02:白髪の少女
《空箱の楽園》――――もとい《箱》の構造は各国で設けられたサーバーを結合した連結体になっている。よって国と国の外交も盛んに行なわれているし、それぞれの国で特色ある設計が施されている。
この日本という国において言えば、全体を八ブロックに分けた列島構造になっている。と言ってもこれはかつての日本が《北海道地方》、《東北地方》、《関東地方》、《中部地方》、《近畿地方》、《中国地方》、《四国地方》、《九州地方》の八地方に分かれていたことに起因するものだ。
各ブロックはそれぞれの地方の特色を取り入れ―――――疑似的なものではあるが――――ちゃんと四季が存在する。
現在、九条夏絃は全ブロックでも唯一、仮想現実研究学科を持つ早瀬中央国立大学附属高等学校に籍を置いているが、元を辿れば北海道地方――――現在の北海ブロックから移住してきた経歴がある。
理由は興味のある学科を持っていたのがこの学校だった、そして学校の場所がたまたま関東ブロックだった、それだけである。
そんな行き当たりばったりで親元を離れ単身で移住してきたカイトは、まず北海ブロックとの空気感の違いに驚いた。人の多さも建物の高さもさることながら、体感的な湿度の高さ、空気の匂いまでもが違っていた。
素直に感動した。田舎の少年なら誰しも一度は都会に憧れを抱くものだと思う。かくいうカイトもその口であった。
そう言えば、白木に初めて会ったときもやや興奮冷めやらぬ勢いでまくし立てたのだが、『これは再現されたイメージだよ』の一言で一瞬にして片づけられてしまった覚えがある。
例えば北海ブロックは湿度が低くじりじりとした暑さがあるが、関東ブロックはどちらかと言えばじめじめした暑さを感じる――――そういった微妙に違った特徴も《箱》が作り出した仮想世界なのだ、と白木は語っていた。
とは言ってもここに住んでいる人からしてみれば、例え《仮想世界だろうが、そうでなかろうが、自分が見て感じているものこそが間違いなく《現実世界》に違いない。
少なくともカイトはそう思っている。
ともあれ、そうして始まったカイトの関東生活だが、最初は環境の変化に不慣れでなかなか苦労することもあった。しかしその分、今は住めば都を噛みしめている。
カイトは中央公園の付近まで歩いてきていた。公園自体はかなり大きく、ベンチやモニュメントといった類のものが配置された憩いの場のような場所だ。
関東ブロックの一番の特徴はこの中央公園のある《東京区画》――――旧東京都あたる区画――――を中心にして放射状に街が広がっていることである。そしてバス、電車などのほぼ全ての交通機関は必ず一度ここを経由するようになっている。それは役場や学校などの公共施設が集中しているからであり、他のブロックに移動するためのポータルがこの付近にあるためだ。故に関東ブロックは典型的な中央集中型と呼ばれていたりする。
詰まるところ、カイト自身が通う学校も、白木博士の研究室も、住んでいる学生寮もこの中央公園周辺にあるということなのだ。研究室と学生寮往復しても十分かかるか、かからない程度の距離にある。
不意に顔に冷たい感触がある。
「うわ、降ってきた……!」
とりあえず雨宿りできそうな場所を探すと、路地裏にちょうどいい場所があったのでそこで雨宿りすることにする。
こういうことはたまにあるのだ。
《箱》は巨大サーバーの中に構築された仮想世界で、存在している人間の姿は仮想の肉体に過ぎないが、感覚としては生身の人間とそう変わらない。そのことから各ブロックに様々な四季が与えられているのだが、《急なにわか雨》もその気象設定に含まれているらしい。そのタイミング自体は完全ランダムと聞くが。
「……っと、ストレージに傘入れてたかな」
カイトは軽く指先をスライドさせた。すると仮想のメニューボタンが現れる。その中から《ストレージ》を選択。軽くスワイプさせて中に傘がないか遡っていく。幸いにもストレージの下の方に傘が入っていたのでそれをタップする。すると慎ましいエフェクトを輝かせて傘が呼び出される。
「よし…………ん?」
カイトが傘を開いて家路に着こうとした瞬間。
ドサッという何か物が落ちるような音がした。思わず振り向く。
「――――――――――っ!?」
目の前に落ちた……いや倒れていたのは物ではなく、人だった。見た目、十四~五歳の白髪の少女。顔面から倒れたらしく、うつ伏せの状態で倒れている。
「おい、大丈夫か? しっかりしろ! 名前は?」
仰向けにさせて肩を揺すってみるが反応がない。顔は青ざめ、脚や首は細く筋が見えるほどやせ細っていて、かなり衰弱しきっているように見える。
ここは中央街だぞ? どうしてでこんなことに……。
普通は考えられない状況だ。このくらいの年齢の子が中央街にいるということはここら辺に住んでいると考えるのが自然だ。国から奨学金を受けて田舎から出てきている学生でもない限り、よほど裕福な家庭でなければこんな一等地の高級街に住んでいるとは考えにくい。
それなのに少女の身なりはあまりに軽装だった。至るところに引っかけたような傷があるボロボロのパーカーに股下の短めなハーフパンツという、少し今の季節感からはズレた格好をしている。
こんなときにカイトが知る中で頼りになるのは白木くらいなものだが、今もたぶん学会に出席しているはずだ。念のためコールをかけてみるがやはり出る気配はなかった。
