慰霊の宴
〈ゴンドア〉と呼ばれる大陸があった。
魔物、侵略、災害、兇賊……この大陸に於いて、命を脅かすものは、様々な形で襲い来る。
そんな恐怖を克服すべく、かつて繁栄を極め、そして滅んだ超科学文明の遺産を頼り、掘り返し、または[魔術]や〈火薬〉と云った代価品を作り上げ、生き延びる人々……
そんな彼等が暮らす大陸のほぼ中央、〈中原国家群〉と呼ばれる土地の、北方地域……
北の大帝国〈グランバキナ〉との間に聳え横たわり、数ある西方列強の一国〈クメーラ王国〉に接する〈ウル山脈〉……
その麓にある小国〈ウライバ藩王国〉の入り口であり、守りの要所である〈ウーゴ砦〉にて勃発した襲撃事件の鎮圧から、七日が経過した。
歴史書では、後に起きる事件と共に〈ウーゴ攻防戦〉として纏められるこの戦いは、単なる兇賊の襲撃に留まらず、小規模ながら城砦戦が展開された。
これまでも、散発的な戦闘は起きていたとはいえ、それはこの砦にとって、実に六十余年振りの本格的な城砦戦であり、現在の砦に詰めている者たちにしてみれば、まさに初めての体験であった。
襲撃者は、クメーラの元将軍ドルトフと、兇賊ゼットス一党。彼等の率いる凱甲騎を含む鉄甲騎七騎、装甲騎士二十騎と兇賊七十余名を擁した武装集団が、容赦なく砦を襲ったのだ。
確かに敵の戦力は少数である。だが、度重なる兇賊対策で疲弊し、その上、宗主国であるクメーラ王国からの要請を受けてウライバ藩王国軍の主力勢が出兵し、砦の守備隊も万全とは行かない。しかも、王城防衛の温存戦力が、ダーマスル駐在官の内部工作により留め置かれるという事態まで起きた。
また、襲撃に先行して仕掛けられた[蜘蛛猿型鉄甲騎]の奇襲により、ウーゴ市街も相当の被害を受けてしまう。
そんな状況でも、砦の者たちは街を守るために戦った。
罠にはまり、城壁と砲台を破壊されても、諦めることはなかった。
そして、凱甲騎による驚天動地の猛攻により城門が砕かれ、誰もが絶望し、ついに諦め掛けたその時、かつて砦を救った英雄が再臨し、勝利をもたらしたのだ。
だが、ひとときの平和を取り戻すための代償は大きかった。
二日間続いた〈慰霊の宴〉の翌々日――
打撃を受けた守備隊は、その立て直しを図るべく動き始めていた。とは言っても、まずは砦、部隊の被害を確認し、修復、復旧の目処を立たせることが先決であった。
「雨期に入るな、そろそろ……」
会議室の窓からいつになく大きな雲が漂う空模様を眺め、ウーゴ砦守備隊大隊長イバンが呟く。間もなく壮年期に差し掛かる頃合いの青年は、周りに悟られない程度に溜息をついた。
「本格的に降り出す前に、復興を急がにゃ、ならねぇな……砦の方は、被害状況、どんな感じだ?」
副隊長を兼任する初老の機関士長ドルージの問いに、補佐官アガルが書類を読み上げる。
「……爆破された砲台二基、同じく銃座二基に加え、凱甲騎によって破壊された城門をはじめ、爆発の影響で、城壁そのものにも相当の被害が出ています。外からの砲撃には耐えられても、内部からの爆発となると、存外脆いものです」
「先ほど、私も見てきた。酷いものだ……」
イバンは、すでに城壁を視察し、現状を全て把握している。
報告通り、城壁は悲惨な有様であった。その被害は、スパルティータに破壊された城門を除き、全てがゼットスの仕掛けた爆弾によるものであった。
その爆弾がどのようなものであったかは、今となっては不明であるが、現物を目撃した砲台長によると、爆薬と西方製時計が銅線により接続されているという、これまで見たことがない形の代物であった。
もし、発見が遅れていたら、被害は城壁全てに及び、その時点で砦は壊滅していたであろう事は、容易に想像できた。
「シディカの話では、西方で時計を使った[時限装置]とか云う機械が作られているとか……導火線や砲弾の遅延信管など、それらと同じようなものだろうか……」
「爆弾の正体はともかく、ゼットスの野郎に、侵入を許しちまったのが、問題だな……大隊長」
ドルージの指摘通り、この危機は、敵勢力の頭目の片割れであった、兇賊ゼットス一人によって為されたと言っても過言ではない。
