疑う気持ちを交え
「ディミヌ!」
炎ではない赤い色が炎に混じっていく中、少女は自分の名を呼ぶ声を耳にした。
幻聴のように聞こえた。けれど、聞き覚えのある声に、体は無意識で動いていた。
直後、体は強く引き寄せられる。
「よかった……生きていて。無事で、いて……」
抱き締められた人物は、知っている人物。それなのに、普段の様子とはまったく違う。だから、その知っている人物と、今抱き締められている人物が、同一人物とは思えなかった。
それでも、熱する空気の中で呟いた言葉は、
「リンちゃん……」
と、知っている者の名だった。
抱き締められる肢体によって、熱風が遮られる。
感じる温もりに、安堵を覚えそうになる。
それなのに──リンフォルの体は、震えているようだった。
「辛いかもしれないけど、出よう。ディミヌは……これからも、生きなきゃ」
うつろに瞳を上げる。
黒い汚れがリンフォルの顔にはいくつもついていた。よく見れば服や手、至るところにも。
周囲は依然、一面の赤。
赤。
赤。
守られるように遮られたにも関わらず、徐々に増していく熱さ。
覚え始める渇き。
「生き……る?」
呟くと、途端に涙はあふれた。
一面の炎から救出されたあとも、ディミヌはしばらく放心状態だった。
長年、兄のように慕ってきたフォルテの声にも無反応に近いほど、呆然としていた。
「一先ず……まとめて俺の家に来なよ」
リンフォルの声が鼓膜を通過していく。
目の前にはあったはずの、大家族が住んでいた家はない。その家の入口の前に広がっていた畑は、収穫が間近だったのに、その光景とはほど遠くて。
あと数日もすれば収穫ができただろう多くの作物が、跡形もない。
ディミヌのうしろでは、まだパチパチと炎のくすぶる音がした。
「おい。俺たち家族だけじゃなくて、お前も来いって言ってんだよ。アイツは」
背中を押された大きな手。ディミヌはぼんやりと顔を上げる。
フォルテの声はいつも冷たい。──けれど、その理由をディミヌは知っている。
フォルテは不器用だとよく例えられるが、フォルテはとても器用だ。料理はなんでも作るし、年下の子がいれば何人いようが目をきちんと配る。不器用というよりも、器用貧乏だ。
とにかく遊びたいと思うような年齢から、家事や畑や下の弟妹の面倒に追われて、感情をどこかへ置き去りにしてきてしまっただけだ。なにかをしたいと動くのではなく、これをしなければと動くのがフォルテ。
喜びも、悲しみも抑えられないディミヌとはまったくの正反対の存在。
『ふたりで心を半分こして、交換できたらいいのに』──ディミヌはいつの日からか、そんな風にフォルテを感じていた。
(きっと、フォルテが誰かを失ったとしても……私と違って、こんな風に態度にはだせない)
背中にある、あたたかい手を感じて歩き始めたディミヌから、ポツンと涙が落ちる。それは徐々にはやくなり、大きくなり、頬を流れて止まらなくなった。
たくさんの実をつけ始めた作物たちは、フォルテたち家族の一年間を支えるものだった。例え、皆の命が助かったとは言え、素直に喜べるものではないはず。
フォルテの絶望感や不安は、両親を失った自分と同じだとディミヌは泣いた。そして、泣くことしかできない自分を、心底嫌いになった。
「どうぞ」
町の中心部に着き、豪邸と呼べるリンフォルの家へと入る。
フォルテの家族が入るのは初めてだ。年齢がまだ二桁になったばかりの者と、年齢が一桁の者は豪邸の中に入ったというだけで喜んでいた。フォルテと年齢の近い者は、現実離れした風景に夢でも見ているよう。
沈んでいた表情が明るくなり、子どもらしく騒がしくなった。フォルテの両親は、子どもたちの騒ぎを止める。
「いいですよ、そのまま楽しんでくれれば」
リンフォルはフォルテの両親に笑いかけると、フォルテの両親は申し訳ないと頭を下げた。それにリンフォルは、あははと首を振るだけだった。
「悪い」
こっそりとばつが悪そうに言うフォルテ。
リンフォルは首を傾げる。
「い~じゃん、日常が戻ってきたみたいで」
『今は笑っていてくれるなら、なんでもいい』とリンフォルは続けた。
豪邸の内部をフォルテも知っているはず。
リンフォルの両親が健在のときから、何度か来たことがあると、いつだったかフォルテは言っていたとディミヌはぼんやりと思い出す。
