川の賊
「やることがない」
掲示板の前で、ヌルは途方に暮れていた。
何もすることがない。
「依頼が掲示してあるだろうが」通りがかったツヴァイが言った。サボるなよ、とでも言いたそうに掲示板をアゴでしゃくる。
「掲示してあっても、出来る依頼がないんです」
「どういう意味だ?」
「難易度の問題です」
そう言われ、「ああ」とツヴァイも納得した。
「お前はまだE難度しか出来ないんだっけか」そういった声には、優越感が滲んでいた。
「はい。アインスの許可がないと、まだD以上には挑戦できません」
「ハッ、真面目だねぇ。そんな言い付け、破っちまえよ」
「怒られませんか?」
「怒られないと思うか?」
「思いません」
「俺もそう思う」
ツヴァイは可笑しそうに笑った。
ヌルには、何が面白いのかわからない。
「やることがないなら遊べ」この状況で最も価値のあるアドバイスを送る様な口ぶりで、ツヴァイは言った。「仕事以外の時間をいかに有意義に過ごせるか、それが一流とそれ以下の差だ」
「それじゃあ…」ヌルは少し考える間をあけて、「修業に付き合って下さい」と頼んだ。「最近、必殺技を得るために訓練していて…」
「ああ、悪い。俺は忙しいんだ」
急に時間に追われる様子を見せ、ツヴァイは何処かへと行った。
ヌルが何をしようか悩んでいると、
「ひ、ま、な、ひ、と、は、だ、れ、だぁ?」
と声が聞こえてきた。
フィーアが近付いてきている。
あきらかに自分に向けて言っている、とヌルは察した。
笑みを浮かべるフィーアの表情から、ヌルはイヤな予感がした。
「ツヴァイなら向こうに行きましたよ」
「もう、わかっているくせに」意味深な笑みを浮かべるフィーアは、「ヌルに用があって来たのよ」と言うと、ヌルの前で足を止めた。「何を隠そう、ヌルに依頼を持ってきました」
「えぇ…」
ヌルは、嫌そうな反応を隠さなかった。
というのも、以前キノコ狩りを頼まれた時に痛い目をみたからだ。
しかし、そんなことはおかまいなしに、フィーアは続ける。
「依頼内容は、食材の調達」
「またですか?」
「実はね、新鮮なイカを食べたいの。イカ刺しとかイカ飯」
「イカって…」ヌルは面食らった。「海にまで行けと?」
「いいえ。この辺には、川に棲むイカがいるの」
「川にイカ?」
「その名も『カワイイカ』」
「カワイイカ?」
「それじゃあ、出発!」
ヌルが意見する間もなく、今回のミッションが決まった。
釣りに行くとなれば、まず寄る所がある。
釣りが趣味というノインの所だ。
もしかしたら何処かへ探しに行かなければならないかもと思ったが、その心配はなく、ノインは休憩室にいた。
「ノイン」フィーアが声をかけた。
「やあ、フィーア、ヌル。何か用?」
「あのね、ヌルにイカ釣りを頼みたいの。だから、釣り道具を貸してくれない?」
「イカって、もしかしてカワイイカ?」
「ええ」
「いいけど…カワイイカ釣りか…」
「どうしたの?」
「あのさ、僕も行っていい?」
ノインが訊くと、フィーアは「もちろん」と即答した。
「ノインがついて来てくれれば心強いわ」
「ほんと?」ノインの声が弾んだ。「じゃあ、すぐ三人分の釣り道具を用意してくるから待っててよ」
「あ、ちょっ…!」慌ててフィーアが、待ったをかけた。
「どうかした、フィーア?」
「私はここに残って釣果を待つわ」
フィーアは、ただイカを食べたいだけで、釣りをする気は微塵もなかった。
しかし、「心配しなくてもいいよ。釣れなくても、それもよくあること。やってみれば楽しいから」とノインは、すでに三人で行く気になっていた。
みんなで釣りに行きたい。
