ナランとモミジ
混乱渦巻く会議室で茶の配膳を済ませ、静々と部屋を後にしたプロイとセレイは、しばし無言で廊下を歩く。
廊下には靴と足爪、そして台車の音だけが響いた。
プロイが口を開く。
「……あの女の人、じゃなくて、王妃殿下……だったんだ……」
退室した直後、セレイに耳打ちされたことで客人の正体を知ったプロイは、心の動揺を抑えられなかった。
例え小国であっても、庶民にとっては雲上人であり、目にすることさえ叶わないと思っていた王族……それも、畏れ多くも王妃殿下に対して、知らぬとはいえ、真横から茶を出すなど、信じられない事であった。
そして、プロイはその時「ありがとう」と掛けられた言葉と声を忘れることが出来なかった。
「うん。アタシも驚いた……姫様が復興の視察に来ていたのは知ってるけど、まさか一緒に王妃殿下まで来てたなんて……」
セレイも、ミトナ王妃の来訪に驚きを隠せない。
任務として毎日、王城に赴き、ミレイ王女殿下の話し相手をしているものの、流石にミトナ王妃とは殆ど面識がない。それは、セレイが亜人の伝令と云うことではなく、そも、一介の伝令が王族と対等に話していると云うことが異常なだけである。
「それ言ったら、セレイが王女殿下と知り合いだった事だって、驚きよ!」
「まぁ、それには色々あって……」
〈慰霊の宴〉一日目の夜。
簡単ではあるが、この戦闘に於ける[英雄]を、ミレイ王女が称え、勲章を授ける場が設けられた。本来、こういった賞罰は、論功行賞として扱われ、監察官による審査の元で厳正に行われるのだが、今回は、あくまで慰労の場に於ける特例であり、これもまた、守備兵の士気高揚の手段と云えた。
そんな中、一番の貢献とされたのは、駐在官ダーマスルの内通を知らせた〈ツバサビト〉の少女セレイ。ならびに、ゼットスの侵入と、仕掛けた爆弾を発見、通報した見習い機関士ナランと、給仕係プロイであった。
「準機関士ナラン、給仕係プロイ、ならびに伝令セレイ……前へ!」
守護兵や住民の注目を集める中、イバン大隊長に名前を呼ばれ、三人は、砦の各隊長や、街の有力者など偉そうな歴々の待つ、即席の舞台へと向かう。
「いい? 私が合図するから、そしたら右足から出すの。わかった?」
「……うん」
「わかった……」
緊張のため、自身もすっかり固まっているプロイは、自分の緊張を解すためか、やはり緊張している二人に言い聞かせる。
「じゃ、行くね……いっせーの!」
プロイの合図とともに、三人の――年の頃十四前後の少年少女が横一列に並び、ピンと伸ばした手足を大きく、大袈裟に振り上げて行進する。緊張し、ガチガチに堅い動きを見せる姿は、人々の目には滑稽に写った。
人々は、やっとの思いで壇上に上がった三人を注目し、その後、士官がその功績を一つ読み上げる度に、拍手と歓声を贈り、湧き上がる。
やがて、三人の前にミレイ王女殿下が現われる。
「其方達の働き、まことに大儀でありました」
ミレイ殿下は、跪く三人を一人ずつ立たせ、自らの手で胸に勲章を付けていく。その間、プロイは息をすることすら忘れ、王女に労いの言葉を掛けられても、上擦った声で返事をすることしかできない。ナランに至っては、手を握られ、笑みを向けられただけで顔が真っ赤に染まり、目の焦点が合わず、その返答も、呂律が回らなくなると云う始末である。
しかも最悪なことに、その声は拡声器を通じて観衆に聞こえるという有様である。幸い、王族による儀式と云うこともあり、人々は笑いを堪えてくれるのが、救いであろう。
そんな中、セレイもまた、緊張の極みに達していた。
元々セレイは伝令という立場にあり、それ故、軍人としての礼節は心得ているはずであるが、流石にこういった儀礼は初めてであり、例え目の前にいるのが見慣れたミレイの顔であっても、その緊張が解かれることはなかった。
「セレイ、そんなに緊張しないの……後でまた、お茶しましょう?」
ミレイが緊張するセレイの耳元で囁き、そして、ナランとプロイにも顔を向け、三人にだけ聞こえるように言葉を掛けた。
「もちろん、今度は其方たちも、お誘いいたしますわ」
