食べる事
ミッションがない時間、ここの住人はそれぞれ自由に過ごす。
休憩する者もいれば趣味を楽しむ物、食堂で美味しいご飯を食べて英気を養おうとする者もいる。
今も食堂に何人かいた。
「アハト」食事中、ヌルが声をかけた。
「なに?」
口元についたソースをナプキンで拭き、アハトは、ヌルに応えた。
「少し気になったんだけど、いい?」
「ダメと言ってもいいけど、それじゃあ意地悪しているみたいだから…いいよ」
「アハトの能力って、描いたものを具現化する力ですよね?」
「う、ん。否定はしない」
「完全に肯定をしてもらえない理由はこの際 置いといて…、ひょっとすると、その能力があれば飲み食いには困らないのでは…?」
すごい発見をしたとばかりに、ヌルは言った。
だが、
「いや、否定させてもらう」
偶然同席していたツェーンが、そう言った。
ツェーンは、グラスの水を飲み干すと続けた。
「アハトの能力で具現化されたモノは、時間が経つと、ただの紙とインクになる。よしんば食べられたとしても、具現化されるモノはアハトのイメージが強く影響される。つまり、味音痴のアハトの味覚が影響されるので、アハトが作り出すモノは不味い」
「うるさいよ」アハトは、不愉快そうに唇を尖らせた。「というか、なに勝手に解説しているの? 全てを理解しているワケでもないくせに」
「だが、嘘は言っていないはずだ」
「それを証明する術はないはずだ。場にいる過半数がボクの味覚を否定しようとも、少数でも異なる意見があるなら、その意見は活かされるべきだ」
「とは言うが、大多数の人間の口に合うものじゃなし、食えても所詮は紙、腹を壊す」
「それは、壊れる側、つまり口にした者、つまりツェーンに問題があるんだよ」
「……ぁ…」
ツェーンは、言い返す言葉を失った。
そこに畳み掛けるように、アハトは続ける。
「味の追求もいいけど、まずは食べられることに感謝しないと。食べられるのに味が好みじゃないから食べない、それは、ただのワガママだと思うよ」
言い返す言葉の無いツェーンは、正しくない者として、この場から追放された。
ツェーンがいなくなり、気不味さだけが残る食堂。
しかし、そんな事は細かい事だと気にしない男がいた。
御子様ランチを食べ終わり、オムライスについていた国旗の爪楊枝の先を綺麗にナプキンで拭いていたドライだ。
「ヌル、午後の予定は?」
唐突に訊かれたヌルだが、「えーっと…特には…」とすぐ答えた。
国旗をジャケットの胸ポケットにしまい、「食事の時を同じくした、丁度いい機会かもしれないな」とドライは言った。
「はい?」
「ちょっと付き合え」
今にも雨が降り出しそうな鉛色の空。
布で覆われた箱状のモノを持ったドライは、ヌルを連れて、森の中へ入った。
「もたもたしていると一雨来そうだ。ここら辺でいいか」
なんだろう、とヌルは身構えた。
青空の見える晴れた日ならば感じ方も違うのだろうが、今のこの天気は、何故だかイヤな予感を感じさせる。
「今まで何度か獣などと戦闘経験があったはずだ」
「あ、はい」ヌルは、ここに来てからの数日間を振り返った。「シワワシ、スキノコグマ、モグラン、ナカナカカワイイカ…」指折り数えるヌルは、「あ、そうだ、ズィーベンも」と付け足した。
「ふっ。ズィーベンは獣の並びか」
口にした瞬間まずかったかなと思ったヌルだったが、微笑するドライを見て、苦笑しながら「一番手強かったと思います」と言った。
「だろうな。今のお前には まだ手に余る相手だ」
一体なんだろう? ヌルは、首をかしげた。
まさか、ズィーベンの倒し方を教えてくれるワケでもあるまい。万が一 攻略法を教えられたとしても、闘いに行く勇気は出ないだろう。
しかし、その万が一を考え、ヌルは息を呑んだ。
「本題だ」
ドライは言った。
どんなことを言われるのか、ヌルは身構える。
だが、ヌルの緊張を嘲笑うかのように、さらっと「生物を殺した事はあるか?」とドライは訊いた。
「…え?」
「ないのか?」
「いや…全く無いなんて事はないはずです。けど…」
どうしてそんなことを訊かれるのか、質問の意図が理解できなかった。
不思議そうなヌルに、「フフッ」と微笑して見せ、ドライは言った。
「今日はお前に、殺しの覚悟を見せてもらう」
どういうことか未だにわからない、というかイヤな予感が増えただけのヌルは、「どういう意味ですか?」と訊ねた。
ドライは、足下に置いていた箱状のモノから、布を外し取った。
それは、小さな檻のようだった。
中に、何か居る。
「これは、イヌカネコという動物だ」ドライは、檻に入った犬の様な猫みたいな生物を指差した。「俺が生け捕りにして持ってきた。ヌル、お前には、こいつを殺してもらう」