事実、砦はドルトフの鉄甲騎五騎を、砲撃と味方の鉄甲騎の連携によって阻止し続けていた。確かに、凱甲騎の戦闘力は相当なものであったが、あの爆発がなければ、その進撃を押さえる手段は充分にあったと考えられる。
「忍び込んだのは、ゼットス自身に間違いはないのだろうな」
「はっ、ゼットス撃退の協力者であるダンジュウ氏と、準機関士ナラン、給仕係プロイの目撃証言から、おそらくは間違いないかと」
アガルの言葉に、イバンは考えを巡らせる。
「四十前後の四角顔……銀髪に筋の通った鼻筋……小さくとも異様に目立つ碧眼に、への字口……間違いようのない特徴だよ、ホントに……」
イバンがゼットス本人と相対したのは、この闘いの前に実行した、兇賊一党の拠点強襲作戦が最後であった。
「私はあいつの目が、未だに忘れられん……あれは、憎しみだけが凝縮した、歪んだ輝きだった……」
「まぁ、お前さんは、これまで、さんざんヤツの邪魔をしてきたからな……」
「ドルージ殿、ゼットスの憎しみは、もっと深いような気がします。その根源までは、わかりかねますが……」
ここでアガルが、あることを思い出した。
「そう言えば、ゼットスという名前、違う形で聞いたことがあります。
確か、六十年前にクメーラで謀反を企てた一派が、〈ゼットス党〉を名乗ったと記録にありました」
「その勢力の一部は確か昔、ウチにも攻めてきたんだっけな……」
「はい、機関士長。クメーラ王国から我が国に外遊あそばされていた、当時の王太子殿下……現クメーラ国王陛下を拉致せんが為にやってきた者たちがおりましたが、もしかすると、その辺に関係するかも知れません」
「私は、そうは思えないが……」
イバンはその説には否定的であった。
「〈ゼットス主義〉は西方社会に於ける、貴族主義と軍事主義による選民思想の塊だ。どう見ても野盗の集まりでしかない奴らが、六十年前の残党と関連があるとは思えん……」
「……確かに」
しばし沈黙の後、イバンが口を開く。
「機関士長、鉄甲騎の修理は、どんな具合ですか?」
「どうもこうもねぇ。〈バイソール〉三騎に〈リストール〉五騎、無事な機体は一騎も無ぇ……とりあえず、歩かせることまで出来るようにして、その上で王城の工場へ持ちこまねぇと、完全修理はままならんな……」
ドルージの主張通り、主力兵器である〈鉄甲騎〉――炎の宝石〈焔玉〉で生み出された蒸気を糧に動く機械の戦闘巨人も、激戦の末、砦所属の機体はリストール一騎が失われ、残りも全て、満身創痍の状態であった。
現在、砦所属の機関士、予備機関士、そして本来は騎士階級に準ずる操縦士までもがが駆り出され、総力を挙げて修理を続けてはいるものの、砦の設備では完全修理は無理であろうと思われる。
「本当なら、工房都市に丸投げしてぇところだよ……」
砦の警護は現在、王城から駆けつけた二小隊――鉄甲騎二騎、脚甲騎四騎が請け負っている。これは、ウライバ藩王レイ・ウライバが主力と共に〈クメーラ王国〉に於ける反乱軍鎮圧に援軍として出兵しているため、城には一小隊しか残されていない。即ち、殆どの鉄甲騎がウーゴ砦に集結していることになる。
大国の属国にもかかわらず、主産業である焔石採掘とその交易により、豊かな経済力を持つ貿易都市ウーゴを有するウライバ藩王国と云えど、所詮は小国であり、その軍事力は高が知れていた。
「現状、無事な機体は、〈サクラブライ〉だけですか……」
思わずアガルが溢す。
サクラブライ――
およそ二百五十年前、ウライバに迫る魔獣の群れを払い、その危機を救ったとされる伝説の巨人……そして十五年前に格納庫地下から発見された巨人用の動力甲冑らしきものの名前であった。
その鎧が、運命の導きで街を訪れた巨人の少女によって纏われ、敵の首魁であるドルトフ将軍の凱甲騎スパルティータを討ち果たし、ウーゴ砦に勝利をもたらしたのだ。
ところが……
「あれは、員数外だ!」
補佐官の呟きを、ドルージが真っ向から否定する。
「しかし、あれのおかげで、危機を脱したことは確かです」
「別に邪険にしているわけじゃねぇさ……」