そんなノインの気持ちを察したフィーアは、ついて行くだけなら、と行くことを決める。
ヌルも、釣り好きのノインが行ってくれるなら自分はいらないのでは、と思ったが、それは口に出さないことにした。
さあ行こう、という時。
「イカを釣るなら夜の方がいいよ」
ノインが言った。
それを聞いて、フィーアは「え、夜?」と顔をしかめた。
今晩食べたいのに、と内心でぼやくフィーアだが、ノインは夜釣りを勧めた。
「寒くないように準備してね」
「あの、ちょっと…」
「ん?」
「女の子にとって夜道は危険だわ」
「大丈夫」問題無い、とノインは言う。「フィーアがいれば、夜道も安全だよ」
「そこは男子として『俺が守ってやるぜ』的なことは言わないの?」
フィーアは、呆れた。
どうやら夜釣りに決まったようだと察したヌルは、無言で防寒具の心配をしていた。
すっかり日が暮れ、夜も更けてきた。
ノインの指示通り、服装で調整して寒さ対策はした。
そして、夜道の対策はフィーアに任せる。
「こういうことだと思った」フィーアは、自前のランタンに火を灯し、夜道を照らしてくれた。そもそもノインの頭の中には、夜行性の獣がいるから等という心配はなく、足下を照らす灯りを気にしていたのだ。
月明りだけでは心許ない夜道を、フィーアのランタンが照らす灯りを頼りに、一行は歩き出した。
釣りのポイントを探すとき、ノインは静かだった。
だが、ポイントに近付いてくると、次第にソワソワし始めた。
いつも物静かなで冷静なノインが、ワクワクしているのが伝わってくる。
ポイントに来ると、ノインのテンションが一層高まった。
「エサを獲るところから始めるのも面白いけど、時間もないし、僕が作ったエサを使うよ。それとも疑似餌の方がイイかな? あ、まずは撒き餌をしようか」
着々と釣りの準備を進めるノイン。
置いていけぼり感を食らったフィーアとヌルは、とりあえずノインの指示に従い、用意してもらった既にリリースされている釣竿を握り、獲物がかかるのを待つことにした。
きっとここから忙しくなる、そう思ったのだが、
「暇ね」
「そうですね」
何も状況に変化がないまま、川の水と十分の時が流れた。
「あと十分待ってあたりが無かったら、ポイント変えてみる?」
ノインがそう訊いた。が、フィーアは何が正解なのかもわからなかったので、「ここで粘りたい」と、動きたくないという自分の本心に従って、答えた。
帰りたいな、ヌルがそう思った時だった。
ぴくっ。
三人の竿が、同時に震えた。
「きた!」
なにか溜め込んでいたモノを解放させるかのように、フィーアが声を上げて竿を引いた。
ヌルは、竿を持つ手に力を込める。
水面の震えが、目に見えて大きくなる。
「焦らないで」ノインが言った。「落ち着いて釣りあげよう」
三人は、釣りあげようと懸命に竿を引いた。
そしてなんと、三人同時にのけぞった。
もしかしたら互いの糸が絡まっただけなのでは、とヌルはくだらないオチを想像した。が、水中から現れたのは、ちゃんとイカの形をしていた。
「いや、でかっ!」
ザバァっと大きな音を上げ、波を起こし、自分達の三倍以上はある大きさのイカが出てきた。
巨大イカの出現に、獲物がかかった時にノインから「焦るな」「落ち着け」と言われていたヌルだが、恐怖し、平常心を失っていた。
「でかすぎるでしょ!」
「ほんと、おっきい」
そう言ったフィーアは、目を丸くしているが、恐怖は感じていないようだった。
「ナカナカカワイイカだ」
声に喜びすら滲ませ、ノインが言った。
「え、なんて?」
「ナカナカカワイイカ、カワイイカの一種だよ」
「ちょっと、ノイン!」フィーアが、なにこれ、と苦情を言った。「こんなに大きくて、味はどうなの?」
