44話 プールサイドで走ってはいけません
青い空と海……の雰囲気など全くない屋内プールだけど、広くて温度が一定の状態で掃除するにはもってこいだ。ただ、1つだけ不満がある。
「その水着恥ずかしくないんですか?」
「うるさいな、私だって着たくないよ!」
野口さんが、うっかりという名の故意によるペンキを服にブチまけ、着るものがなくなってしまった。幸い落ちやすいペンキのため、なんとかなりそうではあるんだけど、それなら用意すると言われて着たのが、なかなか露出度が高い水色のビキニだった……V型の水着よりかはマシと思った時点で相当感覚がマヒしてるな……。
「虎太郎様の大好きな女の子に、大好きなものを着せたんですから、お礼の1つでも聞きたいものですが」
野口さんがニヤニヤしながら、掃除中の虎太郎サンに近づいて話しかける。虎太郎サン、こんな水着が好きなんだ、ちょっと引くわー。
「……普通の服を着させなさい、分かりましたか?」
「ひいぃっ!」
やけに不気味な笑顔で、丁寧に指示を出した虎太郎サンがやけに怖かった。野口さんが慌てて更衣室に案内して、普通のTシャツに白のショートパンツを渡された時には、ああ、あまり本気で怒らせない方がいいなと、本気で思った。
「あの人、理性抑えるために八つ当たりしてー……」
「真っ当なマジギレですよ、そして私の怒りがまだですよ」
「きゃあ!?」
戻ってきても反省してない野口さんの顔面に、ジェットノズルで水をぶっかけて、冷たい攻撃を仕掛けた。とは言っても、髪の毛がビチョビチョになった程度のものだけど。
「人で遊ぶからこうなるんですよ、分かりましたか?」
「……スイマセンデシタ」
この状態で棒読みの反省とか……よっぽどのバカか、極太神経かのどっちかだろうな。まったく、なんて人だ!
「早く遊んでないで、さっさと掃除するぞ」
「はーい」
手際よく虎太郎サンが、プールの端から端まで綺麗に掃除をしていく。あっという間に小さい方が終わり、大きい50メートルのプールも1時間程で終わらせてしまった。点検を含めこの速度は流石だ。自分で何度かやっていたのだろうか?
「月に一度、使用人達に混じって掃除をしろというのが我が家の家訓だ。人の上に立つものは、下の苦労を直に体感しなければならないからな。そうすれば勘違いするバカが減る」
「受け継いでいってほしい家訓ですよね」
準規君が頷いていたが、確かに下の苦労が分かると上の方が無茶苦茶な指示をしないだろうな。ちなみに気を遣い過ぎて、決断を鈍らせる事なかれという家訓もあるらしく、バランス感覚が必要みたいだ。仁と理を両立させてみんなを守るのがリーダーのあるべき姿なのかもしれない。
「ありがとうございます、これでお願いしていた所は終わりました」
「ふうー大変だった」
掃除道具を片付けて一息つくと、野口さんからプリントを渡された。どうやらプールの予定表らしい。
「この空いている時間は好きに使ってください」
「……深夜の3時とか、現実的にほとんど使えませんよ」
代表や強化指定選手が使用する頻度が高く、ほとんど一日中貸切状態になっていた。そんなー……せっかく紅葉やみのりちゃんの為に頑張ったのに。
「水遊びなら、この業務用のビニールプールがありますので、それを使ってください」
ビニールプールって……そんな小学生じゃあるまいし、大した大きさじゃ……。
「ちょっと作るのに時間がかかりますので、お待ちくださいね。ですが、少し男手が欲しいので、準規様、手伝っていただけませんか」
「俺ですか!?」
「待て待て、コイツは力不足だから追加で俺もやる」
男子も加わって引っ張り出してきたシロモノは、畳んである時点で相当な分厚さがあり、明らかに大きそうだ。
「ここだと邪魔なので、外に出ます」
そうして庭というには大きな広場に出て、コンプレッサーを使いながらビニールプールを膨らませると、それはそれはどこに需要があるのか分からないほど、馬鹿みたいにデカいプールが現れた。20メートル程の大きさに、大人も泳げる深さまで溜め込まられる高さがある。ここまでデカいと水とかどうするの!
