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そらのそこのくにせかいのおわり(改変版)3.5 < chapter.7 >

 ヒルコ神が開けた亜空間の出口は、俺たちが暴走する馬を見つけたあの場所だった。

 十年以上が経過しているため、森の様子は変わっている。しかし、開発できない危険な場所である。人の手が加わっていない分、景観の変化は緩やかなものだった。

 ヒルコ神は俺たちに幸運のお守りとして木槌を手渡した。お守りと呼ぶには少々――いや、かなり大きい。柄の長さは1.5m。木槌の打突面は直径70cmほど。大きさの割に、重量感はほとんどない。まるで鳥の羽根でも手にしているような軽さである。

 だが、武器提供者は時空間断裂の中まではついてこないらしい。

「すまないね、私は荒事には不向きな神なんだ。その代わり、私の『光』をありったけ詰めておいたよ。他の神から借りてきた武器だから、どこまで役に立つかは分からないけれど……」

「ありがとう。ナイフと警棒よりはずっとましだ」

「それじゃ、行こうか」

「ああ」

 俺たち二人は金の木槌を手に、時空の裂け目に身を躍らせる。

 するとその直後、あの時と同じドンという音がした。

 攻撃が来ると分かっていて、何の対処もしていないはずがない。俺に向かって放たれた初弾は《銀の鎧》でガードし、その隙にもう一人のほうが《気泡弾》を放っている。

 魔法によって超圧縮された空気の弾丸は、着弾と同時に弾けて本来の体積に戻ろうとする。これはその爆発的な膨張力によって攻撃する魔法なのだが――。

「素通り!?」

「『神』はエネルギー生命体だ! 物理的に作用する魔法は効かない!」

「チッ! 風属性とは相性が悪いな!」

「次が来るぞ!」

 ここは天地の区別もない暗闇の世界。その闇の中から、漆黒の獣が鋭い牙をむき出しにして飛び出してくる。

 俺はフェンリル狼の鼻面をぶっ叩くつもりで木槌を振り抜いた。

 が、しかし。

「うわっ!?」

「何だ!?」

 木槌から飛び出す金の針。

 数千本の針が瞬時に出現し、フェンリル狼に突き刺さった。

 痛みと驚きに慌てて飛び退くフェンリル狼。俺たちは木槌を構え、改めて《銀の鎧》をかけ直す。

 確認のために木槌を揺らすと、打突面から細い針が数本、よく見ないと気付かないくらいの鈍い光を放って落ちてきた。

「なるほど……この木槌、軽く振るだけでも針が出るギミック付きか……」

「『光をありったけ詰めておいた』とは、このことかな?」

「そうだとしたら、これはお守りじゃなくて、ガチな攻撃用だな」

「鈍器で殴れなんて、本当にとんでもないご神託だ」

「行くか? 待つか?」

「決まっているだろう? 手負いの獣は……」

「その場で殺すに限るよな!」

 足元で圧縮空気を炸裂させ、人間大砲の如く突撃。

 自分の戦い方は、自分が一番知っている。

 俺たちを迎え撃つ態勢のフェンリルに、まずは俺が攻撃を仕掛ける。俺にはカラカル族としての標準的な身体能力しかない。フェンリル狼と真正面からやり合ったら、十中八九、パワーで押し負ける。木槌を振り抜く大振りな動作を風の魔法でカバーしつつ、スピードを活かしたヒットアンドアウェイを繰り返す。

 もう一人はフェンリル狼の背後側に回り込み、攻撃パターンを観察しつつ、俺が離脱しやすいようタイミングを見てフェンリル狼の注意を引き付ける。

 たったこれだけの動作で攻撃は面白いようにヒットした。それくらい、敵の行動パターンは単調だったのだ。


 噛みつく、闇の衝撃波を放つ、こちらの攻撃は飛び退いて避ける。


 とても原始的で、本能的な戦い方である。これまでに見た『闇堕ち』とやらも、例外なくこのような状態に陥っていた。闇に呑まれると思考力や判断力が低下するのだろうか。たしかに呪詛毒にやられると、精神に異常をきたして廃人のようになってしまうものだが――。

(……ん? 待てよ? 闇と呪詛が、ほぼ同質のものだとすれば……)

