水瀬姉妹――妹の友達
私、水瀬朱里には妹がいる。
「ふわーあっついぃー」
妹の夏奈子は家に帰るなり、だらしなく制服の上だけを脱いで下着姿になると、リビングに備えてあるクーラーを付け扇風機を前にして涼みだした。
「だらしないよ、夏奈子」
キッチンで夕食の準備をしていた私はそう咎めるが、
「だって、暑いんだもん」
「暑いからってちゃんと手を洗いなよ。汚いでしょ」
「えー……わかったぁ……」
と、夏奈子は面倒そうな顔をすると渋々立ち上がって脱ぎ捨てた制服を拾い洗面場に向かっていった。
まったく……。そう思いながら私は夕食の準備をそそくさと進める。
こう咎めるのも、親がいないからだ。立場としては、親代わりとして妹の面倒を見なければならない。まあ、中学生といえば反抗的な思春期って思うけど妹は物分りがいい。だから、私はあまり苦労せずに家での仕事に集中できる。
あの結城静のような妹を持った姉は苦労するな、とつくづく妹の分別の理解には助けられている。
「あ! おねーちゃん!」
突然、洗面場から私を呼ぶ声が聞こえる。
「なーに?」
大声で返事をすると、
「姉ちゃん。今日、友達来るから!」
「はいはい……」
夏奈子の友達か。一度、見たことあるが綾香と違って寡黙な女の子だったな。確か、同じ部活だったっけ。
文芸部という名の百合を愛でる会、とか妹は言っていたような気がするがそんな妹の変な趣味に付き合うとは大した友人だ。
夏奈子は洗面場から下着姿でリビングを通って自室へと向かって、自室から再び扇風機の前に独占するときには、手には薄い本とまたパジャマに着替えていた。
「うはー……、ちこやうのカップリングはいいっすなぁー」
妹が手にしている薄い本の表紙は、女の子と女の子がキスしている絵だ。こういうのが所謂百合というコンテンツらしいが、妹がこのコンテンツを非常に愛して、そんな趣味もない友達を誘って放課後そういったコンテンツの書籍を楽しむ始末。姉が言うわけでないかもしれないが、こんな妹に付き合ってくれる友達は懐が深いものだ。
夕食の準備を、夏奈子の友達の分を作ろうと切り替えていると、ふとインターホンが鳴った。
「夏奈子、出て」
「あーい」
妹は不抜けた返事をすると、薄い本を机上に置いて玄関のほうへと走っていった。
「仁奈ちゃん、どうぞどうぞ」
「うん……ありがと」
玄関から妹とその友達の声が聞こえる。
足音二つが聞こえて、リビングにやってくる。妹と、ちょっと表情を作るのが苦手そうな顔をした妹の友達。
「あ……お邪魔します」
と、妹の友達はペコリと私を見つけるなりお辞儀をしてきた。
「ああ……」と、なんとなく気まずい雰囲気が流れる。
「姉ちゃん、今日仁奈ちゃん泊まるからね!」
頷いて答えると、加奈子は仁奈を誘ってリビングのソファーに座った。
夕食の準備の傍らに、冷えた飲み物を用意する。同じデザインの器を二つ用意し、それにお茶を注ぐ。加奈子と仁奈の前の机にそれを持っていった。
「はい、どうぞ」
「ありがとうございます」
と、仁奈は礼儀よくいうが、夏奈子は特に何も言わず薄い本を机上に並べて見定めていた。まあ、客人の態度は最もとして、妹の態度もある意味最もかもしれない。
キッチンに戻り、夕食の支度に戻ると、何かを思い出した夏奈子は突然口にする。
「あ! 今月新刊の中で面白いのあったんだー」
と、夏奈子はいい。出したお茶を一口飲んで、自室へと行った。
忙しい妹だ。落ち着きがないのは昔からだが、節操ないな。
それに比べて、仁奈は落ち着きを払っている。キッチンからは、長く靡かせる彼女の髪が見える。中学生にしては、大人っぽいっていうか、まあ三年生だからこんなものか。
そう思って片手間に見ていると、彼女は不思議な行動をしだした。
「…………」
彼女は何やら、じっと夏奈子のカップを見ていた。
なんだろうか。ゴミでもあったのか。だが、飲み物にゴミが浮かんでいるとしたら、夏奈子は口に付けないはずだ。だから、そんな特に意味もないカップをじっと見る彼女を気になって見ていると、どうしてか自分のカップと入れ替えた。
一瞬声が出そうになる。傍から見れば不明な行動だが、私にはそれがなにを意味するかを理解できてしまっていた。
彼女は、入れ替えた夏奈子のカップの淵を指先でなぞった後、口元にカップの淵をつけて舐めるように飲んだ。
「あったよ!」
と、夏奈子の突拍子のない登場に、仁奈は冷静に繕ってカップを戻した。
「そう、よかった」
といいつつ、彼女は口元をぺろっと舐めていた。
「ここの出版社は百合系多いんだよねー、先月だって――」
夏奈子、お前……気づいていないのか? 仁奈は、お前のことにただならぬ感情を抱いているぞ。
仁奈は普通にして夏奈子の話を聞いていた。その様子に、先ほどの異様な行動は見られない。
っていうか……、私の周り変なやつばっかじゃない?