「はぁ……どうしたものか……」
幸い少女は呼吸をしているし、目立った外傷もない。どちらかというと疲労による貧血か何かの症状で気絶した、というのが正しいような気がする。だからと言ってこのまま放置するのはあまりにも無責任である。
ひとまず博士はいないけど研究室に連れていけば……って、いやもう自分で鍵をかけてきてしまったから入れないじゃないか。
あ、病院か! ……いやこの子の戸籍情報カード、この子の意識がないと呼び出せないし、まず今日の診療は終わっているだろ。
すると……、俺の部屋に……? いやいやいやいやいやいやいやいやいやいや!! それは犯罪だから! 下手したら少女拉致監禁みたいな誤解をされかねん。
「~~~~~~~~~~っ! こういうとき家を出てきたことを後悔するんだよな、きっと……」
カイトは頭をがしがしと掻いた後、深くため息をついてから少女を抱きかかえる。
「うん……明日! 明日朝一で博士にでも連絡しよう! きっとそれなら問題ない! そのはず!」
カイトは無理やりそう自分に言い聞かせて、傘を肩と首で挟んでから走り出した。
学生寮に着く頃にはもうすっかり日は落ちていた。さっきまで降っていたにわか雨はすっかり止んでいる。
カイトは片手で傘をストレージに戻すと自分の部屋の扉を開けた。
この部屋は早瀬中央国立大学附属高等学校の学生寮であるが、見た目は普通のマンションである。八畳一間でキッチン付き、風呂とトイレは別と都会では割と魅力的な物件ではないかと思う。あくまで間取りの話ではあるが。
とりあえず抱きかかえたままの少女を自分のベッドに寝かせる。
「あ、しまった。結構汚れてるな、この子。……一応パーカーだけでも脱がせて洗濯しておくか」
少女の着ているパーカーはお世辞にもきれいとは言えないほど泥汚れが酷かった。たぶん、にわか雨に振られたときに倒れていたからそのときに付いたものだろう。
このままにしておくと布団も汚れてしまうし、何より衛生的じゃない。
そ、そう。 他意はない、他意はないんだからな……っ。
カイトは、よしっ、と自分でもわけの解らない気合いを入れてから、恐る恐る少女のパーカーのファスナーに手をかけた。そして勢いのままにスライドさせる。
「………――――――――っ!!」
下げたファスナーをそのまま戻した。
おいおい、ちょっと待ってくれ。嘘だよな……?
再び少女のパーカーのファスナーに手をかける。そして下げる。また上げる。
なんで下に何も着てないんだよぉぉぉぉぉぉおおおお!!
少女が上に着ていたのは泥だらけのだぶついたパーカー一枚だけで下着はおろかTシャツの一枚も着ていなかった。この具合ではハーフパンツの下も同じような状態なのではないか。そう考えると手も出せない。いや、出す気はないけど。
カイトは一頻り考えて諦めと同時に、はぁ……と肩を落とした。
「……布団は明日洗濯するからいいさ」
カイトは泣く泣く少女に布団をかけると、改めて少女の額に手を当てて熱がないか確かめてみる。
「ん、熱はなさそうだ」
続けて、洗面器にお湯を張ってタオルを濡らしてから額や首元の汗と泥を拭ってやる。
「まあ、こんなもんかな……」
正直これで合っているのか解らないけど、昔、よく母さんがこんなことをしてくれた気がするのだ。
しばらくして見ると少女の顔色がさっきよりずいぶん良くなっている気がする。自然と安堵の気持ちが込み上げてくる。
こうやって改めて寝顔を見てみると案外可愛い子だったんだなと思う。目鼻立ちがはっきりしていて、色白の肌と長い白髪の髪が相まってか浮世離れした可憐な印象を思わせる。
しかし、そうなるとカイトの頭の中はぐちゃぐちゃだった。中央街で倒れていた白髪の少女。服装は軽装でサイズが合っていないパーカーとハーフパンツ。裕福な都心の雰囲気にあまりにもミスマッチな組み合わせである。どうしても頭の中で結びつかない。
それに少女を抱き上げたとき感じたこと――――これは白木のほうが詳しそうだ。
と、カイトはそこで考えるのを止めた。
きっと明日になれば少女は目を覚ます。話はそれから彼女に訊けばいい。
「……そろそろ俺も寝よ。明日は早いぞ~~~~~~っ! ふぁわぁあ……」
さすがにベッドの上で寝るわけにいかないので、どこで寝るか迷った挙句、カイトはベッドを背もたれにして寝ることにする。
取り敢えず明日はこの子の様子を見て白木博士にコールしないと、だな。
カイトは指先をスワイプさせるとメニューから室内照明を切った。
***
「痛、ったぁ……!!」
カイトは朝から背中に走る鈍い痛みで目が覚めた。どうやら寝違えたらしい。慣れない格好で寝るものではないなと背中をさする。
「ん……?」
不意に後ろで何かを触った気がして、カイトは後ろを振り向いた。
「…………!」
振り向いた先で横になったままの白髪の少女と目が合った。途端に怯えたように胸元に両手を引き寄せる。流れる沈黙。
「あなた……誰、ですか……?」
沈黙を破ってそう呟いた少女の声は、心なしか乾いている気がした。
一ヶ月(ディストピアに限っては二ヶ月くらい)ぶりですね!結構期間が開いてしまった……。
次回、空箱庭のディストピア《03》は12月26日です!以降、毎日更新頑張っちゃいますよー!