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囚われの[姫君]

 

 ウーゴ砦上空――

 慌てふためく守備隊を眼下に見下ろし、市街に恐怖と混乱、そして多大な被害をもたらした上、ミレイとプロイを拉致した浮遊機械はゆっくりと、大胆にもその姿を晒したまま、不気味な音を奏でながら通過していく。


 船橋内部――

「重力制御器正常、現在、高度五十メートル、視界良好、巡航飛行安定、操舵装置異常なし……」

「焔玉機関出力安定、発電機電圧適正、飛翔装置異常なし……」

「〈電光砲台〉より報告。点検完了、各部異常なし」

「〈蛇腹腕〉の損傷具合はどうか?」

「第一、第二腕がそれぞれ爆破と巨人の反撃により、手首部分が完全に破壊されました。構造上、腕全体を交換しなければなりません」

「まだ、予備の第三、第四がある。拠点に着陸後、点検の後に切り替える」

「はっ!」

「書簡の投下、完了」

「ウーゴ砦上空通過、対空攻撃なし。高度三百五十メートルまで上昇……」


 戦闘中、客として招かれたゼットスは、その船内を隈無く観察していた。

 航行を司る船橋は、胴体中央にある円盤状の張り出し――展望船橋内部、その上層部分にあった。

 周囲は硝子窓で覆われ、三百六十度の視界を有し、覆面が一定間隔で有視界による見張りを続けている。

 実際の運用に携わるのは、操舵士と機関士が各二名ずつ。基本的には飛空船と変わることはない。

 操舵装置以外にも無数の計器類や受像器が見られるのは、何かの探査装置か、それとも試作兵器故の測定機器か。

 展望船橋の中心は大きな柱となっており、内部の螺旋階段にて、船体の胴体下部、焔玉機関や発電機、そして、要である飛翔装置が集中する機関部へと通じている。基本的に、搭乗員はこの機関室を通り抜ける形で乗降を行うのだが、これは構造上やむを得ないらしい。

 また、先程の戦闘で見せたように、展望船橋下部の数箇所に降下用の扉があり、電動の巻上げ機を使用した降下作戦や乗組員の回収、貨物の搬入などを行うことも出来るようだ。

 展望船橋より上である、船体上部の球形部分の内部は、まだ見せてはくれないようだ。

 当然と言えば当然である。

 船橋中央の梯子を登り、天井の蓋を開ければ、おそらくは、街を火の海に出来る件の兵器が格納されているのだから。


「どうかね?……輸送に特化した通常の飛空船と比べて、小型で機動力もあり、高々度の飛行を可能にした〈戦闘浮遊機械ウキツボ〉の乗り心地は……

 機関部、飛翔装置、武装に至るまで、[魔術]などと言う下劣な代用品など用いず、全てが……古代より伝承された〈前文明〉の科学技術のみで構成されている……

 君には今、我が〈文明結社〉最大の秘匿兵器を特別公開しているのだ、感謝したまえ……」

 大袈裟な仕草で自慢の兵器を紹介する[影]の姿は、子供が新しい玩具を見せびらかす姿と、何ら変わることはない。

 だが、この兇賊は不満だった。

「はいはい、凄いですねぇ……て、何で、さっきの光で街中全部を焼き払わなかったんだ……そうすりゃ、あんたさんの望みはみんな、叶ったじゃねえかよ……!?」

 [影]が言うところの〈ウキツボ〉の戦闘能力――〈電光砲〉と呼ばれる武器による光球の威力を見せつけられたゼットスだが、それがたったの1回、脅し程度にしか使用されなかったことに不満を持っていたのだ。

 そして、

「それに、あんな小娘さんを二人も攫ったって、今更、何になるんだよ……」

 船橋の中心で拘束されているミレイとプロイに対する扱いについても不満を漏らす。

「いっそ、[本物の姫君さん]だけ生かして、[着飾った姫君さん]とやらは、首でも刎ねて、見せしめに送りつけりゃいいんだよ……」

「……私は無益な殺生を好まないと、言ったはずだが?

