【第4章 4話】
ガドゥ・ロワは賢く清廉で公正な人間だった。
そこに異論はない。
彼は私利私欲に惑う事なく、常に人類全体の発展を目指していた。
そう、彼はただ人類の平和と安定を望んだだけなのだ。
言うなれば少し、ほんの少しだけ歯車がずれたに過ぎない。
きっかけは、魔導昆虫を扱う情報収集担当官からの報告だった。
「武装蜂起の計画があるようです」
魔導昆虫は視覚による情報しか収集できない。
数十人の男達が定期的に、人里離れた場所で集まっている事。
更に武器を買い集めている事。
また、男達が敗戦国でそれなりの地位に就いていた事。
これらからの推測だった。
ガドゥ・ロワは明確な証拠が揃うまでは捕縛できないとし、監視を厳にするだけに留めた。
結果的に、この判断は失敗だった。
半月後、彼らは蜂起。近くの小村に雪崩れ込んだ。
また時を同じくして、合計十二箇所で百人規模の反乱が起こる。
反乱自体は一週間後には全て制圧された。万一の備えがあったからだ。
しかし犠牲も大きかった。ガドゥ・ロワは自身の判断の甘さを反省し、魔導昆虫による監視体制を強化。
反乱の疑いがある者達を厳しく処断するよう指示をする。
「反乱の疑いがある」この曖昧な基準が、徐々に世界を狂わせていく。
ガドゥ・ロワは清廉であったが、彼の部下全てがそうではない。
情報収集担当官の中に「反乱の疑い」を操る事で、私腹を肥やす者が現れたのだ。
そして彼らを利用する市民も出始める。
結果、出所の怪しい「反乱の疑い」が次々報告されるようになる。
増える報告に対し、堅実に行われていた捜査は簡略化。
容疑者の自白を決め手とするケースが増えていく。
そして自白を得る為に、非情な手段がとられる事も多くなる。
密告が横行し、誰もが他人への不信感を抱く。
毎日、幾人もの罪のない者が、反逆者として命を奪われる。
陰惨な日常だ。
それに拍車を掛けたのが、ゴーントの騎士。
死体が増えても労働力は落ちない。
否、忠実なゴーントの騎士達だけが、ガドゥ・ロワにとって信頼できる部下であり、市民になっていった。
もちろん、ガドゥ・ロワを諌めた重臣はいた。
多くの市民からの嘆願があった。
厳しい助言をした賢者達も少なくなかった。
彼らは「反乱の疑いがある」として、極刑に処された。
「ガドゥ・ロワは魔導昆虫で街を見張り、少しでも怪しい人間を見ると反乱分子と決め付け、ゴーントの騎士を使って処刑します。
世界には死と恐怖と絶望しかありません」
それを聞いたクゥ・リンは、とるものもとりあえずガドゥ・ロワの元に向かった。
常軌を逸した狂王に対し、クゥ・リンは別の方法を提案する。
それを穏やかな表情で聞き終えたガドゥ・ロワは、即座に小さな賢者の首を刎ねた。
無論、自分に異を唱えた反乱分子として、である。
気が付けばクゥ・リンは、ヴァルハラに。
顔の左上を仮面で覆ったハーディンと名乗る青年の前にいた。
彼女は《千里眼の賢者》を名乗る。
才能に自惚れ、ただ研究に没頭し、周囲を見てこなかった自分。
その愚かさが産んだ多大な犠牲。その罪を永遠に戒める為に。
◇◆◇◆◇◆◇◆
「つまりゴーントの騎士ってのは、死体をエネルギーに動くロボットみたいなもんか」
クゥ・リンの独白を聞き終えた光輝は、ひと呼吸おいてからそう返した。
「あ、ロボットって解るか。自動の機械人形って意味なんだが」
「固有名詞は良く解らないけど、ニュアンス的には合致してるわね。
ううっ」
酷くなりだした頭痛に顔をしかめるクゥ・リンに、光輝は申し訳なさそうに。
「もうふたつだけ確認させてくれ。
この町の住人は、まだ生き残っていそうか。
それと広場の木がゴーントの騎士を指揮してるのか」
「この町の人達については期待するだけ無駄ね。
結界で閉じ込めて、光の雨で焼き、ゴーントの騎士で刈り取る。
酷いけど徹底したやり方よ。
あたし達が到着した時、一時的にでも結界が解かれていたしね」
クゥ・リンは感情を殺して淡々と続ける。
「さっきの子みたいに、別の神殿に逃げ延びた人もいるでしょうけど。
ここって食料や飲料の備蓄がないみたいなの」
「結局は詰みってことか」
「もうひとつの方は、なんとも言えないわ。
ゴーントの騎士達が、木を守ろうとしていたっていうのがね。
ちょっとあからさまで怪しい」
「別の黒幕も考えとけってことか。
ま、それでもあの木をなんとかしないと、先に進めそうにないんだよな」
大きく息をついたところで、シャルロッタ達が戻ってきた。
「ふたりを送り出しました。
あと、その、身体に香油を塗ったんですけど。
火傷や怪我は見当たらなかったです」
「ありがとな。押し付けるみたいになってすまなかった」
「いえ、そんな。
少しでもお役に立てたなら嬉しいです。
でも、その、やっぱりやるせないです。
仇をとってあげたいです」
シャルロッタには珍しく唇を噛んだ。
「俺も同じだ。もちろん、手も考えてある。
一昨日使った発火装置はまだあるか?」
「森に火を放ったのですか。
すいません。あの時ので最後です。あ、でも」
