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空回りの評価試験

 

 ウーゴ砦格納庫――

「聞いたか? 明日、サクラブライの性能評価試験をするってさ!」

「何でも、王妃殿下がご覧になりたいんだと……」

 機関士の間でその話題が広がる中、喜ぶべきはずのナランは、その夜、ふて腐れたまま寝床に潜り込んでいた。


 いや、一度は喜んだ。

 だが、それはすぐに怒りと悲しみに変わった。

 ドルージから、明日の試験はナランではなく、筆頭機関士ヘルヘイによって執り行われると告げられたからである。

 何故、自分ではないのか、と問うナランにドルージは冷たく言い放つ。

「お前は、まだ見習いから昇格したわけじゃねぇ」

 一方的に突きつけられた現実である。

 ――確かにその通りだ!

 頭では理解しているつもりだ。

 しかし、気持ちは収まらない。

「機関士長は、僕がサクラブライの機関士になるのが気に入らないんだ……」

 思わず口に出たそれは、もしかしたら、と思っても、決して考えないようにしていた被害妄想……そんなことはあるものかと思い、心の奥に飲み込んでいた空想がついに現実化してしまったことに、もはやナランにはどうすることも出来なかった。

 部屋に戻るなり、寝床に潜り込もうとしたとき、枕元にある小さな箱に目が向く。それは、宴の夜にミレイ王女殿下より賜った、あの勲章を仕舞うものだった。

 黒い漆で包まれた箱を手に取り、蓋を開ける。

 帯で飾られた金の勲章は、あの夜、王女殿下自らの手で、ナランの胸に授けられたときと同じく、月明かりに照らされて輝いていた。


 その輝きは、ナランが夢を叶えた証……

 その輝きは、ナランが力を得た証……

 その輝きは、ナランが街を守った証……


 だが、それは夢、幻だった。

 夢は何時か覚めるものであり、幻は儚く消え行くものである。

 そして目を覚ましたときに見える現実は、いつも理不尽を伴いやってくるものだ。

 ナランは、その勲章を乱暴に取りだし、無言で床に投げ捨てた。

 夢の証はひしゃげ、無価値な金属の塊となった。

 その勲章が、例え金で出来ていても、今のナランにはなんの価値もない。

 ――これで僕には、もう何もないんだ……

 寝台に潜り込んだナランは、落ち込んだまま眠った。

 カラッポになった少年は、夢すら見なかった。


 その一部始終を、プロイがわずかに開いた扉から見ていた。

 肩を落としたナランが食事も取らずに、とぼとぼ自室に向かうのを見て、追いかけたところ、この光景に出くわしたのだ。

「ナラン……」

 思わずプロイが部屋に入ろうしたその時、ゴツゴツした大きな手がプロイの肩に置かれた。それは、ドルージの手だった。今まで見せたことがない、やりきれない悲しみを讃えた顔を見せる祖父は、黙って首を振る。

 機関士としてのドルージは、これまで弟子を取ることはなかった。すなわちそれは、弟子を育てた経験がないと云うことでもある。

 ドルージは機関士長として、そして副隊長として、ナランに会議の結果を伝えただけだった。

 その事に、本心から他意はなかった。

 その筈だった。

 しかし、ナランをサクラブライから引き離したいという想いが無自覚に、言葉の中に強く、冷たい刃になって表われていたことを、この少年の落ち込む姿を見て、はっきりと認識してしまったのだ。

 ――俺は、こんな形で伝えたかった訳じゃねぇ……

 後悔の念が強く湧き上がる。

 多少の葛藤があったとしても、ナランには納得の上で、機関士ではない、違う道を選んでもらいたかったのだ。

 結局、掛ける言葉が思いつかなかった。

 こんな時、どんな顔で、どんな言葉を愛弟子に掛けるべきなのか、ドルージにはついにわからないままであった。



 翌日早朝――

 晴れてはいるが、相変わらず雲の多い空模様である。

 サクラブライ性能評価試験は予定通り、ウーゴ砦の北西に位置する練兵場で執り行われる運びとなった。

 参加者は、イバン大隊長とシディカ副隊長、そして、ドルージ機関士長と一部の機関士である。また、サクラブライ機関士は会議の結果通り、筆頭機関士ヘルヘイが担当することになる。