この時、ナランとプロイは、セレイがミレイ王女殿下と懇意にしていることを知ったのである。
式典は続き、砦の兵に対する論功行賞の後、今度は、協力者に対する感謝として、彼等を称えるべく、壇上に上げていく。
筆頭に上がったのは、南の国トバンの商人である、ナーゼル商会前当主[冒険商人]ことアリーム・アルイマド・ビンナーゼルである。彼は、市街襲撃の際、率先しての炊き出しや館の提供などによる市民への協力の姿勢と、砦の攻防戦に於ける自警団の戦意高揚と的確な指示が評価されてのことである。
「……ワシは、あまり、こういったことで目立ちたくないのじゃがのぅ」
功名心や富と権力に対する欲求が失せた恰幅の良い老人は、当初、感謝の意と印を受けることを辞退しようとしたのだが、それはそれで「示しが付かない」と執事ムジーフに説得され、やむなく勲章を受けることにした。
例え王族の前であってもターバンを取らないのは、彼が信仰するアーリ神の戒律によるものである。
続いては、東の島国から来たと称する壮年の〈サムライ〉ことダンジュウ――本名、妻木団十郎為朝であった。彼は、アリーム、モミジとともにセレイを救い、市街の怪物退治に一役買い、そして、城壁に潜入したゼットスと戦った事が、讃えられた。
「俺……いや、拙者は、義の為に参戦したまでのこと……」
そう言いながらも、王女殿下の前に跪く鎧武者姿は、堂に入ったものであり、周囲を感心させる。
身を鎧う甲冑が均等に錆で覆われているのは、〈錆地仕上げ〉という錆止めと装飾を兼ねた、[侘]と呼ばれるイズル独特の美的感覚からなる様式であって、決して、手入れ不足からではない。
勲章を授与され、壇上から降りたダンジュウをアリームがからかう。
「ドゲザとやらはせんのか?」
「それは、畳の上か、よくよくの時だ……」
その後も、自警団団長をはじめ、街を守るために戦った者たちが壇上に上げられた。
そして最後は、北の山に住まうという、巨人の少女モミジである。彼女は、市街を襲撃した怪物と戦い、そして何より、動力甲冑サクラブライを着装しての活躍が讃えられた。
流石に鉄甲騎並みの巨人が壇上に登ることは出来ず、舞台の右側に跪く
一応、この場の礼儀はアリームの執事であるムジーフから簡単に教わってはいたものの、やはり緊張のため、その動きは堅い。
「(跪いてみたけど、まだ、お姫様を見下ろしちゃってます……)」
その言葉通り、壇上の姫君はモミジの大きさに圧倒され、引きつった笑みを見せつつ、それでも、辛うじて届いた胸元に勲章を付ける。それは、大きめの飾り帯で目立たせるようにしてあるとはいえ、それでも、巨人の胸元では、小さな点のようなものであった。
「これでは、服を着替えたら失せてしまいそうですわね……」
思わず口に出たミレイの言葉に、今度はモミジが苦笑する。
「さ、其方の勇姿を人々に……」
勲章を賜ったモミジは、ミレイに促されるまま立ち上がり、人々の方に向き直り、笑みを見せる。
薄褐色の肌、額に小さな無色透明のツノを持つ巨人の少女に、人々は改めて喝采を送る。
――こんな事になるなんて……
正直、モミジは困惑していた。
アリームに街へと誘われたときには、好奇心とともに、不安も大きかった。
かつて、自分の母親であるサクラがそうであったように、人とはかけ離れた巨体と身体能力が、人々の好奇心、そして恐怖を誘うのではないかと思ったのだ。
だが、それは杞憂に終わった。
ウーゴを訪れたとたん、[蜘蛛猿]の襲撃に巻き込まれ、挙げ句、モミジが〈サクラブライ〉という、母と同じ名を持つ鎧を身に着けて街を守ったことで、人々は、突然来訪した巨人の少女を英雄として受け入れたのだ。
しかし、人々が呼ぶ自身の名に混じり、サクラブライの名が呼ばれる度に、モミジには、困惑の表情が見え隠れしていた。
果たしてサクラブライが、母サクラと関わりがあるかどうか、それはわからない。それでも、人々が自分に、このウーゴに伝来する、二百五十年前の英雄の姿を重ねていたことは確かであった。
――私は、サクラブライじゃない!!
