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藩王と飛龍騎士


「……〈文明結社〉?」

 クメーラ王国北西部――

 ウライバ本軍本陣、天幕の中――

 年の頃四十は越えたであろう、それなりに整った身体を質の良い小札で綴られた中原独特の甲冑で鎧う男性が、形よく手入れされた口髭の隙間から溜息をついた。

「……一難去ってまた一難とは、このようなものか……」

 その貴顕紳士――ウライバ藩王国を統べる藩王レイ・ウライバは、戦線後方に設営された本陣の天幕にて、居並ぶ武官達と共に、知らせをもたらしたであろう、目の前に跪く男装麗人の話に耳を傾けていた。

 この時、レイの脳裏には先の戦闘が思い出されていた……




 西方暦八〇八年五月――

 ひと月前の出来事である。

 ウライバ藩王国は、宗主国であるクメーラ王国より出兵要請を受けた。

 その理由は、国内の各所にて蜂起した一部の諸侯に対し、鎮圧の助力を請うものであった。

 謀反の企てに荷担した諸侯の数は決して多くはないが、鎮圧に時間が掛かれば、他にも決起するものが出ないとも限らず、内戦の拡大を招く事にもなりかねない。

 また、周辺の列強諸国の動向にも気を配らねばならない。この内乱に乗じ、何らかの行動を起こさぬよう、国境付近の守りも厳重にせねばならない。

 正直なところ、この出兵要請は各々の藩属国にとっては財政的にも政治的にも痛手であった。兵を動かす費用は莫迦にならず、また、国によっては隣国などとの問題を抱えたまま戦力を送り出すこととなり、場合によっては、他の武装勢力の跋扈を許し、侵略の機会を与えることになってしまう。

 事実、ウライバは留守中に襲撃を受け、他の藩王国に不安を与えていた。

 それでも、派兵を断れないのは、藩属国として交わした盟約が有効であり、宗主国への反抗は謀反への荷担とも取られ、制裁の対象となる可能性もある。

 また、逆に信頼を維持できれば、宗主国との関係はより強い物となり、その盟約を後ろ盾にすることで、自国を取り巻く周辺国家に対する威嚇、牽制にもなり、決して悪いことばかりではない。

 更に、現在のクメーラ国王ルイトボルトは藩王国の主権を尊重する方策を執っていることもあり、活躍の度合いによっては、新たな利権を得られる可能性もあった。

 無論、反乱分子が勝利すれば、立場が悪くなるのは自分たちの方ではあるのだが、状況が国王側に有利であったのは、敵が首謀者不在である状況を見れば、誰の目から見ても明らかだった。


 ウライバ軍が、この度の派兵で動員した兵力は、大型飛空船二隻、近衛の鉄甲騎バイソール三騎、同じくバイソールと脚甲騎リストール二騎で構成された三小隊計九騎、装甲騎馬五十余騎、砲兵を含めた陸戦兵およそ二百名。これは、王城で抱える戦力の半数を越えるものである。

 出兵の数としては、他の国も並ぶ戦力を投入したところもなくはないが、それでも、一部の極小国を除いて主力の大部分を投入する国など他に無く、非常識とも云えた。

これを、宗主国に対する売名行為と見る者もいる。

 特にウライバは、〈ゼットス党の乱〉の後、小規模の藩属国としては異例とも云える待遇を受けており、様々な特例、特権を認められている。故に、同じ藩属国の中には羨むもの、妬むものも多い。

 だが、ウライバとしては、他国の羨望嫉視は迷惑以外の何者でもなく、実の所、信頼がありすぎるからこその苦労も多い。この度の出兵も、各国の忠誠と信頼を確認するものと見られるため、それを示すには、得られた信頼に見合うだけの、大袈裟とも云える兵力を投入する他はないのだ。


 ちなみに、藩王国の国家規模は様々で、ウライバを越える国力を有する国もあれば、わずかな領地しか持たず、王の鉄甲騎と数騎の騎馬に依る近衛が兵力の全てと云う、国と呼べるかどうか怪しい豪族もいる。

 また、当然ながら藩王国すべてが中原の国々ではなく、半数は西方諸国の国々であることも付け加える。


 要請に応じ、馳せ参じたウライバをはじめとする藩王国の軍勢には、国境警戒任務が命ぜられた。これは武装蜂起があくまでクメーラ内部の問題であり、その解決のため、国境付近の守備兵を含めた全兵力を謀反鎮圧に回すためである。

 王国の公式文書では、これは実質戦闘への投入を自軍のみに留め、同盟国である藩王国との遺恨を、極力作らない為の配慮であると記載されているが、別の歴史書に於いては、万が一、列強諸国がこの機に乗じ、国境を越えて侵略を始めた場合、外様である藩属国を矢面に立たせる為であるとも云われている。


 そして現在、戦局は最終段階を迎えていた。

 抵抗する勢力の殆どが降伏し、所領を明け渡す中、唯一抵抗を続ける、クメーラ北西部ある侯爵領の城塞都市を包囲するに至っており、ウライバを含む各藩王国の軍は、国境警備の任を解かれて再集結、戦線の後方に控えていた。

 これは、万が一としての後詰めであると同時に、この戦闘に参加した各々の藩王に、謀反鎮圧の完了と、治安回復を実感させるためでもあった。

結局のところ、藩王国の軍は(多少の例外はあったものの)実戦に参加することはなく、一部の将などは、

「これでは手柄も立てられんではないか」

 と、苦笑混じりの呟きを漏らしていた。

 特に、恩賞で出費の穴埋めを謀ろうとする一部の国にとっては、残念な結末である。

 ここだけの話はあるが、恩賞などによる出費を極力減らすのも、彼等を戦場から遠ざけた理由のひとつではあった。


 そんな中、

「今日はまた、馳走であるな……」

 藩王レイは、並べられた膳に顔を綻ばせる。

本日、昼食として饗されたものは、宗主国からの特配として畜獣の新鮮な肉を炙っただけのものであったが、せいぜい腸詰めのスライスや柔らかく煮戻した乾し肉、付け合わせの乾パン、乾酪など、保存食をベースとした普段の陣中食と比べれば、それは充分〈馳走〉と呼べる料理と云えた。

