表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
31/34

【第7章 3話】

 両腕を挙げて叫ぶ。

 しかし。

 

「輝け、秘紋ルーンよ! 我を遥か彼方に! 

 輝け、秘紋ルーンよ! 秘紋ルーンよ!」

 

 コマンドワードを何度口にしても変化はない。

 

「どうして、秘紋ルーンが?」

 

 呟きながら、落ちてきた前髪を掻き揚げる。

 そこで動きが止まった。

 微かに震えながら、掌を見つめる。

 白い粉が一面に付着していた。

 

「なんです? これ?」

 

 ぱたぱたと叩くがなくならない。

 まるで次々と湧き出てくるようだ。

 

「そんな。どうして。どうして。どうして」

 

 更に手を動かしながら、ふたりの視線が流歌の顔に釘付けになっているのに気付いた。

 

 指先で頬に触れる。

 ざらりとした感触と共に白い粉が落ちた。

 

「まさか、そんな」

 

 胸元が見えるのも気にせず、乱暴に襟を広げて腹部を確認。

 残酷に刺さったままの短刀を中心に、肌が白く固まり始めていた。

 その速度は圧倒的。

 あっという間に胸元から首筋に達してしまう。

 何が起こっているか、考えるまでもなかった。

 

「こんなの! 嘘、嘘です! 

 い、嫌! 助けて! 誰か! 助けてく……」

 

 恐怖の表情が一瞬にして白に染まる。

 ひと呼吸の間もなく、無情に崩れ落ちた。

 残ったのは着衣と武具、そして大量の塩だけ。

 

 光輝とマルグレット、ふたりは呆然とするしかなかった。

 

「結局は俺達と同じってことか」

「ああ、本人は知らなかったみたいだがな」

「駒としてうまく利用されてたんだろうな。

 そう考えると憐れな感じがするぜ」

「私達も似たようなものだがな。

 ん、壁がなくなっている。ドアも戻ったようだ」

 

 再び現れたドアを光輝が確認している間に、塩の山から短刀を二本掘り出す。

 漆黒の刀身は、相変わらず禍々しい光を放っていた。

 

「コーキ、お前が持っていろ。両方だ。

 お前なら私よりうまく利用できるだろう」

「上役のハーディンに渡すさ。

 一本はな。もうひとつは、お守りくらいにはなるか」

「ふん。御利益を期待するような状況には陥りたくないぞ」

「俺も心からそう願っているよ。さて」

 

 陰鬱な空気を打ち払うようにパンと手を打った。

 殊更明るい口調を意識して。

 

「テルティウスを迎えに行くか。

 といっても戦闘モードなら逃げ回るしかないけどな。

 それともリベンジしてみるか、マルグレット」

「ふん。勝ち目のない相手に挑むのは勇気ではない。

 阿呆のすることだ」

 

 想定外の発言に目を丸くする光輝に、マルグレットはくるりと踵を返す。

 

「ちんたらするな。小さくなって後ろからついてこい」

「まったく。なんでお前はそんなに偉そうなんだよ」

 

 首だけで振り向き微笑むマルグレットに、光輝は大仰に溜め息をついた。

 

 

           ◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 テルティウスが重い目蓋をゆっくりと開ける。

 天井板のない剥き出しの梁天井が見えた。

 

 ぼんやりとする意識の中で記憶を遡る。

 どこかの倉庫だ。

 身体が毛布で包まれているという事は、戦闘状態で暴れ回ったのだろう。

 

「テルティウス、気が付いたか」

「気分はどうだ? 水を飲むか?」

 

 光輝とマルグレットが覗き込んで来た。

 

「ううん、大丈夫だよ。ありがとう」

 

 お礼を口に返しながら身体を起こそうとしたところで、脇腹に激痛が走った。

 思わず「う」と呻いてしまう。

 

「動かなくていい。じっとしてろ」

「コーキの言う通りだ。大人しくしてるんだ。

 水でも飲むか」

「相変わらず、マルグレットは気遣いが下手だね」

 

 ずきずきと広がる痛みを堪えて軽口を叩く。

 

「ふん。当たり前だ。

 聖騎士は気遣われる側の立場なんだ」

「威張れることじゃねえだろ。

 ったく、戦う以外はからっきしかよ」

「失礼なことを言うな。

 家事くらいはそれなりにできる」

「え? 嘘ですよね?」

「おい、どうして敬語になる」

「はは。兄さん、知らなかったの? 