イバンの諫めに、ドルージは窓の外に顔を向ける。大人気無くふて腐れた顔を見せたくないのであろうか。
事実、巨人の鎧サクラブライの活躍がなければ、スパルティータを撃退することは叶わず、ホドの街にて敵の揺動による足止めを切り抜けたイバンの帰還を待たずして、ウーゴは陥落していただろう。その事は、ドルージ自身、理解しているし、それを着装し、戦ったモミジという巨人にも心から感謝している。
しかしドルージは、そのサクラブライの機関士を、成り行きとは云え、自身にとって初めての弟子である少年、ナランが務めた事が気に入らなかったのだ。
別にドルージは、ナランのことを嫌悪していたわけではなく、むしろ、実の子のように愛していた。だからこそ、この愛弟子を鉄甲騎から引き離したいというのが本音であった。
――こんなはずじゃ、無かったんだけどな……
確かにドルージは、ナランを機関士として鍛えていた。が、実の所、この少年には鉄甲騎に関わらない機械技師として大成して欲しかった。
一年前、ドルージはナランを一目見たときから、彼が復讐心に捕らわれていることを見抜いていた。その過去を聞いたわけではない。その一途な目の中に、どことなく、不穏な輝きを感じたのだ。
本来、機関士、操縦士ともにその育成訓練は、操縦が比較的簡易である脚甲騎から始めるのが一般的とされている。にもかかわらず、ドルージがナランの練習台としてサクラブライを選んだのは、十五年前、埋もれていた地下倉庫から発見、修理されて以来、放置状態だったこの[鎧武者]の焔玉機関が、きわめて扱いにくい代物であったことを、身を以て体験したからである。
この度の襲撃がなければ、ナランは訓練として、サクラブライの機関に〈火を入れる〉はずであった。そして、自分がそうであったように、いや、見習いである少年は、自分以上に、この機関の厄介さを、身を以て知るであろうと考えた。
ある意味、これはドルージがナランに仕掛けた[篩]でもあった。
もし、ナランが音を上げずに機関士としての[技]を習得したならば、素直に諦め、機関士として鍛え上げるつもりでいた。この場合、復讐心は消えないとしても、修行に没入させれば、少なくとも、精神的に落ち着くであろうと思ったからだ。
逆に、ナランが修行に音を上げるようであれば、容赦なく破門にし、その上で、機械技師としての道を進ませてやることを考えていた。望むなら、身銭を切ってでも工房都市に留学させても良いと思っていた。
ところが、結果はそのどちらでもない形となった。
ナランは、戦闘の最中にサクラブライの焔玉機関を起動させ、尚かつ、それを使いこなして見せたのだ。
確かに、実際に着装して戦ったのは巨人の少女モミジである。だが、サクラブライが正常作動したのは、機関士として乗り込んだナランが、扱いの面倒な焔玉機関を制御したからであり、でなければ、その勝利が得られなかったことは間違いないのだ。
それが天性の才能なのか、はたまた、戦闘という状況が引き起こした奇跡なのかは定かではない。だが、ドルージにはどのみち不満であることは確かである。彼から言わせれば、ナランは、「機関士としての心構えを学ばぬまま技術を得てしまった」というのだ。
今後のナランとサクラブライの扱いをどうするか、正直、ドルージは複雑な心境であった……
「それはそうと……」
ここでアガルが割り込んだ。
「副隊長は……シディカ様は、未だ休息中であらせられますか?」
そう言われれば、この場に、守備隊副隊長であるシディカの姿がないのは不自然であった。
「やはり、先の戦いでの消耗が……」
補佐官の言葉通り、シディカは、イバン不在を埋めるため、作戦の立案から実際の指揮など、この戦闘に於いて、中核を為していたと言っても過言ではなかった。特に、〈蒼玉〉を媒体に想像を具現化する〈心象具現化術〉を利用した[六門同時弾道計算]による砲撃支援は、めざましいものであった。
しかし、それは同時に、この戦が初陣であるシディカにとって、精神面での負担も大きく、そして、心象具現化による弾道計算と、最後に見せた大技、賊の具現化による登攀術を消し去った〈無効結界〉による精神疲労は、ようやく少女を脱した女性にとって、相当なものだったに違いない。
