【第2章 4話】
「よしよし。困ったことがあったらなんでも言うんだぞ」
「甘やかしてんじゃないの。
この子はあんたより賢明だし、しっかり者なんだから」
「コーキさんとテルティウスさんはホントに仲良しですよね。
普通の兄弟ってそんな感じなのかなって羨ましくなります」
笑顔を作るシャルロッタだが、その表情は陰ってしまう。
シャルロッタの家系は近隣部族の支配者。
後継の座を巡って、親族内で陰惨な争いが絶えなかった。
実際にシャルロッタが命を落としたのは、実の兄と妹の共謀によるものだ。
一族でも抜きん出た力を備える反面、政治的なセンスが欠如していた彼女は、周囲の嫉妬と憎悪を一身に受け、事ある毎に「役立たず」と罵られ続けてきた。
「余計な欲が絡むと、兄弟姉妹もややこしくなるもんさ。
俺の親戚もややこしかったからな。こ
んな可愛い弟がいてくれたらなって心底思うよ」
何気なく告げる光輝。
シャルロッタは少し明るくなった顔で、「ありがとうございます」と心遣いに礼を述べた。
「それより兄さん、聞いてくれた? 僕達、兄さんのチームに編入されるんだよ」
ハグを解きながら、満面の笑顔を見せるテルティウス。
「チーム編成はまだ確認してなかったな。ゲナンディ達の代わりか。
ん、僕達って?」
「はい。もうひとりは、わたくしです」
少し離れたところから、少女が歩み寄ってきた。
藍色の髪は腰に届くくらいの長さ。
丁寧に梳かれていて、キラキラと光を発しているようだ。
瑞々しく輝く黒い瞳。柔らかそうな唇は淡い桜色。肌は透き通るほどに白い。
身につけているのは和服、小袖袴を思わせる格好だった。
上着は襟を合わせる着物らしい形状。
控え目に膨らんだ胸元の下、着物よりは高い位置で細帯留めされている。
袖は小さく腕をゆったり覆うくらい。
下も古風な袴というよりは、大きめのズボンという感じ。
裾は足首で軽く紐止めしてあった。足元は皮製のシューズ。
「パトリツィア・流歌・レグレンツィと申します。
ミドルネームで流歌とお呼びください」
柔らかな笑みを添えて、深々と頭を下げた。
シャルロッタとクゥ・リンが慌てて立ち上がり、簡単な自己紹介を済ます。
「新入りさんよね。昨日の戦いにも参加してた」
「はい。流石はクゥ・リンさん。千里眼のふたつ名通りですね」
「お世辞はいいわ。
それより、どうやってこの子をコントロールしてたか教えてくれない?
まあ秘密ってなら無理に聞かないけど」
ちらりとテルティウスを見やりながら尋ねる。
「簡単に言えば音です。わたくしには音を操る力があります」
言いながら指を鳴らす動作をした。
不思議な事にテーブルの隅、全く違うところでパチンと音が出る。
「半径五キロくらいであれば音を届けたり、音を聞いたりすることができます。
他にも小さな音を大きく響かせたり、逆にくぐもらせてボリュームを下げたり、音を作ったりもできます」
「あたしの千里眼の聴覚バージョンね。でも、それだとうるさくて大変じゃない?」
「いえいえ。遠くの音が聞こえるのではなく、その地点の音を拾える感じです。
例えば、一キロ離れたところの音を聞こうと思えば、そこに自分が立っているような感じで音が聞こえます。
まあ、一応は普通の人より聴覚が強いですけど」
「なるほど。超感覚というよりは、音を対象としたアポーツやアスポーツの変種という感じなのね。
どんな脳構造になってるんだろ。見てみたいわ」
「こらこら。お前は猟奇人間か」
「失礼ね。ちゃんと節度を守って解剖するわよ」
「あの、ちょっと待ってください」
シャルロッタが遠慮気味に挙手。
「テルティウスさんと遭遇した時、変わった音が聞こえたりしなかったんですけど」
