そらのそこのくにせかいのおわり(改変版)3.5 < chapter.9 >
この日は珍しい任務を与えられていた。
「はじめまして、情報部のシアンと申します。予定していた特務部隊員が食中毒で入院してしまったため、代理として参りました」
「やあ、どうもはじめまして。僕は王立大学の……」
はじめましてと言っているのに、以前どこかで『この状況』を経験したような気がする。
奇妙な既視感を覚えながら、俺は挨拶から続く何気ない雑談に応じていた。
「ええと、君は僕の専門について、どの程度知っているのかな?」
「恥ずかしながら浅学の身でありまして。魔導物理学については何も……」
「あぁ、いや、そんな、頭を下げないでおくれ。研究者以外が分からなくても、何も恥じることは無いんだよ。僕の研究対象は識者の間でも意見が分かれる分野だからね。『正確に理解できる人間』なんて誰もいない。だから、分からないのが当然なんだよ。僕にだって正解は分からないんだから」
「教授にも正解が分からない学問、ですか?」
「そうだよ。君はパラレルワールドを知っているかな? 『可能性の世界』とも呼ばれるのだけれど」
「パラレルワールド……?」
この会話もなぜか覚えがある。けれども、いくら考えてもそれらしい記憶はない。
湧き上がる正体不明の疑念をグッと押さえ込み、教授の話に耳を傾ける。
「『逆行型』の亜空間ダイブは経験しているかい? 突入時刻よりも前の時間軸に戻されてしまうのだけれど……」
「いいえ。ですが、突入時刻に戻される『停止型』の亜空間なら、記録映像を見たことがあります」
「本当かい!? それなら話は早い! 僕の研究の最終目標は、その『時間の流れ方』を操作する方法を見つけて、いくつもの並行世界を自由に行き来することなんだ!」
「それは……私と教授が出会わなかった世界がどのようなものか、様子を見に行くことが可能ということですか?」
「その通り。そして『向こうの世界』の自分と協力して、同じ研究の、別パターンの実験を同時に複数進められるとしたら?」
「データ収集速度が二倍以上になりますね?」
「そう! そうだとも! 選んだ選択肢の数だけ可能性は存在する。並行世界の『自分たち』と手を取り合うことができれば、あらゆる分野の研究は飛躍的に進歩する! 民間人の宇宙旅行なんて、あっという間に実現できる! 人類は時間的な制約と物理限界から解き放たれ、文明の超発展を遂げることだろう!」
「素晴らしい研究ですね。ただ、その……亜空間ダイブの経験がない人間が聞いても、実感が伴わないのではないかと……」
「そう、そこなんだよ! おかげでいつも、質疑応答では理解の『り』の字も感じられないトンデモ質問ばかりが飛んできて……ところで君、講演会の間も会場にいてくれるよね? 他の参加者への牽制として、経験者の立場で手を挙げてくれないかい?」
「あ、いえ、それはちょっと……会場にはいますが、参加者ではなく警備の人間ですので……」
「そうか……いや、無理を言ってすまなかったね。しかし、せっかく話が通じる人間がいるのになぁ……ハァ……」
魔導物理学の権威を個人的な勉強会に呼びつける博識な侯爵様とそのお友達は、いったいどれくらいトンデモな質問を投げつけるのだろうか。
聞いてみたい気持ちが一割、耳栓を入れておきたい気持ちが八割。残り一割は手持ちの胃薬だけで足りるかどうか、準備不足を心配する気持ちである。
なにはともあれ俺と教授はコバルトの馬車に乗り込んだ。
そして向かい合わせの座席に腰を落ち着けると、教授は子供のような好奇心に満ちた目で、俺の手元を覗き込んできた。
「ところで君、既婚者かい? その指輪、結婚指輪にしては変わったデザインだけれど……」
この問いに、俺は左手を見せながらこう答えた。
「いいえ、フェイクですよ。魔除けみたいなものです」
「素材は? よく見せてくれるかね?」
「ええ、どうぞ。天然のビスマス結晶です。たまたまちょうどいい形に結晶化していたものを、そのまま削り出したそうで……これがどうも、護符としての効果もあるようなんです。ただのナンパ除けではなくて、本当に『天然モノの魔除け』ですよ?」
「ほう、それは面白い! 人為的に魔石化した鉱物はよく見るが、天然モノとは! 地質学の連中が見たら大喜びしそうだが、君、これはどこで? 産地は?」
「すみません。友人からの貰い物なので、詳しいことは……」
友人って誰だ?
貰ったって、いつの話だ?
俺はこの指輪を、いったいどうやって手に入れた?
自分の言葉に違和感を覚えつつも、まあいいかと流して続ける。
「ピンキーリングとセットで貰ったものなんです。でも、ここまでデザインが統一されていない指輪を『セット』扱いにするって、意味が分かりませんよね」
「ふむ? 確かに全然違うが……いや、もしかしたら、同じかもしれないよ? ええと、確か持ってきていたと……」
教授はガサゴソと鞄を漁り、魔導物理学の元素周期表を取り出した。
「例えばの話だよ? この赤い石が『魔導変性型赤色フォスフォラス』だとすれば、このビスマスと同じ窒素族元素に分類される。フォスフォラスは『光をもたらすもの』『炎の使徒』『熱を与えるもの』と意訳されるように、非常に燃えやすい物質なんだ。マッチの先端の赤い部分といえば分かりやすいかな? で、ビスマスのほうは熱伝導率が非常に高い『高温超伝導体』だ。熱と光、燃え上がる炎を象徴する赤い指輪と、それを伝えるビスマスの指輪をセットだと言い張るならば、君にこれを贈った人は、もしかして魔導物理学者かい?」
「あー……いえ、学者ではありませんが、詳しい人ではあります……」
詳しい人?
だから、それはいったい誰だ?
俺にこれをくれたのは、本当に何者なんだ?
疑問はいくつも浮かんだが、不思議なことに、それを突き詰める気にはならなかった。
代わりになぜか、無性にビールが飲みたくなった。つまみはポテチか、香ばしく焼き上げたヒマワリの種がいい。
俺は頭の隅で考える。
ヒマワリの種でビールを飲んだことなどあったかな、と。
教授はビスマスの指輪から話を広げ、魔導物理学者がやりがちな『一般人には伝わらない告白大失敗事例集』を披露し始める。思わず吹き出してしまうような奇妙奇天烈な贈り物、専門用語をちりばめすぎた奇々怪々な口説き文句の数々に、のぞき窓から見えるコバルトの肩も小刻みに震えている。
こんなに楽しい任務なら、『珍しい任務』も大歓迎だ。
俺たちは行きも帰りも終始笑顔のまま、この例外的な任務を終えた。




