序章 太陽と月の策謀
世界を巡る魂を、死へと導く精霊がいた。
風の精霊。死を導くというと恐ろしい者に聞こえるが、彼等は優しく生き様を見守り、終わりまで生きられるようにと守ってくれていた。彼等がいてくれるがために、世界はこの世界として存続することができ、新たな生の誕生を迎えることができるのだ。
日々、命を脅かす者と戦うことを運命づけられている風の精霊は、永遠を生きる精霊という種族の中で短命だった。
現在の風の王は、15代目だ。
15代目風の王・リティルの率いる風の城には、風の精霊以外の精霊も集い”風一家”と呼ばれていた。
そんな風の城には、かつて、ノインという補佐官がいた。
ノインは、笑顔の明るいやんちゃで小柄な王を助ける、騎士だった。
彼は聡明で、冷静で、大人な、無敗の精霊だった。
額から鼻までを仮面で覆ったミステリアスは補佐官は、ある単独任務中に命を落としたと風の王自らそう公表があった。
しかし、彼の死と同時期に、太陽の城で奇妙なことが起こった。
長らく不在だった、智の精霊と力の精霊が誕生したのだった。
それ自体は奇妙というよりも、喜ばしいことだったのだが、その2人の精霊が問題だった。
智の精霊は、4本の腕と蛇の下半身を持つ妖艶な精霊で、どう見ても風の精霊ではないのに、風の王・リティルを父と呼び風の城に入り浸っていた。あの、優しく面倒見のいい風の王のことだ、また養子でも引き取ったのだろうと精霊達は納得している。
力の精霊は、黒いオオタカの翼を持つ、額から鼻までを仮面で覆ったミステリアスな精霊だった。その姿は、風の騎士・ノインその者で、名も”ノイン”と言った。
しかし、風の城は彼との関係を頑なに否定。何の関わりもないと言い切った。その言葉通り、太陽王と風の王は親友といっても過言でないほどの仲であるのに、力の精霊と風の城は一切の交流を持ってはいなかった。
無理矢理な不穏を抱えながら、風の王・リティル率いる風の城は、補佐官の死をものともしない戦いっぷりで、世界を守っていた。
夕暮れの太陽王・ルディルは、真夜中、幻夢帝・ルキの訪問を受けていた。
精霊の世界・イシュラースは、太陽王の統治するセクルースと、幻夢帝の統治するルキルースという2つの国からなる世界だった。
昼の国・セクルースには時間の流れがあり、夜も存在する。対するルキルースは、夢の国と言われ、常夜の国だった。
「こんばんは、ルディル」
「おう、こんばんは。珍しいな、ルキ。どうした?おまえが、リティルじゃなくオレに話しかけてくるなんてなぁ」
ルキの訪問を受けたルディルは、寝室をそっと抜け出して、真っ暗なサロンへ来た。
だらしなく着崩した寝間着の間から覗く、厚い胸板、腕も逞しく、ルディルは2メートル近い身長の背の高い男だ。その背には、初代風の王だった名残のオオタカの翼があり、夕暮れの色をしていた。
サロンの闇の中に、小柄な人影がある。丸い猫の瞳だけが闇に浮くようで、こういう雰囲気が嫌いな者にとっては、恐怖でしかないだろう。
「ノイン、どうにかならないのかな?」
口を開いたルキは、明らかに不満そうだった。
「どうにかって、なんだ?言っておくが、オレのせいじゃねぇぞ?あいつが来てすぐ、リティルと掛け合ったんだが、あいつが関わり合いを絶ちやがったんだ。なんだ?リティルのヤツ、調子悪いのか?」
年端のいかない少年の声のルキが、遙か下からルディルを咎めるように見上げていた。
