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46話 嘆きの大鴉

私と虎太郎サンは久しぶりに、中上邸の玄関に立った。


「出てきてくれるかな……」

「最悪、鍵は持ってるんだ。入ろうと思えば入れる」

「その鍵を使うと、拘置所にも入る可能性があるけどね」


自分で言っても笑えない、そんな余計な事で警察の労力を使わせたくない。是非ともここは、素直に出てもらう事を祈ろう。

チャイムを押してしばらくすると、ガチャと音が聞こえた。どうやら出てもらえそうだ。


「レイさん、こんにちは」

「……ああ、虎太郎君と東條さん。どうしたんだい」

「大事な話がしたいんです、家に入らせてください」


そこからしばらく沈黙が流れたが、やがて家の鍵が開いてレイさんが現れた。現役の野球選手だけあって、見た目には特に変化は見られないけど、その瞳には、絶望に打ちひしがれているように見えて、野球選手としての成功や、可愛い子供がいる人の目には到底思えなかった。


「どうぞこちらに、何もない所だけど」

「ありがとうございます」


家の中は虐待が起こった割には、綺麗に片付いていて、一見すると平和で羨ましいと思うだろう。だが、その分玄ちゃんや海君が辛い思いをしている家だと思うと、なんだか薄気味悪い。


「……それで大事な話っていうのは」

「玄と海をこちらで預かる、レイさんの元で健やかに育って欲しいが、虐待が起こったとなれば話は別だ。レイさんが落ち着くまで、2人を合わせる訳にはいかない」

「……そんな事か」

「そんな事って……!」


私が摑みかかろうとすると、虎太郎サンが制止する。こんなの、親としての反応じゃないよ。なんで止めるの?


「レイさん、最近試合で長袖にしているし、リストバンドもしてるよな」

「……それがどうしたの」

「腕を見せてくれ、この夏場に厚手の長袖は違和感がある。やましい事が無いのなら見せてくれるよな」


虎太郎サンの指摘に私はハッとした、確かにリストバンドや長袖は今シーズンからで、昨シーズンはリストバンドはなく、七分丈だった。


「……要件は玄と海に関してだろう、了承したからこれで帰ってくれないか」

「待ってください、いくら預かると言っても、あなたが落ち着かないと、2人をまた傷つけることになります。本心を聞かせてもらえませんか」

「メグさんを救えなかったヤブ医者に何を話せと?」

「それはっ……!」


手遅れだったと言えばいい、事実その通りだし、どんな名医でも助けられない状態だった。だけど、私はそこから先が言えなかった。


「医者は神様じゃない、救えない命だってある。レイさんだって、絶望的な負け試合を経験しているだろう」

「許されないミスもあるだろう、野球は負けても次に向かえるが、医者は失敗したら患者が死ぬ」


私は唇を噛み締めながら下を向いた、この人と向き合おうとすればするほど、私の傷口が抉られる。


「それに今はアル中患者を社会復帰させるのに、必死らしいじゃないか。酒に逃げる豆腐メンタルなギター女子に救う薬はあるのに、必死に人と向き合ってきたメグさんを救う薬は持ち合わせてないっていうのは、とんだひねくれたヤブ医者だね」

「テメェ……いい加減にしろよ!」


虎太郎サンがレイさんに掴みかかり、床に押し倒した。だが、相手はプロ野球選手、簡単にひっくり返され逆にマウントを取られてしまった。

「ソリが合わないのに仮面夫婦をやった貴様に、一緒にいたくても入れなかった俺の気持ちが分かるか、大事な所で助けてやれずに、こんな時に出しゃばってきて偽善者ぶってるんじゃねえよ!」


レイさんは虎太郎サンの顔を何度も殴り、口からは血が流れ……。


「……っ!」


一瞬あの赤い海がフラッシュバックして、内臓が締め付けられて胃ごと吐きそうになった。でも、止めないと……虎太郎サンが死んじゃう!


