上司こと大林の憂鬱
三十七階の特殊部隊本部と掛かった札の扉を開けて、廊下へと出たのは五十歳過ぎほどの年齢と思わしき、渋い顔立ちのおじさんだった。灰色に染まった髪をオールバックなでつけ、背中あたりから渋い男の雰囲気を漂わせている。
スーツをばしっと着こなした彼こそ、異世界からの侵略者を阻む5人の勇者が所属する特殊部隊本部の責任者、大林である。
彼はまっすぐにエレベーター前まで来ると、静かに下へ行く為のボタンを押した。
待っているのは彼一人で、回りに人の気配はない。
滑るように大林の前にエレベータがやってきて、チンと音がしてその入り口が開く。
誰もいないエレベーターに乗り込んだ大林は締まるボタンを押した後、指を滑らせるように決まった流れでエレベーターの階層ボタンを押し、最期にキーパネルの一番下にある鍵穴にポケットから取り出した鍵を差し込んで回す。
その操作で37階と36階、両方の階層に明かりが灯り、エレベーターは静かに動き出した。
到着したのは存在しない二つの間の階層……異世界の技術で作られた隠し空間だ。
やってきた時と同様にチンと音がして扉が開く。
そこは真っ暗な空間だった。上も下も無く、奥行きも何もわからない真っ暗な部屋にぽつんと、スポットライトを浴びたような椅子が一脚置いてある。
どこにでもある、面白みの無いパイプ椅子だ。
それを照らしているスポットライトは明るいくせにどこにあるのかもよくわからない。
迷い込んだ人間が、思わず自分の正気を疑ってしまうような不気味な部屋に大林は迷い無く入り、パイプ椅子に腰掛ける。
それから数秒後、テッテテテー♪ と勇ましい音楽がどこからともなく流れだす。
この世界では知るものはほとんど居ない……それは5人の戦士 ファイバーズのテーマソングだった。
宙に浮き上がった電話のマークを大林が右手で叩くと音が止まる
そして座っている椅子の前に一筋の光が現れる。
それが直立したスーツを着たライオンになった所で、大林は「これはこれは」と声を上げた。
「キリマンさんではありませんか。珍しい」
『久しぶり……というにはあれか、君が産まれたときに立ち会って以来か、人造人間M98』
ライオンのキリマンは座っている大林を上から下まで眺めてそう言った。
『どうだ? 問題はないか? えっと、今は大林だったな』
「ええ……体と精神にはなにも。あまり仕事がこなせているかは……なんですが」
そう言って肩をすくめ困ったように笑みを浮かべる大林にキリマンは頷く。
『君がよくやってくれているのはわかっている。ファイバーズが活躍する為に、いろいろ動いてくれているな』
「番組の責任者にそう言ってもらえるなら幸いですね」
実は大林はもとを言えばこの世界の人間ではない。
戸籍もあり、職業も与えられ、三十七階の特殊部隊本部の責任者という肩書きを持つ彼だが、実は居世界のテレビ番組から派遣された人造人間である。
その主な役目は、こちらの世界において番組進行の妨げになる問題になりそうなのかを現地で判断して、解決、あるいは番組スタッフに相談する事が彼の任務だ。
それこそ5人しか戦える人間が居ない事を懸念する勢力はいろいろ居る。
それを様々な手段を用いて黙らせる事を大林はしてきた。その働きぶりはなるほど優秀と言えるもので、現状ファイバーズの活動に現地の人間がチャチャを入れてきた例はほとんどなかった。
とはいえ,問題が一つもないという事も無い。
『まずは単刀直入に言おう。ファイバーソードとブラスターはどうだ? 使ってもらえそうか?』
やや焦った様子でそう話すキリマンに、大林は首を横に振る。
「かなり難しいでしょう……ブルー。青島くんはかなりあの武器に不信感があるようです。もともと武器に信頼感を求めて運用していた彼ですから、意見は簡単には変えないでしょう」
『うーむ……上司権限でどうにかならないか?』
「裏方としての仕事だったらなんとでも言えますが……こと、戦場に関しては彼にすべて一任していますから。むしろ、ヘタに動けば私に不信感をもたれる可能性があります。……彼は勘がいいので」
大林の言葉にキリマンは顔をしかめ、ううむと唸る。
『だがそこをなんとか』
粘られた大林は眼をしばたかせる。
いつもなら、わりと「そうか」と言って引き下がる内容だ。
しかし引き下がらないのが番組責任者であることから、どうやらかなりの厄介ごとになっている事を彼は察した。
「と言われましても。現地の武器を使うのも面白いという話でありましたし」
そもそも最初から使わせれば良かったのをリアリティがどうのこうのと言って使わせなかったのは制作者側だった。
現地の武器は効かず、ファイバーソードとブラスターしか効果がないという事にでもしておけば良かったのだ。
『状況が変わったんだ。割とのっぴきならない状況でな……そちらから見た場合のアイディアかなにかがあればぜひ聞きたい』
どうやら本気で問題になっているらしい。制作者側からこんな事を聞かれたのは初めてだ。
「ずいぶん、追いつめられてますね」
『実はそうだ。番組スポンサー大好きの局長が大変ご立腹だ。現地の武器で戦うのも面白いと、最初の頃に修正しなかった自分の首を絞めてやりたい』
そう話すキリマンの眼はどんよりと暗かった。
過去の自分の首は締められないが、今の自分の首は締まっているというわけだ。
大林は番組作成の円滑化の為に送り込まれている。案があれば提案するのはやぶさかではないが、しかしかなり難しい事もまた理解できていた。
「青島君は戦場に関しては自他ともに認めるプロです。他のメンバーへの指導も、現地での戦闘も彼が主導で行われています。同時に戦闘が厳しくなっているのを彼は感じているようです。装備の締め付けの緩和はできませんか?
