1-2.終夜は本当にかわいいが、目を醒まさせる。
美術の時間、二人組を組んで、お互いのスケッチをしろという課題が出た。
いつも誰とも組めずあわあわとしている俺だったが、今日は違った。
「耀、一緒にやろうや」
「……うん、ありがとう」
パートナー決めの際、余っている俺のところに、郡司が来た。俺は、ありがとうの一言に、「余っていて困っていたところをありがとう郡司君……」のニュアンスを込めて、情感たっぷりに読み上げた。抜群の演技力だ。あと今更ですが俺の名前、耀陽って言います。この名前つけた親には、「正気か?」と思っています。
「わー、わざとっぽい言い方―。何かへーん」
郡司がまさかのペアを選んだことでざわついている中で、小さく終夜のリアクションが聞こえた。無視しよう。幸い誰も反応していない。
俺は昨日、郡司にこう話した。
「単純接触効果って知ってるか?」
「なんだそれ」
やはり眉なしにはたどり着けぬ教養です、か。
「人間って意外と単純でな、一日に何度も目に入ったり、喋ったり、接触すればするほど、その人が好きになってしまうものなんだよ」
「あまりピンとこないが……」
最たる例だよお前が!
「推測なんだがお前、部活で初めて入ってきた下級生にビビられたりしないか?」
ハッとした表情を郡司が見せた。
「確かに最初はビビられる……。ただ、段々慣れて普通に接するようになっていく」
瞬間、俺はすかさず、指を鳴らした。
「そう、それも単純接触効果だ」
「なるほど! あとダセえな!」
単純に後輩が慣れてきたのも要因の一つだろうがな。コイツはくそちょろ眉なしなので、説明は省いておく。郡司は萌えキャラだとどうせ、後輩にバレたんだろう。
「前から幼馴染のお前を、終夜はいまさら怖がらないだろう?」
「……確かに!」
深夜のうさん臭い、通販番組をしている気分だ。
「そこでだ、その単純接触効果を使う。終夜は……何か自分で言うのも気持ち悪いが、なぜかいつも俺のことを見ている」
朝の登校、授業中、昼休み中、ずっと視線を感じる。男子高校生って退屈な授業中、可愛い子を目で追って目の保養をするじゃないですか? あれをしてたら、ばっちり目が合って、慌てて逸らしたことがある。そのあともう一回見たら、まだ見ていた。にへらとした笑みを浮かべてた。かわいい。
「ああ、それはわかる。ずっとお前の観察してる……」
「ってことは、貴様も終夜の観察してるってことになるわな」
「否定はしまい……」
郡司も気づいていた。なら話は早い。
「まあつまり、俺の近くに居れば、郡司はアイツの視界に入り、接触回数が多くなるってことだよ。それに、友達もいない俺に優しくしてみろ。普通に誰もの好感度が上がる。お前の良さが、否が応でも終夜に伝わる。しばらくはお前のために、俺の近くに居るのも得策だ」
「ああ、わかった」
一つ、手は打てた。あと、わざわざペア組みの時にぼっちにならずにすむしな。こいつ使えますわ。あの気まずさったらないんだから……。
「つか単純接触効果っていうけど、同じクラスの高下いるだろ? 授業中もうるせえくそ猿。なおかつそれが面白いと思ってるバカ。アイツに彼女いるのも絶対に単純接触効果だよな。マイナスの印象でも、世の中は行動したもん勝ちなんだよな。俺みたいに【0】の男より、【マイナス50】の男の方がよっぽど、この高校という狭い箱庭の中ではアドバンテージなんよな。マジで高校の女子センスなさすぎだろ。まあ、あんな審美眼の腐ったやつらと付き合うなんてこっちからお断りだけどな」
「安心しろ。お前はマイナス100だ」
一瞬うつろな目をしていた郡司が冷静に一言告げた。まあ、こいつもセンスがねえな。そうなんだ。絶対そうなんだ。うん。
とまあ、こんなことがあり、郡司は俺とペアを組んでいる。
横目で終夜の方を見ると、スケッチを行いつつ、「ほほう?」「うーん?」などと眉をひそめながら、俺達の方を見ている。だがもうずっと見てるのに、手は止まらず、秀逸なスケッチが出来上がっていってる。どういう仕組み?