肩掛け鞄を床に置いてしゃがみ込み、両手でごそごそと掻き回し始める。
その間に光輝は、流歌とテルティウスを労う。
そこに聖騎士も姿を見せた。
「マルグレット、腕は大丈夫か?」
「ああ、随分と良くなった。それよりもすまなかったな」
「いいよ。気にするな」
「お前じゃない。シャルロッタ達に言ったんだ」
「ホントにお前は感じ悪いな。
何を食ったら、そこまで性格が歪むんだよ」
「歪んでいない。
素直にお前が嫌いだと遠回しに主張しているだけだ」
「ありました! これ、これです! コーキさん!」
絶妙に割り込まれ、光輝は憎まれ口を溜め息に変換。
シャルロッタに視線を戻す。
シャルロッタが差し出していたのは、分厚いキルティングの緩衝材で包まれた物がふたつ。
どちらもシャルロッタの小さな手に収まるサイズだ。
受け取った光輝が梱包を解く。
中身は陶器製の球体だった。
下膨れで床に置いても転がらなくなっているようだ。
上四分の一くらいが透明なガラス。
覗き込むと、赤い液体の中に二センチ直径の白い芯が通っている。
「これは試作品の探索用ランプです。
ガラスを押さえながら振ると空気が入って」
言われるがまま光輝が、シャコシャコと球を振る。
「ん。なんか温かくなってきたな」
ほどなくガラスがぼんやりと光りだした。
芯部分が燃えている。
「振れば振るほど、空気が入って光が強くなります」
「こんなのが作れるとは、実に大したものだ」
マルグレットの賛辞にシャルロッタが瞳を輝かせる。
「中身は「火竜の吐息」を固めた物と、私の血液と唾液を混ぜて濃縮した物です。
その強さなら四時間は明かりを維持できるんですよ」
「そ、そりゃ凄いな。で?」
種明かしされた中身に、ちょっと引きながら光輝が先を促す。
「原理は「火竜の吐息」と同じなので、大量の空気に触れると一気に燃え上がります。
材料から計算すると、私が思いっきり吹いた炎の五倍近い火力になります。
いえ、あの、その、実際は空気のどの成分に反応しているか解らないので、三倍弱ですけど」
後半はごにょごにょと、小さな声で付け加えた。
「これを叩き付けて割っちまえば、燃え上がるってことか。
凄いな」
「いえ、あの、実は、クゥ・リンさんのアイデアと設計を元に作ったので、八割くらいは」
「あたしはちょっぴり手伝っただけよ。
でも、欠点は改良できたの?」
「いえ。その、そこはまだ課題で」
露骨に目を逸らすシャルロッタに、クゥ・リンは呆れ満載になる。
「どんな欠点があるんだ? 別段不具合は見えないけどな」
「強度が弱いの。衝撃で簡単に割れて、即座に引火しちゃうの。
その鞄抱えて転倒でもしたら、一瞬にして火達磨よ」
「だ、大丈夫です。
緩衝材つけてますから、派手に転ばない限りは……多分ですけど」
「派手に転ぶくらいで火達磨になっちゃうんだ」
「そんな怖い物を持ち歩いていたなんて」
テルティウスと流歌が青ざめる。
当然だろう。後方に下がる事の多い三人。
何かの拍子で仲良く火達磨なんて可能性もあったのだ。
「しかし、今は助かる。
ひとつ貰っていいか。これならあの木を仕留められる」
「はい。使ってください」
「でも兄さん、どうやって近付くつもりなの?」
「建物の影を使って近付く。一番簡単で確実だ」
そのアイデアにマルグレットが目を大きくする。
状況を打破しうる画期的なアイデアだと思ったからだ。
珍しく賞賛が出かけたが。
「誰でも思いつく方法だけど、あんまり賛成できないな」
テルティウスのひと言に慌てて飲み込む。
「兄さんが移動できるのは潜ったところから五メートルだよね。
そこまで進んだら、一度外に出て潜り直さないといけない。
その隙に攻撃されたら大変だよ」
「心配ない。ゴーントの騎士は自動人形だからな。
そういう咄嗟の判断はできない」
「そのくらいならできるわよ。
っていうか、ゴーントの騎士からあんたは丸見えだし」
頬杖をつきながら、気だるそうにクゥ・リンが説明を続ける。
「前もちらっと言ったでしょ。
あんたのは影を入り口にして三次元と二次元の合間に、物を放り込んでいる能力だって」
「ああ、二・五次元って言ってたか。
俺の世界では意味が違うけどな」
「容量があんたの体重とニアリーなのは、空間軸の意味合いが弱いからよ。
自由にできる範囲が体積じゃなくて、質量になるの。
平面世界における質量バランスが……ってまあ、それはいいわ。
長くなる上につまらないし」
頭痛にコメカミを押さえながら、小さく首を振る。
「ゴーントの騎士も似たようなもんなのよ。
取り込んだ有機物を三次元と二次元の狭間でエネルギーに変換して、ストックしているの。
つまり二・五次元は普通に知覚できる範囲なわけ。
あたし達の感覚だと立っているか座っているかくらいの差ね」
「難しいことは良く解らないが、ダメってのは理解した」
「ふ、ふん。
まあ、お前の作戦なんぞ、そんなとこだろうと思ってたがな」
「ホントかマルグレット。
ナイスアイデアだとか思ってたんじゃないのか」
「貴様!
