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その男ゼットス

 

「畜生!!……」

 蹴られた真鍮製の器が音を立てて壁に当たる。

「何で……こんなことに……」

 涙が止まらない。

 これほどまでに悔しい思いをしたのは何年振りだろうか……

 自分が仕掛けた爆発に巻き込まれ、ボロボロになりながらも引き揚げるまでは、少なくとも冷静でいられたらしい。だが、落ち着いて敗北の原因を探ろうとした途端、言いようのない悔しさが心底より込み上げてくるのがどうにも止められない。

 大好きな茶を何杯飲んでも、その悔しさは消えることがない。

「俺さんの計画は完璧だったはずだ……」

 この辺りでは珍しい銀髪は焼け縮れ、四角い顔をはじめとする、体中の殆んどが包帯で覆われた姿は痛々しく、片方のみ開かれた逆さ半月の目に、底知れぬ憎悪を宿らせるこの男ゼットスは、年甲斐もなく泣き喚き、取り乱す。

 顔のない神像がおわす拝殿で荒れる首領の姿を、()()うの(てい)でこの寺院跡に逃げ帰った手下たちが遠巻きに、不安げな表情で見つめていたにもかかわらず、いつまでも泣きじゃくる。

 もう何日も、こんな事を繰り返していた。

 こんなに泣いたのは、十の歳に母が死んだとき以来だろうか。

 それでも、敗因を考えることは止めなかった。


 何がいけなかったのか……

 どこから間違えたのか……


 これまで散々煮え湯を飲まされたウーゴ砦に対する逆襲の戦いは、結局、敗北に終わった。

 敵の戦力不足に付け込むべく、反乱を起こし、鎮圧された大臣側の将軍リチャルド・ドルトフ逃亡の情報を得て、それを味方に取り込み、その残存戦力と、自身の必勝を期した策略の切り札〈鉄甲騎ヘオズズ〉の投入、決死の潜入による破壊工作……加えて、ドルトフの奥の手である[ダーマスル駐在官の籠絡]により、確実な勝利を掴み取る筈だった……

 思い返せば、連絡役の翼人であるグルズが行方不明になったときから、すべては狂ってしまったのかもしれない。

 あるいは、全軍集結が遅れたためであろうか。

 そも、岩山さえ乗り越えるヘオズズが、奇襲に失敗するわけがない。

 土壇場で仕掛けた破壊工作も、十分に効果は上げた。

 ドルトフはその爆発に乗じて一気に攻め寄せた。

 奴の乗る鉄甲騎は乗り手に見合わず強かった。

 これで決まりの筈だった。

 その時……[サクラブライ]とやらが現れた……


 ――あいつが現れなきゃ、よかったんだ!!


 あの巨人の小娘が出てこなければ、間違いなく勝利していた。

 いろいろ計画に手違いはあったものの、あの時点で勝負を決めていたら、ホドの街で足止めしていたイバンが例え戻ってきたとしても、どうにもできなかったはずなのだ……

「そうだ……すべてはサクラブライとかいう……」

「サクラブライとかいう英雄が出てこなければ、君は勝てた……」

 突然聞こえた男の声に驚き、振り返ったゼットスの傍には、いつの間にか、全身を黒い長衣で包み、同様に黒い頭巾で顔を隠す人物が佇んでいた。

「あんたさんは……」

 最初からそこにいたのか、それとも、その姿通り[影]の中から現れ出でたのか、ゼットスはおろか遠くで見ていたはずの手下すら気付かないうちに出現した黒い人物は、心身ともに傷だらけの首領に優しく声をかける。

「……見ていたよ。ヘオズズがどこからともなく現れた巨人と戦い、善戦しつつも結果的に破壊されたのには驚いた」

「そこだよ、あんたさんが売りつけたヘオズズが、簡単に負けるとは思わなかったぞ!……どういうことだ、おい!」

 ゼットスは感情に任せて跳び掛かるも、[影]は長衣を大きく翻し、哀れな首領を翻弄しつつ身を躱す。

 まるで実体のない幻をすり抜けたように、ゼットスは無様にも石の床を転げ回る。

「避けんじゃねぇ!」

 そう叫びつつ立ち上がり、再び襲いかかろうとしたゼットスだが、その動きが止まる。

「…………」

 ゼットスの周囲を、いつの間にか四人の黒覆面が取り囲み、首筋に短剣を突き付けていたのだ。これもやはり、気配を感じさせなかった。

 本来ならば、首領をお救いしなければならない手下もまた、敵の素早さに圧倒され、動けなかった。あるいは、逃げ出すことも出来なかった。

 動きを封じられ、冷や汗を流すことしか許されなくとも、ゼットスは怯まなかった。

「見ていたのなら、なんで助けてくれなかったんだよ!?」

「我々の業務に保守役務(アフターサービス)は含まれていないのだがね……第一、製品説明の折に『鉄甲騎との戦闘を避け、高い機動力で逃げ回ることを推奨』したのに、それを守らなかったのは君たちではないか?……」

