【第3章 1話】
【三章】
ヴァルハラの館から転移した先は、草原を通る馬車道の真ん中だった。
石を敷き詰めた幅四メートル強の道路が、なだらかな傾斜で前後に伸びている。
頬に当たる風は、微かな熱を含みつつも柔らかい。
大きく息を吸うと、土の香りを強く感じる。
目に入る緑は瑞々しく、内側から輝いているよう。
生命力に溢れた季節は初夏。
《千里眼の賢者》クゥ・リンは、くりっとした瞳を心地良さ気に細めた。
「俺、この季節嫌いなんだよな。動くと汗出そうになるし」
気分を害されたクゥ・リンは、隣に立つ光輝をぎろりと睨みつける。
今の光輝は殺し屋の正装と自称する黒の背広姿。
一方のクゥ・リンも、淡い色のシャツとホットパンツに、ポケット盛り沢山のベスト。
布製のプロテクターを肘や膝につけている。
「あんたが普段部屋にこもってるからでしょ。たまには外出ようと思わないの?」
「休日に外出したら負けじゃないか」
「何に負けるってのよ。ったく、自堕落も甚だしいわね」
「実戦部隊としての初任務だというのに随分と余裕があるんだな」
マルグレットが現れた。
白銀の全身鎧にシルクのマント。臨戦態勢ではなく、兜は脱いで小脇に抱えている。
「しかし、この季節の爽やかさが理解できないとは、いかにも自堕落なお前らしい」
「わたくしには光輝さんの気持ちが少し解ります。どちらかというと暑いのが苦手なので」
「いい気候だけど、自堕落インドア派の兄さんは嫌いそうだね」
「じ、自堕落ですけど、いいところは沢山あります」
続いては流歌。
数秒遅れてテルティウス、シャルロッタが姿を見せる。
流歌は食堂での小袖袴に、金属製の胴鎧。更に分厚い籠手と脛当てを装備。
刃渡り四十センチ弱の直刀が収まる木鞘を腰に下げている。
テルティウスは左肩がピン留めされた大布の上に、獣皮のマント。
武器らしき物は特に見当たらない。
シャルロッタは定番の青基調のチェニックとズボン。
パンパンに膨らんだ肩掛け鞄に、隠れ身の外套を羽織っていた。
全員戦闘用のスタイルだ。
「自堕落自堕落言うんじゃねえよ。
俺は自由気ままにエコロジーを貫くエコイストなんだ」
「ま、そんなことはどうでもいいわ」
「まったくだ。お前の存在と同じくらいどうでもいい」
クゥ・リンとマルグレットに反論をさらりと流された光輝は、溜め息をひとつおいて。
「とりあえず今から任務なわけだ。
昨日、ハーディンから貰った資料については、ひと通り目を通しているよな?」
チームメンバー、五人全員が首肯するのを確認して。
「じゃあ、読んでないのは俺だけか」
マルグレットの頬がピクリ。
喉まで出掛かった怒声をなんとか飲み込む。
「テルティウス、悪いが掻い摘んで説明してくれないか」
「任せてよ、兄さん。まず僕達が向かうのは」
言いながら太陽の位置を確認する。
緩やかな下り坂の先を指差して。
「このまま南に進むとある町、ロブレド。
人口は約千五百人、そこそこ大きい町だよ。農業中心で特産物は大豆なんだって」
「豆が中心ってことは、雨が少なく寒いってイメージがあるな」
「初夏でこのくらいなら、真夏でも過ごしやすそうですね。
わたくしの生きていた地域は、気温はともかく、多湿だったので憧れてしまいます」
光輝の感想に流歌が笑顔で応じる。
「続けていい? で、事の発端なんだけど、その町からの連絡が途絶えたらしいんだ」
ロブレドは大豆だけでなく、それを原料にした保存食や調味料を生産。
それらを遥か東部の交易都市に持ち込んで商売をしていたらしい。
良質の大豆という事もあり、買い手も多く産業としては順調だった。
「それが三ヶ月くらい前から、ロブレドの荷物が届かなくなったんだって」
気候も例年通り。交易路に賊が出たなんて噂もない。