「それだけじゃないさ……」
イバンは、再び外を眺めながら、付け加える。
「シディカは……我が賢妹は、自身の初めて立案した作戦で死者を出したこと、いや、それだけじゃない。自身の作戦が、結果的とは言えゼットスに利用され、この被害に繋がったことを悔やんでいるのだろう……」
「先日の宴のときには、そんな素振りは見せていませんでしたが……」
普段の、職務にルーズで、マイペースなのんびり屋、その上、知的好奇心の衝動に駆られると、後先見えなくなる姿を知るアガルにしてみれば、意外な話であった。
「まぁ、指揮官たるもの、兵の前でしょんぼりした顔を見せるわけにゃ、いかねぇからな。シディカはあれでいて、結構繊細な心を持っているのさ……」
幼い頃からイバンとシディカを知るドルージの言葉を聞き、アガルの中で、上司であるシディカに対する印象が、変わったような気がした。
その時である。
会議室の扉が開き、件の副隊長が入室したのだ。
「遅くなりましたぁ……」
「もう、いいのか?」
いつものとぼけた口調で部屋に入るなり、欠伸をしながら持参した書類の束を机に置く妹に、優しく声を掛ける兄であったが、当のシディカは、へらへらとした笑みを浮かべる。
「いつまでも、休んでいるわけには行きませんからぁ」
そう言って、瓶底のような眼鏡をかけ直し、のほほんとした顔つきと、相も変わらずだらけた仕草で椅子に腰を下ろすシディカを見たイバンは、
――いつもながら、せっかくの美人が、台無しだ……
そう思い、頭を抱え、[賢妹]などと称したことを後悔しつつ、それを口には出さず、机に置かれた書類に目を向ける。
「あ、ウーゴ砦の修復計画を立てていましたぁ……」
視線に気付いたシディカの言葉に、イバンは書類の一つを手に取り、目を通しつつ、苦言する。
「……まだ寝ていろと言ったはずだぞ」
「何かしていないと、落ち着かないものでぇ」
苦笑いを浮かべる[愚妹]に、イバンはこめかみを押さえた。
砦攻防戦の終結より四日目の夜、負傷者の治療や、被害総数の集計など、一通り落ち着いたところで、ウーゴ砦の練兵場に於いて〈慰霊の宴〉が催された。
この激戦に於ける死亡者の数は、砦、市街を合わせると、相当な人数に登ると云われている。だが、ウーゴ復旧が急がれる中、個人個人で葬儀を執り行う状況ではなかった。然りとて、何もしないわけにも行かないのも、また確かである。
そこで、復興作業に取りかかる人々を励ますためにも、戦勝祝いと慰労も兼ねた[宴]を催す必要が生じたのだ。これは、[慰霊]と云われるように、戦死者ならびに市街襲撃に於ける死亡者の合同葬儀を兼ねたものでもあった。
王城から、藩王陛下の名代として御出座なされた王女ミレイ・レイ・ウライバ殿下による弔意を表わす言葉から始まり、その後、ナム教の僧侶による管楽器に乗せた読経、ウライバ土着の神〈アシャーナ・ウル女神〉の神官による舞踊が続き、あり合わせの光りもので飾られた棺の列が、骸骨を模した装束を纏い、踊り狂う者たちに囲まれ、市街を練り歩く。
本来であれば、時間を掛け、贅を凝らした棺を用意するのが習わしであるが、急なことなので、本当に、あり合わせの材料で飾り立てられた。
その姿は、祭の山車や御輿と何ら変わることはない。
多くの地域では、[葬儀]というと、厳かなイメージが浮かぶものであるが、このウライバを含むいくつかの地域では、葬儀は派手に、それこそ、祭のような雰囲気で行われていた。
骸骨とともに踊る人々の顔は、決して暗いものではなく、笑いさえ見せている。だが、それでいて人々の笑みは、喜びではなく、むしろ哀悼から生じたものだ。
あるものは、『葬送の義は、彼岸へと旅立つ死者の為であると同時に、残された生者のために執り行われるものでもある』と云う。それは、死者と決別し、自分たちが前に進むためにあるものだと。
命は、黄金よりも重く、貴重なものであり、それでいて、羽根のごとき軽さと、脆さを持つものでもある。
