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三章 夢を喰らう

 リティル達は未だ、本部を万年桜の園に置いていた。

桜の古木の前の草原に腰を下ろし、情報交換が行われている。

「――生きてる誰かの想いが獏を操ってるって?」

宝石三姉妹、長女・エネルフィネラがもたらした情報は、意外なモノだった。

「そいつは、正気を保ったまま夢邪鬼を送り込んで、それを食べた獏を狂わせてるみたいなんだ」

「狙われたのは、父さん、フロイン、ノイン。この3人の共通点はなんでしょうか?」

「風の精霊……だとインファが狙われないのはおかしいね……。ノインはすでに力の精霊だし」

ルキも一緒になって首を捻っていた。

「何が喰われるか、わざと捕まってみるか?」

考えることを早々に放棄して強引なリティルに、インファは顔をしかめた。

「父さん、喰われれば記憶を失いますよ?いいんですか?」

「大丈夫だぜ?レジーナに戻してもらえばいいんだからな」

レジーナにリティルが視線を送ると、彼女は無表情な顔ながら、意気込みの伝わってくる所作で頷いた。

「レジーナ、できる」

「はあ、やれやれ、レジーナなら戻せるよ」

ルキはレジーナから2人の風の視線がこちらに向くのを感じて、ため息を付きつつ彼女を肯定した。

「よしよし、餌役はオレがやるぜ!」

「待ってください!フロインとノインが来ます。彼女達にも状況を把握しておいてもらわなければなりません」

立ち上がったリティルを、インファが慌てて止めると、彼はあからさまに嫌そうな顔をした。

「……あいつら来るのかよ?力の精霊がフロイン口説いてるって?ホントかよ?ノイン、そんなにフロインのこと好きだったのか?」

「どの程度と言われると答えられませんが、大事にしていましたよ?あのころのフロインは、幽霊と言われるほど肉体が希薄でした。もう百年単位で、ノインの中からほとんど出てこなかったですよね?それでもよく惚気ていましたよ?」

「好きだ」と言っていたわけではない。風の騎士はフロインを、花を愛でるように愛していたとインファは思っていた。

「惚気てた?ノインが?……ああ、惚気てたな。フロインの方は、まあ、みんな知ってるよな」

風の騎士の中に行ったきり、殆ど姿も見せず帰ってこない守護鳥を、リティルは彼に預けっぱなしだった。フロインを押しつけたのはリティルだったが、風の騎士は確かに「可愛いオウギワシ」と言って愛しそうに笑っていた。大切にしてくれていることは、リティルにもわかっていた。

「大好きを通り越してましたね。精霊になって、少しクールになってしまいましたが」

インファは、言っていて恥ずかしいですねと苦笑した。

「あああ!思い出したら腹立ってきたぜ!手順を踏めよ!手順を!あんなに拒否してたフロインが落ちたのもビックリだったけどな」

フロインは風の騎士にとって妻だったのか?

それは、リティルにもインファにもわからない。

子を成すことが目的でなく、男女間の愛情に薄い種族である精霊が、婚姻を結ぶ理由はただ1つ、霊力の交換だ。交わりによって発動する奇跡の魔法の発動のためだ。

グロウタースの民に心が近い今代の風の城の住人達は、皆愛ある婚姻だが、やはり、その恩恵には皆与っている。

精霊の理に精通していた風の騎士が、霊力の交換のできないフロインを選んだことは、フロインが告白したように歪なことだったのだ。

離婚してくれなかったと泣いたフロインを選び続けた風の騎士に、リティル達は彼の深い愛情を感じずにはいられない。

その彼が婚前交渉だ。

リティルが風の騎士に抱いていた尊敬を打ち砕かれて、憤ってしまうのは仕方がないなとインファには思えた。

「ノインの中に風の騎士を見たんでしょうね」

「……あいつ、その記憶もなくしたよな?目覚めてすぐフロイン口説くっておかしくねーか?色香に惑ってるか、女好きなのか?」

大丈夫か?とリティルは否定的だった。力の精霊に対する不信感は拭い去れないらしい。

「父さんの歌が、何かを守ったかもしれませんよ?」

「そんな力ねーよ。オレ、やっぱり受け入れられねーな……」

自信なさげなリティルに、インファは困りましたねと笑った。

「しかたありませんよ。ノインも許してくれます。力の精霊のことはオレに任せてください。きっと使える男に育ててみせますよ」

味方に引き入れる気満々なインファに、リティルはゲンナリした。本当に関わりたくないのだ。

「……魔物狩りさせる気かよ」

「オレ達はどこまでいっても、死神ですからね。ノインの教えはこうです。使える者は使え。ですから」

未来永劫戦い続ける風の城は、形振りなど構っていられない。生き残る為には、何だって利用する。幸い、利用されてくれる精霊が、城の外にもいてくれる。

「あいつ、あこぎだな。オレも人のこと言えねーか。幻夢帝と太陽王を引きずり回してるしな」

「リティルなら大歓迎」

すかさずニンマリ笑ったルキに、リティルは照れたように笑い返した。

「ありがとな、ルキ。恩に着るぜ。ルキ、獏ってどれくらいの数いるんだ?」

「そんなに多くないよ。50くらいかな?汚染されてない獏は、断崖の城に隔離しておいたし、あと数頭だと思うよ」

「悪かったな、手伝ってやれなくて」

「何言ってるのかな?君たちは獏と戦ってくれてるよね?ボクの国なんだ、遊んでるわけにはいかないでしょう?」

「あんまり無理するなよ?おまえ、戦闘系じゃねーんだからな。で?どこに網張るんだよ?」

リティルは本当に自然に幻夢帝の頭を撫でるなと、インファは感心してしまう。王は対等とはいえ、1属性の王と1国の王だ。さすがにインファはルキに対して一線を引いていた。

まあ、インファは王子にすぎないが。

「レジーナ、今更ですが騒がせます」

「いいよ。壊れても、直る。レジーナも、死なない」

「あなたに危害は加えさせませんよ。セリアとインジュの協力魔法・宝石の檻は物理ではまず破られません」

「またインジュ呼ぶのか?あいつ忙しいな。セリア、インジュの役オレでもできるか?」

今し方どこからともなく戻ってきて、インファの隣に座ったセリアに尋ねると、彼女からは頼もしい答えが返ってきた。

「大丈夫。1人でできるわ。あの魔法はインジュが作ったけれど、わたしも使えるの。わたしの中にはインファの霊力があるもの。それを使うわ」

「そっか、頼むな。お?やっとお出ましだぜ?力の精霊様だ」

リティルの言葉で、この場にいた全員がそちらを見やった。丘の下から、2羽の鳥が鋭く現れて、こちらに舞い降りてくる。フロインとノインだった。

 皆は2人を迎えて、立ち上がった。

「フロイン、お疲れ様です。お呼びだてしてすみません。力の精霊・ノイン」

「貴殿は?」

記憶の消去は上手くいったようですね。とインファはノインを観察していた。だが、消去前に風の城で会ったときより、意思がしっかりしているような印象を受けた。

「オレは風の王・リティルの副官、雷帝・インファです。王はこっちですよ?」

ノインの瞳が、インファからリティルに合わさった。

「おまえ、インファが風の王だと思っただろ?」

リティルは、ジッと観察するように見下ろしてくるノインを、腰に両手を当てて苦笑しながら見上げた。

「おまえは……」

ノインはどこか夢を見ているような瞳で、リティルをジッと見つめたまま呟いた。

「ん?おまえ、初対面の王に向かっておまえ呼ばわりかよ?1戦やりてーのか?買ってやるぜ?」

リティルは好戦的な色を、その生き生きと炎のような光の立ち上る瞳に浮かべた。

「いや。すまない。貴殿を、知っているような気がした。力の精霊・ノインだ。風の王・リティル、非礼をわびよう」

「オレはおまえを知ってるよ。力の精霊、どっかに違和感あるか?」

「ない。だが、オレは元風の精霊だったのだと確信した。1つ尋ねたい。貴殿とオレは血縁か?」

思わぬ言葉に、リティルは瞳を見開いた。

えっと?こいつとオレってなんて言ったらいいんだ?インだったら親子だよな?蘇りの生まれ変わりのノインって、関係的にオレの何になるんだ?と、リティルは逡巡してしまった。

答えないリティルの様子に、ノインは力の精霊という存在に配慮しているのだと思った。だが、謎を謎のままには気持ち悪くてしておけない。そう思った理由を告げてみることにした。

「インファは貴殿の息子なのだろう?インファとオレは、確かめなくとも似ている。グロウタース風に言うなれば、兄弟だ。貴殿は、オレの父なのか?」

はあ?オレがノインの父親?リティルは飛び上がるほど驚いた。

「ばっ!んなわけねーだろ!おまえみてーなふてぶてしいヤツ、産んだ覚えねーよ!はあ……そうくるか……それは変化球だったな……まさか、風の騎士に瓜二つのヤツに、父親説出されるとは思わなかったぜ……」

衝撃から立ち直っていないリティルは、気がついていないようだなとインファは思った。彼には、記憶消去前にはなかったはずの知識がある。これは興味深いですねと、インファは思った。