 上下左右、どこを見ても墨色の世界。これが全て『闇』ならば、自分たちは今、猛毒のプールに全身浸かっているようなものだ。今は目に見える影響がなくとも、徐々に呪詛毒が回り、身体機能が低下していく恐れがある。

 俺は攻撃を続けながら、試しに一つ、風属性ではない魔法を使ってみた。

「《種火》!!」

 小学校で教わる初心者向けの魔法である。本来は攻撃用ではないごく弱い魔法だが、風使いならば話は別だ。風に煽られ、蝋燭ほどの炎が人の頭ほどの火の玉と化し、弾けるように消える。

 すると思った通り、その周辺だけ空気が軽く、明るくなった。普通にしていたら気がつかないほどの濃度で、空間全体にまんべんなく『闇』が充満しているらしい。

「まさか、この黒いの全部呪詛毒か!?」

「そのようだ! 結界を頼む!!」

「了解!」

 もう一人の俺は、自分たちとフェンリル狼を閉じ込めるように結界を構築した。あとはこの結界内の『闇』さえ浄化してしまえば、当面の身の安全は確保される。

 そう思ったのも束の間――。

「……バァ~カ……」

 フェンリル狼が嗤った。

 同時にフェンリル狼の身体から噴き出す大量の『闇』。俺たちは自ら作り出した密閉空間で、高濃度の呪詛毒を直に吸引してしまった。

「く……」

「この……クソがあああぁぁぁーっ!」

 金の木槌を振るい、フェンリル狼の襲撃を迎え撃つもう一人の俺。

 戦時特装を纏っている分、もう一人のほうは軽い眩暈程度のダメージで済んでいるようだ。しかし、こちらは完全に行動不能に陥った。

 これは何系の毒素なのだろうか。意識ははっきりしているのに、身体の制御が効かない。

 痺れか、痛みか、それとももっと別の感覚なのか。全身から同時に送られてくる神経伝達物質に、脳ミソの処理のほうが追い付いていないのかもしれない。今の俺には、自分の体の状態すら把握できなかった。

 だが、視覚と聴覚は生きている。

 もう一人は俺を庇いながら戦っているが、カラカルは『守る戦い』を主とする種族ではない。素早く動き回ること、物陰から瞬時に襲い掛かることができないのでは、カラカル族の強みを全く活かせないのだ。


 俺のことはいいから、お前はお前のやりやすいようにやれ。


 そう伝えるため、この状態でもできることを探した。

 そして気付く。

 声が出せなくとも、身体が動かなくとも、簡単な魔法だけは使える状態にあると。

(それなら……これだ!!)

 呪文を唱えられなければ、強力な攻撃魔法は使えない。だが、それがどうした。


 隠密行動を主とする情報部に必要な能力は、気取られずに動くことだ。


 大量の『闇』を放出しながら暴れまわるフェンリル狼。もう一人の俺も木槌による打撃と、その際に発射される金の針で必死に応戦している。やや押され気味のようにも見えるが、それでも戦況はほぼ互角。

 互角の勝負、それはつまり、ほんのわずかでも気を削がれたら負けるということ。互いに相手の一挙手一投足に全神経を集中していて、『間合いの外』の様子を気にする余裕はない。

 この状況で、見るからに身動きできない『ノーマークの人間』だからこそできる攻撃がある。

「ウオオオォォォラアアアァァァーッ!」

 もう一人の俺は木槌の後ろで圧縮空気を炸裂させ、打撃の速度を上げている。木槌が大きい分、自分の身体が振り回されることも織り込み済み。風を操り、浮いた身体を素早く回転させて超速コンボへと繋げる。

 風をうまく使えば、攻撃モーションから『着地』と次への『タメ』の動作を排除することも可能である。もう一人の俺は『物理攻撃』の概念を無視した自在な攻撃を展開していた。

 そう、そのままド派手な攻撃を続けてくれれば、フェンリル狼に気付かれることなく『仕込み』を終えられるのだが――。

「う……っ!?」

 残念ながら、そうは問屋が卸さない、という流れのようだ。

 フェンリル狼の攻撃が決まった。

 その理由は一目瞭然。フェンリル狼が獣から人へと変化し、一瞬で攻撃パターンを変えたからだ。

 とはいえ、それは『人』と呼ぶにはあまりにも不自然な姿であった。

 体全体のシルエットは人間らしくなっているのだが、全身が『闇』に覆われ、まるで着ぐるみか何かを着込んでいるようなモッサリした見た目になっている。纏った瘴気が濃すぎるためか、顔はよくわからない。