 これは、包囲軍全てがワザと炊事の火を焚くことで、籠城戦を展開する城塞都市に対し、圧倒的な兵力とそれを維持するだけの兵站が十二分に整っていることを示し、味方の戦意高揚と、敵に対して精神的に圧力を掛ける為である。

「これは、我らだけで食すのは勿体ないのではないか?」

「この炙り肉は、すべての兵に余すことなく配給されております」

 藩王レイが思わず漏らした言葉に、近衛が兵站管理より聞き及んだことを伝える。

「流石はルイトボルト陛下であるな……なれば我らも陛下を見習い、下々にも目を向けねばなるまい……

 我が兵に、酒も、少しだけなら許すと伝えよ……確か、我がウライバの地酒を持参していたはずだ。あれを、振る舞ってやれ」

「よろしいのですか?……兵どもが郷を思い出し、浮き足立つのでは……」

「状況的に見ても、この戦は間もなく終わる。その前祝いだ」

「承りました。兵どもも、陛下の慈悲深きお言葉に感激することでしょう」

「世辞はよい。それよりも、我らにも酒を持て」

「陛下……それが本音ですな?」

 鉄甲騎隊長の言葉に、この場の全員が軽い笑い声に包まれる。

 緩急剛柔にして闊達自在――

 藩王レイ・ウライバとは、そう言う人物である。

 やがて天幕に酒と酒器が運ばれ、戦場の陣は歓談の中、ささやかな宴となった。その間、主な話題となったのはウーゴ砦よりの報告書の内容であり、すなわち、ウーゴ砦攻防戦の顛末である。これもまた、敵を打ち払ったという知らせ故、余裕を持って[酒の肴]のつもりで取り上げることが出来た。

 その中で、この場にいる者が一番知りたがった事は、ドルトフ将軍の凱甲騎スパルティータを一騎打ちの末に討ち果たした英雄が、何者なのかと云う点であった。


 だが、その昼食は中断されることとなった。


「敵襲!」

 兵の報告と同時に、周囲から鉄甲騎の駆動音が響いてくる。

「莫迦な!? ここは包囲網の外だぞ!……」

そう叫びつつ、天幕の外に出た鉄甲騎隊隊長は、この奇襲を仕掛けてきた三体の敵を見て、愕然となる。

「魔物!?……いや、あれでも鉄甲騎、なのか!?」

 続いて天幕から飛び出し種王をはじめとする面々も、その異様な姿を見て言葉を失っていた。

 それは、〈機械の魔物〉と言っても間違いではなかった。

 人型をしておらず、四脚の細い脚を自在に動かして右や左に移動、挙句は素晴らしい跳躍力で跳ね回り、反撃を試みるバイソールやリストールによる長柄斧、湾刀などを繰り出す攻撃を巧みに翻弄する姿は、もはや機械のそれとは思えなかった。

「あの姿もしや……報告書にあった〈蜘蛛猿型鉄甲騎〉ではないか!?」

 二つの鉄の箱を上下に重ねた胴体部、その下部の四方より伸びる筒状の脚部、そして、最大の特徴である、足首の先に見える[手]は、まさに報告書に文として記されていた〈多脚鉄甲騎ヘオズズ〉の姿を思い起こさせるのだ。

「何処から現われたのだ、このバケモノどもは……」

「襲われているのは、我々だけではないようですぞ!」

 騎兵隊隊長の言葉に、藩王が周囲に展開している他の藩属国の陣へと目を向けると、やはり各々の鉄甲騎が少数の[蜘蛛猿]と戦闘状態に突入していた。

 敵機の数は決して多くはない。

 しかし、「戦闘はない」と皆が思い込んだところに不意を突かれた形で仕掛けられた奇襲に加え、魔獣と見紛う敵の姿、更にはその奇襲を実現した機動力に翻弄され、混乱に陥っていた。

「何て機動力だ!?」

「こんなの、鉄甲騎じゃない……機械の魔獣だ!!」

 初めて見る存在に恐れを抱く操縦士や機関士の声が、拡声器を通じて戦場に広がるや、周りで守りを固めていた兵達にも動揺が広がる。それを見逃さなかった[蜘蛛猿]は、その混乱を更に煽ろうと、その場を一気に跳び上がり、その兵が集まる場の間近と飛び降りた。

 衝撃で吹き飛ばされた兵達が起き上がったときに見たものは、[蜘蛛猿]の胴体下部中央に光る、丸い一つ目だった。撮像器の無機質な透鏡レンズが、鑑写しの自分の姿を見て戦慄する若い兵士の姿を捉えていた。

「何をしている! 鉄甲騎は兵を守れ!!」

 叫んだのは、藩王レイである。

「陛下!? いけません、すぐに飛空船に避難を!!」

「離さぬか、真っ先に逃げて何が王か!?」

 レイは将達に止められながらも、兵を鼓舞し続ける。

 その鼓舞に奮い立たせられたのか、味方のリストールが雄叫びを上げ、長柄斧を大きく振り回す。その一撃は、兵に向いていた[蜘蛛猿]を横から薙ぎ、大きく吹き飛ばし、更には胴体の装甲を大きく変形させる。

「やったぞ!」

 操縦士の叫び通り、一撃を受けた[蜘蛛猿]は水蒸気の爆発と共に動きを止めた。

「見た目通りだ! こいつら、素早いだけで機体は脆い!!」

 だが、ここまでだった。

その攻撃力に警戒した[蜘蛛猿]は、鉄甲騎を完全に避ける戦術に切り替えたのだ。ワザと生身の兵が多い場所に向かうことで、鉄の巨人の動きを封じたのだ。

「いかん! これでは充填開放で機動力を上げても、足下の兵が邪魔で戦えん!」

「……卑怯な奴らめ……こんな邪道戦術、許されて良いはずがない!」

 そうは云うものの、戦に卑怯も何もあったものではない。

戦場に於いて、生身の兵を相手に鉄甲騎が攻撃を加えるなど、よくあることである。しかし、操縦士は騎士道精神、あるいはイズルに於ける武士道精神を持ち合わせており、故に鉄甲騎同士の戦闘に於いては、生身の兵を盾にするなどという戦術を執るものなど、これまで聞いたことがなかった。