 短剣を突き付けられつつも怯まず突っかかるゼットスであるが、逆に言い返され、言葉に詰まる。

「……とは言え、立ち塞がったのは巨人に加えてイズルのサムライなどと言う予想外の敵……その上、出会い頭に組み付かれては、仕方がないか」

 そう言って[影]は、右手を上げ、軽く払うように振る。

「私は、無益な殺生は好まない」

 その直後、黒覆面たちはその場から、まるで最初から存在していなかったように、消えた。直後、ゼットスはその場にへたり込む。

 [影]の辛口な戦闘評価は続く。

「それに、ヘオズズの敗北そのものは、この敗戦の決定的原因ではないはずだよ?……先程述べた通り、あの巨人の少女が鎧を纏い、まさかの逆転劇を見せなければ、君たちは辛くも勝利を収めていたのだ」

「辛くも、は余計だ!」

「事実じゃないか……勝利したとしても、あの有様では……現に君もドルトフ閣下もその戦力の殆どを失い、ダーマスル駐在官による王城の占拠も失敗、あのままでは、いずれウライバ本軍に鎮圧されるのが目に見えている……

 せっかく我々が、君たちに貴重なヘオズズと、自信作の時限式爆弾を売り渡し、その上、ドルトフ将軍の情報まで提供したのに、すべてが水の泡ではないか……」

 [影]はそう言いながら、ゼットスが自棄を起こして散らかした茶器を自分で拾い集め、布で拭きながら、汚れた敷物の上に置かれた座卓へと戻す。

「いかんなぁ、乱暴に扱っては……結構良い茶器であるのに」

 そう呟きながら、[影]は小型の炉に小さな焔石を一つ入れ、火をつけた燐寸を放ると、赤黒い石はその火を吸い、真っ赤な光を放つ。

「喉が渇いた……茶を一服、頂いてもよろしいかな?」

 いつの間にか握られていた薬罐を炉に乗せ、湯が沸騰したところで黒い塊を削り入れる。

「人のものを勝手に……それは俺さんの宝物だぞ!」

「ウイゲルの鳳凰茶……西方でも愛されている高級茶に合う茶請けを進呈するゆえ、落ち着いて話をしようではないか……」

 [影]は座卓の前にゆっくりと腰を下ろす。その動きは一見無防備であるが、隙はない。

「俺さんは、茶菓子は食わねぇ主義なんだ」

 そう言いながらも、ゼットスは[影]の、座卓を挟んだ反対側にどっかと座る。

「埃が菓子に掛かるではないか! がさつ者め……」

 [影]が始めて声を荒げる。

 これまたいつの間にか皿に盛られたものは、丸い、小麦粉と砕いた堅果(ナッツ)を織り交ぜた手作り焼き菓子のようだ。

「元々は君の茶だ……遠慮せずに、飲みたまえ」

 そう言って[影]が茶を注いだ茶器を、ゼットスは躊躇なく手に取り、いつものように香りを確かめてから軽く啜る。特に用心はしていない。何かを仕掛けるなら、先ほどのように気配もなく忍び寄ればよい。

「……菓子も試してみるとよい」

「だから、茶菓子は食わねぇとさっきから……」

 そう言いながらも丸く焼かれた焼き菓子を手に取るゼットス。香ばしい堅果の香りと、辺りを漂う茶の香りは絶妙に混ざり合い、それに引かれてひと齧りすると、程よい甘さと堅果の香ばしさが、すっきりした茶の味を打ち消すどころか、むしろ引き立ててくれる。

「悔しいが、美味ぇ……」

「この菓子は、西方の然る王室菓子職人の手によるものだ。私とて滅多に口にできるものではない……」

 口の中に広がる菓子の残り香が消えぬうちに、ゼットスはもう一口、茶を啜る。その目の前では、姿勢を正した[影]が、頭巾の口元を覆う布の内側に茶器を入れ、軽く口にしたと思われる。