 やがて練兵場にサクラブライが、(比較的)被害軽微のリストール二騎によって運び出され、それと同じ頃、後見人となっているアリームとその用心棒ダンジュウを伴い、モミジがやってきた。

「おはようございます」

 モミジの声が辺りに響き渡る。

 妙に元気がよいのは、不安と不満の裏返しであろうか。

「では早速、着装をお願いする」

「わかりました」

 イバンの指示でモミジは、持参した布切れで髪を纏め上げ、今度はおもむろに上着である貫頭衣の帯を解き脱ぎ始める。

「ちょい待てぇい!」

 アリームの制止にモミジを含めた皆が息をも止める。

「女の子が面前で服を脱ぐものではない!」

 その言葉に、イバンをはじめ、砦の男性陣が「あ!」と、今更気付いたように声を出し、唯一、シディカだけが小さく「ちっ」と舌打ちをする。

 だが、当のモミジは気にする様子はない。

「私は問題ないですよ? 裸になる訳じゃないし……」

「下着姿にはなるじゃろが!」

 厳格ではないものの、西南の国々を中心に信仰されるアーリ神の戒律を守るアリームとしては、陽光の下、年頃の女性が下着姿を男性の前で晒すなど、もってのほかであると考えるのは当然であろう。まして、モミジは身長十メートルに届く巨人であり、遮るものがない場所でその姿は、男どもの全てに見られてしまうのだ。

 ダンジュウが、無駄に気持ちを高揚させているモミジを見て、珍しく神妙な面持ちで呟く。

「……無理をしているな、モミジ……」

 そんな中、

「私としたことが……迂闊!」

 イバンが自身の無神経さに嘆きつつ、部下に陣幕を用意させ、モミジの周囲を取り囲む。

 やがて幕が出来上がり、ようやく着装というその時……

「私は、同姓ですので入っても良いですよねぇ」

 と、シディカが幕の内側に潜り込む。

「あの……?」

 長衣に身を包んだ瓶底眼鏡の女性の侵入に、モミジは何となく警戒する。先日の宴の時、副隊長を名乗るこの女性に何をされたのかを思い出したのだ。



「何か御用ですか?」

 練兵場を会場とした〈慰霊の宴〉の場、沢山の人に囲まれる中で腰を下ろしていたモミジのそばに、シディカが近寄ってきた。

「ホントに、大きいですねぇ……」

 そう言ってシディカは、モミジの巨体に臆することなく躙り寄る。

「え、と……あの……?」

 周囲の照明によるものなのか、不気味に眼鏡を輝かせるシディカ。

「観察したい……調べたい……研究したい……うひ、うひひひひ……」

「え? え? 何!? 何!?」

 不気味な笑みを浮かべ、じりじりと近寄る[残念才女などと云う生易しい言葉では表せない生き物]から逃れようと、モミジは座り込んだまま膝を立て、その場から後退りをしようとするものの、周囲は人で賑わい、下手に動けば誰かを潰してしまいかねないことに躊躇した。

 その隙を突いてシディカがモミジの脚に取り付き、正気の沙汰とは思えない表情で向こう脛をよじ登り始めた。酒が相当回っているのだろうか。

「ひひ……うひひひひ……」

「あの……あの……あの、あの……!?」

 暴走する好奇心に瓶底眼鏡を輝かせ、脛から膝へと段々上ってくるシディカの姿に、モミジは恐怖で身が固まり、振り落とすどころか立ち上がることすら出来ない。

 だが、それは唐突に終わった。

 ドルージが駆けつけ、シディカを引きずり下ろしたのだ。

「離してぇ……お願い、もっと調べさせてぇ……!!」

「すまねえ。ウチの副隊長が迷惑を掛けた……」

 こうしてジタバタ暴れる残念才女は、ドルージに米俵のように担がれ、連れて行かれた。

 その後、「この愚妹、少しは自嘲したらどうだ!」とか、「姉様、妾というものがありながら!」と金切り声を上げる少女の声が聞こえた……



「私は、サクラブライの着装手順を記録するために来ただけですよぉ?」

 そう言いつつ、嬉々とした表情で周囲にいくつも万年筆とメモ帳を浮かばせ、何かを記録させているこの女性に一抹の不安を覚えながら、モミジは、格納庫で見た時同様、床几に腰を下ろすサクラブライに手を掛ける。