光輝とクゥ・リンが揃って口を噤む。
少し考えて。
「おそらくだけど、可聴範囲外の音ね」
「多分だが、人間には聞こえない音じゃないか」
同じ結論に辿り着いた。
「はい。おふたりの仰る通りです。
わたくしは人に聞こえない範囲の音も操れます。
テルティウスさんがとても嫌う音がそこにあるんです」
「そうなんだ。だから流歌と組めば、僕も少しは役に立てるよ」
「バカ言うな、お前の役目は戦いじゃないぞ。
もっと色々と助けてくれないと困るからな」
「僕に戦い以外を期待してくれるのは兄さんだけだよ。
そういうところが大好きなんだ」
微かに頬を赤らめながら両手を広げて、再び抱きつく。
「こらこら甘え過ぎだぞ」
「と言いつつも、満更でもないって面してるわよ。
何? そういう趣味なの?」
クゥ・リンの茶化しに、シャルロッタが「え?」と顔を強張らせた。
「んなわけあるか。
こんな可愛い弟分に懐かれたら誰でも嬉しくなるだろ」
「まあ、そりゃそうね。
ほら、テルティウス。あたしもハグしてあげるわ」
「あ、それはいいです」
「何それ。ちょっとムカつくわね」
丁寧語で即否定され、露骨にむくれるクゥ・リンに緩い笑いが起こる。
「にしても、テルティウスとマルグレット。
ヴァルハラ最強のツートップが揃ったわけか。
これなら実戦部隊とやらがどんなものでも、まずは安泰ってところだな」
「っと、それよ。実戦部隊を知らないとかありえないわよ。
ここについた時にマニュアル渡されたでしょ」
「やっぱりあれ、読まないとダメなやつか」
約半年前。
元の世界で命を落とした光輝は、気が付くとハーディンの前だった。
ヴァルハラについて軽く説明されたあと、目を通しておくようにと小冊子を渡されていた。
「結構ページあったからな。
困った時に開けばいい物、と自己完結しておいたんだよ」
「その判断基準が意味不明なんだけど。ま、コーキらしいからいいわ」
大仰に溜め息をおいてから続ける。
「そもそも、あたし達エインヘルアルってなんの為に存在してるか解ってる?」
「難しいな。
そういう哲学的な話だと、考える故に我ありみたいな?」
「コーキ、あんたって阿呆なの。阿呆でしょ。阿呆以外の何者でもないわよね」
「いつもより失礼度をアップした三段活用してんじゃねえよ」
「兄さん、僕達エインヘルアルは神の使いとしての役割があるんだ」
「なんだそれ」
光輝はつい眉を顰めてしまう。
「コーキさん、変な意味じゃないんですよ。
この世界にも人間がいるらしいんです。
あ、ヴァルハラからは凄く遠いところみたいなんですけど」
「彼らは普通の人ね。
あたし達みたいに不死でも、強力な力を持っているわけでもない」
「つまりは一般人ってわけか」
説明を咀嚼しながら、「こういう表現はマジ嫌いだけどな」と愚痴を付加する。
「で、ここは人間と神様の距離が近いの。
人間は信仰心が厚く神様を常に讃えてる。で、神様もそれに答えて、色々と助力してくれるの。
天候を操って生活を助けたり、ね」
「随分と過保護な神様もいたもんだ。
俺の世界じゃ、宝くじすら当ててくれないのによ」
「そこが難しいところなの。
あたしの研究によると、神様の力と人々の信仰心は密接に関係してるみたいなの」
「信仰が集まれば集まるほど、神とやらの力は強くなるってことか。
その力の一部を還元して、更に信仰を集める。
いい循環じゃないか。牧場主と家畜の関係そのものだな」
強烈な皮肉に、シャルロッタの表情が暗くなる。
彼女も《竜の巫女》という立場、他人を支配し搾取する側の人間だったからだ。
「違う、シャルロッタ。お前の場合は上も下も人間だろ。
