第五十話 黒い勇者様(笑)
西暦二五七〇年/ブリストン暦四五六年 宝瓶の月(十一月)十三日
スハク首長国 カブ・ラーン砂漠 第三進入禁忌指定区域
『ギイイイイイィィィィィィィィッッッ!!』
砂煙を巻き上げながら地中から姿を現したのは、尻尾を含めれば三十メートルはあるかという紫色の巨体に、毒々しい黄色の斑点をちりばめた巨大な蠍。
ここ、カブ・ラーン砂漠の生態系の頂点に立つ存在。
大酸毒蠍だ。
砂上に躍り出た大酸毒蠍は、その長い尻尾を振り回し始めると、先端の毒腺から黄緑色の毒液を噴射しまくる。
毒液は岩に当たったり地面に落ちたりすると、その場でジュウウウウウウウッ、という音をたてる。
非常に強力なこの毒液には、オリハルコンやミスリルなどといった特殊な魔法金属を除けば溶かせない物は、大酸毒蠍自身の甲殻だけだ。
その甲殻も強いのは酸に対してだけでなく、この世界では高名なフランシナ帝国の重犀の突進を受けても傷一つつかないほどの強度も併せ持っている。
まさしく、砂漠の覇者。
近辺の生態系の頂点に立つ存在。
だが、何か様子がおかしい。
鋏を無茶苦茶に振り回し、尻尾を地面に打ち付けまくる大酸毒蠍からは、とてもではないが覇者の貫録は感じられない。
それは寧ろ、追い詰められた被捕食者の様だった。
大酸毒蠍が振り回した丸太の様な尻尾が、モウモウと砂煙を巻き上げる。
木造の小屋ぐらいなら粉砕してしまいそうな勢いでフルスイングされる尻尾。
その尻尾が、砂煙の中で、ピタリと動きを止めた。
大酸毒蠍が自らの意志で止めたのではない。
そもそも、凄まじい遠心力を孕んでいるので、大酸毒蠍自身でも一瞬で止める事は不可能だ。
では、誰が止めたのか。
いつの間にか小さな影が、砂煙の中に立っていた。
それは人影で、小さいと言ってもそれは大酸毒蠍と比べての話であり、約百八十センチ程と、人間としては大柄な方だ。
砂煙が晴れ、人影が露わになる。
フード付きの漆黒のローブ。
その下には、青い光のラインが走る黒い機械鎧。
全身黒づくめの人物が丸太のごとき大酸毒蠍の尻尾を、右手一本で受け止めていた。
フードの下から青く光る双眸が、大酸毒蠍を睨み付ける。
『ギシャアアアァァァァァァァァァァッッッッッ!!』
睨まれた大酸毒蠍は、半ば狂乱じみた雄叫びを上げながら爪を振りかぶり、黒い鎧の人物へと振り下ろす。
「………」
鎧の人物は無言で、受け止めている尻尾を強く握りしめる。
尻尾の甲殻にヒビが入り、指がガッチリと食い込んだ。
そしてそのまま、特に力を込めた風も無く右手を振る。
次の瞬間、小山の様な体躯の大酸毒蠍が、さしたる抵抗も無しに吹っ飛んだ。
『ギイイイイイィィィィィィィ……………ギャッッ!?』
四、五十メートル程吹っ飛ばされた大酸毒蠍は、背中から砂漠に叩き付けられて悲鳴の様な物をあげる。
その瞬間には、鎧の人物は既に元の場所にはいなかった。
弾丸の様な勢いで、投げ飛ばした大酸毒蠍に肉薄。
大酸毒蠍が体勢を立て直すより早く、その腹の上に駆け上り、ローブの右袖を捲り上げる。
そこには、黒い鎧は装着されていなかった。
露わになったのは、光沢を持つ黒い腕。
黒いが、鎧ではない。正真正銘、その人物の生身の腕だ。
だが、鎧の人物が右腕に力を込めると、その生身の腕に赤い光のラインが走り始めた。
一本ではなく、血管の様に複数。
だが生物的ではなく、直線で幾何学的な光のラインが、手の甲へ集中する様に走る。
やがて集まった光のラインは、手の甲に直径三センチ程の赤い円を形作った。
そして赤い光の円は、鼓動する心臓の様に明滅を始める。
「………ぉぉぉぉぉぉぉおおおおおおおおっっっっっ!!」
明滅する赤い円に呼応するかの様に、雄叫びを上げる鎧の人物。
そして右腕を振り上げ、眼前の大酸毒蠍の腹へと振り下ろした。
グッシャアアアアアアアアアッッッ!!
