ナランの決意
練兵場に設置された即席の大型天幕――
シディカは、賊が〈ヘオズズ〉と呼称する多足鉄甲騎を運び入れ、数名の機関士の手を借りて部分的な解体調査を行っていた。
「てか、こんな作業をしている場合じゃないでしょうに……大隊長が王城からお戻りになるまでには救出作戦を立てておかないと……」
「どのみち、セレイちゃん帰ってこないと敵方の拠点がわからないので、作戦なんか立てようがないですよぉ」
アガルの言葉にいつもの如くとぼけた返事をするシディカではあるが、実の所、この行動は知的欲求だけではない。
「それにぃ……敵を知ることも必要でしょ? 何でこの鉄甲騎を回収したがるのかも含めて……」
シディカは既に、敵がヘオズズの機体そのものではなく、破損具合も含めた戦闘データを欲していることに気付いていた。だが、これほどの機体を作り上げるとなると、在野の技師では手に負えないはずであり、背後に何らかの組織らしきものの存在が感じられるのだ。
「まぁ、あんな浮遊機械まで作り上げるのですから、当然と言えば当然なのですがぁ……」
それは実際に機体を調査している機関士も感じているようで、
「……見た感じ、装甲はちょっとした圧延設備があれば打ち出せそうですが、四肢の関節を支える骨格の接続方法や構造、そして駆動装置周り、特に伝達回路がかなり特殊です。修理でもして試験しないとわかりませんが、あの機動力は相当の即答性が求められる筈ですから、操縦性はかなり高いと思われます」
「ですが、その代償として、この機体は鉄甲騎としてはかなり脆弱と云えるでしょう……
搭載されている焔玉機関も、高性能ですが、決して高出力とは云えないもので、全体的に馬力よりも瞬発力を求めたものと思われます。あの登攀能力と俊敏性、延いては操縦性も含めて、徹底的に軽量化したことで実現したと言っても過言ではありません」
などと次々に報告を上げてくる。
[影]は機関士という者を見くびり過ぎていたようだ。と、言うより、技師が不足している地域では機関士が嫌でも兼任しなければばならないため、彼等は必然的に鉄甲騎に関する知識、技量を上げざるを得ないのだが。
機関士の的確な感想に耳を傾け、いつもの如く自動書記で記録を取りながら、シディカはあることに着目する。
「何よりも、こんな機体を制御する魂魄回路を作り上げたことが驚異と言わざるを得ないですねぇ……時間があれば、解体してじっくり調査したいものですがぁ……」
確かに、この機体はかなり特殊ではあるが、それなりの知識と設備を備えた工房、あるいは工場ならば建造が可能なものではある。事実、国家や組合などの組織などに加わらない在野の技師が独自の工房を構え、個人的な依頼として鉄甲騎の修理や改造、機体の建造を受ける場合があり、噂では兇賊や傭兵向けに非合法でそれらを請け負う犯罪組織も存在するという。
だが、それらの技師、組織も魂魄回路だけはゼロから製作することは不可能である。
鉄甲騎の機体制御を司る演算装置である魂魄回路は、飛翔装置に次いで貴重かつ不可解な遺物である。
鉄甲騎の機体各所に配置されている操縦制御用の電気回路は、最終的には、操縦装置のひとつとして組み込まれた、平均として大凡三十センチ四方の大きさと十五センチの厚みを持つ、この黒い立方体に接続される。
それが、〈魂魄回路〉である。
その内部は、透明な〈真空立方管〉と呼ばれるものをはじめとする、大小様々な電子回路や補助回路を無数に、そしてブロック状に組み込んだ基盤を複数重ねる事で構成された集積回路であり、それらの部品、基盤を種類、性質ごとに組み合わせることによって、所謂プログラミングを行うのである。
元々は〈前文明〉の機械巨人に使用されていた制御演算装置の流用で、現在に於いて完全なる製造、再現を困難としているのは、その立法管など一部複雑な電子回路の製造法が不明のままと云うことである。
