【第2章 2話】
「あんたが周りに言われるより、賢明な人間なのは知ってるけど。無用心ね。
そんな誰かさんがいるとしたら、どういう立場なのか。
どういう相手を邪魔と感じるのか。邪魔な存在をどうしようとするのか。
目一杯悪い方向に想像してから、口にするように注意なさいよ」
「はは、なんか怖い陰謀論になっちまうな」
「ま。魔法とやらは万能じゃないってとこなんでしょうけどね」
大袈裟に肩を竦めると、「そのうちエネルギーも互換できるようになるわよ」と楽観を継ぎ足して、再び歩き始める。
ぐるぐると螺旋通路を進む事約十分。
突き当たりに両開きの大きなドアが見えてきた。
大食堂だ。食欲をそそる香辛料の匂いと、心を騒がせる喧騒が聞こえてくる。
光輝は歩速を上げてクゥ・リンを追い越し、向かって左側のドアを軽く押す。
重厚な見かけとは裏腹に、音もなくドアがスイングした。
食堂内はかなり広い。簡素な椅子を並べた六人掛けの木製テーブルが奥に向かって十台並ぶ。
それが四列。一度に二百五十人近くが入れる計算だ。
各テーブルには白いクロスが掛かり、人がふたり歩けるようなゆったりした配置。
昼食時という事もあり利用者は多い、半分強の席が埋まっている。
適当な席を探していた光輝とクゥ・リンは、最右列、奥から二番目のテーブルに親しい顔を見つけた。
ボサボサ髪の野生的な顔をした少年だ。
簡素なシャツとズボンを着て、腰の後ろに二本の手斧が下げてあった。
その前、光輝達に背を向ける状態で座っているのは、こざっぱりした白いシャツの青年。
背中の中央で軽く束ねられた金髪が揺れている。
「おう! コーキ、クゥ・リン。今から餌か。こっち来いよ」
向こうも光輝達に気付いたらしく声を上げる。
対面の青年も振り返って破顔した。
「よう、ゲナンディ、アポロ。邪魔するよ」
「あんた達、ホント仲いいわね。何? できてんの?」
呆れるクゥ・リンに。
「気持ち悪い冗談は止めろ。俺にそういう趣味はねえよ。根っからの美女好きだ」
「仲良きことは美しきかな、というけどね。
僕としては野蛮なこいつと一緒くたに扱われるのは、心底迷惑しているんだよ」
揃って軽口を返した。
ゲナンディの前には大皿がひとつ置かれ、骨付きの肉と茹でたジャガイモが乗っていた。
これをワイルドに手掴みで食べるのが、彼のスタイルだ。
一方のアポロニウスは綺麗なソースの掛かった魚の切り身。こんがりと焼けた丸いパン。それにマッシュポテト。
それぞれが別皿。加えて水の入ったガラスの器がある。
それぞれの料理を指先で摘んで口に運び、ガラス容器の水で軽く洗浄。
テーブルクロスで拭くという作法だ。
「身体の方は、もう大丈夫なのか?」
尋ねながら光輝は奥、ゲナンディの隣に腰を下ろす。
クゥ・リンはその前に座った。
「目が覚めたのは二時間くらい前だね。もちろん、傷のひとつもなく万全だよ」
柔らかい表情で答えたのはアポロニウス。
エインヘルアル最大の特徴は不死性にある。
生命活動を停止したエインヘルアルは、八時間ほど経つと光になって消滅する。
それから肉体と魂の再生が開始。
丸一日もすれば元通り、自分の部屋で目が覚める。
この回復力は凄まじく、塵ひとつ残らない状態まで破壊されても、何事もなかったかのように復活する。
「肉体はともかく精神的には大ダメージだぜ。
このゲナンディ様ともあろうものが、手も足も出ずに一蹴されちまうとはな」
「テルティウス相手に、あそこまで戦えるなんて大したもんよ。
コーキなんて、逃げ回ってるだけだったわよ」
「敵わない相手には一旦逃げて機会を待つ。これがプロのやり方だ」
不敵な表情を作る光輝に、クゥ・リンは呆れるしかない。
「プロってのはホントに凄いわね。脳を分解して色々と調べてみたいわ」
「そんなことしたら死んじまうだろ」