「そうですね。オレも驚きました。ノイン、オレとあなたは血縁関係にありませんよ。あなたにはどれくらいの知識があるんですか?風の王が、現在何代目か知っていますか?」

「15代目だ」

ノインは表情を動かさずに即答した。

「知っていましたか。正直驚いていますよ。歴代風の王の顔を、知っていますか?」

「いや、そこまでは」

「そうですか、了解しました。では、この件は保留にしましょう。この事案が片づいたら、風の城に来てください。わかりやすく説明します。では、仕事しますよ?皆さん!」

準備はいいですか?とインファは半ば強引に号令をかけたのだった。

ノインとは、腰を据えてじっくり話そう。インファは、何かが変わった力の精霊にニッコリと微笑んだ。

 そして、リティルが囮となって獏に記憶を喰わせることを説明した。

「リティル、あなたがやるならわたしがやるわ」

フロインは血相を変えると、リティルの腕を掴んだ。彼女はリティルの守護女神だ。当然の反応だった。

「こういう役はオレの役目だろ?大丈夫だ。記憶を喰われてもレジーナが戻してくれるぜ」

「ならば、その役、わたしでもいいはずよ!リティル……考え直して!」

「決定だ。あのな、フロイン、おまえがその役やって苦しんでみろ。心穏やかじゃねーやつが、真後ろにいるだろ?」

真後ろ?フロインが振り返ると、インファの隣に佇むノインがジッとこちらを見ていた。

「あいつは目覚めたばっかで不安定だ。負担かけてやるなよ」

リティルはフロインの背中をポンッと叩いた。

「ならば、せめてわたしも行くわ!」

フロインに食い下がられて、本当はインファと2人で行こうとしていたリティルは、ノインも連れていかねばならない羽目になったのだった。

「じゃあ、行ってくるな!宝石三姉妹、本部護衛頼んだぜ?」

「任せて!リティル様!」

意気込むセリアの後ろで、スワロメイラとエネルフィネラが、頼もしい笑みを浮かべていた。


 丘をリティル達と共に降りたインファは、危うさを感じていた。

リティルは記憶を操作すること、ことに失うことに強い抵抗を感じる。獏の奪いに来る記憶次第で、リティルは最悪暴走状態となるだろう。

さて、オレで止められますかね?と同行者の2人を当てにできない現状に、インジュかラスに手伝わせればよかったなと頭をよぎった。だが、もう遅い。何とかするしかない。

 4人が丘の下に舞い降りると、途端に気配が生まれた。

「すげーな。食いつきいいな」

「言ってる場合ですか。オレは不安しかありませんよ」

「はは、そういうなよ。オレが暴走したら、半殺しでいいからな!」

そう言ってリティルはあっけらかんと笑うと、背の高い息子の腕をポンッと叩いた。

「インファ、獏は1頭でいいわよね?」

「はあ、そうですね」

「1頭こちらに追い込んで、あとは一掃するわ」

フロインは鉄扇を抜くと、インファの答えを待たずに翼を広げて桜の木々の間を、かなりのスピードで飛び去った。

「勇ましいな」

「うちの守護女神は容赦ないですよ?そのうえ、かなりのじゃじゃ馬です。大らかに付き合ってあげてください」

「心得た。風の王、少し話をしたいのだが」

「何だよ?力の精霊」

リティルは、どこかオレから距離を取っているようだなと、ノインは感じていた。今も、インファは隣にいてくれるが、リティルは会話には参加できる距離だが、離れていた。

「ノインだ」

「はあ?」

「貴殿はオレの名を、1度も呼ばない」

マジか?またこの流れなのかよ?とリティルは絶句した。

「はあ……おまえ、そればっかりだな……。なあ、どうしてオレに名前呼ばせてーんだよ?悪いけどな、オレはおまえの名を呼べねーよ」

「それは、風の騎士と同じ名だからか?」

どうして知ってるんだ?フロインが話したのか?とリティルは戻ってきたノインに違和感を感じていた。同じ違和感を、インファも感じていることにも気がついていた。

だが、言及はしない。リティルはもう彼とは関わりたくないのだから。

「そういうことだ。それはおまえのせいじゃねーよ。力の精霊、おまえは転成だ。でもオレにとっては、風の騎士の死でもあるんだよ。風の王なのに不甲斐ねーって思っただろ?そう思っててくれ。他には?何かあるのかよ?」

拒絶の表情ではない。リティルは穏やかに笑っているが、ノインには関わってくれるなと言われているように感じられ「いや、何もない」と言わざるを得なかった。

 ノインには、朧気に覚えていることがあった。

まるで、俯いてないで前を向け!こっちだ!こっちに来い!と引っ張り上げるような歌声。

今となっては、歌詞も曲もわからないが、闇の中聞こえた声に顔をあげると、眩しい光の中に誰かが立っていた。そして、共に行こう?と言うように手を、差し出してきた。

それは、現実ではないのだろう。それと今目の前にいる、この小柄な風の王とを結びつけるのは乱暴だとわかっていた。ノインはまだ、目覚めてから数人にしか会っていないのだから。

だが、と、ノインはもう目をそらしてしまったリティルに、視線を投げた。

あの歌声、あの人影が、リティルならいいのにと、確かに思っていた。

だが、オレは転成で、新たに産まれたではないはずなのだが……とノインは合点がいかなかった。フロインも、考えを突きつけるまでは前世だと、まるで、風の騎士と力の精霊とを別の人格だと認識しているようだった。なぜなのだろうか?騎士と彼等との間に何かがあった?

「風の騎士の記憶……知る方法は……?」

頭に浮かんだことを、ノインは呟いていた。インファが反応して、口を開くよりも早く、リティルがキッとノインを睨んだ。

「やめろ!おまえは力の精霊だろ!振り返ってんじゃねーよ。前だけ見てろ!力の精霊、あいつの記憶に触れることは、このオレが許さねーよ。風の王と争いたくなかったら、覚えとけ!」

リティルは言いたいことだけ言うと、プイッと背を向けて、もう話しかけるなと言いたげな態度を取った。

「すみません。ですが、オレも王と同意見です。風の騎士のことを、疑問を解消するためにオレ達に聞くことはかまいませんが、その記憶には触れないでください。いい結果にはなりませんから。あなたは、半年前に目覚めています。目覚めたのは、ついさっきではないんですよ」

「半年?だが、オレの記憶は……。?いや、そうなのか?フロインが辻褄の合わないことを言っていた」

フロインは、力の精霊・ノインと魂を分け合う約束をしたと言った。ノインは実は、フロインに手を出してしまった自覚があった。それはいつのことなのか?ついさっき目覚めたのでは説明できないことだった。

「あなたは、風の騎士の記憶に飲まれて、そして、記憶をすべて消さなければならない事態に陥りました。ので、あなたが力の精霊として目覚めて、半年間の記憶も道連れになってしまったんです。フロインとの事を心配していたんですが、記憶以外のところが覚えていてくれて幸いでした」

インファは「半年間の記憶を救えず、すみません」と再び謝ってきた。

「いや。なるほど、とりあえず合点がいった。だが、その間にオレと風の王との間に何かあったのだろうか?」

「父さんの態度は今のように最悪でしたよ。関わりは皆無に等しいですね」

「そうか……では、あの歌声は、オレに向けられたものではなかったのか……?」

「歌ですか?どんな歌ですか?」

「思い出せない。が、声は確かに風の王の物だった。光のような炎のような、心を鼓舞するようなそんな歌だった」

「父さん」

インファは小さくため息を付くと、リティルの背中に声を投げた。

「しらねーよ」

「子供ですか。しかたありませんね。ノイン、王には時間が必要です。今はそっとしておいてあげてくれませんか?ですが、その歌はあなたのために歌われたものです」

「そうか。了解した」

それだけ聞ければ十分だと、ノインは、涼やかな目元に風の騎士よりも明るい笑みを、嬉しそうに浮かべた。

その笑みを見たインファは、ノインにニッコリ笑い返しながら、これは、拒み続けるのは可哀想ですよ?父さん。と思ってしまった。そしてインファは、彼はノインだと思った。理由などない。説明できないが、彼はノインだ。と、思ったのだった。

 フロインは謀っていたのだろうか?ちょうど会話の終わるタイミングで、インファ達の後ろに舞い降りた。

「リティル、正面よ!」

「ああ、わかったよ。インファ、警戒よろしくな!」

「はあ、了解しました。なるべく暴走しないでくださいよ?」

リティルのいう警戒が、リティルを指していることがわかるインファはため息と共に釘を刺した。リティルはお気楽に笑うと、桜をなぎ倒して現れた獏と対峙した。

獏は一直線にリティルに向かい、その長い鼻の先をリティルに向けた。

獏の鼻からドロッとしているが、気体らしい黒っぽい紫色の靄が吐き出されて、リティルを覆う。

眠りの効果のある、幻夢の霧に似ているが、一向に眠くならなかった。これで、どうやって記憶を食べるんだ?と思っていると、靄の中に、誰かの姿が見えた。

「!」

それは、金色のオオタカの翼を背負った、細身で長身な男性。その手には、長剣が握られていた。振り向いたその顔は、ノインだった。

「ノ――イン……」

涼やかに笑う彼に向かい、リティルはヨロリと手を伸ばしていた。その笑顔が、急に遠ざかった。そして、彼の姿が急激に色褪せた。

「ノイン!あああ!待ってくれ!おまえを二度も、殺してたまるかよ!」

見えなくなった空を仰いで、リティルは力の限り叫んでいた。解き放たれる風が刃となって、紫のドロッとした靄を吹き飛ばしていた。

「………………誰だ………………ノインの思い出を、オレから…………オレ達から奪おうとしたヤツはあああああああ!」

怒りの制御ができない。溢れだした怒りが、全方位に細く鋭利な針のような風となって放たれていた。

リティルの怒りにいち早く気がついたインファは、両手を前へ突き出すと、風の障壁を張っていた。その直後襲いかかってきた細く刺すような風に、盾が数カ所貫通させられていた。インファはすぐさま体に留まっている宝石の精霊・セリアの霊力を使って、類い希なる輝きを風の障壁に乗せた。ダイヤモンドの煌めきに覆われた盾は、未だに飛ばされる針のような風を凌ぐ。

「父さん!暴走しないでくださいと、言ったでしょう?はあ、ここまでの怒りは想定外です。逆鱗ですよ。早く止めなければ、あの獏を殺してしまいますね」

しかしどうするか。インファはこの盾を維持しなければならず、止めに行けない。インファは、フロインにチラリと視線を送った。

「フロイン、30秒この盾を維持できますか?」

「やってみるわ」とフロインが言うよりも早く、ノインが動いていた。

「インファ、オレの合図で一瞬だけ盾を解除できるか?」

「はい?できますが、どうするんですか?」

「リティルの意識を奪えばいいのだろう?盾の解除と同時にオレが飛ぶ」

「……わかりました。あなたに任せます」

インファに頷いたノインは、険しく前方を睨んだ。

細く短い針のような風が、真っ直ぐ飛んできていた。切れ間はないように見えるが、まるで呼吸するように、間隔のあく瞬間があった。

「インファ!」

声と同時にノインは地を蹴っていた。一瞬、盾が消え去る。その刹那をノインは見事通り抜けて、大剣を盾にリティルへ向けて飛んだ。凌ぎきれない風の針がノインの体を傷つけたが、彼は物ともせずにリティルにたどり着くと、彼の首に手刀を落として意識を奪った。

「見事ですね。ですが、少し傷つきすぎですよ」

気を失ったリティルを片手で後ろから抱き留めたノインは、座り込みはしなかったが、肩や翼が貫かれて、血が流れていた。駆けつけたフロインが、すぐさま傷を癒やしたが、かなりの羽根が散ってしまっていた。

「貴殿ならどうする?」

「オレは防御が得意なんです。風の障壁で守りながら行きましたかね?ノイン、オレのことはおまえでいいですよ?では、レジーナに何の記憶が食べられたのか、聞きに行きましょうか」

ノインは「風の王の副官を、おまえと呼べと?」と思ったが、インファがすぐに何かを思案するような表情になってしまったために、サラッと流されてしまったそれを、話題にはできなかった。だが、しっくりくるような気がして、以前はそう呼んでいたのか?と思った。

 ノインはリティルを抱き上げ直すと、先行したインファとフロインを追って、飛び立とうとした。

「――ノイ・ン……」

かすかなつぶやき。確かに名を呼ばれ、ノインは横抱きに抱き上げた小柄で、ノインからすると華奢な風の王を見下ろした。

「……泣くな、リティル……」

ノインはハッとした。リティルの目尻から、ジワリと涙が玉になってこぼれ落ちるのを見て、自分の口からこぼれるように低く呟いた言葉に、驚いていた。

今のは、なんだ?動揺したが、今は平常心を保たなければと、ノインは顔を上げると地を蹴って2人のあとを追ったのだった。


 桜の古木へ戻ると、皆はやっぱりという顔をしていた。

「凄かったね。大丈夫かな?ノイン」

すでにノインがリティルを回収したことが伝わっていたのか、近寄ってきたルキがニンマリと笑って尋ねてきた。

「問題ない。が、少し強く殴ってしまったかもしれない」

「いいわよぉ、少しくらい。リティル、丈夫だから」

ほらほらこっちと、スワロメイラが手招きした。それでもと言うように、セリアが心配そうにレジーナの前に寝かされたリティルの手を取った。

レジーナはそっと、リティルの額に触れ。そしてすぐに顔を上げた。

「風の騎士、ノインの、記憶。修復、完了」

それを聞いたインファは、険しい顔で「そうでしょうね」と呟いた。

「ルキ、獏に夢邪鬼を送り込んだ者は、生きているといいましたね。どこから送り込んでいるのか、見当はついていますか?」

「セクルースだよ。獏に残ってた夢邪鬼の残滓と、喰われたリティルの記憶を調べてみるよ。でも、何も出ないかもね。どうも、無意識ッぽいんだ。エネル、スワロ、おいで」

ルキは宝石2人を伴い、丘を降りていった。

セクルース……イシュラースの半分である昼の国……インファ達風の精霊もそこに暮らしている。太陽王の統治する国。

犯人は精霊ということだ。そして、まだ生きている。

だがなぜ、リティル、フロイン、力の精霊・ノインの記憶だけを狙ったのだろうか。風の騎士・ノインと関係があった精霊は、他に、インファ、ルキ、宝石三姉妹、レジーナ、ここにいる全員だ。その中で、なぜ、この3人だったのか?