何はともあれ、単純接触作戦は、絶賛実行中である。
「耀……お前の鼻筋、近くで見ると意外ときれいだな」
郡司がいきなり俺の容姿を褒めてきた。うん、そういうことじゃないのよ郡司。褒めりゃあいいってもんじゃないのよ。ほら、教室の空気が固まったよ。隅っこの美術部の女子が興奮してるよ。
「いや気持ち悪いよ。やめてくれ」
せめて俺は違うんですよという主張の意味で、ぶっきらぼうに言った。クラスの数名が安堵していたような気がした。美術部の女子はさらに興奮していた。こういうのにも需要あんの?
「はい、一旦手を止めて。ここでお互いの作品を見て参考にしましょう」
美術教師が手を叩き、各々が一斉に手を止めた。皆が思い思いに席を離れ、クラスメイトの絵の鑑賞会が始まる。
まず、真っ先にギャラリーが増えたのは、もちろん終夜の席だ。何人か鼻の下を伸ばしてチラチラと終夜を見る。やめて!
「終夜さん、あなたの作品は……」
「はい先生! どうですか!」
「……」
美術教師が言葉を選ぶ。
「……うん、なんか凄すぎて私じゃ論評できないわ。とりあえずこれ、完成したら品評会に出していい?」
「はい!」
「みんなは終夜さんを参考にしないように! できないから!」
「「「はーい」」」
終夜の絵を見た者は9割方、息を吞んでいた。素人も圧巻させる絵って、そうそうないだろ……。美術部の女子軍団は片隅で、「あたし芸大いけない!」と涙ぐんでいた。
「やっぱすごいね……終夜さんって」
「俺らとは次元が違うというか……」
「うん! この絵はそうだね!」
モブ生徒(俺が名前を知らないだけ)がこぞって、終夜の絵を褒めている。そして謙遜を全くしないのが終夜らしい。
やっぱり俺とこいつが付き合っちゃあ、日本の損失だな……。
「みんな、雪っちに夢中だねー」
「うん……やっぱ雪ちゃんすごい……」
後ろを振り返ると、女子生徒二人が俺の後ろに立っていた。椅子に座っていた俺の眼前には、膨らんだYシャツ! たわわ&たわわ!
「でもこの絵もかっこいいよー!」
「お、お褒めの言葉、ありがとう……」
「あはは、耀っちかわいいー」
ケタケタと笑う彼女からは、ライムっぽい匂いが香ってきた。なぜ女子っていいにおいがするのでしょうか? こいつは不登校の俺でも知ってる。
朝光若葉。
ギャルには二種類しか存在しない。ギャップのあるギャルと、ギャップのないギャル。ギャップのないギャルは、見たままの容姿をし、見たままの喋り方をし、見たまま、想定内の侮蔑を僕たちに送る。そこに萌えは、存在しない。全て想定内のテンプレートな受け答えに、心は大きく動かない。
しかし、朝光若葉にはギャップがある。ギャルとは思えぬ、分け隔てない母性的優しさ。クラス内でもひときわ目立つ気配り。授業中に教師のことを思いやり、クラスメイトにウザがらない程度に裏回しをしてしまうほどだ。頭もいいらしい。
少し焼けた肌と、汚れ一つないYシャツのコントラスト。横にカラフルなシュシュで結んだサイドテール。男子を惑わせる短いスカートに、何人の男がおとされたことでしょう。かくいう俺も、話しかけてくれただけで……百点!