「ゴチューモン・ドゥゾー」
片言の喋りが割り込んできた。
デザイン人形を一メートル半くらいまで大きくしたような、奇妙な物がテーブルの脇に立っていた。
給仕業務を行う人形の一体だ。
食堂内を見渡すと、十体ほどの人形がオーダー取りや料理の運搬で動き回っている。
「あたしはシチューと、挽き肉の団子蒸し。オレンジソースでね」
「俺はいつも通り、カレーライスの大盛り」
「カシコマーリ・ヨルコンデー」
怪しい日本語と共に、首を上下にカクカク。
それから踵を返したところで。
「ちょい待って。コーキ、あんた野菜不足よ。生野菜のサラダ追加ね」
「カシコマーリ・ヨルコンデー」
「勝手に注文すんな。カレーは完全栄養食なんだ。他には何も必要ないんだ」
「サラダ、大盛りでね。ドレッシングは少なめ。あとトマトも沢山入れて」
「カシコマーリ・ヨルコンデー」
「人の話を聞け! っていうか、お前もオーダーを素直に受けてんじゃないよ」
「はい。もう行っていいわ。サラダ、超特盛りでね」
「カシコマーリ・ヨルコンデー」
カタカタと身体を揺らしながら不恰好に走っていく。
入り口から見て右奥の隅に、シンプルなドアがあり、そこから先が厨房になっているらしい。
光輝ががっくりと肩を落とす。
「言ってるだろ。俺は生野菜と果物が苦手だって」
「プロが好き嫌いしてどうすんの。
バランスのいい食事が健全な精神に繋がるのよ。まあ、もう手遅れっぽいけど」
「失礼なこと言うな。だからお前と飯食うのは嫌なんだよ」
つい泣き言になってしまう。
「コーキ、賢者様直々に心配してもらえるなんて、羨ましい限りだぜ」
骨に付いた肉を牙でこそぎながら、意地の悪い表情を浮かべるゲナンディだったが。
「は? 何言ってんの? あんたも食べんのよ、野菜。
獣人だから肉だけでいいなんて、あたしは許さないからね」
途端に恨みがましい顔になった。
「あんたもよ。気配消してるつもりでしょうけど」
アポロニウスが力なく「はは」と笑う。
「まったく、揃いも揃って偏食野郎共なんだから」
◇◆◇◆◇◆◇◆
「やっぱり狩りだ。
野宿しながら何日も続けるのは最高だぜ。美味い獲物も手に入るし」
「休みも身体動かすなんて、あんたらしいわね。はい、野菜食べなさい」
「僕は書物を読んだりもするけど、植物を育てるのが楽しいね。
僕の居住空間には、小さいながらも庭があるんだ。今度、招待するよ」
「あら、いいわね。植物は薬の材料にもなるし。はい、野菜食べなさい」
相槌の隙間隙間で、クゥ・リンが野菜サラダを各々の取り皿に放り込んでいく。
みんなうんざりしつつも口に運ぶしかない。
「お前らも色々と楽しんでるんだな」
「コーキはゲームしてばっかりよね。はい、野菜食べなさい」
食事の話題は余暇の使い方だった。
エインヘルアルは、館からの外出は原則禁止。
ただし、賞金を使って森や海のような空間で過ごす事はできる。
人間などの知的生物はいないが、いわゆる普通の動物は存在する。
ゲナンディのように狩りだって可能だ。
また居住スペースの広さも個人差があるようで、中には豪邸のような者もいる。
「生野菜、マジ苦手なんだけどな」
カレーライスを金属スプーンで食べつつ、箸に持ち替えてサラダを頬張る。
クゥ・リンはと言えば、木製の大きなスプーンを器用に操って、実に効率よく食べ進める。
全員に野菜を配りつつも、自分の分はほぼ完食している状態だ。
「あたしは調べ物したり、魔導昆虫の培養してることが多いわね。
もうちょっと資金があれば助かるんだけど」
クゥ・リンの愚痴に、ゲナンディとアポロニウスが頷いて同意する。
「だよな。森での狩りって高いんだよな。ハーディンの野郎、足元見やがって」
「綺麗な花を咲かせるには肥料や薬もいるしね。
季節に応じて入れ替えしようと思えば、やっぱり先立つものが必要だよ」