各工房都市は、それら発掘品の修復と、戦闘などで破棄された鉄甲騎から回収したものを再利用することで不足を補っている。それ故、魂魄回路は鉄甲騎の部品の中で最も高額に取引されており、品質によっては、安物の脚甲騎にも匹敵する価格で買い取られることもあると云う。
現在、工房都市は代用部品として、心象具現化術の応用による擬似的な立方管を使用した〈精霊型魂魄回路〉または[合わせもの]である〈混合型魂魄回路〉と呼ばれるものを製造しており、それらは数打ちの鉄甲騎や脚甲騎などの量産機などに使用されている。
また、疑似立法官の応用により、既存の魂魄回路に拡張機能を与えるための増設などが可能となっており、こちらは個人の技師でも作成可能である。
そして別項で述べたように、このような電気回路でしかない魂魄回路が何故、〈共鳴〉のような人の精神に影響を及ぼす現象を引き起こすのか……
それは、今以て研究中である。
ちなみに、制御演算装置、またはある種の論理回路の集積体である魂魄回路が鉄甲騎以外に利用されないのは、発掘された機械巨人のものをそのまま転用したが故であり、要するに[それしか利用方法を知らないから]である。
それでも、代用の魂魄回路や、拡張増設、更にはこのヘオズズのような多足制御などへの応用といった研究もされていることを考えれば、遠い将来はどうなっているかわからない。
ただし、工房都市はそれら代価品の製造方法ですら秘匿とし、また、立方管の修理や、疑似立方管の製造そのものにも特殊な設備が必要とされるため、個人の工房では不可能とされている。
部品の購入そのものは、一部特殊なものを除いて個人購入は可能ではあり、それらを使用すれば、ある程度の性能を持つ魂魄回路の製作、と云うより組み立ては可能ではあるが、横流し品の密売でもなければ、売買記録は厳正に管理されているものである。
それ故にシディカは、時間が限られているにも拘わらず、このヘオズズを調査し、使用されている技術力から敵の正体を探ろうと試みたのだが……
「私は鉄甲騎技師ではないので、何とも言えませんがぁ……」
そう前置きした上ではあるが、
「明らかに私が知る限りの部品とは異なるものが混ざっています……作りも、個人製作のような感じではなさそうですねぇ……やっぱりこれは、工房都市と同等以上の技術力は有していると、見るべきでしょうかぁ……」
まるで現代戦車のような、平たい胴体にある操縦室に潜り込み、正面の操縦装置を分解、ざっとではあるが魂魄回路を調べたシディカの感想に、アガル、そして機関士はどよめいた。
「まさか、何処かの工房都市が新開発した機体を極秘に試験するために、ゼットス一党を利用したとか……」
「そう考えれば、秘密の漏洩を最小限に抑えるために回収を急ぐのもわかりますが……」
それでも、アガル、機関士達は納得しかねる様子である。
いくら特定の国家に属さない独立工房都市であっても、余所の国を襲撃する存在、まして兇賊などに機体を譲渡ないし貸与するなど、それこそ露見すれば信用問題となるのは必定である。
「でも、グランバキナやラの国々、あるいは西方の何処かにある工房都市か研究機関が絡んでいるとしたら……」
決してあり得ない話ではないと、シディカは付け加えた。
西方列強の一部と中原国家群は、周辺の巨大国家とは違い、多くの国が何らかの火種を抱え、時に小規模の戦闘行為が何処かで行われている。
それが小国同士の小競り合いにしろ、今のウーゴのように兇賊相手の治安回復のためであろうと、新開発の兵器実験場としては申し分ない。
無論、根拠も証拠もないが、真剣に信じているものは存外多い。
中には、中原国家群が巨大な統一国家に発展しないよう、周辺大国が何らかの陰謀を廻らせ、極秘裏に兵器を流して影から武力介入を行っている、などと言う説を吹聴する者までいるのだ。
ちなみに余談ではあるが、後の時代に書かれた本では、ウーゴ砦で使用されたグランバキナ製の大砲や重火器を、その陰謀の根拠としているという。
シディカの呟きに、気弱な補佐官の顔はみるみる青ざめていく。
「そんな……そんな大きな存在を我が国は相手にしてしまったのですか!?」
