そらのそこのくにせかいのおわり(改変版)3.5 < chapter.3 >
午後三時からの講演会には侯爵とその友人など、計十八名が参加していた。貴族主催の『勉強会』の類としては中程度の規模である。
参加者はいずれも知性派として知られる人物ばかりで、教授の話についていけない貴族は一人も居なかった。ただ、やはり実体験が伴わないせいか、亜空間と並行世界の違いについては反応がイマイチである。
教授が質問のための時間を設けると、予想通りのトンデモ質問が次々飛び出してきた。
並行世界と異世界、亜空間ゲートとタイムトンネル、召喚用ポータルと呪陣を混同し、なおかつそこに独自見解を上乗せした質問をしてくるのだ。身分もプライドもめっぽう高い貴族を相手に、教授はひとつひとつ、丁寧に違いを説明していく。
なんて気が遠くなるような作業なのかと、他人事のように考えていたときだ。
参加者の一人が何気なく振り向き、俺を見て「あっ!」と声を上げた。
「君! 私が時空間断裂に落ちてしまった時、助け出してくれた隊員さんだよね!? 特務部隊の……」
ああ、そういえばそんなこともあったなぁ。
俺が十年以上前の出来事を完全に思い出す前に、他の貴族たちもバッと振り返った。
「彼が『あの隊員さん』かね!?」
「なんと! まさか本人が来ていたとは!」
「教授もお人が悪い! こんなサプライズをご用意されているなんて!」
おい、なんだ。
どういうことだ。
俺は何も知らないぞ。
そんな顔をしているのは教授も同じである。
教授は眼鏡の向こうで小さな目を何度も瞬かせ、手元の資料と俺の顔とを見比べている。
「君が『メルポール丘陵の時空間断裂』から生還した特務部隊員? 確かに似ているとは思っていたけれど……君の名前、シアンだよね?」
「それは情報部員としてのコードネームです。特務部隊時代に名乗っていた名前はランディ・ヤンです」
「ランディ・ヤン! そうか! 君がランディか!!」
それからのお祭り騒ぎは、まるで誰かのバースデーパーティーだった。
参加者たちの話によると、この『勉強会』発足のきっかけは先ほど声を上げた貴族である。彼は乗っていた馬が暴走し、危険な時空間断裂に近付いてしまった。そこにたまたま俺が通りかかり、出鱈目に駆け回る馬を追いかけて――。
(あー……思い出した。夢中で追いかけていたから、裂け目に気付かなくて、一緒に落ちたんだよな……)
メルポール丘陵に存在する時空の裂け目は非常に有名で、うっかり落ちた者は誰一人として生還していない。
少なくとも、俺たちの前には。
そう、有史以来誰も助かっていない時空間断裂で、俺たちは『最初の生還者』になってしまったのだ。
俺の後ろにナイルとラピスラズリがいたのが不幸中の幸いだった。ナイルは咄嗟に《緊縛》を使い、魔法の鎖をラピの腹に巻き付けた。ラピはその状態で亜空間に飛び込み、俺の手を掴んでくれた。あの亜空間には強風が吹き荒れていた。ナイルの命綱で繋がれていなければ、あっという間にどこかへ吹き飛ばされていただろう。
俺とラピは風の魔法で強風を相殺し、一時的に無風状態にしてから貴族と馬を救出した。
あの場で人命救助ができたのはただの偶然だ。
風の使い手が二人いて、男三人と馬一頭の重量を支えられる天才ゴーレムマスターがいた。そして落ちたタイミングがほぼ同時だったからこそ、俺とあの貴族は散り散りに飛ばされることなく、互いに視認できる距離に浮いていたのだ。
いくつもの偶然が重なり合った、幸運な結末。
これを自分たちの実力で解決した案件と同列に語るわけにはいかない。
九死に一生を得た経験から『勉強会』を立ち上げる気持ちはよく分かる。だが、俺たちを英雄視されても困る。俺はその気持ちを率直に伝えたのだが――。
「か……格好良い……っ!」
「なんて謙虚なんだ!」
「素晴らしい人格者だ!」
「クールすぎる……!」
「会えてよかった……!」
何故だろう、まったく通じていない。
貴族らと教授の要請により、俺はその時のことを詳しく話す破目になった。
急遽登壇し、時系列に沿って当時の状況を説明していく。
(……あれ? そういえば、あのとき使った魔法は……?)