 少なくとも、現状は……まだ我々への支払いが完了していない内は、我々に従って貰おう」

 [影]の答えは、ゼットスの不満全てに対する回答であろう。

「それに、我らが全てを滅ぼせば、君らの楽しみを取り上げてしまうではないか……君らには、我らが目的を達成した後に、この船を貸与する故、それから、破壊でも殺戮でも、好きなように使うがよい」

 その言葉を受けてもゼットスが収まらないのは、[影]が拉致した[王女]の内、片方が、前回の戦闘に於いて自身の企みを打ち砕いた少女であるからであろう。

「念のために聞くが……まさか、あんたさんは、あの小娘さんを本物の王女と思っている訳じゃあ、ねえよな!?」

 ゼットスの疑問を[影]は一笑する。

「私は単に、[遊び]に付き合って上げているのだ……殺伐とした中に、多少なりとも余裕が欲しいのでね……」

 そんな中、展望船橋を囲む硝子窓より、周囲を警戒する黒覆面の一人が、一瞬、大きな鳥のようなものを目撃した。

「真夜中に、鳥?……に、しては……大きいような……違う、砦の翼人!?」

 その報告を、影は鼻で笑う。

「放っておけ」

「……しかし!?」

「一度でも人目に晒せば、いやでもウキツボは目立つ存在となるのは想定の範囲内である。

 ここで重要なのは、敵に見つかることではなく、敵に立ち直る時間を与えないことだ」


「見つかっちゃった、かな……」

 優れた視力で、浮遊機械の展望窓から覗く人影の目が自分に向いた事を察知したセレイは、慌てて上昇していた。

「……やっつけるのは無理でも、せめて、あいつらの行き先だけでも突き止めれば……」

 ――プロイ……姫様……絶対に、助けるから!

 セレイは、浮遊機械から距離を取りつつも、決して目を離さなかった。

 このツバサビトの少女は、発見されることなく追跡を続けた。[影]がワザと見逃したのだが、セレイにそれがわかろう筈もない。

 やがて、その浮遊機械は拠点と思われる場所――巨大な岩のような建造物の傍、生い茂る木々の間に身を隠すように着陸した。

 古いナム教の寺院跡と思われる、表面が朽ちて一見岩山のような建造物は、全体を植物に浸食され、[慈愛の神]である本来の姿を失い、悪の本拠地としての異様な姿を晒していた。

 少なくとも、セレイにはそう見えた。


「ところで、あんたさんらはどうやって、今夜の宴のことを知ったんだ?」

「我々の信奉者(シンパ)は至る所にいる。それに、ウーゴは商業都市だ。機密の類でもなければ、すぐに話は広がる」

 信奉者とは、この場合は密偵を指すのだろうか。雑談を交えながら、着地したウキツボから降りる支度を始めたゼットスと[影]に向けて、勇気を振り絞ったミレイの大声が船橋に響いた。

