第89話 英雄の魂
渓谷にある洞窟から、竜人がぞろぞろ。その中でも子どもと思われる者たちが、アルセウスに飛びついてきた。
竜の因子を持つ一族というだけあって、力が強い。アルセウスでさえ、子どもが飛びついてきた勢いでずずず、と押された。普通の人間だったら、押し倒された上にぺしゃんこにされていたかもしれない。
「ゼウスさまだ!」
「本物のゼウスさま!!」
「なんかふさふさしてる!」
「待て待て、こら、ライナセラスに触るな」
子どもたちの頭を撫でてやりながら、ライナセラスを死守する。いくら竜の因子を持つとはいえ、子どもが振り回していいものではない。
しかし、初対面なのにものすごい懐かれようだ。アルセウスがどうしたものか、と辟易していると、洞窟の方から大人とおぼしき竜人がぞろぞろとやってくる。敵意はないので身構えることはしなかったが、それにしてもすごい人数で出てきたものだ。
その先頭に立っていた一人が、アルセウスを見て、その金色の瞳をかっと開いた。
「ゼウスさま……!」
老人のような声を出す竜人もまた、子どもたちと同じ名前を口にする。
雰囲気からするにアルセウスのことを知っているから愛称で呼んでいる、というわけではなさそうだ。竜人はエルフとは違った意味で世界との関わりが薄い種族である。アルセウスも竜人という種族に会うのは初めてだ。故に、彼らもアルセウスとは初対面のはずなのだが。
「さっきからゼウスさまってなんだ? 確かに俺ぁ、時にバーサークゼウスとか呼ばれるがよォ……」
「ゼウスさまじゃないの?」
無垢な翠玉がアルセウスを見上げてくる。無下にもできずに返答に詰まる。
おそらくきっと、この者たちの言う[ゼウスさま]と自分は同一人物ではない。ただ、子どもたちの目を見ていると、それは夢を壊すような発言な気がして、口にするのは気が引けた。
アルセウスはこれまで、タイラントのためなれどんな夢でも人でも平気で壊してきた。タイラントという主を失った今、アルセウスは自由意思で何を保ち、何を壊すか決めることができる。おそらく初めての人並みの扱いだが、アルセウスが戸惑うことはなかった。
アルセウスはタイラントが助けてくれたから、タイラントを助けていただけ、他に行き場がないから、タイラントのところにいただけだ。自分によくしてくれる人がいて、それが自分のお気に入りになるなら、鞍替えするくらいの薄情さは持ち合わせていた。
よりよいものを求めて辿り着いたのがタイラントのところだっただけだ。よりよい環境が自分に相応しくないだとか、そんなことをうだうだ考えるほど、アルセウスの自己肯定感は低くなかった。
とはいえ、だ。見も知らぬ者たちに囲まれて、祭り上げるかのようにさま付けで呼ばれるのを安易に喜ぶほど単純ではない。というか、この状況は不気味ですらあった。
が、子どもを止める存在があった。金色の瞳をした先程の竜人だ。
「これこれ、ゼウスさまが困っているであろう。ワシも挨拶するから少し離れなさい」
アルセウスを[ゼウスさま]と呼ぶのは変わらなかったが、[ゼウスさま]と思い込んでいるというよりは、子どもたちのための方便といった感じだ。アルセウスは子どもが離れていくのを見ながら、少しずつ緊張を解いていった。
「初対面での無礼をお許しいただきたい。ワシは洞窟住みの竜人の長老じゃ。旅の方ですかな?」
「旅っちゃあ旅だな。竜国に所用あってな」
「ワシはオウル。旅人さんのお名前は?」
「アルセウス・マードリックだ」
アルセウスの名乗り上げに、竜人たちがざわざわとするのがわかった。
この名前に何かあるのは察していたが、まさか、とアルセウスは自分のデッキのことを思った。
「ブレイヴハーツによって、この世界の人物の身に何か起こったかもしれない」
中央神殿から旅立つ前、異世界から召喚されたテイカーであるスミレという少女が見送りがてら、アルセウスにそんなことを教えた。
「他の召喚されたテイカーたちとも話し合って、私たちがほぼ確定で[王]と呼ばれる存在と融合したと考えられる」
「俺にゃあ関係ねえな」
「そうでもないぞ」
スミレは一枚のカードをアルセウスに見せる。
そのカードに描かれているのはエルフの女の子だ。黒髪に赤いリボン。そっくりそのままの姿の者をアルセウスは見たことがあった。
「このカードは[精霊の巫女アリシア]という。私が同行していたエルフの子どもと同じ名前。そして彼女もまた精霊王とエルフたちを繋ぐ[精霊の巫女]という肩書きを持つ」
「俺が[異形の狂戦士ゼウス]だとでも言いたいのか? そりゃねえだろ。あのゼウスは竜人で、俺は獣人だ。確かにそっくりと言われたら否定はしないがよ」
そっくりというだけだ。アルセウスはそう思っていた。最初に手にした属性以外を扱えない、運命に道筋を決められるようなカードゲームで、そんなことが起こっても何も不思議ではない。
アイゼリヤは姫巫女ヘレナによって運命を握られながら運営されている。こういう運命的な偶然は普遍的なのだ。
「ヘレナがブレイヴハーツの裏にある何かを握っているかもしれないとしたら?」
「そもそもヘレナ姫が作ったもんだろうが。姫さんの好き勝手になってない方がおかしいだろ」
「そのために、消えた命、消された魂、変換された運命があるとしたら、どうする? その変換先が、もしお前なら」
「……おい」
アルセウスはわざわざ屈んで、スミレを睨み上げた。
「俺がそんなもんで揺らぐようなタマだと思ってんのか? 舐めてくれたもんだなぁ、嬢ちゃんよ?」
その威圧に、スミレはぴくりともしない。アルセウスはスミレのそういうところが好きだった。
「お前がそれでいいなら、別にいい。ただ、行く先は竜人の住む竜国だ。お前の相棒のことを異常じゃないというのなら、何があっても冷静に対処してくれ」
「へいへい」
と、かなりの安請け合いをしたのを思い出した。
「よもや……名まで同じとは……」
「じいさん、俺を誰と重ねてんだ?」
「我ら竜人の生きる場所を作った、竜人しか知らぬ英雄、異形の竜人、人呼んで狂戦士ゼウス──アルセウス・マードリック様でございます」
おいおい、とアルセウスは自分の記憶を掘り返しながら思った。
アルセウス・マードリックというのは、アルセウスが昔どこかで聞いたおとぎ話の英雄の名前を勝手にそのまま名乗ったものだ。
アルセウスが実在した英雄だったことに驚いているのではない。アルセウス・マードリックの英雄譚をいつ、どこで聞いたか全く思い出せないことに、焦りを感じていた。
消えた命、消された魂、変換された運命。世迷い言だと思っていたスミレの言葉が実体を持とうとしていた。