「ともかく、すぐに、戦線のクメーラ軍に伝令を……」

 傍らの将がそう言って兵を呼び寄せようとしたとき、王が叫ぶ。

「……それが狙いか!?」

「……陛下?」

「きゃつらは後方を脅かし、戦線が混乱したところで門を開け、一気に逆襲に転じてこの包囲を崩しに掛かるつもりだ!」

「しかし、このままでは、こちらも壊滅的な打撃を被りますぞ!」

 誰もがそう思ったときだった。


 青天の霹靂――


 雷鳴の音と同時に、一体の[蜘蛛猿]の上面を一筋の閃光が貫いた。

 その一撃を受けた[蜘蛛猿]は、全身から火花と煙を噴き、その場に沈むように伏せ、そのまま動かなくなった。周囲を見渡すと、他にも同様に破壊された[蜘蛛猿]の姿が確認できる。

「何が、起きた……!?」

 ある者がそう呟いた瞬間、頭上を何かが飛び過ぎ、直後、追いかけるように轟音が響く。


 それは、紅色をした鳥のようだった。

 いや鳥ではない。明らかに巨大であった。


 それは鉄甲騎に匹敵する大きさを誇り、全身は羽毛ではなく紅色の鱗に包まれ、大きく広がる蝙蝠の翼とは別に、鉤爪を付けた四肢を生やしている。更には、後方に伸びる長き尾、それとバランスを取るように長い首には、立派な角を突けた、爬虫類の頭部が乗せられている。

「……あれは、〈龍〉……」

 王が呟いた直後、〈龍〉と呼ばれたその生物は一度翼を羽ばたかせると、音の如き速さで上昇、宙返りしつつ旋回、今度は地上すれすれまで一気に高度を下げた。

 その時、兵は、将は、そして王ははっきりと見た。

 〈龍〉の背に、鱗同様、紅色に輝く甲冑に身を包んだ〈騎士〉が、手綱も握らず、代わりにとてつもなく長い槍を片手で構えて跨る姿を――

 直後、〈龍〉は低空飛行で急接近、放たれた矢の如く〈蜘蛛猿〉目掛けて身体をぶつけ、その巨体を軽々と吹き飛ばす。

 否、吹き飛ばしたのは〈龍〉ではない。

 その背に乗る騎士が、手にした長い馬上槍で突き、突き飛ばしたのだ。

 背に乗る騎士は巨人ではなく、明らかに人であるにも拘わらず、その上、高速で飛ぶ龍の速度、衝撃をものともせずに、である。

「飛龍……騎士……」

誰かが呟いた。


〈飛龍騎士〉――

 それは、鉄甲騎が出現する遙か以前に存在し、現在では失われた決戦兵器の呼び名であった。

 戦場を縦横無尽に飛び回り、時に電光、時に騎士の槍を繰り出す飛龍騎士の前に、[蜘蛛猿]は為す術もないまま次々と討ち取られていく。

 だが、すべての[蜘蛛猿]が手を拱いているわけではない。状況を把握したのか、敵は体制を立て直し、空中からの攻撃に備えるための機動を始める。暫く戦闘を続けている内に、動きになれてきたのか、[蜘蛛猿]は四本の足を器用に動かし、ジグザグな軌道を取ることで、〈飛龍騎士〉の攻撃を確実に回避するようになっていった。

 再び好転しそうな状況に、[蜘蛛猿]の操縦者は思わず声に出す。

「思った通りだ。あの光の弾は連続で撃つことは出来ない……背中の騎士が繰り出す槍も、奴の正面さえ向かなければどうって事はない。

後席、機関はまだ行けるか!?」

「今のところ、問題はありません。小型のくせに、よく働きます!」

 しかし……

 いつの間にか傍に寄せていた鉄甲騎が[蜘蛛猿]に逆襲を仕掛け始める。

「前席!……何が……!?」

「……嵌められた!」

 ここに来て、[蜘蛛猿]の操縦士達は気付いた。既に周囲が様々な鉄甲騎に包囲されていることに……

 そう、飛龍騎士は闇雲に攻撃を繰り返していたわけではない。動きの意図に気付いた各藩属国の鉄甲騎と連携し、[蜘蛛猿]を一箇所に集めて包囲するよう、巧みに誘導していたのだ。

「ならば、飛び越えればよい!」

 そう叫び、跳躍した一騎の[蜘蛛猿]は刹那、〈龍〉いやさ〈飛龍〉の前足に捕らえられ、空高く連れ去られた。

「まずい、このままでは……!?」

「機関、最大出力!!」

 操縦士の必死の操縦に機関士も応える。

 不意に、操縦桿に掛けられていた負荷が消えた。〈飛龍〉の腕から機体が自由となったのだ。いや、正確には〈飛龍〉が[蜘蛛猿]から手を離したのだ。

 自由になったところで、操縦士と機関士は体勢を立て直そうと、操縦桿と踏板を操作した瞬間、今度は強烈な衝撃を受けた。

 それは、〈飛龍〉の尾による一撃だった。空中で[蜘蛛猿]を解放した後、その身体を前転させ、長く力強い尾を上から叩き付けたのだ。

叩き付けられ、そのまま空中から落とされた[蜘蛛猿]は、足をばたつかせる暇さえ与えられず、上下逆さまに地面に激突、バラバラに砕け散った。

 唯一の脱出手段を押さえられた[蜘蛛猿]は、包囲する鉄甲騎に正面から挑むしかない。しかし、得意戦術を封じられたこの脆弱な機体に、勝ち目など無かった。

 そして、包囲した鉄甲騎の手により、すべての敵が一掃された。

 戦場に、勝利を誇る〈飛龍〉の咆吼が響き渡っていた。




 突発的な戦いが終わりを告げた。

飛来したときとは打って変わり、緩やかな滑空飛行で着陸した〈飛龍〉の背から降りた紅き甲冑騎士の姿に、レイは驚きを隠せなかった。

「……メリジュ……やはりメリジューン・ナーガルか!?」

 メリジューン・ナーガルと呼ばれた女騎士は、レイの前まで駆け寄ると、兜を脱ぎ、微笑のまま跪く。

「ご無事のようで何よりです、おじさま……いえ、藩王殿下!」

 直後、一発の銃声が響き渡る。

 その場の全員が警戒し、音の方向に向くと、これまたいつの間に現われたのだろうか、馬上の戦士が撃ち終えた長銃を肩に提げようとしていた。

 中原の騎馬民族を祖とする、だぶついた服に小札を綴った鎧を着け、鉄の鉢を革の錏で囲んだ独特の兜、そして砂塵避けなのか口元を隠す覆面は、明らかにウライバ様式の戦装束である。しかし、自軍の騎兵はその様式を取り入れた板金甲冑に更新しているため、今時、このような旧式の武具を着けるのは王族に連なる者しかいないはずであった。