ナム教の経文のひとつには、こう記されている。
『彼岸の先にある世界は、死者が再び生を得る為の休息の場である』と……
そして、
――彼岸に送り出すからには、せめて、笑って見送ろう……
そんな想いもある。
何時か自分たちも、笑って生まれ変われるように、と……
やがて、全ての棺が塔のように積み上げられ、荼毘に付された後、縁者によってその灰が壺に収められる事で、儀式は終わりを告げる。
だが、いくら派手に棺を飾ろうとも、笑い、踊り狂ったとしても、親しい人との死別が哀しくないわけはない。
儀式の後に催された酒宴にて、人々は死者を懐かしみ、酒を注ぎ、その思い出話を肴にして笑い合い、偲び、また酒を酌み交わし、そして、また涙を流す……
そんな中、シディカは、努めて明るく振る舞った。
兄イバンやアガルに絡み、ミレイ殿下に付きまとわれ、セレイやナラン、プロイをからかい、騎兵隊長トゥルムと戦術論を戦わせ、兵達と杯を重ね、はしゃぐ。挙げ句、アリームやダンジュウに呆れられ、仕舞いには知的欲求を爆発させ、モミジの体によじ登ろうとして、ドルージに怒られる。
だが、その行動のどれもが、全て、哀しみの裏返しであった。
――討ち死には戦の常だ。
戦死者が出た直後のドルージの言葉である。
そして、帰還したイバンか掛けた、
――指揮官は胸を張って見送るものだ。
その言葉が、胸に過ぎる。
――でなきゃ、死んでいった者たちの全ての名誉、誇りが嘘になる……
「……死んだら、名誉も誇りもないじゃないですかぁ……」
棺の塔が炎とともに崩れ去る有様を見つめながら、シディカはそう呟いた。
その周りで踊る骸骨の群れが……その髑髏の虚ろな目の中に潜む哀しみが、シディカには忘れられなかった。
それでも、指揮官として……自身の作戦で兵を死地に追いやってしまった責任として、シディカは、胸を張って堂々と見送ろうと思っていた。
古代の科学力を以てしても、〈心象具現化術〉と称する[魔術]を駆使しても、死したものを蘇らせることは不可能である。だからこそ、せめて、彼岸に逝った者たちの記憶を心に留め置くことにした。
決して、彼等のことを忘れないように……
慰霊の宴が終わり、その翌日、シディカは部屋に籠もった。
無理矢理引き出していた心の高揚が一気に消え、その反動で押し寄せる哀しみと虚無感、そこから生じる悪夢と戦い、振り切るため、ひたすら机に向かい、復興計画の立案に全力を傾けた。
シディカが目を腫らしてまで書き上げた計画書は、緻密で完璧だった。
その内容を理解できるものが、それを書いた本人だけであると云うことと、それに加えて[あるもの]が欠如していることを除いては……
「稜堡式城郭……?」
見慣れない言葉に、イバンをはじめ、全員が首を傾げた。別の書類には、まるで星のようなものを描いた、複雑怪奇な図面もある。
「ある学者さまが考案したものなのですが、火砲の有効性を最大限に引き出すために考え出されたとか……
ただ、この砦の地形ではこの方式を踏襲するのは無理ですので……」
そう言って、シディカは別の図面を机一杯に広げた。
「なんじゃ、こりゃ……」
ドルージの漏らした言葉は、シディカを除く全員の気持ちを代弁したものであった。その図面に描かれていた砦の姿は、これまでのような、城壁前面に集中していた形ではなく、ウーゴ砦を中心に、前面の峡谷三百メートル四方を掘削し、新たに、三角に突き出した砲台が内側を取り囲むように配置されているものであった。
これにより、砦前面に辿り着いた敵は、四方から集中砲火を受けることになり、また、鉄甲騎同士の乱戦に突入しても、確実に敵機のみを集中的に攻撃できるもので、砦と云うより、攻撃型の要塞と云った感があった。
これは前回の戦闘で、ドルトフが取った砲撃避けの戦術に対抗するためのものでもある。
この図面を見る限り、もはや[修復]とは云えないものとなっていた。
まさに、ここに描かれている〈新ウーゴ要塞〉は、シディカの、
『わたしがかんがえたさいきょうのようさい』
なのだ。
図面を食い入るように読み込んだイバンは、一息ついて言い放つ。