それからというもの、夕食時に夏奈子がテレビに集中しているとき仁奈は素早い動きで夏奈子の箸を舐めたり、お風呂から二人一緒に上がってくるとき二人共バスタオル姿で妙にくっつきあって仁奈は夏奈子のうなじ辺りに鼻を埋めていたり、と明らかなスキンシップが見られるのに、夏奈子は一切気にした様子はなかった。
私は一体なにを見せられているんだろ。
私は、寝るといって自室に入っていった夏奈子と仁奈を見送ってリビングのソファーに寝そべっていた。
今日はあっついなー。夏のせいだよな。夏のせいだ、うん。
考え事が多すぎて、知恵熱で熱中症になるんじゃないかと思う。そう思って、瞼を下ろしたところで足音が夏奈子の部屋のほうからリビングに来ているのを感じた。
今日は暑いから、水でも飲みに来たのか、と思って瞼を上げるのをやめようと思ったとき、声が聞こえた。
「あの起きていますよね」
「……? なに?」
怪訝になって、起き上がって見てみるにソファーの近くに佇んでいたのは、夏奈子の友達、仁奈だった。
「どしたの?」
と、少々戸惑いながら聞いてみる。
「気づいていますよね?」
彼女の問いに、思わず頷いて認めてしまいそうになる。しかし、その具体性のない問いには曖昧な回答で躱すことにした。
「な、なにを?」
彼女の口から本心を吐き出されることはないだろうと、聞き返すと、彼女は躊躇もせずにいう。
「私が夏奈子の物を舐めていることですよ」
「ぶっ」
思わず吹き出してしまった。
「な、なんですか……? 気持ち悪いですよ」
「人のもの舐めてるやつがいうんじゃねー!」
私は声を荒らげていった。
「好きな人の舐めているので気持ち悪いことじゃないです」
「なんだそのストーカーの理論」
「とにかく、気づいてしまったからには……」
な、なんだ……? まさか、口封じのためにあらぬ手を使うというのか――、
「お義姉さん! 夏奈子さんを私にください!」
「…………やらん!」
「な、なんでですか!」
「好きな子の物を舐めるやつを易易と認めるか!」
「そ、そんな……息をするような行為を認めてくれないなんて、死んじゃいます!」
「もうすでに自然行為なのか……」
私は大きく息を吐いた。
しばらく、仁奈は沈黙した。諦めただろうか。そう思って、彼女の顔をじっと見ていると、彼女は話を始めた。
「初めては小学生のときでした……」
はあ? いきなりなにを言い出すと思えば、……まさか――、
「放課後、教室で一人で本を読んでいるとき、校庭から元気な声が聞こえてきました。それが夏奈子。それが素敵で、一目惚れでした。それで、彼女の席を探してリコーダーを舐めました」
変態だ。
「一目惚れしてリコーダーを舐める小学生って何なんだよ……」
「人には性欲がありますから、そうやってぶつけていたんですね」
「ませた小学生のくせに、性癖まで歪んでいたのか……」
まったく呆れる小学生だ。っていうか、そんな感じだったのによく知り合って友達になれたな。性癖の話より、そっちのが気になる。
「そんなことはいいんです! それより、お義姉さん!」
「お義姉さんいうな」
「私、夏奈子と恋人になります」
「脈なさそうだけどな」
女同士だということは意識していないだろうか。そういう点からも可能性は低いが、まあ、夏奈子は百合とやらが好きだからある意味では可能性はあるのか?