大声で叫びたかった。
でも、出来なかった。
人々に悪気はなく、その名に希望を持っただけなのだから。
この壇上には、サクラブライの機関士として、ナランも呼ばれていた。
再び人々の前に晒され、すっかり上がってしまった少年に、モミジはそれとなく目を向ける。
「(そう言えば、あれから一度も、この子とお話ししていなかったっけ……)」
モミジは、思わずナランの小さな体に手を寄せ、そっと抱き上げる。
「え? え?……うわ―――!?」
突然巨大な両手で掴まれ、そのまま持ち上げられたナランは、近付いてくるモミジの顔に困惑する。
「あ、あの……」
巨大な少女の顔に迫られ、戸惑う少年に話し掛けるモミジ……
人々の拍手と歓声がどっと湧き、それにより我に返り、この場が大衆の注目の的であることを思い出したモミジは、
「あわ、あわわわ……」
と慌てふためき、照れ隠しなのか、手の中で「う、うわっうわっ」と困惑するナランを自分の右肩に寄せ、座らせる。
一方、巨大な美少女に見つめられ、その直後、頬に寄せられたナランだが、状況になれたのか、照れながらも、人々の声に応えるように、右の拳を突き出し、何やら奇声を上げる。おそらく、自分でも何を言っていたのか、憶えていないだろう。
そんな中で、ナランはあることが気になって仕方がなかった。
――どうして機関士長は、怒った顔をしているんだろう……
そして、
――プロイまで、機嫌を悪くしてるような……
鉄甲騎格納庫――
ナランは、そんなことを思い出しながら、他の機関士ともども、各鉄甲騎の修理に勤しんでいた。
「ナラン! 手が止まっているぞ」
「はいっ! すいません」
叱られ、我に返って作業を再開したナランを見た先輩機関士は、
「……心此処に在らず……ナランらしくないな……」
「やっぱり、原因は、あれか?」
そう言って、格納庫の奧にあるサクラブライを指す。
戦闘終了後、サクラブライはモミジとナランの手で格納庫に戻された。その直後、ドルージは、バイソール、リストールの修理を優先するよう、全員に指示を出していた。
サクラブライの今後に於ける扱いは、協議中とのことである。
十五年前にこの格納庫の地下から発見されて以来、書類上では鉄甲騎扱いとなっているのだが、巨人用動力甲冑という新分類の機種であり、その装着者もまた、現段階では正式な守備隊所属ではない来訪者と云うことが、事態をややこしくしていたのだ。
ちなみに、モミジはキタル山の先にある峰に住んでいると云うこともあり、便宜上、ウライバ国民と無理矢理位置付けてはいる。
一時的にしろ、その機関士を務めたナランとしては、本当であれば[自機]サクラブライの整備に入りたかったが、砦の鉄甲騎全てが大きな損害を受けている状態では、やむを得ないと、考えていた。
少なくとも、頭の中では、そう思っていた。
だが、ナランの心は、やはりサクラブライに向いていた。
小休止となれば、その傍らに佇み、飽きることなく見上げ、作業の間も、先のように、時折、動かぬ紺色の鎧武者に目を向ける。
また、ナランは、ドルージのことも気になっていた。機関士長は、サクラブライの話をしようとするだけで、目に見えて不機嫌になるのだ。
――まるで僕を、サクラブライから引き離そうとしているみたいだ……
一瞬、そんな考えが浮かんだナランだが、頭を振って否定する。
その時、
「お昼ですよー!」
と、プロイの声が格納庫に響いた。見ると、給仕達が運んできた寸胴鍋から、水団と薯、根菜などの具のたっぷり入った汁物を器によそっていた。
「水団なんて、久しぶりだ……」