 マルグレットは料理と裁縫が得意なんだ。

 その鎧下の刺繍も自分でやったんだよ。

 ね、マルグレット」

「ふん。このくらいはできて当然だ。

 私は聖騎士だからな」

 

 照れたのか微かに頬を赤らめながら。

 

「そ、それより喉は渇いてないか。水でも飲むか?」

「じゃあ、貰おうかな」

「解った。少し待っていろ」

 

 すっと立ち上がると、倉庫の隅にあるシャルロッタの鞄に駆けていく。

 

「ねえ、兄さん。

 事件はどうなったの? 他のみんなは?」

「見事解決したぜ。そりゃもう、俺の大活躍でな。

 シャルロッタ達は途中でリタイアしちまった。

 まあ、俺達エインヘルアルにとっちゃなんてことない話だ」

「ふうん。珍しいね。兄さんがそんな言い方するなんて」

 

 そのひと言に光輝の表情が曇る。

 その変化に気付いて。

 

「ああ、でも見たかったよ、兄さんの活躍。

 凄く格好良かったんだろうな」

「こいつが格好良い? 

 妄想も甚だしいぞ。現実を見た方がいい」

 

 手厳しい評価を添えて、マルグレットがカップを差し出してきた。

 苦笑いを浮かべつつ、受け取ろうとしたところで。

 

「あれ? なんだろ?」

 

 指に白い粉が付着している。

 掌を見ると、覆われるくらい粉まみれだ。

 

 疑問を口にしようとしたテルティウスだったが、光輝達のあまりに沈痛な表情を見て止める。

 自分の身に良くないことが起こっているのは明白だった。

 ある可能性に思い至り、指先を軽く舐める。

 

「塩だね。僕の中にある秘紋ルーンが破壊されているのか。

 じゃあ、もう助からないね」

 

 あっけらかんとした様子に、逆に光輝達の方が黙り込んでしまう。

 

「変な顔しないでよ、兄さん。

 ずっとクゥ・リンと調べてたんだ。

 エインヘルアルという存在について。

 あ、そうか。兄さん達も聞いたんだね。じゃあ、他のみんなも」

「シャルロッタは大丈夫だ。私を庇って死んだだけだ。

 明日には復活する」

「これが秘紋ルーンを書き換える短刀だ。お前は脇腹を深く抉られていた」

「傷が残るってことは、戦闘状態の再生能力と拮抗していたのかな。

 で、戦闘状態が解除されて、身体の構成が維持できなくなった。

 うん、理に適ってる」

「すまない。俺達にはどうすることもできなくて」

「止めてよ。兄さん達に責任はないんだから。

 そもそも一回生き返っただけでも儲けものだと思わないとね」

「テルティウス」

「それに……。

 兄さんは怒るかもしれないけど、僕は早く死にたかったんだ。

 あまり戦うの好きじゃないし。

 でも、もうちょっとだけ、兄さんの役に立ちたかったかな」

 

 無差別に暴れる殺戮兵器が存在価値を持たない世界。

 それこそがテルティウスの理想である。

 だからあの日、気付かないフリをして、毒をあおったのだ。

 

秘紋ルーンの壊れたエインヘルアルは塩の柱になる。

 クゥ・リンは色んな世界の文献から、そう推測していたんだ。

 でも、まさかホントに人間が塩になるなんて」

「テルティウス、俺達にして欲しいことはないか?

 大したことはできないが、それでも」

「それでもできる限りのことはしてみせる。

 だから遠慮しなくていいぞ」

 

 ふたりの顔を交互に見やって、テルティウスが軽く首を傾げる。

 

「なんとなく雰囲気が変わったね。険悪さが薄れたみたい。

 何かあったの?」

「ふたり揃って死に掛けたからな。

 嫌々ながらも俺が協力しやったんだよ」

「どうにもならない状況でな。

 嫌々でも私が力を貸してやるしかなかったんだ」

 

 互いの発言が気に障ったのか、同時に「はあ?」と声を上げる。

 

「すっかり仲良しさんだ。

 クゥ・リンが見たら、きっと安心するね」

 

 屈託なく告げるテルティウスに、ふたりは毒気を抜かれてしまい苦笑を交わした。

 

「じゃあ、折角だし。

 兄さんにひとつだけお願いしていいかな?」

「任せろ。なんでもやってやる」

「実は痛みが辛いんだ。

 だから、僕を殺して欲しいんだけど。ダメかな?」

 

