趣味
仕事についての説明を受けたヌル。
そんな彼を気遣ってか、アインスは「屋敷の外を少し案内しましょうか」と気分を変えるような提案をしてヌルを外に連れ出した。
屋敷は、林の中にある湖畔に建っている。
一歩外に出るだけで自然を感じられる、そんな場所だ。
自然を満喫できる。何か嫌な事があっても癒しの空間がすぐ近くにある。
そんなことを考えていたヌルは、すでに自然を満喫していた人々と出会う。
「アインスと、そこのキミ。申し訳ないが、そこをどいてくれないか」
そう声を掛けられ、ヌルは、声のした方を見た。
そこには、飛び散った絵の具で汚れたエプロンをかけている、もじゃもじゃ頭の絵描きがいた。
「こういう言い方はしたくないが、邪魔だ」
絵描きは言った。
どうやら、彼が描いている最中の絵の構図の中に自分たちは入ってしまっていたようだ。
「ごめんなさい、アハト」
「わかってくれたらいいんだよ、アインス。さあ、さっさと消えてくれ」
絵描きの視界から消えたアインスとヌル。
「あの…」そろそろいいかなと、ヌルは口を開いた。「さっきの方は?」
ヌルは、アインスに訊いたつもりだった。
しかし、「ボクの名前は、アハト」と何故か別れたはずの絵描きがここに居て、答えた。
「言いたくはないけど、キミたちのせいで集中力が切れた。それに、キミにも興味があったから、追って来たよ」
「えっ…?」
「噂に聞こえた新しい住人とは、おそらくキミのことだろう? なら、ちゃんと挨拶しておこうと思ってね」
「あ、はい…よろしくお願いし…」
「ところで、気になっているんだ。キミの名前は?」
「ヌ、ヌルといいます」
「へ~そう」
「……はい」
…………………。
「……あれ? ひょっとして、今の沈黙ってボクのせい?」
「いえ、そんなことは…」
「いや、心当たりはあるんだ。ヌルとアインスが二人でいた所にボクが来たわけだからね。パレットの上で余計な色を足すかの如く、ボクが現れた事で場の空気が乱れた可能性もあるだろう?」
なんだろう? ヌルは思った。面倒くさい、と。
「あ、アハト」アインスがどう思ったかは知らないが、「作画の調子はどうですか?」と話を逸らすように訊ねた。
「ああ、順調だよ。いや、順調だった、と言うべきかな」
「す、すいません」ヌルは、なんとなく謝った。「邪魔しちゃったみたいで」
「いや、そんなことはないよ。こうなったのも、あの程度で雑念が入るくらいしか集中していなかったということだ。むしろ、こうやって休憩をとって散歩をすることで、それまで見ていた風景を多角的に見ることが出来る。細部まで描けるようになったり奥行きが出来るようになったり、プラスも多い」
「どうですか? 何か得られました?」アインスは訊いた。
「う~ん…どうかな? キャンバスに向かって筆を握らないと、なんとも言えないな」
そしてアハトは、「すまないが、ここで失礼するよ」と言っていなくなった。
アハトがいなくなると、
「さて、もう少し歩きましょうか?」
何事もなかったかのようにアインスは、歩き出した。
「あ、はい…」
ヌルは、薄々気付いていた。
ここの住人は面倒くさい人が多い事。
そして、アインスが、彼らの扱いがやたら巧い事を。
だからといって冷たい対応でもないアインスを、菩薩か何かではないかとヌルは思った。
二人は歩いて、湖の側まで来た。
そこには、誰かが先に来ていた。
ローブの様な服に身を包み、三角帽子を被ったその人は、竿を持って湖の中に糸を垂らしていた。
釣りをしているようだ。
「ノイン」
アインスが声をかけると、ノインと呼ばれた釣り人は、二人の存在に気がついた。
「やあ、アインス……と、はじめまして」
「は、はじめまして。ヌルと言います」
「今日から、ここの新しい住人です」
「ああ」ノインは、特に興味もなさそうに視線を湖面に浮かぶ浮きに戻した。「ボクは、ノイン。よろしく」
ノイン。
ヌルは、おや、と思った。
どこかで聞いた名前だ。
ここに来てから何人もの住人と出会い、会話を交わしてきた。その中で、住人の名前が出た事もあった。そうだ、たしか『ノイン』という名前もどこかで聞いた。
どこで だっただろうか?