「ア……かはっ……!?」

 もう一人の俺は胸座を掴まれ、宙づりにされていた。鼻面に掌底を食らい、顔の下半分が鼻血で真っ赤に染まっている。

「おまえ……なにを、しに、きた……?」

「へえ……なんだ。喋れたのか……」

「なにを、しに、きた?」

「……運命を変えに来た。お前は何のためにここにいる? 俺と戦って、お前の目的は果たされるのか? 以前会ったとき、誰かを待っているような口ぶりだったよな?」

「……? もくてき……? なんの……なに……なにを……おれは……?」

 フェンリル狼は混乱しているようだった。

 ヒルコ神の話によれば、この『神』は『運命の本流』に戻るために足掻き続けていたはずだ。しかし、なにやら様子がおかしい。

「……ああ、そうだ。おもいだした。おれは、まっていたんだ……」

「それは誰だ?」

「……おまえ……」

「俺? いや、違うだろう? お前が待っていたのはもっと別の人間じゃあなかったか?」

「いいや……違うわけがあるかよ。確かにお前だ。俺が待っていたのはお前なんだよ! ランディ・ヤン!」

「!?」

 瘴気からわずかに覗く顔。それは間違いなく、当時のままのケント・スターライトだった。

 だが、その顔を見て分かったことがある。


 これは死体だ。


 濁った眼球も、落ちくぼんだ瞼も、血の気がなくカサついた皮膚も――目に見える何もかもが、これは死者であると表している。

 それなのに、ケントはさも当然のように動き、言葉を発していた。

「酷いじゃないか……なあ、ランディ? 俺はお前が戻って来てくれると信じて、あの化け物をぶっ倒したんだぜ? なのに、いつまでたってもお前は戻ってこねえ。何をどうしても自力じゃ外に出られねえし、何度『命の名簿』を書き換えても、どうしてもゾンビみてえになっちまうしよぉ。なんなんだよ。なあ、おい。お前……なんでお前だけが生きてるんだよ。俺はこんなになるまで、ずっと待ってたのに……なんで、俺を迎えに来てくれなかったんだよ……」

「……ケント……だって、そんな……お前は、あの『神』の攻撃を受けて死んで……」

「許せねえ……許せねえよ。お前だけは、絶対に許さねえっ!!」

「ゴ……あっ……がッ!?」

 片手で宙吊りにされたまま、サンドバッグのように殴られる。

 カラカル族の覚醒者には風属性の自動防御が展開されているはずなのだが、ケントはそれをはるかに上回るパワーで打撃を加えている。

 加勢したくとも、俺はまだ動けない。それに『仕込み』も終わっていない。今ここで迂闊なことをすれば、せっかくの勝機を逃すことにもなりかねなかった。

(でも……駄目だ。このままでは、俺たちは二人とも殺されて……!)

 もう一人の俺は、もうまともな防御姿勢が取れてない。俺は『仕込み』を諦め、加勢に回ろうとした。

 だが、しかし。

「究極奥義! 《タコヤキ・プレート・テクトニクス》!!」

 本日二回目のあの技。

 今度のターゲットはケントゾンビのほうだ。

「なん……だ? 鉄板……?」

 突然の横槍に驚くケントゾンビ。

 その隙に白いロープのようなものが伸ばされ、もう一人の俺は救出された。

「クソ! 舐めた真似を! こんなもので俺の動きを止めたつもりか!?」

 喚き散らして抜け出そうともがくケントゾンビだが、彼はまだ、足を挟み込むように出現したタコヤキプレートの恐ろしさを知らない。

 時空間断裂に突入してきた五人はヒーローショーのようにポーズを決める。

「踊るおかかは熱さの証!」

「デートの前でも青のり上等!」

「ソースとマヨはお好みで!」

「みんなでモグモグ、美味しいね!」

「愛と正義のたこ焼き戦士、タコヤキング! ここに見参!!」

 何をどう仕込めばそうなるのか、チーム名を名乗ると背後でいい感じの爆発が起こる仕掛けがあるらしい。ドカーンと白い爆炎が上がり、五人はそれぞれキャラ設定に合わせた立ち姿でビシッと止まる。

