのだぞ!
こいつの狙いはわかっている。おパンツだ。作業台の上に乗って無防備になったおパンツを狙っているのだ。それに気づいているのか? 気づいてないだろうな。同性だし、心のガードを下げきっている。
「やめろ七緒! 罠だ!」言おうとした矢先、七緒は「んしょ」と、背伸びをして、目当ての本を取ろうとしていた。ここまできたら、もう遅い。俺は、七緒と変態の動向を目で追って、何かあったときに変態を抑え込めるよう、低く身構えた。決して、七緒のパンツを見たいから、低く構えたとかそういうのではない。
「なっ!?」
しかし、ここで誤算が起きた。そう、七緒のスカートは長い。七緒は真面目だ。周囲がいくら膝上にスカートを上げようと、決して校則は破らない。そして、長い学び舎の歴史の上に作られた校則は、変態の毒牙をいとも容易く折った。
—―み、見えないっ!
身長175cmの俺からだと見えない! 身長が俺より20cmは低いであろう女子学生も目を凝らしている。どうやら、俺達の牙は届かなかったらしい。
「えーっと、これね」
「「な、なっ!?」」
しかし、七緒は知らず知らずのうちにコペルニクス的転回を行っていた。「パンツが見えないなら、胸を見ればいいじゃない」。変態のマリーアントワネットが脳内でつぶやいた。七緒は腕を必死に伸ばし、胸を反らす。すると、二つの双曲が盛り上がる。いや、本来の姿、その偉大さをまじまじと見せつける。これが本来の姿……! しかも今度は、少し下着が透けている……!
ごちそうさまです。しかし、神は一瞬しか我々に姿を見せない。顕在時間、1秒にも満たず。神は七緒に目当ての本を取らせた後、隣の書籍を落とした。
「いたっ!」
それが七緒の顔に当たる。すると、七緒は姿勢を崩して、後ろから倒れた。
「七緒!」
大きな音が辺りに響いた。咄嗟に出た俺の声と、作業台が倒れる音。身体は無意識に動いていた。両手を差し出して、下半身に力を入れ、全力で七緒を受け止める。
「大丈夫か?」
「……いてて、ごめんごめん。耀くんこそ、大丈夫?」
「ああ、全然。ケガは?」
受け止めた勢いと共に、姿勢を崩して倒れこんだが、痛めたところはなかった。ラッキースケベ的な状況だったが、さすがに七緒が心配だった。
「……うん、平気だよ。ありがとう」
七緒の頬は、少し紅潮していた。
女子が七緒の腕を引っ張り、身体を起こす。幸い、俺も尻もちをついた程度で、怪我はない。それにしても女子って軽いな。そこに驚いていた。
「大丈夫、七緒さん!?」
ショタが心配そうに駆け寄ってきた。
「ああ、大丈夫ですよ。耀くんが助けてくれたので」
「俺も全然平気です。七緒が軽くて助かった……」
「やめてよ」と恥ずかしそうに七緒がつっこむ。だがその表情は明るかった。心配してほしくないから冗談ぽく言ったが、本音な部分もある。
「よかったぁ、ケガ無くて。高いところの本取るときは、気を付けてね」
「ごめんなさい、私が七緒さんに取ってほしいとかいうから……」
女子が申し訳なさそうに頭を下げた。
「いえいえ、私が無理しないで、耀くんに頼めばよかったんです」
「七緒、念のためぶつけたデコ、冷やしにいくか。あと本……」
「「「「あっ」」」」
本の方に目を向けると、2つの本は折れもせずに無事だった。そこは何も問題ない。問題は、開かれたページが、綺麗に挿絵の部分になっており、何か美男子二人が裸でいい感じに絡み合っていることだ。
「「「「……」」」」
俺、七緒、ショタ、女子。皆、何を言うべきか、わからなかった。
「……」
俺は無言のまま、最後の望みをかけて、本を拾って、表紙を見た。「嗚呼、素晴らしきこの世界」と書かれていた。賭けには敗れた。女子の目当ての本だ。
「……はい。これ」
「……ありがとうございます」
どこか皆、余所余所しさを感じながら、騒動は終わった。俺と七緒は念のため保健室に向かった。
「あっち系の本だから、あの子、私にとってほしかったんだね」
「うん……」
「なんか興奮気味だったのも、早く本を読みたいっていう純粋な気持ちだったんだね……」
「うん……」
彼女の清々しいほどの、欲望の「グフフ」。俺は最後にそれを奪ってしまった。彼女はこの後、恥ずかしさのあまり、枕に顔を埋めて叫んだりするのだろうか。いや、しねえな。だってアイツ、普通に公共の場でグフグフ言ってたもん。恥知らずだもん。
まあ、俺が最後に言いたいことはただ一つ。
アイツ、七緒の身体が目当ての変態じゃなかった……。
「……耀くん、私が上に登ったとき、私の身体ばっか見てたでしょ」
「うん……」
しかもバレてた……。俺が唯一の変態だった……。
「……まあ結果オーライ、かな」
「え?」
「ううん、何でもない」
そんな変態を前に、七緒はなぜか少し笑っていた。
天使かコイツ?