「止めてください! お願いします!」

「じゃあもう2度とここに来るな、偽善者とヤブ医者風情が。分かったな、俺に関わるな!」


何とかレイさんから虎太郎サンを引き離したけど、こんな完全に対話を放棄されてしまった状態では……どうにかしないと……。

胃ごと吐きそうな私と、ボコボコに殴られ、顔と服が血まみれ状態の虎太郎サンを背負いながら、車までどうにか運ぶと、最悪な事に人の車の運転席で、抑え切れずに、次から次へと吐いてしまった。


「ゴメン……なさい」

「謝るのはこっちの方だ、辛い思い出を掘り起こさせて悪かった」



ケガ人を乗せる車としては最悪の状態だけど、なんとか人に見つからずに病院まで行って治療を受けると、虎太郎サンはそのまま倒れるように寝てしまった。


「本当に私は……何も出来ないっ……」


使用中の札をかけて、空室で1人涙を流す。研修が終わったとは言っても、メグさんは救えず、ポンドさんは虎太郎サンが頭を下げて治療を受け始めて、レイさんの心の苦痛を和らげる事が出来ずに、玄ちゃんや海くんを傷つけた……何が心療内科医だ、大事な人達を助ける為にここまで来たんじゃないの、私!

沢山泣いたら、なんだか疲れた。少し横になって休もう……。



✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎


スッキリとしない中目覚めたけど、なんとか体を起こす。気持ちを切り替えて、書類を作ってレイさんの説得もしていかないと……。


「竜姫ちゃん、こんにちは」

「め、メグさん、どうしてここに?」


いつのまにかメグさんがドアの前に立って、微笑みかけていた。


「それはね、ワタシの家族を救えず、ワタシを見殺した貴方を連れに来たのよ」


口から血を吐きながら私に向かって、メグさんが歩きだして──


「ああああああああああああああああああああああああっ!!!!!!」



✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎



同居人が、愛車を思いっきり吐いて汚すというのは仕方ない。もちろん、これが酔っ払って吐いたならクリーニング代を借金に上乗せするが、あの状況であの言葉を浴びせられたら、相当キツいものがあるだろう。

病院の売店で買った差し入れを、せめて口に入れて元気を出して欲しい。お礼なんていうものは期待していない、元々辛い思いをさせたのは俺の方だからな、さて、確かここにいると言ってたが……。


「ああああああああああああああああああああああああっ!」

「タツ!?」

「ごめんなさい、ごめんなさい、なんでもします。望むのなら命だって差し出しますから!」

「落ち着け、タツ、俺だ!」

「ごめんなさい、ごめんなさい……」


必死に謝りながら、目を見開きながら糸の切れた人形みたいに、その場に崩れ落ちそうになったタツを、慌てて抱きかかえる。


「……謝るのはこっちの方だがな」


最初に実家に帰った時もこんな事があったが……ここまで来ると、一度体調を整えさせてあげないとな。このままだと、タツが潰れる、それは誰も望んでいる訳じゃない。

タツを仮眠室へ連れて行き横にさせ、電話の使用が可能な場所まで移動し、アネゴに電話をかけた。


「もしもし、アネゴ」

「どうしたんだ、先代?」

「調べて欲しい事がある、東條竜姫の過去とその家族について」

「ストーカー……というには深刻そうだな、どうしたのか聞かせてもらえないか?」


今日のレイさんの騒動からこれまでの事を話すと、アネゴが申し訳無さそうな声で謝ってきた。


「そうか。あのレイが……ケンカを売りつける事はあっても、人の古傷を抉る真似はしなかったんだが……幼なじみとして代わりに謝罪する。申し訳ない」

「止めてくれ、アネゴが悪い訳じゃない。もし悪いと思うなら、タツのカウンセリングと調査の件を頼む」

「ああ、そうさせてもらうよ」


電話を切ると、上を向いて呼吸を整えた。話すのを待ってここまで来たが、いい加減こちらから聞いた方が良いのだろうな。このままだと、助けを払いのけて底無し沼に沈み続けるだろう、すぐそこまでいるのに、手を差し伸べずに沈む様を見る事は出来ない。悪いが踏み込ませてもらおう。

そして、タツのいる部屋に戻ると、看護師達が何やら騒いでいた。


「すいません、今からバイトなんです!」

「東條先生、あなたはさっき倒れていたんですよ!」

「そんな先生ってまだ医者の卵ですから、それに薬を飲めば即! 健康ですから」


全世界の医者に謝罪して来い! そんなので済むなら、タツは廃業するしかないんだからな。……しかし、今からバイトって、他に非常勤としてやっていたのか?