 その凛々しく映る武人を目の当たりにしたレイは、思わず自身にとって最も親しい名前を呟いていた。

「……レイシャ……」

 レイがその武人の名を呼んだ直後、背後から呻く声が聞こえた。見ると、明らかに敵兵と思われる装束に身を包んだ男が、藩王に狙いを定めていたであろう拳銃を取り落とし、その後、倒れた。おそらくは、先の[蜘蛛猿]の操縦士であろう。

 レイシャと呼ばれた武人は馬を降り、王の側まで駆け寄る。不思議なことに、銃を撃った事実があるにも拘わらず、誰も止めないどころか、全員が跪く。

 そして、

「お久しゅうございます……父王陛下」

 そう言った直後、武人は兜を取る。

 堂々とした姿とはうらはらな、まだ大人になりきれていないような、少年の如き顔を晒した青年、レイシャ・レイ・ウライバは、女騎士の側でやはり恭しく腰を落とした。




 そして、今に至る――

「彼の組織が、あの[蜘蛛猿]どもを裏から操り、その上、我が国まで窺っていると申されるか……メリジューン卿」

 年の頃十六、七と思われる、西方人特有のブロンド髪をたなびかせ、紅く染められた西方式の板金甲冑にその身を包んだ容姿端麗の女騎士は、小脇に兜を抱えたまま、より深く頭を下げる。その出で立ちは、兜を脱いでいなければ、うら若き乙女と気付くものは少ないであろう。

「いつものようにメリジュと、呼び捨てにして下さりませ、藩王陛下。その方が、話しやすうございます」

「ここは公の場である。その上、我が盟友であるイースディア伯オピウス卿の御息女にして、この度〈飛龍騎士〉の称号を正式に復権、叙勲された女卿を、各国藩王ならびにクメーラ貴族の御歴々が居並ぶ戦場(いくさば)で無碍に扱うことが出来ようものではない……

だが、其方が望まれるならば、致し方ない……楽になされよ」

 促され、勧められた床几に座りながら、メリジュと名乗る女騎士は話を続ける。

「恐縮に存じます……

 反乱を起こしたノーゼラット辺境伯ジークムント・グルントマンは、予てより件の組織との繋がりがあり、彼等より支援を受けたことで、事を起こす決意を固めたものと思われます……」

 藩王と武官達は、自国が出兵を要請される原因を拵えた人物の名を耳にして、複雑な思いとなる。

「ノーゼラット辺境伯の領地と爵位は、かつては〈ゼットス党〉を率いていたウィルヘル卿・ゼットスのものと聞き及んでいる……」

「ゼットス党壊滅の功績を挙げたジークムント卿の祖父が、その爵位と爵領を拝領し、以後、ノーゼラット辺境伯を名乗られたとか……」

「まさか、その血筋を受け継ぎ、忠義を讃えられた家系のお方が、同じ地でクメーラ王家に弓を引くことになろうとは……」

「しかも、場所と手段は違えども、よりにもよって、かつてと同じように、まだお若いレオンナルト王太子殿下を狙われるなど……」

「しかし……」

 居並ぶウライバ武官――近衛を含む鉄甲騎の操縦士と各騎兵隊長の言葉を制し、藩王は再びメリジューンに目を向ける。

「それは其方が……メリジュがそれを水際で防ぎ、我が子息とともにレオンナルト王太子殿下をお助けしたではないか……」

 レイはそう言って、自らの傍らに控える、黙して語らない青年――ウライバ王太子レイシャ・レイ・ウライバに顔を向ける。

 


 全ての発端となったこの謀反は、辺境伯ジークムント・グルントマンが首謀者として陣頭指揮を執り、計画を進めていたものであった。

 しかし、その計画は女騎士メリジューン・ナーガルと、ウライバよりの留学生としてこの国を訪れていたレイシャ、そして〈飛龍サラン〉に依る獅子奮迅の活躍で阻止されることになるのだが……

 詳しい顛末については、また別の英雄譚で物語ることにしよう。



 藩王の称賛に、武官達もまた、同意するように頷くものの、メリジューンの表情は冴えない。

「レイシャ殿下の御助力を受けながら、結果的には一部諸侯の決起を止めることが出来ませなんだ……

 陰謀を捜査する過程で、我らは〈文明結社〉の存在を知りました。そしてジークムントを追い詰めたところ、敵は未知なる通信手段を用いて、一斉蜂起の合図を送ったと思われます。

 また、その通信に用いたと思われる密書の一つに、南方の要塞指令であったリチャルド・ドルトフ将軍へ宛てたものもありました……」

 その密書に書かれていた内容は、ドルトフの身辺に潜伏している工作員に宛てられており、挙兵した場合の支援方法と、あるいは逃走を選択した場合の対処法が書かれていた。結果、ドルトフ将軍は逃走を選び……

「工作員がゼットスの名を騙る兇賊と手を組むよう仕向けた、と言う訳か」

 そう言って藩王レイは、再びウライバからの書簡に目を通す。

「密書は得体の知れない[暗号]として描かれていたため、解読に時間が掛かってしまいました。もう少し早く読み解けていれば、先手を打ち、我が国に至る前に阻止できたものを……」