 まず、モミジが驚いたのは、兜に触れたと同時に臑当、草摺、胴がそれぞれ自動で開き、受け入れ体勢を整えたことだ。初めて装着したときは、全て、自分の手でそれらを分解したのだが、今は、それらの動作を、この動力甲冑がひとりでに行ったのだ。

 訝しながらも、モミジは着装を始める。

 臑当の中に両足を入れ、椅子に腰掛ける感覚で背鎧と床几に身を任せる。それと同時に、臑当、膝鎧、佩楯、草摺が自動的に下半身を包む。

 続いて、上方に跳ね上げられた胴鎧を下ろし、胸に宛がう。そして前方に突き出る形で待機している籠手に両腕を通し、後ろに引くように広げる。それにより籠手、胴回りが定位置で固定され、同時に、[袖]と呼ばれる肩鎧が覆う。上半身着装の完了である。

 最後は、背中の補助腕に固定された盾が腕全体に被さり、固定具に取り付けられた兜を自身の手で被り、内側から面頬を下ろし、顔を隠す。

 これら兜の機構も、今初めて知ったものだった。

 全ての装着が完了すると、モミジの体温に反応し、補助動力である〈ホシワ機関〉が作動、それにより回り出した発電機の送電を受けて〈魂魄回路〉と呼ばれる演算装置に制御された撮像器と受像器、そして全身に配置された補助電動機が、着装したモミジに良好な視界と、重量を感じさせない負担軽減を与える。

 不思議と息苦しさを感じることはなく、息で面の裏が曇る事もない。

 だが、まだ完全ではない。

 サクラブライの背中に背負われている巨大な張り出し――機関室が無人のままであり、本来の動力である〈焔玉機関〉に[火が入って]いないのだ。

 一部始終を観察し終えたシディカは、その一連の動作に魅入っていた。

「この鎧……着装者を認識する機能でも備えているのでしょうか……ホシワ機関が作動する前に、ひとりでに準備状態になるなんて、もしかして、蓄電器のようなものでも内蔵しているのでしょうか……」

 シディカが飛ばしたペンとメモは、その目で見たものすべてを記録していた。そして、そのうちの一つはモミジの身体的特徴をスケッチしたものであることは云うまでもない。

「撮像器に映像を記録する手段がないのが悔やまれます……」

 一通りの準備を終えたモミジは、慣らしも兼ねてゆっくりと、サクラブライを前進させる。と言っても、歩くのは自分なのだが。

 この動力甲冑の臑当は、着装者の脛よりも少しだけ長く、半ば竹馬の感覚で歩くのだが、魂魄回路の補佐に助けられ、特に支障はなかった。それにより、モミジはわずかではあるが、普段よりも高い視点を得、自らが大きくなったような錯覚を覚える。

 天幕が開かれ、軽く駆動音を立てながらサクラブライが姿を現わすと、兵達が一斉に歓声を上げる。

「私の方は準備が出来ましたので、お願いします」

 そう言ってモミジは、機関士を受け入れるべく、再び床几に戻ると、背中の機関室に梯子が掛けられ、ヘルヘイが天蓋から中へと乗り込む。

 機関士がナランでないこともまた、モミジを落胆させていたことを知るものはいない。

 ――今度こそ、ナランさんと、お話が出来ると思ったのに……

「モミジさん、そろそろ機関、始動します」

 伝声管から知らない声が聞こえてくる。

「え? あ、はい!」

 しかし、ここで問題が起きた……


「駄目です、機関に火が入りません……何度試みても、安全装置が下りてしまうんです」

 ヘルヘイが機関士として乗り込んでから一時間が過ぎていたにもかかわらず、機関の始動が出来ないでいた。

 焔玉機関が、この機関士を拒否するかのように、発火術で送り込んだ火が焔玉炉に到達する前に安全装置が働き、消火用の蓋が閉じてしまうのだ。これでは、火を吸収して発熱するはずの紅玉に火が入らず、たとえ入ったとしても、空気が送り込まれず、すぐに発熱現象が収まってしまう。