「大丈夫ですよぉ……相手は極秘で動いているんですから、もしやっつけちゃったとしても、背後の国から報復を受けることはありませんよぉ……
詳しいことは、当面の敵をやっつけてから、改めて工房都市に調査でも依頼するしか無いですねぇ……」
これまたいつもの呑気な口調でさらりと告げた言葉にアガルは、
「……やはり、敵方の要求は呑まない方向ですね?」
と、念を押すように確認する。
「一度でも相手の要求する理不尽に屈すれば、その後、他の国や組織が似たような手段で我が国を威すでしょうから……ここは確実に抵抗を示さないといけません」
補佐官の言葉はもっともである。そして、後にイバンより既にミトナ王妃からもそのような勅命が下っている事を伝えられるのではあるが、その事についてシディカは、どこか浮かない顔をしている。
「……『言うは易く行うは難し』ですよぉ? 人質となっている殿下やプロイちゃんを見殺しにするわけにはいかないし、作戦はかなり慎重に決めなければいけないのですがぁ、時間が限られていますからねぇ……」
その時だった。
「伝令セレイが帰還しました!」
待ち人来たるとは、正にこの事である。
一報を受けたシディカが士官を伴い急ぎ兵舎に戻ると、食堂で他の兵や給仕に囲まれる中、セレイが息を切らして机に突っ伏していた。
「……み、水」
言われるまま差し出された茶碗の水を飲み干したセレイは、シディカに気付いて立ち上がろうとする。
「ふ、副隊長……伝令セレイ、ただいま帰還しましたー」
「そのまま! そのままでいいから……」
「……あのドンブリを追って敵の居場所を突き止めたケド……夜だから帰り道がわからなくなっちゃって、お日様が昇ってから方向を確かめて……」
息も絶え絶えになりながらも報告を続けるツバサビトの少女……
シディカはそんなセレイの顔を愛おしく胸元に抱き寄せる。
「よく頑張りました……ごめんなさい、こんな辛いことさせて……」
シディカはセレイを席に戻すと、士官に地図を持ってこさせる。
それは、偵察隊と騎兵隊による探索によって判明した谷間の間道に加え、イバンがドルトフから聞き出し、記入した、ゼットス拠点の位置が記されているものだった。
「確か、この辺りだったと……思う……」
疲労困憊のセレイは、それでも確かに、砦から東南の地点、広大な森林地帯の中程を指さした。その地はウーゴ砦とホドの街を底辺とした三角形を形づけられる距離であり、そしてゼットスの拠点をも指していた。
敵が人質交換に指定した場所は、偶然なのか意図的なのか、その三角形の中心であった。
「此処に……古いお寺の跡……」
セレイのその言葉に、シディカが驚く。
「浮遊機械の着陸地点には、ドルトフ将軍が拠点とした寺院跡がある……兄上の言ったとおり、ゼットスと浮遊機械は繋がっている……?」
両者の関係は不明のままではあるが、この件に、あの兇賊が一枚噛んでいることは確かなようだ。
各々の地点に改めて印を付けたシディカは、真剣な口調で下知を飛ばす。
「すぐに作戦会議に取りかかりますので、騎兵隊長と歩兵隊長、砲兵隊長を会議室に招集して下さい。あと、ウライバ本軍の隊長にも、こちらに御出座なされるよう、お願いして下さい。それと……」
シディカは、再び机に倒れ込んだセレイに目を向ける。
「誰かセレイを医務室へ……」
「僕が運びます」
いつの間にか食堂に現われたナランがセレイの肩に手を回し、「よいしょ!」と、引きずるように連れて行く。
この時、シディカは気付かなかった。
ナランの目が、しっかりと地図に向けられていたことを。
会議室――
「問題は、セレイが見た寺院のある場所までの道筋が確立していないと云うことですが、元は兇賊どもが通った道です。この地図を元にすれば、必ず拠点に辿り着けます!」
知らせを聞いて駆けつけた騎兵隊長トゥルムの自信に溢れた言葉に、シディカは、各部隊隊長の手前か、真面目な口調で言葉を紡ぐ。