不審に思った交易商人達は、ロブレドの状況確認を試みた。
商人の代表者数人と、不測の事態を考慮し護衛の傭兵。合わせて二十人近い一団を派遣した。
「でも、彼らも消息が途絶えちゃったんだ。
これは一大事、となった商人達は地域を治める領主様の教会に駆け込んだ」
「コーキ、一応は補足しておくわね」
と、クゥ・リンが割り込む。
「前にも言ったけどさ、この世界って神様と人間の距離が近いの。
領主は神様と人間との橋渡しをする役割もあって、宗教的代表者を兼任することになってるらしいのよ」
「私の世界に近いんでしょうか」
首を傾げるシャルロッタに、クゥ・リンは「ちょっと違うわね」と説明を続ける。
「領主は世襲ではあるけど、神様からの承認が必要らしいの。
だから言葉は悪いけど、神様を大義名分化して支配する特権者ってよりは、内政委任された役人ってイメージね」
「なるほど、ユニークですね。あ、あの、ごめんなさい」
テルティウスにあたふたと頭を下げて続きを促す。
「うん。続けさせてもらうね。
領主様はこれに対し、精鋭の聖騎士団約五十名を派遣したんだ。
ちなみに領主様が抱えている聖騎士四分の一にあたる戦力だよ。
あ、聖騎士と言っても普通の人だから」
同じ聖騎士でも、神の祝福を得て超常の力を振るうマルグレットとは違う。
篤い信仰心を持ち、武芸の鍛錬を重ねた兵士達。
あくまで常人の範疇という意味だ。
「精鋭なのは確かみたいよ。
数年前に出現した巨人約十体を、三十人で壊滅させた実績があるんだって。
その時の犠牲は五名にも満たなかったって」
「巨人なんてのが出るのか。この世界もなかなかに物騒だな。
で、手駒の中で最強の騎士団を派遣してはみたが、結局のところ」
「うん。彼らもまた消息を絶ったんだって。
で、これは手に負えないと領主は神様に助力を願ったんだ」
「そこで俺達が駆り出されたわけか。下手に被害が広がるよりは賢明だけどな」
心底面白くなさそうな光輝に、苦笑するメンバー達。
その中で流歌だけが頷いた。
「光輝さんは安易な神頼みがお嫌いみたいですね。
確かに過保護を続けるのは、人としての自立性を薄めてしまいますし。
長期的に見れば、決して良くはないと思います」
「そんな難しく考えてないよ。
犬や猫だって、自分の力で生きてるんだ。
手に負えないからって、直ぐ神様に縋るなんて情けない話じゃないか」
「でもね、コーキ。家畜やペットは飼い主である人間に依存してるでしょ」
「だから嫌なんだよ。まあいいや。じゃあ、俺達の目的は」
クゥ・リンの指摘を受け流して話を進める。
「まず町の住人および、派遣された人間の安否を確認。無事であれば保護する。
第二に異変の調査と解決。これには再発防止も含む。
ってところだな。何か事前に確認しておきたいこととかあるか?」
誰からも声がないのを確認すると、テルティウスの小さな頭を撫でる。
「簡潔で解りやすかったぞ、ありがとな」
「ううん。兄さんの役に立てて嬉しかったよ」
「はは。じゃ、とりあえず、ロブレドに出発だ」
気だるそうなひと言に従い、全員が南に向けて歩き始める。
と、光輝の隣に珍しくマルグレットが並んだ。
「家畜は安全と繁栄を保障される。それでも自由であることが大事だと思うか?」
「聖騎士様の思考は理解できねえけどな。
家畜は何も保障されていねえよ。得だから飼ってる。命を握られているだけ。
こんな怖い話はないと思わないか?」
「思わない。お前が悲観的なだけだ」
そう吐き捨てると、歩速を上げて進んでいく。
離れていく背中を見ながら光輝は小さく溜め息をこぼす。
「やっぱ苦手だな。ちょっと喋るだけで、マジで疲れるわ」
「聖騎士は神に仕える騎士ですから、思うところがあるのかもですね」