この聖騎士マルグレット・ルーセンベリを愚弄するのか!」
「どうやら図星みたいだけど。
今はそれよりも打開策を考える方が正解だね」
テルティウスが軽い一撃を添えて話を転がした。
「よし、私が敵を蹴散らして突き進もう。それが最良の手だ」
「だ、ダメです。
いつものマルグレットさんならともかく、左腕の怪我があるんですよ」
慌てて声を上げたシャルロッタに、マルグレットが口を噤む。
眉間を険しく甚だ不満を滲ませてはいるが、強硬に訴えようとはしなかった。
「なら僕がって言いたいところだけど。
僕は戦闘要員として使わないんだよね?」
「俺が求めているのは人間テルティウスだからな。
困った時は賢者様に頼りたいが」
ちらりと視線を向けると、クゥ・リンは頬杖のまま船を漕いでいた。
「悪いな、みんな。
まだ本調子じゃないみたいなんだ。無理させ過ぎたからな」
光輝のフォローに、誰も異論は挟まなかった。
「コーキ、陽動策はどうだ。
私が東から敵を突破して突き進む。お前は迂回して西側から。
影の中を移動すれば、まだ見つかり難いだろう」
「うまく裏をかければいいが、そもそも東側からの……」
ふと言葉を止めた。
「さっきのあいつら、俺達が東から攻めるのを予測して防御陣形を敷いてたな」
八体ひと組を等間隔に配置。
木を挟んで逆、西にゴーントの騎士はいなかった。
「それだけじゃない。
俺達がいた倉庫も解っていたようだし。追撃も的確だった」
「私達の動きを把握していたんだろう。それがどうかしたのか?」
「どうやって把握していたと思う?」
「それは……。
ふん、私が知るか。そんなのは大した問題ではないだろ」
「大問題だ。こっちの動きがバレたら、陽動が効かないんだぞ。
そのくらい解れよ」
光輝の説明に、マルグレットが「あ、そうなるのか」と妙に素直な反応をする。
「うん。兄さんの言う通り。僕らの行動は筒抜けだね。
そのカラクリが解れば、逆手にとることもできるかもしれないけど。
何より情報が乏しいよ。見当もつけられない」
「何かある。俺の、プロとしての勘がそう言ってるんだ」
「ふん。お前の勘なんかが、役に立つとは思えないがな」
憎まれ口を叩きつつ、マルグレットも考える素振りを見せた。
「子供にはなくて、私達にある何かを探知しているんでしょうかね?」
シャルロッタの何気ないひと言に、光輝が反応する。
「子供にはないってどういうことだ?」
「いえ、あの、さっきの子供達、怪我も火傷もなかったので。
その、ゴーントの騎士に襲われることも、光の雨に焼かれることもなく、ここに避難できたんだなって思って」
「偶然だろう。
攻撃が始まった時、たまたまここの近くにいて避難できただけだ」
「そ、そうですよね。
すいません、変なこと言って。忘れてください」
しゅんと肩を小さくして、前言を撤回しようとするが。
「違うぞ、マルグレット。シャルロッタが正解だ。
子供達は荷物を持っていただろ。中に残っていたのは服だ。
子供が近所で遊ぶ時に、着替えやら何やらを用意する必要なんてない。
つまり家に一旦戻って、準備を揃えたはずだ」
光輝が全員を見回し、ここまでの仮定に反論がない事を確認する。
「子供達の家は近くても、大通りの南側だぞ。
通りを乗り越えて、倉庫を走り抜けて、この建物まで来る。
その間、攻撃されない。
これは偶然じゃないはず。ん? おかしいな」
「どうしたの、兄さん。何か引っ掛かることがある?」
「あの子達、なんで裸足だったんだ?」