平等じゃないかもしれないけど。
それはそこに住む人が自分達で作り出した統治形態のひとつだ。
神だのと名乗る超常の存在が支配するのとは、根本的に違う」
ぎゅっと拳を握る光輝。
そんな彼の背中に小さな賢者がそっと触れる。
「コーキ、熱くなんないで。
あんたの世界での価値観は、そうだったんでしょうけど。ここはそういう世界なの」
「わたくしには光輝さんの仰ることが、少しですが理解できます。
信仰は文化として大切なもののひとつです。
が、その対象となる存在が生活に多分な影響を及ぼすようでは、人間としての尊厳が失われる。
悪く言えばその存在に依存してしまう」
澄んだ声で噛み締めるように流歌が語った。その論は正鵠を射ているのに近い。
「そんな難しく考えてないんだけどな。
ただ、上からの言いなりになっちまうのが気に食わないし。
何よりその状況を普通として受け止めてるのがつまんねえ。
まあでも、それでダラダラ遊んで過ごせるなら、神様バンザイでいいけどな」
冗談で適当に茶化すと、「で、神の使いってのは、結局なんなんだ?」と本筋に戻した。
「僕と賢者様でこの世界の書物や記録を調べているんだけど。
神様の影響もあって、非常に豊かでモラルが高いんだ。
政治は腐敗してないし、大きな争いも起こらない」
「でもね、災いがないわけじゃないの。
凶悪な魔物が出現したり、私利私欲で戦乱を求める者が出たり、非道な犯罪者が生まれる場合もある。
基本的には人間で対処するんだけど、手に負えないと判断した場合は神に助力を求める」
「それに応える形で派遣されるのが、僕達エインヘルアルなんだよ。
僕達は選りすぐられた存在で、しかも不死身だからね。
人間じゃ相手にならないし、大抵の魔物も屠れる」
「でも神様の遣いなんだから、ヘマは打てないわよね。
だから、対処するのはエインヘルアルでも精鋭チームだけ」
「おい。ちょっと待て」
不吉な着地点を予想して光輝が止めようとするが、クゥ・リンは容赦しない。
「どんな困難にも対処できるエインヘルアルでも屈指のエリートチーム。
それが実戦部隊と呼称されるの」
「確か、三つのチームが実戦部隊とされているので、私達で四つ目になると思います」
シャルロッタの補足に、光輝が頭を抱える。
「ハーディンの野郎め。大変なところに俺を放り込みやがったな」
「ことの重大さが解った? にしても、ハーディンってなかなかの策士ね」
「っていうか、なんでお前らは、そんなに落ち着いていられるんだ?」
あくまで平常心に思える面々に、光輝は疑問を投げるが。
「コーキさんなら大丈夫です。私、信じています。
それに私も全力を尽くします」
「僕は兄さんを高く評価しているんだ。絶対に大丈夫だよ」
「テルティウスさんが断言できるんですから、わたくしも確信しています」
「ま、最終的な責任を負うのはリーダーなんだし。あたしは気楽なもんよ」
「お前ら……。いや、お前だ。お前は特に悪魔か!」
「あら、センスのない言葉ね。
悪魔じゃなくて賢者よ。ちょっぴり小悪魔かもだけど」
ふふんと鼻を鳴らすクゥ・リン。
「安心なさいな。実戦部隊が投入される案件なんて滅多に発生しないし。
そもそもよ。
どう考えても実力不足のあたし達までお鉢が回る、なんてことないでしょ」
「そうだ、そうだよな。所詮はただの締め付けだよな」
光輝が口元に笑みを作り掛けた瞬間だった。
「光輝、厄介な案件が発生した。
他のチームが出払っていてね。急で悪いが、対応してもらうことになった。
出撃は明日。チームメイトに準備するよう伝えてくれないか」
頭の中にハーディンの声が届いた。
「ん? コーキ、どうしたの? 顔、真っ青よ」