マルグレットと入れ替わるように声を掛けてきたのは流歌だ。
「和を以て貴しと為す。
わたくしの国の言葉ですが、今のやり方はとても素晴らしかったと思います。
リーダーとして抜擢されるだけのことはありますね」
いきなりの賞賛に光輝はバツの悪い顔になる。
「自覚のないことを褒められてもな」
「やんわりと自然に任務の優先順位を統一されたではありませんか。
資料に目を通してないなんてまで仰って。
聖騎士様は真に受けていらっしゃいますけど」
「そこがマルグレットの美徳……待て。あいつに長所なんてあるのか」
「酷い仰りようですね。これは直ぐに聖騎士様のお耳に入れないと」
そう残し、マルグレットの方に小走りで向かっていく。
二言三言交わして、微笑み合っているのを見る限り、前言が冗談の類であるのが解る。
「なかなか頭の回る子みたいね。あんたの狙いにも気付いたようだし。
ただ、それをあえてアピールするのが、賢しい感じがするんだけど」
小さな賢者が、にひひと八重歯を覗かせる。
「新入りだからな。周囲に接近する機会を探っているんだよ」
「ふうん、だといいけど。ま、可愛い子が増えて良かったじゃん」
「美人でスタイルもいいし。性格も良好みたいだしな。嬉しい限りだよ」
「男って単純でいいわね」
やや剣呑な口調になるクゥ・リンに、光輝は緩んだ表情のまま、少し顔近付けて。
「それよりできる限り周囲に注意を払ってくれ。
今回の件、どうにも嫌な感じだ」
「あら、あんたも勘付いてた?」
「受け取った資料が人間側からの情報だけだったからな。
神様とやらがどんな奴か知らねえが、なんの情報もないわけないだろ。
それを隠蔽しているのはどうも怪しい」
「ん、及第点ね。
あたしも気になってたの。罠か。はたまた試験か。ってね」
「なんにしろ。俺じゃ後手回りになる。頼りにしてるぜ、賢者様」
「任せてって言いたいけど。賢者って勇者に試練を与える立場なのよね」
「安心しろ。
俺は勇者じゃない、殺し屋だからな。むしろ勇気は常人より控え目だ」
「変な自慢してんじゃないわよ。まったく」
クゥ・リンは盛大に呆れてみせた。
そこからはいつもの雑談に明け暮れていく。
そのふたりの後方で。
「コーキさんとクゥ・リンさんは、やっぱり仲がいいですよね」
「ふたり共変に気が合うようなんだ。僕ですら嫉妬しちゃうくらいだよ」
シャルロッタとテルティウスが、和やかに話しながら進んでいた。
「やっぱり、その、想い合うところがあるんでしょうか」
「身内に近い感覚かもしれないよ。
兄さんから見れば目を離せない妹分で、クゥ・リンからすると頼りない弟ポジション。
そんな感じかな」
「なんかこんがらがってくる関係ですね」
ころころと笑うシャルロッタだったが。
「でも、それって距離が近いってことだからね。
あっという間に、違う関係に進んじゃう可能性だってあるし」
大人びた意見に「う」と言葉を詰まらせる。
「時には積極的な行動も必要になってくるよ。少なくとも僕は、そう考えるんだ」
そう残すと駆け出した。一気に距離を詰める。
「兄さん、待ってよ」
振り返ったところで、えいっと飛び込む。
「おいおい。甘えん坊だな」
破顔して抱き留める光輝に、シャルロッタは思わず感嘆してしまう。
「テルティウスさん、凄いです。凄過ぎます。まだ子供なのに」
そこではっと気付く。感心しているだけだからダメなのだ。
ぐっと拳を作り。
「よし、私も、私も。あの、やっぱり、今は無理ですけど。
だから、いつかきっと、その、強力な薬を作って」
やや怖い思考に流れつつも、そう誓った。
「おい、ロブレドの町が見えてきたぞ」
先頭を進のマルグレットが声を上げる。
道の遥か向こうに、建物の影が見えた。
◇◆◇◆◇◆◇◆
流歌はひょこっと頭部だけを地上に出した。