「……実現不可能だ」
イバンの一蹴に、シディカが不機嫌そうに口を尖らせて突っかかる。
「……やはり、皆様方の戦術との方向性の違い、ですかぁ?」
「それ以前の問題だ」
「だからぁ、何がいけないんですかぁ?」
「お前の計画書、[建設費用]が抜けているだろ」
「…………あ」
「あ、じゃない。それに、この図面通りに建設するには、砦の周囲の崖を広範囲で掘削しなければならないが、あの固い岩盤を削り込む程の土木技術は、我々には無い……大体、この工事が実現できるくらいなら、この砦には最初から[堀]が作られていたはずだ」
「……ですよねぇ」
ウーゴ砦の周辺は、とてつもなく固い岩盤で覆われている。それ故、この砦は堀などの地形を加工する必要のある防御設備を作ることが叶わず、井戸なども掘れないため、街から水道を引いているのだ。この砦は、背後のウライバ本国が最大の補給線となることで成り立つ、特殊な環境と云える。
シディカの[要塞建設]に必要なものは、[数年にわたる建設期間ならびに長期の財政計画]と、[土木、建設技術の進歩、発展]であり、要するに、今この場で話し合う内容ではないと云うことであった。
「まぁ、仕方がない。城砦に関しては、当面は現状の復旧のみと言うことで考えよう……」
気落ちするシディカの肩を叩きながら告げたイバンは、こう付け加える。
「どのみち、復旧そのものにも問題は山積みだ……」
「まず、人手が足りん、か……」
ドルージの指摘通り、城壁の修復には相当の人数を割り当てる必要があり、砦の兵だけでは、作業に時間が掛かるのは目に見えていた。まもなく雨期を迎え、断続的とはいえ大雨が降ることを考えると、外壁だけでも取り急ぎ修復を進めたいところではあるのだが、現状ではそれも難しいと思われる。
街の住人に普請を求めることも考えたが、市街もまた、[蜘蛛猿型鉄甲騎]の襲撃により、かなりの被害が出ているとの報告もあり、援助は、やはり望めそうにない。
「むしろ、守備隊から支援を出さなければならない状況と言えますね……」
アガルの言葉に、全員が沈黙する。
「ならば、王城からも兵を出し、普請に当たらせましょう」
凛とした声に一同が振り返ると、いつの間に現われたのだろうか、会議室の戸口に二人の侍女を連れた女性が立っていた。ウライバ藩王国王妃ミトナ・ウライバ殿下その人であった。
普段の室内服でも、飾り立てた王家の装束でもない、実用的な作務衣に身を包んだミトナ王妃は、顔を廻らせ、会議室の顔ぶれを確認する。
「妃殿下!!」
ミトナは、ウーゴの現状視察のため、市民に混乱を招かぬよう、内密に砦を訪れていた。本来であれば、視察の後、報告を受けるために応接室に待たされていたのだが、会議が長引き、焦れて御出座なされたのだろうか。
不意を打つような来訪に、イバン以下全員が、それこそシディカまでもが畏まり跪こうとするが……
「そのままでよい。此度は忍び故、改まった礼儀は不要であります」
と、上座には向かわず、敢えて「此処でよい」と、下の座に腰を下ろす。
「先ほど申したとおり、城の兵を、砦の普請ならびに、市街復興の人手として、差し向けましょう。ダーマスル駐在官を拘束した今なら、我が命令が滞りなく行き届きましょうから……」
「妃殿下の慈悲深きご配慮、勿体なきお言葉……まことに以て、感謝の念に堪えません」
礼儀不要と言われながらも、直立姿勢で恭しく礼の言葉を述べるイバンに、ミトナ王妃が問いかける。
「そう言えば、ドルトフ将軍以下、クメーラ王国の反逆者どもは、今、どうしておりますか?」
「将軍以下、配下の操縦士ならびに機関士、装甲騎士は全員、戦時下の規則に従い、捕虜として拘束しております。特にドルトフは、敵将として、我がトノバ家の屋敷で丁重に扱っております」
「そうですか……」
ミトナは、安堵の息をついた。同郷のものに対する温情も無くはないが、仮にも、クメーラの一将軍を、ウライバ側で勝手に処罰することは、宗主国を蔑ろにすることにも繋がりかねない。
実のところ、慰霊の宴を早々に催したのは、ここにも理由があった。