「兇賊が通った道ですから、馬が通れるかどうかわかりません。ドルトフ将軍が使用した道であれば、鉄甲騎も通れるでしょうが、その道は目立つでしょうから避けたいところです……」
「……やはり、陽動作戦ですか」
アガルの言葉に頷くシディカ。
「本作戦は、ウーゴ守備隊とウライバ本軍の共同実施となります。
両部隊はそれぞれ北側と南側に展開、隠密に進軍して下さい。
囮としてサクラブライとヘオズズを運搬する本軍の指揮は大隊長に。敵との交渉役に立って頂きます。危険ですが、交渉を出来るだけ引き延ばしてもらい、その隙にウーゴ騎兵隊が南側から拠点を襲撃、もし敵が人質を交渉の場に連れて来た場合は、北側からウライバ本軍による救出作戦を実行します」
「本作戦に、モミジ殿も同行させるので?」
トゥルムの問いに、シディカは頭を振る。
「……たぶん、兄上がさせないでしょう。芝居とはいえ、恩人を敵に売り渡すような事を容認するとは思えません。
それに、同行させない方が交渉を長引かせるのに都合が良いとも言えます」
「ところで、我が軍の鉄甲騎は……」
「ウライバ本軍の鉄甲騎を、大隊長の本隊に優先して回します。砦の機体は修理が間に合いませんし、砦にも残したいから、騎数は限定されますが……」
シディカは、ウライバ本軍隊長の問いに、はっきりと決断しきれない形で受け答えるしかない事がもどかしかった。
「正直なところ、鉄甲騎の有無も含めて、敵の戦力がわからなさすぎます。
どちらにせよ、あの浮遊機械が出てきた場合、対処法が殆ど無いのが実情ですから……」
「戦場が市街でなければ、対処法はある」
その声に全員が振り向くと、会議室の扉の傍に、イバンが堂々とした姿を見せていた。
「大隊長!?」
「イバン卿!?」
「兄上……お戻りになられたのですね……?」
会議の結果、ミトナ王妃によりイバン・トノバ・ウライバに対し、ウーゴ砦守備隊大隊長の解任は保留、改めて賊の壊滅ならびに救出作戦の指揮を任ぜられた。
正式な処分は作戦終了後、藩王陛下ご帰還の後に改めて審議の上、決定を下すことになった。
歴々が居並ぶ中、今にも泣き出しそうなシディカの顔を見たイバンは、呆れつつも笑みを浮かべて入室、その側に寄り、頭に手を乗せる。
「そんな顔をするな……とりあえず私の首は繋がった……」
そう言って、改めて全員を見渡す。
「皆、心配を掛けた……
王妃殿下の勅命により、改めて私が本作戦の指揮を拝命することになった。早速だが、会議の現状を報告して欲しい」
作戦会議にイバン大隊長が加わったことで、内容がより現実的なものに形作られ、改めて、各部隊の役割分担が決定される。
まず、当初の予定通りイバン大隊長は本作戦に於ける総大将として、サクラブライとヘオズズの運搬と、人質交換の交渉役を担う。これを本隊、または囮隊と呼称する。
ウライバ本軍の装甲騎兵は、本隊の北側を一定の距離を取りつつ進行、大隊長の直衛と、人質が指定場所まで連行されていた場合、その救出を任務とする。もし、人質が浮遊機械に捕らわれている場合は、まず、大隊長が交渉によって地上まで降ろさせる。
そしてトゥルム率いるウーゴ砦守備隊の騎兵隊は、囮隊の南側を隠密且つ迅速に進軍、敵の拠点である寺院跡を強襲、人質を確認次第、これを救出しつつ、敵勢力の殲滅に当たる。
歩兵隊は砦に残り、防衛に当たる。これは、兇賊などの別戦力が奇襲を掛けてきた場合の対策である。敵にゼットスが加わっている可能性が濃厚である以上、油断はならない。
共通として、浮遊機械出現の場合、本隊を除く各部隊に砲兵を随伴させ、噴進兵器による攻撃を実施、撃墜が不可能な場合は鉄甲騎の待機場所まで撤収する。
変更点は、その鉄甲騎の編成である。
現在、完全な形で使用可能な機体は鉄甲騎が二騎と脚甲騎が四騎である。本隊には、サクラブライとヘオズズの運搬の為に脚甲騎が全て回され、鉄甲騎は後方に待機、敵の出方に応じて対応することとなった。
そんな中、シディカからひとつの意見が具申された。
「モミジちゃんは参加させないとして……私的には、アリーム氏の私的護衛であるダンジュウ氏に協力を仰げないかと……」
