第61話 自己否定を許さない
千裕はひどく狼狽しているようだった。
「裕弥がいない、裕弥がいない、裕弥がいない、裕弥がいない」
そればかりをエンドレスにリピートする様子をアミは異様に感じた。
裕弥が千裕にとってどういう存在なのか詳しく知っているわけではない。ただ、純冷の話だと、彼は久遠千裕という人物で、ユーヤというのは召喚された際に千裕に取り込まれた獣人王国の王だったはずである。
まあ、まだ憶測であるため、確かなこととは言えないが……
「裕弥がいないってどういうことよ?」
アミが声をかけると、千裕がこちらにばっと振り向いた。
「裕弥がいない。俺たちは二人で一人だったのに、俺の中の裕弥がどこにも見当たらないんだ」
正直、アミには言っている意味がよくわからない。昴から説明を受けて、千裕が二重人格なのは知ってはいるが、実際二重人格がどういうものなのか、理解できたわけではない。苦労していそうだな、程度の認識である。
故に「裕弥がいない」発言に対して、特にコメントが浮かばない。千裕にとっては一大事のようだが、アミからすると、え? あぁ、そう、くらいの認識にしかならない。
こういうとき、昴なんかだったら上手く話を聞き出せるだろうし、純冷だったなら、冷静に状況を整理することができるだろう。だが、生憎とこの二人は今手が空いていない。黒羽や他の面々は眠っているようだし……やはりアミが対応するしかない。
一応、言葉を選んだ。
「あんたが裕弥ではなく、久遠千裕って名前だっていうことは青木純冷から聞いているわ。あんたの中での認識もそれで合っているのかしら?」
ふるふると首が横に振られる。
「俺は久遠千裕なんて名前じゃない。千裕なのは合ってる。でも……俺の中には確かに、久遠裕弥がいたはずなんだ」
あくまで千裕ではなく、裕弥が主体だった、ということだろう。少なくとも今の千裕の中での認識では。……混乱しているのだろうか。
わけがわからないわ、とアミは頭を抱える。どの情報が正しいのか、判別がつかない。純冷が嘘を言っている様子はなかったし、かといって、千裕が嘘を言っているわけでもなさそうだ。
「うーん、話をまとめると、あんたは元々久遠千裕じゃなくて、久遠裕弥だったってこと?」
「……ああ」
なんだ、この微妙な間は。
「俺は裕弥を守るためにいる。裕弥の護衛だ。だから、裕弥がいないと意味がない……」
その言い方にむ、とする。
「まるであんた単体では価値がないみたいな言い方ね」
「ないさ。裕弥がいるから、俺には生きる意味があるんだ」
その断定的な言い方に、アミは腹の底で何かが沸々と煮え立つのがわかった。
まあ、よくあることだ。アミも自分のこういう気質を自覚している。所謂──キレやすい、というのを。
それはあまりいいことではないが、直そうとは思わない。その真っ直ぐな言葉が、人を動かすこともあるんだ、と両親から言われていたから。今、その意味がよくわかる。
動かしてやろうじゃない。この思い込みの激しいへなちょこ野郎を。
「デッキを出しなさい」
「……え?」
「デッキを出せって言ってんの。昴の話だとあんたもちゃんとデッキ持ってるんでしょ? 白属性」
「そうだけど……なんで急に」
「ブレイヴハーツやるからに決まってるでしょ」
アミは高らかに宣告した。
「あんたの思い込みなんて、あたしが打ち砕いてやるんだから!!」
「一応聞くけど、ルールはちゃんと覚えているでしょうね?」
「それは覚えている」
まあ、裕弥と二人存在したときも千裕には裕弥の記憶が受け継がれていたはずだ。覚えていない道理もあるまい。
「じゃあ行くわよ。Brave Hearts,Ready?」
「「GO!!」」
「[Lightning]」
「[鎖使いKnight]」
アミは黄属性、千裕は白属性。裕弥も白属性を使っていたが、リバースメインアーミーが違うらしい。[Knight]というらしい。
白属性はアミが相手にするのを嫌う属性だ。カウンター系のアビリティが多いからである。アミが黄属性を使いこなせれば、カウンターさえも乗り越えることができるはずだ、と昴に言われたのを思い出す。
言われなくたって、この勝負に負ける気などさらさらない。この後ろ向き野郎にがつんと言ってやらなければならないのだ。
「あたしの先攻、ドロー」
千裕とは、一度戦ったことがある。色々なことがありすぎて、もう随分前のことのように思えるが。
千裕のプレイスタイルは大体白属性の基本的なプレイスタイルと一緒だ。カウンターを狙った強力なカード配置。おまけに[時止まりの古城]とディーヴァの名を冠するアーミーとのピンポイントアビリティが厄介である。
