05:知識的能力
連載三日目!このカラディス、お話の性質上、設定上の用語が自分史上もっとも多い部類のお話です。
本日もよろしくお願いします!
戦慄した。
正直何が起きているのか、全く理解が追いつかない。動揺を隠せない。
しかし言えることは目の前の光景が間違いなく不快で、顔が青ざめるほどに恐ろしい光景だということだ。
まさに血の惨状。部屋のあちこちに飛び火した紅い鮮血。足を床に下ろす度にピシャッという生々しい音が耳に纏わりついて気持ち悪さを感じる。
そして進んだ奥の机の前に、カイトのよく見知った人物は無残にも四肢を切り取られ、頭と胴体だけを残した状態で転がっていた。
カイトは変わり果てた白木の姿に恐怖で膝が笑い出す。
「は、はは……。おい冗談だよな? 博士ッ! しっかりしろよ! 博士――――ッ!」
カイトは叫びながら、何故、どうして、と思わずにはいられなかった。誰が、何の目的で博士をこんな目に遭わせたのか、と。
「…………か、カイト……う、るさいぞ……」
「っ! 博士!? 意識があって……」
「ああ、どうにか……、でもさすがにこれじゃ……。もう弊害症状で目は見えなくなって、《余剰寿命》の警告アラートが頭の中で流れっぱなし、さ……」
「バイオスの警告……」
カイトも高校の保健の教科書程度の知識だが、バイオスについては少し知識がある。
《余剰寿命》とは、この《箱》に住む人間に与えられた文字通りの寿命のことであり、《箱》の中で生命を維持するために人々がそれぞれに持つ一種のリソースのことである。
その寿命は十年毎、又は寿命を削るような重大な損傷、疾患を受けたときにプログラム上で更新されていく仕組みになっている。
つまり新たに更新された余剰の年月の間は必ず生きられることが保証されるというわけだ。
更新される新しい寿命の元となる《バイオス値》は加齢とともに減少していき、逆に若い人ほどバイオス値は多く設定されている。といってもそのバイオス値自体を視認する方法はないし、実際自分がどのくらいのバイオスを持っているかなどは知る由もないが。
そして同時にこのバイオスの仕組みにはもう一つ種がある。
それは自分が重大な損傷、疾患を受けたとき、そのダメージの深刻度合いによっては仮に治療を施しても修復が間に合わず、プログラムのバイオス更新速度を上回るスピードで保有するバイオスが減少していく点だ。
そもそもバイオスそのものがこの《箱》に生きる人間の生命活動を維持しているのだと考えると、この理屈には合点がいく。
つまり、例えば一日一つのバイオスを削って十年生きながらえたものが一日に……いや、一秒に数百、数千ものバイオスを消費したら。その末路は考えるに硬くない。
故に白木の言う警告アラートとは保有バイオス値が異常減少しているサインなのだ。
このまま減少が続けば次々と身体の機能が奪われていき、全機能が停止――――この世界での死が訪れる。
「博士……いつやられたの? これ……」
「つい……十分ほど前だ。突然入ってきた誰かに話しかけられて、振り向いたときには僕の手足はなかったよ……」
「な……っ!」
笑いながら話す白木の諦めにも取れるその台詞は、カイトの心を強く締め付ける。もはや自分の死期を悟っているかようにカイトには聞こえた。
「…………ッ」
カイトはギリギリと指の爪がめり込むほどに拳を強く握りしめる。
博士のメールの返信が遅いことにもっと疑問を持って早く訪れることができれば、もしかしたらこんなことにはなっていなかったかもしれない。
「……間に合わなくてごめん……博士」
「なに、カイトが謝ることはないさ……。僕は少し首を突っ込み過ぎたのかもしれないな」
カイトには白木の言っている意味は解らなかった。聞き質そうとする前に白木は急に苦しみ始める。
「いや……何でもない。それより、もう僕は持ちそうにない……。何よりさっきから意識が遠のく感じがするし……ゔぐっ! はぁ、ぜぇ……はぁ、はぁ……」
「博士ッ!?」
突然、白木が苦しみ出すと身体が淡く発光し始める。そして損傷部分から体を構成していた組織が崩れていくように、身体が消失し始める。
このまま放っておけば、やがてデータの塵になって消えてなくなる。何も残さないまま。跡形もなく。
それが実体を持たない《箱》の中で生きる人間の末路。
「そんな……待って、博士……まだ俺は何も……」
恩返しできていない。
関東ブロックに越してきて身寄りのなかったカイトに声をかけてくれてからの生活面での相談はもちろん、この世界のこと、フォルスやアリフィスのこと、たくさんのことを教えてもらった。
元々カイトの目指すものがそこにあったというのもそうだが、常にカイトの前には白木の背中があった。
生活面はかなりルーズで、誰かが面倒を見ていないと部屋がすぐゴミ屋敷化するくらいには抜けている人だけど。
それでもこの若さで仮想現実生命の分野では現行この人の右に出る人はいないと言われているくらい偉大で、カイトにとってはもっとも尊敬する人なのだ。
どうしたらいい、どうしたら博士を助けられる……?
「くそっ……」
カイトは歯が軋むほど強く噛みしめながら、白木の助かる道を模索する。しかし、考えつくそのどれもが白木を助けてはくれない。
結局白木を死なせてしまう。
「――――その人、どうしても……助けたい?」
「え……?」
そこでカイトはやっと冷静になる。この悲劇の惨状に居合わせていたのは自分だけではなかったことに今になって気が付く。
今まで何も音を発しないまま傍観していたらしいユリアは真っ直ぐにカイトと見つめる。
その佇まいは先ほどまでの雰囲気とは明らかに違っていた。まるでこの光景を何度も見てきているかのように落ち着き払っている。
「た、助けるってどんな……」
そう呟いたユリアは長い白髪をゆったりとたなびかせ、しゃがみこむと白木の右肩の患部に手をかざす。
「――――――――!」
驚くべきことに手をかざした部分の身体の崩壊が止まっていた。
カイトは信じられない現象に二、三度瞬きを繰り返したが事象が変わることはなかった。
そして続けて左肩、右脚、左脚、と手をかざして崩壊を止めてゆく。
「どうして……」
「これが……私の《知識的能力》だから」