 何度調べても原因は判明しない。

 このままでは、試験の中止はやむを得ないと思われた。

「代われ、俺がやる」

 音を上げたヘルヘイに代わり、業を煮やしたドルージが直接乗り込んだ。

 永らく現役を離れていた機関士長が直に乗り込む様子を目の当たりにしたヘルヘイ、そしてイバンは、驚きを隠せない。

「かつて先王陛下にお仕えした機関士長が、伝説の英雄に乗り込むとは……」

 イバンにとって、これは感慨深い光景となった。

 なる筈だった。

 ナランに合わせて調整された狭い機関室の感覚に辟易しつつ、どうにか自身の身体を詰め込んだドルージは、護符を取り出し、念を込める。

「……[火]よ!!」

 ドルージは、指に発生した大きめの炎を、膝の間にある投火口に勢いよく投げ込むと同時に、素早く手動で安全装置を解除し、それを維持し続ける。

 危険ではあるが、経験から編み出された裏技の一つである。

 その甲斐あって、火を喰らった焔玉は水を大量の蒸気に変換、機関に送り込まれたそれは内部で更に膨張し、強大な動力を生み出す。

 その筈であった。

「相変わらず……いや、かつて以上に難物だ……‼」

 調整を繰り返しても一向に安定しない機関に手を焼くドルージ。いくら弁や活栓を操作しても、何度も開閉器を切り替えても、機関の出力はまるで言うことを聞かないのだ。

 やがて機関の暴走は駆動系に及び、油圧循環器や作動筒が誤作動を起こす。

「右手が……勝手に!?」

 咄嗟に押さえるも、今度はそれを止めていた左腕が、更には右足が、モミジの意志とは関係なく、動力甲冑に引きずられる形で動き出していたのだ。

「このままじゃ、押さえられません!?」

 モミジが苦しそうな声を上げながらその場に立ち上がり、勝手に動き出す手足を懸命に押さえ込む。

 正直、モミジは言葉にこそ表わさないものの、相当苛立っていた。もう纏いたくないと思っていた甲冑に一時間以上も閉じ込められ、挙げ句、これまで自身の手足同様動かしていたはずのそれに、自身が操られそうになる羽目になったのだから、無理もない。

 ――もう、嫌!!

 モミジがそう思ったとき、急に甲冑から力が抜けた。安全装置が作動し、焔玉の発熱現象が停止したのだ。

 全ての動力が落ちた動力甲冑は、とても重かった。

「モミジ!!」

 どっと力が抜け、床几に腰を下ろすモミジの傍に、周りの制止を振り切ったダンジュウが駆け寄り、素早く肩鎧によじ登る。

「ダンジュウさん……私、もう駄目かも」

 サクラブライの兜が、怒りを表わす形相とはうらはらに力無く顔を向け、呟いた言葉は、モミジの精神的限界の表われだった。

 背中の天蓋が開き、ドルージがやっとの思いで顔を上げる。

「長げぇこと機関士をやってきたが、こんなことは初めてだ……」

 下りてきた機関士長の傍に、イバンとシディカが駆け寄る。

「もうじき王妃殿下が御出座になられる。どうにか出来ないものか……」

 頭を悩ませるイバンに、息切れを起こす機関士長。その時、二人を横目に考えを巡らしたシディカが何かを思いつく。

「機関士長……魂魄回路の表示灯の様子はどうでしたぁ?」

「いろんな色が出鱈目に点滅して……こりゃ完全に狂っていやがる」

「でしたら、とりあえずの解決策はあります。ただし、一つだけ条件が……」



 格納庫では、試験に関わらない機関士達がその結果を気にしながらも鉄甲騎の修理を進めていた。

「畜生……俺も見たかったなぁ。ナランも、そう思うだろ?」

 一人の予備機関士が、彼等同様、作業に従事するナランにも声を掛ける。

「…………」

 沈黙のまま作業を続ける少年に、「聞いてるのか?」と、問いかける予備機関士を、同僚が止める。

「よせ……今のナランには、何を言っても無駄だ。こいつは、ふて腐れるとまるで機械のようになっちまうんだ……」

 その言葉通り、ナランは電動機と伝達装置の修理に没頭していた。それこそ、一言も口を開かず、眉一つ動かすことなく、黙々と、そして正確、確実に修理を進める。

 外装を外し、切れた配線を繋げ直し、試験器を繋げて通電を確認、それを組み立てる。その後は伝達装置の歯車を分解し、壊れた部品を交換、手動で回転を確認、油を差した後、電動機と繋げる。後は、本体に取り付け、試験をするだけだ。