「莫迦な!?……異国の者に頼るなど……」
副隊長の進言に、一部――特にウライバ本軍の隊長が反発する。シディカの言うとおり、妻木団十郎為朝と名乗るイズルの武辺者が示した実力は確かであり、特に生身で鉄甲騎に挑むほどの猛者となると、味方として迎え入れたいのも事実なのではあるが、同時に、彼はあくまで外国の人間であり、安易にその力を頼るべきではないと云うこともあるのだ。
それでも、シディカは引かなかった。
「戦力が不足している以上、鉄甲騎の腕を[斬り落とした]武技を持つダンジュウ氏のお力添えが必要になるやも知れません。もし、代価が必要なら、支払ってでも迎え入れるべきかと思われます」
敵対勢力との戦力が未知数名な上に、味方の戦力、特に鉄甲騎が不足している現状では、ダンジュウの気操術は貴重な戦力と云えた。
シディカの意見具申に、イバンは俯き、そして答える。
「その事なら、アリーム殿とダンジュウ殿の両名から後助勢の申し出があった。しかも、『代償はいらぬ』とまで申し出てくれた……」
その言葉に、シディカの表情は明るくなる。
否定的だった他の隊長も、「志願したのなら吝かではない」とか、「あちらから助勢申し出られたのであれば、断るのは無礼というもの」など、意外にも反対意見を出さない。実の所、戦力不足は重々承知しており、それでも[表向き]反対して見せたのは、やはりウライバを守ってきた戦士としての誇りであろうか、はたまた、ギリギリまでは他国のものに頭を下げたくなかっただけであろうか。
だが、続くイバンの言葉は……
「俺の助けは、いらないというのか……」
郊外、ナーゼル商会の屋敷――
王城からアリームを送るために立ち寄ったイバンに、助太刀を断られたダンジュウは特に怒る訳でもなかった。
この闘いは個人的なものではなく、小なりとはいえ国が抱える問題である。外国人の合力が後々、軋轢や柵を生むかも知れないことは、経験上、ダンジュウ自身が理解していることだった。
収まりが付かないのは、アリームの方だった。
「砦の戦力がズタズタなのは、ワシらもよく知っておる。今こそ、誇りやら何やらを言っている場合ではないのじゃろ!?」
「大旦那様……」
ムジーフに押さえられ、興奮を鞘に収めながらも、アリームは言葉を紡ぐことを止めようとしない。
「……アンタが、敵の目的がモミジの嬢ちゃんにあることをワシらに打ち明け、その上で嬢ちゃんを守ってくれることには心より感謝する。
じゃからこそ、その返礼としてワシらも力を貸そうというのじゃ」
そう言って、アリームは後ろで控えるモミジを見上げる。
「…………」
巨人の少女は、何も言わずに三人のやり取りを見下ろしていた。
何かを言い出そうとして、それが出来ずにいるだけかも知れない。
イバンもまた、暫しもの言いたげなモミジの顔を見上げ、その後、咳払いで茶を濁しつつ、改めて衣を正し、アリームに向き直る。
「これは我が軍の誇りの話ではありません……敵の目的がどうあれ、私は無垢の人々が巻き込まれるのは、これ以上見たくはないのです。当然、その中には、貴殿やダンジュウ殿、そして、モミジ嬢も含まれます」
イバンの言葉は、先日の砦攻防戦を知るものには重いものだった。
敵の罠に嵌められ、足止めを余儀なくされたイバンが後に目の当たりにした光景――火を噴き、崩れる城壁の中、兵に混ざり奮闘する市民の姿は、頼もしいと同時に、自身の無力さを思い知らされたものであった。
確かに、市民というものは、いざというとき国、故郷、延いては自分や家族を守るために、時に武器を取り立ち上がらねばならないものである。
しかし、それはあくまでその役割を担う兵、騎士、そして操縦士が矢面に立って戦うからこそ言える言葉であり、肝心なときにその義務を果たせなかった(と、自分は感じている)イバンは、今度こそ、その責務を果たすべきと、考えているのだ。そのためには、[本来守るべき者たち]の力を頼みにするなど、以ての外と云えよう。
