表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

ライラックの花穂

作者: 白瀬鴇弥

 コンクリートの硬さを肌で感じる薄い布団に包まったまま、床の凹凸を見つめる。頬を伝うものに気付きもせず、私は立ち上がる。重い扉を開けて出た外に色はない。でもそんな事、もうどうでもいいや。


 _____



 朝日が昇る小さな公園にいつもと違うのは君がいたこと。君は私と同じ制服に袖を通していた。風にそよぐライラックの花穂が香った。こちらに気付いて微笑む君はとても儚くて微笑み返すことしか出来なかった。


 その日から君は私の隣で授業を受けた。僕に勉強を教えてほしい。君は私にそう言った。前の学校と学習範囲がずれていたらしい。友達なんてもったことのない私は、返すのに適する言葉すら知らなくて、ただぎこちなく頷いた。


 君はすぐにクラスに馴染み、友達に囲まれた。明るくて、綺麗な顔をしていて、髪はすっきりしたショートで、背は高い。私と真逆だ。放課後、2人で勉強をすれば教室の窓から見える若い緑は私を嘲った。


 でも君はそんなこと気にしない。ある日君は、私を外へ連れ出した。私の小さくて、無機質で、温もりを知らない世界から。少し遠い大きな公園、人がいないゴミだらけの海、山間にある小さな美術館。小洒落たカフェに、青い壁の服屋。初めて見る景色たちに私は思わず目を細めた。全てが初めてだった。余りに眩しかった。


 それから5日は家に帰らなかったと思う。私を気にかけてくれる人なんていないから。家に戻ったって、身体中傷だらけにされながら働くしかない。でも君といれば世界が輝きだす。いつか拾った私の白くて汚い自転車の隣には君の茶色で綺麗な自転車があって、それはまるで私たちのように並んでいた。


 何で私と居てくれるの?

 僕と似ていたんだ。笑った顔が見たかった。

 私、笑えてる?

 うん、とっても。


 そう言って君も笑った。


 目の前に転がっていたけど私が無視していたもの1つ1つを君は丁寧に掬いあげる。太陽の光を受けて輝く月のように、クレーターだらけの私の心は君の暖かさを纏う光に包まれていた。



 いつしか涼やかな風が頬を掠めるようになっていた。また学校が始まった。私の机に沢山の人影が映る。困惑する私に君は笑いかけた。もう濃く茂る緑は私を嘲る事はなかった。私から灯りと熱が溢れていたんだ。



 緑は散って、雪は積って、タラが芽を出して、桜が咲いた。いつも笑っていた。なんだか人間になれた気がしていた。いつまでもこうしていられる、なんて柄になく、確証の無い自信を持っていた。



 放課後、君はいつになく暗い表情をしていた。立入禁止のテープを越えて、屋上で2人足を空に投げ出す。私達のいつもの放課後。聞いてくれるだけでいいんだ。目を伏せながら君は話し出した。


 金はあるんだけど愛はなくて、怪我だけが増えていく家で君は今にも壊れそうだった。もう耐えられないと言うように震える身体を強く抱き締める。こんな私の小さくてボロボロな手が君を救えるはずなんてない。でも、それに勝るものが見つからなかった。


 家に戻れば、裏口に散る花弁がふわりと舞った。表にある桜が散ったのだろう。見た事はないのだけれど。裏口の扉を開けて、床を外して梯子を降りる。物のない部屋でいつものように寝そべれば、何も変わらない剥き出しの壁があるだけだ。また始まる。今日はどれだけ殴られなければならないんだろう。ちゃんとやってるのに、掃除だって料理だって洗濯だって勉強だって。小さい頃から何も思わなかったのに、今になってそんな事考えてしまうのはきっと、君がくれたからだよ。



 君は学校を休んだ。いやに落ち着かない。放課後、なんとなく君のお気に入りの場所へ行った。川のそばにあるナナカマドが見守るベンチ。獣道に沿って行けばやっぱり君がいた。なんだか息が苦しくなって荒い息を吐く。君に手を伸ばす。触れた瞬間私の身体は制御出来なくなって、世界がガタガタと震えだした。頭の中が引っ掻き回されたようにぐちゃぐちゃになって、声も出せない。



  次の日から君の代わりに花瓶が席についた。みんなが何を言っているのか、理解できなかった。聞こえるけど、分からない。私はただ茫然と隣で揺れる花々を見ていた。


 日が暮れかけて真っ赤な道を行き、行き着いた薄暗い部屋に君が横たわっている。私は見た。君の身体に、無数の痣を、火傷跡を、傷跡を。そしてその手には私と買った、お揃いのペンダントが硬く握られていた。



 目が覚めればいつの間にかいつもの部屋にいた。剥き出しのコンクリートは相変わらず無表情だけど、私は立ち上がる。


もう明るく照らすことのない、暖かさを失った太陽は、それでも微笑んでいたんだ。初めて見たあの時と同じように。



 朝日が昇る小さな公園にいつもと違うのは君がいないこと。私は君と買ったお揃いのペンダントを絶対に離さない。風にそよぐライラックの花穂が香る。こちらに気付いて君は微笑む。花が咲く様にいっぱいに笑いながら私は君の元へ駆けた。



 ライラックの花穂は落ちてしまった。そこには空になった、小瓶と少女が1つずつ。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