「そっちの心配?」
「大丈夫、ナカナカカワイイカはカワイイカの中でもナカナカ美味しいイカだよ」
「じゃあ、いいか」
「うるさい!」
思わずヌルは、声を荒げてしまった。
三人はナカナカカワイイカを釣った。
だが、それはまだ水面に上がっただけで、完全に釣り上げたというには時期尚早だ。
むしろ、ここまで呼び寄せてしまったと言えなくもない。
ナカナカカワイイカは、三人に意識を向けてきた。
それを感じ取ったヌルは、まるで獰猛なサメが近くにいるような寒気を感じた。このままでは食べられるかも、と冗談ではなく本気で思った。
「ど、どうすれば」
ヌルは、ナカナカカワイイカから目を逸らせないまま、二人に訊いた。
「どうしましょう?」
「大きな獲物は、焦らず、じわじわ弱らせるものだよ」
「捕まえる気ですか?」ヌルは驚愕する。
「捕まえないと食べれないでしょ」フィーアは、注意するように言った。「踊り食いするにしても、まずは陸にあげないと…」
「踊り食いって…身が千切れますよ」
「噛み切らないで丸飲みするのよ」
「イカの話じゃなく、我が身ですよ! 」
「まぁまぁ」
落ち着いて、とノインは言う。
が、「なんでそんなに冷静なんですか!」とヌルは声を高くした。
「このままだと下手したら食べられちゃいますよ!」
呑気な二人の相手はしていられない、と判断したヌルは、戦闘の構えをとった。どう倒せばいいかはわからなかったが、とりあえず何か攻撃がきても大丈夫なように。
しかし、本当にどうすればいいか分からない、ヌルは困った。
特訓中という自分の現況を考えれば、なかなかに丁度いい試練の場とも捉えられる。自分の実力を知る、いい機会かもしれない。だが、いかんせん相手は水の上、手を出そうにも届かない。
どうしようか、ヌルは考えた。
「イカ刺し」
「ゲソは揚げたいね」
「ワタを使って煮込みも作る?」
「パスタもいいかもよ」
「そこ! うるさい!」
思考の邪魔でしかない話をする二人を、ヌルは黙らせた。
考えつく方法としては、攻撃して来たところを返り討ちにすることくらいだ。水中戦は分が悪い。触手に絡め取られたら、なんかピンチになりそうだ。それに比べると、あの槍の様な頭で攻撃してきてくれれば、イイ感じに攻撃出来る気がする。
フワッフワの作戦をもって、ヌルは臨もうとしていた。
「よし!」
ヌルは、気合を入れた。
しかし、ゆるゆるの作戦の隙をついて、ナカナカカワイイカの予想外の攻撃がきた。
ナカナカカワイイカの身体は大きい。そして、その身体に見合うくらいに、あしも太くて大きい。幅は人ふたり以上、長さは測ろうとするのも面倒なくらいだ。そんなあしは、ちょっと大きく振るだけで、普段の穏やかな川の流れを大きな波に変えた。そして、上空に弾き飛ばした水しぶきは、スコールのように降り注いだ
三人は、おもいっきり水を被った。
冷たい水を頭からかぶり、ずぶ濡れになったヌルは、寒さを堪えながら、他の二人のことを見た。
ノインは、「やったな」と文句を漏らしていたが、まるでじゃれてくる動物を相手にするように、目は輝きを増し、口元には笑みを浮かべていた。
しかし、フィーアは違った。
「寒い…」
がくがくと身体は震え、唇は紫になっていく。
フィーアだけは、確実にダメージを受けているようだった。
「だ、大丈夫ですか?」ヌルは、彼女を気に掛けた。
「ダメ」
フィーアは、持っていたランタンに再び火をともし、暖をとり始めた。
小さな火にあたる彼女の姿は、よけいに弱々しく見えた。
「寒い…」フィーアは囁くように言った。「ダメ、身体の震えが止まらない、髪も服も濡れた、なんか全身を汚された気分…」