「猫耳の人! さっきはごめんね!」

「さすがに地球からだと、一時停止中のデータは読み込みづらくてな!」

「だがしかし! 今の我々は、真の敵の存在に気付いている!」

「地球人代表として、宇宙平和とたこ焼き文化存続のために全力を尽くそう!」

「おい貴様! ゾンビか!? ゾンビだよなぁ!? 神聖なるタコパの場で死臭を漂わせるとは何事だこの野郎! 消臭剤の神に喧嘩売ってんのか!? あぁん!?」

「みんな急いで! 五分が限界だから!」

「分かってるよ、のびちゃん! さあ! タコヤキパーティーを始めよう!」

 そしてぶちまけられる小麦粉。

 さっきと違い、今度はあらかじめすりおろした山芋や溶き卵が混ぜ込まれているらしい。メインの具材もエビや魚肉ソーセージで、チーズやチリソースなどで味付けしている。

 しかし、鉄板の中央にいる人間が頭からすべての材料を浴びることに違いはない。そしてたこ焼き生地の投入と同時に開始される加熱調理。

「ギャアアアァァァーッ!?」

 熱した鉄板に足を焼かれ、ケントゾンビは悲鳴を上げた。咄嗟に《衝撃波》を放ち、そこから抜け出そうとするが――。

「食べ物を粗末にするんじゃあねえええええぇぇぇぇぇーっ!!」

 落ちるカミナリ。

 どうやらこの『天罰』は、無駄にした食べ物の数だけ落とせるらしい。直径十メートル以上あるタコヤキプレート一杯にたこ焼きを用意して、それを攻撃させることで自分の『弾数』を稼いでいるのだ。これを『えげつない攻撃』と呼ばずになんと呼ぼう。たこ焼きの神は恐るべき攻撃力でケントゾンビを一方的にやり込めている。

 そうしてひとしきりカミナリを落とし終えたときだ。防御担当と思っていたメンバーが進み出た。

「ここから先はこの僕、電子レンジの神が相手だ! 《分子双極子回転ダイポール・ローテーション》!!」

 この技についての予備知識は無いが、『電子レンジの神』というからには、これはマイクロ波加熱による攻撃なのだろう。

 悲鳴を上げて苦しむケントゾンビ。過加熱によって燃え始めるたこ焼きの残骸。周囲の鉄板からはバチバチと火花が飛び散っていて、電子レンジでやってはいけないことを一通りやらかしているような地獄絵図であった。そこにさらに、消臭剤の神が消臭ビーズを投入した。

 消臭ビーズは水分をたっぷり含んだ高吸収性ポリマーである。表面が膜や殻で覆われたもの、例えばトマトや卵を丸ごと電子レンジで加熱したらどうなるか、知らない大人はいないだろう。


 爆発、飛散する灼熱の消臭剤。

 タコヤキプレートに足を挟まれ、マイクロ波加熱されるゾンビ。

 戦況に合わせ、なぜかエレキギターをかき鳴らして盛り上げるのびちゃん。

 もう自分の目が何を見ているのか、理解が追い付かない。


 このまま決着がついてしまうのだろうか。

 俺がそう思いかけたとき、想定外の事態が発生した。

「俺が……俺が原因なのか……? 俺が……」

 タコヤキングに救出された並行世界の俺が、呟きながら立ち上がった。だが、様子がおかしい。

「君! 無理に動かないで! まだ簡単な止血しかしてな……えっ?!」

 すぐそばにいたのびちゃんが吹っ飛ばされた。

「な……」

「今のって!?」

「闇!?」

 そう、もう一人の俺が使ったのは風の魔法ではなく、《闇の衝撃波》だった。

「クソ! こっちも堕ちやがったか!」

「のびちゃん大丈夫!?」

「く……ヤバい! 時計にヒビ入った!」

「マジかよ! 撤退だ!」

「早く集まれ!」

「五秒前……三! 二! 一……っ!」

 カウントゼロで姿を消した五人。

 あとに残されたのは手負いのゾンビ、『闇堕ち』と化したカラカル族の覚醒者、身体の自由が利かない俺である。


 これはいわゆる、絶体絶命というやつだ。


 だが、ゾンビと闇堕ちの眼中に俺の姿はなかったらしい。

 二人はゆっくりと動き出すと、惹かれ合うように歩み寄った。

 歩調を速め、駆け出し、そしてそのまま、真正面から拳と拳をぶつけ合う。

 人間の視力では捉えることのできない超速攻撃。拳による猛打の合間に何らかの魔法攻撃も織り交ぜられているようなのだが、俺がひとつひとつの動作を認識するより早く、二人は次の攻撃に移っている。