それなのにフォルテの態度はソワソワとしていて──身の丈に合わないと、言いたげで──こんなに落ち着かないフォルテを、ディミヌは知らない。知っている人たちなのに、知らない人たちに囲まれた別の世界に迷い込んだような、そんな感覚がディミヌを包む。いっそ、夢ならいいのにと。
「ね、フォルテ。皆に適当に部屋使ってもらっていいから、案内して来てよ」
「あ……ああ」
家族と一緒にいた方が気が楽だろうと、リンフォルは見透かしているように言う。
先ほどと変わらぬ表情でゆるく右手をゆらすリンフォルに、フォルテはなんとなく返事をして遠くへと行ってしまう。
ディミヌはまだ泣いていた。
フォルテが席を立ってからは尚更、ひどく。
「ねぇ、ミルクでも飲む? すこしは落ち着くかもしれないよ」
囁くようなやさしい言葉。それなのに、ディミヌの心には深く刺さった。
「リンちゃんには……わかからないよね」
絞り出すような声に、リンフォルは『え?』と小さく言った。ディミヌは立ち上がる。
「こんなイイところでずっと暮らしてきて……ミルクでも飲んで、落ち着けばなんて、私たちの気持ちなんて、リンちゃんにはわかるはずがないんだから! ずっと好きな物を買ったり、好きに遊んだり、ずっと、ずっと……好き放題にしてきたリンちゃんには、絶対にわからないんだから!!」
時折、なにを言っているのかまったく聞こえない言葉もあっただろう。
ディミヌが泣きながら責めたてたにも関わらず、リンフォルはポカンとしていた。
言った内容は、反論ができるような内容は含んでいない。却って、言われても当然だと受け止めていたのか。
リンフォルがどう思ったかわからないが、ボロボロとディミヌの涙はあふれていた。もどかしくて、もどかしくて。
「確かに、俺にはわからない」
リンフォルはやさしい。初めて会ったときからチャラチャラしていて、ゆるくて、フォルテのように厳しい言葉は言わない。
女の子が大好きで、いつもニコニコニコニコしている。楽しそうに。辛いことなど知らなさそうに。
それなのに、リンフォルなのに、このときは。まったくニコニコとしなくて。いつになく真面目に。
「ディミヌにこれからも生きてほしいと願ったのは、俺の勝手だったのかもしれない。今、こうしていてくれることだって、俺の満足に過ぎないのかもしれない。だけど……」
このあとの言葉で、ディミヌはこの先をどうするかを考えた。やっぱり夢ではないのかと思いつつ。
そして、勇者という道を選んだ。
後悔はしていない。
フォルテもリンフォルも、当時を振り返れば『そういうこともあった』と言うだけだろう。
そうして、『今が幸せだから、いい』と言って、笑うだろう。
彼らは自らの選んだ道には、後悔をしない。──それは、現状も同じこと。
一応、ディミヌは勇者だ。自分の言動には責任があると自覚はしている。そして、自分の言動で行く末がどうなったかも承知の上。
無謀にも、戦線布告をした。けれど、勝つことが目的ではない。勝算を見込める相手など、自分の力ではいないと充分わかっている。
まして、クレシェはレベルMAXである一万。
対面する者がクレシェの弟であれば、クレシェと近いレベルであるはずだという推測くらいはディミヌにだってできる。
では、なぜ戦いを無謀にも挑んだのか。
それは、彼女が『勇者』だから。
彼女は、どんな状況であれ、仲間を守ろうとするのが『勇者』として最低限の責務だと妙に頑固な認識がある。
仲間を守るためなら、彼女はなにも恐れない。
恐れるとすれば、仲間を見捨てることだろう。
しかし、考えれば考えるほど、おかしな話だ。
『魔王を迎えに来た同族』を、『魔王』が拒絶したい気持ちを抑えて従おうとしたがために、『勇者』が『魔王』を庇っているのだから。
「なにが? アンタのところなんかにいるのが嫌だから、クレシェが『あんな状態』で倒れてたんでしょ? 絶対にアンタなんかに渡すものですか!!」
到底、力で敵うはずのない相手に敵視されているにも関わらず、ディミヌは怯んではいない。
却って、珍しく彼女は激怒していた。
ディミヌの叫びに、フォルテとリンフォルはこのありえない現状を把握しながら苦笑いする。
「しょうがないな~」
楽しそうに軽い声が弾むのはリンフォルだ。