「……其方たちの目的は……何なのですか!?」

 [影]は、小馬鹿にするように鼻で笑い、それから答える。

「……[騙りの侍女]ごときに話すことではないが、良かろう。

 我々は、王女殿下の身柄と引き替えに、あるものと交換したいのだ……」

「ある……もの?」

「我々の望むものさえ引き渡して頂ければ、殿下と貴女の身柄に加え、ウライバに危害を加えることはせずに、温和しく撤収いたしましょう」

「あんだと!?」

 [影]の言葉にゼットスは過剰反応を起こし、それでも気を使ってか、船橋の角に連れ込み、小声で抗議する。

「どういうことだよ……そんな約束したら、俺さんの仕返しはどうなるんだよ!」

「……我々による攻撃は差し控えるが、貴殿による攻撃については、我々の関知するところではない……」

 [影]の嘯く姿に、ゼットスはニヤリと笑う。

「悪党め……」

「貴殿にだけは言われたくない」


 悪党どもが密談の最中、寺院の中へと連れ込まれ、一室に閉じ込められた二人の[姫君]もまた、[密談]を交わしていた。

「プロイ……其方どうして、こんな無茶をしたのです。捕まるのは、妾だけで良いものを、其方までこんな目に……」

 ミレイの優しい問いかけに、プロイはにこりと笑みを見せる。

「……姫様は、私が想像していたよりも、辛そうだとわかっちゃったから、少しでも助けたいと思ったから……」

 プロイの脳裏には、自分が見てきたミレイ姫の色々な場面が浮かんでいた。


 それは、慰霊の宴に於ける壇上での弔意を述べる姿……

 それは、微笑みを投げかけながら勲章を授ける姿……

 それは、うれしそうにプロイやセレイと歓談する姿……

 それは、自分自身恐怖に怯えながらも、周りを気遣う姿……


 ミレイの、握る手の震えを直に感じたプロイはその時、手の届かない存在と思っていた王女殿下が、自分と変わることない少女であることを改めて実感し、それでいて彼女が、自分たちを思い、王女として懸命に振る舞おうとしている事を知り、心からこの姫様を守りたいと思ったのだ。

 これは王族に対する献身から起こした行動ではなく、心からミレイ個人を助けたいという思いから出た行動であった。

「まさか、こんなになっちゃうなんて、思わなかったけど……」

 プロイの目から、涙が止まらなかった。

 ミレイが絹の手巾(ハンケチ)でいくら拭っても、その涙は止まらなかった。

 だが、声に出して泣くことだけはしなかった。泣けば、自分たちを侮辱した[影]に対して敗北したことを認めるような気がしたからだ。

 泣くのは、彼等に打ち勝ったときに……そう決めたのだ。


 最初、二人は別々の部屋に別れて監禁されるはずだった。

 そこに、[影]が意見する。

「身の回りの世話をする侍女が同室されていた方が都合がよいでしょう」

 と、[影]が気を利かせたのだ。

 監視も覆面が行う。これもまた、[影]による計らいである。

 ゼットスの部下に任せた場合、色々と問題が起こるのは必須であろうから。

 二人が閉じ込められている部屋は、寺院の上層に伸びる、比較的状態の良い塔の一室だった。

 元々は僧が瞑想のために籠もる部屋だったのだろうか、天井が高く、窓も、高い位置に天窓がひとつあるだけだ。

 連中が気を利かせたのか、調度品もそれなりに置かれていた。ただし、何故か全て西方洋式のものばかりであった。

 プロイが天窓から伸びる光を追うと、それは月の光であり、この部屋に於ける祈りの対象であろう仏画を照らしていた。

 ミレイにとって、それが、ウライバ王家が女神アシャーナ・ウルと共に、古来より守り本尊としている聖人ナムが描かれた仏画であったことが心の救いであった。

 かつては金銀に輝き、鮮やかな朱色で彩られた天上界の写し絵……

 その中央で数多の修行僧を見守ってきたであろうナム仏の辛うじて残された瞳が、二人を哀れんでいるように見えた。

「全ては、ナム仏の御心次第なのでしょうか……」

 無意識に跪き、祈りの印を組むミレイの隣で、プロイは敢えて仏画に背を向け、天窓の光りを見つめる。

「私は信じています……セレイやナラン……砦の人たちがきっと、助けに来てくれるって……」



「『西方標準時にて午後八時頃、ミレイ王女殿下の身柄と交換に、ヘオズズの機体ならびに、サクラブライと称する鉄甲騎とその搭乗員である巨人の身柄を要求するものである。場所は、別紙に記載の通りである』……か」

 朝日の昇る中、イバンが読み上げた書簡は、浮遊機械が砦上空を通過した際、投下された容器に入っていたものである。

 二通の書簡の内、ひとつは前記の脅迫文、もう一つは、おそらく待ち合わせの場所への地図であった。

「ヘオズズというのは、あの多足の鉄甲騎のことでしょうかぁ……」

 呟くシディカに、イバンが尋ねる。

「セレイは、大丈夫だろうか……」

「あの子は、やってくれるでしょう……」

 ――本当は行かせたくなかった。

 そんな気持ちを含ませたような答えだった。

 イバンは、大隊長としてシディカに下知をする。

「副隊長……浮遊機械の分析、救出作戦の立案と準備を頼む。それと、セレイが帰ってきたら、その報告と、この地図にドルトフの情報を照らし合わせてくれ。もしかしたら、奴らの拠点を特定できるかもしれん……」