 ゼットスの手下が唾を呑み、おそらくは[影]の部下が見張る中、しばし両者は沈黙し、ゆっくりと、確実に相手を見ながら油断なく、茶を飲み、焼き菓子を頬張る。


 やがて、茶を啜る音と菓子を咀嚼する、わずかな音のみが聞こえるだけの緊迫した茶会は、[影]が沈黙を破ることで、お開きとなる。

「さて、君が落ち着いたところで、商談に入ろうではないか……」

「商談……だと?」

 訝しがるゼットスを余所に、男は淡々と十露盤(そろばん)を弾く。

「代価は……君がドルトフ閣下の飛空船〈メリエンヌ号〉から分捕った〈飛翔装置〉四基と〈推進機〉八基……それと、発電用の大型焔玉機関に使用されていた、特大の焔玉……まだ、足りんな……」

「おい、何、勝手に話を進めてるんだよ……大体、それは全部、組織を立て直すために温存していた貴重品だぞ!」

 ゼットスの抗議も、[影]には届かない。

「……後、鉄甲騎か脚甲騎かは知らんが、四騎ほど出しそびれた機体があったはずだ。それも支払いに充ててもらうとして……」

「手前ぇ!」

 それを聞いたゼットスは、さらに焦りを募らせるが、[影]に跳び掛かることはできない。周囲に、黒覆面の気配を感じたからだ。厳密には、感じ取ったのではなく、相手が威嚇として気配をワザと悟らせたと云った方が正しい。

 それでも、ゼットスは食い下がる。

「出しそびれたんじゃねえ! それは、あの戦いの最終段階で……」

「最終段階で、疲弊したドルトフ閣下と砦の連中を、もろとも止めを刺すつもりでいたのだろう?」

「…………」

「君にとっては、ウーゴ、そしてウライバの支配権など、どうでもよかった。ただ、君は[恨み]を晴らせればそれでよかったのだろう?……だから、砦を陥落させた後のことなど、どうでも良かったのだ……」

「……俺さんの、何を知ってやがる」

 ゼットスは、この時になって初めて気づいた。今自分が座っているのはドルトフが腰を下ろしていた座卓……そして、差向いに座る[影]の位置は、その時の自身がいた場所……

 別に互いが意識したわけではない。

 しかし、ゼットスにしてみれば、これは、自分が手玉に取ろうとしていたドルトフと、同じ運命となることを暗示しているような気がしてならなかった。

「そう緊張するな……茶の代わりはどうかな?」

 ――代わりを勧めるところまで同じかよ!?

 ゼットスの緊張を読み取り、薬缶を手に取り、空いた器に注いだ[影]は、にやりと笑みを浮かべた。

 表情はわからないが、そんな気がした。

「……我々のような秘密の組織にとって、取引相手の情報はとても重要でね。代価を回収できなければ損をしてしまうし、あるいは、裏切られればさらに致命的だ……

 だから、君のことも色々と調査させてもらったよ、ゼットス君。

 いや、運命が罷り間違えば、君の名前には[男爵]と付けられる筈だった。

 エーリッヒ・ハインチェル君……」

「…………」



 物心ついたころ、エーリッヒと名付けられた少年は、自分の父が山賊団〈ハインチェル団〉の頭であるという意味に気付いていた。

 頭の子と云っても、所詮は小規模の山賊、その暮らしは決して楽なものではない。街道で隊商を襲撃し、ボロボロの鉄甲騎を虚仮威しに通行料でも[徴収]出来ればしめたもの、時に腕の立つ用心棒に出会(でくわ)し、時に同業者に出し抜かれ、退散することもあった。

 それは、決して普通の生活ではない。

 血生臭い現場や、命の危機を何度も体験した。

 それでも、エーリッヒは父の存在を誇りに思っていた

 父であり山賊の頭であるエーベルハイト・ハインチェルは、クメーラ貴族としての誇りを失ってはいなかったのだ。

 その証として、父は無用な殺生はせず、リダーヤ教の巡礼者などには決して手を出そうともしなかった。

 少なくとも、エーリッヒはそう思っていた。いつの日か、父は力を蓄え、失われたハインチェル家の再興を果たすのだ、と。


 そも、名門貴族の一族が一体何故、山賊にまで落ちぶれたのか……


 クメーラ王国の[ゼットス党の乱]に関する公文書に、ハインチェル家について触れられている。


 西方暦七四六年――

 ノーゼラット辺境伯ウィルヘル・ゼットス率いる過激派組織〈ゼットス党〉が革命闘争を画策した当時、エーリッヒの父、三代目ハインチェル男爵エーベルハイト・ハインチェルはその一員として加わっていた。