「まったくだ。バカとパーティーを組むと、命がいくつあっても足りそうもない」
こちらはフォルテ。
勇者の意思に従うように、ふたりは身構える。
ふたりとも命を落とす方が有力であるのに、楽しそうに笑っている。
彼らにはディミヌのパーティーメンバーとしての誇りがある。パーティーを組んだ当時から『勇者』の力が弱いのは知っていた。
いや、幼いころからディミヌを見てきた彼らにとっては、ディミヌは弱くて守っていく存在だというのが極当たり前で、自然なことだったのかもしれない。
クレシェは目の前の光景を疑っていた。
正体が『魔王』と明らかになれば、三人の態度が一転して当たり前だと思っていたから。
(どうして……)
目の前の光景に、そう思わずにはいられない。
力の及ぶ可能性がない彼らが、立ち向かおうとする理由など、あるわけがない。
ただ、ディミヌなら──『理屈じゃない』と言うかもしれないと思えて、涙があふれてきた。
「そうか……そんなに死を急ぐのか」
シェードは構える面々を前に、不敵な笑みを浮かべる。構えを取り、殺意をディミヌに向けた。
その確かな殺意はクレシェに伝わる。
「止めてぇ!!」
クレシェは体中で叫ぶ。すると、その声に反応し、シェードの視界は悲しげに下がる。
「どうやったんだ」
シェードはクレシェ問う。
さみしそうに聞こえた弟の声に、クレシェはなんのことかと戸惑い、言葉が出ない。
その様子に、シェードは面倒だと言うように言葉を続ける。
「おかしいだろう? 『魔王』のために『勇者』たちが身を犠牲にしようとするなんて」
確かにと、クレシェの心にシェードの言葉はべったりと貼りつく。
「おかしくなんか……ない」
夜風を切り裂くように言うのは、ディミヌ。
その声にシェードの視線が上がる。
「私たちは友達だもん。仲間だもん。それだけのこと」
友達も仲間も、間にある柵など一切関係ないとディミヌは言い切る。
悠長にもディミヌは遠くから聞こえる声に耳を傾ける。──それは、泣き声。昔々の幼いころに泣いているディミヌ自身の声。
彼女はいじめられっ子だった。
『や~い、こ~んなこともできねぇでやんの~』
心ない言葉に、幼い彼女は泣くしかできなかった。
いじめられた相手はフォルテの弟だ。それを知らないころ、ディミヌはフォルテに助けられた。
『こら、そこ。なぁに男が女をいじめてやがる』
フォルテと年の離れた二男は、単に長男の言葉を恐れて逃げ出したに違いない。
去っていく二男にフォルテがため息をつくと、ディミヌは目を赤くしたまま『ありがとう』と言った。
だが、フォルテはディミヌを見るなり、意外な言葉を言った。
『悪かった。あいつは俺の弟だ。だけどな、立ち向かおうとしないお前も悪い』
立ち向かえば喧嘩になるとフォルテは続けた。その言葉にディミヌはポカンとした。
ひとりっ子のディミヌに喧嘩は無縁だった。
言い返しても、やり返してもいいと喧嘩しろと教えてくれたのはフォルテだった。
喧嘩をすれば、仲直りができるとも。
それからディミヌは、フォルテを兄のように慕った。引っ越し、家が向かいになってからは尚更。
家の前でフォルテの弟と言い合いをして、喧嘩ができるようになった。仲直りもした。友達になった。
あのときがあったからこそ、ディミヌは魔物に襲われ家族を失ったとき、『勇者』になろうと道を見つけられた。
「アンタにはわからないんだね。きっと、一生」
強い眼差しがシェードに突き刺さる。
ディミヌにはシェードの今の気持ちもわかるような気がした。
友達がいなくて、毎日さみしかった、泣いてばかりいた日々。
それを思い出し、
「悲しいね」
と、同情の言葉はもれた。
ディミヌはシェードにさみしそうに微笑む。
その態度は、シェードに激しい憤りをふつふつと沸せた。
「小賢しい!」
今まで殺意を向けた者たちは、震え上がっていった。
命乞いをする者しかいなかった。
それなのに、ディミヌは──どちらもしなかった。
むしろ、挑戦的な態度と、憐れむような表情を向けられたのだ。
シェードが感じた、初めての屈辱。
そんなものを向けられるときが来るなど、シェードには想像したこともなかった。
シェードは発作的に行動を起こす。短距離移動の魔法を発動し、ディミヌに急接近する。
「うっ」
ディミヌは苦しそうな声を残し、あっけなくシェードにつかまれた。