青島と紅のセンチメンタル休暇申請
その日の朝、俺は夢を見た。生々しくて、朝起きたときにもしっかり覚えていた。
いや……正しくは思い出していた。
それは忘れもしない二十九歳の誕生日の事だった。
依頼に来たのは日本人の軍人だった。俺はその時、日本人が嫌いだった。
俺の戸籍を死亡に書き換えやがったせいで、俺は帰れなくなったんだぞ。
そう当時の俺は思っていた。
そこにあいつが頼みにきたのだ。占拠された基地をなんとかして欲しいって。
勉強ができそうなエリートタイプだった。
軍人なのはすぐにわかった。そんなものだいたい雰囲気でわかる。
「基地が占拠された。基地の開放を依頼したい」
その時、日本はこの国に支援活動で軍を派遣していた。その基地をとちくるった過激派が占拠したのも知っていた。
だが敵が占拠している中に攻め込むのはかなり危険だ。他の傭兵は誰も受けないだろう。
事実、俺以外の奴は受けなかったようだ。
俺のところにあいつが来たのは俺が日本人だと誰からか聞いたからだろう。
俺は最高に腐っていたから、「頼み方ってもんがあるんじゃないか」と言った。
あいつはしたよ。土下座を、何年掃除してないかわからない汚い床に額を付けた。
「頼む。二十四時間以内に基地が解放できなければ、情報が外に漏れる。そうすれば支援活動は今後出来なくなる。母国にも、今後支援を必要とする人達にも迷惑をかける」
受けるつもりは無かった。
「お願いします」
悩んだ。それはもう悩んだ。
悩む時点でどうかしてんだ。
受けたね。ああ、受けた。だが受けてよかった。心からそう思う。
占拠していたのがあのシルバーだったからだ。
ワンマンアーミーと呼ばれた男だ。傭兵の中ではシルバーは名の知られた男だった。
戦場でのみ生きる事が出来る修羅みたいな男。
銃弾で目覚め、敵の食料庫で腹を満たし、敵の流血でその垢を落とすとまで言われた傭兵。
強突く張りで、意地悪で、豪快で、嫌な奴だった。
俺の知り合いで、俺の戦いの先生の仇でもあった。
ああ、思ったね。情けは人のためにあらずだって。
そんなことも、昔あった。昔の話だ。
そんな夢を朝見たからだろうか。
俺はその日、ちょっとセンチメンタルな気分だった。アンニュイと言うやつだ。
月曜日のいつもの反省会を終え、日暮れまでの自主訓練の時間になった時。
ことの始まりはこうだった。
「青島さん、ちょっと相談が……」
深刻そうな顔をした紅君がそう話しかけてきた。
その日は良く晴れていた。
外に立てられた仮設陣営用の野暮ったいテントの中で俺は調子が悪くなったサブマシンガンの清掃を行っていた。
ちょっとした休憩中だ。正式な訓練日でもないから、出来る事は銃の乱射位な物だ。
サブマシンガンを分解して、清掃しながら俺は「どうしたんだい」と訪ね返した。
ちらりと一瞥すると、紅くんはなにやら言いづらそうにしていた。
ファイバーズのメンバーは未成年者が多数……俺以外は未成年者の学生だ。
多感な時期である。おまけに親御さんにも秘密にしておいてもらわなくてはならない事情もある
遠くで、ダァーンと響く音がした。それから金属で作った的に弾が当たった音がする。
黄野さんがM40を撃った音だろう。海兵隊御用達の狙撃銃だが、どうやら相性がいいようだ。今日は的を外した音を聞いていない。
ストレスで、精度が落ちる事も良くある。特に戦場ではストレスは大敵だ。すぐ心の病になる奴が出てくるのだ。
ファイバーズの中から、そんな子を出すわけにはいかない。
作業の手を止めて、しっかりと向き直ると、紅君は気まずそうに体を小さくしていた。
その服装は小豆色のジャージだ。彼の体格は特別小柄ではないが、大きいという訳でもない。
至って普通の男の子だ。
自分が高校生の頃はどうだったかと、俺はふと考えを巡らせる。
不良ではなかったが、馬鹿だった。
今の彼より年上だったとき、思い立って外国に旅行に行って、すったもんだ合って、銃をぶっ放す事になったまま大人になる。馬鹿というか、アホだ。
「さあ、どうしたんだい?」
「そのぉ……あの出来ればですね。その」
言いづらそうに、紅君は俺をちらりと見上げてくる。
言いにくい事なのだろう。俺はそれを緩和させる為に笑みを浮かべてみせる。
だが言葉は言わない。相手が話すまで待ってあげるのがこういうときは良いのだ。
静かに待っていると、紅君は表情を引き締めてから少し大きな声でこう言った。
「今度の日曜日、僕に休みをくれませんか!?」