 当時、若くして家督を相続したばかりのエーベルハイトが、徹底的な貴族中心、選民思想を旨とした〈ゼットス主義〉に心酔していたのか、それとも、何らかの利益を求めたのか、はたまた、弱みでも握られていたのか、それについては、公文書に記載はない。

 この時期、ゼットス党は一部の貴族、軍人を中心に支持を集め、頭角を現わし始めていたものの、決して大きな勢力とは言えず、その上、大逆罪の嫌疑を掛けられ告発、捜査を受ける流れになりつつあり、そうなる前に、革命を成功させる必要があった。その為には、一つでも切り札となりうるものを確保し、状況を有利にするしかない。

 ウィルヘルは、革命を円滑に進めるため、若きエーベルハイトに戦力を授け、周辺諸国を外遊中の、ルイトボルト王太子殿下を拉致するように命じた。クメーラ王族の後継者を拉致し、尚も王室に摺り寄る貴族を脅し、操る材料とするためである。

 組織の強い期待に答えるべく、エーベルハイトは奮起した。加盟の理由が何であれ、内部での力を強めることに越したことはない。この任務に成功すれば、間違いなく上位幹部への道が開けるのだ。

 ところが、王太子拉致の計画は失敗した。

 密告により危機を脱した王太子は、次の外遊先であるウライバ藩王国に助けを求めたのだ。

 ゼットス党において失敗は許されない。

 粛清対象となることを恐れた男爵は、何としてでも王太子を確保する必要があった。

 男爵による引き渡し要求に対し、ウライバへの入り口であるウーゴ砦は固く門を閉ざしたままである。

 ここにきてエーベルハイトは、城攻めを決断した。その理由として、ウィルヘルより預かった戦力に自信があり、加えて、当時のウライバは藩属国としての制約により、現在の半分程度の戦力しか所持していなかったのもある。

 もとより、目的はウーゴ落城ではなく、王太子の確保である。適度に戦い、力を見せつければ要求を呑まざるを得ないと踏んでいたのだ。

 楽観的な予想に反し、ウーゴ砦は引き渡しを断固拒否、総力を挙げて抵抗した。当時は現在ほどの近代化改修がなされていないとしても、やはり自然の岸壁に守られた城壁は堅牢であり、高い士気と、砲撃による支援に支えられた鉄甲騎の反撃により、砦は持ち堪えた。

 やがてウライバから主力ならびにクメーラ王国の援軍が到着し、結果、エーベルハイトは敗北、逃走した。


 余談ではあるが、この戦いに於いて、王太子を保護し、死力を尽して宗主国への忠義を守りぬいたウライバは、その後、クメーラ王国から途絶えることなき信頼を得ることができた。そして、九年後、王太子が即位した西方暦七五五年には、藩属国としては異例の、軍備増強の許可をはじめ、貿易、外交に関する特権を約束された。


 敗走した後のハインチェル家に待ち受けていた運命は残酷だった。

 クメーラ王国では、王太子の告発により、ゼットス党は一斉検挙を受け壊滅、ハインチェル家は爵位とそれに基づく特権並びに鉄甲騎を含む武装を没収の上、エーベルハイトは反乱軍の一員として逮捕されることとなった。


 公文書には、それ以降のことは書かれてはいない。

 ここから先は、[影]の所属する組織が独自に調査した結果に基づいている。


 逮捕直前、エーベルハイトは鉄甲騎を奪還、部下が連れだした家族と合流し国外へと逃走、その後はゼットス党のわずかな残党を集めて山賊に身を窶し、御家再興を夢見て力を蓄えようとした。


 だが、世の中そんなに簡単にはいかない。

 エーベルハイトは己の無念を晴らすべく奔走するものの、長い年月の中、組織の顔触れは傭兵くずれ、落伍兵、犯罪者など無法の輩に変わりつつあり、御家再興という夢は、父の代から仕える老いた部下などわずかな数名を除けば、もはや忘れられつつあった。

 エーリッヒが生まれたのは、逃走の後、二十年ほど過ぎたころであろうか。母の詳細については、明らかになってはいない。一つ云えるのは、彼が無性に茶を好むのは、その母の影響と考えられている。

 山賊に身を窶した後も、エーベルハイトはできる限り、息子を貴族として育てようと教育を続けた。

 御家再興をエーリッヒに託そうと考えたのだ。

 エーリッヒはそんな父を尊敬し、その期待に努力しようとするものの、山賊である現実とのギャップは埋められず、後にそれが彼の精神を歪めさせる要因の一つになったと思われる。