「三十一連敗という偉業を達成した状況は厳しいってことか。みんな大変だな」
あくまで他人事に近いコメントをしながら、光輝はなんとなく視線を感じ周囲を見回す。
どこからか直ぐに解った。
入り口付近のテーブルの端っこで、ちらちらとこちらを伺っている少女がひとり。
ゆったりとしたブルーのワンピースに、一本角を思わせる特徴的な髪飾りを頭の左側につけている。
「シャルロッタ、こっちで一緒に食べないか?」
コーキが声を掛けると、バネ仕掛けの玩具のように立ち上がった。
あたふたと駆け寄ってくる。
「あの、その、本日はお日柄も良く、だから、えっと、お招き頂いて光栄の極みです」
ごにょごにょと意味不明の言葉を並べると、全員の顔をきょろきょろ見回し、クゥ・リンの隣にちょこんと座った。
「シャルロッタも身体は大丈夫なのか?」
「はい。でも、死んだ自覚がなかったので、起きてびっくりしました」
オーダーをとりに来た人形に、サフランライスとチキンのトマト煮込みをオーダーする。
「やっぱりメニューも翻訳されてるんだろうな」
「そうね。自分達の世界にある近いものに置き換わっているんじゃない?」
「なんの話だ?」
疑問符を浮かべるゲナンディに、光輝は文化の壁について簡単に説明するが。
「気にしたことねえな。どうでもいいんじゃねえか、そんなの」
「そうだね。僕も意思疎通ができているなら、十分だって思うよ」
ゲナンディとアポロニウスには、あまり響かなかったようだ。
「お前らは適当だからな。面白い意見が聞けるとは思ってなかったよ。
シャルロッタは不思議に思わないか?」
「私は動物や魔物とコミュニケーションできる薬を作れますから、特にはないです。
あの、それよりも、その」
やや言葉を揺らしたかと思うと、いきなり「すいませんでした」と深く頭を下げた。
テーブルにぶつかった額がごつっと、痛そうな音を立てる。
「おい、どうしたんだよ。俺達、何か謝られるようなことあったか?」
光輝にそう言われ、シャルロッタが顔を上げる。
なかなかの強打だったらしく、額は赤くなり、緩い目尻には涙が溜まっている。
「昨日の負けのことじゃない? 宝珠を預かった手前、責任を感じてるんでしょ」
「なんだよ、そんなことか。
シャルロッタ、俺達はお前のせいで負けたとは思ってないよ」
「勝負ってのは運だ。
っていうか、終わった戦いなんて、もうどうでもいいぜ」
「チーム戦だからね。勝てば全員の頑張りだし、負ければ全員の責任だよ」
「《千里眼の賢者》たるあたしの目にも、あんたに責任があるようには見えないわね」
「うう、ありがとうございます」
四人のコメントに感激して、さっき以上に深々と礼をする。
当然というべきか、さっき以上の音がごつんと起こった。
「このチームは適当だからな。あんまり背負い込むなよ」
おでこを押さえながら「痛たた」と涙ぐむシャルロッタに、光輝は気軽に告げる。
「はい。ありがとうございます。このチームは、みなさん優しい人ばかりです」
エインヘルアルは五〜十名毎のチームに分けられている。
チームの編成は、ヴァルハラの管理者であるハーディンが行う。
とは言え、彼の独断よりもエインヘルアル達自身の希望に添う形が多い。
以前シャルロッタが属していたチームのリーダーは、メンバーの行動成否を明確にする方針だった。
反省点として次回に生かす為のもので、失敗を理由に責め立てるような事はしなかったが、それでもナイーブなシャルロッタとの相性は最悪。
失敗する度、深夜の誰もいなくなった食堂の隅っこで沈み込んでいた。
ある日、夜食を食べに来た光輝にばったり遭遇。
「なら、うちのチームに来いよ。いい意味でも悪い意味でも気楽で適当なチームだから」と誘われて、三ヶ月前にチームを異動した。