 初めて口を開き、口惜しそうに呟く子息レイシャに、先程まで読んでいた報告書を見せながら、藩王レイは優しく声を掛ける。

「過ぎたことだ。それに、将軍の企みはこうして阻止された……」

 再び正面を向いた藩王は、腕を組んで考え込む。

「……本来であれば、南方警備の城砦に籠城するつもりであったのであろうが、兵からの支持を取り付けること叶わずに逃走……その上、我が国に派遣されていたダーマスル駐在官を味方に引き込み、内部から突き崩そうとするなど、逃走の準備と云い、その後の算段と云い、手回しの良さだけは天晴れというべきか、呆れ果てたと云うべきか……

 だが、それもこれも、文明結社とやらの差し金とすると……」

 レイはこめかみを押さえる。

 メリジューンは、その気はなかったものの、藩王に更なる追い打ちを掛けるような発言をする。

「組織は想像以上に巨大なものと考えられます。その最終目的はわかりかねますが、放置しておけば、このクメーラのみならず、西方諸国はおろか、中原の国々、果ては、グランバキナ、ラの国々までも巻き込む騒動に発展しそうな……そんな気がしてならないのです」

 女騎士のとんでもなく大袈裟な――最悪、虚誕妄説とも取られかねない言葉に、武官がどよめく。

「お言葉ですが女卿(レディ)、それは少々……」

 ――少々、戯作本の読み過ぎでは……

 と、思わず口走りそうになる武官だが、

「先の戦闘……あの異様な敵の姿をもうお忘れですか!?」

と、いつになく真剣な眼差しを見せるメリジューンの表情に押され、言葉を呑み込む。

 わずかな思考の後、レイはメリジューンに問う。

「世界の情勢はともかくとして……

ドルトフと兇賊を退けた我がウライバに、文明結社がこの上、何かを仕掛けると、申したいのであるな? メリジュよ」

「はい……藩王陛下に於かれましては、対策を講じられる為にも、早急なるご帰還を為されるよう、強く進言いたします」

「それは重々承知している。しかし……」

 難色を示すのは当然である。例え後方支援であっても、クメーラ王国軍の指揮下にあるウライバ軍が現時点で戦線を離れることは、簡単にはできないのだ。

「ならば、ウライバに向け、すぐにでも急使を立てるべきです」

「急使と言っても、クメーラの最西端とも云えるこの地からでは、早馬でも五日以上は掛かるぞ」

「ウーゴ砦のセレイが此処にいれば……」

「居たとしてもここはクメーラ王国……撃ち落とされるだけですぞ……」

「で、あれば……」

 議論百出な状況の中、武官の目がメリジューンに注目する。

「……女卿の〈飛龍〉であればひと飛びで行けるのでは?」

「飛龍であれば、千里の道すら瞬きの間に飛び越すと云うぞ!」

「いや、それはならん」

「何故でございます陛下……」

 武官の具申を却下した藩王は、一息ついてその理由ならびに結論を下す。

「飛龍騎士と云えども、正規の手続きも無しに戦線を離れ、藩王国とはいえ越境となると、問題とされるのは目に見えておる。なれば、メリジュには我らが帰還の許可を取り付けるために口添えを願いたい。無論、間に合わぬ場合に備えて急使も立てる所存である」

 結論が出れば迅速果敢である。

 レイは直ちに書記官を呼び寄せ、二通の書簡を作成するよう命じた。

 一つは、ウライバに向けてのもの。報告書への返事に加え、メリジューンの具申に従い、文明結社についての判明している情報と、それに対する警告。

 もう一つは、クメーラ国王へ宛てたもので、帰還の許可を求める嘆願書である。

「帰還の理由は、どうなさいますか、陛下……」

「ありのままをお伝えする。国王陛下は、わかって下さるだろう。だが、諸侯を納得させるためには、文面は慎重に選ばねばなるまい……」

 書記官に書類作成を命じたレイは、メリジュの傍に立ち、その手を取る。

「メリジュ、我の書簡を、国王陛下に届けてはくれまいか。其方なら、直接目通りが叶う故に、是非、頼み申す。本来ならば、我が身が陛下に直訴せねばならぬところであるが……」

「顔をお上げ下さい……勿体のうございます」

 藩王の懇願する姿勢に思わず恐縮し、慌てて立ち上がるメリジューン。

レイはそのままの姿勢で、再び子息レイシャに目を向ける。

「王子よ……我が名代として、メリジュとともに陛下の元に出向くのだ。そして、何としてでも帰還の認可状を頂いて参るのだ。それがなければ、戦線から動くことは出来ぬからな……」

「は……」

 レイシャは取り乱すことなく、形式的に跪き、

「父王……許可を頂いた折りには、私もウライバへ帰還いたしたく思います」

 と、切り出す。だが、王は首を縦に振らなかった。

「ならぬ。其方は、まだ留学の期間を終えてはおらぬ」

「しかし、私は母上やミレイ、そして民が心配でなりません!」

「まずは落ち着くのだ……」

 声を荒げるレイシャを、レイは父親の顔で宥める。

「その想い、父は痛いほどわかる……だが、この度の嘆願は、一つ間違えば王の側近や諸侯の反感を買うおそれもある。その上、其方の帰還まで願うとなると……」

 ウライバ王子としてのレイシャは、名目上は帝王学及び西方諸国の文化、学問など知識を得るための留学生ではあるが、クメーラに対するウライバからの人質という側面も持ち合わせている。

 藩王の困惑に、メリジュはレイシャの隣に跪いて具申する。

「国王陛下は、レイ陛下に信頼を置いております故、我が願い出れば、レイシャ殿下の御帰還は叶うのでは?」

 レイは、丁重な態度で辞退する。

「メリジュの申し出はうれしく思うが、それでは女卿の立場を危うくすることになる……

 レイシャよ、まずは我が与えた使命を果たし、その上で、国のことは我らに任せ、其方はこの地でしっかり学び、来るべき日に備えるのだ」

 その言葉を受け止め、深く頭を下げるレイシャを見た父王は、少し砕けた笑みを浮かべて、

「安心せい、息子よ。ウライバの入り口たる砦は、武辺確かなイバン・トノバが守護しているのだ。現に、こうしてドルトフの軍勢を体よく退けておる。家臣どもを信頼するのも、王たるものの努めと心得よ……