「料理長が、『これで変わったものを食べさせてやれる』って、腕を振るって作ってくれたの」
プロイの言うとおり、臨戦態勢の終了と同時に調理の制限が解かれたため、食事の種類が増えたことで、機関士のみならず、砦に詰めている者たち全員の食欲が増していた。
「当分、饅頭と春巻きは見たくないな……」
「ちげえねえ」
椀を受け取った機関士や操縦士は、早速、久しぶりの[ご馳走]にありつき、満足する。
それはナランも例外ではなく、作業を止め、汁がよそわれた椀を受け取ると、サクラブライの元に行こうとする。
それを見たプロイが止める。
「ナランったら、せめてお日様の近くで食べなさいよ!」
「そーだよ、もうすぐ雨降りの季節なんだから、今のうちにお日様に当たっとこうよ」
セレイにまで止められ、仕方なくナランは壁際の、日の光が差し込むところに腰を下ろす。見上げると、確かに雲が多く、時折、太陽を横切り、地面に影を落とす。おそらく、数日中には雨期に突入することだろう。
「そう言えば、セレイは伝令の仕事はしなくていいのか?」
「シディカ様が、『まだ休んでおきなさい』って……」
ナランの問いに、セレイは腕――片翼を広げる。
「もう、怪我は治ってるんだけどね……」
「シディカ様は、セレイのことが心配なのよ」
プロイの言葉にセレイは、医務室に駆け込んできた副隊長の顔を思い出す。あんな取り乱した表情を見せたのは、少なくとも、その時が初めてだった。
「後は、私たちがやっておきますから、プロイとセレイも、お昼にしちゃいなさいよ」
「ありがとうございます」
年輩給仕の言葉に甘え、二人も水団の椀を受け取り、ナランの隣に腰を下ろす。
流れる雲を見送りながら、三人の少年少女は食事を取る。
「お汁、熱いから気をつけて?」
「あち!」
言っている傍から、汁と水団に口を付けるナランは、その熱さに思わず水団を碗に落とし、その飛沫が服に掛かる。
「ほら、だから言ったじゃない」
プロイは呆れながらも、ナランの服に飛び散った煮汁を布で拭う。その手慣れた様子を、セレイがニヤニヤしながら眺めていた。
「何時にも増して、積極的だねぇ?」
「そ、そんなこと無いわよ!」
突然の指摘に、プロイは慌てて離れる。
「やっぱり、[意識]しちゃってるのかなぁ?」
「何言ってるのよ、もう……」
小声で話し掛けるセレイの言葉を否定はしつつも、プロイの心には、あの戦闘終了直後、そして〈慰霊の宴〉の時、モミジがナランに見せた表情が、常に過ぎっていた。
巨大な手にナランを乗せ、顔に近づけて凝と見つめている巨人の赤く綺麗な瞳に、無意識のうちにプロイは、対抗心とか、嫉妬のようなものを感じていたのだ。
「あのモミジって巨人さん、美人だもんねー」
助けられたときに間近で見たモミジの顔を思い出すセレイの言葉に、プロイは複雑な気持ちになる。
「(確かに私はまだ子どもだし……それに比べて、モミジさんは私よりもお姉さんで、スタイルもいいし……)」
――とても敵わない……
そう思いかけたとき、
「何、二人だけで内緒話してるんだよ!?」
除け者にされたナランが割り込んできた。この少年は、自分を巡る[女の戦い]が勃発直前であることに、全く気付いていない様子だった。
「へへん、内緒ぉー」
「あー、もう、何だよ!?」
戯けながら翼を広げ羽ばたかせ、空へと逃げるセレイに文句を言いつつ、ナランはプロイに向き直る。
「べ、別に、関係ないわよ……!」
そう言いつつ、プロイは真っ赤になった顔を隠すように、ナランに背ける。
「(そうよ、ナランは気になるお友達ってだけだし……だいたい、モミジさんだって、ナランが好きって、決まった訳じゃないし……)」