絵的には生首が地面に転がっているように見える、なかなかに鬼気迫る状態だが。
「こういう感じなんですね。とっても不思議です」
「影の中で動くコツは掴めたか」
光輝の確認に、「はい。大体は把握しました」と応えて、影の世界から抜け出す。
「緊急事態には有無を言わせず放り込むから。その時に焦らないようにしてくれよ」
「解りました。それにしても影の中って、とても不思議で面白いですね」
まだ興奮が抜けきれないのか、白い頬にはやや紅潮が残っていた
光輝は自分の影に、色々な物を放り込む事ができる。
名付けて「奈落の影」。
新入りの流歌は、影に入った経験が当然ない。
そこでロブレドに乗り込む前にレクチャーしたのだ。
「コーキさん、お疲れ様でした」
一段落したのを見計らって、シャルロッタが木製のカップをふたりに差し出す。
彼女の肩掛け鞄には秘薬はもちろん、日用品や便利グッズも詰め込んであった。
必要最低限の薬品だけをベストに入れているクゥ・リンとは対照的だ。
光輝と流歌が礼と共にカップを受け取る。
オレンジジュースっぽい飲み物だった。
ひと口含むと、仄かな酸味と柔らかい甘みが口の中に広がる。
「とても美味しいです。原料は果物ですか?」
「待て待て待て。それだけは聞かないでくれ」
流歌の疑問に光輝が慌てて割り込んだ。
シャルロッタと光輝の食文化にはギャップが大きい。
出される飲料の味は上々だが、聞きたくない材料が多かった。
虫の搾り汁だったり、特殊な動物の血液だったり。
「これは蜜を薄めたです」
どうやら安心できる類のようだ。飲み干しながら光輝は安堵し掛けたが。
「あるカエルさんが分泌する物で、疲労回復の効果があるんです。
元の世界で飼育していたのと同じ種類のを、ハーディンさんに用意してもらったんですよ」
嬉しそうに手を叩くシャルロッタから流歌に視線を移す。
同じく飲み終えたらしく、なんとも渋い表情になっていた。
「こんなに大きくて、でこぼこした皮膚をしてるんですけど。
甘い蜜を汗みたいに滲ませるんです。
カエルさんは、これを使って虫を誘き寄せるんですけど」
喜々として説明を続けるシャルロッタに、顔を引きつらせつつも愛想良く相槌を打つ流歌。
光輝は「ちょっと、クゥ・リン達の様子を確認してくる」と退散する。
数歩離れて振り返ると、流歌が口元に手を当てて固まっていた。
見開いた瞳に血の気が引いた頬。内容の詳細は解らないが。
「採集方法が、またグロいんだろうな」
と結論付けて溜め息をこぼす。
やや流歌に同情しつつも、これからは原料を確認するという愚行はしないだろうと確信。
ある種の予防注射だと前向きに考えておく事にした。
「町の様子はどんなだ?」
道から少し離れた草の上で、胡坐をかいている小さな賢者に尋ねた。
対面に羽根ペンと紙束を持ったテルティウスがしゃがんでいる。
今、彼の役目は書記だ。
「誰もいないわね。人間だけじゃなくて、家畜すらいない。
ただ露天の品が散らかったり、物が投げ出されたりしてるから。
何かに襲われたようではあるんだけど。
ただ、それにしては血痕とか、争った跡があまりないのよね。
道の隅に少し残っているくらいで」
町に到着する前に、光輝はクゥ・リンに偵察を頼んだ。
《千里眼の賢者》である彼女は、腹部に擬似眼を持つ羽虫を自在に操って視覚情報を収集する。
用意しておいた約二百匹、全てを放った。
「もうちょっとだけいい? できれば少し集中させてくれると嬉しいんだけど」
「ああ。邪魔して悪かった。もう少し頑張ってくれ」
「町については僕から伝えられるよ。兄さん、みんなを集めてくれる」
クゥ・リンから離れて全員を集める。
光輝ひとりが前に立つのではなく、全員で円になるような形をとった。