「この場の御貴殿らには、これまで多大なご助力を賜りましたこと、誠に以て感謝の念に堪えません。
……だからこそ、これ以上頼るわけにも参りません。これ以上、貴殿らを巻き込みたくはないのです……」
これはこれで、身勝手な言い分であろうことは、イバン自身、充分に自覚していた。
「だからって、『畏まってござり候』、などと簡単に引き下がれるものじゃないさ……」
「そうじゃの……ここで引き下がるくらいなら、前の戦いとて、遠くから傍観しておったワイ……」
ダンジュウとアリームを乗せた自働車H-5型は表通りを、ウーゴ砦、市街側の入り口を目指して走る。
「ワシらとて、物見くらいは出来るわい……」
息巻くアリームに、ダンジュウは腕を組み、静かに告げる。
「物見にしろ、殴り込みにしろ、行くのは俺一人だ」
「ここで除け者は無しじゃぞ?」
「今回ばかりは足手まといだ……」
「なんじゃと!? 老いたとはいえ、[冒険商人]と呼ばれたワシの……」
ここで自分が雇い主であることを主張しないところが、二人の今の関係を表わしていた。
だが、その自慢話をダンジュウは遮る。
「大旦那は、モミジの傍にいてやってくれ……」
「……わかった」
モミジの名前を出され、老いた冒険商人は素直に引き下がった。
自働車は砦の裏城門に着いた。
この裏城壁は、表のそれと違い、より簡素な壁ではあるが、万が一砦が破られた場合の備えとして立ち塞がる最後の守りである。それでも、この二人を止めることは出来なかった。
いや、止めるつもりも無いらしい。
「これは……アリーム氏にダンジュウ殿……」
歩哨は二人が名乗る前に声を掛けてきた。既に、それほど有名だった。
「もしかして、救出作戦への参戦を要請されたとか……?」
「…………」
「……まぁ、の」
期待の眼差しで見つめる歩哨に、沈黙で答えるダンジュウと、目を逸らしつつ嘘で答えるアリームは、取り次ぎと案内を断わり、砦の中を兵舎目指して勝手に進む。
「あれから厳重にしとると言っていたはずなのに、こうもあっさり……ワシらが敵の回し者じゃったら、どうするつもりじゃ!?」
「大旦那……」
「なんじゃ?」
不意にアリームを呼び止めたダンジュウは、城門付近に目を向けていた。
「あれ……ナラン少年ではないか?」
医務室――
ナランによって運ばれたセレイは、寝台に寝かされ、そのまま眠りについていた。
「あんな出来事に遭遇した上、夜通し飛んでいたから、精神的にも肉体的にも疲労が溜まったのだろう……
何、この娘は人間よりも頑丈に出来ている。今日一日、安静にしていれば体力は回復するだろう……」
医務官の診察結果に、ナランはホッと胸をなで下ろしながらも、危険を冒して敵の拠点を探り出したセレイの顔を見つめながら、自身の決意に思いを馳せる。
――今度は僕が、プロイと姫様を助けるんだ!
早朝、ドルージを見舞った後、ナランはその決意を込め、登城直前のイバンに救出作戦への参加を申し出た。
当然、却下された。
鉄拳の一撃と共に却下を告げられたのだ。
「それが今のお前だ、ナラン……」
少年を殴り飛ばした大隊長の目に怒りはなかった。
「本作戦にサクラブライは参戦しない……鉄甲騎だって数は足りない……
いや、仮に鉄甲騎があったところで、見習い機関士である以前に、今のお前はまだ子供だ。私が軽く殴っただけで吹き飛ぶ子供なのだ」
子供扱いされたナランは、その悔しさから何度も立ち上がり、イバンに挑み掛かるが、今度は軽く去なされる。
それでも少年は立ち上がり、壁のように立ちはだかるイバンに挑み掛かる。
声にならない叫びを上げ、大地に倒れ伏すその度に立ち上がり、果敢にも挑み掛かる。
倒れる度に何度も立ち上がり、起き上がる度に何度も挑む。
何度も……何度も……
イバンは、ナランが諦めるまで、何度も相手をした。
――そうだ、その悔しさを、奴らの代わりに私にぶつけろ!
そう、ナランの気持ちが晴れるまで、その想いを自分に刻みつけるまで、何度でも挑ませたのだ。
――受け止めた悔しさは、代わりに私が奴らにぶつけてやる!!