 エーリッヒが十五歳を迎えたとき、そのハインチェル団は突如、呆気なく壊滅した。

 ある国の国境付近で、討伐隊による一斉摘発を受けたのだ。

 力のない組織は脆い。

 どれほど結束力が固くても、根拠となる力がなければ、維持することも出来ないのだ。

 わずかな部下とともに逃げ延びた親子だが、その後は悲惨な生活が待っていた。

 もはや組織を立て直す力はなく、食べていくには、これまでのように隊商を襲うどころか、今まで決して手を掛けなかった巡礼者を狙うなど、追剥のようなことまでしなければならなかった。

 やがて、父エーベルハイトは酒に溺れ、エーリッヒに暴力をふるうようになり、そんな姿を見た部下たちは彼のもとを離れて行った。

 そして、エーリッヒ少年は運命を変える、不幸な出来事に遭遇した。

 少年は、いつものように自棄を起こした父の暴力から逃れる際、勢いのあまり、手にした石で殴りつけてしまったのだ。

 父は、そのまま息絶えた。

 呆気なかった。

 寧ろ、拍子抜けさえした。

 尊敬していた父が敗北により豹変し、暴力を振るい、自分を恐れさせた挙げ句に、今度は簡単に死んでいく。

 恨み言一つ残す暇無く、あっさりと、死んだのだ。


 自ら殺めた父の亡骸を前に、エーリッヒの心には悲しみではなく、言い様のない恨みと怒りが湧き上がる。

 ――僕は悪くない!

 そう思いたかった。

 ――こんなことになったのは、父上のせいだ!

 父が暴力を振るわなければ、少年が殺すことにはならなかった。

 ――父上がこんなことになったのは、父上が御家に拘ったためだ!

 再興に拘った為に、少年は苦しい思いを沢山経験したのだろう。

 ――御家に拘ったのは、国を追い出されたせいだ!

 国を追い出されなければ、少年は本当に貴族の子として生まれていたのだ。

 ――国を追い出されたのは戦で負けたせいだ!

 やがて、その恨みは父が酒に酔いわめき散らした、ある言葉に集約された。


 ――全部、ウーゴ砦とかいう奴らが悪いんだ!!


 完全に逆恨みである。

 しかし、誰かを恨まなければ、もはやこの少年は生きていく意味を見出すことさえ出来なかった。


 この時から、エーリッヒはウーゴ砦に対する歪んだ復讐心のみが原動力となった。その復讐心は、強い執念となり、様々な手段で二十余年の間に力を付け、現在の組織を作り上げた。

 その理念は、父が教えたゼットス主義に基づいていたが、エーリッヒはその主張の根源である[力あるものによる支配]の上辺だけを都合良く解釈し、[力さえあれば何をしてもよい]と、非道の限りを尽くした。

 いつのころからか、エーリッヒは自らを〈ゼットス〉と名乗るようになり、そして兇賊団は人々から、〈ゼットス一党〉と呼ばれるようになった。

 その名の由来も忘れられたまま……



「よくぞそこまで、調べ上げたものだ……」

 正直、ゼットスは関心を通り越して呆れかえっていた。

 自分のような兇賊の過去を徹底的に調べ上げる時間と能力があるのなら、大帝国の国家機密や支配者層のスキャンダルでも調べ上げた方が、よほど徳になろうというものだ。

 嘲るようなゼットスの視線を受けても、[影]は特に気にすることなく言葉を続ける。

「君は『組織を立て直す』と言ったが、今更どうするつもりなのだ?……確かに飛翔装置は高価だが、君の伝手やコネで入手できる戦力など、たかが知れている……それに何より、もはや君には人望がない……」

 [影]の言葉に我に返ったゼットスは、耳を疑った。

「どういうことだよ、そりゃ……」

「先ほど、君の手下だった者たちのほんの一部が、[引退金(ひきがね)]を受け取ろうとしたのか、君が隠していた飛翔装置や鉄甲騎を持ち出そうとしていたのでね、私が部下に命じて、止めるよう説得させたのだよ……聞き届けてもらえず、残念な結果になったと報告を受けたが……」