プロイは心の中で自分に言い聞かせ、落ち着きを取り戻そうとするが、
「だから、どうしちゃったんだよ!」
何度も声を掛けてくるナランが気になるのか、頬を膨らませて走り出す。
「だからぁ、何でもないって!!」
「気になるじゃないかぁ!?」
格納庫前で追いかけっこを始めたプロイとナランを、呆れた表情で上空から見下ろすセレイ。
「……全く、プロイも素直じゃないし、ナランは鈍いし」
そう呟き、セレイは市街の方に目を向ける。
その視線の先には、復旧作業に勤しむ巨人――モミジの姿があった。
「ホントに、モミジはナランのこと、どう思ってるんだろ……」
ウーゴ市街が受けた被害は、想像以上のものであった。
その殆どは北側の下町に集中しており、[機械の蜘蛛猿]が盛大に跳び回ったために、広範囲にわたって破壊されていた。
領主であるダルバ・トノバ・ウライバは、代官を差し向け、復旧作業の指揮を執らせた。領主自身が御出座しにならないことに対しては、市民はとうに諦めており、ついでに、所謂お役所仕事しか出来ない代官にも、さほど期待してはいない。
結局、復旧の中心となったのは自警団であった。その事は、領主の子息であり、砦の大隊長でもあるイバン・トノバ・ウライバも(父の不甲斐なさも含めて)懸念としており、市街復旧のための支援として守備隊からも兵を遣わすことを決めた。
だが、砦も大損害を受けており、支援に限界があることは――特に、瓦礫撤去などの重作業に必要な鉄甲騎が全て修理中で、差し向けられる状況にないことは市民も承知しており、理解もしていた。
幸い、市街復旧に関しては、ナーゼル商会が全面的な支援を申し出ており、それを皮切りに他の商家からも援助が得られ、更に、鉄甲騎が必要な重作業に関しては、今や救国の英雄となった巨人、モミジが快く引き受けたことで、復旧は滞りなく進められることとなった。
「モミジさん、こっちも、お願いします!」
「あ、はーい」
モミジは今、通りに山積した家屋の残骸撤去に従事していた。
流石に鉄甲騎と比べて膂力は高いとは云えないものの、大味な動きしかできない機械の巨人と比べ、細かい欠片などを集めるなどの丁寧且つ繊細な作業をこなすモミジは、復旧作業に向いていると云えた。
瓦礫や材木などをモッコに集め、それを、借りてきた鉄甲騎用の長柄斧の柄を天秤棒代わりにし、その両端にそれぞれぶら下げ、肩に担ぐ。膂力がないと言っても、それは鉄甲騎と比べての話であり、モミジのそれは、人間のサイズに換算したとしても、常人の数倍以上を有し、また、それに伴い、身体能力ならびに頑強さも、人とは比べものにならない。
一見、柔らかな皮膚でさえ、銃弾程度ではどうにもならないだろう。
「大したもんだぁ……」
「見た目は、ただのでっかい女の子なんだかねぇ……」
足下に気をつけながら、軽々と天秤棒を担いで通りを進むモミジの姿に、人々は感心を憶える。
モミジは、キタル山と周辺の集落に於いては亡き母であるサクラ同様、日常的に人々と接しているが、麓であるウーゴ、ウライバでは、往年の冒険商人アリームの紹介によって、初めて知られた存在となった。
生まれて十七年、母サクラが訪れた頃から数えると二十年近く人里に接していたモミジがウーゴ市民に知られていないのは、その存在か非常に希、と云うのを通り越した希有な存在であり、麓の人々は山の集落に付き合いのある者の話を聞いても存在を疑うか、あるいは〈ギガス〉と呼ばれる別種の巨人と混同していたからだと思われる。