 それと、其方は、我が(ミトナ)に似て生真面目すぎる。謹厳実直は誠に結構ではあるが、せっかくクメーラの首都にいるのだ。もう少しメリジュを見習い、気を楽にして、夜遊びの一つもしてみたらどうだ……」

 などと言うものだから、呆れて武官が

「陛下、いくら何でもそれは学んではならぬものでは……」

「我は、そのように見えますかぁ?」

 と、メリジューンまでが詰め寄るが、「違うと申すのか?」と、笑って問うレイに反論できず、言葉を詰まらせる。

 このやり取りが武官たちを和ませ、重い空気が若干軽くなった。

 そんな中、天幕が開き、兵が声を掛ける。

「昼食の準備が整いましてございます」

「丁度良い……皆、先程食い損ねた昼餉の続きとしようではないか。書簡が出来るまで間がある。メリジュも遠慮のう、膳を取られよ」

 直後、数名の兵が人数分の膳を運び入れる。

 結局、書簡の作成は難航し、メリジューンとレイシャは小一時間ほど待たされた。その間、戦局は動くことなく、二人にとってこの時間は、蹉跎歳月の如く感じられた。



 陣屋の外――

 外の空気を吸うために外へ出たメリジューンは、気が付くと、レイシャと二人きりとなっていた。正確には、本陣の近くには、彼女の騎乗する〈飛龍サラン〉が蹲り、控えている。馬のように繋がれていないところから、勝手な振る舞いを起こすことはないのであろう。

 まるで借りてきた猫のように、巨大な龍は、その場で凝と動くことなく、耳だけをメリジューンとレイシャに向けて、その会話を聞いていた。

「なぁ、レイシャ……」

 二人きりだからであろうか、メリジューンは、属国とは云え一国の王太子に対し、砕けた口調で、その上呼び捨てで話し掛ける。

「陛下からお聞きしたスパルティータを討ち取ったものの話だが……」

「私も、てっきりイバン卿が討ち取ったものと思っていたが……まさか、伝説の〈サクラブライ〉が再来したとは、驚きだよ、メリジュ……」

 レイシャもまた、呼び捨てにされたことなど気にせず気さくに答える。元々そう言う性格なのか、または、それほど気を許した相手なのか、はたまた、その両方なのだろうか。母に似て謹厳実直ではあるが、同時に父譲りの洒々落々した面も継承しているのだろう。

 メリジューンは[伝説の英雄]の名に思いを馳せる。

「サクラブライ……以前、貴殿が聞かせてくれた、二百年以上前のお伽噺だったな……確か、ウーゴ砦の地下から発掘されたという巨人の鎧……」

 ここでメリジューンは意地の悪い笑みを浮かべる。

「リチャルドの奴もさぞ、悔しかろうな……己を捕らえたものが、よもや、あのような……」



「よもや、あのような巨人の娘御であったとは……」

 領主トノバ家官邸――

虜囚の身となった敵将リチャルド・ドルトフは、窓から外を眺めつつ、ウーゴ城砦戦の最後を飾った、あの一騎打ちを回想していた。


 あの日――

 ドルトフは、動かなくなった自機の操縦席の中で叫んでいた。

「何故、最後の最後で、あのようなものが現われた!?」

 怒鳴り声の主である歳の頃二十過ぎの若い軍人が、小柄だが肉付きの良い体を薄汚れた板金甲冑の内側に詰め込み、どっかりとふてぶてしく操縦席に腰を下ろし、怒りと苛立ちを隠すつもりもなく体を揺する。

 世の中というものは、時に、理不尽を動力にして回っているとしか思えなかった。

 そも、人々からサクラブライと呼ばれた、あの[鎧武者]が最初から戦場に出来ていれば、あのように無謀な単騎駆けなど仕掛けることなどせず、間違いなく別の策を講じていた。その事を考えると口惜しい。

「大体、お前は何者なのだ!?」

 あの日、動かぬ偶像と成り果てたスパルティータが尚も、そして最後まで目を離さず、受像器に写し続けた強敵の姿を凝と見つめ続けた若き将軍は、それが兜を脱ぎ、その中身が巨人であり、しかも、本当にうら若き少女であったこと、そして同時に、〈背中を預かる〉機関士が年端のいかぬ子供であったことに驚愕を覚えざるを得なかった。

「吾輩は……斯様な……!?」


「斯様な得体の知れぬものに、吾輩は負けたのか……」

 あの時、短剣を自らの喉に突きつけながら叫んだものと同じ言葉の中に、今は、無念千万の思いは籠められていなかった。

 ドルトフにとって、先の攻防戦が往事渺茫のように感じられていた。



 戦闘終了後――

 サクラブライとの一騎打ちで敗れ、スパルティータ操縦室の中で自刃直前に捕らえられたドルトフは、ウーゴ市街の郊外、領主トノバ家の官邸にある西方式の客間を一つ与えられ、軟禁状態となっていた。

 当初は自暴自棄となり「生き恥など晒すつもりはない」と自害を試み、その望みが叶わぬと癇癪を起こして暴れ、周囲の手を焼かせていたが、今はすっかり温和しくなり、クメーラ王国よりの沙汰を待つ日々を自堕落に過ごしている。

 本来、兇賊ゼットスと結託し、ウーゴ砦を襲撃したドルトフは戦争捕虜ではなく犯罪者として扱われ、同様に捕縛された兇賊残党ともども地下牢に投獄されるべきであるのだが、彼が宗主国であるクメーラ王国の貴族であり、また、ノーゼラット辺境伯による謀反に荷担した廉で王国から引き渡しを要求される可能性もあることから、政治的配慮による厚遇であった。

 これは、郎党である装甲騎士ならびに鉄甲騎の操縦士と機関士、そしてウライバ王城占拠を企てたダーマスル駐在官とその配下も同様であった。

 ただし、流石に行動には制限が掛かり、捕らえられた者同士が互いに接触することは許されず、ドルトフやダーマスルは、庭園の散歩など官邸内に於ける自由な行動は認められてはいるが、当然、衛兵による監視が付き、時間も限られている。