だが、あのときのアミとは違う。新しいカードだって手に入れた。デッキの組み換えもした。カウンター対策だって、自分なりに考えた構成にしている。
簡単には負けない。
そんな意志を宿し、アミはまず、アブソープションをした。
「[エンジェルナイト パロエ]をアブソープション。アビリティで、フィールド[光の加護]をセット。更にリバースバックアップをセットしてターン終了よ」
千裕にターンが渡る。
白属性の特性で、白属性は基本的にアブソープションできない。そのため、まずは周りを固めていく。[小刀の鎖使いウォシェ]をアドベント、リバースバックアップをセット、フィールド[CHAIN ROAD]をセット。
「アタック、ウォシェ」
「アンシェルター」
「Knight」
「パロエでシェルター」
コマンドはブランク。
アミにターンが回る。
「[光の加護]のアビリティで、山札から五枚を公開」
出てきたのは[大天使 ミカエル]、[神の癒し手 ラファエル]、[記録者 ラドゥエリエル]、[仮面の天使 アザゼル]、[厳格なる番人 ウリエル]──五枚共天使だ。
[光の加護]のアビリティは出た枚数の分だけ相手のものをダウンチャームに送る。
「手札四枚と山札一枚の破棄を指定するわ」
「……くっ」
きっと、リバースバックアップは破壊指定がキーだったのだろう。アミは白属性のカウンターの恐ろしさを味わってきている。ましてや、一度戦った相手なのだ。その手管は知り尽くしているといっていい。簡単に引っ掛かってはやらない。
「五枚全てをアドベントするわ」
盤面が一気に整う。ラドゥエリエルのアビリティでミカエルのパワーが上がる。リバースバックアップは破棄される──かと思いきや、
「リバースバックアップオープン、[速き翼 ゾフィエル]」
ゾフィエルは破棄、破壊に指定されると手札に戻る。
手札温存にはうってつけだ。
それに千裕が目を細める。
「なるほど、[光の加護]で、盤面が整ってしまうことへの対策ね……」
そう、フィールド[光の加護]は黄属性の特徴である破壊に特化した能力だが、見つけ出した天使はアドベントされなければならない。つまり一回で五枚出揃い、盤面が埋まってしまうと、牽制になるリバースバックアップを置くこともできず、また[光の加護]はチューンシーン開始時のオートアビリティであるため、ターンが回ってくるごとに能力が発動する。つまりターンごとに盤面が入れ替わるカードなのだ。そんなのは効率が悪いし、敗北条件の一つであるデッキアウトにも繋がる。
そのため、アミは[光の加護]を重宝しているが、そのリスクとも向き合っている。アミとて成長しているのだ。
それに、白属性対策も考えてある。リバースバックアップには、様々なオープン条件があるが、多いのはやはり、破壊指定されたときだ。それだから破壊アビリティの多い黄属性はその地雷を踏んでしまう。ただ、それがオープン条件とわかっているなら、それを踏まなければいいというだけの話だ。
だから、危険でもリバースバックアップを指定せず、手札と山札の破棄を選んだのだ。
手札が少なくなれば、今後展開するのも難しい。展開することこそがブレイヴハーツにとって重要なのだ。
「さてと、フィールド[光の加護]を破棄するわ」
まあ、そうなる展開したい場合はかなり有用だし、能力も強力だ。それをあっさり捨てる様子に、千裕は呆気に取られた。
ただ、確実なのは──アミが何かしようと目論んでいること。
千裕は身構える。が。
「らしくないわね」
アミがそんなことを言う。
「へ……?」
アミは千裕の様子に肩を竦めていた。
「いつものあんたなら、逆境なんて見えてないみたいなポーカーフェイスなのに、考え込むなんて、らしくないわ。常勝不敗の裕弥さん?」
「違う!! 俺は裕弥じゃない!!」
顔を押さえ、頭を振る。
「俺は千裕だ。裕弥じゃない」
すると、アミはふぅん、と興味なさげな声を出してから指摘する。
「やっと認めたわね。自分が久遠千裕だってこと」
「な!? そういう意味じゃない!!」
どうかしら、と意味ありげに呟いて、アミはバトルシーンを始めた。千裕の手札は空故に、一気に3ダメージを受けることになってしまう。
「あたしに反論したいなら、勝ってみなさい!」
アミがターン終了と同時に手札を構える。アミ風に言うのなら、どっからでもかかってきなさいというファイティングポーズ的なものだろう。
「俺のターン。ドロー」
たった一枚の手札。それをどう使うか。
……本当は、気づいていた。
「リバースバックアップをセット」
アミとの戦いを千裕は覚えている。全て。
あの戦いは途中で裕弥に切り替わった。二重人格であるなら、覚えていない方が当然なのに。……諸説あるが。
