【第4章 5話】
「この建物が土足禁止だったというのではありませんか?
わたくしの世界は、建物の中で靴を脱ぐ慣習でしたし」
流歌の意見に、光輝は少し考えてから。
「いや、ここは土足生活だ。
基本的にドアが内開きだし、靴を脱ぐところも見当たらない」
「兄さんの仮定を踏まえると、意図的に靴を捨てたってことだよね。
不思議だね」
「つまり、靴を捨てることにメリットがあったということだな。
ここの靴はやたら重くて、脱ぎ捨てた方が早く走れるとか。
まあ、ありえないか」
「怪我を考えると靴のある方がいいですしね。
わたくしも利点は思いつかないです」
各自が無意識に足元に視線を落とす。
光輝も自身の革靴を見やった。
足首まで保護する形状で、激しく立ち回っても脱げたりはしない。
踵は着脱して物を隠したりもできる。
と、ある可能性に思い立って、少し強めに床を踏んだ。
床は固いのかカツカツと音が響いた。
次は靴を脱いで踵を下ろしてみる。
「そうか。そういうことか」
こぼれた呟きに、全員の目が一斉に集まる。
「確証はないが、あの木は地面の振動を感じ取ってるんじゃないか。
だから、俺達の行動を把握できる。俺達は結構ドタバタ動き回るからな」
「どこから攻めてくるか、どこに潜んでいるか、どこに向かって逃げているか。
どれも振動から把握はできるな」
「流石コーキさんです!
凄いです! 私、絶対になんとかなると信じてました!」
妙に持ち上げるシャルロッタに光輝は苦笑しつつ。
「まだ仮定だし、何もできてないけどな。
ただ子供が裸足で走るくらいの振動でなら見つからず近付ける、とすれば方法がないわけじゃない」
「待ってください。
根拠のない仮定の上に、作戦を積み上げるのは危険過ぎます」
流歌が慎重論を持ち出した。
「あ、うん。確かに流歌の言う通り。ちょっと前のめりだったな」
「いや、コーキ。
お前の仮定には十分な説得力がある。ここは勝負に出るべきだ」
「僕もマルグレットに賛成だよ。ここにいる限り、仮定を脱する回答は期待できないしね。
時間が経って消耗するよりは、万全な内に高いオッズに賭けてみるべきだよ」
「わ、私はコーキさんを信じていますし、その、あの、大丈夫です!」
マルグレット、テルティウス、シャルロッタ。
三人の意見に、流歌は口調を強める。
「みなさん、少し冷静になってください。なんの根拠もないんですよ。
言い方は悪いですが、光輝さんの勘じゃないですか。
もっと安全策をとるべきです」
「流歌、安全策とやらがお前にあるのか?」
マルグレットの苛立ちが滲む問いに、怯み掛けた流歌だったが。
「あります」
そう断言して胸を張る。
「町を囲む結界、中央の大木、光の雨、ゴーントの騎士。
これらひとつひとつに有効な対策がないから、わたくし達は追い詰められています。
逆に言えば、これらの要因を覆せれば、事態は好転します」
「ほう。で、引っくり返す方法があると?」
「はい。ヴァルハラに戻って、準備を整えてくればいいのです」
「あの、流歌さん。
ヴァルハラに戻るには、出現ポイントまで行かないとダメなんですよ。
結界で町を出られない状況では無理じゃないですか」
「いえ、戻れます。わたくし達、エインヘルアルの特性を使えば」
全員が意味するところを悟った。
エインヘルアル最大の特性は、その不死性だ。
生命活動を停止した場合、肉体は光となって溶け、再び元通りに構成される。
その間は一日ほど。
つまり。
「一回死んで戻ろうってことか?」
代表するかのように尋ねた光輝に、流歌が神妙に頷く。
「死ぬという表現に抵抗があるなら、リセットするといってもいいです。
どうですか?」
「悪くない方法だ。正直、抵抗を感じないわけじゃないがな」
「僕は元々不死身の戦闘兵器だからね。死ぬのに抵抗はないよ」
マルグレットとテルティウスからの反論はなかった。
「死にたくはないんですけど。その、他に方法がないなら。
でも痛いのは、やっぱり」
シャルロッタのリアクションは想定内だったのか、流歌は直ぐに案を返す。
「麻酔があれば、辛くないと思うんですが」
「あ、治療用の麻酔薬ならあります」
「もちろん発案者であるわたくしが、責任を持って最後まで残ります」
その言葉にシャルロッタも小さく頷いて、控え目な同意を示した。
「光輝さん、全員の賛同は得られました。
あとは形式上の決断を頂くだけです」
「全員じゃない。クゥ・リンがまだだろ」
小さな賢者は、目を閉じて浅い息をしているだけだ。
「そうですね。失礼しました。前言を撤回します。
メンバーのほとんどが賛成してくださっています。決断して頂けますよね」
