渦巻き
フォルテは極力、冷静になって現状を整理しようとする。
ディミヌが拾ってきた女性が、魔王だった。
まさか魔王が目の前にいると思わなかったとはいえ、現時点でディミヌ自身が『勇者』だと言ってしまっている。尚且つ、最弱な勇者だとも話してしまった。
勇者といえば、『打倒、魔王』を掲げる者というイメージが一昔前まであった。今でも多くの者の心には、そのイメージが少なからず残っているだろう。例え今となっては、『勇者』が単に職業のひとつになっているからといって、その概念は根強いのかもしれない。
もし、魔王もそう思っていたら──嫌な憶測は止まらない。
フォルテの大まかなレベルも言葉にしている。恐らく、レベル以上の魔法を使えるリンフォルの力量も、クレシェには手に取るようにわかっている。
(今日が、最後の日になるのか?)
フォルテは冷や汗を流しながら、息を飲む。
魔王が目の前にいる。
レベル一万の魔王とでは、相手にならないのは明らか。
パーティーのなかでレベルの一番高いリンフォルでさえ、一撃に等しかった。
(いや、あんなもの……本気なんかじゃなかったはず)
考えれば考えるほど、最悪な方向にしか結論は出ない。
戦いを挑むのは無謀でしかない。行く末、考えがたどりつく先はひとつ。逃げる手段もない。
瞬間移動の魔法を使えるリンフォルとフォルテは距離が離れすぎているし、リンフォルがディミヌだけを連れて逃げるにしても、そのふたりの間には魔王がいる。
幸か不幸か、クレシェはうつむいたまま。
フォルテはリンフォルに無言の会話を投げかける。
(お前だけでも逃げろ)
すると、リンフォルは眉間にシワを寄せて、首を横に振る。その反応に、フォルテは一縷の望みをかけて問う。
(なにか、方法でもあるのか?)
必死な表情のフォルテに、リンフォルも真っ直ぐに見つめ返す。
(ない!)
ずっこけそうになったフォルテが思わず声を出しかけたとき、
「可愛そうにっ!」
と、ディミヌの悲劇な声が緊迫した空気をかき消す。
すぐさまフォルテとリンフォルの視線は、ディミヌへと移る。──ディミヌは両手でクレシェの両手を大事そうに包みこみ、今にも涙を浮かべそうな表情をしていた。
緊迫感を失った男どもは、ディミヌを疑問視している。
ディミヌの言動に驚いたのは、クレシェもだ。大きく開いた目をパチクリしている。
「魔王と同じ名前なんて……たくさん、たくさん、た~くさん……辛い思いをしてきたんでしょう?」
ディミヌの言葉を聞いて、さきほどまで青ざめていたフォルテとリンフォルは倒れそうになった。しかし、何とか堪える。
フォルテは苦笑いし、リンフォルは顔をゆるめている。ふたりとも、『ディミヌらしい』とでも思っているのだろう。
だが、それは一瞬で。
フォルテとリンフォルは話の流れを再確認し、現状のディミヌに若干引いて生ぬるい視線を送る。──フォルテとリンフォルを含め、ディミヌの生死でさえも、頭の中が平和なこのディミヌにかかっている状況になったのだから。
一方、クレシェは両手を包まれ、声が出なかった。言う言葉が見つからない。
あたたかい温もりだけが伝わってくる。
「大丈夫。これからは、私が守ってあげる!」
瞳をうるませて言うディミヌを、クレシェはただ見つめるしかできなかった。
思えば、誰かに庇ってもらうなど、してもらったことがない。クレシェはこの年になるまで、ずっと独りですごしてきた。
皆は、腫物のように扱った。
『物』のようだった。
唯、ひとりの弟でさえ。
誰かの温もりなど、知らない。──このときまで、知らなかった。
常識では考えられないようなディミヌの思い込みに、クレシェが感動を覚えているとは思ってもいないフォルテとリンフォル。
ふたりはクレシェの動向を慎重に見ている。
なんと言っても、相手は魔王。
行動を起こすのなら一瞬かもしれないが、見守らずにはいられない。
緊迫感を再び纏いそうになる中、
(いや、普通に考えてレベル十がレベル一万を守るとか……オカシイ台詞だろ)
と、フォルテは心の中でツッコミをいれる。その直後、
「あ……ありがとう」
と、照れたような声が部屋を包んだ。クレシェの声だ。
ディミヌは照れた歓喜の声を上げる。きゃ~ともわ~とも言い表しにくい歓喜の声を。
その声で、フォルテとリンフォルの緊張の糸はプツリと切れた。
「ああ、俺……飯食おうかな」
現実に戻ろうとするリンフォルの声が、宙に浮いたように響く。
「そうしておけ」
立ち上がったリンフォルに対し、フォルテは『いつも通り』に淡々とした声で返答をした。
リンフォルが食事に手をつけ始めたころ、勇者オーラを全開にしたディミヌが向かいに着席した。その横に、フォルテは何事もなかったかのように座る。──キッチンを背にして座るのが、フォルテの定位置。
その流れのまま、クレシェもテーブルまで歩いて来ていた。
開いている席はひとつ。リンフォルのとなり。
警戒心がまったくなくなったわけではないが、現状、クレシェの着席を拒むのはおかしな空気だ。リンフォルもフォルテ同様、通常稼働を心がける。
「俺のとなりしか空いてないけど、よければど~ぞ」
クレシェは恐縮しながらも、その場に座る。
向かいにクレシェが座ったことで、フォルテは自然と視線がクレシェに向いている。そこで、あることに気がついた。