 従って、この八日間、会話らしい会話と云えば、イバン大隊長の尋問のみであった。



「……では、閣下はゼットスの作戦を完全に把握はしていなかったと……?」

「少なくとも吾輩は、爆弾のことは知らぬのである……」

 〈戦勝慰霊祭〉を終えた翌日――

 イバンの丁寧な口調による尋問に対し、神妙に答えるドルトフの言葉に、嘘はなかった。大隊長自らがこのような役を行うのは、やはり相手が謀反人とはいえクメーラ貴族であり、相応の地位、階級を持つ者でなくては務まらないと判断されたためである。

 騎兵同士による緒戦の後に行方をくらましたゼットスがその後、どのような行動を取ったのかは、ドルトフの及ぶところではない。だが、その兇賊が引き起こした惨事を戦局打開に利用したのは確かであり、その事に弁解の余地はなく、また、今更その気もない。

 そも、ドルトフにとって、これは戦であり、戦というからには、勝つためにはあらゆる状況を利用し、手段を講じるものである。それが気に入らなければ、それらを打ち破り、勝利した上で裁けばよい。

 勝てば官軍である――

 戦というものは、どんな綺麗事を並べても、結局の所、[勝った側が正義]であるのだから。

 しかし、いや、それ故か、口調の変化は無いものの、敗北を認めたドルトフからは高圧的な態度は消え失せていた。彼もまた軍人であり、身の振り方は心得ているのだろう。[敗軍の将は兵を語らず]と云う言葉の通り、今自分は敗者であり、裁かれる側にあるのだと……

「ゼットスとは……かつての指導者の名を騙るあの男とは、辺境伯より差し向けられた連絡役の男から助力を請うように勧められた……」

 気が付くとドルトフは、訊かれもしないうちに、ゼットスと自分の関係を淡々と語り始めていた。

「黒覆面を付けた男は、謀反の失敗と、そして辺境伯の敗北を吾輩に伝えたのだ。後で知ったのであるが、知らせが届いたのは、伯がメリジューン卿に破れた直後であるそうだ……

 その時は、吾輩のよく知る女卿が参戦し、その上謀反を直前で止めたことに驚き、気にも止めなかったが、よくよく考えれば、早馬でも数日はかかる距離を、どのようにして知らせたのか……」

 武装蜂起の失敗を知ったドルトフは、藩王の読み通り、当初は自分が管理する南方守備の城砦に籠城することを決意する。

 実際、城砦にて管理されている騎兵の半数と、鉄甲騎の殆どは自身の旗本であり、その上、備蓄も十分となれば、籠城戦にて他の諸侯による援軍を待つことも十分可能であった。

ところが、世の中は時に、理不尽を動力にして動いていると思いたくなるときがある。

 自身直属である旗本衆以外の、騎兵並びに砲兵を含む、殆どの士官、兵士が造反したのだ。既に鎮圧された故郷に家族を残している彼等にしてみれば、ドルトフに従うなど、延いては[革命]とやらに参戦し、王家に弓引くことなどできるはずもなかったのだ。

 例え、鉄甲騎が無敵最強の武具だとしても、それだけで戦争ができるわけはない。まして、籠城戦となれば尚更である。

 城砦の兵による反抗に、ドルトフは結局、自分に付き従うわずかな部下と共に飛空船にて脱出した。

 これも、件の黒覆面が忠告したことで、早々と籠城戦に見切りを付けることが出来たのだが。

 ここでドルトフに不幸が起きた。双胴飛空船〈メリエンヌ号〉が離陸直後に受けた砲撃により、その黒覆面が死亡したのだ。

 ドルトフは、黒覆面が死ぬ前に残していた「ウーゴ砦付近に潜むゼットス一党を頼れ」と言う言葉を信じ、東へと進路を向けた。ある計画の実行に望みを掛けるためである。

 それは、机上論として考えていた計画である、ダーマスルを利用したウライバ攻略であった。元々、駐在官が謀反の同士であることは承知しており、連絡を付けられれば、情報の提供と内部撹乱、そして、侵攻の手引きを行わせることが可能と考えたのだ。

「元はと言えば、この計画は辺境伯による[革命]成功の後、反抗するであろう属国を速やかに制圧するために考えていたのであるが、この作戦に吾輩の命運そのものを託すことになろうとは……」

だが、この計画には三つの[賭け]があった。

 一つ目は、ウライバ藩王国がクメーラ王国から出兵の要請を受け、それを受諾すること。これは、思うように事が運んだ。ウライバ軍が出兵したことで、戦力の分散が謀れたのだ。

 二つ目は、ダーマスルとの連絡を付けること。

 これが厄介だった。ウライバの城に籠もるダーマスルと、如何な手段を以て秘密裏に接触するか……現状、自分の部下にこの手の諜報、潜入を得意とするものはいなかったのだ。連絡さえ付けば、三つめの賭けである、失意のダーマスルを再び焚き付け、自分の味方に引き入れることは容易であるはずだというのに……

 追撃から逃れたドルトフは、越境の後、逃走先の山中で飛空船を修理、改めてウライバを目指した。

 そんなとき、ゼットスと名乗る兇賊が姿を現わし、ドルトフに接触して来た。彼等は黒覆面の言葉通り、協力を申し出たのだ。

 ただし、現実にはもたらされた情報と少しだけ違うところがあった。まず、飛空船の飛翔装置などを代償として要求されたこと、そして、その兇賊が既に、ウーゴ守備隊の手で壊滅同然であったと云うことだ。

 本来であれば、連合を組んで戦力を整え、砦を一気に落とす算段であったのだが、飛空船修理に時間が掛かり、合流が遅れた箏による不幸であった。

「それでも、連中の翼人による連絡手段は貴重ではあり、その上、貴殿らの知らぬ間道を知るという地の利もあった。その時の吾輩は、もはや連中を当てにするほかに、手段はなかったのである……」

