第86話 魔界に訪問するエルフ
「まさか、指名手配のお尋ね者だからって」
とんがり帽子を被った金髪蒼眼のエルフの青年。少し変装はしているが、ナリシアである。後ろにはターシャから提供された巫女服を着たアリがついている。
そこは大きな門の前。よくわからない文字が書かれている。ナリシアはエルフだけれど自由奔放だから、アリは精霊の巫女だから知っている。これは魔界に伝わる古語が刻まれているのだ。
「ナル、こっち」
「ああ」
ナリシアはアリシアの指示で、左側の柱に向かう。ナリシアはこの文字が古語であることこそ知っているものの、読めない。魔界はちょっとした異世界のようなものだ。習う必要もないし、本来なら知る必要もないため、古語の意味を知る術はない。
しかし、なんとアリはこの古語が読めるのだ。精霊たちが教えてくれたという。魔王から教えられて知ったことだが、精霊王もまた異世界の存在。アイゼリヤに居を構えているだけで、他の世界とも交流がある。魔王とも交流があったとは驚きだが。
もしかして、先の魔王との戦いの折に戦いに介入するのを渋っていたのはその辺りが理由なのだろうか。
と、話が逸れた。アリ曰く、右には[墓場に通ず]、左には[魔王に通ず]と書かれているらしい。
つまるところ、アイゼリヤ全土で指名手配されている兄妹はアイゼリヤ判定に入るかどうか怪しい魔界の探索を命じられたのである。
それは魔王が配下に現在の状況を伝えたい、ということから始まった。
魔王は自分で赴くつもりだったようだが、アミや昴に捕まり、ライブの打ち合わせに強制参加となった。だが、魔王の現状を伝えるのも必要だろう、と純冷が提言し、表に出られない二人を指名したのだ。
ナリシアはかつての敵地に赴くことを躊躇ったが、アリが非常に純冷に懐いており、しかも古語が読めるという更なる好条件が提示されたことで二人の行き先は魔界と決定した。ちょっとした島流し感があるのは何故だろうか。
まあ、困ったら、墓場にはモリさんがいるから頼ればいい、とシエロにまで言われてしまい、退路は断たれた。まあ、モリさんなら顔利きくらいはしてくれるだろう。たぶん。
「ナル?」
「ああごめん、行こうか」
「……魔力酔い、しないでね」
「ゑ」
嫌な予感がしたが、妹を一人で行かせるわけにもいかないので、柱に触れる。
ぐわんぐわんと頭が痛む。がしゃがしゃと内腑を掻き回されているような気持ち悪さ。吐きそう。目は流れていく古語の呪文の羅列によってちかちかとしてコンディションは最悪としか言い様がない。ナリシアが吐かないのは、妹の面前であるからである。
失念していた。魔界と魔法、同じ[魔]という字がつくのに、何故関係がないと思っていたのだろう。
アイゼリヤの住民は多かれ少なかれ魔力を持っている。それは魔界の一部が世界にあることにより、その魔なる力が世界に散らばったからだと言われている。神が命を作る素材として、魔力を使っているから、アイゼリヤの住民は皆一様に魔力を持つのだ。エルフは少し特殊な理由も混ざるが、アイゼリヤに住んでいる以上、概ねその通りである。
アイゼリヤの生きとし生ける者全てに魔力を与えるくらいだ。魔力の本場と言えよう魔界に魔力がないわけがなく、古語を使った転送魔法に大量の魔力が使われているのは火を見るより明らか。何故思い至らなかったのだろう。
先の戦いでは、モリさんを経由したからそんなに魔力酔いに苦しむことはなかった。おそらく距離的な問題だ。
「……ナル、大丈夫?」
降り立ったところで、アリが心配そうに声をかけた。踞ったナリシアの背中をさすってくれている。いくらか楽だ。
アリは魔法はからっきしだが、精霊の巫女としての才故か、そのとき必要な魔力の使い方が感覚的にわかるらしい。たぶんナリシアが楽になってきているのも、アリが少しずつ余剰魔力をナリシアの中から取り除いてくれているのだろう。
「……さてはて」
落ち着いたところで立ち上がる。アリが少しだけほっとしたような表情を浮かべる。
「ええと、スバルくんが言うには、魔王の側近のクリ坊だかってのがいるんだっけ?」
「クリスティン」
クリ坊は勝手につけられた渾名である。
似顔絵ということで渡された絵を見る。
ぽわぽわした毛玉に豆粒のような手足が生えた生き物……のようだ。ナリシアは冗談だろ、と思って魔王に聞いたが、どこからどう見てもクリスティンだという。試しにシエロの似顔絵を描かせたが、画伯というわけではないらしい。俄には信じ難いが、この威厳の欠片もない魔物が魔王の側近、クリスティンらしい。
「……キューブスクワイヤバトラーだよね……」
その魔物の名前は知っていた。魔物の中では言語を介する、賢く、貴い種族なのだそうだが、確か戦闘力的には雑魚中の雑魚だったような……というか以前魔王と戦ったときは側近なんていなかった。
ただのキューブスクワイヤバトラーから昇進したのだとしたら、随分な成り上がりである。何者なんだ、クリスティン。
「あーらわーれたーであーりまーすなー!!」
「!?」
唐突に目の前に現れたのは、白くてふよふよしている毛玉で、豆粒のような手足が生えている生き物。似顔絵と比べる。キューブスクワイヤバトラーであることは間違いない。
が、まさか。
「魔王側近のクリスティンですか?」
突っ込みどころは満載のはずなのだが、アリは開口一番そう尋ねた。
どこが胸なのかは全くわからないが、雰囲気だけはふんぞり返ったようになり、キューブスクワイヤバトラーが答える。
「いかにもであります。わたくちは魔王たまにお仕えする誉をいただいたクリスティンでございます」
「魔王から伝言を預かっているの。わたしは精霊の巫女のアリシア」
「精霊の巫女たま……なるほど、精霊王の系統の清浄な力を感じるであります。ちて、そちらは……」
「アリシアの兄のナリシアです」
ナリシアは無難にそう答えた。
クリスティンはあまりナリシアには興味がないようで、アリと話を進めていく。
「精霊の巫女というのはちんじましょう。けれど、魔王たまの遣いというのはどういうことでございましょうか」
「えと、これ」
アリは懐から、魔王から預かった便箋を取り出した。そこには独特な模様が描かれている。これも文字だったりするのだろうか。
「なるほど、確かに魔王たまの印です。おやちきへご案内いたちましょう」
そうして、クリスティンに連れられた兄妹は魔王の屋敷へと連れられ、そこで便箋を開けたクリスティンが号泣(?)するのをただ聞く羽目になった。
「魔王たま……前に進まれるのですね……」
「何が書いてあったの?」
「白の王復活のために動くと。ちばらく留守をまかてる、と。……ころちてちまった白の王のことに、向き合う心積もりが書かれています」
そんなアリとクリスティンの会話の傍ら、ナリシアは屋敷を見回す。主が不在であるにも拘らず、部屋は綺麗で埃一つ見当たらない。おそらく、クリスティンが毎日掃除をしているのだろう。いつ主が帰ってきてもいいように。
健気なやつだなぁ、とナリシアは思った。こんな魔物がいるとは想像もしていなかった。
「魔王たまは元気ですか?」
「色々あって、戸惑ってるみたいだけど、頑張ってるよ」
「それはよかった」
クリスティンとアリはすっかり意気投合している。
ナリシアは思った。
自分が来た意味とは?