サクラがキタル山に現われた頃こそ騒ぎになったものの、その存在が日常化した現在では、希にアリームのような来訪者が驚愕を覚える程度で、もはや噂に登ること自体が無く、あったとしても、前記のようなことになるだけであった。
ちなみに、山の村落に住む者の中にもギガスがどういった存在かを知識として知るものは殆どおらず、せいぜいが伝承として[静かな賢人]と呼ばれ、性別も頭部もないと云う醜い姿から、魔物と間違われないように山奥で暮らす温厚な巨人であることが知られているだけである。
そして、モミジもまた、自分と母サクラ以外の、ギガスを含む他の巨人の類に出会ったことはない。
「ちょっと、通りますね」
人々に声を掛けながら、巨人の少女はモッコを下げた天秤棒を担ぎ、ウーゴ郊外まで歩いていく。
モミジによって郊外まで運ばれた瓦礫は、ここで再利用が可能なものと、そうでないものに選り分けられ、不要物は、邪魔にならないところに掘られた穴に埋められることになっている。
そのモミジの足下に、アリームの運転する自働車が走り寄ってくる。
「嬢ちゃんや、そろそろお昼にするぞい」
「朝に焔石を頂いて〈熱補給〉も済ませましたし、食べなくても大丈夫ですから、もう少し仕事を続けます」
「皆が昼飯にするんじゃから、どっちみち仕事にならんぞ……西瓜も沢山冷えとるから、嬢ちゃんも休んだらどうじゃ?」
西瓜と聞いて、モミジの耳が動いた。
「それなら、お言葉に甘えまして……」
笑みを浮かべたモミジは、自働車の後に随伴し、自身が寝泊まりしているナーゼル商会支店長の館に向かった。
館の庭では、労働者のための炊き出しが行われていた。
復旧作業に従事していた人々が、モツ煮込みや豆料理などに舌鼓を打っているところにモミジとアリームが来ると、何故か歓声で迎えられる。
「俺たちのアリームに乾杯!」
「モミジちゃんサイコー!」
妙な興奮状態で盛り上がる、南国特有の浅黒い肌を持つ、逞しい体つきに髭を蓄えた労働者の集団に、モミジは苦笑しながらも手を振って答える。
だが、悪い気はしなかった。
少なくとも、彼等はモミジをサクラブライと呼ぶことが無く、それでいて、巨人である自分を恐れることもない、気さくな態度で接していた。
「なんじゃ? 酒でも引っ掛けたのか、こいつら……」
労働者の体たらくに呆れるアリーム。
「引っ掛けているどころじゃない……浴びるように飲んでるぞ、そいつら」
串に刺した腸詰めを齧りながら呟くダンジュウの態度に、髭の労働者たちが嘯く。
「俺たちはドワグル人だ。ドワグルにとって、酒は主食だ!」
彼等はウーゴより遙か東南の国から来た部族の出のようだ。おそらく、どこかの隊商に人足として雇われていたのだろう。少なくとも、アリームは彼等がドワグルの出身と言うだけで、納得したようだ。
「……ドワグルの出では、仕方ないか」
「仕方ないで済むのか!?」
「お主、存外真面目じゃのぉ? 世界は広い。故に、たまにあのような者が現われるから、面白いのじゃ。だいたい、ダンジュウとて、この前はH-5型の後ろの席で、酒を飲んだ挙げ句に車酔いしておったではないか……」
「う……」
からかうようなアリームの口調に、言葉が詰まるダンジュウ。
その様子を、彼等の頭上からしばらく眺めていたモミジだが、その足下から、ロバに跨る老執事ムジーフが話し掛ける。
「モミジどの……あのような者たちは放って置いて、こちらへどうぞ」
[あのような者たち]に自分の主やその用心棒が含まれていることは無視するとして、モミジは、「あ、はい」と、ムジーフに付いていく。老執事がロバに乗るのは、人間に歩幅を合わせるモミジに気を遣ってのことであろう。
