序章か
フォルテはスピードを上げて走る。嫌な予感は止まらなくて。
闇の中に身をもぐらせるまで残りわずか──になったそのとき、フォルテの右腕は、強く引っ張られる。
フォルテは一時停止を余儀なくされる。彼を止めたのは、もちろんリンフォルだ。
魔法使いのリンフォルよりも、格闘家のフォルテの方が当然足が速い。スピードを上げたフォルテに追いつくのに、リンフォルは無理をしただろう。
それなのに、肩で息をしながら、まだ暗唱を続けている。
こんなに長い暗唱をしているリンフォルを、フォルテは見たことがない。
フォルテは一歩下がり、リンフォルのうしろを歩き始める。
すると、じっと闇の奥を真剣な眼差しで見ていたリンフォルは振り返り、フォルテにウインクをした。──それは『さんきゅ』と言っているようで。緊張感をすこしだけゆるめた。
けれど、それは束の間。
リンフォルは奥へと駆け出していく。
(魔物にフォルテ……いや、もっと後方のディミヌたちを狙われたら厄介だ)
その一心で。
「光と大地の精霊よ……」
走りながら、確実に声する。闇の中にひそむ、数個の赤や緑のギラギラとした瞳を視界に映しながら。
左手にふうっとやさしく息を吹き込み、左手を広げながら前にすっと出す。大きく息を吸って。
「光を拒み、大地を喰らう魔の物たちに……閃光の灼熱を浴びせよ!」
声が力強くなる。
ザアアっと足を滑らせ立ち止まり、緑のローブをはためかせて左手をかざす。銀色に輝く髪。
周囲には、ちいさな光が集まっていた。
地が揺れ始め、フォルテは身を伏せる。
光は大きくなり、一本の太い線へと化していく。リンフォルは前方に左腕を降り下ろし、叫ぶ。
「クラックレイン!!」
術の名をリンフォルが発すると、オーロラをまとった白い光線が魔物に向かって幾重にも走っていく。
『ぐぉぉぉぉ!』
『がぁぁぁぁ!』
魔物のうめく声がいくつも聞こえたと思うと、光線が地を走った衝撃で、地面がひび割れていた。
振動が収まり、フォルテはリンフォルに駆け寄る。
「やったか?」
「そうであってほしい……なぁ~っと」
後半、リンフォルの言葉は緊張感を失った。ふたりは互いに苦笑いする。
フォルテはふと、足元に凸凹を感じる。
目を向けたフォルテはぞっとした。
(もし、リンフォルに引きとめられなかったら……)
うめく魔物と同じく、悲痛な声を上げることになっていただろう。
リンフォルがフォルテを引き止めたのは、まだコントロールの効かない魔法だったからに違いない。あれだけ長い暗唱をして、無理を重ねて発動させた魔法。
(ウインクして、余裕そうにしておきながら)
操作制御をできない魔法を無理にリンフォルが使うのは珍しい。
それだけ強い魔物だったのか。はたまた、置いてきた女子ふたりを気にかけていて、はやく戻りたいのか。
魔法を発動したあとにも関わらず、リンフォルの呼吸は荒いままだ。
やはり、相当無理をしたに違いない。
眩い光が消えていき、再び辺りは闇に包まれる。
パキ
小枝を踏む音。リンフォルは耳を傾ける。狙いそびれた魔物がいるようだ。
すっと、フォルテは走り出す。音のした方へ。
「なん……だってんだよッ」
フォルテは素早く数発の拳を数発くり出す。
『ぎゃあ!』
『ぐお!』
バタ、ドタと鈍い音がして、魔物は倒れたようだ。
確認したいが、視界がはっきりとしない。迂闊には近づいて、深追いしない方がいいとフォルテは判断し、リンフォルのいる場所に急いで戻る。
「やっぱり、まだいそうだね」
「ああ」
リンフォルは暗がりで唇を噛む。不慣れな術で狙いを定めきれなかったと。強力な魔法であっても、直撃しなければ軽傷になる。
「もっと軽い魔法でも、もう一回全体魔法を……」
リンフォルは言葉途中でなにかを感じて振り返り、目を見開く。
「フォルテ、急いでディミヌたちのところに戻って!」
「は?」
突然のことに、フォルテはなにかと聞き返す。
「はやくッ!」
鬼気迫る声。
うす暗いが、近くにいるリンフォルの表情はなんとなく見える。
リンフォルは木よりも上を見上げていた。
そこに見えるのは、ゆうに四メートルは越えるであろうという、大きな魔物の影。先ほどのリンフォルの魔法で怪我を負っているのか左右に身を揺らし、よたよたと歩く寄ってきている。
「お前……コイツをひとりでどうかしようっていうのか?」
フォルテは一歩後退する。けれど、リンフォルは下がらない。
「嫌な予感がする。だから、はやく……」
「アレはいくらお前でも、ひとりで相手できるようなモノじゃ……」
「大丈夫。俺、切り札はいつも準備してるから」
リンフォルの言葉を遮ったフォルテだったが、リンフォルの強い言葉に押し切られた。更にリンフォルは続ける。
「考えたくないけど……もし、クレシェちゃんが手の平を返したら」
それは、今まで何度もフォルテの脳裏をかすめたこと。だからこそ、クレシェとふたりきりになるのも避けたかったわけで。
ここにいても、フォルテはどうにかできるわけではない。リンフォルを見捨てるような真似はしたくないが、ここに留まるのはディミヌを見捨てるも同然になってしまう。
苦渋の表情が浮かぶ。
リンフォルの言う切り札を信じるしかない。
「無理するなよ!」
フォルテは踵を返す。
リンフォルはゆっくりと右手を揺らし、
「はい、は~い」
と見送った。遠ざかって行く足音を耳にしながら。
「さて……と」
リンフォルはローブのポケットからなにかを取り出す。
そのなにかを指にはめる仕草を、真っ赤な瞳を見開いて魔物はじっと見ていた。
「ほう……人間ごときがその指輪を身につければ『命を切り落とす』と知っての行いか?」
ねっとりとまとわりつくような、不気味な魔物の声。
怯むことなく、リンフォルは不敵に笑う。
「もちろん。でも、それがなに?」
リンフォルの銀色の瞳に光が帯びる。
一方の魔物は、目を細めて歓喜する。
「ハッハッハッ! 意外とバカだな、お前。そんなに、弱い奴……いや、アッチにもいるもっと弱い奴も守りたいのか?」
木々が揺れ、魔物の声を響かせる。
だが、リンフォルは動じない。
「当然。これでディミヌたちを守れるなら、なにも迷いなんてないよ。お前くらい……俺の一年分の命を燃やせば充分」
周囲が暗いにも関わらず、リンフォルの瞳孔は光を直視しているように縮まっていく。徐々に強くなった風をまとい、長い銀髪を揺らす。
「それより、指輪のお蔭で、あんなに使ったはずの魔力も回復して……更に倍増してるんだけど」
リンフォルは冷たい笑みを浮かべ、続ける。
「ねぇ……身の危険、感じちゃってたりする?」