 その揶揄通りナランは、一台の工作機械と化していた。

 皮肉なことに、こうなったら、一切の手違いを起こさない完璧な作業をこなすのだが、人間味は一切無くなるのだ。

 これはおそらく、一種の精神的自己防衛なのだろう。

 それは、砦に来たばかりのナランの姿でもあった。

「一年前に、逆戻りだな……」

 だが、ここで転機が訪れる。

「ナラン、イバン大隊長がお呼びだ。急ぎ練兵場に来いってさ……」



 やりきれない表情のまま、自転車を走らせて練兵場にやってきたナランを待っていたのは、イバン大隊長とシディカ副隊長。そして、あれから不機嫌なままのドルージ機関士長……そして、機関士達に囲まれたサクラブライ。

 床几に座り、首を自分に向ける紺色の鎧武者……それを見上げる少年に、シディカが話し掛ける。

「ナラン君……もう一度、サクラブライの機関士をしてくれないかしらぁ」

 無表情だったナランの目に、光が戻った。

「僕が……サクラブライの機関士に……?」

 まだ信じられなかった。

「臨時措置だ。間もなく試験が始まる時刻だ。今回の試験に限り、サクラブライの機関士として乗り込むことを命ずる」

 シディカの言葉に続き、改めて発せられたイバンの命令に驚くナランは、今度はドルージを見る。

「……隊長の下知だ。さっさと乗り込め」

 機関士長は、無愛想に、そしてナランの顔を見ずに告げた。

「直ちに乗り込みます!」

 これまでの仏頂面が嘘のような笑顔になり、ナランは梯子を駆け上がり、天蓋を開けて機関室に飛び込む。

「前席、機関起動するから、待ってて!?」

 ナランの声に、モミジは安堵しつつ、

「(最初から、この子に乗って貰えば良かったのに)」

 と、小声で呟く。

 ともかく、これで始められる。

 ――後は早く終わればいいだけだ。

 そんなモミジの気持ちを知らず、ナランは機関始動の準備に入る。

「火よ!……」

 父の形見である首飾りを掲げて起こした発火術の火が投火口に投げ込まれる。その火の玉は、当たり前のように受け入れられ、焔玉に命が宿る。

「ホシワ機関再始動……水温計、温度計異常なし……弁、活栓、定位置に戻す……汽罐内圧力上昇、蒸気注入……焔玉機関、始動!」

 掛け声とともに、焔玉機関が唸りを上げて動作を再開する。それは、先程とは違い、五月蠅いながらも、小気味よく安定した駆動音を鳴らしていた。

 なんの問題も起きない。始動までの流れは、全て順調に進んだ。

「そんな……莫迦な!?」

 機関士達、イバン、そしてドルージは驚愕を隠せない。

「ナラン君……魂魄回路の様子はどうですかぁ!?」

 拡声器で問いかけるシディカに、ナランは

「一部に異常点滅が見られますが、機能に支障はありません」

 と、こちらも拡声器を通じて答える。

「副隊長、一体こりゃ、どういうことだ!?」

 ドルージが怒鳴るもの無理はない。そも、ナランを指名したのはシディカであり、彼女はこうなることを予想していたのだ。

「……もしかしたら、ナラン君はサクラブライの魂魄回路と〈共鳴〉してしまったのではないかと」

 その言葉に、今度はイバンが反応する。

「あり得ない……〈共鳴〉は操縦士が起こすものだ」


 きわめて希な現象ではあるが、操縦士は鉄甲騎を操縦している最中に、まるで機体と[同化]している感覚に陥ることがある。前回、イバンがガイシュと一騎打ちの中でバイソールを操縦しているときに感じたのがそれである。

 〈共鳴〉と呼ばれるその現象は、長いこと謎とされてきたが、近年の研究により、その原因が魂魄回路にあるのではないかと考えられるようになった。

 魂魄回路は、鉄甲騎の制御演算装置であるが、その部品の殆どは〈前文明〉の発掘品を使用したものであり、組み立て方法から使用法まで、発掘された機械巨人を元に探り出したものである。