「安心してください、仕切りが付いていて小さく出来ますし、付属の台で子供でも安心して入れる深さにも調整できますから」
「それにしても大きいよ!」
これは子供プールとして、100円要求されようが、文句は出ないだろう、何故こんなプールを作ったんだ。
「リース用として作ったものなので、何台か用意してある内の1つで、オマケにこれは変色が酷くて貸し出し不可で、児童施設の皆さんが使う用の1つになっているんですよ。色が悪いだけで、品質に問題はありませんし、皆さんが楽しく使っているので、毎年大活躍なんです」
これは確かに小学生の高学年でも普通に遊べそうだし、大人でも泳げるレベルで充分楽しめそうだ。高校生2人程度なら、トレーニングも出来そうだし。
「これならいつでも練習が出来ますので、どうぞご自由にお使いください」
「ありがとう、これで2人に練習させてあげられるよ」
程なくして紅葉とみのりちゃんがやって来て、特大プールに驚いていた。
「兄ちゃんどうしたのこれ!?」
「こんなプールあるんだ」
「ふふん、これくらいの大きいプール楽勝で運んでやったんだ」
「ほとんど戦力になってなかったぞ」
虎太郎サンがバッサリと準規君を切り捨てた所で、10代コンビが突然服を脱ぎ出した。
「ちょ、こんな所で着替えないの!」
「ここに来る前に着替えたから、あとは脱ぐだけで良いから問題なし!」
服を脱ぎ捨てて入ろうとしたから、慌てて止めた。1つは服を畳んで欲しいから、そしてもう1つは……。
「まだ水も入れてないのに、どうやって泳ごうとするのよ」
「えーまだ入ってなかったの!」
「さっき膨らませたばかりだ、ちゃんと見ておけよ」
とりあえず水を入れないと、でも、こんな大きなプールを満タンにするにはどうすれば良いんだろう。あと、普通の水じゃあまり衛生的によろしくなさそうな……。
「お水は自分達でやって下さい、用意はしておきますので」
「ええーっ!」
こんだけのプールというと、相当な水が必要になるだろう。ホースとかここまで持ってこれるのか?
「この量だと、放水車を持ってきた方が早いか」
「そんな代物があるの!? そして使えるの!?」
久々に出た虎太郎サンのトンデモ発言、お金持ちだからと言っても、そんな代物を使えるとは驚きだ。何故に使える?
「リーダーたるもの、ある程度の事は出来ないと、周りがついていかないからな、極めるのは部下やスペシャリストに任せれば良いが」
「ある程度の範疇を超えてるよ」
本当に西郷家の教育はどうなってるんだ、これは相当苦しい勉強してきただろうな。今度月見草で奢ってあげるとするか、金欠でローン立て替えてもらってる分際でどうかと思うけど。
そうして、本当に虎太郎サンは放水車を走らせて戻ってきた。素早くノズルをセットし、プールの中に入って私に合図を送った。
「それじゃあ水を出すよー」
スイッチを入れてホースが一気に太くなった、確認すると、轟音とともに水が一気にノズルから噴出し、みるみるうちにプールに水が溜まっていった。
「後は水質管理の佐久間さんに頼んで、水質検査をしてもらえば大丈夫だ。タツ、ボア。水質チェック費用を出してくれ」
「金取るのか……」
「労働には対価を払ってこそ報われるからな」
金額は業者価格で6万円、折半して3万円だったけど、準規君も私も借金まみれの貧乏人だというのに……まあ、生活費を軽く入れる程度で収支バランスは問題なく、準規君の借金は実質ゼロだし、私の借金は罰ゲーム代くらいだ、奨学金も返してもまだ余裕がある。ラクをさせるつもりは無さそうだけども。
「はい、それじゃあ検査させてもらいますねー」
「よろしくお願いしまーす」