確かにミスをしても叱られないし、居心地はとにかくいいが。
「でも、また連敗記録を更新しちゃってますよね」
「勝ち負けなんて二の次さ。楽しけりゃとにかく正解。それがこのチームだからな」
光輝の意見はダメ方向に偏ってはいる。
しかし、ゲナンディとアポロニウスは頷き、クゥ・リンも小さな肩を竦めて諦観交じりの消極的同意を表した。
その反応にシャルロッタの表情も緩み掛けるが。
「バカを言うな。負けてばかりでいいはずないだろうが!」
辛辣なひと言が飛んで来た。
マルグレットだ。
首元までボタン留めした薄黄色のシャツに、動きやすい裾の絞ったズボン。
腰には刃渡り三十センチ近い片刃短剣。
肩から背中を覆うハーフマントには、舞い散る花弁が丁寧に刺繍されている。
背筋を伸ばした隙のない歩き方でテーブルまで来ると、大きく膨らんだ胸の前で両腕を組んだ。
長い銀髪を下ろし、きつい印象が幾分か薄れてはいるが、それでも威圧感は十分。
「そんないい加減だから勝てないんだ。改めろ」
「いいだろ。勝とうが負けようが、別にどうってことないんだから」
言い退ける光輝に、マルグレットは細い眉を吊り上げ、ブルーの瞳で睨みつける。
「なんだと?」
「プロの俺に言わせれば、こんなのゲームと一緒だ。ムキになるようなもんじゃない」
光輝がマルグレットの視線を押し返す。
剣呑とした空気が次第に純度を高めていく。
シャルロッタは不安そうにふたりを見つめるしかできなかった。
一方でゲナンディは掴んでいたジャガイモを皿に戻す。
アポロニウスもテーブルクロスで指を拭った。
不測の事態に対応する準備だ。
「やめなさい、まったく」
クゥ・リンが苛立ちの滲む声を上げた。
「コーキ、こういうところで安っぽいケンカするのがプロってことなの?」
「まさか。俺にそんな気はないよ」
「マルグレット、こういうのが聖騎士様の誇りある振る舞いなの?」
「冗談を言うな。私は意見交換をしただけだ」
心なしか空気が弛緩したのを感じ取り、シャルロッタがほっと息を吐き出した。
「マルグレット、お前最近おかしいぜ。前はこんなじゃなかったろ」
「話くらいは聞くよ。僕達はチームメイトとして、ずっとやってきたんだから」
ゲナンディとアポロニウスの言葉に、マルグレットはふんと鼻を鳴らす。
「ここまで負けが続けば、誰でも気に病む。のうのうとしてるお前らがおかしいんだ。
ま、今となっては、どうでもいいがな」
妙な言い回しだった。
テーブルについているメンバーが目配せし合うのを眺めつつ、マルグレットがわざとらしく続ける。
「正式発表は夕方になるが、まあ言っておいてもいいだろう。
チームの再編成が告げられた。ゲナンディとアポロニウス、お前らには希望通り外れてもらう」
「え? どういうことですか?」
思わず声を上げたのは、シャルロッタだった。
「正直なところ、今のマルグレットにはついていけないからね。
移籍を希望してみたんだ」
「最終決定はリーダーに任せることにしてな」
「さっきハーディンから聞いた。
ふん、願ったり叶ったりだ。それと、もうひとつある」
マルグレットが視線を光輝に移動させ、優越感に満ちた笑みを浮かべる。
「コーキ、ハーディンから直々に話があるらしい」
「随分と嬉しそうな面しやがるな。で、ハーディンがなんの用だ?」
「鈍い奴め。勝ち星なしの三十一連敗。この不甲斐ない成績の元凶はお前だ。
お前の無気力さが周囲に悪影響を与えているからだ。
今までは目を瞑ってきたハーディンも、ついに堪忍袋の緒が切れたというところだろう」
「俺が入ったのは半年前だぞ。それからまだ二十二回しか負けてない」
「二十二回も、だ! それも全てお前のせいだ。
どう考えても看過できんだろう。ヴァルハラからの追放もありえるな」
「つつつつ追放?」
シャルロッタが固まる。