「兄上……それは、この件にゼットスが関わっていると言うことでしょうか」

 シディカとしては、考えにくかった。もし、この件にゼットスが関わっていたとしたら、いったい何故、砦攻防戦にあの浮遊機械を投入しなかったのか、と云うところに合点がいかないのだ。

「それについては何とも言えん。だが、奴らの要求に多足鉄甲騎が含まれているのが気に掛かる。あれを持ちだしたのは、ゼットスであることは確かなのだからな……」

 イバンは、不意に壁掛け時計に目を向けると、

「シディカ、今後の指揮は、当面はお前に任せる。やることが多くてすまんが……」

「任せるって……兄上はどうされるおつもりですかぁ?……」

「何って……これから王城に登るに決まっている。この件を、王妃殿下に報告しなければならないからな……もしかしたら、後任の指揮官が来るかもしれんから、そのつもりでいてくれ」

「…………」

 返す答えを見つけられないシディカに、イバンが投げかけた言葉は、笑みを乗せて言うような言葉ではなかった。

「……これが、今生の別れになるかもしれんな」

 シディカは、言葉が出なかった。



 騒動から一夜が明けた。

 ウーゴ砦は、上を下への大騒ぎとなっていた。

 無理もない。あの激戦から一週間と経たずしてこの事件である。

 空に浮かぶ謎の浮遊機械と、襲撃をかける黒覆面……

 そして、ミレイ王女殿下とプロイの誘拐……

 砦は再び臨戦態勢に戻った。

 いや、砦の中はこれまでとは違う緊迫感と緊張、そして混乱に陥っていた。


 そして、この騒動で最も取り乱したのは、ドルージ機関士長だった。

「奴らめ! プロイに何かしてみろ、唯じゃすまんぞぉ!!」

 プロイとミレイ王女殿下が誘拐され、浮遊機械でどこかへと連れ去られたことを報告されたドルージは、修理途中のバイソールに自ら乗り込み、砦から飛び出そうとしたところをイバンらに取り押さえられ、自室に閉じ込められたのだ。

「何で……こんな事に……」

 今のドルージには、兵舎の窓から叫ぶことしかできなかった。

「機関士長……」

 いつの間にか扉が開かれ、兵の付き添いの元、ナランが立っていた。

 声を掛けても、返事はない。

 それでもナランは、とにかく詫びを入れたかった。

 自分が我を忘れて賊に殴りかかり、逆に人質とされたこと……

 結果、自分を救うために敵に捕らわれてしまったプロイ……

 しかし、ナランは声を掛けられない。こんな時、どんな言葉で詫びを入れたらよいのか、わからなかったのだ。

 そんなナランに、ドルージも気付いていた。

 ナランを責めるつもりはない。むしろ、無謀にも敵に挑んだ愛弟子が、無事に帰ってきたことを喜ぶべきなのだ。

 だが、頭でわかっていても、やはりプロイを心配する気持ちが強い。今、ナランに言葉を掛ける気になれず、そして、そんな今の自分の顔を少年に見せたくないのだ。

 気持ちを表わすことに関して不器用な機関士長は、弟子に顔を向けることなく、ただ一言、「今は一人にしてくれ」とだけ告げた。

 ところが、精神的に追い詰められていたナランには違った意味に捕らえられた。心の中で勝手に、「顔も見たくない」と、言われてもいない言葉を想像してしまっていたのだ。

 ――やっぱり、許してはくれない……

 罵倒され、殴られるほうがマシと思えた。

 深く頭を下げ、退室するナランに、ドルージは振り返る事はなかった。もし、一度でも少年の顔を見ていれば、この時、ある[決意]を固めていたことを見抜いていたかも知れない。

 扉を閉めたナランは、慰めの言葉を掛けようとした兵を振り切り、廊下を走り出す。

 ――僕が、プロイを助ける!

