ネセサリンケージ(仮) キャラクターエピソード
小説本編の冒頭にしようか悩みつつのとりあえず投稿。
編集次第では、本編になるかもしれない。
「――お前はもう必要ない」
人生観を変えた出来事は? と問われたら、彼女に言われたこの言葉を思い出す。
自身を取り巻く環境、いわゆる"人の和"の中で不要を表すには的確過ぎるほどの言葉だ。
言葉とは記号、あるいは信号みたいなもの。それを言われたとて、死ぬわけではない。「そうか、いらないのか」と機械的に処理すればいいだけ。半ば会話可能の域に達したスマートフォンに、同じように言ったって、「ワカリマシタ、悲シイノデ、自爆シマス」なんて返事はしてこないだろう。
彼女は、ただの事実を述べたに過ぎない。だからこの言葉の返事としては、「ふーん、そうなのかー」とでも言って、二度と会わないようにすれば、なんてこともなく終わる。そして、「さっき○○に、捨てられちゃってさー(笑)」とお笑い種にでもすれば完璧だ。
「なんで、――なんでだよ!!」
けれどその少年は、人参を釣り下げられて素直に走り続けるような、底抜けの前向き野郎にはなれなかったらしい。恨むことがあるとすれば、人間に心があって、感情も人並みにあったところだろうか。
赤の他人に言われて傷つくほど、博愛主義の硝子メンタルではないが、彼女が相手では、とても機械的・事務的な言語処理と感情抑制はできなかった。
――あれはいつのことだったろうか。
数少ない"友人"であり、
技術を与えてくれた"師"であり、
同じ目標に向かっていた"仲間"。
そして、誰よりも"大切な存在"だった彼女がそう言ってきたのは。
『キミが必要なんだ』
と、拾い上げてくれた彼女が、その手を振り払ったのは。
これから先の未来も変わらずに、"いつまでもそばに居るんだ"と無根拠な確信をしていたことに浅ましさ感じた。
これまで積み重ねた、信頼とか、想いとか、それらすべてを否定し棄て去ろうというのだから、冷静でいられるはずがない。
だからその言葉は、単なる"不要"を意味する記号では決してないのだろう。
何故ならこれは、明白な"裏切り"なのだから。
「もう、これ以上うろちょろされても目障りだから……、ここで"終わり"にしようか」
彼女が心底うんざりした様子で言って、取り出したのは短剣。色白の手で握りきれないほどに太い筒状の銀の柄、西洋的な細くもずっしりとした刀身をもつそれは、紛うことなき"殺しの道具"。
『終わり』が何を意味するのかなんて、聞くまでもない。命があるかどうかの差だ。
"彼女はもう戻らない"、"その意志はない"、という事実の前には五十歩百歩もいいところだった。
もはや引き返せないところまで来ていたのだ。
どんなに強かろうと、どんなに偉かろうと、
あるいはその両方とも、彼女に及ばなかった少年が、
拒絶の意志を突きつける彼女の心を、変えることなんてできるはずがない。
あの辛くとも、楽しかった日々に戻ることは、彼女が帰ってくることは、決してないのに。
――それなのに
「――させるかよ……! そんなの……認められるかよっ!!」
きっと、あの頃の少年は、馬鹿な奴だったんだろう。
彼女を取り戻す言葉も、手段も、ろくに考えつかないくせに。
右手に一振りの太刀を携えて、彼女に相対することしかできなかったのだから。
がむしゃらに喰らいついて、縋り付いて、どこにも行かないように繋ぎ止めていたかっただけなのに。
その手にあったのは、彼女と同様の"殺しの道具"だということに気付きもしないで。
そんな矛盾を抱えた者と、真っすぐな意志を突きつける者が、ぶつかり合えばどうなるかなんて想像に難くない。
いや、これまで一度も彼女に届いたことがないのだから、きっと自明の理だったんだ。
「さよなら、シロ。――もう逢うこともないでしょう」
――"断ち切られた"。
小さくも重厚さのある短剣を軽く、鋭く、彼女は一振り。
躊躇いを一切感じない一閃は、見た目通りの衝撃と、見た目以上の切れ味で、
逆袈裟から裂かれた傷からは、変な角度で吹き出す血。
繰り糸の切れた人形のように留まることも出来ずに、天を仰ぐ一瞬の最中で感じたのは、ひとつの"終わり"。
致命傷ではない。もっとも放置すれば失血死する程度には痛手だったが、それでも命はまだ終わりを迎えるわけじゃない。
斬られたのではなく、切られたのは、少年と彼女の間にあった見えない線、あるいは糸。
終わったのは、少年の生命活動ではなく、彼女との……繋がり。
傷口から吹き出していたのは、本当に血液だけだったのか疑わしくなるほどに、身体の内から何かが欠けるような感覚。
それに意識を奪われ、呆然としたまま地に叩きつけられた。
でも、それにしたって彼女は甘すぎる。終わらせるのなら、一思いに首を跳ねるなり、心臓に一突きして、命もろとも終わらせてくれればいいのに。それくらい造作もなかったはずなのに。
――いや、彼女は残酷な奴だ。
一思いに殺ってくれたなら、自分は楽に逝けたものを。
叶わないと気付いていてもなお、震える手を伸ばし、結局は空振り。
なんの感触もなかった、当然、空の掌は、自分の内側を映した鏡のように空虚に見えて。
それが、なによりも痛かったのだから。
その夜を、よく覚えている。
ぼんやりと淡い光の満月。
それを掴むように伸びる崩れかけたビルの指。
そして、月光の温かさに似た、彼女の――、幻。
この手をとってくれた彼女に届かなかった、とても寒い夜のことを。
いつか、誰かが言っていたことがある。
――人は一人じゃ生きられない。
――人は支え合って生きていくものだ。
ああ、きっとそれは間違っていない。孤独であることは死と同義というわけではないにしても、それは"人"という生の放棄だ。
生きているだけで、人ではない。いつだって人は、独りの世界を善しとはしなかったのだから。
だからなのか、
独りになった"自分"が、いつか救われるような、そんな望みを微かに持っていたように思える。
長い人生の中のほんの一事に過ぎない、不幸もあれば幸もあるのだと。
それは、「戦争なんて起こるわけがない」とか「自分が殺されるわけがない」とか、向こう岸の火事のような、やはり無根拠な確信に近いもの。
いつか、彼女が取ってくれなかったこの手を、他の誰かが取ってくれる。――そんな、心の片隅に置いた希望だ。
だが、俺は、
そんな希望を、その救いを、果たして容認できるのだろうか。
最も大切な人から、裏切られ、捨てられ、
他人との繋がりを後悔し、辟易した、そんな俺に。
もしも、もしも、
もしも誰かが手を差し伸べてくれた時、俺はその手を取ることができるだろうか。
また裏切られるかもしれない。その恐怖に打ち勝つことができるだろうか。
俺は――。