「認めてくれるんですか?」
「まだ恋人じゃないだろ」
「いずれなります」
一体、その自信どこからくるんだ……。
「はあ……、影で舐めてばっかじゃなんのアプローチにもならんぞ」
「え、目の前で舐めろ、と」
なに嬉しそうな顔しているんだよ……。
「違う。あの子、鈍感ぽいから、デートやらなんやら一緒にいる時間を過ごしなさい。そして、告白してみて、あの子が仁奈を認めるんだったら、別になんもいわないわよ」
「お、お義姉さん……!」
「早いわっ」
と、笑いながらいった。
「あのデートってどうすれば……」
彼女は真面目な顔色で、伺ってきた。
「そうねえ……」
今は夏。最近、チラシかなんかで近所で夏祭りがあるって聞いたような……。
「夏祭りなんてどう?」
「夏祭り?」
「そう。誘い易いでしょ」
「そのときはお義姉さんも一緒にきてください」
お義姉さんと呼ばれることをスルーして、返す。
「はあ、なんで?」
「あれですよ。サポート的な役割で」
好きな子の姉をどういう扱いにしているんじゃ。まだ妹と恋人同士になっていない子に協力的にはなりたくないんだけど、……断る理由はないか。正直、しばらく一緒にいたら気まずくなりそうだけど。
「わかった、わかった」
「お義姉さん……」
彼女は随分嬉しそうに頷いた。
それから、仁奈は夏奈子の自室に戻った。
私はというと、少々頭を悩まされソファーに寝そべって虚空を見上げた。
まー、可愛いもんだよな。そう思った。
悩ましいことを想像の海に浮かべていると、気づいた時には私は眠っていた。
「ん……」
何かの音に気づいて目が覚めた。近くに置いたスマホを手に取って時間を確認すると、すでに朝を迎えていたようである。
「あ、起きた?」
目を凝らして、そういってくる子を見ると私の妹、夏奈子だった。
「夏奈子、朝起きたらちゃんと歯を磨いて顔を洗えよ」
「わかってるよ、もー。お母さんみたい」
長い間、妹と二人暮らししていたらそうなっちゃうんだよ。
文句を垂らした夏奈子は、渋々と洗面場の方へと向かっていった。
世話の焼ける妹だ。そういえば、仁奈はまだ起きてこない。あの変態のことだから、早起きして何らかのアクションを起こすと思ったけど、昨日の助言が功を制したか。
歯ブラシの音とうがいの音が聞こえて、それが終わると夏奈子は洗面場から出てきてキッチンの冷蔵庫から冷えた飲み物を取り出してカップに入れて飲み干した。
「ぷはー、おいしい!」
「そう」
妹が喜ぶと私も嬉しいよ。
と、夏奈子から遅れて仁奈が起きてきた。
「あー仁奈ちゃんおはよう!」と、夏奈子は元気よく挨拶した。
「うん、おはよう」
と、仁奈は夏奈子にはそう律儀に返事をしたが、私のほうを見るなりお辞儀をして洗面場の方へと向かっていった。
なんだ、あいつ……。昨日はおしゃべりだったのに、妙に寡黙で……。寝起きだからか?
なんて、思っていると洗面場から、歯ブラシの音が聞こえてきた。
「仁奈ちゃん、すごいなー。言われずに歯磨きしてる」
夏奈子は感心した。
「よくできた子だな」
変態だけど。
……って待て。家に仁奈の歯ブラシはないと思うが、誰の歯ブラシを使っているんだ。まさか、私か? いや、そんなことはない。だって、彼女は、好きな子のものを舐めるようなやつだ。
それを思い出して、ソファーから起き上がり洗面場を覗くと思ったとおり、仁奈は夏奈子の歯ブラシを吸っていた。
「……お前、それは流石に引くぞ」
夏奈子に聞こえないように小声でいった。
「もう、くせになっちゃっているんです」
彼女は私にバレても淡々としていた。
彼女の歪んだ癖は、随分なものだ。
もはや、呆れてため息も出なかった。
短編です!
番外編のようで本編に関わりあるような話です。
通常の更新と違って、更新していきます。
今更なんですが、この作品、
姉妹が多いです。。。