たしか、『ノイン』と『釣り』で思い出せる事があったはずだ。
ヌルが考えていると、その答えをアインスが口にした。
「そういえば、フュンフが来たそうですね」
そうだ。
風呂場であった全裸の男・フュンフだ。彼は、ノインという人が釣りをしているところをからかったら池に落とされたと言っていた。
思い出した。
思い出すと、ヤバいのではないか、とヌルは恐れを抱いた。
自分たちもノインの釣りを邪魔していると、この状況では言えなくもない。
池に落とされるのではとヌルが危機感を抱いていると、そんなヌルの様子に気付いたノインは「ああ、フュンフは来たよ。けど、誰かれ構わず湖に沈めるワケじゃないから、安心してよ」と愛想無く言った。
「そうですよ」ノインの言葉に、同意するアインス。「いきなり危害を加えるような人は、ここにはいません。それに、ノインの気性は穏やかな方です」
「そ、そうなんですか」
ヌルは、納得した。
が、すぐに別の疑問が生じた。
アインスが保障する程に穏やかな性格のノイン。そんな彼を怒らせるくらい、フュンフは何をしたのだ?
聞こうと思ったが、怖いのでやめた。
「アハトは絵、ノインは釣りをして、それぞれの余暇を満喫しています。もしまだ趣味と言える類のものが無いのなら、ヌルも、彼らのように何か始めてみてはいかがでしょうか?日頃の疲れも癒せると思いますよ」
「は、はい…」
アインスはそう言うが、その趣味を邪魔されてブチ切れするようなこともあるのでは、いかがなものかと、ヌルは思う。
「ヌル…といったかな?」
「え、あ、はい」
「どうだい、キミもやってみるかい?」
ノインが、ヌルを釣りに誘った。
「え、でも…」
ヌルは、返事に困った。
まだアインスから案内を受けている途中だし、さっきもポーカーに誘われたが、その時はアインスが直々に断っていた。
しかし、「やっていきますか?ヌル」とアインスも訊いてきた。
「あ、じゃあ、はい…」
「釣竿だったら貸すから」ヌルは、ノインに誘われて釣りを始めた。「アインスの分もあるよ」ヌルに付き合うかたちで、アインスも釣りに興じることになった。
釣りの経験が無いヌルは、ノインから指導を受けた。
といっても、針にエサを刺して、浮きの動きを注意して見て、引いたら上げるといった感じの簡単なレクチャーだった。
指導を受けたら、早速やってみる。
しかし、ヌルは、
――エサって気持ち悪いな
そう思い、エサである何かしらの虫を針に刺す事を躊躇った。
もしかしたら、そう思いヌルは、アインスの方を見る。
怖がっていたりしないだろうか、そう心配した。
が、アインスは平然と、慣れた手つきで針にエサをつけ、竿を振っていた。
――ですよね…
一瞬でも心配に思った自分をバカらしく、ヌルは思った。
釣りを始めて数分経過。三人の竿に、動きは無い。
釣りを始めて十数分経過。三人の間に、会話は無い。
釣りを始めて数十分経過。ノインが竿を上げたので、マネしてみた。エサが無くなっていた。
「こうしてゆっくり過ごすのも、いいですね」
「だろ。でも、釣れたらもっと楽しいよ。自然の中で『静』と『動』を味わう事が出来る」
「…………………」
その後、特に何もなく釣りは終わった。
地味な終わり方ですみません。
人物紹介
・アハト…絵描き。
・ノイン…釣り人。
㊟全体的に面倒くさがっているワケではありません。