 そもそもなぜ、力の精霊・ノインが狙われたのだろうか。彼がルキルースに初めて訪れたとき、彼の記憶は壊れていた。思い出せないほどに壊れていた。だのに、なぜ彼も襲われたのだろうか。

「インファ、リティル様をお城に戻しましょう。インファ?」

「はい?ああ、すみません。フフ、困りましたね、セリア。このオレがお手上げですよ」

インファは、知らないうちにそばに来ていたセリアに、困った笑みを浮かべた。

「ええ?どうするの?」

一大事じゃない!と大げさなセリアに、一気に脱力して、インファは笑ってしまった。

「フフフフ、どうしましょうかね?」

「ちょっと!大丈夫?ねえ、インファ!帰って寝た方がいいわよ?」

急に笑い出したインファを、セリアは本気で心配してその頬を両手で掴んだ。

「そうしたいのは、山々なんですが、そういうわけにもいきませんよ」

インファは、頬に触れてきたセリアの手をそっと取りながら、和んだ笑みを浮かべていた。

「ねえ、もう獏は大丈夫なのよね?だったら、このままでもいいんじゃない?」

「なぜ、そう思うんですか?」

思わぬセリアの言葉に、インファはキョトンとしてしまった。それを見たセリアは、やだ、インファが可愛い!と思って、身悶えたいのを何とか堪えた。

「なんとなく……暴いてもいいことにはならない気がして……」

セリアは言いにくそうにしていた。インファはいきなりセリアの肩を抱くと、驚く彼女を置き去りに皆に声をかけた。

「――ノイン、フロイン、少し席を外します。セリア、デートしてください」

「ええ?どうしたの?いきなり?」

「どこに行きますか?」

「ええ?うーん、じゃあ……」

そう言って、セリアは扉を開くと、インファと共に扉を越えたのだった。


 扉を越えた先は、蛍の舞う真っ暗な森だった。森の中に、波1つ立っていない池があり、その池が淡く青白く光っていた。

水鏡の泉。ここは、インファとセリアの始まった場所だ。

「それで、何を話したいの?」

セリアは照れ屋だ。婚姻を結んでから何百年も、それこそインジュが戦略結婚だと勘違いするほど、寝室以外では逃げ回られた。

それは、理性が強すぎて、素っ気ない態度しかとれないインファにも問題があるが、今ではずいぶん改善されたと思う。

「色気がないですね。この場所を選んだというのに」

「だ、だって、いきなりデートしてなんていうから!ここしか思い浮かばなかったのよ!」

一瞬で真っ赤になるセリアに苦笑して、インファは彼女の手を取ると池の畔に腰を下ろした。池の中を見下ろすと、青白く光る蛍石がおびただしい量沈んでいる。

「セリア、オレ達が始まって何百年経ちましたか?」

「いきなり何?覚えてないわ!いいじゃない、年月なんて。ずっと、ずうーっと続いていくんだから!」

セリアは本気で怒っているようで、インファをその意志の強そうな瞳で、容赦なく睨んできた。彼女の立てた膝に置かれた左手の薬指には、羽根が指に巻き付いたようなデザインの指輪がはまっていた。1度、この指から消えてしまったそれを、インファは再び同じデザインでセリアに贈りなおした。

この場所で。

「すみません。もう、無断でいなくなりませんから、許してください」

そう言ってセリアの肩を抱き寄せたインファの左手の薬指にも、指輪が嵌まっていた。小さな宝石を散りばめた金の指輪だった。

「わたしは、もう1度インファに会えたけど、フロインは……」

インファは8年間、リティルにも告げられずに休眠状態となり、実質行方不明になったことがあった。その時、一時的に肉体を失い、その為に婚姻の証も消え失せてしまったのだ。

戻ることができたが、贈った精霊の死と共に消滅する婚姻の証に、セリアは、8年間インファは死んだのだと思って過ごす羽目になった。その時の地獄を思い、記憶を完全に失ってしまったノインと、もう1度婚姻を結び直そうとするフロインの心が、彼に請われたからといっても本当に女神のようだなと思った。だって、風の騎士だった記憶のないノインは、もう、以前のノインではない。ノインという姿をした別人だ。わたしなら、受け入れられないと思う。とセリアは思いながら、肩を抱いてくれているインファの横顔を見つめていた。

「いいえ。ノインも戻ってくれましたよ。記憶はなくなってしまいましたが、彼はノインです。風の騎士ではなくなっただけですよ」

セリアは、インファの肩に頭を乗せて寄り添った。

「もう、ノインと言い合えないなんて、寂しいわ……」

「オレは少しホッとしていますかね。あなた達は少々仲がよすぎましたからね」

セリアとノインの仲の良さは、インジュが本当はお母さん、ノインが好きなんじゃ?と誤解するくらいだった。

「意地悪!」

「それはあなたです!フフ、オレはまた彼とは友人になりますよ」

「狡い!」

「大いに嫉妬してください。セリア、さっきの話ですが、思うところがありますよね?何ですか?」

急に本題を持ってくるインファに、恨めしげな視線を向けながら、セリアは湖面に視線を投げた。

「ノイン、女の人の知り合い、多かったわよね?」

女性の知り合い?そう言えば、ノインの周りには女性が多かったように思う。

精霊大師範という異名で呼ばれるインファは、老若男女様々な精霊達が相談に訪れる。加えてインファは女嫌いで有名な精霊で、セリアとの婚姻後は本当にそういう意味で近づく女性は皆無になった。

対するノインは、インファとほぼ同じ顔で、面倒見がいい。フロインが目を光らせていたために、言い寄られたという話は聞いたことがなかったが、下心を持って近づいた者もいたのだろうか。

「インファがノインに嫉妬するくらいだから、中には本気の人もいたんじゃないかって」

「蒸し返さないでください!あの時は、頭がおかしくなるくらい忙しかったんです!」

「うんうん、忙しかったわね。リティル様がいなくて。ノインはほら、そういうことに対して無防備だったわよね?」

「……流しましたね?はあ、そうですね。ノインに他意はなくても、平気で体に触れさせていましたからね」

オレは絶対に嫌です。と、インファは言った。

「そう!それ!力の精霊になって、フロインとの婚姻が切れて、超絶美形の大人なノインがフリーになったのよ!」

「いい男だとは思っていたんですね?それで、言い寄る女性がいたと、あなたは考えているんですか?」

「超絶美形のインファを少し大人にしただけなんだから、ノインもいい男の部類よ?だけど、ノイン、ピアスの君を想って、その全員を牽制しちゃったのよ」

「前から気になっていたんですが、オレとノインの顔、どちらが好みなんですか?では、その中の誰かが犯人だと思っているんですね?」

「インファよ。決まってるでしょう?わたし、インファに2回振られてるでしょう?だから、失恋の痛み知ってるのよ……。やってる人、無自覚なんでしょう?暴いちゃったら、可哀想な気がして……」

「2回?2回振りましたか?しかし、このままというのは……また獏が暴走しても困りますし」

「1回目は会いに来るって言ったのに来なくて、2回目は心がないって言われたわよ!そうだわ!早く再婚しちゃえばいいのよ!」

「1回目の記憶はありませんよ?2回目は覚えていますが。言えますか?早く再婚しろと、オレはさすがに言えませんよ」

「記憶って、儚いのよね。あら、そういうことよ!」

「何ですか?」

「だから、ノインがフロインを忘れればいいって、その人は思っちゃったのよ。でも、フロインが覚えてたらノインをまた盗られるかもしれない。リティル様が覚えてたら、教えちゃうかもしれないって」

「たちが悪くないですか?許しておけませんよ」

「それが恋愛なのよね。綺麗なばっかりじゃないわ。でも、どうやって捜すの?ノインを好きな人って案外いそうよ?」

「そうですね……フロインとの婚姻が切れている今、ノインは無防備ですし、セリア、万が一その精霊が魅了の力を使えたとしたら、ノインはかかりますか?」

「魅了の力の強さによるけど……ダダ漏れのフロイン以上の魅了が使える精霊は、いないと思うわよ。特に、恋してる人とか婚姻関係にあるとほぼ効かないわね。ノインは理性強いでしょう?大丈夫なんじゃないかしら?」

「そうですか。では、策を弄するとしましょうか」

インファはセリアの肩を抱いていた手を解くと、水晶球を風の中から取り出した。

「リャリス、いますか?」

水晶球の中に、ややあってリャリスが姿を現した。

『お兄様?私にご用ですの?』

「ええ、あなたに頼みがあるんです。セクルースに、力の精霊・ノインの記憶がリセットされたと、噂を流してくれませんか?」

『わかりましたわ。明日には行き渡ると思いますわよ』

「そちらは昼間ですか?ルキルースはずっと夜なので、あれから何日経過したかわからないんですよ」

『1週間ですわ。ノイン、一瞬太陽の城に帰ってきたとルディルが言っていましたわね。フロインが一緒だったようですけれど、仲直りはできまして?』

「ええ、時間はかかると思いますが、再婚すると思いますよ」

『えっ?それは……喜んでいいのですわよね?』

「ええ、祝福してあげてください。けれども内密にお願いします。まだ、仕事中なんです」

『説明、してくださいますわよね?』

「もちろんです。半日くらいで戻れますから、城の皆さんにも伝えてください」

『はい、お兄様』

リャリスは、嬉しそうに微笑むと水晶球からいなくなった。

「可愛い妹ね。お兄様?」

お兄様。インファを兄と呼ぶ精霊は多い。彼を兄と呼びながら、実は狙っていましたという精霊が皆無なのはなぜだろうか。インファは、こんなにも格好いいのにとセリアは疑問だった。