 その後の顛末は、ご覧の通りである。


 やがて、話は彼等がヘオズズと呼ぶ鉄甲騎の存在に及んだ。

「……では、あの多足脚甲騎は閣下のものではない、と」

「そうである。(しか)と聞いたわけではないが、あのヘオズズとやらも、どうやら黒覆面の一味が用意し、ゼットスに売り渡したものらしい。第一、吾輩は現物を一度も見てはいないのである……」

 この言葉にも嘘はないようだ。

イバンは、尋問として最後の問いを切り出した。

「閣下とゼットスの潜伏先……その所在をお教え願いたい」

「それを説明するには、峡谷の地形図が必要である」

 ドルトフにそう返されたイバンは躊躇した。

 この戦闘に於いて、ゼットスとドルトフはウライバの人間にさえ忘れられた、岩場や谷間の中に伸びる間道を調べ上げて利用している。

 現在、発見された間道は騎兵隊の手で調査され、地図の作成と同時に、おそらくは逃亡したゼットスの潜伏先であろう、彼等の拠点探索を続けているのだが、文字通り峡谷の間を抜ける道は、迷路の如く複雑に入り込んでおり、全ての探索には時間が掛かると予想されている。

 ドルトフが求めた地図とは、現時点に於いて判明した間道の書き込まれた地形図である。その地図を見れば、将軍は自らが通った道筋を辿り、兇賊と共に潜伏したという寺院跡の場所を割り出せるというのだ。

 だが、この時代、精密な地形図は本来極秘とすべき情報である。

 特に、先日の戦いのように鉄甲騎をはじめとした軍勢を、迅速に展開させる秘密の道の存在が他の勢力に発覚すれば、今後の防衛上、大問題となる。

 戦力が決して多くないウライバは、現在発見された間道でさえ、すべてを警戒する余裕はない。もし、この地形図を元に、この上更なる間道が発見され、それがウーゴ砦の裏手に回るどころか、大軍をウライバまで隠すことが出来るものであれば、目も当てられない結果となるのは火を見るより明らかである。

 そして今、その地図を要求しているドルトフは元敵将であり、万が一にも、見せた地形図を記憶した上で脱走、それを利用して逆襲を謀るとも限らないのだ。

 要求に対し、躊躇したイバンを見たドルトフは、特に怒りを見せることもなく、

「それが、懸命な判断である」

 と、告げただけであった。

 だが、イバンは悩んだ。

 逃亡中のゼットスを捕らえるには、少しでも有力な手がかりを必要とするのも確かである。敵がどれだけの力を残しているか、皆目見当が付かない。時間が経てば立つほど、油断ならない兇賊に逆襲の機会を与えることになるのだ。

 しかも、将軍の話を聞く限り、ゼットスとドルトフの間を取り持ち、ヘオズズや時限式爆弾などの得体の知れない兵器を提供している存在まで垣間見えた。それらすべてに対処するには、あまりにも情報が足りなすぎるのだ。

 熟考の末、翌日、イバンは決断した。

 そして早朝、改めて地図を持参し、それをドルトフの前に提示した。

 これはイバンの独断による判断であり、大隊長と云えど完全に越権行為である。砦攻防戦の繁劇紛擾がなければ、実行そのものが不可能であった。

「これで、わかりますか? 閣下……」

 驚いたドルトフは、イバンに目を向け一言だけ、

「良いのか?……かたじけない」

 と、深々と頭を下げた。

 ――人の良い男よ。この男は本来、軍人に向いていないやも知れぬな。

 心でそう思いながらも、ドルトフは地図を元に、自身とゼットスが潜伏した寺院跡の、大体の場所を嘘偽りなく指し示した。

 ドルトフはこのウーゴの地理には不得手であり、それ故、最終的な場所の特定には時間が掛かるかも知れないが、それでも、より有用な手掛かりを掴んだことにより、今後の探索への期待が高まった。



 この尋問……と言うより、会談と言った方が正しいかも知れないが、ドルトフが何故、素直に全てを語る気になったのか、また、イバンが何故、その言葉を信じ、地図を見せる気になったのか……

 その事について、後にイバン・トノバ自身の手により記された回顧録には、このように書かれている。

「……王国に於ける全ての地位を失い、最後の希望であるウーゴ砦侵攻計画までもが潰えたにも拘わらず、いや、潰えた故か、若き将軍ドルトフの心は穏やかだったような気がする。

あるいは、敗北を知り、その後に訪れるであろう自らの最後を知った彼は、ある意味、悟りを開いたのかも知れない。

 故に、私は将軍を信じる気になった。

 この後に起きた事件に追われ、気にする暇もなかったが、今にして思えば、この時から、私は自らを、何時、腹を切っても不思議ではない状況に追い込んでしまったのかも知れない……」



「閣下、お食事です」

 兵の丁重な呼び掛けに意識を現実へと戻したドルトフは、昼食の席に着く前に、もう一度、窓から見える市街へと目を向ける。

 その視界には、昨日までは復旧作業に勤しんでいたはずであった巨人の少女が、いつになく落ち込み、とぼとぼと寄宿先である商人の屋敷へと戻っていく様子が見えた。

「吾輩は、あのようなものに敗れたのか……」

 今は特に驚きはない。

 寧ろ、呆れているくらいだ。

 その姿は、巨大な身体を誇る巨人とても思えないほど、肩を落とし、力無く歩いていた。

 生気を失った亡者とまでは云わないまでも、少なくとも、凱甲騎を討ち取った英雄の姿ではない。

「何とも、惨めな姿を見せているのである……」

 一騎打ちに敗れた直後、ドルトフはサクラブライと呼ばれた英雄の勝利を褒め称えた。それは、自身の誇りを傷つけないための保身から出た行為ではあったものの……いや、だからこそ、自分を下した勝者には堂々として貰いたいものなのだ。

 そうでなければ、本当に情けなくなるのは、そんな相手に死力を尽し、敗れ去った自分自身なのだから。

 ドルトフの呟きを聞くことなく、兵は白い布に覆われた食卓の上に、黙々と食器を並べ始める。

 それはこの地方独特のものではなく、全て西方式の銀製食器で、中には白磁の皿などもある。

「(……食欲はないのであるが)」

 また、そして小さく呟く。

 それでも、虜囚の身であるドルトフはその肥えた身体を椅子に乗せた。



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