アリームの――正確にはナーゼル商会支店長の屋敷は、市外よりやや離れた領主トノバ家のものや、より取引の多い大店と比べれば小規模ではあるが、やはりそれなりの広さは持つ。懲りすぎない程度に整えられた庭園の奧には、小振りながらも立派な作りの、トバン様式で立てられた屋敷があり、その傍には、モミジのために大きな天幕が張られていた。
「こちらに、用意させて頂きました」
ムジーフが手招きしたところに、モミジが座れる程度の敷物と、その上に、西瓜を十個ほど入れた、大きな桶が置かれていた。
「ありがとうございます」
勧められるまま腰を下ろしたモミジは、桶の中から西瓜を一つ手に取る。人間にとって大玉でも、巨人には手の中に隠れる程度の大きさのそれは、長い時間流水に晒されていたのだろうか、程よく冷えていた。
モミジは、緑色の縞を持つ球体を、それこそ林檎のように齧る。
口の中に、汁気と甘みが広がる。
赤い果肉が露出した残りを口の中に放り込んだとき、自分の足下に数人の子供がいることに気付いた。見ると、一人が籠一杯の林檎を掲げている。
「これ、あげます」
熱した焔石を除き、宴の席でも殆ど食べ物を口にしなかったモミジが、果物などを好んで食べることを知り、気を利かせたのかも知れない。
モミジは口の中の西瓜を飲み込むと、その子供達に優しく微笑み、「ありがとう……」と言って右の掌を差し出す。それを見た子供達は笑顔で顔を見合わせ、差し出された手に籠を乗せる。
――そんな目で見られても……
籠の林檎を二、三個摘み、口に運びながら、モミジだが、どうにも子供達の視線が気になって仕方がない。
これまでも、キタル山の市場などでヒトの子に接する機会は多く、母サクラに初めて連れられたときから、子供達とはよく遊んだものである。
だが、今のモミジには、自分を憧れの眼差しで見つめる子供達の目に耐えられなかった。
少なくとも、キタル山ではこんな目で見つめられることはなかった。
モミジは不意に、ナランを思い出す。
――そう言えば、あの子と結局、何も話せなかった……
モミジを見るナランの目は、子供達のそれに似て、どこか違っていた。
ナランは、モミジに大きな期待を寄せているようだった。
それと同時に、何か、過去に重いものを背負っているような気がしてならなかった。
「どうした、顔色が優れないようだが……?」
「ひっ!?」
突然耳元に聞こえたダンジュウの声に驚き、思わず声を上げる。
「ダンジュウさん、勝手に人の肩に上がらないでって……」
図々しくも肩にしがみついたダンジュウは下りようとしないが、モミジも言葉とはうらはらに、特に振り払うこともしない。
「私、笑ってるつもりでしたが……」
「他の者は知らんが、俺や大旦那は、気付いてるぞ……まぁ、無理もない。あの一日で、急に[英雄]になったんだからなぁ」
モミジは、ダンジュウにだけ聞こえるよう呟く。
「……あの鎧を最初に着た巨人が、かあさまかどうかはわからないけど、英雄になったときは、やっぱり、こんな気持ちになったんでしょうか……」
「さあな。俺の知るサクラ……お前の母は、俺と旅をしている間に、幾度も人助けをした。だが、英雄とか救世主とか呼ばれるのは嫌がり、すぐにその場から離れていった……
もしかしたら、今のお前と同じ気持ちだったのかもな……」
母の名が出たとき、モミジはあることを思い出した。
「ダンジュウさん、そう言えば……」
その時、アリームの言葉がその質問を遮った。
「嬢ちゃんや……砦からの使いが来てるぞい」
その使者は、モミジにとって、あまり良い話を持ってきてはいなかった。
砦は、モミジに再び、サクラブライの着装を求めていたのだ。