 だが、由来はどうあれ演算装置でしかないと考えられている機械が、何故、人間の精神と鉄甲騎の体を結びつけてしまうのか……その根本原因は、未だ不明である。

 発生のタイミングは戦闘時に多く、特に[勝利への執念]や、[生死に関わる]時など、強烈な想いを込めた場合に起こりうる。

 最初に述べたとおり、この現象の発生は非常に希であり、操縦者の意志の強さ、操縦技量、魂魄回路の調子など、発生の要因には不確定要素が多い。

 また、この現象は、人騎一体の操縦により機体の即答性や感知能力を上昇させる代わりに、機体のダメージが自身の体に直で伝わるなど反動も大きく、更には、(事例は確認されていないものの)精神が魂魄回路に取り込まれる危険性を孕んでいるとも云われている。

 そして、今回の事例は更に特殊と云える。

 イバンの言葉通り、本来、この〈共鳴〉現象は操縦士が陥るもので、これまで、機関士が機体と共鳴を起こす例など、存在していないのだ。


「おそらく、始動時に相当強い[念]を込めてしまったのでしょうねぇ……

 ナラン君の技量そのものが[引き上げられて]いるのも見て取れますから、相当〈共鳴〉が進んでいるのではないかと思われます。

 一度〈共鳴〉起こしてしまうと、交換でもしない限り、サクラブライの魂魄回路は、ナラン君以外の機関士を受け入れることはないでしょう……」

「それじゃ、ナランはこのまま、あの鎧に取り込まれちまうのか!?」

 血相を変えたドルージの叫びに、シディカは怯えながらも答える。

「そ、それはわかりませんよぉ……〈共鳴〉に関しては不明要素が多いし、何より、サクラブライの魂魄回路は、資料通りとすれば普通の鉄甲騎に使われているものとは違う部品が多すぎて……」


 イバン達の様子を、屋根付きの望楼台からミトナ王妃殿下が眺めていた。

「……何やら、揉めているようですが?」

「しかし妃殿下、試験は開始したようです」

「それにしては、なんの合図もありませんが……」

 王妃殿下に護衛として付き添う老戦士の言葉通り、サクラブライは合図も無しに動き始めていた。

 練兵場を縦横に走り回り、障害物である盛り土や塹壕を軽々と飛び越していく。また、時折停止、転瞬、向きを変えて急加速、自身の身長ほどの高さのある断崖から軽く助走を付けて跳躍、二十メートル以上の高さに飛び上がり、五十メートルを越える距離を跳んだ。

 その後もサクラブライは華麗な運動性を発揮、しかも、それでいて全力を出し切っている様子はなく、寧ろ余力を残している感じを見せていた。

「とても良い動きをしておるようです……やはり、機械(マシン)である鉄甲騎(オートティタン)と違い、動きが滑らかですね……」

 その出身故か、西方言葉を交えたミトナ王妃の感想に、老戦士が驚きつつも解説を加える。

「確かに……駆動の美しさならば、凱甲騎にも勝りましょう……ただ……」

「ただ?……」

「動きに覇気が感じられません。本当にあの動きで、凱甲騎に勝利したとは、小生には信じられません……」

 老戦士の指摘は正しかった。

 再び機関室に乗り込み、気分が高揚するナランに対し、鎧をその身に纏わせ、実際に動き回るモミジの心は、すっかり冷めており、それが動きに表われていた。

「前席、次は両刃の槍であの的を壊すんだ!」

 無言のままモミジは、目の前に出された可動盾に格納された武器の内、直剣二振りと、短めの棍を一本取りだし、それらを組み立てた双刃槍を構える。

「行きます!」

 モミジの掛け声とともに、サクラブライが、目標となる、鋳つぶす予定の、鉄甲騎の外装を取り付けた丸太が立ち並ぶ丘へと向けて走り寄る。

「うりゃあぁ―――!」

 サクラブライが雄叫びをあげて双刃槍を振り回し、取り囲むように並ぶ三本の的に目掛けて跳び掛かる。その手の中で回転し、幾度も繰り出される切っ先は、壊れかけとはいえ、かつては鉄甲騎を鎧う外装を簡単に傷つけ、斬り裂き、砕く。