自分の口から語られる話。しかし、それを聞く自分の耳は、心は、『それは違う!』と声なき声を上げている。
表面上は冷静さを保てていたと思う。けれども心の中では、とんでもない事実にこの世の終わりのような衝撃を受けていた。
あのとき、俺は亜空間の持ち主である『神』に殺されたはずなのだ。
いや、俺だけではない。
俺を助けるために飛び降りてきたラピも、あの『神』に殺された。俺より先に死んで、俺はラピの死体を盾代わりに、なりふり構わず逃げようとして――。
(俺は……そうだ。俺はそこから逃げ延びていない。背中を撃たれて死んだはずだ。どういうことだ? なぜ……なぜ、俺の頭の中には『二種類の記憶』が存在する……?)
ここで俺は気付く。
俺が助けようとしたのは、この男ではない。
この男の顔は、俺を殺した『神』の顔である。
俺がそれに気付いた瞬間、世界が止まった。
人々はマネキンのようにピタリと動きを止め、世界から一切の音が消えた。
今この世界の中で動いているのは、どうやら俺一人のようだ。
「……機械類も全滅か……?」
腕時計を見れば、秒針が止まっている。通信機も使用不能。ボイスレコーダーや機械式の起爆装置の類も、どこを触ってもうんともすんとも言わない。
試しにいくつか魔法呪文を唱えてみたが、発動する気配はなかった。
「これは……何をどうすれば元に戻るんだ……?」
何よりも怪しい人物、亜空間から救出した貴族に触れてみるが、石像でも触れているような硬質な手触りである。他の人間も同様で、熱くも冷たくもなく、人間の体温のまま動きを止めている。俺が触れることで何かが動いたり、変わったりすることは無いようだ。
俺はその場で十分ほど待ってみたが、状況に変化は見られなかった。
「……他に動いている人間を探すか……」
外に出れば何かが分かるかもしれない。
そう思って扉を開けた俺は、その先にありえないものを見た。
「……え?」
俺がいる。
まったく同じ顔でポカンとこちらを見ているものだから、俺はそこに鏡があるのかと思った。
しかし、すぐに違うと気付いた。
扉を開けた俺はドアノブを握っているが、目の前にいるもう一人の俺は掴もうとしたドアノブが動いたせいで空振りしてしまい、なんとも半端な位置で手をプラプラさせていて――。
「……確認させてもらおう。そちらの世界の状況は?」
「俺以外の全員がフリーズしている」
「並行世界の『勉強会』の最中か?」
「そうだ。助け出した人間の顔が違うと気付いたら、その瞬間に停まった」
「こちらも同じだ。なんだ? 並行世界ってのは、『別の状況』が同じ時間の流れで進行しているハズじゃあないのか?」
「教授の説明では、そのハズだったよな? ええと……なんというか、自分に向かって話しかけるのは妙な気分だな。何て呼べばいい?」
「普通にコードネームで良いんじゃないか?」
「両方同じ名前じゃ分かりづらくないか?」
「なら、こっちがシアンでそっちがランディでどうだ?」
「シアン? それがコードネームなのか?」
「そちらは違うのか?」
「ああ。俺のコードネームはラピスラズリだ」
「なに? それなら、ケント・スターライトはどうした?」
「どうしたも何も、ケントはメルポール丘陵で死んだだろう? 俺を助けようとして……」
「そうか。そちらの世界ではケントは死んだのか」
「ん? おい、どういうことだ? そちらでは、ケントは生きているのか?」
「ああ。こちらの世界で『ラピスラズリ』の名前を与えられた情報部員は、ケント・スターライトだ」
「……嘘だろ? どうやって二人揃って生き延びた? 俺はあいつの死体を盾にして、それでなんとか逃げ延びたんだぞ……?」
「それが分からない。俺は殺された。目の前でケント・スターライトも殺された。確かに『死んだ』という記憶がある。なのに、なぜか二人揃って生きている。どう考えてもおかしいんだ。俺の記憶は前後の状況が繋がらない。なんというか……改竄された文書のような、妙な欠落がある……」
「それは……よくわからないが、とりあえず、両方の世界の相違点を探してみよう。そちらに行ってもいいか? 参加者の顔ぶれを見たい」
「そうだな、そうしよう」
それから俺は、並行世界の自分と一緒に双方の世界の『間違い探し』を始めた。
だが、違うところは何もない。
助けた貴族の顔が敵として戦った『神』の顔に挿げ代わっていること以外、注目すべき点は見つけられなかった。
「……こうなると、やはり『メルポール丘陵の時空間断裂』が原因のようだな……?」
「だが、今は機械もゴーレムホースも使えない。現場に行くのは難しい」
「ああ。自分の足で歩いたら、最低でも三日はかかるな。別の手を探そう」
「それなら、当時の状況を書き出してみないか? もしかしたら、決定的に違う『何か』があるのかもしれない。その『何か』を突き止めれば……」
「手掛かりが得られるかもしれないな。よし、やろう」
俺たちは手ごろな椅子を向かい合わせに置き、記憶の『おさらい会』を開始した。