「平穏だよ。おかしいくらいにね。ノインがいなくなったのに、信じられないくらい穏やかだよ」
「なら、いいんじゃねぇ?あいつは、ノインを守る為に関係を絶っていやがるんだぞ?」
「わかってるよ!そんなこと!あのね!ボクが君に言わなくちゃならなくなったのは、ノインが見てる夢のことだよ!」
ホントは関わりたくない!とルキは心底嫌そうだった。ルキとノインは仲がよかったはずだったが、なぜだ?とルディルは思い、すぐにああ、仲良かったからかと思い直した。
「夢?」
「そうだよ。ボクからはノインにコンタクト取れないし、だけど、放ってもおけないじゃないか。ボクはね、ノインと仕事すること多かったんだよ。ノインの最後一歩手前まで、ボクは一緒にいたんだ!」
やっぱり仲良かったよな?とルディルは思いながら、慌ててルキの口を塞いだ。
「わかった。わかったから、大声出すな。ノインのヤツ、眠り浅いんだわ。嗅ぎつけられると口うるさくて厄介なんだわ!」
ノインは細かい。リティルのヤツ、あんなのが補佐官で息詰まらなかったのか?と思えるほど、無表情に細かい。
こんなコソコソ、イシュラースを2分している王と密会していることがバレたら、何を言われるか、わかったものではない。ルディルはルキに、茶すら出していないのだから。
「フン!リティルの手前あいつに会えなかったけど、この際、姿さらしてやる!」
暴走しそうなルキを、ルディルは慌てて止めた。そして、リティル、よくこんな奴らを使っていやがるなぁと、笑顔の人懐っこい風の王のことを思った。
「やめとけ。あいつを刺激していいことにゃならんぞ。リティルが頑ななのには、理由がありやがる。思い出してほしいってなぁ、あいつ、泣きながら……なのに名前も一切呼ばないで、ノインのことを出禁にしやがったわ。あいつは、今でもノインを守っていやがるんだぞ?」
元風の王のよしみということもあるが、どうにもあの小柄で歴代最年少の風の王を捨て置けない。
世界の刃という、もっとも過酷な仕事を行う風の王として、ルディルはリティルを認めているが、それとこれとは話しは別だ。ノインに多少生きづらさは与えても、リティルの肩を持ちたいのがルディルだった。ルディルは、自称・リティルの保護者なのだから。
「リティルは、大丈夫だっていうんだ。自分がノインをああしたからって。だったらなぜ、ノインはリティルの夢を見てるんだよ!リティルが守ってるなら、ノインの心は安定してなくちゃ変じゃないか」
ルキはリティルよりも更に年若い容姿をしているが、これでもルキルースという国を支配している幻夢帝だ。少々一属性――しかも太陽の支配するセクルースの精霊に肩入れしすぎな感は否めないが、これでもよっぽどのことがない限りは出しゃばらない。
その彼が、精霊達の窓口にもなっている風の王を差し置いて、太陽王を訪ねるとはよほどのことだ。
「あ?リティルの夢?」
そんな話は聞いていない。聞いて?ノインが自分のことを話すことなど皆無だ。オレが知るはずもないかと、ルディルは思い直した。
ルディルの目から見て、ノインは空っぽだ。それは危うい状態だ。そろそろ何とかしないととは思っているが、何で満たせばいいのか、ルディルも見極めてはいなかった。
いや、途方に暮れている。
風の城に駆け込む他の精霊達と同じように「助けて!風の王!」状態だ。
「ボクは……リティルに言えなかった!ノインが、君の夢を見てるよってさ!」
ルキが、リティルに言えなかった?