「ど、どういう意味です?」
「言葉通りだ」
ドライの眼にも、ヌルが明らかに戸惑っているように映った。
だが、それでドライの考えが変わる事はない。
「ナイフだ、使え」
ドライは、鈍く光る刃渡り十センチほどのナイフをヌルに渡した。
しかし、ヌルは、それになかなか手を伸ばせない。
「どうした?」
「いえ…」
「命を奪うことに抵抗でもあるのか?」
「ない、と言ったらウソになります」
「もしこれが魚だったら、感じ方は違ったか?」
「え?」
「生物の命を奪うことに線引きがあるのか? あるなら、それは何だ?」
ドライの問い掛けに、ヌルは考えた。
だが、考えてすぐに出せる答えを、ヌルは持っていなかった。
「同じ哺乳類だから? 愛着があるから? 奪ってもイイ命とダメな命、その線引きはどこだ?」
「線引き…」
ヌルは、考えた。
そして、ドライは、ヌルの答えをジッと黙って待ち続けた。
「あの…」おもむろにヌルは、口を開いた。「これ、食べるんですか?」
「捨てるつもりはない」
「食べるんですね。じゃあ…意味があるなら…」
ヌルは、決意を固め、ナイフを握る手に力を入れる。
しかし、そんなヌルに、またドライが「意味がないと、殺せないか?」と問い掛けた。
ヌルは、震える程にナイフを持つ手に力を入れた。そうしていないと、一度固め掛けた決意が簡単に崩れてしまいそうだった。
「意味がないと殺せない、そういうことか?」
ヌルの呼吸が荒くなる。
命を奪うことに、どう向き合えばいいのか分からなくなる。
ギュッと目を瞑り、考えた。
「無意味に命を奪うようなマネは、したくないです」
ヌルは、懸命に考え、考え抜いた答えを口にした。
「そうか」
もしかしたら怒られるかも、ヌルはそう思った。
だが、ドライの口から出た言葉は、「わかった」だった。
「え?」
「すまないな。少々試させてもらった」
「ど、どういう事です?」
「俺達の生活は、生き死にと隣り合わせだ。だから、命を奪う事に慣れる必要がある。いちいち戸惑ってはいられないからな。だが、命を奪って生きているという事を忘れてはならない。決してな」
「じゃ、じゃあ…」
自分は不合格なのか、ヌルがそう訊こうとしたら、ドライは首を横に振った。
「今言ったのは、あくまで俺の持論だ。俺が本当に知りたかったのは、『命との向き合い方』だ。もし殺しに躊躇いがないなら、それはそれで受け入れる。殺しは絶対に嫌だと言ったら、それも受け入れよう。『無意味な殺しは出来ない』と言ったヌルの言葉も、受け入れよう。フッ、この世界で生きるには、少々辛い選択にも思えるがな」
まぁ頑張れ、ドライはそう言い、ヌルの肩をポンと叩いた。
ドライの試験を、ヌルはパスできたようだ。
しかし、まだそれで全てが終わったわけではない。
「どうする、ヌル?」
「一度握ったナイフです。やらせてください」
ヌルは、手を合わせた。
ヌルはその日、初めて生き物を殺す感覚を知った。
イヌカネコを捌き終え、ヌルは屋敷に戻った。
ドライは「先に帰って、厨房で待っていろ」と言い、その場に残っていた。
一瞬の静寂が、湿った空気に混ざった。
「そろそろ出てきたらどうだ?」
ドライは、何処かに向かって言った。
その言葉を聞き、木陰から出てきたのは、アインスだった。
「見ていたのだろ?」
「ええ」アインスは頷き、「どうしてこんなことを?」と訊いた。
「命の選択をする機会は、この先きっとあるだろう。辛い選択を迫られることもある。その時、中途半端な心構えだと、自らを危険にさらすことになる」
「だから…」
「ああ。命の選択について、普段から少しでも考えていてほしくてな」
「……正解は、あるのでしょうか…?」
神妙な面持ちで、アインスは訊いた。
それに対して、ドライが出せた答えは、「わからない」だけだった。
厨房で待つヌルの所に、ドライが来た。
「さて、今日は精神的に疲れただろう」
「いえ…」
そう言うが、ヌルは疲れていた。
「そう気を張らなくて良い。良い肉が手に入った、美味い夕食を食べよう」
「そう、ですね…」
調理が始まった。
ドライの勧めで、ハンバーグやナポリタン、ケチャップライス等がワンプレートに乗った御子様ランチを作るのだ。
ヌルが。
「これって、作る側に対する地味な嫌がらせでは?」
「一品一品がメインを張る、食材に対する礼を尽した料理だと思わないか?」
そうかもしれないけど…。
ヌルは、食べる前に疲れ果てたそうだ。
御子様ランチを食べたいけど、年齢制限があってガッカリ。
年齢制限がなくても、頼むことのできない自分にガッカリ。