 しかし、不思議だった。


 確かに俺たちは同期だ。

 同じ隊の仲間だ。

 友達だ。


 だが、それだけだ。


 ランディ・ヤンとケント・スターライトの関係は、ただそれだけのものである。なのに、この二人の様子はそれどころではなかった。二人からあふれ出す感情は怒りや憎しみではない。悲しみや哀れみとも違う。見つめ合った視線のぶつかる場所。そこに生まれるものはもっと熱く狂おしく、激しく心をかき乱す、歯止めの利かない情動で――。

(……あ……? いや、まさか……?)

 気付いていたが、気にも留めずに流していた。

 並行世界の俺の、ドアノブを掴み損ねた宙ぶらりんの手。その左手の小指には、赤い石の指輪が光っていた。

 地域や種族によって多少意味合いは異なるが、赤い石のピンキーリングは『運命の赤い糸』を示す。結婚も婚約もしていない、場合によっては交際すらしていない関係であっても、それでも『意中の人がいます。告白お断り』という意思を示すために着用する。

 俺は既婚か独身か訊かれることが煩わしくて、偽の結婚指輪をつけて任務に出ることがある。並行世界の俺がつけている指輪も、てっきりフェイクだと思っていたのだが――。

(おい……おいおいおい! 待て! 本気で待ってくれ! なんだ!? そっちの世界の俺とあいつはデキていたのか!? いや、ありえないだろ!? こっちとあっちの運命の分岐は、この亜空間での出来事によって発生したものであって……どうなっている!? それも『可能性の一つ』ということなのか!? だって、メルポール丘陵の件以前に、そんな空気になったことは……)

 なかったはずだ、と思って記憶を総浚いしてみると、そうでもなかった。

 若気の至りか、その場のノリか。泥酔した勢いで自慰行為を見せ合ったり、同期飲みの罰ゲームで互いの下の毛を剃ったり、賞金目当てで三十分耐久ディープキス選手権に出てしまったこともあった。

 こちらの世界では二人揃って元気に生還し、もう一人の同期ナイルを交え、更なるおバカ行為を日夜量産しながら中年になった。そのため、それらの記憶は数ある黒歴史の一部と化している。

 だが、あちらの世界に『その先の出来事』は無かったのだ。

 もう二度と会えない相手を思い出すうちに、面白おかしく、楽しく過ごした若かりし日の思い出が美化されていくことは避けられない流れだったのだろうが――。

(だからってそれは勘弁してくれよ! よりにもよってそいつかよ! それ、絶対に赤い糸結んじゃいけないクソ野郎だぞ!?)

 ケント・スターライトが巻き起こした二十数件の避妊失敗騒動とその後の揉み消し工作は、あちらの世界には存在しない。あちらのケントは誰のパパになることも、誰に堕胎手術を強要することも無く、若く綺麗な青年騎士のまま死んでいったのだ。

 その結果、綺麗なケントはゾンビになり、薄汚いクソケントは今も元気に生きている。

 ああ、なんという運命の皮肉。

 と、そこまで考え、俺の中に一つの想いが沸き起こった。


 こんなクソッタレな運命をぶち壊すことこそ、この俺に託された大いなる『使命』なのではあるまいか。


 互いの全力をかけて、歳月が肥大化させた情念をぶつけ合う二人。それが愛なのか、恋なのか。はたまたそのような感情であると誤認した別物なのか、それは俺には分からない。だが、既に闇に呑まれて正気を失いつつある状態で話し合い、分かり合うことなど不可能だった。彼らはその命が尽きるまで、自分自身でも理解しきれない複雑な感情を、相手に向けて衝動的に叩きつけることしかできないのだろう。

 この最悪な状況に居合わせた俺にできることはただ一つ。この亜空間そのものを破壊して、何もかもを『なかったこと』にすることだけだ。


 やるなら今だ。

 俺は『仕込み』を終えた技を発動させた。

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