03:瓦解した心
連載一日目!どこまで体力が持つやら(風邪にだいぶんやられてて……)。
よろしくお願いします!!
目の前の少女は体勢を起こし、無言のまま警戒心むき出しでこちらの出方を伺っている。
ことに少女の不意な発言に動揺したカイトが言葉を詰まらせ、一瞬、無音の時が過ぎたのは言うまでもない。
「え、あ……、お、俺は九条夏絃っていう、早瀬中央高校に通う高校二年生…………ですっ!」
一時停滞した頭を無理やりにフル回転させて、メニューからウインドウを《可視モード》に変更。個人情報関係のストレージから自らの学生証明カードを目の前の少女に差し出す。
「くじょう……かいと……」
少女は差し出された学生証明カードをまじまじと眺め、咀嚼するようにカイトの名前を呟く。
カイトはどうやら自分の身分を証明できたことにほっとする。もし開口一番、不審者扱いされて警察にコールでもされたら、カイトが国の奨学金制度を利用してまで関東ブロックに出てきた意味を失ってしまうし、何より期待して送り出してくれた親に申し訳が立たない。
カイトは目的があって関東ブロックにいる。
しばらくして少女はもういい、というように頷いた。
カイトは表示させたままの学生証明カードを《不可視モード》に切り替え、全ての表示ストレージを閉じてから向き直った。このままでは会話が進まないので今度はカイトから質問してみることにする。
「あの、教えたから……って言うつもりはないんだけど。俺もさ、君の名前、聞いていいかな?」
「…………」
少なくとも返答があると思っていた当たり障りのない質問を口にしたはずだったが、再び少女との会話が途切れてしまう。口にしてから考えてみると初対面の女の子に名前を訊ねるのは少々デリカシーにかけていたかもしれない。
カイトは訂正するべきか少女の表情を伺う。
すると少女は顔色一つ変えずに、しかしその目はカイトを正面から捉えることなく、行き場を失ったように彷徨わせていた。
そして不意に、
「ユリア」
「え……?」
「名前……ユリア」
何度も言わされたのが癪だったのか、少女――――ユリアは眉を潜めて短くため息を零した。
そんな彼女の態度もスルーして、
「そっか、ユリア……って言うんだ」
そう呟きながらカイトはユリアを見つめてしまう。
ユリアは見れば見るほどに俗世離れした整った容姿をしていた。透き通るほど芯の細い艶のある白髪に色白の肌。大きく見開かれた双眸は猩々緋のような深い緋色をしていて、まだ幼さを残す表情と相俟って神秘的な印象を思わせる。同時に少しでも触れたら崩れてしまいそうな危うさが彼女にはあった。
無意識にカイトは吸い込まれるようにユリアに近づいていき――――
「それ以上近づかないで……っ!」
瞬間。耳をつんざくような悲痛な叫びだった。ユリアはいきなり声を荒げたためか呼吸が荒くなる。我に返ったカイトはただ呆然とするしかない。
「え……」
「…………っ!」
ユリアはカイトの様子を見て、目を伏せる。
「……ごめんなさい」
「え、あ、いや……。俺のほうこそ――――」
「――――ごめんなさい!」
「……ッ!?」
「……ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめ――――」
「――――ッ! いい加減にしろ!」
まるで壊れた機械のように謝罪を繰り返すユリアに、カイトは思わず両肩を掴んでいた。
直後、その行動を後悔する。
「……あ、ああ、あわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわ……!!」
ユリアは異常なまでの反応を示し、全身が痙攣を起こし始める。
この《箱》の中でも人間はまれに異常症状に見舞われることがある。空気中に細菌や微生物の類が存在しないため体外生物によって引き起こされる異常に苛まれることはないが、本人の精神的なストレスによる異常は別問題である。
極限状態でストレスを抱え続けた人間は徐々にバグを蓄積し、異常行動や異常反応を起こすことがあるのだ。そして最悪の場合、自我を喪失する。
ユリアの反応はまさにそれだった。
「ゆ、ユリア…………?」
「怖い。怖い……怖いぃ……っ! ああああああああああああああああああぁぁっ!」
「お、おい……!!」
「怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖いい怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い」
ユリアは錯乱し、もはやカイトの言葉など届いてはいない。
あるのはカイトには見えない、彼女だけに見える恐怖だ。
カイトにはもう、どうすることもできなかった。声も届かなければ、抱き寄せて安心させることもできない。近づきたくても、彼女自身がそれを許さないからだ。
ユリアは完全に自分が誰であるか忘れたように掠れた声で喚き散らす。
「あああああああああああああああああああああああああああ………………ぁ――――――」
「――――――――!」
前触れなく、ユリアはぷっつりと糸が切れたように意識を失い、そのままベッドに倒れ込む。
「ゆ、ユリア……? しっかりしろ! おい……!」
身体を揺すっても反応はない。しかし呼吸はあるようだった。
カイトは安堵とともに一連の出来事に動揺を抑えられないまま目の前に眠る少女を見やる。
「…………一体なんだったんだ……」
カイトの心情をよそに、眠っているときのユリアは何か苦しみから解放されたような、そんな安らかな表情を浮かべているように見えた。