……おお、そう来たか。
予想していた相談の内では意外なものだった。
しかし、日曜日は異世界人「だぢづで人」が攻めて来る日だ。
まずくないかと問われれば、けっこうまずい。
だが問答無用で、駄目だというのは良くない。この年頃の子はデリケートなのだ。
「うーむ、なにか事情がありそうだね」
俺の言葉に、紅君は実に言いにくそうに口を開く。
「……その、この間の件で、僕がその銃を使えるのを知っている子が居るんですけど」
「ああ。この間、言ってた子だったかな?」
「その子です……今度の日曜に彼女のピアノのコンサートが合ってですね」
ははん、なんとか話が読めてきた。
「……来てくれないとバラすとかなんとか?」
「じょ、冗談めいてたんですけど。その断りきれなくて。そのですね……」
言葉尻がだんだんと小さくなって行く、そう話す紅君の頬は赤い。
その言葉を聞きながら、俺は意外に思っていた。
彼は気こそ小さいが、気が回る。責任感も強い。
そんな彼がファイバーズの仕事を投げ出そうとしているのが不思議だった。
ふと思い当たる要素があった。
「好きなのかい? その子のことが」
俺の言葉に対する反応は劇的だった。
紅君は驚きで目を丸くし、猫背だった背筋が伸びて後ずさった。そして耳の先まで真っ赤になる。
それから、しおしおと萎むように背筋が丸くなって行く。
「そ、そ、そ、そ、そ」
その反応のすばらしさにちょっと笑ってしまう。
笑った俺を見て、紅君はますます小さくなってしまった。それからぼそぼそと口を開く。
「その、えっと……そうなんです」
終わり際はほんとに小さな声だったが、耳の赤さは心配になるレベルだ。
遠くからM40の狙撃音が響く。
その銃声が今朝の夢の中でセンチメンタルになっていた俺の心を刺激した。
思えば、この銃声が響く場所は紅君達が本来居るべき場所ではないのだ。
別にデートだったら休日にいくらでも楽しんでよい年だ。十七歳なのだ。
同時に昨日の晩思った事も考えていた。
チームとして一皮むける……その為に、四人での活動を視野に入れるのはどうだろうかという思いつきだった。
つまり、紅君が居ない状況の四人で戦う。
黄野さん、緑川君、桃山ちゃんにまず四人での戦いに慣れさせておいて、俺の位置に紅君を組み込む。
そして俺はバックアップに尽力すれば良い。
四人のチームと、俺。こう分けておけば、いろいろと行動範囲は広がる。
そうなれば全員の実力および、紅君のリーダーとしての資質も花開くはずだ。
……うーむ、悪くないかもしれない。
俺は自分の考えを吟味してから口を開く。
「気持ちは分かった。君くらいの年の男の子……いや、男が好きな女の頼みは断れないよなぁ」
しみじみと俺は言う。正直気持ちは分からないではない。
俺にだって青春時代はあった。三十二で独身の自分にもこんな時があったのだ。
それを思えば、休日の申請くらい認めてやりたい。
この聞き分けの良い優しい彼が顔をあんなに真っ赤にして頼んでいるのだ。
「……紅君。僕らはファイバーズだな?」
「……はい」
すっかり紅君はうつむいてしょげていた。声に元気が無い。
多分、お説教を覚悟しているのだろう。賢い彼の事だ。
そうなる事は予想出来てはいたが、言わずにはいられなかったのだろう。
若いなぁーと、俺は微笑ましくなる。
そんな事を心の片隅で思いながら、俺は口を開く。
「平和を守る。世界の平和だ。分かるかね?」
「……はい」
「いいや、君は分かってない。守りたい世界のすばらしさを理解してない」
「……すいません」
「そんなことではファイバーズとして戦うのは……無理だな。今度の休日は自分の世界を見つめ直すのに使いたまえ」
そう言って俺はしばらく待った。
返事が返ってこない。言葉が上手く飲み込めていないのだろう。
俺はちょっと期待しながら、紅君の反応を待っていた。
ようやく反応があり、紅君が顔を上げ、目をしばたかせた。
「……えっ?」
「休暇を許可する。その子と楽しむと良い。よりいっそう世界が守りたくなるだろう。でも今後は無いぞ。絶対だ。注意するように」
そう俺が話を締めくくると、紅君の顔がパッと華やいだ。
「あ、ありがとうございます!!」
そう言って頭下げる彼に俺は話の分かるお兄さんを気取りながらその肩を叩く。
「頑張ってこい。デートは大変だぞ!」
「はい!」
その気分の良い返事に、俺は笑っていた。
だがしかし、俺は格好を付けていたのを反省する事になるのだ。