『ギャギャギャギャアアアァァァァァッッッ!!』
耳障りな音と共に大酸毒蠍の腹部の甲殻が粉砕され、それ以上に耳障りな絶叫を、大酸毒蠍が上げる。
だが、鎧の人物はそこで止まらない。
肘まで大酸毒蠍の肉にめり込ませた黒い右腕。
「………爆散」
鎧の人物がボソリと呟くと同時に、再び黒い右腕に光のラインが走り始める。
しかし今度は赤ではなく、黄色だったが。
そして次の瞬間、大酸毒蠍の全身の甲殻が内側から盛り上がり、穴が開いている腹と口から、黄緑色の体液が噴出した。
『ギギィィ………』
最後に小さくブルリと震え、大酸毒蠍は完全に動かなくなった。
「………ふう」
体液が付着した右手をプラプラと振りながら、鎧の人物は大酸毒蠍の腹の上から降りる。
周囲を見回して、他に大酸毒蠍がいない事を確認したその人物は、フードを脱ぎ、首のジョイントパーツをいじる。
パチリ
プシュッ
圧縮空気が排出される音が、ヘルメットのロックが解除された事を示す。
鎧の人物は、ゆっくりとヘルメットを外した。
その下から現れたのは、端正ながらも、濃い疲労を伴った厳しさが刻まれた顔。
エデン国元首(正確には臨時最高統括官)、アレス・レックス。
「…ふう、ヘルメットを脱ぐ前の方が涼しいって………。ま、環境最適化システムがあるから当たり前だが」
ギラギラと照り付ける太陽。地平線まで広がる砂漠。物憂げに佇む全身黒ずくめで二枚目の男。
これが映画か何かなら、煙草でも吸って、大きく煙を吐き出していそうだ。
アレスに喫煙習慣は無いが。
ふと、地平線の向こう側から砂煙が上がり始めた。
かなり遠いが、徐々に近付いて来ている。
数分後、砂煙の元が近くまでやって来た。
全長四、五十メートル程の帆船だ。
地球では見られない、この世界特有の乗り物、「砂上船」である。
速度を落とした砂上船は錨の様な形の岩を投げ下ろし、完全に停止する。
甲板では屈強な砂夫(地球の船で言う水夫)たちが忙しく動き回っていたが、船が完全に停止すると船縁に取り付き、砂上のアレスの姿を認めると一斉に破顔して歓声を上げ始めた。
「勇者様ー!ありがとうございますー!」
「あの蠍を倒すなんて、流石は勇者様だ!」
「ありがとう!本当にありがとう!」
「黒の勇者様、ばんざーい!」
分かり易過ぎる、熱烈な歓待ぶりだ。
屈強なムサい男たちから熱烈なラブコール(?)を受け、若干顔をヒクつかせながらもアレスは彼らに手を振り返す。
結果、更に歓声がボリュームアップするのだが。
砂上船からタラップが下ろされ、乗船する為にアレスはそれを登り始める。
その途中。誰にも聞こえないように、アレスはボソリと呟いた。
「………どうしてこうなった」
事の発端は、約二ヵ月前まで遡る。
取り敢えず投稿しました。
何があったのかとか、詳しい話は次話以降で。




