2話 人生諦めが肝心
お店に怒られる寸前まで、ぎゃーぎゃー騒いだ私は、紅葉の分と合わせて茜に奢ってもらう事で多少落ち着いた。もちろん私は、この店で1番高いランチとコーヒー、そしてモンブランケーキを頼んだ。
「タッちゃんの鬼!」
「稼いでいるから良いでしょ、紅葉は何が良い?」
「1番安いので良いよ、その方が茜姉ちゃんの財布に負担が少ないから」
「紅葉クンはそんな事考えちゃダメ!」
「そうですよ、こういう時は自分の好きなものを食べれば良いんです。……──という訳で、俺はスペシャルランチと紅茶、ミルフィーユを2個お持ち帰りで」
「あんたらぁぁぁあ!!」
大人気ないアラサー2人は、ふんだんに注文し、大人しいティーンズは結局1番安いのランチとオレンジジュースを頼んだ。
「大丈夫なの茜姉ちゃん?」
「そう言う事を言ってくれる紅葉クンは天使だよ! 見習え、鬼夫婦!!」
「なっ……茜!」
私が反論しようとすると、西郷は笑い出した。
「あっはっは、鬼嫁はよく聞きますが、鬼夫婦はあまり聞かないですよね」
「あなたは黙ってて下さい! それにまだ結婚すると決めてませんから」
「それだと、貴女と紅葉君の人生が滅茶苦茶になるんじゃないですか?」
不敵に笑っている西郷を見て、私はとんでもない事を口にした。
「良いんですよ! 紅葉が何とかなれば私なんて!!」
途端に西郷の顔から笑顔が消えた。
「お姉ちゃん……」
紅葉が悲しげな表情を浮かべ、私を見る。それで私がとんでもない失敗をしたのに気付く。
紅葉は、私から逃げ出して店の外に出て行った。その直後に私の頬に強い衝撃が走った。
「あたしが無理に勧めた縁談だから、破棄しても良いよ、またあたしが仕事を探すから。……でも、自分を大切にしないなら、あたしは許さないから!!」
茜は紅葉を追いかけて、店の外に出て行った。後に残された私に、西郷が声をかける。
「追いかけないのか?」
むしゃくしゃした私は西郷を殴った。八つ当たりも良いとこだが、西郷は先程までのバカにする様な目でなく、強い眼差しを私に向ける。
「お前、紅葉がいなくなったらどう思うんだ?」
「……悲しむよ、唯一の家族だから」
「逆を考えなかったのか? あんな事を言われたら、お前はどう思うんだ?」
「分かっているわよ! あんたと結婚すれば良いんでしょう!」
すると思ってもみなかった言葉を、西郷に浴びせられた。
「お前が言うべき言葉は、それじゃ無いだろっ!」
「えっ……!?」
「唯一の肉親がいる前で、自分がどうなっても良い? そんな言葉を聞かされてなお酷い目に遭っているのを見て、紅葉は幸せになれるのか? 自分の大事な人がボロ雑巾になっても大丈夫な奴じゃないんだろあいつは!」
出会って間も無い相手に、何が分かると言いたかった。でも、反論出来なかった、なに1つ間違ったことなんて言われていないのだから。
「偽装結婚なんて考えなくて良い、とりあえずウチに下宿しろ。食費出せば家賃は要らない。別の同居人も居るし、時々仕事を手伝ってもらうが、職場も提供するし、金が貯まったら出て行って構わない」
「あんたにそんな事される筋合いは……!」
「打開出来るのか? 奨学金と家賃4ヶ月分の借金があって、家を追い出される寸前まで来ているのにすぐ仕事を探せるのか?」
とっさに言い返せなかった、この話が来るまでに2ヶ月は掛かっている。私が当てにならない以上、茜に頼らないといけない状況だが、1、2週間で何とかなる話ではないのは確かだ。
「未来のある10代を困らせたくない、俺のエゴだから、お前はオマケで面倒を見てやる」
この人は上から目線で本当に腹が立つ、だけど、不本意だけど言わなくてはならない事は言わなくては。
「……腹立つけど、紅葉を助けてくれてありがとう」
ちょうどその時、入り口のベルが鳴り、紅葉と茜が戻ってきた。
「……お姉ちゃん」
「紅葉っ……!」
私は紅葉を力強く抱き締めた。自分がどれだけ紅葉を苦しめたか、それなのに私の前に来てくれた、本当に戻ってきて良かった。
「ごめんね、私だって紅葉が無茶したら嫌なのに、そんな事も気付かなくて」
「お姉ちゃんのバカ……次にそんな事言ったら絶交だからね」
「ごめんね、ごめんね……」
涙を流しながらも、紅葉を抱き締める力を強くして、紅葉が無事に戻ってきてくれた事に、心の底から安堵した。
「茜もありがとう」
「あたしは送っただけ、あそこにいるイザベルが紅葉クンを捕まえてくれたんだよ」
茜が指差したのは、先程水を出してくれた輝くブロンドの髪と深い青色の目をしたした女性だった。
「おかげで真市に捕まった……」
「仕事中に抜け出すからだろうが」
後ろには怒らせたら怖そうなウェイターさんが、怒りながら鎖を持っていた……鎖?