「何ですか?息子の恋人にまで嫉妬しないでください」

「……インジュ、本気?弄んでないわよね?」

「頑張っていますよ?」

「何を頑張るのよ?」

「恋愛感情を取り戻そうとしていますね。セリア、インジュは本当に恋愛できないんですか?」

「してるじゃない。リャリスと。リャリス、可愛いから心配なのよ……相手があの子じゃ……」

セリアは何を言っているの?と言いたげに首を傾げ、インジュはリャリスにふさわしくない!と言い切った。息子に対して辛口な妃に、インファは苦笑するしかなかった。

「インジュは、心のありなしをわかっていないようですよ?」

「そうなの?だったら、リャリスに2、3日、風の城に通うのやめてもらえばいいのよ」

それでわかるのか?と腑に落ちないインファに、セリアはわかるわよ!と自信たっぷりに笑ったのだった。


 夢、今思い返してみても、1ヶ月前のルキルースでの出来事は、まさに夢だった。

1ヶ月前、力の精霊・ノインは、風の王達と暴走した獏を巡っての事案に関わった。

まだ、解決はしていなかったが、風の王の副官であるインファは、餌を撒いたと言っていた。あとは、それに獲物がかかるのを待つだけだと言い、一旦解散となったのだ。

インファとは、あれから2日に1回は会っているかもしれない。博識で、風以外の力にも精通していて、話をしていると楽しくて時間を忘れてしまう。

風の城への出入りの自由を許されているノインは、風の城に住まう精霊達にも受け入れられていた。風の王・リティルを除いて。

リティルは未だに、名も呼んではくれず、目も殆ど合わせてくれない。だが、ノインはそれでもよかった。

あの時、獏に記憶を喰われ、ノインの手で意識を奪われた彼が、涙と共に呟いた名。それを聞いた時、無意識に口から零れ出た言葉に、ノインは確かな絆を感じた。今はまだ歩み寄れなくても、きっと、力の精霊・ノインを認めてくれる日が来るだろうと思えた。そう思いたかった。

 ノインはそれよりも焦っていることがあった。

フロインに贈る、婚姻の証が決まらないのだ。

勇ましく戦う彼女の邪魔にならず、彼女にふさわしいもの……と思っているのだが、欲張りすぎなのか、一向に決まらないのだった。

ルキルースで知り合った、宝石三姉妹の次女・スワロメイラがたまに遊びに来て、婚姻の証が決まらないとぼやくと、彼女は呆れて、猫足のついた曲線を多用したデザインの宝石箱をくれた。

彼女に関して思うことがあり、ノインは「我々は友人関係だったか?」と問うと、スワロメイラは瞳を大きく見開いて次の瞬間、とても嬉しそうな顔をして「そうよぉ?やだぁ!ノイン、覚えててくれたの?」と大喜びだった。記憶はないと断ったが、スワロメイラは「いいわよぉ!」と言って、笑っていた。猫のように愛らしい少女だ。

ノインが何かを感じたのは、スワロメイラだけではなかった。ノインはそれから、何かを感じた者には問うようにしたのだった。そしてそれは今のところ、ハズレがない。

 彼女のくれた宝石箱の中には、一通りのアクセサリーが揃っていて「参考にしなさいな」と笑われた。飾らない彼女は好ましく、ノインは通信球でも話をするくらいの友人となっていた。

『――まだ決まらないのぉ?フロインに逃げられちゃうわよぉ?』

「逃げられないように、会いには行っている」

ノインはテーブルの上の通信球でスワロメイラと会話しながら、パンジーで花冠を作っていた。

『それで?今度は何を始めたのよ?』

「いや、この前レシェラが作っていた。花冠だ」

『パンジーで?派手な女神様には、バラとかの方がいいんじゃない?』

「そう思うか?フロインは美人だが、顔は可憐だ。柔らかい雰囲気のインジュに似ているな」

インジュは初対面でいきなり「ノイン!おかえりなさい!」と言って抱きついてきた。

面食らったが、顔を上げた彼は「ああ、記憶ないんでしたっけ?ボク、煌帝・インジュです!」と女性の様な柔らかさで笑った。その名を聞いたとき「インジュ……インファの息子か?」と問うていた。インジュはインファに教えたのか?と問うていたが、教えていないと返され「どうして覚えてるんです?」と不思議そうだった。

なぜ、抱きついてきたのか?と問うと、彼は「一目見て、ノインだってわかったからです!」と自信ありげに言って笑っていた。

『ああ、あの2人は同じ至宝の精霊だものね。インジュは4分の1だけど、まんま原初の風の精霊!フロインは半分でリティルの守護女神!存在的には姉弟なのよ』

「聞いた。インジュは、インファの息子に産まれたかったのだそうだな。いや、待て、フロインに花冠を渡したくて作っているわけではない」

『あらそう?でも、そろそろ何にするかくらい目星ついてるでしょう?』

ノインは作りかけの花冠を置くと、スワロメイラにもらった宝石箱を開いた。そして、ピアスを手に取った。三日月と星の飾りが、細いチェーンにぶら下がっていた。

「どうしても、ピアスから抜け出せない」

『イヤなの?ははん、風の騎士様に反発してるのねぇ?』

「やはり、意識はする。今でもフロインの1番は彼だ」

風の城の住人は、ノインをノインだと言ってくれていた。だが、リティルとフロインには、風の騎士と力の精霊と区別されているような気がしている。

『それ違うわ』

「?何がだ?」

『フロインの1番はリティルよ。騎士夫婦はね、2人ともリティルが1番だったのよ。フロイン、あなたが2番だって言ったんでしょう?だったらそれ、実質1番じゃないのぉ』

ガタンッと、テーブルの上の台座に乗った通信球が飛び跳ねた。

『ちょっとぉ、そんな動揺しちゃう?かっわいいわねぇ力の精霊様は!』

ノインが動いた拍子に、彼の長い足がテーブルを持ち上げてしまったのだ。映像が不自然に動くのを感じたのだろう。スワロメイラは容赦なくからかってきた。

「彼女に対して、余裕などない!……いつでも、優しい笑みで崩れない……」

『取り繕ってるのよ。あんまり会えないもんだから。キャハハ。フロインね、ノインが来るって時はずっとソワソワしてるらしいわよぉ?リティルが落ち着かないってぼやいてたから、間違いないわ。あなた、律儀に行くって連絡してから行ってるでしょう?急に行けばいいのよ!なんなら、インファちゃんに協力してもらえばいいのよ!』

「彼に?インファにはこれから会うが……」

『仕事?』

「ああ、そろそろ時間だ。む?すまないスワロメイラ、来客だ」

『あらそう。またね、ノイン!』

気分を害した感じもなく、スワロメイラは清々しいほど元気に、水晶球からいなくなった。と、同時に、小屋の入り口に来客が姿を現した。

 スジグロカバマダラの羽根を生やした花の精霊・キンモクセイだった。

「キンモクセイか?すまないが、すぐに出掛けなければならない」

ノインは、手にしていたピアスを宝石箱にかたづけると、席を立った。

「いいの、気にしないで。顔を見に寄っただけだから」

「そうか。レシェラのところへ?」

「ええ」

ノインは、キンモクセイと連れだって部屋を出ると、そこで彼女と別れた。ノインを見送ったキンモクセイは、暗い瞳で、力の間の扉を無断で開いたのだった。

 キンモクセイは、力の精霊・ノインの記憶がリセットされたと噂で聞き、すぐに太陽の城を訪れた。

会った彼は、キンモクセイのことを覚えていなかった。そして、レシェラから、目覚めてから今までの記憶もすべて失っていると聞かされた。

心配したが、彼は平気そうだった。むしろ、晴れやかな顔をしていた。

その時だった。キンモクセイの心に、黒い影が舞い降りた。

今なら、ノインを手に入れられる。そう心が黒く言った。

しかし「君は誰だ?」と問うてきたノインに「恋人のキンモクセイよ」と告げると、彼は「そういう冗談が言える友ということか?」と他意なく笑った。

そして、そして、彼は言った。風の王の守護女神・フロインと再婚すると。

キンモクセイはそれを聞いて思い出した。

キンモクセイは見ていたのだ。彼とフロインが、この部屋で口づけを交わしていた姿を。なぜ忘れていたのだろうか。あの噂を聞いたのが最近で、あのフロインとのこともノインは忘れたのだと思ってしまったのだ。

しかし、再婚するとノインは言ったが、一向に婚姻の証をフロインに贈らない。なぜなのかはとても聞く勇気はなかったが、今日、それがどこにあるのか知った。

キンモクセイは、あの2羽の鳥に見つからないように部屋を進み、小屋へたどり着いた。

無防備な人だと、キンモクセイは思った。婚姻の証として作った物を、こんなふうに置いておくなんて。キンモクセイはテーブルの上にあった宝石箱を開けると、中からピアスを取っていた。


 こんな行動が取れるなんて、自分でも信じられない。

キンモクセイは目眩を堪えながら、セクルースの空を気がつけば飛んでいた。風の城を目指して。

これを、ノインからもらったと言ったら、あの人はどんな顔をするだろうか。

守護女神・フロインは、野蛮な女だ。殺されてしまうかもしれない。だとしても構わない。ノインとフロインの間に波風立てばいい!

キンモクセイは黒い心で、風の城の応接間への扉を開けていた。

 広すぎる応接間。この城の応接間は奇妙なことで有名だった。

扉から十数メートル先のソファーに、風の王と数人の住人がいた。その中に。フロインの姿があった。

「フロイン、話があるわ」

何も知らないフロインは、輝くような美貌で、小首を傾げた。

「ノインが、これをわたしにくれたの」

キンモクセイは、盗んだピアスを耳に飾り、フロインに見せた。

「何ですって?そんなはずありませんわ!」

鋭く声を上げたのは、フロインではなかった。醜い蛇女、智の精霊・リャリスだった。

「本当よ」

キンモクセイはそう言って、勝ち誇ったような笑みを浮かべた。フロインはただ、立ちすくむばかりで言葉もない様子だった。

「あなたは、キンモクセイね?」

リャリスを制して進み出たのは、黒髪の可憐な美姫、花の姫で風の王・リティルの妻であるシェラだった。

花の姫は、キンモクセイたち花の精霊の女王にあたる精霊だ。

「あなたの気持ちはわかるけれど、そんなことをしても、心を手に入れることはできないわ」

優しく諭すような口調だったが、彼女の紅茶色の瞳は真実を話しなさいと言っていた。

「ノインは、フロインを裏切れないの。残念だけれど、わたし達はそれを知っているわ。キンモクセイ、それを返して」

シェラはそっと手を差し出した。同情している瞳だった。

裏切れないとは何なのか。フロインとの間に何があったのか、知らないキンモクセイがわかるはずもなかった。

「これはノインにもらったの!フロイン!わたしは、あなたに勝ったのよ!」

キンモクセイは踵を返すと、フロインの反応を待たずにその場から逃げ出していた。

「待ちなさい!」

 シュルリと、リャリスがシェラが止めるのも聞かずに、キンモクセイを追って行った。

祈るように胸の前で両手を合わせたシェラに、フロインがゆっくりと並んだ。

「フロイン、大丈夫?」

「ええ。ノインの所へ行くわ。本当に、無防備なのだから……こんなことになるなら、わたしの方から贈ればよかったわ」

そう言ってフロインは、まったく気にした様子なく困ったような微笑みを浮かべていた。ノインのことを微塵も疑う様子のないフロインに、シェラはますますキンモクセイが憐れに思えてならなかった。あの娘は立ち直れるの?そう思ってしまった。