 光輝が息を飲んで動きを止めた。

 その様子にマルグレットが反応する。

 

「私がやろう。大丈夫だ。痛みを感じる暇もなく一瞬で」

「待て。待ってくれ、マルグレット。

 テルティウスの希望は俺だ。俺がやらないとダメだ」

「安心して、兄さん。無理を言うつもりはないから。

 マルグレットでも僕は」

「俺がやる。それで少しでも手向けになるんだろ」

「解った。お前に任せよう」

 

 深く頷くと立ち上がる。

 

「周囲を見回ってくる。敵が残っていないとも限らないからな。

 そのまま外で待っているぞ。終わったら出てこい」

 

 入り口横の壁に立て掛けてあった愛用の槍を担ぐと、振り返るも事もなく外に出る。

 

「兄さん、覚えてる? 

 兄さんの方から声を掛けてくれたんだよ」

「お前、いつも食堂の隅で暗い顔してたからな」

「仕方ないよ。戦いになると僕は無差別に暴れ回るからね。

 しかも鍛錬とか訓練とかしなくても最強だし。

 敬遠されてたんだ。

 普通に話してくれるのはクゥ・リンくらいで」

「あいつはお節介なんだよ。

 ま、仕方ないか。

 元の世界では、ずっとひとりだったらしいからな」

「助手として手伝いもさせられたけど。

 意外と人使いが荒いんだよね」

「賢者ってのは大なり小なり性格が屈折してるからな。

 でも、お前もかなり歪んだ感じだったじゃないか。

 覚えてるぞ。

 弱い奴が気安く話し掛けないで。僕はヴァルハラ最強なんだよ。

 なんて言いやがって」

「そ、その話は勘弁してよ、もう。

 あの頃は、ホントにやさぐれてたんだって。

 だってクゥ・リン以外、僕を恐怖の戦闘兵器としか扱ってくれなかったんだから」

「まあ、でも何故か直ぐに打ち解けたからな」

「うん、兄さんは違うなって解ったからね」

「やっぱり素晴らしい人間性ってのが滲み出てたか」

「はは。じゃあ、そういうことにしておくよ」

 

 あの時、棘だらけのひと言を受けた光輝は心底おかしそうに。

「拳骨が強かったら偉いってわけじゃねえんだ。

 まったく、ガキは素直に甘えて、可愛いがってもらっとけばいいんだよ」

 

 くしゃくしゃと乱暴に頭を撫でたのだ。

 

 確かに戦闘兵器として扱われるのは嬉しくなかった。

 だが、その一方でみんなから恐れられる自分に、ささやかな優越感を持っていたのも事実だ。

 クゥ・リンから遠回しにその点を諌められ、煙たさを感じていた。

 拳骨の強さなんてなんの価値もない。

 ずっと思い続けていた事なのに、いつの間にか忘れていたなんて。

 

「兄さんは僕を子供扱いしてくれたし、最期まで戦闘兵器として扱わなかった。

 敵チームになった時は、必死に逃げてたみたいだけど」

「当たり前だ。

 捕まったら死ぬだろ。プロは死なないからプロなんだ」

「やっぱりプロの定義って良く解らないな」

 

 ずきんと走った痛みに表情が歪む。

 身体の内側を削られているみたいだ。

 

「テルティウス、辛いのか」

「うん。もっと話していたんだけどね。無理みたい」

 

 これ以上苦しむところは見せられない。光輝はずっと気にするだろうから。

 

「兄さん、ホントは人を殺したことないよね」

「クゥ・リンに聞いたのか?」

「まさか。賢者様は余計なことを絶対に言わないよ。

 僕は沢山殺してきたからね。

 そういうの解るんだ。なんとなくだけど」

「安心しろ。訓練は積んでいる。

 苦しまないように一瞬でやってやる」

「うん。

 でも、嬉しいな。兄さんの初めてになれるなんて」

「妙な言い方するんじゃねえよ。気持ち悪くなるだろ」

「あはは。じゃあ、お願いするね」

 

 そっと目を閉じた。恐怖や苦痛の欠片すら見えない安らかな表情だ。

 

 光輝がサバイバルナイフを抜く。

 取り落とさないよう、ぎゅっと握った。

 狙いは首元。外すわけにはいかない。

 慎重に。

 丁寧に。

 素早く。

 渾身の力を込めて。

 

 

           ◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 見上げると、まさに一面の星空だった。

 数え切れないほどの光点がキラキラと輝いている。

 

「この世界にも、こんなに星があったんだな」

 

 コンペティションで夜になった事はあった。

 だが、夜空を見た記憶はない。

 

 ヴァルハラに来た頃は、チームの一員として貢献するのに必死だった。

 リーダーになってからは、連敗から抜け出ようともがいてばかり。

 星を眺めるなんて余裕はなかった。

 いや、そんな無駄は必要ないと思っていたのかもしれない。 

 

「人生の価値は無駄の量に比例する、か。

 意外とその通りなのかもな」

 

 少なくとも生きている事を実感できている。

 

「そう。私は生きている。違う。生かしてもらったんだな」

 

 潔く死を受け入れたわけでなかった。無様に諦めただけだ。

 だから。

 

「五分だけでいい。俺の話を聞いてくれ」

 

 そう言った光輝を、冷ややかに見ていた。

 どんな言葉でも恐怖に萎えた心は戻らない。

 無気力に座り込み、怯えながら最期を迎えるだけ。

 ただ聞き流すつもりだった。

 それなのに。

 

「俺がお前を守る。どんなことがあっても絶対に守ってやる」

 

 あまりに自信に満ちた様子に、つい反論してしまった。

 

「無理だ。流歌はお前より強い。それに流歌の短刀は……」

「それでもだ! それでも俺はお前を守る!

 俺を信じろ!」

 

 今までにない決意のこもった口調に、これまでにない意思のこもった瞳。

 気圧される形になったマルグレットは、つい頷いてしまう。

 

「よし。お前が俺を信じてくれれば、なんとかなるな」

 

 手を叩いて喜んで見せた。

 

 絶体絶命。

 どう考えても勝ち目のない状況なのに、どうしてこんな暢気にいられるのか。

 そう思うと呆れを通り越して。

 

「マルグレット、お前余裕あるな。

 こんな状況で笑えるなんて」

「お前があまりにバカな顔をするからだ」

 

 頬が緩んでしまった。

 胸を締め付けていた圧迫感が、随分と軽くなっている。

 しかし、現実は甘くない。何ひとつ変わってはいないのだ。

 

「マルグレット、俺は流歌に勝てない。

 奇襲が成功しても、殺す寸前で怖くなる」

「それは私もだ。

 あの短刀を前にして戦える自信はない」

「いい状況だな。

 俺は短刀は怖くないが流歌を殺せない。

 お前は流歌を殺せるが短刀が怖い。

 互いに足りないところを組み合わせれば勝てるってことだ」

「そう簡単にいくものか。いや、お前を信じるんだったな」

「任せろ。

 お前は影の中で、止めのチャンスを待っててくれたらいい。

 よし、準備するか。

 気は進まないが、シャルロッタにもうひと頑張りしてもらわないと」

「待て、コーキ。

 もし、もしもだ。

 お前が作ったチャンスに私が動けなかったら」

「それは無用の心配だろ。

 お前は俺を信じた。なら、俺もお前を信じるだけだ」

「私を信じる? この情けない聖騎士をか?」

「聖騎士云々はどうでもいいよ。

 俺が信じるのはマルグレット・ルーセンベリだ」

「マルグレット・ルーセンベリを信じる?」

「互いが互いを信じれば勝てる。

 それがパートナーってもんだろ」

 

 結果的に勝ちを引き寄せた。

 薄氷の勝利だ。

 少しでも歯車が狂えば、プランはあえなく崩壊してしまっていたかもしれない。

 

「いや、それでも私達が勝ったさ」

 

 根拠はない。

 それでも不思議と確信できる。

 

「マルグレット・ルーセンベリを信じる、か」

 

 聖騎士。その称号が全てだった。

 そう生きる事を求められ、応えるだけの人生だった。

 そこに不満があったわけではない。

 だが、聖騎士でない個人、マルグレット・ルーセンベリとして扱われた事があっただろうか。

 

「奇妙だな。なんとなく嬉しくなる」

 

 僅かに緩め掛けた表情を慌てて引き締める。

 足音が聞こえたからだ。

 流歌ほどの超人的な聴覚を持ってはいないが、武人として鋭敏な感覚を備えている。

 

「マルグレット、すまないな。気を遣わせちまって」

「ふん。構わない。それより……」

 

 視線を向けたところで言葉を失った。

 心臓を鷲掴みにされた気分になる。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