「タツ、落ち着け。失神したヤツがいきなり起き上がってバイトに行こうとするな」

「……あなた、どちら様ですか?」

「なっ……」


その一言はかなり衝撃的だった、つい先週にどつき漫才で、回し蹴りを食らわせたとは思えない対応だったからだ。その時はしっかりガードしてダメージを防いではいたが、今になってダメージが来るとは……。


「……そうか、じゃあまず自己紹介だな。俺は西郷虎太郎、職業はシンガーソングライターで、同じ歳の28歳になる」

「えっ、私19ですよ」

「先生何言ってるんですか、そんなサバ読んで……」

「じゃあ、今何年の何月か分かるか?」

「20◯◯年の5月ですよ、何言ってるんですか」

「先生……?」


ここで看護師が異変に気がついた、タツが言っていた年齢は西暦と照らし合わせれば確かに合っている。ただ、そこから既に9年も経っている。信じたくないが恐らく……。


「落ち着いて聞いてくれないか、今はその年から9年経っている、今タツは確かに俺と同じ歳だ」

「……本当ですか」

「こんな冗談をブチかます状況じゃない、タツが今どのような状態になっているか、今検査を受けてもらうことになるが、それで良いか?」

「なんだか馴れ馴れしいですね」

「数ヶ月も一緒に住んでいれば、多少は馴れ馴れしくなるだろ」

「ええええっ!?」


こんな緊迫した中で、タツの驚いた表情を見れたのは嬉しかった、それに、ワザと驚かせれば何か思い出せるかと思ったが、ただ病院で叫ばせて白い目で見られるという、無残な結果に終わった。仕方ない、その点は素人だからな、マンガみたいなショック療法で、上手くいくとは最初から思わなかったが。

他の医者に診てもらう前に、メイと中里兄妹を電話で呼び、それと同時にのっちに送ってもらう様に頼んだ。


「お姉ちゃんは大丈夫ですか」

「来たかメイ、今検査中だ。結果が出たら話を聞いた方が良い」


思ったよりも早くみんながやって来て、開口一番でメイがタツの容体を聞いてきた。いつものと変わらない風にも見えるが、服の裾を握り締めて必死に動揺を隠そうとしている。俺なんかよりもずっと強いな、その踏ん張りを無駄にはしない。


「虎太郎さんは一緒に聞かないんですか?」

「あくまでも同居人だからな、ここは……」

「紅葉君次第だけど、居てあげた方が良いでしょ。だって、高1男子だし、唯一の肉親の危機にどうすれば良いか不安になると思うから」


ムサの強い眼差しに、俺はメイの方を見て確認を取った。


「……病院サイド次第だけど、僕は居て欲しい」

「分かった、ありがとな」

「西郷さん、ご家族の方が来られましたか?」

「はい、ここにいます。出来れば虎太郎さんも一緒に居てもらっても良いですか?」

「……今回は特別ですよ、同居人として色々話をしないといけませんし」


看護師の計らいで、本来なら家族だけの所を、特別に許可をもらって、診察室で話を聞かせてもらえる事になった。


「脳に外傷がない事から、原因は精神的なショックで、一時的に記憶が部分的に抜けている状態です」

「治るんですか?」

「すぐには無理ですが、治らないものではありません。ただ……」

「ただ?」

「東條先生には時々夜勤をしてもらうのですが、仮眠の際、叫びながら飛び起きるという話は、看護師達の間では有名でした。何か原因があると思うので、そこを治さない限りはまた再発する可能性が大きいです」


レイさんだけではなく、タツもダウン……だが、2人とも放っておけない大事な人だ。義理ではあるが、大事な大事な我が子達の本当の親であり、野球界のスター選手であるレイさんには立ち直って欲しいし、タツがもし古傷に苦しんでいるなら、その痛みを取り除く、最悪分け合って負担を減らしたい。強い2人だからこそ、繊細で脆くて危うい。

だからこそ助けたい、無理しがちで少し捻くれているが、沢山の人々の笑顔を与える2人の危機の手助けになる。それが俺の出来る事であり、すべき事なのだから。

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