「――つ、あの野郎!何やってるんだよ!シェラ、あの野郎、ド突いてくるぜ!」

修羅場の衝撃から立ち直ったらしいリティルが、怒り心頭でソファーから飛び出してきた。

「リティル、あなたは冷静になったほうがいいわね。わたしが行くわ。それからインジュに連絡してあげて。リャリスも頭に血が上っているわ。ノインをここへ連れてくるから、あなたはここにいて。リティル、お願いね?」

「わかったよ。君に任せるぜ」

そういうと、リティルはすごすごソファーに戻りながら、水晶球に「インジュ!理由はあとで説明するから、リャリス捕まえてこい!」と指示していた。

それを尻目に、シェラはフロインに頷いてゲートを開くとノインとインファのいる辺りへと急いだ。今日は、炎の領域へ魔物狩りに出掛けたはずだ。

 ゲートを越えると、煙と熱波が肌を包んだ。

フロインは、こんなに冷静な自分に驚いていた。

キンモクセイにピアスをノインから贈られたと聞いて、心穏やかではなかった。けれども、あの人を疑う心は微塵も湧かなかった。それが不思議だった。風の騎士と共にいたころは、姿は晒せなくとも、彼とずっと一緒にいたというのに、彼が他の女性と親しく話しているだけで嫉妬していた。それなのに、力の精霊・ノインが、明らかに下心のあったキンモクセイにアクセサリーを贈ったと聞いたのに、嫉妬する心が湧かない。

「シェラ、今、ノインに怒りが湧かないわたしは、あの人を好きではないのかしら?」

先を飛んでいたシェラの背に、フロインは声を投げていた。振り向いたシェラは、速度を落としてフロインと並んだ。

「わたしが同じ立場だったとしても、リティルに怒りは湧かないわ。あの人がわたしを裏切るはずがないのだから。ただ、呆れはするわね。けれどもわたしは、あの人を疑いようもなく愛しているわ」

シェラは控えめに困ったように笑った。シェラがリティルを愛していることは、イシュラース中が知っている。風の王夫妻は、イシュラース1仲睦まじい夫婦だ。そのシェラが、怒りは湧かないと言い切ってくれたことで、フロインは不安な気持ちが溶かされた。

今のノインを好きではないのか?そんなことない。魅了の力を制御できないフロインは、魅了を抑えることのできる一家の誰かと共にでしか、太陽の城に行けない。それを知っているノインは、リティルと会うことに抵抗があるだろうに、本当によく来てくれる。

来る前には必ず一報をくれる律儀な彼に、フロインはいつでもソワソワしてしまう。あの人が来たら、笑っていよう。ノインは、わたしが笑うと、照れたように笑い返してくれるから……風の騎士にはなかった、あの人だけの笑みが、フロインは確かに好きだった。

「呆れる……ええ、それだわ!今、わたしの心にあるのは、呆れているという感情だわ。シェラ、この感情は、どうノインにぶつけたらいいの?」

「そうね、彼の顔を見て、心に浮かんだままをぶつければいいのよ。怒りが湧かないと言ったけれど、リティルの顔を見たら、怒鳴っていると思うわ」

「どんな言葉で?」

「シェラしかあり得ないのだと、その人にどうして伝えていないの?と」

そう言って、シェラは揺るがない微笑みを浮かべた。

「それを言ったら、ノインはどんな顔をするかしら?」

「フロイン、言ってみる?わたし達の想像のつかない顔をすると思うわ」

「そうね。今のノインは彼より少し感情が豊かで、彼より少しやんちゃよ。楽しみね」

2人は、意地悪な笑みを浮かべて、楽しそうに笑ったのだった。

 熱い空気の立ち上る空に、風の王の副官と力の精霊の姿が見えてきた。

2人は少し速度を上げると、狩りは終わっているようなのに、話し込んでいる様子の2人に近づいた。


 何も知らずに、太陽の領域の隣の、炎の領域にやってきたノインは、風の城が修羅場になっているまさにその時、インファと魔物狩りをしていた。

「――なるほど、風の糸を扱うには、大剣では不向きだな」

インファはノインの疑問に、いつも丁寧に答えてくれた。槍と片手剣、そして大鎌を扱うインファは、その戦闘スタイルも多才だ。

インファには、割とすぐに魔物狩りを手伝ってくれないかと持ちかけられた。風の城に関わりたかったノインに躊躇いはなく、現地集合で、この炎の領域での狩りに限りノインはインファと飛んでいる。

「ええ、広範囲を薙いでしまう大剣では、風の糸は真価を発揮できません。片手剣、長剣と相性がいいですね」

「それにしても、風の騎士は天才か?細く糸のように風を張り巡らせて、神経のように使うとは、切り裂くことに特化した風の扱いとしては異例だ」

「編み出したのは彼ではありませんよ。14代目風の王です。彼の戦闘スタイルは14代目から受け継いだものです」

「一撃も攻撃を受けなかった風の王……風の騎士も、無敗だった。あのリティルの剣ですら、彼に届かなかったのか」

闇雲なようでいて、的確に隙を突いてくるリティルの剣。1度手合わせしてくれたが、ノインは捌くことに必死でついてすらいけなかった。その剣を、風の騎士は涼やかに微笑みながらいなしていたと聞いて、ノインはどんな戦い方だったのかと、インファに尋ねたのだった。

 そしてインファは、それを見せてくれた。

今回の狩りは、3体の小型の魔物だった。インファは「わかりやすく少し太くします」と言って、風の糸を自分の周りに張り巡らせた。そして、瞳を閉じると、コウモリのような姿をした黒い靄を纏った魔物と対峙した。フラフラと不安定な飛び方をするコウモリ達の体当たりをまるで柳の枝のようにスルリと避け、インファは瞳を閉じたまま反撃で、的確にコウモリ達を屠っていった。待ち戦法。それが通用しない相手にはどうしていたのか、疑問は尽きないが、インファも使いこなせていないと困って笑っていた。

「ノイン、あなたの使う力は、闘気、でいいんですよね?」

闘気とは具体的には何なのか、それはとても気になるところだが、それは詮索していいことなのかどうなのか、インファには今判断がつかなかった。

書物にあれば、それは知っていいことなのだろうが……とりあえず保留にしようとインファは、次の休暇は図書室で読書だなと、休みが楽しみになったことは顔には出さないでおいた。

「ああ。戦う為にあるような力だが、風の王の許可がなければ戦う事は許されない。なぜ力の精霊は、太陽王の部下で、風の王の部下ではないのか甚だ疑問だ」

それは初耳だった。

力の精霊と風の王の関係を、大昔リティルに聞いたことがある。

力の精霊は、堕ちた風の王を殺すためにある断罪の刃だと。それを聞いたとき、気軽に風の城を訪れていた初代力の精霊を警戒しなければと思ったが、リティルに先手を打たれた。「オレが世界にとって不都合なことをしねーかぎり、あいつに殺されることなんてねーよ」と笑われた。

その理は、いかに太陽王であっても、触れることはできないから、大丈夫だと言われた。

力の精霊と風の王の関係はわかったが、だが、風の王を断罪する剣までも、風の王の許可がなければ戦えないとは、これいかに。確かに、風の精霊は世界から、殺戮を許されている唯一の精霊だ。一家の風でない者が魔物狩りを行えるのは、風の王に協力を要請されているからだ。

しかし、初代力の精霊は当時の太陽王の命で、風の王の管轄外で戦っていたと思うのだが……。現時点では、わからない。

だが、わかっていることはある。憶測というのだろうか。

「それはおそらく、太陽王がセクルースの支配者だからでしょうね。世界の刃である風の王に対抗できる力として、太陽王が持っているんです」

風の王を断罪する剣が、風の王の部下というのは関係的に無理があるような気がする。対等な立場で、居候ならあり得なくもないだろうか。

「風の王が世界に仇なすと?」

「心がある以上、可能性は否定できません。15代目は偉大な王ですが、その精神は歴代1脆いですから」

「……20にも満たない精霊的年齢では、致し方ない。風の騎士が、転成を拒んだのはその為か」

唸るように、ノインは呟いた。どうやら、リティルの事を案じているようだ。

「大いに絆されてください」

完結で的確な言葉で笑ったインファに意表と突かれ、ノインは吹き出した。

「フッハハハ!それがおまえの策略か?」

「ええ、そうですよ?オレは風の王の副官ですからね。風の騎士は、王が道を外れ、もう戻れないとしたら、引導を渡すことができたでしょう。しかし、オレには無理です。父を討てません。ノイン、その役を、太陽王の剣として担ってください」

「荷が重いな。オレがリティルに勝てるとは思えない」

「助力は惜しみませんよ?」

「そう願う。……リティルが、オレを認めてくれる日は、来るのだろうか……?」

ノインは寂しそうに熱気に歪む青い空を見上げた。

「あなたがノインであることは、オレ達みんな知っていますよ。多少異なる点はあるにはあるんですが、それは記憶がないためです。些細なことだと思うんですが……すみません。父さんがなぜあんなに頑ななのか、オレにもわからないんです」

インファは父が、ルディルからノインを引き取れと打診されていることを知っている。

インファ的には、今のままでも十分なのだが、ルディルの憂いはどうやら違うところにあるらしい。それは何なのかまでは、インファは足を踏み入れてはいなかった。

インファは、副官として風の王を守らなければならない。父の心を、イタズラに乱したくはないのだ。

「いや、すまない。オレも漠然としていて皆に問うたようなことを、リティルに問えないでいる。リティルに対して、思うところがあるのだがな……」

言葉にできないと、ノインは寂しそうだった。

「やはり、あなたの中に父さんはいるんですね?」

「いる。確信はある。だが、わからない」

風の王ではないリティルが『ノイン』の何なのか。

「オレにはそれだけで十分ですが、焦らず行きましょう」

「ああ、おまえがいてくれて心強い」

ノインはそう言って、やっと笑ってくれた。そんな彼に、ニッコリ微笑み返しながら、インファは、不安を感じていた。

 世界は、15代目風の王に脅威を感じ始めているのではないかと。

現在、風の王・リティルを討つ力のある精霊は3人。

王妃、花の姫・シェラ。

補佐官、煌帝・インジュ。

風の王の守護女神・フロイン。

リティルはもしもの時は討てと、3人に命を下している。彼等を率いるのはインファの役目だ。そんな父を、世界が見捨てようとしているようで腹立たしい。

風の騎士・ノインの転成は、仕組まれたのではないのか?その考えが拭い去れない。

風の騎士・ノインは、精神だけなら風の王・リティルを確実に討つことができる精霊だった。しかし、その実力は上級精霊でしかなく、リティルに負けないというだけで、勝つことは不可能だった。その力をノインに得させるため、彼は命を脅かされたのではないか?