こういう検査ってすぐに結果が出るものだろうか? 虎太郎サンに聞いてみた。
「歳徳グループの研究所で調べるから、今日中には結果が出る、立て込んでいるなら明後日にはなりそうだがな」
……職権濫用のグレーゾーンにいるな、お金は払っているし、優先させる所はさせていそうだけども。
「ちなみに研究所は、この屋敷の敷地内にもあるんですよ」
「はっ?」
うわぁ、世界規模の大企業ってそんなに金持ちなのか。世界が違い過ぎて、もう訳わからないな。
「大きな屋敷に寝泊まりさせれば研究も捗るし、家族が屋敷に泊まれて家族サービスとなったら、モチベーションも上がるだろ」
おお……財力の有効活用が凄い、今の日本社会ならモチベーションが上がれば、まだやっていけるだけのパワーはありそうだし、体力のある歳徳グループしか出来ない手ではあるけど……。
「さあ、待ってる間に服着てストレッチと筋トレをやっておけ。今日忙しくて水質検査出来なかったら、水着着てお風呂で追加のストレッチしていけ」
「ストレッチばっかり」
「怪我はしないに越した事ないから、みのりお姉ちゃんもやっておこうよ」
「はーい」
もはやどちらが年上なのか分からない会話になりつつある高校生2人を見て、先輩頑張れよと、みのりちゃんにコッソリ目で訴えかけた。光の速さでグングン抜かされているのを知ってるよ! 追試2歩手前の2年と学年トップスリーの1年って比べちゃダメだけど、少なくとも先輩の威厳ズタボロになっちゃうから! 紅葉サッカー代表になってるから、スポーツでもそこまで威張れないよ!
「水質検査の結果出ました、特に問題はないので、今日からでも使えますよ」
「ありがとうございます、これは無理言ったお詫びとしてみんなで飲みに行く時の足しにして下さい」
3万円を検査員の佐久間さんに渡すと、佐久間さんは恐縮しまくりながら何度も頭を下げ、お礼を言って去って行った。……正直、私達が出したお金って何だったんだろ。
「よし、泳げるから2人とも準備しておけ。タツはもしもの時に備えて欲しい、ボアはタツのバックアップとして待機してくれ」
「もちろん、医者の本分は全うするから」
「可愛い弟妹の役に立つなら」
準規君、私の弟なんだけど……でも、それだけ可愛がってもらってるなら、姉としてはとても嬉しいから良いかな。
水泳の練習は割と短く1時間半で終了した、ただし、ここにいる間は週に1度の休み程度でメニューを変えつつも毎日やるという事らしい。
「もちろん少しでも違和感があれば中止だが、量をこなす事も大事な時がある。体力を作るには水泳は負担が少なく、効率的にも良いからな」
「それでも、他のスポーツと並行してやるわけだし、疲労が溜まったと判断したら、すぐに中止にさせるから」
体への負担が少ないとはいえ、疲労は溜まりやすく、メインでやっているスポーツで怪我をする恐れもある。スポーツでトップを目指して欲しいが、それだけが人生ではない。今は可能性を広げる事が大事なんだから、体を作って、勉強して、友達を作って、成長しながら今を楽しんで欲しいよね。
「はい、時間だよ。プールから上がってストレッチしてね」
「はぁーキツい!」
「このトレーニング内容だと、サッカーの練習と並行してやるのはまだ辛い。レベルを落とすか、1日おきでやる方が故障率が低くて効果がありそう」
「そうか、メニューを見直しておく。ストレッチして休憩してくれ」
この人はサボりなら、徹底的にビシバシ特訓させるけど、報告や申告は状態を判断して素直に提案を聞くんだよね……私にはその判定がかなり厳しいけど。
肩をほぐしながら部屋に戻ろうとすると、虎太郎サンに呼び止められた。そこからあの騒動が巻き起ころうとは……。