 決意を固めたナランは、イバンの所に向かうのだが……


 格納庫では、機関士長不在の中、ヘルヘイを中心とした機関士達の手により、鉄甲騎の修理が急がれていた。ここ数日のように何処かのんびりとしたものではなく、再び臨戦態勢となり、不眠不休の作業となっていた。

 隣接している修理工場では、後回しにされていた装甲の修理が再開されたのか、工作機械の立てる連続的な鎚の音が砦に響き渡る。

「だからって、今日明日中に直るものじゃないけどな……」

「どっちみち、俺たちにはこれしかできない……新たな下知が来るまで、修理を続けるんだ」

「大隊長、城に登ったよな……」

 その呟きを聞いた全員の動きが止まる。

「王女殿下の誘拐を阻止できなかったんだ。ただで済むわけ、ないよな……」

「大隊長って言やぁ、ナランと、なんかあったのか?」

「お前、知らないのか?……朝方……」

「あのー」

 突如割り込んできたシディカの声に、機関士達が硬直する。

 そんな彼等の態度に構うことなく、シディカはいつもの調子で話し掛ける。

「……何人か、手伝って欲しいことがあるんですけどぉ」



 夕べの事件は、当然ながらウーゴ市街も混乱に陥れていた。

 一夜が明け、少し落ち着いたものの、人々は復旧作業が手に付かないほど、事件の話題で持ちきりだった。

「せっかくゼットスを追っ払ったってぇのに、何で立て続けに襲撃を受けるんだよ……よりにもよって、あんなバケモノに……!?」

「いよいよこの国もお仕舞いか……」

 そんな人々に渇を入れるものもいる。

「莫迦なこと言ってないで、仕事しろ仕事……せっかく直した街が、あいつらに荒らされて、また散らかっちまったんだからな……」

 怒鳴られた男達は、離れたところで復旧作業を黙々と続ける巨人の少女に目を向ける。

「英雄サクラブライも、あんなバケモノの前には、なんの役にも立たなかったな……」

「結局、伝説は伝説しかないってことだ……」

「あんだと!?……モミジちゃんの悪口を言うなっ!!」

 ドワルグと呼ばれた連中が、喧嘩腰に抗議したものの、人々の考えは改まらなかった。


「何時の世も、人は勝手だ……夕べまで、やれ[救国の英雄]だとか、[伝説の勇者だ]とか持て囃して置いて、都合が悪くなったら、すぐに掌を返しやがる……」

 ――サクラも、よくこんな目にあった。

 休憩中、少女の肩の上で物思いにふけながら、モミジに聞こえるよう愚痴るダンジュウに、

「……私は、気にしません」

 モミジは力無く答える。

 ――これでいい。

 ――私は、[英雄]なんかじゃないから……

 役に立てなかったのは、正直悔やまれる。だが、自分にまとわりついていた[英雄]という肩書きから開放されそうな雰囲気に、ホッとしている感情があるのも確かであった。

 ――そう言えば、私は何で街に来たのだろう……

 よくよく考えれば、こんなに長く滞在する予定はなかった。

 元はと言えば、織物の代価である焔石を受け取るために、山を下りただけではなかったのか……

「……あんなのは、図体だけの役立たずだ」

 遠くから、モミジに対する陰口が聞こえてくる。おそらく、巨人の耳に届かないと思ったのだろう……

 ――どうせ、役立たずなんだから、山に帰ろう……

 そう思ったときだった。

「違う、サクラブライは役立たずじゃない!」

 子供達の声だった。

「サクラブライはこの街を……僕たちを守ってくれたじゃないか! ものすごく強い鉄甲騎を、やっつけたじゃないか!!」

 その声は、少しだけモミジの励みになった。

 ところが、それは思わぬ方向に話が進む。

「あんなぁ、ガキども……あいつは、うすらでかいだけの小娘だったんだ。現に、[空飛ぶドンブリ]に宙吊りにされて、結局、何にも出来なかったじゃねぇか……」

 [ドンブリ]とは、街の人々が浮遊機械に対して抱いた印象なのだろう。

 からかい口調で宥める大人達に、子供達は怯まない。

「あれは、お姫様が捕まって、[鎧]を着られなかったからだよ!」

 その言葉に、からかった男ははっとなる。

「……そうだよ。奴らは人質を取ってサクラブライの力を封じたんだ!」

「それがなけりゃ、サクラブライがあのバケモノをやっつけられたのか?」

「卑怯な奴らめ……勝てないと知ったから、人質を取ったのかよ!?」

 急に人々がざわつき始める。

「今、砦の守備隊が奴らの居所を探っているはずだ……見つけたら、総攻撃を掛けるだろう。その時、鎧を着たサクラブライがきっと、あの[空飛ぶドンブリ]を地面に落としてくれるさ……」