今はまだ頼りないノインだが、こうしてインファが、風の城が関わり続ければ近い将来、風の騎士に匹敵する剣技と魔法を身につけ、最強の精霊の座を手に入れるだろう。

 風の騎士は、力のない自分に苦悩していたが、彼の存在は確かに、風の王・リティルの脆い精神を支えていた。高潔で聡明だった彼に憧れていたリティルは、彼に守られていることを知っていた。そして、心から頼っていた。

そんな彼から引き離され、代わりに導きを必要とするリャリスが現れ、彼女の存在が辛うじて崩れ落ちそうなリティルの精神を支えていた。

風の騎士の守りから出なければと、リティルは今、藻掻いていた。風の騎士すら導ける心の強さを持ちながら、寂しさに俯く、心脆き王。

インファは願うだけだ。力の精霊・ノインが、リティルに頼りにされることを。

彼ならきっと答えてくれる。風の王・リティルを討つ力を手に入れて、偉大な風の王に認められてくれる。

だからどうか、もう、風の王・リティルを苦しめないでほしい。彼が罪を犯すなら、それを全力で正すからと……。

 インファは、ふと近づいてくる見知った2つの気配に気がついた。

「母さん?フロイン?」

シェラと聞いて、ノインはなぜかサッと居住まいを正した。ノインはもうすでに風の王妃に一目置いているのかと、インファは抜かりない母に感心してしまった。

それにしても、どうしたのだろうか。なかなか帰ってこないオレ達を案じてという雰囲気ではないが、2人がここへ来る理由をインファは思い至れなかった。

たどり着いたフロインは、どこか神妙な顔でノインを見つめると、おもむろに口を開いた。

「ノイン、キンモクセイにアクセサリーを贈ったというのは、本当かしら?」

はい?キンモクセイ?フロインの言葉に、インファの方が動揺してしまった。

キンモクセイは、ノインが記憶をリセットされたと噂を流してすぐ、彼を訪ねてきた。リャリスが気持ち悪い気に入らない!と憤りながら教えてくれた。ノインの交友関係にとやかく言うのもなと思いながらも、それとなく聞くと、ノインはとんでもないことを言われていた。彼女は記憶をリセットされたノインに、恋人だと言った。そう言われたノインは、その言葉の真意を取り違えて、冗談だと信じて疑っていなかった。

フロインとすでに再婚の約束をしているとはいえ、そんなことを言われて不審に思わないノインが、インファには驚愕だった。だが、恋愛に疎いインファにはどう牽制したらいいのかわからなかった。ノインはすでに、キンモクセイにフロインと再婚すると告げている。それ以上のことは言えないしできなかった。

「アクセサリー?」

身に覚えのないノインは、何のことだと言いたげに首を傾げた。

「星と月のピアスよ?心当たりはない?」

星と月……?とノインは僅かな逡巡の後思い至ったようで、ハッと瞳を見開いた。そして、やっと自分がどういう立場に立たされているのか悟ったようだった。

「フロイン!誤解だ!オレはわたしていない。それにそのピアスは、オレが作った物ですらない!」

「そうなの?キンモクセイはあなたからもらったと、そう言っていたわ?」

……母さん、徹底的にノインをいたぶるつもりですか?と、軽率なノインを懲らしめようとしているシェラの様子に、インファは身震いした。

「シェラ、そんなことをするはずがないだろう!オレはフロインと約束をしている」

「あれから1ヶ月ね?ノイン」

なぜ贈らないの?とシェラは探るような視線を、わざとノインに送った。

かつて、風の騎士がフロインに婚姻を申し込んだときも、時間がかかった。プロポーズすることを決めたが、なかなか婚姻の証を決められなかったらしい。当時、相談を受けていた者が、笑いながら教えてくれた。「だからよぉ、時間かかるぜぇ?1ヶ月ぐれぇかなぁ」と彼は言っていた。風一家は、承知していた。彼はノインだ。記憶はなくてもなぞるんだろうなーと。生暖かく。

「それは……ともかく誤解だ。何かの間違いだ!インファ、共に来てくれ!力の間へ!」

ノインは探るようなシェラの瞳から逃れるように、インファに助けを求めに来た。

オレでは助けになりませんよ?と苦笑いしながらも、インファは頷いた。微笑みを崩さないシェラは、スッと手の平を何もない空へ向けた。そして開いたゲートを、皆は潜ったのだった。


 いったい何が?ノインは力の間の扉を乱暴に開けると、小屋を目指して一直線に飛んだ。

キンモクセイにオレがアクセサリーをわたした?いつ?星と月のピアス?あれは、ついさっき宝石箱にしまったはず。

ノインは、テーブルの上の宝石箱を開いた。……ない。確かにここへ入れたはずのピアスがなくなっていた。

キンモクセイが持ち出した?いったいなぜ?これは、これをくれたのはスワロメイラだ。彼女は、アクセサリーがほしかったのか?混乱したノインは、キンモクセイの真意がここへきてもまだ理解できなかった。

「なくなっているんですね?」

「ああ。だが、これはスワロメイラにもらったもので――」

「スワロメイラ?」

底冷えするような声が、ノインの言葉を遮った。ハッとして顔を上げると、皆の一番後ろにいたフロインが俯いていた。

「フロイン?」

「スワロメイラから、ピアスをもらったの?」

「そうだ。そうだが、これにはわけが――」

「女性からアクセサリーをもらうことに、どんなわけがあるの?」

フロインは、不信感をあらわにノインにズイッと詰め寄った。

それを見たシェラはニッコリ微笑むと、展開についていけない息子の腕を取ると、小屋から連れ出した。「母さん?」と珍しく狼狽えるインファに「あとはフロインに任せましょう?」と笑った。「しかし……」と2人の仲を心配するインファに、シェラは「大丈夫」と笑ったのだった。

「ノイン、わたしは何を信じればいいのかしら?」

スワロメイラは、風の騎士と仲がよかった。その友交は、フロインがこの世界に目覚める前からだった。すでに雷帝妃だったセリアもそうだが、宝石の精霊は風の騎士と間合いが近かった。しかし、セリアはインファしか見えておらず、スワロメイラに恋愛感情がなかったために、フロインは嫉妬してはいなかった。ただ、風の騎士にも言いたかった。他の女性に気安く触れさせないで!と。

「聞いてほしい!この宝石箱は、君へ贈るアクセサリーが決まらないと告げたら、スワロメイラが一通りのアクセサリーを集めてきてくれた。彼女は、グロウタース製だから安心しろと言っていた」

スワロメイラ……抜かりないわね。と彼女の配慮と友情にフロインは感謝した。スワロメイラは、雷帝妃・セリアの姉だ。気さくで元気なリティルの友人だ。フロインも信頼している。

「ピアスがキンモクセイの手に渡ってしまった経緯はわからないが、オレは断じて君を裏切っていない!」

信じてくれ!と訴えるノインを、フロインは疑っていないわと思った。しかし、もう少しお灸を据えたかった。風の騎士の妻をしていたときと違い、今のフロインは精霊だ。もう、彼の中にいて、目を光らせることはできない。こんな無防備では、気が気ではない。

「あなたは、女性を信用しすぎよ。わたしに疑われたくないのなら、必要以上に近づけさせないで。体に触れさせるのは論外よ」

気分を害したフリをして、フロインはプイッとノインから視線をそらした。

「わかった。肝に銘じる。だから、許してほしい」

ノインの真摯な訴えを背中に聞きながら、すぐに許してしまう自分に、甘いわねとフロインはため息を付いた。そのフロインのため息を、愛想がつきたというため息だと勘違いしたらしいノインは「すまない……」と繰り返した。

 風の騎士がそうだったように、ノインもおそらく、面倒見がよくて無防備なのだろう。今後、こういうトラブルに度々見舞われるのだなと、フロインは思ってしまった。

――いつか……いつか、嫉妬に狂って、ノインを罵倒してしまいそう……。

フロインは、そんな自分を想像して嫌になった。ノインの心を疑っていないのに、まるで疑っているような振る舞いをしてしまいそうな自分に。

フロインは、テーブルの上にあるパンジーの束に気がついた。これは?これはなんだろう?フロインはそれを手に取っていた。できあがっていなかったそれの端が崩れ、ポロポロとパンジーがテーブルの上に落ちてしまい、フロインは慌てて手を添えた。

「花の冠だ。レシェラが作り方を教えてくれた」

これは、生花だ。この部屋のプランターにある花だろう。

花の冠……フロインは遙か昔、自分が人の姿を取れるようになった頃のことを思い出していた。風の騎士を好きになってしまった頃のこと……。

グロウタースのある場所で、フロインはこうやって花の冠を作って、遊んでいたことがあった。あの頃はまだ、片思いで、彼が振り向いてくれるとは思いもよらなかった。あの時、風の騎士には、そういう風には君のことをみられないと、1度は振られた。無理もない。あの頃はまだ喋ることもままならず、ただ、想いのみだった。彼にしたら、鳥に懐かれているようなものだったのだから。

 フロインは手にした作りかけのパンジーの花の冠を、風を操って完成させると、それに目を落とした。

この人は、わざとやっているの?本当は覚えていて、わたしが覚えているのかどうか、試しているのだろうか?とフロインはそんなことを思ってしまった。まるで、思い出をなぞって今に繋げようとしているかのような、ノインの様子に、何を思えばいいのか、フロインはわからなくなった。

――あなたを重ねさせないで!わたしは、あなたを愛そうと思っているのに!