微笑を浮かべた柔らかい表情ではあるが、強い意志のこもった瞳だった。
それに対して、光輝は端的に。
「ダメだ。
勝てないから死んでやり直しますとか、冗談にしても趣味が悪過ぎるな」
「でも、他に手がないじゃないですか」
「まだ手はあるさ」
「仰ってみてください。
みなさんが納得できるものであれば、わたくしも提案を取り下げます」
「それは、その、なんだ。今から考える」
「先ほどの怪しい勘を頼りにですか?」
辛辣な指摘に、光輝は不敵な表情を作る。
「俺はプロだぜ。
プロの勘ってのは、宇宙の真理よりも確実って決まってるんだ」
ありえない理屈に流歌はただ唖然。
困惑そのままに、他のメンバーを見やるが。
「宇宙の真理より確実なら、しょうがないな。僕は兄さんのプランに乗るよ」
「あの、その、私もコーキさんに従います。コーキさんなら、絶対大丈夫なので」
さっと前言を翻したテルティウスとシャルロッタ。
流歌は唯一の賛同者として残ったマルグレットにフォローを求める。
「お前の勘なぞ、当てになるか。が、決定権を持つのはリーダーだけだ。
前にも言ったが、目的に誤りがない限り、私はそれを支持する」
「そんなの! そんなの間違ってます!」
床を踏んで声を荒らげる流歌をなだめるように、光輝は「まあ、プロの勘てのは冗談としてだ」と切り出す。
「この世界は平和なんだよな」
「それは確かだよ。
町を囲う外壁から見るに戦争には縁がなさそうだし、精鋭とは言え二百人くらいの兵力で領地を維持できるんだから内乱もない。
この町だって豊かそうなのに、倉庫が安普請だったしね。
盗みをするような連中もいないんじゃないかな」
テルティウスの補足に、光輝が説明を繋げる。
「人間ってのは、みんながみんな品行方正じゃないんだよ。
権力や財力に取り憑かれる輩はいるし、それを手にする為に手段を選ばない奴もいる。
人の物を盗ってでも楽して生活したいクズもいるし、他人の幸せを妬んで逆恨みするゴミもいる。
そんな連中は力で押さえつけるしかない。
ま、悪いことをすれば、罰を受けるってやつだな」
終着点の見えない話に、流歌は眉を顰めながらも続きを待つ。
「法律やら宗教やらで人が人を縛る。それが普通だ。
でも、それだけじゃ足りない。人間の欲は凄いからな。
でも押さえつけてくるのが、人間以上の存在だとしたらどうだ?」
「なるほどな。言いたいことは解った。
この世界を高いモラルで維持しているのは、やたら人間に対しお節介な神の存在というところか」
マルグレットの意見に、光輝は頷く。
「そして、神の影響力を行使するのが俺達エインヘルアルだ。
凶悪な犯罪者や戦乱の元になりそうな人間を、神の意志とやらで事前に駆除したりもするんだろう」
エインヘルアルは各世界で卓越した能力を持っていた者達。
武装した兵士で対抗しても、所詮は常人の集まり。蹴散らされてしまう。
万が一撃退できたとしても、不死の特性を利用して、何度も襲ってくる。
狙われたら終わり、助かる術はない。
「極論だが、この世界は俺達エインヘルアルが秩序を補填してるんだ。
俺達が無様な真似を見せたら、秩序の崩壊に繋がっちまうかもしれない。
俺達は任務を受けて外に出たら、安易に負けてリセットってわけにはいかないってこった。
ま、殊更面倒だけどな」
「で、ですが」
流歌の反論は明確な言葉にはならなかった。
悔しさを滲ませながらも。
「いえ。確かに光輝さんの仰る通りかもしれません。
わたくしの提案は撤回させてください。申し訳ありませんでした」
深々と頭を下げた。
「おいおい、謝らないでくれ。
流歌のお蔭で、逆に気合い入れないといけないなって思ったんだからな。
憎まれ役をやらせた感じになって悪かったよ」
「光輝さん」
「実際のとこ、ゲームなら間違いなくリセット連打してるけどな。
どう考えてもそれが正解なんだし。ま、縛りプレイだと思って諦めてくれ」
「縛りプレイ?」
意味不明の単語に首を傾げる流歌。
「啖呵を切っちまったからな。頑張らないとダメだな。
さて、マルグレット。お前さんを頼らせてもらいたいんだけど、いいか?」
「私に拒否する権利があるなら、全力全霊でそれを行使するが?」
「なんで気持ちよく、任せてくれって言えないんだよ」
「お前が嫌いだからだ。まだこの想いが伝わってないのか?」
「安心しろ。十分に伝わってるぞ。
意外なくらい傷付いてるのを理解して欲しいくらいだ」
「ふん。そんなことはどうでもいい。で、どんなプランだ?」
「解った。俺もプロだ。
ビジネスライクにいこう。とりあえず作戦名はあとで考えるが……」