ウーゴ市民から、事件関係者の処罰を求める声が本格的に強まる前に、意識を復興に向けさせるためでもあったのである。
イバンが続ける
「クメーラ王国には、伝令を派遣いたしております。近いうちに、護送の為の使者がこちらに向かうことでしょう……」
「早ぇとこ来てくれねぇと、困るぜ……格納庫の周りが狭くてかなわねぇや」
王妃の前にも拘わらず、砕けた口調で話すドルージが気にしているのは、鹵獲した鉄甲騎のことである。この戦闘で、砦の守備隊は稼働可能な鉄甲騎〈ガイシュ〉を三騎、凱甲騎〈スパルティータ〉を含む、残骸と化した機体四騎の、計七機を鹵獲した。戦場に於ける習慣に従えば、これらの機体は、討ち取ったものが所有権を主張できるのであるが、今回の場合は、凱甲騎も含まれることもあって少々特殊であり、本来の持ち主である宗主国の判断を待たねばならない。
現在、鹵獲機体は、格納庫周辺を含む、砦の所々に耐水性の布で覆われている。砦の格納庫は自軍の、修理中の鉄甲騎で満杯だった為である。
「あの……今は砦の復旧について、考えをまとめないと……」
ドルージの砕けた口調が場を変えたのか、アガルが先を進めるよう促した時、不意に扉がノックされる。
「お茶をお持ちしました」
ドルージの孫プロイと、ツバサビトである伝令セレイが、茶道具を乗せた台車を押して入室してきた。
「(え、うそ……!?)」
この時、セレイは会議室の末席に座する[やんごとなき]人物の存在に気付き、プロイに知らせようとするものの、緊張のあまり声が出ない。
一方のプロイは、会議室にいる[作務衣を着た知らない女性]を、王城の使者か何かとしか認識していなかった。
気を利かせたイバンは、二人に茶器だけを残して退室させようとしたが、何故かミトナは「(無用)」と云う意味合いの目配せをする。また、てきぱきと茶の支度を始めるプロイを見て、「後は私たちが……」と、引き継ごうとする二人の侍女に対しても同様の目配せをする。
それは雲上人としての気まぐれではなく、何も知らず、おそらくはいつものように客に対して接しようとする、黒髪を後ろに束ねる働き者の少女に対しての配慮であろう。
もし、この平民少女がミトナの正体と身分を知れば、混乱し、床に額をこすりつけるほど平伏してしまうのは目に見えていた。
そんなこととは露知らず、プロイは軽く笑みを浮かべたまま、黙々と茶の支度を進めていた。
プロイによる礼儀作法、茶器の扱い、そして茶の煎れ方は決して洗練されたものではなかったものの、一つ一つが丁寧で、心が籠もっていた。
この場の全員が、プロイの行動に無礼がないか、粗相をしないか気を揉む中、健気に茶を煎れる少女を観察していたミトナは、素直に感心した。
――この娘は、分け隔て無き心を持っている……
目の前の少女はおそらく、身分の貴賎に拘わらず、心の籠もったもてなしをするであろう、と。
ミトナは、プロイの手で遠慮も躊躇も無く「どうぞ」と置かれた茶を、
「ありがとう……」
と、こちらも躊躇無く口にする。
これは、王族にあってはならないことである。
本来、毒殺を防ぐために、まずは毒味役が口にするのが決まりであり、もし、その行為が無礼となる場合でも、見えない場所などで行うものである。
従って、王族が、まして庶民の手で出されたものを直接、口にするなど、自殺行為に等しいとも云える。
だが、茶を出した少女は、王家の習慣を知るわけもない。そも、目の前の人物が誰かなどわからない。
もてなされたミトナも、今は[お忍びの私人]である。
ここで身分を明かすなど、無粋であると考えたミトナは、敢えてその茶を口にしたのだ。
それは、砦のものが普段口にする茶葉で煎れたもので、王妃にとっては決して美味しいものではない筈であった。しかし、心の籠もった茶は、確かに王妃の心を捕らえていた。
暫し続いたこの状況は、焦れた侍女により破られた。
「……無礼者! このお方を何様だと……」
「何様?」
「!?……ど、何方様と心得る……」
その後、プロイに知られる前に、身分を明かそうとした粗忽者の侍女が王妃に叱られるなど、会議室は混乱に包まれた。