「フロイン?すまない……傷つけてしまったな」

泣き出したフロインを、後ろからそっと抱きしめながら、ノインは謝罪を繰り返した。

「もう……いいの……そんなあなただと、わたしは知っているわ……。けれどもノイン……わたし、わからなくなってしまって……」

胸の上辺りにあるノインの腕をギュッと掴んで、フロインは泣いていた。

「わたしは……あなたを愛そうと決めたの。なのに……思い出が……邪魔をする……」

「フロイン」

ノインはグイッとフロインを自分の方へ向かせた。ボロボロと泣いているその顔に、ノインは辛そうに瞳を閉じると、ヤンワリと抱きしめながらコツンッと額を合わせた。

「忘れなくていい。風の騎士との思い出、オレに語ってくれないか?オレは、風の騎士でもある。あろうと思う。故に、このピアスを君には返さない。君が愛した者を、君がいつまでも愛せるように」

「ノイン……でも……」

フロインは泣き止めないまま、ノインの胸を押し戻した。

「構わない。フロイン、構わない……」

頬をそっと包み込むように触れてきたノインの大きな両手が、涙を拭った。

 あなたはノインなの?風一家の皆のみならず、ルディルやレシェラまでもが、彼はノインだと言った。フロインもことあるごとにそう思うのだが、そう思いきれない。何が引っかかっているのか、その正体を、フロインはまだ突き止めていなかった。

「フロイン、花の冠を作ったことがあるのか?」

「ええ、風の騎士がインジュの先生をしていたころ、少しだけ。グロウタースの花畑よ。薬草や毒草の宝庫だったわ」

「毒草?」

「ええ、魔道士達が研究していたの。けれども、毒草は綺麗な花も多かったわね。ラナンキュラスという花を知っている?」

「いや。どんな花だ?」

フロインはそっとノインの手から逃れると、パンジーの花冠をテーブルに置いた。そしてフロインは両手を差し出した。その手の中に、幾重にも重なった、丸みを帯びた花弁を持つ可愛らしい花が現れた。柔らかで上品なピンク色の花だった。

フロインはインジュに習って、草花に限り、こうやって作り出す事ができるようになっていた。

「この花自体は毒性は低いけれど、仲間の花には、心臓を止めてしまうような毒を持つものもあるのだと聞いたわ。とても、そんなふうには見えないわよね」

「好きなのか?」

「そうね。好きよ」

これはきっと、風の騎士は知らなかった。花の話など、したことはなかった。いや、したくなかった。風の騎士は、花の精霊を助ける為に、花の精霊達の楽園である花園に通っていたのだから。彼はまったく相手にしていなかったが、花たちは本当にベタベタと触ってくれた。それを思い出して、フロインはラナンキュラスを手に俯いてしまった。

不意に、その頭に、ノインの大きな両の手の平がかざされた。

「動くな」

何をしているの?と顔を上げそうになったフロインは、短く牽制されていた。なに?と思いながらも従っていると、何かが頭にかぶせられたような感触がした。

「フロイン、これがオレの、君への心の形だ。どうか、受け取ってほしい」

戸惑うフロインをノインは、小屋の外へ導いた。広場で待っていたインファとシェラがこちらを見て、驚いたような顔をした。

ノインは構わずに、水盤へフロインを導いた。姿を映してみろと促され、フロインは水盤を覗いた。水鏡に顔が映る。

「これ……ラナンキュラスの花冠?」

上品なピンク色の丸く可愛らしい花で作られた花冠が、フロインの頭を飾っていた。

「君は戦姫だ。邪魔にならないモノをと思ったのだが、どれも決め手に欠けた。待たせてすまなかった」

けして散らない魔法をかけたと、ノインはそう言って、少し恥ずかしそうに誤魔化すように笑った。

「ありがとう、ノイン。わたしからは、対となるピアスを贈るわ」

フロインは翼から羽根を1枚抜くと、それをそっと握り、ノインの守護する至宝・黄昏の大剣を模したピアスを作り出した。それを、ノインの右耳に飾った。

フロインは、ニコニコと満足そうに微笑んだ。眩しいその笑顔に、ノインは手を無意識に伸ばしていた。

「すみません!オレ達がいることを、そろそろ思い出してくれませんか?」

インファの声に、ノインは慌ててフロインに伸ばしかけた手を下ろした。

「ウフフ、ごめんなさい。もう少し見守っていたかったのだけれど、インファが当てられてしまって」

「母さん!事実ですが、風の王が怒り狂っているという事実の方が大きいですよ?早く帰ってこいと、催促が来ています」

今のノインは、フロインに見とれがちだ。このまま目の前でキスでもされたら、どんな顔をして接すればいいのかわからない!と焦ったインファは、もっともらしい理由を付けて阻止してしまった。

「そういえば、キンモクセイは捕まったのかしら?リャリスが追いかけて行ったけれど」

「リャリスが?それは、彼女は相当怒っていただろう」

「さあ、ノイン、風の王に申し開きしてね?夫は、あなたを斬る気満々だったわ」

「うっ。甘んじて受けよう」

ノインは項垂れて、まるで絞首台へ向かう囚人のようだった。

 シェラは容赦なく、風の城の応接間にゲートを繋げていた。

ゲートを通ると、その前にはリティルが恐ろしく優しい笑顔で仁王立ちしていた。

「よお、力の精霊。覚悟できてるんだろうなぁ?」

優しい笑顔が、途端に死神の笑みに変わる。

「煮るなり焼くなり好きにしろ」

「殊勝な態度じゃねーか。半殺しにしてやろうかと思ってたけどな、今回は許してやるよ」

そう言ってリティルは「座れよ」と1言言って、ソファーに引き揚げていった。

拍子抜けするノインの背を、シェラがそっと押した。見下ろすと、風の王妃は優しく微笑んでくれていた。

「おい!早く来いよ!オレに報告があるだろ?」

リティルの聞きたい報告が何であるのか、さすがのノインもわかった。フロインがそっと隣に並び、美しく微笑んでいた。


 ノインとフロインは、インファの指示で、リティルの正面に座らされた。リティルの両脇に、シェラとインファがそれぞれ座った。

その背後で、ラスがお茶の用意をしてくれていた。

ノインが気がつくと、リティルはジッとこちらに視線を投げていた。リティルと視線が交わることに、ノインは小さく感激していた。

「風の王・リティル、待たせてしまったが、無事、貴殿の守護女神と魂を分け合えた」

「ああ、おめでとう2人とも。力の精霊、フロインのこと、大事にしてやってくれな。こいつ、余裕そうに見えて寂しがり屋だからな!ほったらかすなよ?」

「わかった。肝に銘じる」

短く報告は終わり、ノインはホッとしていた。隣のフロインを見ると、嬉しそうにニコニコしてリティルを見ていた。リティルも「よかったな!」と言葉はないものの、心から祝福している顔で笑っていた。そこへ、絶妙なタイミングでラスが紅茶を配ってくれた。彼はノインの前に紅茶を置くとき「おめでとう。心から祝福するよ」と前髪に隠れていない右目に、控えめな憂いを帯びた微笑みを浮かべて、そう言葉をくれた。

ラスにも妻があるが、必然の関係のため、婚姻の証を贈り合う必要がないのだった。

「フロイン、力の精霊、1つ問題があるんだ」

和やかな雰囲気を控えめに壊したのは、リティルだった。

「おまえら、どっちの城に住みてーんだ?」

どっちの城?ノインはリティルが何を言いたいのか、理解できなかった。

「オレには、判断できねーんだ。力の精霊は太陽王の部下だしな。フロインは、オレの守護女神で婚姻結んでもオレが最優先なんだよ」

「今のままで構わないわ。わたしの魅了の力も、これで制御できるのだし、わたしが動けるときは太陽の城へ、ノインが動けるときは風の城へと行き来すればいいわ」

「フロイン、それでいいのかよ?オレはいいんだぜ?おまえを太陽の城にやっても」

フロインはフルフルと首を横に振った。

「わたしは、風の騎士の分もあなたを護らなければならないの」

「リティル、オレもそれで構わない」

2人にどこに問題が?と言いたげな視線を向けられて、リティルはうーんと悩んでしまった。

「リティル、ルディルと話してみたらどうかしら?」

シェラが進言すると、リティルは渋い顔をした。

「ルディルとか?報告はするけどな、あいつにこんなこと話したら、答えは決まってるぜ?」

リティルは困惑していた。

「でしょうね。彼は、いい加減ですからね」

いい加減と言いながら、インファの声には悪意はなかった。

「どうなると?」

ノインは、リティルの困惑の理由がわからずに首を傾げた。

「あなたもリャリスも、父さんが引き受ける羽目になると、そう言っているんですよ。今イシュラースは平和ですからね、余計に、ルディルは緩みまくりですよ。一家の皆に会いましたよね?風の精霊でない者もこの城には暮らしていますが、彼等の司る力が問題なんです」

問題?ノインは、一家の皆を思い浮かべた。

現在この城に暮らしている精霊は、16人。そのうち、風の精霊と婚姻関係になく風の精霊でない者は3人。破壊の精霊・カルシエーナ、再生の精霊・ケルディアス、時の魔道書・ゾナ。3人が3人とも不可侵と呼ばれる、死ぬことが許されない、一瞬も世界から消え去ることの許されない力を司っている精霊だった。

そこへ、精霊の至宝の継承者である、智の精霊と力の精霊が加われば、それを預かる風の王の責任はさらに重いモノとなる。風の城は、戦う性質上、イシュラース1強固な城だ。今、城に暮らす3人はリティルと関わりが深い。押しつけられたわけではなかったが、これだけの力が一点に集中することを、インファがよくは思っていないことは、ノインにもわかった。

ノインは、インファに言われた言葉を思い出していた。「もしもの時は、太陽王の剣として風の王を討て」という言葉。

太陽の領域と風の領域は隣接していない。一番離れている。であるなら、風の城にノインがいたほうが、その役目、迅速に行えるのでは?と頭をよぎった。しかし、提案していいものか迷った。現在、ノインにはリティルとやり合って勝てる力はなく、リティルはノインの名すら呼んでくれないのだから。

「リティル、インファ、我々は構わない。お互いの立場を、理解しているつもりだ」

「……昔な、離れてたせいで崩壊した夫婦がいたんだ。2人は些細なことですれ違って、疑心暗鬼になって最終的に夫が妻を手にかけちまった。オレは、なるべく婚姻結んだヤツには一緒にいてほしいんだ。一緒にいるだけで、生まれない誤解もあるからな。フロイン、太陽の城行けよ。オレは大丈夫だぜ?」

「ダメよ!まだ、獏の事案は解決していないわ。忘れたの?あなたは、怒りを制御し損なって暴走したのよ?そんな精神状態の人を、置いていけないわ!」

「そんな心配するなよ。大丈夫だよ」

「リティル、わたしはもう、後悔したくないのよ!あなたから……ノインを奪ったのは、奪ってしまったのは……わたしだから……!」

「そんなこと言うなよ。風の騎士は知ってたんだ。自分に寿命があることをな。最初はそれを、受け入れようとしてた。障害になったのは、オレじゃねーんだ。フロイン、おまえなんだよ。あいつは、おまえのために生きようとしてたんだ」

「リティル!わたしはあの人とずっと一緒にいたわ。あなたから離れたくないと、あの人は最後まで!最後までそう思っていたわ!」

「それは、騎士だったからだ。オレの騎士だったから、精霊の理がそうさせただけだ。あいつ自身の、純粋な心じゃねーよ。あいつが自分で選んだのはフロイン、おまえだけだぜ?わかってるだろ?そうでなきゃ、どうして、おまえらまた魂を分け合ったんだよ?本物の想いは、記憶を消したくらいじゃ消えねーんだよ。消えねーんだ」

消えない……消えていない……リティル……。ノインの心には、リティルを心配しているんだな?とわかる感情が確かにあった。しかし、それをリティルに打ち明けられなかった。

心配できるのは、その資格があるのは、対等かそれ以上の者だ。ノインには、リティルはまだずっと上にいる人だった。こんなオレが、おまえを心配しているといっても、彼には伝わらない。ノインはそう思いこんでいた。

「お2人とも、今日はこれくらいにしましょう。父さん、ルディルと話し合ってください。ルディルになら、胸の内、話せますよね?」

「ああ、わかったよ、インファ。あいつと決めるよ。フロイン、決定には従ってもらうぜ?」

「!……わかったわ……」

太陽王を巻き込んでの決定に、フロインでは太刀打ちできない。ルディルはリティルに甘い。きっと、リティルの案が採用されてしまう。

わたしは、わたしまでもが、風の城を離れなければならなくなってしまう……。

――ノイン……わたしは、また間違ってしまったの?