「うん、素敵だね……。ダイナミックかつ豪快だけど、明暗がしっかりしてて……好きだな、わたし」
「大雑把で不器用な絵とも取れるな」
「そ、そうじゃないよっ!」
「いいんだ。七緒。お前の優しさと慈しみは十二分に受け取った」
「もう、素直に受け取らないんだから」
「ななちゃんと耀っち、仲いいー」
「若葉ちゃん!」
三人の間で笑いが生まれる。七緒の「好きだな私……」の部分は脳内で切り取って、いつでも再生できるよう保存しておいた。ぐへへ。
今日も清風はかわいいなあ! 朝光の肩を軽くポンと叩く七緒清風。
揺れるゆるふわな、三つ編み黒髪ロングヘアーにのせて、グリーンシトラスの爽やかな匂いが香る。
長いスカートから、細いシルエットのニ―ソックスがオタク心をわかっている。
七緒とは図書係の初日で多少仲良くなった。好きな本の話題から、七緒の聡明さで俺の話題を一生懸命に拾ってくれて、感謝している。
「俺、たぶんいつ来れなくなるかわからないから、ごめんね。よろしく」というクズ発言に放つ、俺に最初は戸惑っていた彼女。だが、最終的には「わかったよ。図書委員のことは心配しないで」と言ってくれる聖母だ。悪い男に引っかからないでね……。
「耀よ、かっこよく描いてうれしいぞ俺は……」
そしてもう帰れよお前は……。郡司は俺の指示を忠実に守り、しっかりと俺の近くに居た。
「なんで郡司って、今日耀っちにBLモードなの?」
「は? なんだBLって?」
「朝光、郡司は無知なんだ。そのままにしておいてやれ」
「あー、りょ。なんでもないよー」
「あしらわれた……」
まあ、郡司も忠実に教えを守ってくれているわけだ。ならば師である、俺も多少は尽力してやらねばな。
「終夜の絵も近くで見てみるか……」
わざとらしくつぶやき、席を離れようとすると、ガっと細い手に右腕を掴まれた。
「え?」
その腕をたどっていくと、朝光の綺麗な顔があった。
「耀っちってさあ、今日の放課後時間ある?」
朝光はにやっと口角を上げて、じっとこちらを見据えていた。いたずらっぽい八重歯が印象的だった。
「すまんな、今日も明日も明後日も、変わらず俺は早く帰りたい気分だ」
「ヒマでしょ? 何もないでしょ? 限りなく透明に近いニートでしょ? 部活もしてないんだし、一、二時間だよ」
「……まあ、何もないけど」
俺と朝光の様子を見て、七緒は少し顔を赤くしていた。
「決定ー! 校門前で待っててねー。……郡司は?」
「部活だ」
「だよねー、知ってた。りょうかいー」
「なんなんだ……」
朝光は俺の席に座って、俺の目を見ながら手を振った。
「じゃっ、またあとでー」
「ああ」
そういうと、隣から「待った!」という声が聞こえた。
「耀くん……あなたは一つ、重要なことを忘れています……」
「え?」
「図書委員の仕事です! 来たからには、仕事を全うしてもらいます!」
まさかの方向から、矢が飛んできた。
「でも、図書委員の仕事って水・金だけだろ? 俺はそれを避けるために今日火曜に登校したんだぞ?」
「もう!」
我ながらクズな発言だ。
「残業です! 耀くんは、仕事を全然覚えてないから、今日覚えてもらいます!」
「ええっ……」
なんでそんな社会みたいなことを言うの……。高校生の時は学生気分でいさせろよ……。
「それって、今日じゃなきゃダメなの?」
残業過多の日本社会にも一石を投じる、文句を七緒に言う。
「ええっ、それは……」
さすが将来、人の上に立つであろう七緒。部下の問いに答えあぐねていた。
「それはやったほうがいいよ耀っちー。七緒の負担も減るしね」
ぐぬぬ! 実は優秀な朝光が正論を言い放った。
「私は適当に時間つぶしてるから、あとで会おう。じゃあ耀っち、LIME教えて。終わったら連絡ちょうだいー」
「ほっ、ほら、若葉ちゃんもそう言ってるから。最低限やることはやって!」
「……逃げられないようだな。社会という檻から人間は……」
「社会復帰の一歩だよー。耀っち」
……なるほど。一般的にはそうなるのか。それなら、今日は体調も悪くないし、仕方ない。
「了解。わたくしめに、仕事を教えてください。七緒様」
「なんで様づけ? うん、二、三十分で終わるからがんばろー」
七緒は両手でしっかり俺の手を握ってきた。そういうのは俺以外にやるなよ……男子は勘違いしちゃうから。照れ照れ。
その柔らかい手で名の通り懐柔されたら、俺も従わざるを得ない。ちらりと終夜の方を見ると、うんうんと腕組をしながら、満足げに頷いていた。
「青春ですなー、陽くん。ほほほ」
「……」
俺は人の顔色ばかりずっと窺っている。だから、表情の細微な変化までなんとなく気が付く。
その笑顔は、思惑に満ちている気がした。