「ああ、そうに違いない!」

 考えてみればわかることなのだが、モミジが浮遊機械に空中へと吊り上げられたのと、ミレイ、プロイが拉致されたタイミングは正反対なのであるが、人々には都合良く、すり替えられていたようだ。

 再び人々はモミジ――サクラブライを羨望の眼差しで見つめる。

 先程まで[うすらでかい]と罵っていた男が、またも掌を返し、人々を煽っていたのだ。

「サクラブライは俺たちの救世主だ……今度もまた、街を救ってくれるさ!!」

 人々は再びモミジとサクラブライの名を讃える。

 ――何時の世も、人は勝手だ……

 再び人々に取り囲まれ、困惑するモミジの顔を見ながら、ダンジュウは同情するように心の中で呟いていた。



 そのひとつ先の道を、騒ぎを避けるように、屋根付きの立派な馬車が通っていた。

「良いのですか?……あの状況を放って置いて……」

 馬車の窓からイバンが、人々に囲まれるモミジを見上げて呟いた。

「まぁ、ダンジュウがいるから大丈夫じゃろ」

 呑気に呟くのは、参考人として招聘されたアリームであった。

「このような事に巻き込んでしまい、申し訳ない……」

 改めて恐縮するイバンに、アリームもまた、身支度を直して向き合う。

「気にせんで下され……事を大事にしたのには、ワシにも責任があるのじゃからな……」

 そうは言っても、イバンの顔に笑みは戻らない。

「……この街は、私が父に成り代わり、治安を預かっていましたから、すべての責めは、この身が受けるべきです。貴殿には、迷惑はかけません……」

 二人を乗せた馬車は、市街を抜けると同時に速度を上げた……


 東西に延びる広い谷間、ナム教の岩窟寺院を横目に湖や森林、牧草地帯、田園地帯を抜け、やがてウライバ市街へと到着した馬車は、大手門から市外に入り、一直線に伸びる通りを進む。

「このような形でここを訪れることになろうとはな……」

 ナーゼル商会としては、商売相手であるウライバは大手の取引先ではあるのだが、既に商人としては現役を退き、商会の運営を跡取りである息子に任せていたアリームは、王城どころかウライバ市外を訪れること自体、初めてであった。

 建物全てが白い壁と赤い屋根に統一されたムジリシ派様式の美しさは、異教徒であるアリームにも伝わるものがあったのか、車上の窓を過ぎゆく光景に感心し、眺め続けていた。



 王城の門に到着し、馬車から降りたイバンは、歩哨に誰何されることなく敬礼で迎えられた。

「はぁ……」

「やはり緊張されたか? 大隊長殿……」

 珍しく人前で溜息を吐くイバンを気遣ったアリームに、イバンは(かぶり)を振る。

「それもありますが……」

 また、溜息をつく。

 やがて二人は、謁見の間へと辿り着いた。

「ウーゴ砦守備隊大隊長イバン・トノバ・ウライバ……

 トバン商人アリーム・アルイマド・ビンナーゼル氏とともに招聘に応じ、只今参上つかまつりました!」

 堂々と名乗りを上げたイバン、そして恭しくお辞儀をしたアリームの前には、ウライバの様式に従い、入り口方向を除き部屋全体をコの字に取り囲んだ高床に、それぞれ五人の大臣と、そして一番奥にある玉座に、ミトナ王妃殿下がウライバ藩王レイの名代として座していた。

「イバン卿にナーゼル殿、両名に拝謁を許す。昇殿なされよ」

 衛兵の一人に呼びかけられ、二人は部屋の中心まで進み、跪く。

 その時、

「この愚か者め! どの面下げてこの場に現われた!?」

 と、怒号が響いた。

「落ち着きなされよ、ダルバ卿……」

「これが落ち着いていられるものか……」

 隣の大臣に窘められながらも、ダルバ・トノバ・ウライバは、目の前で凝と跪く子息イバンを叱責――と言うより、罵り続ける。

「よくもトノバの家名に泥を塗ってくれた……攻め入られて幾日も経たぬうちに賊の侵入を再び許すなど……その上、ミレイ王妃殿下を拉致されるとは、言語道断ではないか……」