フロインは、その未来に、不安を感じていた。


 幸せな空気が一転、重苦しく変わってしまったところで、玄関ホールに続く扉が不意に開いた。

「ただいま帰還いたしましたわ!」

不機嫌なリャリスと、苦笑するインジュが入ってきた。リャリスはソファーにいるリティルを認めて「お父様!」と不満をぶちまけようとして、向かいのソファーにノインがいるのを見て、その妖艶な切れ長の瞳を針金のように釣り上げた。

「ノイン!あなたノコノコと!」

「まあまあ、ピアスは取り返したんですよぉ?それにこれ、ノインの作じゃなかったじゃないですかぁ」

シュルリと猛スピードでノインに詰め寄りそうなリャリスを、インジュはその両肩を後ろから掴んで押し止めた。

そして促すと、インジュは翼を使い、リャリスはシュルリと床を滑るように走ってソファーまで来たのだった。

「インジュ、取り戻したのかよ?やるな」

リティルが驚いた顔で、ニヤリとドヤ顔のインジュを見やった。

「はい!空中でリャリスと揉めてるところに遭遇して、ちょっと焦りましたよぉ。この人、手が出そうで」

インジュは苦笑しながら、フンッと私は悪くないですわ!と言いたげな態度のリャリスを見やった。

「ノイン、これグロウタース製ですよねぇ?こんなもの、よく手に入りましたよねぇ?」

インジュはピアスを風の中から取り出すと、風で包んでポンッとノインに投げて寄越した。

「インジュ、すまなかった。これはスワロメイラが参考にしろと、グロウタースで調達してきてくれたものだ。それがこんな混乱を招くとは、思いもよらなかった。取り戻してくれたこと、礼を言う」

「いいえ。あの人、こんなことしちゃダメですよ?って言ったら、すんなり返してくれました。リティル、そのまま帰しちゃったですけど、問題あります?」

インジュはいつも通り、女性の様な顔に柔らかな笑みを浮かべているが、いったいどんな手を使ったのだろうかと、インファはキンモクセイが不憫に思えた。

「私情のもつれだろ?当人達の問題で、風の仕事じゃねーよ。恋愛のいざこざまで面倒見られるかよ!」

リティルはゲンナリしていた。

「フロイン!おかわいそうに、大丈夫ですの?あら、この花冠…………?…………!ま、まさか!」

俯いているフロインに、リャリスはこのいざこざに傷ついて疲れているのだと思った。労るようにその手を取ったリャリスは、フロインの頭に飾られたラナンキュラスの花冠に気がついた。主張しすぎないが、華やかで優しいピンク色の花。肉体は派手だが、無垢さを残した可憐な顔立ちのフロインに、とてもよく似合っていた。

「ああ、それが婚姻の証です?花冠って、よく思い付きましたねぇ。おめでとうございますぅ」

生花っぽいところが、またフロインにピッタリと、インジュは感心していた。

「…………………………」

「リャリス、固まってますけど、どうかしましたぁ?」

素直に祝福するインジュの声で、花冠を凝視していたリャリスがキッとノインを睨んだ。噛みつかれそうな殺気を発したリャリスに、ノインは思わず身構えていた。

「この……あなたって人はデリカシーなさすぎですわ!恋敵とはいえキンモクセイはあなたにとって友人ではなくって?その人と三角関係になった直後フロインと婚姻を結んでしまうなんてさすがにキンモクセイに同情しましてよ!私、上手くいかないもどかしさ、わかりましてよ?伝わらない歯痒さ……あなたは確かにフロイン一筋だと態度で示していましたわ。けれども、キンモクセイの気持ち、気がついてあげないなんてヒドくってよ!」

リャリスは怒り狂ったかと思うと、ボロボロと泣き出した。詰め寄られたノインは、その涙の意味がわからなかったが、オレが泣かせてしまったということだけはわかった。慰めようと伸ばした手を、リャリスは2本の手で払うと「帰りますわ!」と怒鳴って、シュルリとインジュも反応できないような早さで彼の横をすり抜けると、出て行ってしまった。

「あのぉ、ボク、追いかけた方がいいんです?」

インジュは自信なさげに、シェラを助けを求めるように見やった。

「今は、そっとしておいてあげましょう?あなたはまだ、自分の心がどこにあるのかわかっていないわ。そんな状態で追いかけても、リャリスをさらに傷つけるだけよ」

「リャリス、本気だと思いますぅ?」

「どうかしら?あの娘もまた、わからないのかもしれないわね。リティル、リャリスのところに行ってくるわね」

そう言ってシェラはゲートを開くと、行ってしまった。

 「ああ、頼むよ」と妻を送り出したリティルは、インジュに視線を合わせた。

「おまえ、端から見たら、リャリスと恋人してるぜ?」

「そんなベタベタしてます?」

インジュは困った顔で首を傾げながら、フロインの隣に腰を下ろした。

「父さん、オレには恋人関係には見えていませんよ?仲のいい友人に見えますかね?セリアも恋愛していると言っていましたが、オレが思うに、リャリスがインジュが好きだと公言しているせいだと思います。ですが、彼女の態度もインジュの態度も健全その者です。彼女が甘えて抱きつくのは、父さんにだけですから」

そうですよね?とインファは息子に視線を投げ掛けた。

「はい。2人でいるときも、リャリスは触ってきませんよぉ?リャリス、智の精霊なんで、ボクたまにからかわれてるんじゃないかって思うんですよねぇ。でも、さっきのあれ、ボクのことですよねぇ?それとも、本命他にいます?」

インジュはある事案で、人間に身をやつしてグロウタースのある人間の都市に潜入していたことがあった。その時、多くの恋愛相談を持ちかけられ、中には本命に近づくために同意の上で利用させたこともあった。インジュはその間、誰とも恋愛関係にならず、誰にも惚れられなかった。女性達にとってインジュは、一緒にいると寂しい人なのらしい。そう言って離れていった人達がいたが、インジュにはどうすることもできない。それも数人でその大半とは友人だった。

「それはねーんじゃねーのか?あいつ、自分の姿気にして、風一家以外とは関わろうとしねーからな」

「そうですね。考えにくいとは思いますが、オレにはわかりかねます」

インファは、その容姿から女性にいい思い出がない。基本、女性には気を許さない。そして、精霊の恋愛には否定的だ。

「うーん、どうしましょうかぁ……。ボク、いつもボクから突撃だったんで、相手からこられたことないんですよねぇ。本気、本気といえば、花の精霊って、そのアクセサリーが何製かわからないくらい弱い精霊なんでしたっけ?」

「ピンキリです。しかし、樹木の精霊であるキンモクセイは、そこそこの力の持ち主だと思いますよ。ピアスに誰の霊力が宿っているかくらい、わかるはずですが……ノイン、そのピアス、見せてくれませんか?」

インファはノインからピアスを受け取ると、しばらくジッと眺めていた。

「………………本当に何の力も込められていませんね。スワロメイラのことなので、魔法の一つもイタズラで仕掛けていたかと思いましたが、それもなさそうです。しかし、高価な品ですね。プラチナですよ」

「そこら辺に、あいつの悪意を感じるぜ?食いついたのはフロインじゃなかったけどな。どうする?インファ」

「これだけでは、何とも言えないですね。引き続き警戒しましょう。お2人とも、改めておめでとうございます。では、風の王と共に太陽王に報告してください」

インファにそう促されたリティルは、しょうがねーなと立ち上がった。「行くぜ」と促して3人で出掛けていった。

 慣れた様子でティーカップを片付けたラスは、残った面々に新たにお茶を淹れながら、やっと口を開いた。

「インファ、フロインをリティルから引き離して平気なのか?あのノインでさえ、風の騎士の理のせいで、リティルと離れた途端に精神が不安定になったのに」

風の騎士の晩年の精神は、大人で揺るがなかった彼とは思われないほどの不安定さだった。

その原因は、ただ風の王・リティルと物理的に離れなければならなかったためだとは、当初誰も気がつかなかった。風の騎士の補佐についた、リティルの養子の次男と娘が、ノインがおかしいと報告してきて発覚した。発覚したが、そのときにはすでに風の王であるリティルは、死に掴まれていたノインに近づけなかった。

「え?リティル、フロインを手放すつもりなんです?いよいよ追い詰められてません?」

大丈夫なんです?と心配そうに、インジュはインファの顔を見た。どう考えているのか?と視線で聞かれたインファは苦笑した。

「オレも悩んでいますよ。しかし、この流れはどうしようもないかもしれません」

「どんな未来が見えてるんだ?」

インジュの隣、インファの向かいに腰を下ろしたラスは、探るような視線を向けてきた。インファが未来の姿を確定しているのではないか?と思っているらしいことに、インファは、みなさんオレを何だと思っているんでしょうね?と困って笑った。

「オレは予言者ではありませんよ。しかし、どっちに転んでも危ういですね。父さんが、力の精霊を受け入れてくれれば丸く収まるんですが……」

「智と力をこの城に持ってくるんです?危険じゃないです?ボクもいるんですよぉ?」

「それなんですよ。もしも、智と力がこの城に住まうとなると、イシュラースの総力が結集したような状態になってしまいます。それがいいこととは、思えないんです」

インファは腕を組むと、本気で困っているようだった。

「でも、ノインもフロインも、リティルには必要だよ。この1ヶ月、見てられなかったよ。リティルはノインのせいで、力の精霊を受け入れられないのか?なぜ?彼はどう見てもノインなのに」

ラスは、記憶がないだけで彼はノインだと言い切った。それが、一家の共通認識だった。それから外れているのは、リティルと、フロインだ。

その理由を、インファは何となくだが、風の騎士が最後に言った言葉にあるような気がしていた。だが、彼は戻ってきてくれた。それでいいのでは?と軽く思っていた。彼に記憶があったなら、あの言葉をすぐさまリティルに忘れろと言っただろうなとは思うが、今のノインには記憶がない。彼自身に否定させることは不可能だった。

「彼は紛れもなくノインだと、オレも思いますよ。その辺りは、見守りましょう。フロインの件ですが、父さんは、フロインをノインから引き離したくないんです。フロインはずっと、風の騎士の命を守ってきました。オレの目からは盤石な夫婦に見えていたんですが、実際はそうではなかったようです」

「え?そうなんですかぁ?ノイン、よく中庭の東屋で幸せそうに独り言言っていましたよぉ?あれ、フロインと話してたんじゃないんです?」

「ノインはずっと、フロインを繋ぎ止めようとしていたようです。フロインはノインを守る為に身を引こうとしていたようですよ」

「フロインが婚姻の解消を?そんな、まさか……」

「そんな愛し方もあるんですよ。父さんが、2人を物理的に引き離したくないと考えている理由の1つですね。今の二人なら、オレ達が普通だと思う幸せが築けますから」

インファは切なそうに、ニッコリ笑った。

 太陽の城から、リティルは一人で戻ってきた。

そして「フロインは太陽の城に住むことになったぜ」と、心から嬉しそうに笑っていた。


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