「ワタシは犬じゃないから、首輪を外して」
「仕事中に許可もなく抜け出すことが無かったら外す」
そこで初めてイザベルと呼ばれた女性に、丈夫そうな首輪が付いていたのに気が付いた、そしてその首輪は真市と呼ばれたウェイターさんが持っている鎖と繋がっていた。
「あの……服部さんってS何ですか?」
「紅葉、近づいたらダメ!」
私は紅葉をウェイターさんから引き離すと背後に下がらせて警戒態勢をとった。
「わたくしはこのバカを逃さないために、首輪をつけているのです。いくら第2の故郷はストライキが頻発しているとしても、日本のルールは守ってもらわないといけませんから」
「だけどパワハラだと思う……」
「だったらちゃんと仕事してくれ──ああ、失礼いたしました、わたくしこの店の副店長、服部真市と申します、このバカはパティシエールの西沢イザベルです」
服部さんは丁寧なお辞儀をしてくれたが、西沢さんは相変わらずの仏頂面だ。それに気付いた服部さんから、スイッチ音が聞こえた。
「イザベル、お客様の前でちゃんとした接客をしなかったらアレをネットにばら撒くって言ったよな?」
「っ……! お客様、大変申し訳ありませんでした!」
首環をしているのにも関わらず、西沢さんは思いっきり頭を下げた。アレって何だ? まさか……。
「竜姫、リベンジな感じではないから安心しておけ。全年齢閲覧オッケーな奴だから」
「気安く名前で呼ぶな!」
「東條が2人もいるだろう、それとも姉、弟の区別で呼ぶのが良いのか?」
「くっ……分かったわよ、竜姫でもタツでも、何でも呼べば良いわよ!」
「その優しさに感謝して、『ドラゴン』ってあだ名は止めておくな」
ど……どこから小学校時代の悪ガキから定着したあだ名を……。茜をギロっと睨むと、慌てて弁明し始めた。
「ち、違う! あたしじゃなくて、服部さんの情報網! 虎太郎さんの親友がやんちゃしてた時、服部さんを従えてたからそれ関係だって!!」
その弁明に、服部さんが笑顔で補足を加える。
「今は全員、真っ当に働いておりますよ。全国に散らばった1000人近くの元メンバーと今も文通していますが、ちゃんと働いて、結婚した人も子供が出来た人もいますから」
……それだけいれば、情報網は半端ないだろう、私の下着の色も調べられそうだ……電話帳から電話番号を見つけるのよりも簡単に。
「お代を頂けたら、政治の裏まで調べます。まあ、危なくなったらお代を返して断りを入れますが」
「……いざという時に活用させて頂きます」
名刺を渡されてそれをありがたく受け取ると、服部さんはあるお願いをした。
「当店が誇るパティシエールの西沢ですが、同性で同年代の友人が少なく、心配しているのです。どうか竜姫様に数少ない友人の1人になってもらえないでしょうか?」
「それは良いですけど……見ず知らずの人にそんな事頼んでも良いんですか?」
すると、服部さんは笑顔で心配無いと、首を振る。
「虎太郎様がしっかり吟味して支援すると言った相手に、悪い人はおりません。わたくしから見ても自己犠牲精神が高めではありますが、思いやりの強い方かと見てとりましたので。どうか西沢のご友人になって頂けないでしょうか」
「真市、こういうのは、相手の事も考えないと。ワタシは竜姫さんの意見を尊重する……」
なんか、西沢さんが思ったより良い人で、服部さんは思った通り怒らせると怖い人だった。
「私で良かったら、友達になってくれないかな?」
「あっ……ありがとう」
こういったのは、私からお願いした方がすんなり進む。距離感が掴めない人そうだし、自分から進んで会話出来るタイプでも無さそうなので、様子を見ながら多少がっつけば、人に慣れるだろうから、私から仕掛ける方向で。
「ちなみに、アレって何ですか?」
「魔法し──」
「あー! あー! うわー!!」
もの静かな感じのイザベル|(友達になったので、下の名前で呼ぶことにするけど)が必死に叫んで服部さんの声をかき消そうとしている辺り、相当知られたくない秘密なのは分かった。
「もう良いです、イザベルがかわいそうなんで、イザベルの口から言える位仲が良くなってから話してもらいますから」
「ほ、ほんと……?ありがとう……」
イザベルはその場にへたり込んでしまった。余程聞かれたくなかったんだね……。大丈夫だよ、待ってあげるから。
「……聞くのは前提なんだな、お前も大概酷い奴だ」
「うるさい、人の心を読むな! 気になるけど、友達に嫌な事はさせたく無いのよ!」
「否定しようよ、タッちゃん」