イバンもまた、不器用な男であった。それは自身も理解しており、こんな形でしかナランを諭せないことに苛立ちを感じていた。
そんなイバンの想いとはうらはらに、やがて涙目のシディカに止められ、遠巻きに見ていた機関士によって自室まで運ばれたナランの決意は、まるで叩き固められた大地のように、揺るがないものとなっていた。
「(セレイ、行ってくるよ……)」
眠る異形の少女に向けてそっと呟き、医務室を後にしたナランの後ろ姿が、辛うじて開けられたセレイの目に焼き付いていた。
――ナラン?
兵舎に戻ったナランは、自室としている棚のような寝台の、その下に備え付けられている引き出しを開ける。
中には、一揃いの機関士用、あるいは技師用の衣装が眠らせてあった。
ナランは、その仕舞われている衣装に手を触れる。
――父さん……
それは、かつて父バトが着用していた防具一式であった。
防具と言っても、戦士が身に着ける武具ではなく、あくまで作業の際に体を守る、革製の肘当や膝当に長靴、厚手の上着ではあるが、今のナランにとっては、唯一の[戦装束]と呼べるものであり、そして、首の護符同様、ジマリの街から持ち出した父の形見でもあった。
暫し思い出に浸るナランであったが、すぐに気を取り直し、手にした装束を身に着ける。あれから二年が過ぎたとはいえ、物入れの付いた、袖のない前袷の上着をはじめ、筒袴、長靴ともにその全てが少年の体には大きめであったが、帯や鞐、止め紐をきつく縛ることで無理矢理着込み、最後に、愛用の包袋付き腰帯を巻き、ウーゴ守備隊の紋章が刻まれた尾錠飾りでしっかりと留めた。
全てを着込んだ後、体を軽く動かしてみると、特に支障は感じられない。
ナランは、この防具を父の敵である[龍]と対峙するときに、はじめて身に着けるつもりでいた。そも、街に攻めてきた、そしてこれから立ち向かう敵は、ナランに取り、父の仇であったことを考えると、まさに今が[その時]ではあった……
しかし、今のナランは少なくとも、仇討ちのためにこの防具を身に着けるのではない。この闘いは、プロイとミレイを助けるためのものなのだ。
ナランは改めて自分の装束の着付けを確認すると、予め格納庫から持ち出していた武器――大型レンチなどの大型工具類を入れた背負い鞄の、その肩帯に腕を入れた。
――行くぞ!!
今のナランはサクラブライ、そしてモミジには頼れない。
いや、頼ってはいけない。
――僕一人で、やらなきゃいけない!!
だが、決意とはうらはらに、その後、世の中は時に、理不尽を動力にして回っていることを実感させられることとなるナランであった。
全ての準備を終えたナランは、城壁に沿って忍び進んでいたのだが……
――参ったな……
勇んで飛び出したは良いものの、砦は救出作戦の直前であることに加え、戦闘の最中、ゼットスに侵入された事が教訓となり、警備がより厳しくなっていた。訪れるもの、旅立つもの区別無しに厳しく吟味されている城門を、今のナランが抵抗なく出して貰えるとは思えなかった。
もしかしたら、夜になれば出られるかも知れないとも考えた。厳重とはいえ、慢性的な人手不足であるこの状況であれば、わずかでも付け入る隙があるかも知れない。あるいは、救出部隊の出陣に紛れて出て行くことも可能かも知れない。
だが、ナランにはどちらも選べなかった。
執念で記憶した地図によれば、敵の拠点である寺院跡は、森林地帯の奧に隠れており、子供の足では作戦開始前に辿り着くことは困難である。夜間となると、尚更である。間もなく雨期に差し掛かるこの時期は雲の数が多く、そのため月明かりも期待できず、方角を知るための星も満足に見ることが出来ない。
ナランとしては、何としてでも昼間の内に出立しなければならないのだ。
その時、隊商の馬車が出立の手続きのために城門の前に止まった。
――あれに忍び込むしかない!
意を決したナランがその馬車めがけて走り出そうとしたその時、
「!?……」
物音に気付いた検査官の兵がその方向を見ると、アリームがこちらを向いて手を振っていた。
「やぁ、ご苦労……」
後ろに立つダンジュウは兵に背中を向けていた。
その腕に、何が起きたのかを理解できずに藻搔くナランを検査官から隠すように……