薄々、気づいていたのだ。何故裕弥は「自分」というものが曖昧なのか、何故自分ははっきり千裕だと断言できるのか。
「……違う……!」
この期に及んでも、千裕は事実を否定し続けた。
「Knightでアタック」
「アンシェルターよ」
「ウォシェ!!」
「アンシェルター」
そこで千裕の攻撃が終了する。アミは一度もシェルターしなかった。まるで、必要がない、とでも言うように。
「ターンアップ、ドロー」
冷静に自分のターンを宣言し、それから一枚のカードに手をかける。
千裕に向けられたアミの目線は、冷たかった。
「あんた、こんなに弱いやつだったかしら」
一度戦ったからこそわかる。あのときの千裕は、アミなんかが相手にならないくらい強かった。
「裕弥がいなくなったから? こんなに弱くなったの?」
「……っ、守るものをなくしたら、誰だって……!!」
「あら、純冷は戦ったわよ? 譬、絶望の中でもね」
アミはあっさりと言い返す。
タイラントとの戦い──あそこで確かに、純冷は一度挫けた。けれど、そこから立ち上がった。そして、タイラントに果敢に立ち向かったのだ。
それは、千裕も見ていたはず……いや、気絶していたか。
そこは問題ではないのだ。諦めずに立ち向かった、そのことが重要なのだ。
「きっと、純冷は今も守りたいもののために戦っているわ。譬、傍にいなくても」
「!!」
そこまで言うと、アミはセンターにカードを重ねた。
「エボルブ。[断罪の天使 サリエル]」
正規兵アーミーである。青属性ではないので、チャームのカードは全てダウンチャームに破棄される。ただ、エボルブしたのは大きい。
「それから」
チューンシーンに移ったアミは、一枚のカードをアブソープションする。
「それは……」
「そう、[エンジェルナイト パロエ]。この意味がわかるかしら?」
「……パロエはアブソープション時のオートアビリティで、山札からフィールドを一枚設置できる」
「ご名答」
アミは山札に手をかけ、迷いなく一枚を選ぶ。
「さあ、祝宴を始めましょう。……天使たちの祝福を受けた者は。フィールド[天使たちの饗宴]を設置!!」
普段はあまり使わない。このフィールドも、エボルブも。
千裕は警戒したが、意味はない、とすぐにわかる。[天使たちの饗宴]のピンポイントアビリティを発動する条件が整っていない。場にいる四大天使は三体だけ。
「あんた、あたしがこのターンのために準備してたの、気づかないのね」
「え」
「いいわ。わからないでも。こういうのは昴の領分だけど、カードゲームっていうのがたった一枚のカードで、状況をひっくり返せるっていうことを味わわせてあげる」
アミは、手札の中から一枚を引き上げ、高らかに告げた。
「天使を統べる者よ、姿は単一ではない。全ての天使の命運を握る者よ。この戦いの命運のために降臨せよ!!」
そこで、アドベントされたのは──
「っ!? 騎士階級……」
「[天使の長たる者 アンナ]!!」
発現したばかりの新たなカード。幻と呼ばれた騎士階級のアーミー。
「でも、それがなんだっていうんだ」
「やっとあんたらしい強気さが出てきたわね。けど、このターンで終わりよ。あたしには、ピンポイントアビリティがあるんだから」
千裕が首を傾げる。フィールド[天使たちの饗宴]は名前に、ミカエル、ラファエル、ガブリエル、ウリエルを持つアーミーが揃っていなければ、クリティカル二倍という強力なピンポイントアビリティを発動させられない。強力だからこそピンポイントな条件下でしか使用できない。それでこそピンポイントアビリティなのだ。そこを省みてから、アミのフィールドを見ると、ミカエル、ラファエル、ウリエルは揃っているが、ガブリエルだけが足りない。これではピンポイントアビリティは発動しない。
が、アミは不敵に笑っていた。
「あら、さっきの口上をもう忘れたのかしら」
アミはとん、とアンナに指を置く。
「アンナの姿は単一ではない……」
「まさか!」
口角を吊り上げてアミは言い放った。
「そのまさかよ。──アンナはプレイヤーが宣言した天使アーミーとして扱うことができる。そしてもちろん今は、[神の英雄 ガブリエル]として扱うわ!」
これで、[天使たちの饗宴]のピンポイントアビリティの発動条件が揃う。
「ピンポイントアビリティ発動よ! クリティカルを二倍にするわ!」
えげつない能力である。
「ここにはいない英雄のために駆けなさい! アンナ!」
千裕の手札では、このアタックを凌いでも、あと二回のクリティカル二倍攻撃は止められない。
圧倒的なまでのアミの完全勝利だった。
ダメージコマンドは全てブランク。
アミは放った。
「ツァホーヴ!!」