 よほどご立腹なのか、ダルバは腰の湾刀に手を掛けている。

「今すぐ妃殿下のお許しを頂ければ、この場で愚息めの素首を、斬り落としてくれるものを……!!」

 どこまで本気かわからないが、誰の目から見ても、この時のダルバの行動は尋常ではないように思えた。唯一人、イバンを除いては……

 ――相変わらず、父上は保身のことしか考えていないようだ。

 イバンの目には、父ダルバの憤りは全て、王妃ミトナへのアピールにしか見えなかった。息子の失敗から、自身の失脚、そしてトノバ家の断絶という事態を何としてでも阻止しようとしているのであろう。

 やや後方で跪くアリームは、イバンの肩の震えを見逃さなかった。

 ――この二人、普段ならこの時点で大喧嘩しておるのじゃろうな……

 人生経験からその事を見抜いたアリームだが、今日のイバンは何も言い返せない。何せ、賊の襲撃を阻止できなかったこと、そしてミレイ王妃を拉致されてしまったことは紛れもない事実なのだ。その責任は重く、もし、実際にこの場で手打ちにされても、なんの文句も言えないのだ。

 事実、イバンは覚悟を決めていた。必要であればこの場で後任の大隊長を選任し、その者に全てを授けた後、自刃することも、本気で考えていたのだ。

 もはや父がどのような言葉で自分を罵倒しているのか、イバンには関係なかった。彼が求めているのは、自身に対する処分を、王妃殿下の手で早急に下されることだけであった。

 しかし……

「その口を閉じよ、ダルバ卿……」

 今まで沈黙を続けていた王妃が口を開いた。

「今はそのような茶番を演じている場合ではないのですよ?……

 それと、子息の不備を唱えるが、報告で聞き及んだ内容に依れば、あのような事態を想定する方が無理というもの……」

 その言葉に、ダルバも流石に控える。

 それを見たミトナは、更に言葉を続ける。

「我が子ミレイがあのような形で拉致されたのは、あの子自身の責任でもあります。我は王の名代として、賊が如何なる要求を突きつけようと、それを受諾するつもりは毛頭ありません……ですが……」

 ここでミトナは間を置く。

「……巻き添えで拉致された少女は、何としてでも救出しなければなりません。ウライバ王家が市民を見捨てたとなれば、それこそ末代までの恥と云えるでしょうから……」

「お言葉ではございますが、民草の命など、王女殿下のお命と比べれば……」

 そう呟いた大臣は、ミトナのひと睨みで沈黙する。

「国は、時に民に命を伴う犠牲を強いることもありましょう……

 しかしそれは、結果的には国全体……あるいはより多くの民を救うためという大儀があるからです。

 そして同様に、国や民を守るためであれば、王の子であっても犠牲にしなければならない時があると云うことにもなりましょう。

 聞けば、その給仕係はミレイの身代わりを自ら引き受けたと申すではありませんか……王家のものは、我が身が助かるために、民の命を犠牲にしてはなりません……」

 ミトナは、繰り返し告げた。

「王が民に犠牲を求めるのは、あくまで国と民を守るため……

 王家として、我は……我が子可愛さのために、民に犠牲を強いることを望みません……」

 この場にいる一同が平伏して聞き入る中、アリームは、王妃に同情の念を抱いていた。

 ――辛い決断を下された……

 本来であれば、藩王が下さなければならない決定である。

 しかし、その藩王は不在……

 そして、決しなければならないのは、己の子の運命……

 本来であれば、何をしてでも救いたいと願うのが親心というもの……

 しかし、王家たるものは、時に個を捨て、時に公を取らなければならぬものである。

 かつて、王城でミレイに言い聞かせたように。

 ――上に立つものは、いつも孤独なものじゃ……

 攫われた我が子のために涙ひとつ流すことを許されない。

 小国と云えど、それが王族である。

 神々しく君臨し、民を束ねるものの宿命である。


 その後は、より詳しい報告と尋問、そして、今後の対策の検討に従事した。

 議事録に依れば、その間、ダルバは一言も意見しなかったという。





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