ルディルがどんな内容なんだと問おうとした時、廊下に出る磨りガラスの扉の向こうに、ロウソクの火が見えた。ルディルはルキの口を塞ぐと、1人がけのソファーの間に身をかがめた。
「誰か、いますの?」
気怠げな女性の声だった。この声は、智の精霊・リャリスだ。ホッと息を吐くと、ルディルは手の平に淡く光を灯して立ち上がった。
「あら、ルディル、酔っ払っていますの?あまり騒ぐと小言のノインが起きてきてしまいますわよ?」
リャリスは蔑むような紫色の瞳で、羽織ったストールを引き揚げながら苦言を呈した。こいつ、本当にいい性格していやがるなと、ルディルは嫌みを忘れない彼女に苦笑した。
「来客中なんだよ。にしてもリャリス、トゲがありやがるなぁ。そんなにこの城が嫌なら、風の城に居着いちまえばいいんだぞ?」
「できませんわね。お父様はノインに会おうとしませんのよ?あんな壊れそうな人、放っておけませんわ」
リャリスはますます不機嫌そうに、ルディルの顔をあからさまに睨んだ。その瞳は、それができるならとっくにやっていると言っていた。そういう割に、ノインのヤツに干渉しねぇじゃねぇか?とルディルは苦笑するしかなかった。
リャリスはたぶん、ノインの部屋にすら入ったことがないだろう。だが、近づかない理由はわかっていた。ノインもどういうつもりなのか、ルディルでさえ計りかねていることをしているからだ。
リャリスは、リティルとは血の繋がりはないが、彼を父と呼び心のよりどころにしていた。こんなにツンケンしているが、リティルにはベタ甘だというから、あいつはすげぇなとルディルは父親なリティルを思った。
「蛇女、1枚噛まない?」
「嫌な呼び方ですわね。その通りですけれど。あら、来客とはルキだったのですわね。ごきげんよう」
「こんばんは。リャリス、リティルの理由に心当たりないのかな?」
「お父様の理由ですの?ノインが転成したときの記憶を見れば、わかるのではなくって?風の城はお父様の想いを守りますわ。私も、守りましてよ?」
余計な事はするなと、リャリスは暗に言っているようだった。
「ノインがリティルの夢を見てるって言っても?」
「あら、あの人、欠片もお父様のことなど、残っていないものと思っていましたわ」
リャリスはトゲトゲしく言い放った。どうやら、落ち着いて見えるリティルの内情はまだ荒れているらしいことが、窺い知れた。それを感じて、ルディルは内心ホッとした。
リティルがノインのことを割り切ってしまっていたら、あいつは風の城に戻れないと案じていたからだ。
大切だっただろう?お互いにお互いが。そんな絆が、転成でなくなるか?とルディルはあり得ないと思っている。思っているのだが……。
「ルディル、ノインに聞いてみてよ。それでリャリス、心当たりがあるってリティルの事仄めかしてみてよ。あのノインが、ボクの知ってるノインなら、きっと行動を起こすよ」
起こしてくれなくちゃ困る。ルキは、ロウソクと淡い光の中で、ニンマリと微笑んだ。
それでもし、ノインが行動を起こさなかったら、ボクもやっと、風の騎士の死を、受け入れられる。ルキは、2人に気づかれないように足下の暗闇に視線を落とした。
翌朝、ルキの思惑に乗った2人は、力の精霊を突き、見事蛇を出したのだった。
やっと表面上平穏になったばかりの風の城は、不運にも大嵐に見舞われることとなったのだった。
夜の闇が、この部屋の景色を隠していた。
力の間と名付けられた部屋。力の精霊自らが作った部屋だ。
白い大理石の床を所々くりぬき、樹木を植え、白い石のプランターに、おそらく女性なのだが、誰だかわからない彼女を思わせる配色で、パンジーとビオラを植えた。庭、温室を思わせるような部屋に仕上がったが、ノインは満足だった。
ノインは、ベッドのある小さな小屋から出て、ちょっとした広場になっているその場所に置かれたガーデンチェアに腰を下ろしていた。
何となく見上げた壁から、月の光に浮かび上がる、丸いステンドグラスが目に入る。四季の色をした木の葉の舞う絵が描かれたステンドグラスだった。明るく優しい配色で、本当は天窓にしたかったのだが、城の構造上壁にしか取り付けられなかった。なぜ天窓にしたかったのか、その理由はわからない。いや、わかっていることなど皆無だ。
主が夜中だというのに、起きていることに気がついたのだろう。白いクジャクが歩みより、ワシミミズクが飛んできた。
ワシミミズクのスレイが肩に留まる。
「オレは、誰だ……?」
白いクジャクのサーリーの細い首を撫でながら、ノインはステンドグラスを見上げて呟いた。