フィーアを見ていると、本当に大丈夫か、とヌルは心配になる。
気を遣ってもう一度声をかけてみるが、フィーアには聞こえていないようだ。
「もう…ダメ…」蚊の鳴くような声で、フィーアは言った。
「え、なんて?」
「もう、ダメ。許さない」
「え?」フィーアの眼に怒りの炎をともったのを見て、ヌルは思わず委縮した。
「本当は刺身でも食べたかったけど、スルメイカにしてやる…! 燃やしてやる…! 燃やし尽くしてやる!」
「やばっ!」ノインは慌てて、「ヌル、逃げて!」と声を上げた。
「はい?」
理解が遅れたヌルは、直後に痛い思いをする。
痛いと言うより、熱い思いを。
ヌルは、混乱していた。
フィーアが、燃えているからだ。
例えではなく、本当に彼女を包むように、彼女の周囲に炎があがっていた。
「ちょっと! あれ、大丈夫なんですか?」
とてもじゃないがフィーアには近寄れないので、近場にいたノインに訊いた。
「大丈夫」ノインは、すでに難を逃れたように、ホッと一息ついていた。「あの炎は、〝ベーゼ・フランメ″、フィーアの持つ武器、あのランタンから出ているモノだから」
「だからって…」危機感の無いノインに、ヌルは、炎に包まれているフィーアのことを指差しながら、「確実に今、フィーアが一番危険な所にいますよ!」と声を高くして言った。
「大丈夫なんじゃないの? だって、あの炎はフィーアの能力なわけだし、それに…」
「それに?」
「フィーアの心は今、炎よりも熱く燃え盛っている」
「まさかの精神論!」
ヌルは、声高につっこんだ。
怒り狂うフィーアは、ナカナカカワイイカに襲いかかった。
炎をまとったランタンを振り回して、攻撃を仕掛けてきたナカナカカワイイカの足を焦がす。
暴れるナカナカカワイイカは、水飛沫を雨のように降らせた。
しかし、そんな水滴は、フィーアの炎が簡単に蒸発させる。
ナカナカカワイイカは、まだ生きているが、確実にその身を黒く焦がしていった。
すごいな、とヌルは唖然とした。
元々あった食欲よりも怒りを糧として、我が身の倍以上はある巨大なイカに立ち向かうフィーアの姿は、ヌルの口をこじ開け、塞がせない。
「焼け焦げろぉ!」
ランタンを勢いよく振り回し、とどめの一撃を食らわせようとするフィーア。
そんな彼女を、
「フィーア、ストップ!」
と、ノインが止めた。
持っていた釣竿を振り、釣り糸の先端でランタンを絡め取り、フィーアが全力を込めたとどめの一撃をムリヤリ止めた。
「ちょっと! ノイン、邪魔しないで!」
「落ち着きなよ」ノインは、落ち着き払った声で言った。「殺るのはいいけど、忘れないで。これ、食べるんだよ」
「……あ…」フィーアの怒りが、徐々に収まった。
「焼きイカもいいけど、丸焦げはイヤだよ」
そうだった、とフィーアは思い出す。
武器を降ろし、彼女の身体を包んでいた炎も消えた。
近付いても大丈夫か、ヌルは戸惑いながらフィーアに歩み寄った。
「大丈夫?」
「大丈夫よ」フィーアは、微笑した。「私、スルメイカも好きだから」
「そういうことじゃないです!」
「そうね。イカ、沈んじゃったし」力尽きたイカを指差し、フィーアは言った。
そういうことでもないのだが、と呆れつつ、ヌルは、力尽きて沈んでいくナカナカカワイイカのことを見ていた。
「まったく…」ノインは、溜め息をもらした。「捕獲の事をちゃんと考えてよね」
「心配ないわ。ヌルが潜って捕まえてくれるから」
そんな無茶を言われたヌルは、
「釣りの意味は!」
と、つっこんだ。
これは余談だが、ナカナカカワイイカのことは、この後、美味しく食べたらしい。