」
『んっ? だが強力な武器があったら、ますますファイバーソードとブラスターは使わないじゃないか?』
キリマンの言う事はもっともで大林は頷きながら口を開く。
「そうして武器を制限することで、戦闘が厳しくなり、彼はますます手段を選ばなくなっています。私に隠れていろいろとしても居るようです……おそらく、彼からみた上層部は信用できないものになっています」
『妻が浮気しないように小遣いを減らしたら愛想を尽かされた。みたいなことか』
キリマンのたとえに大林は笑いながら曖昧に頷く。
「はははっ。まあ、そんな感じです。彼からすれば大火力を奪われるのは戦場での不安に繋がります。私から見ても余裕があるようには……」
『たしかに、戦闘シーンはファイバーズの華。毎回苦労するように頑張って調整をかけてるからな』
「現状がギリギリであるところに、制限をかければ勝つものも勝てないと考えるのは自然です。青島君はより強い敵や5人では手に負えない事態が発生するのを恐れているようです。無人機の配備にかんして積極的に動いていますし……」
『彼は真面目だな……そこがいい所なんだが』
「彼等にとっては戦いはどうしようもない理不尽な現実です。青島君は責任感もある。子供達の保護者として気を抜く事は無いと思います……きっと」
『ふむ……わかった。参考にしよう、一先ず、爆弾を禁止にする話は停止させてくれ。その他は会議にかける』
大林は内心でホッとする。青島に対して行った、子供達が心配だと言う言葉も全部が全部嘘という訳ではないのだ。
職務に対しては誠実に努めるが、それ以外の部分では戦いに巻き込まれてしまった事に同情している部分もある。
「一応、いろいろ言い含めて、戦場には必ずファイバーソードとブラスターは持って行っています。条件が重なれば使用するのでは? それか、何か強制的な話を起こすとか」
『むう……、そういう方向性か。たしかにありかもしれない。それも会議にのせよう……』
キリマンは思案するようにそう呟き、表情を正して大林を見た。
『現場の意見が聞けて助かった。今の話だけじゃなくていいが、そっちではなにか問題は感じているか? 何か起こりそうな問題なにかは無いか?』
「いえ、とくには。ただ……先ほどもいいましたが、ブルーの現状への不満は高いです。独自に何か動く可能性もあると思います」
『まいった……油断してくれてもこっちで調整できるんだが……いつも万全で来るから、こちらも全力で行くしか無くなる。それでますます危機感を抱く、キミの言う悪循環だな』
キリマンはそう言って、額に指を当ててやれやれとかぶりを振った。
『ブルーはかなり独特だ。行動が読めなくて、苦労する』
キリマンのこぼした言葉に大林はわりと素で笑った。大林から見ても青島は表面上問題が無いように取り繕っているが……あれは変わった人間だ。
「彼は常識と非常識を上手く使い分けます。引き出しの量が違う……近くに居るとそんな印象です」
『そうか……そういう所でブルーのファンも多いからな。よし、君はこのまま、現状維持を続けてくれ。今回は助かった、何か指示があればこちらから連絡する』
その言葉を最期にキリマンの体が消え失せ、部屋はもとの暗い空間に戻る。
そこでようやく大林はやれやれと体から力を抜き、パイプ椅子の背もたれにだらしなくもたれ掛かった。首元のネクタイを緩め、だはーっと溜め息をつきながら背中を反らせる。
「まったく、大変な仕事だ。政府も気にして、軍の動向も気にして、主役の達の動きも把握して、テレビ局の都合もあるときた」
自分で言ってて、嫌になる。出来るように作ってもらえたのかもしれないが、板挟みで疲れない訳じゃない。
首をグルグル動かして筋肉を解しながら思う。
願わくば、誰も怪我せず、和やかに、番組が終了して行く事が望ましい。
その為には……。
「青島君に頑張ってもらわないと行けないが、しかし彼が一番の問題児だ」
その呟きと同じ事を……しばらく後に別のものが閃く事を、この時の彼は知る由もなかった。