茜にツッコミを入れられたが、本当に気になるんだもん、そこは嘘つけない。
「じゃあ、仕切り直して、ご飯と紅茶を作っておくねー」
とつぜん現れたサングラスをかけた私より年下に見える男性に、私は驚いた。
「カズ、ありがとう。だけど、いきなり現れるとびっくりするから、一声かけなさい」
「はーい」
カズと言われた青年は、子供っぽく返事すると、店の奥に下がって行った。
「失礼しました、彼は当店の店長、石丸和義です。ちょっと風変わりに見られますが、とても美味しい料理と紅茶を作る料理人ですので、期待して下さい」
「あの人が作ってたんだ!?」
ハードルを上げた服部さんに、茜が驚きの声を上げた。味にはかなりうるさい茜が驚く料理だと、恐ろしく不味いか、とんでもなく美味いか……少し緊張する。
やがて料理が運ばれてくると、美味しそうな匂いが鼻をくすぐってきた、大きなカツサンドと、いろんな野菜が入った色とりどりサラダ、芳ばしい匂いがするコーヒーが出てきた。
太りづらい順番をという事で、まず最初にサラダを先に食べる。……おおっ、美味い。安っぽい感じが全くない、新鮮でシャキシャキしたサラダだ。
「美味いね、姉ちゃん。サラダだけどパクパク食べれるよ」
「じゃあ、これからもちゃんと食べてね」
「はい……」
そこまで嫌がらなくても良いじゃない、安モンばっかりだけど、これからはちゃんとした物食べられそうなんだから。
そう思いながら、カツサンドを一口かじる、……これまた美味しい。脂がしつこく無く、かつジューシーで、この量でも平らげられる美味しさがあった。
「本当にカズは料理も美味いな、ここの喫茶店は3人がいないと成り立たない」
「あなたと一緒の意見って言うのが悔しいけど、同意する。本当に美味しい」
「タッちゃん……これから同じ屋根の下に住むんだから、もう少し穏便に……」
そうは言っても、西郷の言葉は上から目線で腹が立つ。良い人だとは思うが、俺様な所はあまり好きではない。もっと優しさがあり、甘えられる人が良い。
コーヒーからは、香ばしい良い香りがした。しかし、匂いで騙される可能性があるので、一口飲んでみると、期待値通りの後味すっきりの美味しいコーヒーだった。
「美味しいコーヒーだなあ、常連さんになるかも」
しかし、それを聞いた西郷は首を傾げた。
「確かに美味しいが、ここでコーヒーを頼むのは、カレー屋でハヤシライス頼むのと同じだぞ、コーヒーも美味しいが、その倍は紅茶が美味い」
西郷がそう言っていたのをふーんと聞いた後、頼んでない紅茶が出てきた。
「当店自慢の紅茶を、初来店のお客様に限り無料で提供しておりますので、どうぞお飲みになって下さい」
「あっ……どうも」
紅茶が嫌いな訳ではないが、コーヒーより美味しい訳が……。
「……美味しい、西郷の言った通りで悔しいけど、本当に美味しい……!」
「いい加減にしないと、洗濯バサミで耳たぶ摘むぞ」
「イタタタ!」
本当に酷い! 女子の耳を引っ張るなんて最低だ、クズだ。
「もう少し穏便にした方が良いよ、お姉ちゃん」
紅葉の意見は正しい、しかし、余裕のある態度、上から目線な所が腹が立つ。こんな奴と一緒に生活しなければいけないのか……。
「……あっ、そうそう、虎太郎さんが奨学金と滞納している家賃、それに紅葉クンの学費払ってくれるって前に話してくれてたよ!」
「はぁ!?」
そこまでしてくれるのって裏があり過ぎる。この人、ただ慈善活動するだけじゃ無さそうだし、何が目的なんだろう?
「まあ家賃は無利子で貸すだけだし、奨学金はタツの1割負担になる、紅葉の学費はこっちで全部出すけどな。依頼したい事があるんだ」
「……私の体ですか?」
「無理矢理抱く趣味は無い、これでもロマンチストだからな」
ロマンチストかどうかはさておき、西郷がある程度誠実な面があるのは分かった。評価マイナス100から、マイナス90にはなったけど、マックスは1000なので多分マックスは無理だろう。
「親戚がやっている会社のひとつである、病院の常勤をまずやって欲しい。心療内科や精神科は引く手あまた、経歴を調べたが、将来に期待が持てそうだから、是非来てもらいたい」
「……あなたって何者?」
企業病院は数が少なく、そのほとんどが大企業だ。つまり、西郷もかなりの資産家で間違いない。紅葉の学費や私の奨学金を払ったのがそれを裏付けている。
「後々分かるだろ、そんな遠い話じゃないから」
……まあ良いや、しばらく住むんだからその時に分かるかな。私は紅茶を飲んで一息入れて引っ越しの算段を考えた。