 続けざまにサクラブライの槍が居並ぶ標的を、右袈裟に斬り伏せ、返す槍で突き、振り向きざまに左袈裟……時に蹴倒し、または体当て、あるいは槍を分解し、ちぐはぐな二刀を振り回してもろとも薙ぎ払う。

 サクラブライは文字通り跳び回り、踵を返しながら、先ほどとは打って変わった荒々しさで、まるで踊り狂うように、次々と標的を斬り倒していく。

 その光景を、先程まで言い争っていたシディカ、そしてドルージは、機関士とともに茫然と眺めていた。

 だが、武技を心得るものから見れば、良い印象はなかった。

「めちゃくちゃですな。とても武技とは……あの案山子が反撃できるものであれば、あの者はとっくに返り討ちにされておりますぞ」

 老騎士の感想は、イバンも同様に感じていた。

「私が見た時とは、別人のようだ……凱甲騎と戦ったサクラブライは、未熟ながらも攻防一体の構えを見せていた……

 何より一つ一つの動きに機関士との一体感が見えていたのだが……」

「ナランの奴……まるで、なっちゃいねぇ!!」

 おどおどするシディカを余所に、ドルージが怒鳴る。

 遠くから見守っていたダンジュウもまた、同様であるが、こちらはより深く、その動きの乱れを感じていた。

 そも、ダンジュウの武技は、元々イズルの国独特のものであるが、それをより鍛え、昇華させたのは、モミジの母であるサクラの教えがあったからなのだ。

 すなわち、この武辺者はモミジにとって、兄弟子でもある。

「切っ先が震えている……心が荒れているな……」

 指摘通り、モミジはこれまでの精神的不満を槍に込めていた。また、すべての的をさっさと倒し、この試験を早く終わらせたいと思っていたのだ。

 だが、有頂天のナランはモミジの気持ちに気付くことはなかった。

「これで……」

 機関の調整中に思わず口に出る。

「これで……この力で……仇を討てる!」

「仇……?」

 モミジにその意味を問う機会は、与えられなかった。

「いいぞ……今度は、〈過剰充填〉だ!」

「……え?」

 モミジが問い返すより先に、ナランは過剰充填器を作動させる。

「充填……開放!!」

 ナランの叫びと同時に、焔玉機関がより大きな駆動音を立て、同時に、関節部から余剰の蒸気を吹き出す。

 ここで戸惑ったのはモミジであった。

「え? え?……わわわ、わぁ―――!?」

 充填開放時に発生する浮遊現象がモミジを不意に襲ったのだ。これは、落ち着いて制御すれば止めることるできるし、さらには風のように疾走することも可能であるのだが、慣れぬ上に冷静さを失った今のモミジでは、とても制御しきれるものではない。

「今度は、僕の番だ!」

 慌てふためくモミジを余所に、ナランは受像機の脇にある操縦桿を握る。

「いくぞぉ!」

 ナランの操作で、サクラブライの補助腕に装備された大盾が、まるで巨大な翼、または獣の手のように大きく広がり、周囲の目標を一気に薙ぎ払おうと振り回される。

「まとめて吹き飛ばしてやる!!」

 何かに取り付かれたかのように、ナランは操縦桿をめちゃくちゃに動かし、両方の可動盾を目標に向けて振り回そうとする。

 これが、〈共鳴〉による弊害であろうか、モミジの荒れた動きが魂魄回路を通じ、ナランの高揚する心に、破壊衝動として反映されたらしい。

 だが結局、大盾を振り回した事で発生した慣性により、浮遊能力を使いこなせないモミジの体まで振り回してしまう。

 心の空回りを切っ掛けに、身体まで空回りを起こしたのだ。

「きゃあぁぁ―――!!」

「わぁぁぁ――――!!」

 その場を盛大に回転し、地響きと土煙を立て、うつ伏せにひっくり返るサクラブライの機関室では、ナランが正気に戻っていた。

「痛っ……前席、何やってるんだ……しっかりしてくれ!?」

 思わず叫ぶナランだが……

「…………私は、」

 ――もう、耐えられません!!

「え?」

「私は、あなたの乗り物じゃありません!!……」

 練兵場に響き渡るモミジの叫び……

 それは、限界に達したモミジの苛立ちが形となった瞬間だった。

 そして、心優しい巨人の少女が、悪者以外に対して初めて見せた、怒りの感情でもあった。





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