 それを聞いたゼットスに睨まれた手下たちは、そろって首を横に振る。

 ゼットスは、自分が晩年の父と同じ状況になりつつあることにようやく気付いたようだ。

「……無益な殺生は好まないんじゃなかったか?」

「確かに無益な殺生は好まないが、必要な殺生は何千だろうと何万だろうと躊躇わない」

 冷や汗をかきつつ冷やかしたゼットスではあるが、躊躇なく返された[影]の言葉に、戦慄を覚える。

 [影]は、そんなゼットスを意に反さず、

「さて、改めて商談を続けよう」

 と、何事もなかったかのように告げた。


 器に再び茶が注がれ、座卓に代わりの菓子皿が置かれる。

「で、俺さんから貴重な宝を取り上げて、代わりにあんたさんは何を売りつけてくれるんだ?」

「君に逆襲の機会とそのための手段を提供しよう。まぁ、代価が不足しているので、同時に我々の手伝いもしてもらうつもりなのだがね……」

「手伝い……?」

「我々は、破壊されたヘオズズの残骸を回収したい。あれには、まだ見られたくない部分が多いのでね。砦の機関士風情に見られたところで何もわからんだろうが、[忌わしい魔術師]がいるとなると少々厄介だ……その上、工房都市に持ち込まれでもしたら、いろいろと面倒だからな……」

「そんなことなら、あんたさんの手駒なら訳なく忍び込んで、あの時限式の爆弾でも仕掛けて破壊しちまうことくらい訳のないことだろうに……」

「そんな簡単にはいかない……第一、我々だけでは手が足りないのだ。それと、可能ならあのまま回収し、戦闘データを取りたいのでね。何故、敗れたかも含めて、今後の対策と改良案を検討しなければならないからな……」

「めんどくせぇ……」

「面倒ついでに、もう一つある。あの巨人の少女と、サクラブライと呼ばれる、彼女が纏う動力甲冑にも、我々は興味があるので、それも手に入れたい」

「で、俺さんたちは何を手伝えばいいんだ?……てか、それが奴らさんへの仕返しにどう繋がるんだよ!?」

「君たちには、君たちの鉄甲騎とともに我々の戦力になって欲しいのだよ。なにせ、先ほど言った通り、人手不足なのでね……」

「要するに捨て駒かよ……たった四騎の鉄甲騎で何をしろっていうんだよ」

 険しい表情を見せるゼットスに、[影]は宥めるように語りかける。

「話はこれからだよ。我々はヘオズズとは比べ物にならない[兵器]を持参した。それを使えば、ウーゴどころかウライバさえ、火の海にすることさえできる……

 君が支払う代価に加え、我々の支援をしてくれるのなら、後々、それを貸してもよい……」

「火の海だと? どんな兵器だよ……」

 突如湧いて出た物騒な言葉に色めき立つゼットス。

 [影]は不意に立ち上がる。

「なら、実際に見て頂こうか」


 その[兵器]は、寺院の傍に佇んでいた。

 それは、ひそかに期待していた鉄甲騎の類でもなければ、大量の砲や爆薬でもなかった。

 その巨大な物体(オブジェ)は、例えるなら……

「……でけぇ……香炉?」

 鉄甲騎の二倍近くの大きさはあろうかと思われる、その複雑な形をした丸い壺型の黒い[香炉]は、円盤状の胴中央より上部には半円級の屋根を持ち、下部にある、下に向けて先細りの筒状胴体からは三本の大型脚を地面に下ろし、陽光の下、ゼットスと手下達の前に、異様な姿を晒していた。

「本来であれば、君たちが一時的にせよ砦を占拠し、ウライバを脅かしている間に、この秘匿兵器の試験も兼ねて、北方の山々を調査する予定だったのだがね……君たちが敗北したことで、大きく予定が狂ってしまった」

 胴体の中央、大型脚の間にある入口が開き、降りてきたタラップに[影]が乗り込む。

 茫然と見上げるゼットスに、[影]が声を掛ける。

「今宵、砦に向けて[さる高貴なお方]をお迎えに上がる予定なのだが、君も同行するかね?……」

「……それは、商談成立の最終確認と捉えてもいいのかい?」

「そのように見てもらって構わない」

 ゼットスはニヤリと笑みを浮かべ、タラップに乗る。

 [影]を信用したわけではない。

 危険な賭けであることは承知の上である。

 そして、[影]の話に乗らなければ、得られるかもしれない機会がすべて失われることもまた、わかっていた。

「商談成立の前に、聞きたいことが一つだけある」

「何か?」

「あんたさんたちは、いったい何者なんだ?」

 ゼットスのその問いを、[影]は、その質問を待っていたかのように答える。

「我々は……」





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